カメラマン

晩秋の富士山麓で、想うままに撮って、わが心を重ねる ③

 富士山麓を歩く。東京から近いせいで、いつでも来られると思いつつも、いまだに足を運んでいない景勝地、さらに山梨県・大月のリニア・カーの実験地などむかうことに決めた。

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「スターダスト」の早朝のラウンジで、窓越しに、富士山が眺められる。心地よいものだ。

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美味しい朝食は、1日の良きスタートである。

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「白糸の滝」はもうすぐだ。渓谷に架かった橋を渡る。

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白糸の滝が幻想的というか、神秘的に輝いていた。

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 富士山麓では、とても人気のある観光名所である。
 観光客どうしが撮影し、お礼を言い合う。ちょっとしたふれあいが旅を楽しませる。   

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 ひとたび、山中湖に帰ってくる。大勢の観光客がくり出す。

 南アルプスが遠望できる。

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リニアカー(山梨県・大月市)
 科学の最新技術で挑むリニアモーターカーの走行運転が展望ができる。
 科学の進歩の一面で、森林破壊とか、地下水の問題か、諸々ありそうだけれど、現地を知らずして、あれこれ批判するのは望ましくない。それゆえに足を運んでみた。

 模型や説明パネルから、水力発電所でエネルギー作る、という原理とおなじに思えた。確認すれば、
「そうですよ」
 と案内の方が応えてくれた。
 マグネットで稼働動力を生みだす。CO2の観点でいえば、地球環境の問題の点で、ずいぶん寄与するのかな。

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 ただ、早く開業しないと、東海道新幹線に追いつかれてしまうのではないか。そんな心配をしてしまう。
 
 案内嬢が暇そうにして勧めるので、ミニ・カーに試乗してみた。
 宙に浮かぶ、快適さを問われたが、距離もなく、心地さなどわからなかった。
 ディズニーランドの玩具の一つみたいだった。

日本の三大奇橋の猿橋

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 は、もう30年前から、いちど来てみたかったところ。


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 猿橋駅から、徒歩でも来られる。

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江戸時代からの特殊な橋脚のつくり方

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 たぬき池も、脚を運んでみた。

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 富士山とも、また来るまで、しばし別れである。
 今夜、もう一つの楽しみがある。東京でも、天体ショーの皆既月食だ。
 TVの気象予報士は皆既月食は98%みられると、自信満々に語っていた。とても楽しみだ。
 中学時代には、私は3年間ずっと気象班に所属していた。毎日、観測していた。日曜日も、(当番制)学校に出向く。
 NHK第二ラジオ放送の天気概況を聞き取り、天気図を作成していた。

 初の人工衛星が地球を回ると、真夜中の中学校のグラウンドで、先生の指導の下、天体望遠鏡で観測したものだ。

 そのころの若き血潮が騒ぐ。 

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 帰宅すれば、東京の夕空はぶ厚い雲におおわれた曇天である。
 占い師と気象予報士は肝心なとこに当たらないものだ、と相場は決まっている。

 大人になってみると、責任が問われない良い仕事だな、と思う。
 結果として、合成写真しか表現することができなかった。

晩秋の富士山麓で、想うままに撮って、わが心を重ねる ②

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 今夜の宿泊地は、山中湖畔のカントリーホテル「スターダスト」である。富士山とフランス料理が売りである。
 一泊2食が1万1500円~である。満足度の割にずいぶん格安である。+アルコール代も加えても、リーズナブルなお値段だ。

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 かつて山仲間(可児さん)と、スターダストに一泊し、ちょうしに乗って酒を飲み過ぎてしまい、富士山の山頂への登攀がことのほか苦しかった。ふたりは登山ザックにワインを数本入れて担ぎ上げたけれど、二日酔いで一滴も飲めなかった記憶がある。

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 何年前か忘れたが、この山中湖畔の「スターダスト」に泊まり、白雪の11月の富士山に登った。パートナーは肥田野さんである。
 ふたりは冬山ゆえに二日酔いを警戒し、ビールは1、2杯で控えた。そして早朝に、完全装備の登山姿で出かけた。

 冬場は富士5合目までの路線バスなどない。裾野から自力で登攀していく。
 単独峰に吹く風は強烈である。雪面は風で磨かれてツルツルに光るほど研磨されている。
 転倒すれば、制動が利かない滑落となり、助かる確率は低い。まさに死に直結する一歩ずつである。
 七合目からはもはや台風並みの風で、わたしたち二人の足を止めてしまった。酷寒の烈風はとうとう山頂まで近づけてくれなかった。二人は断念し、下山してきた。

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 スターダストでは、フランス料理の美食を摂ったあと、マスター(木村あずささん)が手品を披露してくれた。一つひとつに感激。見事な腕前だ。

 もう10年くらい前になるかな。わたしは「山中湖ハーフマラソン」に出場した。そのときも、かれが上手な手品を披露してくれた。前泊の食後に、とてもリラックスできる好い時間がもてた。
 そんな記憶がよみがえってくる。

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 御殿場からみた富士山が話題になった。

 林忠崇(ただたか・21歳)は、総国請西藩(じょうざいはん・千葉県木更津市・一万石)藩主だった。鳥羽伏見の戦いあと、旧幕府(徳川将軍家)を追いつめる新政府に反感をもった。

 藩主の忠崇みずから脱藩し、藩士70名らとともに、旧幕府の遊撃隊に参加した。幕府海軍の協力を得て、館山から相模湾の沿岸に上陸し、小田原、箱根や伊豆などで新政府軍と激しく交戦する。

         *

 このころ、芸州広島藩の自費出費で320人が参戦した「神機隊」は、上野戦争、飯能戦争のあと、会津にいく予定だった。ところが、江戸城の総督府・大村益次郎(長州藩)から、
「林忠崇のつよい遊撃隊が、最新型のフランス銃を装備したうえで、小田原から御殿場を経由し、甲府にむかっている。討伐してきてくれ」
 と派遣を要請されたのだ。

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 懇願に応じた神機隊が甲府、さらには高所の三つ峠を越えて河口湖周辺(写真)まできてみた。さらに、山中湖まで足を延ばしてみるが、林忠崇たち遊撃隊の形跡がまったくなかった(忠崇は奥州戦争にむかっていた)。
 神機隊は江戸城までもどってくると、総督府総帥参謀の大村に対峙し、
「がさネタで、無駄足をさせてやがって。わが神機隊は自分たちが集めた自費で参戦しているのだ。弁償しろ」
 と上から目線で、六千両を脅し取っている。

 毛利家祖の元就は、広島藩から戦国の雄になった武将だ。さらに、幕末・明治維新まで、芸州広島藩の浅野家(42万石)が、朝敵にもなった長州藩毛利家(36万石)よりも、つねに優位性を保っていた。
 そんな背景から大村は、神機隊の隊員・軍備搬送として江戸湾から平潟(茨城県)まで、長州藩の軍艦までも貸与させられている。

         *
 
 明治に入ると、元藩主の林忠崇は脱藩・反逆の罪で平民まで堕ちたうえ、極貧の流転つづきであった。実に、気の毒だ。
 昭和12年(1937年)に旧広島藩主・浅野長勲(ながこと)が死去すると、忠崇が最年長の『最後の元大名』となった。


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「スターダスト」を創立した元オーナー・木村忠さん(写真)は、大手の通信メーカーのエンジニアだった。38年前に、脱サラで、保育園勤務の妻・翠(みどり)さんとともに、山中湖にペンションを開業した。
 技術屋さんが接客業とは、わたしの想像を超える。

「ここまでの38年間で、一番苦しかったのはいつですか」
 おおかた、なれない経営の創設期だろう。
「一にも二にも、新型コロナのここ2年間です。創設期は若さから夫婦で懸命に働きました。子育てをしながら。それなりに口コミもあって、お客さんの確保ができて上向きました。しかし、コロナ禍は営業ができず、手の施しようがなかったからです」

 ただ、山梨は全県民らの力で、新型コロナの新規感染拡大が徹底して抑えられてきた。その成果が生まれた今、ことし10月から中学生の修学旅行が入りはじめましたと話す。

 妻の翠さんもかたわらで、
「山梨県は全国で3番目に、修学旅行の人気だと公表されています。やや灯りが見えてきた感じです、第六波のコロナ禍を想像すると、まだ心細い灯りですが」と語る。 

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  明日はどこに行ってみるかな。
「いまはちょうどダイヤモンド富士で、カメラマンが大勢きていますよ」
 カメラマンは小説の素材として興味がわかないしな。
「花が少ないフラワーパークも、情感があります。河口湖です」
 そこがいいな。
 さらなる候補先をいくつかあげてもらった。  
                    
               『つづく』     

【関連情報】

カントリーホテル「スターダスト」

〒401-0502 山梨県南都留郡山中湖村平野2977

電話番号0555-62-2200

 

晩秋の富士山麓で、想うままに撮って、わが心を重ねる ①

 富士山麓に行ってみよう、宿は山中湖村の「スターダスト」ときめた。日本人にとって、富士山は最も人気があるけれど、それだけに月並みな山でもある。
 文学、芸術の世界で、美しい対象ほど表現するのは実にむずかしいものだ。
 
 写真の腕前えが優れているとうぬぼれる者でも、月めくりカレンダー「富士山と桜と湖」の写真と比べれば、見劣りがする。
 かりに絵画の心得があったとしても、江戸時代の浮世絵師たちの独特の絵画技法には、逆立ちしてもかなわない。小説の筆力がある書き手でも、太宰治の名作「富嶽百景」にはおよばないだろう。

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 晩秋に3、4日くらい富士山麓で過ごしたところで、先人をまえにして、わたしは挫折感を味わうだけである。
 それがわかっていても、11月半ばの富士山は、四季を通して、白雪をかぶった形と姿が最も好いし、山容に魅せられてしまう。考えたあげくの果てに、やはり日本人の心の象徴・富士山だと、足をむけた。

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 富士五湖の湖畔で恋をする。ふたりはすねて、甘えて、心のなかで最愛の人だと信じ、澄んだ目で語り合う。やがて、恋の決意をかためていく。
 そんな燃える男女の情愛をえがく小説を理想としている。

 この景色なかに、恋が燃焼している男女はいないかな。そんな被写体をごく自然にもとめている自分を知る。作家の職業病なのかな。

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 山中湖の湖畔で、記念写真を撮るほほえましい親子をみつけた。三脚のそばで、少年が両親を撮る姿が妙に恰好よかった。かたや、少年に笑顔をむける両親の表情もこころよい。
「カメラマンのボクの写真を撮らせてください」
 両親が快諾してくれた。

 少年の写真を掲載すべきか。親子の姿か。ずいぶん迷ったけれど、男女が恋をして、家庭をもち、子どもが生まれ、家庭をきずいていく。
 このプロセスのほうが、私の作風にあっているかな。

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 家庭を築いて、子育てが終わり、老夫婦で旅に出る。そこにはともに人生を歩んできた年輪と、苦節を越えられた自信とが、いたわり歩く姿に凝縮されて醸(かも)し出されている。
「若いころは、よく夫婦喧嘩をしたわね」
「いまもね」
 そんな思い出ばなしも、ほどほどに楽しみ、語り合っているのだろう。
 
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 生きている今が最も大切だ。あすは何が起こるかわからない。よきドラマならばよいが......。
 この湖畔の村は、伊勢湾台風の大雨で、裏山から巨大な山津波が発生し、集落ごと湖水に流されてしまった。全村の生活が阿鼻叫喚(あびきょうかん)のなかで、すべて消えた。
 
 この伊勢湾台風は、昭和34(1959)年9月の潮岬に上陸し、紀伊半島から東海地方を中心に、ほぼ全国に甚大な被害をもたらした。明治時代以降の台風災害で史上最悪の惨事となった

 愛知県・三重県の被害がとくに甚大であった。となり合う、ここ山梨県の富士山麓も例外ではなかったのだ。
 
 村中の幼子、少年・少女、若夫婦、働き盛りの農夫、余生を送る老人らが瞬時に、土石流にのまれていく。号泣しながら、救いを求める、むごたらしい悲惨な光景になったのだ。

 わたしが初受賞した文学賞は『千年杉』で、山津波が素材だった。それだけに、いま観光で復元された村にきて、災害当時の惨状をきくほどに胸が痛む。
 
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 富士山は活火山だ。もし噴火したら、どんな姿になるのだろうか。雲を噴煙に見立ててみた。

 宝永噴火は1707年だった。いまからさかのぼること300年前。幕末は150年まえの曽祖父の時代だ。そこから、たった2倍前にすぎない。地球年齢でみれば、まさに、きのう今日とおなじ。

 東京は関東ローム層(富士火山灰)の上に建つ大都市だ。
「富士山は300年周期です」
 そう教えてくれた。
 富士山噴火は射程なのだな。

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 火山噴火は真っ赤な溶岩がながれ出てくる。数千度の高温岩石に襲われる恐怖はどんなものだろう。
 わたしの作品には、山岳にからむ小説がことのほか多い。ただ、火山噴火はいちども素材として描いていない。
『善人が助かって、悪人が死ぬ』
 そんな善悪の法則など一切ない。運命か、宿命か。そこに凝縮されてしまう。そう考えると、自然災害は人間の努力と連動してこない。
 わたしには想像できない世界観(宗教観に近い)ゆえに、とても書けない分野だ。
 
 富士山爆発を予言した雑文で、金儲けする著述業者の心理はわからない。無責任な恐怖で人を惑わす、かれらが最も悪人かも知れない。
 
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 人間は強烈な記憶でも、歳月とともに忘却していく。

 わたしは日記をつけたことがない。不精な性格というわけでもないけれど、取材ノートや手帳でも、読み返すことなど、ほどんどない。約束事などは記憶で行動するし、執筆は脳裏にとどまっている範囲内で文章化してしまう。要するに、忘れたことは書かないだけだ。

 だから後日、見もしない日記など書いても意味がないと思っている。ただ、晩秋の単純な風景など、今冬になれば、まちがいなく忘れてしまう。

 最近のデジタル写真は撮影の時分、露出条件、場所すらもGPSで、こちらが依頼しなくとも詳細に記録されている。メモ代わりに、シャッターを押しておくか。

               『つづく』  
 
【関連情報】

カントリーホテル「スターダスト」

〒401-0502 山梨県南都留郡山中湖村平野2977

電話番号0555-62-2200

のこぎりキング下田&くれなゐ楽団・コンサートに陶酔=東京・足立区


 のこぎりキング下田(本名・下田尚保さん)は、世界一巨大なノコギリ楽器をあつかう。

 若き頃は早稲田大学応援団吹奏楽部に所属し、現在は東京都公認ヘブンアーティストとして、国内外で活躍中である。

 2018年8月19日(日)午後2時から、足立区・梅田の会場「エル・ソフィア」で、「くれなゐ楽団」(団長・菊地慶太)と共演された。
 後援は足立区・足立区教育委員会。老友新聞社、天文郷芸術文化財団、ほか。


 くれなゐ楽団は、箏は酒井悦子、和太鼓・関根まこと、尺八・大賀□司、尺八・豊嶋貞雄、キーボード・菊地慶太である。

 菊地慶太の編曲による斬新な、意欲的な楽団である。昭和歌謡、童謡唱歌、そしてラテンなど幅広いジャンルが、親しみ深くアレンジされている。 


 
 下田がくれなゐ楽団を紹介する。
 舞台の「くれなゐ楽団」は、一流プロ集団の音楽家たちで編成されています。この素晴らしいメンバーにして、なんと「無料」です。おどろきです、と語った。


 足立区・梅田の会場「エル・ソフィア」は、大勢の観客で埋めつくされていた。

 菊池慶太(作詞・作曲家)が、観客のこころへの響きを重視し、幅広い世代が楽しめる選曲・編曲がなされていた。
 聴き手の身体がごく自然とリズミカルに動いて、手拍子が多い。

 


 
 舞台の下田は観客にむかって、「私が生まれ育ったのが足立区梅田です。梅島小学校(ことし2018年で、創立130年)から、足立9中(昨2017年に創立70周年)を卒業しました」と経歴の一端を紹介し、『故郷を錦を飾る』ことができました、と感慨無量の表情で語った。
 

 箏奏者&伝統芸能コーディネーターの酒井悦子は、サミット日本開催があれば、大統領・首相に琴を奏でて聴かせる。


 弦鳴楽器のハープは、曲線状になった見た目にも美しい楽器である。共鳴胴の両端に2本の棹を立てる。

 菊地慶太は弓を使わず、指先ではじいてすてきな音をだす。



 下田の演目は、日本の四季メドレー、ゲゲゲの鬼太郎、夜来香、故郷、浜辺の歌、ベートーベン交響曲第5番、海ゆかば、ほか。

 尺八奏者の大賀悠司。尺八を吹いているときの顔は、真剣そのもの。吹きおわると素敵な笑顔になる。


 会場の大兼茂子さん(足立フレンドリーマラソン・大会会長、1964年東京オリンピック・五輪聖火ランナー『柳原郵便局→旧区役所』)から話を聞くことができた。

「下田さんのノコギリコンサートは折々に、聴きに来ています。そのときに購入した数枚のCDはとても心を癒されます」と語った。

 くれなゐ楽団の琴はとても魅力的です。

「私の友人が尺八の演奏会に出演しています。尺八は聴き慣れていますが、こんかいの尺八は素晴らしい。2部合奏は高い音、低い音の組み合わせは見事です」と絶賛されていた。

「ハープの演奏、キーボードと一人二役で演奏される方は多彩ですね(菊地慶太)」と話されていた。

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新年を踊り、2018年を明るく願う、舞で予測する=さつき会 

 2018年 あけましておめでとうございます。

 1年の初めは日舞で、心を明るくしましょう。お屠蘇(とそ)を飲みながら。どんな出来事が起きるのか、明るい話題につつまれるのかと、ちょっぴり、予測したくなりますよね。

 うちはワインだって。まあ、良いでしょう。あれこれ気楽に考えてみましょう。

 海を渡ったむこうの国では、危ないことばかりしている。

 火遊びは火事の元、って教えられたっけ。

 矛先を日本にむけないでね。

 日本男児は、怒ると見境がなくなりますから。

 上野のパンダは大人気です。はやく観たいな。

 でも、パンダは上野だけじゃないよ。

 負けるな、負けるな、ほかの動物園たちよ。

  

 箱根駅伝はどこの大学が優勝するのでしょうか。

 半世紀前は、中央大、明治大、日大だった。あの常連校はどうしたのかしら。

 早稲田大はやや健在かな。

 沿道の応援団も、校旗を振って、振って、がんばれ。

 アメリカの大統領に、笑顔があれば、もっと世界は平和かもね。

 他国の選挙をあれこれ言うわけじゃないけれど、顔で選びましょうね。

 

 不祥事で、大相撲に人気が出てきたみたいよ。

 一度くらい、冷やかし半分に観に行こうかしら。


 青少年に平手打ちをみせると良くないぞ。理事の追放よりも先に、「張り手」という暴力を、まずは追放したほうがいいな。
 学校の教員だったら、一発だけでも、たいへんな騒ぎだ。


 ああ、国技がわが子を連れて観に行けないスポーツになってしまったのね。


 そのうち街の『暴力追放のキャンペーン』のポスターに、張り手の瞬間が使われるんじゃないのかな。



 ノーベル平和賞でアイキャンICAN -(核兵器廃絶国際キャンペーン)が受賞した。

 ことしの日本はいくつ受賞かしら。

 5人は受賞してほしいな。

 日本の政治家で、ノーベル平和賞を受賞した人がいるのに、あまり話題にならないね。なぜ、なの?

 言わずと知れたことよ。

 少年棋士の話題は、ちょっと薄らいだのかしら。

 こんどは天才少年・少女はだれかしら。

 まけるな、AI(人工知能)に。がんばれ、神童たちよ。

 日本そば屋がもうかっているって、

 カケそば、モリそば、

 逮捕している相手が違うんじゃないの。

 大岡裁判はもはや大むかしの正義派かな。

 


 ことは明治維新150年だって。

 当時は政治家も、庶民も、御一新(ごいっしん)と言っていた。

 昭和の2.26事件で、青年将校が「昭和維新」と叫んだ。そのあとで、明治維新だと言われはじめた。まるきし、裏返しだよね。

 だから、偽りの幕末・明治の歴史が多いんだよ。

 メッキがはがれて、坂本龍馬、吉田松陰、教科書から追放の運命にあるんだね。


「昭和は遠くになりけり」

 平成の後の元号はなにかしら。
 
 公募じゃないよね。

 あたり前だろう。


 「さつき会」は、元宝塚歌劇団・五月梨世こと、「尾上五月」が指導している日本舞踊の会です。

 1年に一度は、発表会があります。

 まったくの初心者でも、ブランクのある方でも、着物をきられるようになりたい方でも、大丈夫です。きらくに門をたたいてください。

 一日体験教室も受け付けています。

  問い合わせ先「さつき会」 090-8722-8130

     写真・撮影:2017年8月18日 東京・きゅりあん小ホール(大井町駅前) 


 

ちょっと故郷自慢してみるかな:きっと日本一の美観じゃないかな


 眼下の集落が、大崎上島・木江(きのえ)港です。

 かつては、瀬戸内海随一の遊郭街でした。

 私の家の周辺は、通称「女郎屋」がいっぱいありました。

 三味線、太鼓、おちょろ舟の櫓の音がひびく町でした。



 神峰山(かんのみね)は、きっと日本随一の名まえでしょう。

 なにしろ、神の峰ですからね。有名な平家伝説がいくつかあります。


 瀬戸内で離島として、(離島振興法)で、いちばん大きな島になりました。


 広島県山の日のイベントが、6月4日に開催されました。


 カクテルを作って(有料)いるのは、神主さんです。


 絶景で、カクテルなんて、おしゃれでしょう。

 都会からの若い移住者がきっと日本一?多く、こんなカクテルのアイデアが出てきます。若さって、実行力ですね。


 60歳過ぎて、島に来られると、住民税以上に、社会保障費の負担が島にかかるみたい。念のために……。

 そういえば、高校生の修学旅行は年間に数千人らしい。民宿して、この神峰山に登ったり、釣りもしているらしい。



 南米で長期に音楽関係のしごとをしていたご夫婦です。

 大崎上島に移住されています。「山の日」のイベントを盛り上げていました。


 島は魅力あるのか、若い女性、いや男性も、神峰山ウォークをたのしんでいます。

 そして、南米の踊りのレクチャーを受けていました。



 私の母校です。

 かつては大崎高校です。いまは大崎海星高校となっています。

 思い出たっぷりの学校です。



 後輩って、いいものだな。文化祭の記念撮影ちゅうです。

 そういえば、ぼくらクラスメートは、文化祭、体育祭では、教師から、よく怒られていたな。

「学校創立以来の悪だ」
 といって、怒っていた体育教師がいたけっな。

「ウソつけ。先生は赴任して、まだ2年じゃないか。創立なんて、知らねえだろう」
 と影口を叩いていたものだ。


 いまは穂高健一で活動していますが、ペンネームなので、島ではまったく知名度はありません。

 それで良いんじゃないかな。


 幼い子が桜の苗木を植えていました。


 桜が育ったころ、いい大人になっているだろうな。

 
 そして、島に観にくるかな。


 

 食べ物は抱負です。海の幸、レモン、ストロベリー、あとはわからない。そんな自慢は瀬戸内海のどこにいって口から出てくるので、止めておきます。



 眼下が、私が山越えして通っていた大崎高校・普通科があった中野地区です。


 島には日本一は幾つかあります。そのひとつが、この神峰山から360度の光景で、なんと115の島がみえます。多島美として、断トツです。

 実際に数えて、リストを作った、元船員の方がいる。そういえば、この島には国立広島商船高専があります。
 僕たちが10代の頃、超難関校だった。

 さらに戦前では、江田島の海軍兵学校か、大崎上島の広島商船学校か、と海の男に憧れたひとは、日本じゅうにいたみたい。


 だれが決めたのか、数年前に、「きのえ温泉は日本一だ」とTVで報じたものだから、帰郷するにも、予約でいっぱい。ああ、日帰りか。

 あれこれ日本一を作ってほしくないな。ぜいたくな、悩みです。

【新春の日舞】華やかに踊る、歌う。そして皆さんとともに=S-NTK

S-NTKとは……

 五月梨世()を座長とし、

 日本芸術学部()の卒業生と

 宝塚歌劇団()のOGが中心となり

 歌舞う()集団です

 日本の古典芸能の伝承を目的としています


 2017年も、皆さん、気迫で行きましょう



 笑顔は人間の財産です

 多少苦しくても、笑顔で、乗り越えましょう


 さあ行くぞ、自分の力を信じると、

 いつもの2倍、3倍の成果が出ます


  
 飛躍しましょう

 飛んで、跳ねて、心豊かになりましょう



 さあ、みんな一緒に、チャレンジしよう

 手を取って、頑張ろう

 人間はひとりで生きているんじゃない

 仲間を増やそう



 ちょっと振り返ってみれば、

 小さな、とても大切な幸せがありますよ


 素敵ね、良いわね、と

 褒めてあげましょう

 誉められて、怒る人はいませんよ


 仰ぎ見て、

 希望をもとめて

 進んでいきましょう

 勢いがあれば、

 多少のミスもクリアしてくれます

 生活にスピードをつけましょう



 恋をして、

 愛を感じて

 失恋もして

 また、恋をしましょう



 何事も、

 遅すぎたという言葉はありませんよ

 今から、

 今年から、やりたかったことをやってみましょう



 参加、参加です、

 大勢のひとのなかに飛び込んでいきましょう

 恥ずかしさは、自分の思い込みですよ

 勇気です



 ほら、ほら、

 笑顔ですよ


 男気

 度胸
 
 根性

 やる気

 まだまだ良き言葉はいっぱいありますよ、日本語には



 この世は、男と女

 すべてがここに集まります

 異性とも仲よくしましょう


 今年も みなさん S-NTKをよろしく お願いします

 座長の五月梨世です

 

2017年元旦 「愉快なお化け騒動」 実話か、虚構か = S―NTK ③

 「来たね、美人だろうね

  こんな良い男は、女に声をかけずしても、

   相手から寄ってくるものだぜ」



 「えっ? こんどはこっち側に回って、お酌かい

  音もなく、すっーと場所が変えられるんだな
 
   器用な女だ」



 「見てみて、与太郎が幽霊と酒を飲んでいるよ

  ばかだね

   お陀仏、
 
    なみ阿弥陀仏

     南妙法レンギョウ

      女にもてないからって、

       なにも幽霊など、家の中に引きずり込まなくてもいいのに」


  「あたいにも、一杯ちょうだいよ」

   こんどこっち側かい
 

 「こんな箱拾ったよ

  誰の落とし物かね?」


 与太郎の者じゃないか。

  さっきそんな箱を持っていたな


 ああ、酔っちゃった

  ちょっと、横にならしてちょうだい

   幽霊って、いつも突っ立ってさ、

    手をだらっと下げてさ、

     疲れるって、ありゃしない」



 『時は安政元年、

  真夏どきの夜中、

   長屋は訳わからず、

    騒ぎまくる

     ついには、三味線まで出てくる

      幽霊とお化けと、どう違う?

       その論争もあった』

 
   【かわら版屋ジャーナリストの記事より】



 「あら、御奥さまも、

  幽霊見物で、ござぁますの」


 たいへん美味しいお酒でした、

  あの世ではとても経験できないこと、

   お礼と申してはなんですが、

    一夜の妻として、

      あなた様の寝床で、

       添え寝させていただきます

   冗談じゃないよ


  「ほら、ほら。与太郎が逃げていくよ

   ばかだね、幽霊と酒など、呑んだりしちゃってさ」

 「皆さん、どうです。四文ですよ

  真冬に、幽霊の記事なんて、買いたくないだなんて、

   それはないでしょう

     ここまてネタバレさせておいて

実話か、虚構か、

      読んでみないと、わからないよ」
   
                                  【幽霊のコーナー終わり】
  

 

2017年元旦 「愉快なお化け騒動」 実話か、虚構か = S―NTK ②

 「あら、おなじ箱を持っていますね。

  なんですそれは?」

  見せてあげましょうか


 「ほら、これは最新の大型の塔婆よ」

  塔婆って、墓場に使う、あれ?

  そうよ、持って行っても、いいわよ。

 「こっちにもあるから、遠慮しておくぜ」



 「なんだ。こっちは賭け軸だけれど、

  得体のしれない画らしいな」



 「仏壇の後ろに、かけておくか

  せっかくもらった、名筆家の先生の画だというし

   リアリティータップの画風らしい」


 「おぬしか。幽霊とは

  拙者は西国雄藩の某大名家の元家臣じゃ

   義をもってせざるは雄なきなり

    長屋の連中が怖がっている、退治にきた」


 「幽霊だ、お化けだと言い、

  怖がっている連中なんて、気がしれない、

   掛け軸にかけたって、

    おっな肴(さかな)だよ」



 「手酌とは寂しいな
  
  美人の芸妓でもいれば、心が弾むのにさ」

 

  「この汚い長屋の裏手じゃないの?

   お化けが出る場所って

    愉しみね」

2017年元旦 「愉快なお化け騒動」 実話か、虚構か = S―NTK ①

 「さあ、さあ、買った。たったの四文だよ。正月早々に、江戸に幽霊が出たんだ」

  瓦版屋(かわらばんや)さん、ほんとうなの?

 「本物のプロ作家が、書き下ろしているんだ」

 だったら、フィクションね。虚構よね。

 「なに言っているんだ。この作家はノンフィクションだって、数々、書いているんだ。たったの四文だよ」

 ごまかされたと思って、買ってみるわ。

 「姐さん、それはひどい言い方だね。子どもの前で。

  江戸ジャーナリストは真実しか、提供しない」

  本当に、幽霊が出たんだろうね。

 「この長屋の近くの屋敷で、幽霊が出たんだってさ」

  えつ、すぐに幽霊退治に、行きましょう。

 「そんなの聞いたことはないわよ。幽霊退治だなんて」

 正月から、縁起が悪いでしょ。

 お化け、幽霊が出るとなると、土地の地価が下がるでしょう。大家さん  



 「その幽霊さん、私のように美人かしらね」

  あらら、

 「美人幽霊って、永遠の美しさでしょう。うらやましいわ」

  そういえば、お婆ちゃん幽霊なんて、聞いたことはないわね。



 「たとえ、美人幽霊といっても、退治せねばなりません」

  威勢のいい女将さん連中だね。

  江戸ジャーナリストは口出ししないの。

  はい、はい。


 「苗字・帯刀を許されている身分としても、

  ここは一つ退治せねばならぬな」

  格好いいですこと。

  斬って、斬りまくって。

 「正体をみせぬか。どこにおる」

 


 「幽霊が出たとなると、拙者も、乗らぬ乗らぬわけにはいかぬな

   これでも、かつては西国雄藩のある大名家の勘定吟味役だった。

    公金の横領(使い込み)でクビになったとはいえ。武士の魂は健全じゃ」



 ちょっと不気味な雰囲気になってきたな

 誰もいなくなった。

 内心は、怖いんだな

                          


 「こんなの貰っちゃった。らんらんらん……」

 さっき幽霊らしき女からもらったとなると?

  墓石にしたら、軽すぎる

  塔婆(とうば)にしたら、太すぎる

   葬式の香典返しかな?

                                  【幽霊・つづく】