カメラマン

スマホのなかで眠っていた写真たち(上)=2015年の足跡が見える

 ふだん取材カメラは、デジカメをつかっている。正式に構えた写真となると、ニコンの一眼レフだ。
「スマホでも撮っておくか」
 この程度のもので、見直しもせず放置している。「フォトコレクション」を開くとやたら多いので、USBメモリーにすべて移した。
 ここ1年間で、ずいぶん歩いているな、と思った。1年の活動の足跡にもなるかな、と写真を拾ってみた。

 読売カルチャーセンター・金町で「文学賞をめざす小説講座」を持っている。受講生たちの要請で、5月の連休に外房・千倉で一泊の合宿を行った。

 夕方、海岸に出てみると、子どもらが波打ち際で戯れていた。カメラを持っていないので、スマホで撮っておいた。


 谷津遊園のバラ。最近はそのネーミングはあまり聞かないので、出かけてみた。

 スマホを買い替えたばかりだった。

 試し撮りに近かった。 

 祝「山の日」推進委員会で、谷垣会長がいい笑顔をしていた。

 委員の私は、壇上の微笑みをなんとなく撮りたくなった。デジカメも持っていたが、スマホのほうが気楽に撮影できる時代になってきたので、(被写体もかまえない)、会議などではつかう場面がふえてきた。



 阿波・徳島の平家の里に行ってみた。

『かつしかppクラブ』の郡山さんが松永伍一著「平家伝説」を教えてくれた。たいへん興味深いので、出むいた。

 平家時代の面影はなく、現代的だったな。

 甲斐駒ケ岳に登った。
 
 最初から、山頂に登る気がなかった。山小屋にパソコンを持ちこんで、3時間くらい原稿を書いていた。山小屋に3泊だった。私ひとりパーティーから外してもらい、仲間が下山してくるルートにむかってのんびり登っていた。

「ここらで仲間を待つか」とスマホを取りだしたけれど、通話の電波がとどかない。手元に取り出したからにはと、数枚、甲斐駒岳を撮影しておいた。

 山稜が雲と戯れている方が、山岳写真としては迫力がある。その典型的な写真だった。


 広島には2か月に一度は出むいている。と同時に、原爆ドームは折々にでむく。

「2度とこんな戦争はしてはいけないのだ」と、崩壊したドームを凝視していると、心が引き締まってくる。


 徳川時代は260年戦争しなかった。明治時代から10年に1度は戦争をする国家になった。『だれがこんな軍事国家にしたのか』『だれがこんな戦争を引き起こしたのだ』。事実・史実をたぐれば、諸悪の根源の人物が長州藩に多くいる。

 かれらは決して英雄ではない。軍事国家の醜い歴史をつくったのだ。
 
 長州・毛利家はもともと広島だった。関ヶ原で負けて、萩に転封された。武士は武士同士で婚姻し、地場の農商人と交わらない。だから、毛利家の家臣団には広島の遺伝子が脈々と流れている。
 だからこそ、広島出身の私は、長州の暴走による戦争責任のかれらを明確に正さねばならないのだ。広島人として義務だ。やらねばならないのだ。

 私はそれを書籍や講演で、日本中に知らしめていく。


 明治から原爆投下までの77年の戦争は、庶民犠牲だ。これまでの歴史作家は英雄史観で持ち上げて、庶民の犠牲をないがしろにしてきた。
「温故知新」で古きを訪ねてみたら、そこは欺瞞だらけの歴史だった。となると、新しきものが大きく狂ってくる。
 軍事思想、戦争起爆の張本人など、ヒーローにしてはいけないのだ。執筆した歴史作家も糾弾していく。かれらは決して大作家ではない。読書を通して民をミスリードしているのだ。


 長州藩を中心とした明治時代の官吏がつくった嘘の歴史は、もう教えてはならない。
「国づくりは100年教育から」である。明治政権でなく、明治軍事政権、と正確な表記の歴史教科書にする。
 この記載自体だけでも、将来は安全な国家づくりになる。


 教科書の記載まで変えさせるとなると、高い壁かもしれない。これが私の役割りだと、じぶんに言い聞かせている。
 必ずやり遂げる。それを誓いに、より信念を固めるためにも、原爆ドームにはよく足を運ぶ。

 

 原爆投下の直後から、大勢の女学生が悲惨な死となった。着衣は爆風ではぎ取られ、皮膚はただれる。幼い子どもらも、生きながらえても、白血病で血をはいて死ぬ。

 こうした像は、「平和のありがたさ」もおしえてくれる。 

 メール文を打っていた時、外国人がきた。「外国人とお城」面白い組み合わせかな、と思った。

 むろん、何かで使う気はなかった。ただ、一瞬、面白いな、と思うと、シャッターを押したくなる。

                        【つづく】

第11回さつき会(下)名演技をみせます:尾上民と尾上五月

 第11回さつき会は、2015年7月18日に、大井町駅前、きゅりあん小ホールで開催されました。

 さつき会は、尾上五月(元宝塚歌劇団月組・五月梨世)の『日本舞踊教室』の皆さんたちで構成されています。


 協賛出演  尾上 民

 尾上五月

 切れの良い、味のある踊りは、さすがプロ中のプロの演技です

 ふたりの呼吸は絶妙です。

 ことし2月に、この会を指導してくれた、尾上菊一郎氏がお亡くなりになりました。

 天国から観ていただいている、その気持ちで踊られていました。

  
 舞台と観客が一体化しています

 
 「宝塚は海外遠征しますから、日本舞踊は必須です」。尾上五月さん(右)にインタビューした、そのことばが印象的だった。
 もう10年くらい前になるのだろうか。


 礼儀・作法、そのことばが日本舞踊には、しっかり生きている。これが伝統だろう。

 背筋と指先に美しさが集中する。

 

第11回さつき会(中)絢爛豪華な日本舞踊=写真で魅せます

 長唄  岸の柳  尾上 禎 

 明治6年に、はじめて披露されたそうです

 清元  青海波  尾上 月香

 「せいがいは」と読みます。
 
 この文様はかつて徳川将軍家だけに許された、権威の象徴でした。高山陣屋に行くと見られます。


  長唄  藤音頭  坂東 玲奈

  お酒を少し呑まされた女性がほろ酔い、恋しい男性を想う



 春の海  藤波 大

 きりっとした男性の踊りです



 みだれ髪  小俣 信子

 美空ひばりの曲といえば、必ず出てきます。

 観客も口ずさんでいました。

 長唄  蓬莱(女)  松本 美知子

 日本舞踊には、扇子の妙技が欠かせません。 

 舞台に立つ。一年間の稽古の集大成です

 大和楽  寿  中村寿美江

 昭和初期につくられた、新邦楽の一種です。.


 

 ひょっとこ面で、たのしませてくれます。

 日本舞踊の芸能性はゆたかです。


 清元 お祭り  丸山 すゞ

 華やかですね、お祭りですから


 長唄 手習子  三井 百合花

 寺小屋に通う、娘を演じています
 

  清元 梅の春  尾上 菊八

  手拭いの小道具の使い方がとても上手です

第11回さつき会(上)魅せます日本舞踊 = 東京・大井町


 長唄  藤娘  山口 希枝子

 艶やかな舞いと衣装は、日本舞踊の妙です。


 常磐津  夕月船頭  小池 良

 男性も、魅力たっぷりに踊ります。

  清元  四君子   廣瀬 麻美 

 着物の帯は、江戸時代の娘たちのお洒落の象徴でした。

 長唄  蓬莱(男) 田中 優子

 竹取物語の「蓬莱の玉の枝」から、



 長唄  七福神  尾上 月乃

 縁起が良いですね、


 長唄  老松  尾上 れい

 文政(江戸時代)につくられた長唄です
 


 端唄 春雨 ~ 梅は咲いたか   千木 良富子

 まさしく春の代名詞です
 


 黒田節   伊藤 章子

 勇ましく踊ります。



 長唄 潮来出島  小野 貴子

 潮来といえば、花嫁さんがほうふつされますね。



 影を慕いて   根本 美恵子

 古賀メロディーとして、有名な曲です

【再掲載・動画で楽しめます】抱腹絶倒・長唄「棒しばり」の妙技

 狂言の代表的な「棒しばり」は、歌舞伎や舞踊でも演じられる。とても愉快なをパロディである。読者から『動画で見たい』と要望がありました。

 下記を左クリックして、愉しんでください。

YouTube:動画で楽しく見られます

 大名は外出前に、酒乱の太郎冠者と次郎冠者をよびつけて括(くく)りつけてしまう。「これで、余の眼を盗んで、よもや酒は飲めまい」
 と安心して外出します。

 これを巧妙に潜り抜けて、酒を飲んで踊りだす。そこからの高度な妙技です。

 

色彩豊かな芝桜が存分に楽しめる丘陵=秩父・羊山公園

 五月連休に入った。この季節には多種多様な花の名所が多い。

 西武線・横瀬駅から15分で、羊山(ひつじやま)公園に出むいてみた。ここには9種類・40万本以上の花のじゅうたんができている。

 遠方には、20代で、何度か登った武甲山が屹立(きつりつ)している。

 
 都心からのデート・スポットだから、若いカップルが多い。

 むろん、中高年も大勢いるけれど。


 

 丘陵(きゅうりょう)の一面が花でデザインされている。

 秩父夜祭は有名だ。その笠鉾(かさほこ)、囃(はやし)し手の襦袢(じゅばん)を催しているらしい。


 スマートフォンに自撮り棒(じどりぼう)を取付けて、若者どうしは自分撮りを行う。構図などはどうなんだろう?

 「シャッター」を押してください。こうした言葉がだんだん少なくなっていくのだろうか。
 
 

 同公園の一角には、チューリップの花壇があった。

 芝桜とは違った、華やかさがある。

 思いのほか人気があった。

  少子化の時代だろうか、街なかで「こいのぼり」を見かけることは数少ない。

  マンションのベランダで、玩具のような小ぶりを見かけるけれど……。

  秩父の空に、雄大な姿で泳ぐ「こいのぼり」は、子どもの日らしい。

  端午(たんご)の節句。この言葉をつかう機会も少なくなったものだ。 

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色彩豊かな春を満喫する、小時の憩い=広島植物公園


 広島県の島に生まれ育ち、18歳で東京に出た。

 それから長い歳月が経った。

 「広島市植物公園」があると初めて知った。

 
 4/10は招かれて、早朝7時から「積極人間の集い」で講演した。参加者は約40人だった。

 私は夜型なので、ふだんは朝4-5時に寝て、11時頃に起きている。

 体内時計が狂ってしまった。

 広島に来れば、観光気分などないし、ほとんど東京へとんぼ返り。きょうの午後くらいは半日、ゆっくりすごそうと決めた。

 

 私は数多く写真を撮るが、自分の写真を撮ることはない。

 むろん、撮ってください、と頼むことはない。

 「撮ってあげましょうか」

 そう言われて断るわけにもいかなかった。

 広島の女(ひと)は親切だな。

 警戒心を持たれない年齢になったのかな。



 頭上の枝葉が網目になり、芸術的な美を構成していた。

 植物の被写体は、時おり、頭上にある。
 


 水連が盛りだった。

 一輪ごとは心に収めておいた。

 見事な花弁は誰でも撮るから、あえて鮮明に取り込まなかった。


 クローズアップした花弁はゼロではない。味気ないから掲載しなかった、というのが適切な表現だろう。

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春の小さな散策・日本橋~浅草


 3月31日。なにかしら1年の区切りのような気持ちになる。

 わたしは格別、年度単位の仕事をしているわけではない。

 多くは月単位である。第2週と第4週は、小説、エッセイ、区民大学などを集中させている。

 昨日でひと区切りがついた。ちょっとほっとした開放的な気持ちから、小時、日本橋に出かけてみた。



 桜の花が満開だった。

 日本橋から足を延ばせば、千鳥ヶ淵は近い。きっと見事だろう。

 人混が想像できたので、日本橋の桜で満足しよう、と自分を説得させた。



 日本のど真ん中の、頭上には首都高速道路、眼下に流れるのは神田川、古から架かる日本橋がある。わずかな隙間には、満開の桜が顔見世をしていた。


 デパートで、写真展が開催されていた。カメラマンは長野県・松本深志高校の出身者で、天体の写真を得意としていた。

 このところ、わたしは取材で松本周辺にたびたび出むく。同校出身者にもよく出合う。そんな気持から立ち寄ってみた。

 これが写真とは驚きだ、という作品もあった。

 会場内の撮影は自由だった。カメラマンには敬意を称したい。

 


 写真だけで日本橋だとひと目でわかる。

 そんなスポットを探してみた。

 ここだろうな。



 日本橋界隈のデパートは、なにかしら展示会をやっている。

 次なるデパートに向かった。わたしはふだん絵画展など観たことはないし、むしろ苦手だ。

 それでも、好奇心で絵画展を覗いてみた。

 撮影禁止だった。フラッシュを焚けば、絵画を劣化させるからか。著作権か。ちょっと不満を覚えた。


 ほとんどの題名が懲(こ)りすぎで、どの漢和辞典の隅から探してきたのか、と思うものばかりだ。これが小説だと、題名が懲りすぎると、内容は大したことはないのが常だが?

 人物画はおしなべて、モデルが正面から突っ立って描かれていた。人物が面白くなかった。

「江戸時代の浮世絵の肢体を研究したら……」

 そんな気持で会場を出た。

 


 ヨーロッパの一都市と見まちがう光景があった。

 絵画展の不満が、この車との一瞬の出会いで解消した。

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抱腹絶倒で楽しめる、長唄「棒しばり」の高度な妙技(下)=帆之亟の会より

 狂言の代表的な「棒しばり」は、歌舞伎や舞踊でも演じられる。とても愉快なをパロディである。

YouTube:動画で楽しく見られます


 
 大名は菊月喜千壽が演じる


 大名が外出するたびに、太郎冠者・次郎冠者の二人の召使いは酒蔵へ忍び込んで、盗み酒をする。

「なにか妙案はないか」

 外出前に、大名はあれこれ思案する。


 次郎冠者は帆之亟である。


 城内の一角で、次郎冠者はが棒の手(護身術)を披露していた。

「拙者の腕は、藩内随一じゃろう」

 得意になっている、棒の術を見せびらかせている。たしかに、その腕はずば抜けている。


 


 大名は外出前に、太郎冠者と次郎冠者をよびつけて括(くく)りつけてしまう。

「これで、余の眼を盗んで、よもや酒は飲めまい」

 


「いかにして飲めるか」

 創意工夫で、何としてでも飲みたい。

 悪知恵がはたらく2人である。

 甕(かめ)のなかの酒を器用に掬(すく)っている。

 

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舞うは彩のいのち、愛の生命、そして燃えつきぬ(中)=帆之亟の会より


 藤娘  久保泰介


 若い娘が黒の塗り笠に藤づくしの衣装で現れる。

 観客席はどよめく。

 長唄「藤娘」は、人気の歌舞伎舞踊の演目の一つ。

 そのあでやかさから、日本舞踊の舞台でも必須の演目になっている。


 藤の枝を手にした藤の精が、酒に酔い興にのって踊る。

 そのうちに遠くから寺の鐘が鳴る。

 娘は家路につく。


 藤娘の美しい姿は、羽子板の押絵にもなっている。



新曲 浦島

 尾上五月(五月梨世) 元宝塚歌劇団・月組の男役、いまは日本舞踊の師匠として活躍している。



 長唄「浦島」には、なぜか、浦島太郎は登場しません。


 
 坪内逍遥(つぼうちしょうよう)が、明治37(1904)年に作詞した

 文芸的な格調の高さと、 ワーグナーのオペラ、三味線の音楽が組み合わさっています。

 踊り手は巧妙に海辺の情景を踊りで表現する。

 波は時に激しく、ある時はゆったりと押し寄せる。その緩急の呼吸が舞台から伝わってくる。


 帆之亟の会

「はんのじょう」と名乗り40周年の記念すべき公演

 2015年3月5日(木)

 日本橋劇場にて