カメラマン

女形と男役がおりなす喜劇『身替主人』(下)=浮気は不倫に非ず

  復興支援チャリティー公演  S-NTK第2回公演

※ 物語は写真イメージから創作したストーリーであり、歌舞伎の底本、主催の脚本とは無関係です

 大旦那・清兵衛の身代わりが、奥さまのお絹にばれてしまった。さあ、大変だ。

「旦那さまはどこ? あなたたち、どこに隠したのよ」

「あの。あの」

 番頭や手代はみな口ごもる。 取りつく島もなく、問い詰めてくる。


「嘘や隠し立ては、ただですまないわよ」

 奥さまは問い詰めるほどに、怒り狂う。
 
「なにも、何も致しておりません」

「私の大切な旦那さまを殺(あ)やめて、どこかに埋めたんでしょ。殺して、ただで済むと思っているの」

 予想外の濡れ衣だ。この場の状況は悪化していくばかりだ。


「滅相もない。決して、決して、そんなことはしません」

「わたしの目をごまかそうと思っても、そうはいかないわよ。町奉行にしっょぴいてもらい、白州のお取り調べて、拷問で、白状させてもらうからね。遺体をどこに遺棄(いき)したのよ」


「そこまで疑われると、白状します。旦那さまは幼馴染の小春の許に……」

 「わたしって、美しい妻がありながら、なんていうことを」

 お絹はこんど泣き崩れた。

 その痛々しさは、まわりの同情を集めた。

「小春なんて、そんな好い女じゃありませんよ。奥さまの許に心が戻ってきます。単なる遊び心ですよ」

「どんな女なの?」

「そりゃあ、ひどいブスです。性格が悪く、意地汚く。弁天さまのような奥さまとは段違い」

「そうなの」

「これは事実ですよ。奥さんができ過ぎですから、旦那さまはちょっと遊び半分。息抜きですよ。悪戯心ですよ」

「呼び戻しておくれ」

「もう夜が明けますから、そろそろお帰りになるはずです」


「あのひとの口から、直接、聞いてみる。わたしを身替りにしておくれ。布団を被られておくれ」

「これは厄介なことになったぞ」


「早くしなさい」

「はい。ただいま。布団を用意します」

 番頭や手代は周章狼狽(しゅうしょう ろうばい)ぎみで、とうとうお絹に従うはめになった。


「わかっているわよね。旦那さまが帰ってきたら、この寝床に、番頭の平助が寝ていることにするのよ」

「へい。いま敷きます」

「蒲団のそばで、旦那さまが小春とどんな夜を過ごしたか、痴態(乳繰り合う仲)だったか、あなた方がうまく話を誘導しなさい。
 得意げにべらべらしゃべる性質(たち)だから。この耳でしっかり聞いてみるから」


「小春って、好い女だ。あんな素敵な女と、なぜ、所帯を持てなかったのか。くやまれるな。大黒屋の財産に目がくらんで、婿養子になった。愛と恋に生きるべきだった」

 清兵衛は心も浮かれて、いい気分で戻ってきた。


「小春と比べて、うちのお絹ときたら、とんでもない女だ。ブスで、おかちめんこで、嫉妬が強くて、ロクな料理もできない。下種(げす)のカスだ。小春。わが小春よ」

 旦那は鼻歌を歌いだす。



「旦那さま、いま、この場で、そんな事をしゃべると危ない」

 と強く停止させる。

「構うものか。布団をかぶった平助にも、たっぷり聞かせてやる。どんなに楽しい夜だったか。手土産話しはたっぷりある。浅草の船宿で、お酌をしてもらって、さあ、あなた、寝床にどうぞ……。たまらないな。あの小春の声は」

「あなた。今までどこに行っていたの」

 お絹が蒲団から飛び出す。

「あのその。ちょっとそこまで」

 清吉は慌(あ)てて逃げだすが、もう後の祭りだった。

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女形と男役がおりなす喜劇『身替主人』(上)=浮気は不倫に非ず

  復興支援チャリティー公演  S-NTK第2回公演

東京・大井町きゅりあん 2015年2月7日


※ 物語は写真イメージから創作したストーリーであり、歌舞伎の底本、主催の脚本とは無関係です



 大黒屋の大旦那の清兵衛(五月梨世)は羽ぶりがよいが、その実、婿養子の身だった。

 「女房にはとくか頭が上がらないな。隙あらば、ちょっと良い女に……」

 清兵衛は下心たっぷりである。

 「こんな好い男は、所帯を持っていようとも、女が放っておかないさ」

 男は自尊心が強くなければ、世のなかは渡っていけない。そう信じて疑わない。

 「やっぱ。恋文がきたぜ。こういう予感は良く当たるな」

 


 江戸時代にはなんども奢侈(しゃし)禁止令が出ていた。幕府の改革は赤字解消の策で、武士も町人も、つねに節約第一だった。

 派手な服装の外出は禁止である。財力のある大店の奥方は、家屋内で、華美な服装を身につけて愉しんだ。

 むろん、大黒屋のお絹(帆之亟)は例外ではなかった。高価な絹の絢爛豪華な着物に、鼈甲(べっこう)の髪飾りだ。

 この手の奥方は、自分が最高に美しいと、信じて疑わない。嫉妬(しつと)心は、とてつもなく強い。


 


 「さては、どんな手を使うかな」

 幼馴染の小春が、大坂の小唄の師匠をしている。このたび江戸・浅草に戻ってくる、と恋文が届いたのだ。

「この機会は逃せられない。小春も手紙で、逢いたがっているし」

 清兵衛は思慮(しりょ)したあげくに、仮病をつかい、女房のお絹を煙にまいて、こっそり外出することに決めた。

「実はな」

「どうしたの。急に元気がなくなったみたい」

「そうだろう。いましがた医者に行って診てもらったらな。ケロリに罹(かか)っていると言われた。1か月は養生しないとだめらしい」

「コロリですって。恐ろしい。そんな恐ろしい病気に、大切なあなたがかるだなんて」

「ちがう。ケロリといってな。難病だ。とくに女に伝染すると、大ごとになるらしい。6尺以内に近づいたら、危ない」

「わたしっ、どうしたらいいの?」

「愛するお前にはすまないが、わたしは家を離れて、1か月ほどどこか遠く療養に出かけてくる」



「1か月だなんて、わたし耐えられない。哀しい。死んでしまいたい」

「お前が死んだら、どうなるんだ、この大黒屋は。1週間、1週間で戻ってくるようにする」

 清兵衛は何としてでも、このお絹の眼をかいくぐりたかった。

 一方で、浮気がばれると怖い。こんな嫉妬の強い女に、浮気がばれた暁には、離婚騒ぎになる。それも勘弁ねがいたい。

「わたし介護で、あなたについていく」

「そんな派手な着物で外出は禁止だ。美しい姿で、お絹は家のなかにいるべきだ。そうしろ。3日で帰ってくる」

「やだ、やだ。嫌だ」

「我まま言うな。難病がうつるとどうするのだ。ひと晩、ひと晩だけで良い」

「いいわ。ひと晩、あなたから離れて寝てあげる。でも、この家から出ないでね」

「えっ」

「別室で、床を取ってね」

 こんな女のところに婿養子にきたのが、運のつきだ。わが身がつらいな。

 小春に逢いたいな。

 

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【寄稿・写真】これぞ地球。幻想美の極致の写真(上)=宮内幸男

  写真家・宮内幸男物語(プロフィル)

 昭和20年、愛媛県勝山市に生まれる(69才) 30歳から独学で写真を始める。33歳で地元渡部章正氏を師として迎える。

 42歳愛媛県美術会会員推挙

 50歳愛媛県美術会役員
  以後常任評議員、隔年審査 、審査委員長

 59歳から病魔と戦う。

 62歳では、脳梗塞 右側完全マヒとなり、写真活動に支障をきたす。
「生きる目的を持たないと戦えない、絶対に妥協はしない」


 その気持で、病気と向かい合ってきた。毛筆による独学リハビリが成功した。


 半年でほぼ回復してから、写真活動を精力的に展開する。

 タイの山岳人族の電気の無い村にも、カナダのイエローナイフにも、一人で行った。
 それらの現地で語学は、日本語で笑顔のみ、「笑顔は世界 の共通語」を実践する。


 68歳から、写真活動のほかに、民生委員、児童委員 厚生省委嘱などで活動する。


撮影地はどこでしょうか。地球の南半球です

恒例・立石飲み会=雨にも負けず、呑兵衛は集まる。

 朝日カルチャ千葉が主催する『立石を歩く』(昭和が残る葛飾・立石を歩く、撮る、語る)が11月20に開催された。参加者は8人(女性7人・男性1人)で、事務局の栗原さんが添乗員役だ。
 京成立石駅に集合にしたとたんに、大雨だ。
「最悪だな」
 講師の私はつぶやいた。昭和が残る街を歩く。そして、中川・七曲りと東京スカイツリーを被写体にした写真テクニックを教える内容だった。私は土砂降りの雨の中で、どのようにレクチャーするべきか、と思慮した。
「やるしかない」
 駅の案内図で、葛飾の地形とか、踏切の警戒音が鳴る町とかを説明してから、歩きはじめた。

 同駅から徒歩1分の葛飾区伝統産業館に出むいた。事前に話を通していたので、東京キリコの職人・女社長、および印伝の矢部さんが、店内にある職人達の手工芸品を説明してくれた。いずれも、購入が可能だ。

 仲店では、「さくらい惣菜店」の櫻井さん(写真・上)が、パンフレットを用意してくれていた。そして、商店街の歴史を語ってくれた。戦後、葛飾で最初にできたアーケード街だった。
 唯一、雨に濡れない場所なのに、写真撮影のレンチゃーをはじめた。

「写真はテクニックじゃない。構図だよ」
 過去において写真は腕前といえば、露出とか、シャッタースピードとか、こうした技術がすべてだった。だから、その道に進みたい人は写真学科のある大学に行ったり、専門学校に入学したりして、学んだものだ。
 いまはそれらすべてをカメラの高度な機械がやってくれる。その上、人間の勘や眼よりも確かだ。

「写真の公募の審査でも、技術は問わず、テーマと構図の戦いです」
 そうした前置きを行ってから、構図の黄金分割法とか、S字、三角形、斜め線、C字などを取り組んだ撮影方法を指導した。
 そして、ハイアングル、ローアングル、サイド・アングルなど、カメラマンが立つ位置の基本を教えた。


「きょうは晴れか、曇りか、いずれかの予報だった」
 そんなボヤキを語りながら、 アーケードを出た。豪雨のような空で、皆して中川に架かる橋へと足を運んだ。全員が傘をさしているので、実に難しい写真指導だ。
 強い斜雨はまったくやむ気配がなかった。それでも、中川の護岸を歩いた。雨の日は、路面の光や落ち葉を取りこむと、思わぬ良い写真が撮れるよ、と教えた。
 夕方5時過ぎに、公開講座はともかく終了した。(皮肉にも、この公開講座の時間だけが雨だった)。

 次なるは希望者による、大衆酒場『あおば』の飲み会である。

 ここから趣が変わる。『作家と昭和を語る』(何年経っても、仮題)と合流となる。

 この立石飲み会は不定期で、テーマがない。年2回ほど行っている。これまで、立石に来たことがない日本ペンクラブの作家たちにも、漸次、声掛けしてきている。だから、微妙に、メンバーが変わる。
 
 昭和20年代の「のんべ横町」が残る。戦後から立石にはヤクザがいない歓楽街で有名だった。むろん、いま現在も。
 どんな路地・横町も安全だから、飲み会の前に、町を散策してきてください、と話している。

 あいにくの雨だから、全員が「あおば」に直行かと思いきや、立石一番人気の『うちだ』に立ち寄ってきた作家もいる。大いに結構なことだ。

 飲み会の会費は飲み放題・食べ放題で、3500円/1人。飲む酒は忠実に注文通りテーブルに出てくる。だが、料理は注文しても、ママが勝手にフライの盛り合わせ、煮込み、餃子などを持ってくる。

 騒いで飲んで、立石の語りを楽しむ。それが最大目的だから、場所提供の雰囲気だけでも充分である。会計はママにやってもらう。まさに、いい加減な幹事である。

 こんかいのメンバーには、立石が常連となった日本ペンクラブのメンバーの轡田さん。朝日新聞時代の社会部の後輩を誘ってきた。すると、朝日カルチャーの石井社長とばったり。双方は朝日新聞・横浜支局時代の仲間(上司・部下)だったという。そこから話が弾む。

 テレビ朝日時代のディレクターも来ている。公開講座の参加者たちと語り合う。

 
 葛飾区民記者「かつしかPPクラブ」のメンバーもやってくる。さらには、3代続く古本屋の岡島さんも顔をだしてくれる。岡島さんは、直木賞作家・出久根達郎さんとは丁稚時代からの付き合いだと語る。
 下町・葛飾立石を語らせれば、この岡島さんの右に出る人はいないだろう。

 講談界の第一人者である神田松鯉さんが、初めて立石にやってきた。話し上手だから、一気に盛り上がった。
「神田らんちゃんがわが家で、講談をやっているんですよ」
 石戸さんが語れば、その話題でも活発な語らいの場となる。

 石戸さんはかつしかFMでレギュラー番組(1時間)を持っている。それだけに話しは上手だ。話しはあちらこちらで、割れているし、にぎやかな笑いに包まれる。


 菊池さん(作家)は前々から立石に誘いながら、実現が出来なかった。今回は雨のなか出向いてくれた。
 数人の予定者は参加できずだが、おおかた半年後には立石にやってくるだろう。立石を感じ取って、それぞれが媒体で発信してくれる。このテーマのない語りの場が、立石の町にとっても、それなりに有意義になる。
 一方で、作家とはふだん縁がない人も、土産話ができるだろう。

 幹事の私はビールで泥酔加減だ。一度「あおば」でお開きにしてから、2次会だった文学から下世話な話、卑猥の話まで盛り上がった。どんな下ネタでも、純文学調になるから、不思議な語りべが揃っていた。
 

                        「あおば」の店内写真:かつしかPPクラブ・郡山利行、

「葛飾花と緑のはがき」コンクール・第一回写真の部で、審査委員長

 「葛飾花と緑のはがき」コンクールの入賞式が11月12日、「かつしかエコライフプラ」2階で開催された。主催は葛飾区。昨年度(2013)までは「絵画の部」「押花の部」の2部門で競われていた。今年度(2014)から、誰でも写真が撮れるデジカメ時代を反映し、『写真の部』がスタートした。
 私はその審査委員長を仰せつかった。

 各部門とも、郵便はがきか私製はがきに、絵画、押花、写真のいずれかを作品化し、メッセージを添えて応募する。9月30日が作品の締め切りだった。10月中旬には審査会が行われた。そして、翌月12日に入賞者の表彰式に臨んだ。

 
 授与式では、絵画の部(小学生の部、中学生の部、一般の部)、押花の部(小学生の部、中学生の部、一般の部)、そして、写真部である。
 それぞれに葛飾区長賞他5賞が授与された。写真の部では近藤宏臣さんが葛飾区長賞を受賞した。

 青木区長の挨拶では、同コンテストのテーマ『花に親しみ、緑を拡げよう』から、緑を増やし、緑を大切にした、住みよい街づくりをしよう、と強調した。その上で、受賞作品はどれも素晴らしいと誉めたたえた。
「今年度は応募者が3部門で1700点を越えました。ここ数年は漸増しているが、今年度からさらに大幅に増した。これは区民の緑にたいする関心度が強まっている証しです」と述べられた。

 各審査委員長から、それぞれの部門の総評がなされた。
 絵画の部は田名則子さんで日本絵手紙協会公認講師、押花の部は岡田満江さんで都立農産高校園芸デザイン科教諭だった。そして、写真の部は穂高健一である。

「写真の部は初年度であり、とくに募集要項に拘泥しました。『区内の花壇に咲く花』という条件がある以上は、その基準を満たす必要があります」
 そぐわないものは外した。葛飾区からこんな大きな富士山は見えない。だから、区内ではない。
 堀切菖蒲園や水元公園は葛飾区を象徴する花菖蒲の名所である。色彩豊かな菖蒲の花弁を上手に写し取った作品もありました。それは花壇ではないから、入賞から外しました。

 募集要項のこだわりは意外だったようだ。

「なぜ花壇にこだわったか。その理由を述べてみます」
 都会はつねに古いものから新しいものに変わっていく。文化発展とはコンクリートと鉄の世界になる現状である。鉄は錆びないために塗装する。見た目に華やかでも人工の色である。

 コンクリートの灰色は、人間の心を灰色にしてしまう。灰色とは荒んだ、刺々しいもの。だから、穏かな余裕ある心が失われていく。こうした人間だからこそ、花壇を増やし、緑と花で心を豊かにする必要がある。

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写真で観る、情熱、発散、熱気=東京・大井どんたく(下)

 熱気がからだいっぱいに満ちている

 琉球の踊りには、

 首里王朝の盛衰がある

 何かを訴えている

 彼女はそれを演じている



 名優が日本舞踊を踊る

 指先からつま先まで、無駄がない

 微妙な手の動かし方

 指のさばき方がごく自然だから、

 名優なのだろう
 


 楽しく踊っている

 内心は緊張かも知れない

 でも、観る側には、満悦した踊りに思える



 集合写真を撮るわよ。集まってちょうだい。

 皆来て、来て、はい、パチリ

 後ろの看板「お知らせ」が気になるけど

 そんな背景など関係なく

 「どんたく」の想い出写真になればいいのだ、

 

 沿道で踊る肢体の艶っぽさ

 肩や手の美しさも気高い、

 和服の衣装が、裾でちらっと乱れて

 
 こんなふうに表現すると、時代小説になってしまいそう

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写真で観る、情熱、発散、熱気=東京・大井どんたく(上)

「踊り」には、観客を喜ばせる、感動させる、そんな魅力がある。
 
東京・大井町の駅前に、カメラをもって出かけてみた。

カメラを通して、感動を求めている自分を発見する

 単なる美しさでなく、動きのなかに、究極を求めてみる

 そんなカメラワークも意識のなかにおいた。

 踊りの演目を知らなくても、踊る人の熱意が感じ取れる

 からだ全体で、物語を表現している。

 明るいストーリーを脳裏で描いてみた。


「青春」

 とても好きなことばだ。

 記憶は曖昧だけれど、昭和になって、作家がこの言葉を創った。

 


 沖縄の獅子舞だ。

 舞う人の顔は見えなくても、真剣さはまちがいなく伝わってくる


 華やかさな踊り手には、からだ全体で表現する熱気がある

 それは見せびらかす熱気だ

 観せられて、心地よい情熱だ

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第10回さつき会は華やかな演舞で、心を魅了する=写真で舞う (下)

さつき会の舞台に立った踊り手は、26人である。それぞれに1年間にわたる指導されてきた尾上五月さんには敬服する。

 舞台は踊り手だけではない。大道具、照明、音響、衣装の着付け、メイク、後見、諸々の協力者の支えがあって成立する。

 スタッフの汗も、本来ならば撮影したいけれど……。

 清元「玉屋」の深町麻子さん。女優であり、日本舞踊を永年学んでいるという。

 踊り手のそれぞれ職業、人生観、生き方、経験など千差万別だろう。

 素顔(ふだんの顔)と、メイクされた顔とでは、まったく別人に思えたりする。

 深町さんは彫の深い顔だから、以前から、記憶のなかに留まっているひとりだ。


 清元『野路の月』 尾上れい さん


 野路には、旅の淡い叙情が感じられる。伴の相手(男性?)が見えずとも、なにかしら切なさが漂う。哀愁も感じられる。

 舞踊の姿が奥深い。身体を投げ出す、心の底が垣間見られる

 そんな表現になるほど、悲哀の踊りに思えてくる。


 長唄『大津絵藤娘』 尾上月乃 さん

 娘が黒の塗り笠に、藤づくしの衣装で、藤の花枝をかたげている。

 会場は、その華やかさで、どよめきが起きる。日本舞踊で、あでやかさは随一かも知れない。

 藤の花房が色彩豊かに、踊り手を引き立てている。


 長唄『助六』 尾上菊朝 さん


 助六が蛇の目傘を差して、粋に登場してくる。

 ここは江戸の下町。上野か、浅草か、深川か。

 雨降れば、傘の一つさして、踊りの一つもみせましょう。

 どこまでも粋だ。

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第10回さつき会は華やかな演舞で、心を魅了する=写真で舞う (中)

 第10回さつき会だが、発足は13年前にさかのぼる。

「ごく簡単な『ゆかた会』でした。尾上菊礼さんの『あやの会』と合同の、ほんとうに手作りの舞台だったことを思い出します」と、尾上五月さんは語る。

「さつき会」として、毎夏に開催されてから、今回で10回目を迎えた。



 長唄「外記猿」を舞う小池良さん。同会で、数少ない男性の踊り手の一人である。

 踊り終えて、観客席に戻ると、続く舞台の一人ひとりを凝視していた。と同時に、手つきを見ると、微細に自演しているのだ。

 熱心で、向上心の高い人なのだろう。


 長唄「都鳥」を踊る山田春恵さん。

 都鳥のストーリーは知り得ていないが、優雅な踊りだった。踊り手がシルエットが狙いやすい場所で舞ってくれていたので、思い通りの撮影ができた。

 田中優子さんが、江戸時代の風流な商売を舞っていた。演目は、大和楽「うちわ売り」だった。

 現在ではもはやあり得ない風物詩だ。そういえば、「金魚売」もいないな、と行商人の消え行く時代を感じさせられた。


 「春の海」を舞う尾上禎さん。どんな海だろうな。春って。

 淡い恋の海かな。春嵐の荒れ狂う海かな。それとも、長い冬から解き放された、春曙の海かな。

 

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第10回さつき会は華やかな演舞で、心を魅了する=写真で舞う (上)


 第10回ともなると、十年一昔と言うか、苦節十年と称すべきか、確固たる形が作られてくる。さつき会の踊りを観ていると、それぞれに上達したな、会の形ができたな、と思う。

 さつき会がことし(2014)も、7月12日に、東京・大井駅前のきゅりあん小ホールで開催された。主催者は元宝塚歌劇団の人気・男役の尾上五月さんである。


 日本舞踊は、長い伝統を持った、美の世界である。美とは何か。それは踊り手の自己表現だと思う。

 からだの曲線、手の動き、眼線のむけ方、つま先までの緩急の運び方、諸々のファクターが一つに統一された時に、美の世界が表現できる。

 生意気なことを言うようだが、それをどこまで写真で表現できるか。そんな気持で、シャッターを押している。

踊り手 加藤浩子さん
演目  藤音頭

 美空ひばり「みだれ髪」のメロディーに乗って踊る、根本美智子さん。音楽はよく知っているが、カメラではメロディーなど写し撮れない。
 そうなると、背景の映像で、いくらかでも、「塩屋崎」に近づく。

  作詞家・星野哲郎さんの歌碑が、塩屋崎の一角にあった、このメロディーが流れていた、と思い起こした。1月の雪降る日だった。


 長唄・「岸の柳」を踊る松本美智子さん。踊りはきっと3分くらいだろう。1年間の集大成には間違いない。

 撮影する側としては、本番の3分間の流れのなかで、構図を考える。無駄な空間を作らず、シルエットを考える。

 踊り手の動きのなかで、柳、蛇の目傘を配置していく。まばたきの瞬間も考える。

「もっとこっちに寄って」というスチール写真とは違う、瞬時の世界だ。


 端唄「梅にも春~ 梅は咲いたか」を踊る伊藤章子さん。紅梅と白梅を観賞する情景の踊りである。伊藤さんの目が梅の木に向いていると、単純すぎる写真になってしまう。

 春の風(東風)を感じている。それを写しだす。

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