登山家

紙幣の原料ミツマタ由来のミツバ岳 = 武部実

平成29年3月29日(水) 

参加メンバー:L武部実、栃金正一、佐治ひろみ、中野清子の計4人

コース : 新松田駅 ~ バスで ~ 浅瀬入口 ~ 滝壺橋 ~ ミツバ岳 ~ 権現山(1019m) ~ 二本杉峠 ~ 細川橋 ~ バスで ~ 谷峨駅 ~ 松田駅

 8:25発のバスに乗車し、約50分で浅瀬入口に到着。トンネルを抜けて歩くこと約30分、滝壺橋に着く。ここが登山口だ。

 10:00に出発。杉林を登り始めて40分、樹種が原生林へ変る。このあたりからミツマタがちらほらと見え始めてくる。
 登りなので見上げると花は黄色一色だ。
 しかし登り過ぎて見下ろすと、真っ白な花になるのが面白い。

 歩くこと1時間強で、山頂直下のミツマタの大群生が現れてくる。ミツマタ林の中をくぐり、甘いかぐわしい匂いにうっとりしながら歩くと、標高834mの山頂に着く(11:00)。
 天気が良ければ、ミツマタと富士山の2ショットが撮れるはずだった。だが、残念ながら富士山は雲の中。それでも平日なのに登山者はミツマタを求めて、ツアー客等も含めて4~50人の大賑わいだ。
 丹沢で、人気の山だということがよくわかる。


 ところで、ミツバ岳という山名だが、正しくは大出山(おおだやま)だ。紙幣の原料として植えられたミツマタが、その後は使われないまま成長して、ミツマタ畑(ばたけ)がミツバ岳に変化し、一般化されたということらしい。

 昼食を摂って、11:35権現山に向けて出発。登山道は2~30人の行列で、抜いたり追い抜かれたりの有様である。
 ミツバ岳では残雪少々だったが、途中からは10㎝位の積雪で滑らないように慎重に登る。権現山とは180mの標高差なのに随分と違うものだ。(12:30着)


 12:40に、権現山を出発する。急な下りなので、全員アイゼン装着することにする。私も今年初めてのアイゼンだ。
 こちらのコースは、トレースはついていたが、降りる登山者は少なく我々のパーティー以外は数人だけ。ミツバ岳往復のパーティーが多いようだった。
 30分ほど降ると、ようやく雪がなくなり、アイゼンをはずす。

 二本杉峠からは、普通の整備された登山道を降って、14:30に予定通り細川橋に到着した。
 ここで、地元の人がミツマタの皮を剥いで、和紙の原料作りをしているところを見学することができた。
 ミツマタの皮を綺麗にして、苛性ソーダを入れた鍋で煮込むと、和紙を漉く原料になるということだ。山北町ではミツマタで町おこしをする一環として、和紙漉きをしているとのこと。

 体験したい方は山北町に申し込めばできるらしいので、どなたかやってみてはいかがでしょうか。


     ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№213から転載


花咲く芸術的な火打山は、霧のなか = 市田淳子 

期日:2017年7月8日~9日 晴れ

参加メンバー:L武部実、岩淵美枝子、大久保多世子、開田守、市田淳子

コース:上越妙高 → 池の平いもり池 → 笹ヶ峰 → 黒沢池ヒュッテ(泊)→高谷池 → 火打山
→ 高谷池 → 笹ヶ峰 → 妙高高原駅

 梅雨末期の蒸し暑い東京を抜け出して、涼しい山に、と思ったのは大間違いで、登っても登っても蒸し暑く、久々の高い山にはちょっと閉口した。
 バスの運転手さんが、冬の深い雪の話をしてくれて、笹ヶ峰までは登山ではなく観光に来た気分だった。
 登山口から入ると、行けども行けども木の階段が続いた。
 階段の脇に咲く可愛い花や、見た目は爽やかな(しかし、実際は蒸し暑い)ブナ林を眺めながら歩き、途中で昼食にした。キンラン、ササバギンラン、タニウツギ、ギンリョウソウが生えた、いわゆる低山の趣だ。

 しかし、十二曲がりを過ぎて標高1800mほどになると、残雪が現れた。アイゼンをつけるほどではないが、歩きにくい。しかも、ブヨのような小さな虫が顔の周りを飛び回っている。

 この頃になると、深山の植物から高山植物に変わる。サンカヨウ、キヌガサソウ、ハクサンチドリ、ミネザクラなど、蒸し暑いながらも、花に出会う度、一休みして、黒沢池ヒュッテに近づいたのは、17時を少し過ぎていた。
 広い雪渓から靄が立っていた。
 最後にハクサンコザクラが出迎えてくれて、ヒュッテに到着。まもなく夕食となった。ヒュッテの従業員はユニークだ。
 カナダ人、ネパール人に日本人の大学生。夕食のメニューはネパールカレーだった。消灯は20時。ユニークなドーム型の山小屋で、階段を登ってドームの頂上で就寝。夜中にトイレには絶対に行きたくない構造だ。


 次の日の朝食は5時ということで、席に着くと、メニューは厚めのクレープだった。
「クレープは無限に焼けるよ。」
 と言う。
 小麦粉大好きな私にとっては最高の朝食! 朝食を済ませ、出発の準備ができたのは、6時少し前。すぐに出発することにした。

 高谷池ヒュッテを通り、天狗の庭に出ると、ミズバショウ、イワイチョウが咲いていた。ハクサンコザクラの群落は見事だったし、火打山と雪のコントラストが天狗の庭の池塘に映って、芸術的だった。
 いよいよ、火打山に登る。雪が多く残っているにもかかわらず、蒸し暑いのはなぜ?と思いながら、登った。
 アルプスほど高い山ではないのに、私にとっては結構、大変だった。しかし、ところどころで見せてくれる花たちが、私にとっては最大の救い。これがなかったら、登れないだろう。

 私が火打山の山頂(2462m)に着いた時、360度霧で何も見えなかった。

 少し前は日本海まで見えたという。残念ではあるけれど、山はこんなものだ。人が自然をコントロールするとはできない。むしろ、しない方が自然なこと。もし、パノラマを見たければ、もう一度来ればいいのだ。
 こうして、来た道をひたすら歩いて戻った。登山口にはライチョウ調査のアンケートが待っていた。実は知り合いだということに驚いた。友達の輪が嬉しい。


   ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№215から転載

アメリカ合衆国大統領と山 = 上村信太郎

 日本の首相の名前が付けられた山というのは聞いたことがないが、アメリカ大統領の名前が付いた山がカナダや南極にもあることはあまり知られてないようだ。

 まずは北アメリカ大陸の最高峰から。正式な山名が「デナリ」になったのは平成27年(2015)8月31日から。それまでの旧名がマッキンリー。あまりに有名だが山名の由来まで知る人は意外に少ない。

 明治30年(1897) 1月、探鉱師W・ディッキーがニューヨークの新聞に「アラスカの最高峰(標高6194m)に、大統領候補(当時の)でオハイオ州知事(後に第25代大統領)の名マッキンリーと命名する。」という記事を発表。これがきっかけで山名になったとされる。

 次はジョージ・ワシントン。初代大統領を記念して名付けられた標高1917mのワシントン山がニューハンプシャー州にある。天明4年(1784)にM・カットラーという人物によって命名されたとされる。コロラド州にはリンカーン(第16代大統領)という名の標高4354mの山もある。当時はアメリカ最高峰と考えられていたそうだ。


 アメリカ以外の国では、カナダのセント・イライアス山脈に標高4237mのケネディ(第35代大統領)峰が知られている。J・F・ケネディ暗殺後、カナダ政府が故人の功績を称えて命名したもので、昭和40年(1965)3月に、アメリカの登山家たちの支援を受けた大統領の実弟ロバート・ケネディ上院議員一行が初登頂を果たしている。

  また、カナダ、ブリティッシュ・コロンビア州にはF・ルーズヴェルト(第32代大統領)に因むと思われる名の2896mの山がある。この山と隣接する二つの峰の名を知ればだれもがびっくり。なんと、チャーチル山とスターリン山なのだ。どうやらヤルタ会談を記念して命名されたようである。アメリカ大陸から遠く離れた南極大陸には第7代アメリカ大統領名が付いた山がある。標高4190mのアンドリュウ・ジャクソン山である。


 以上は歴代アメリカ大統領の名が山名になったケースだが、山名だけにとどまらない。
 たとえばアラスカを除いてアメリカで一番有名な山といえば、アメリカ本土最高峰でカリフォルニア州セコイア国立公園にある4418mのホイットニー山と思いがちだが、実際にはサウスダゴダ州のラシュモア山のほうが知られている。わずか標高1707mの花崗岩のこの山には歴代大統領4人の巨大な顔が彫られているからだ。ワシントン、リンカーン、T・ジェファーソン(第3代大統領)、T・ルーズヴェルト(第26代大統領)の顔である。

 このほかに、アフリカ最高峰、標高5895mのキリマンジャロ峰に登頂したジミー・カーター(第39代大統領)は平成6年(1994)に来日してロザリン夫人と富士山に登り、「富士山は神聖で美しい山」と語っている。

 こうしてみると、アメリカ大統領と山とのかかわりの多さに改めて驚く。調べればまだありそうだし、もしかすると将来「トランプ峰」が誕生する日がくるかもしれない。

写真:Google写真・フリー「マッキンリー」より

  ※ハイキング・サークル「すにいかあ倶楽部」会報№63から転載

南アルプスの雄峰は花盛り・北岳の山行記=市田淳子

北岳(3193m) 山行記=市田淳子

期日 :2017年8月4日夜~7日 

コース:芦安駐車場(泊)→広河原→八本歯のコル→北岳山荘(泊)→北岳山頂→右俣コース→白根御池小屋(泊)→広河原→芦安駐車場

『山行』

 北岳は、想像した通りではなく、想像を超えた素晴らしい山だった。

 ちょうど1年ほど前、インストラクターの友達がSNSで北岳の様子をアップしていた。そこには100種類以上の花を見た、とあった。
 この日私は、「来年は北岳に登るぞ!」と心に決めた。

 1週間前には、8月5日から7日は雨の予報だった。「ああ、神様!ありがとうございます!」どうやら、山に行くことを許してもらえたようだった。

 メンバーは自然保護活動をする仲間だ。ゆっくりお花と景色を眺めながら登りたい、という共通の想いがあり、コースタイムの2倍の時間で計画を立てた。

 広河原には、多摩地域でも見られるような植物が多かった。それも澄んだ空気と豊かな水溢れる環境で、ずっとずっと元気に見えた。
 登るにつれて、植物相はどんどん変わるのがわかる。雪渓が見え始めると、ミヤマハナシノブという絶滅危惧種Ⅱ類に指定されている群落が現れた。何と美しい色、何と爽やかな光景、絶滅危惧種とは思えない群落だった。
 ここまで来ただけでも、花の種類が多く、少し息が上がっても、足元に可愛い花が見えて、頑張る気持ちにさせてくれる。


 やがて、雪渓の脇を登り、やはり南アルプスだと思い知らされる厳しい道が続いた。だんだん、お天気も怪しくなるが、もう引き返すことはできない。
 そろそろ、梯子の連続だと思う頃には、岩場となり、高山植物があちこちに見えてきた。私の好きなチシマギキョウも咲いている。梯子の辺りで雨が降って来て、滑らないように慎重に歩いた。
 厳しい環境でも、夏を謳歌するように咲いている高山植物に癒されながら、登り切った。

 そこは新たなお花畑で、尾根伝いに無数の花が咲いていた。努力が報われた瞬間だ。
 山荘を目の前にして、お母さんと6羽の幼いライチョウに出逢った。再度、神様に感謝した。南アルプスでは少ないといわれているライチョウが、目の前にこんなにもたくさんいるとはおどろきだ。
 目の上が赤い幼鳥は雄だろうか。
 みんな無事に大きくなってほしい。


 次の朝は、噓のように晴れていて、雲の上に頭を出した富士山と、その左側の山から登る朝日とを拝んだ。山荘を出発すると、またしても、ライチョウの親子に出逢った。昨日と違う場所、足環の色も違うから、別の個体だろう。朝から幸先がいい。

 北岳山頂までの道は、花また花がつづく。花の名前を紙面に書いていたら、1ページがそれだけで終わりそうだ。ミヤマ~、タカネ~、シコタン~、ハクサン~…名前にこんな冠がついただけで、途端に高貴に見えてくるのは気のせいだろうか。
 山頂から下ると、また、植物が変わって来る。下界が少し近づくのを感じながら、白根御池小屋へ。

 そして次の日、広河原の駐車場へと向かう。途中で、今まで誰も見たことのない植物が現れ、話題になった。これも楽しい思い出になるだろう。
 後日、それがセリバシオガマだと判明した。こんなに贅沢に時間を使った山行であり、東京に戻っても、なおも花談議が続いている。
                  (森林インストラクター)

   ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№217から転載

春蝉鳴く倉岳山、富士は雲にそっと隠れ = 開田守

倉岳山(990m)=開田守

平成29年5月28日 (日) 晴れ

参加メンバー : L原田一孝、武部実、金子直美、開田守の計4人:

コース : 鳥沢駅~小篠貯水地~分岐・石仏~高畑山~穴路峠~倉岳山~立野峠~梁川駅


『山行』

 高畑山・倉岳山は大月市平成4年公布の、秀麗富獄十二景の9番山頂です。 集合は鳥沢駅9時。
4人 そろったのでさっそく出発した。
 線路沿いを歩いて行くと、行き止まり。おっと、最初が肝心。駅に戻って甲州街道を東へ、古い家並みを歩いて行くと、季節がらツバメが飛び交う。ヒナのいる巣 もちらほら。

 中央本線のガ-ドをくぐって、桂川を虹吹橋で渡り小篠集落に。やがて、ゲ-トのある所 に、ここが登山口である。
 ゆっくりしたペースで、山道を行くと、小篠貯水地があった。このあたりの水源になっていると聞く。池の左手をたどると広い道はすぐに終わり、植林の中のうす暗い山道となった。

 オシノ沢を渡り返し、何かいい気分にさせてくれた。新緑のうす緑からの木漏れ日が、何とも清々しくて、爽やかで気持ちがいい。まもなく石仏のある分岐にさしかかる。 まっすぐに進むと、穴路峠である。


 あとで合流しますが、右の急登の斜面を行く。やがて尾根に出ると、徐々に傾斜がゆるやかに、そして平らな道になると、小屋跡の小平地に着いた。ナベとか茶碗とかがころがっている。

 それから植林に入ったあたりは、ゆるやかになった。だが、すぐに急登となる。しばらく続きましたが徐々にゆるやかになっていく。そして、明るくひらけた高畑山山頂です。

 早いけれど、日陰で昼食を摂る。

 富士山は雲に隠れて見えません。 穴路峠へ向かい出発する。。滑りそうな急な下りを行く。急坂が終わると、ゆるやかな尾根をアップダウンして穴路峠へむかう。
 先程の分岐からの道と合流した。このあたりには可愛いギンランが、あっちにもこっちにも咲いている。
 峠から松林の尾根を進むと、苦しい急登になる。ヤマツツジがあちらこちらにまだきれいに咲いている。道の傾斜が緩み、倉岳山の山頂に着く。12時45分だった。


 春蝉が何匹か鳴いている、今年ははじめて聴く。山頂南面は立木を刈り払い、眺めはとてもいいが、富士山は雲に隠れて見えずだった。
 ここで15分ほど休み、立野峠へむけて出発する。。固定ロ-プもある急坂を下って行く。何かとても良い匂いがしたけれど、匂いの源は分からずじまい。

 狭い尾根上の立野峠から、折り返すように北西へ下って行く。薄暗い植林のなかを急降下してジグザグに行く。
 小沢を何回か渡り返しするうちに、大きなトチの樹があった。

 梁川駅の時刻が気になりスピードを上げて下って行く。梁川駅には14時45分に着いた。それでも、高尾駅行にはまだ10分ほどありました。この山は、冬に来た方がいいのかなぁ。

 反省会は高尾駅南口で。

           ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№214から転載

高山植物の宝庫の山行なり、四阿山 = 武部実

四阿山(2354m・長野県と群馬県の県境)

山行日:平成29年8月23日(水)
 
参加メンバー:L武部実、栃金正一、佐治ひろみ、中野清子、開田守の計5人

コース:上田駅からタクシー~菅平牧場~根子岳~十ヶ原~四阿山~中四阿~小四阿~菅平牧場~菅平高原ダボスバス停

『山行の記録』

 出発点の菅平牧場の標高はすでに1590m。高原の風は爽やかだ。根子岳に向けて9:00出発。登り始めて直ぐに両側には花が咲き乱れていた。
 ハクサンフウロ、ツリガネニンジン、ヤナギラン、クルマユリ、アキノキリンソウ、ワレモコウ等々。そして田中澄江が花の百名山に記述しているウメバチソウも数輪見かけたが、何といっても今回の高山植物のチャンピオンはマツムシソウだ。

 根子岳から四阿山のいたるところに、うす紫の花が群生していたのである。茎が長く、いまにも倒れそうな姿は、ここだけの品種なのだろうか。

 一時間ほど登ると樹林帯に入った。このあたりから雨がぽつりぽつり、天気予報は晴れだったのになあ、中止になった霞沢岳は逆に晴れるし、どうもこのところの予報ははずれが多い。灌木帯に入ったころころから、大勢の高校生とすれ違う。

 日体大荏原高校の生徒で150人ほどが来てるという。全員に「こんにちは」と声かけられるのはいいが、相手は一人、こちらは全員に返答するので、これだけでくたびれてしまうほどだ。

                  (根子岳山頂にて) 

 11:10、根子岳(2207m)山頂に到着した。広々として気持ちのいい山頂だが、残念ながら眺望は無い。
 四阿山から縦走してきた大学生の集団が着き、とたんに大賑わい。雨が小降りになってきたので昼食を摂り、11:45に出発。

 十ヶ原へ降るころには雨がやみ、正面に四阿山が見えはじめ、写真を撮るなど、まだ元気だった。シラビソ林の登りは、意外と急登で踏ん張りどころだ。
 稜線に出ると(11:25)、あとは緩やかな登りで、菅平牧場への分岐を過ぎ最後の階段を登り終えると四阿山の山頂に着いた。(14:00)。


 山頂は狭く、根子岳の十分の一位。天候が回復し、見晴らしも改善されてきた。南方には浅間山、その左手には、ノコギリのような妙義山がはっきりと眺めることができた。北方は残念ながら雲におおわれている。晴れていれば、北アルプスも眺められたはずだ。

 14:25に出発。登ってきた道を引き返し、鳥居峠への分岐を過ぎ、中四阿への分岐を下る。
 途中、右手に見える根子岳は、形のいい山容を見せていた。中四阿と小四阿を過ぎ菅平牧場登山口に着いたのが、17:30だった。
 靴を洗って出発したが、菅平高原ダボスバス停に着いたのが、最終18:35の5分前だった。雨に降られたが、花がいっぱい見られて、景色も良く、まあまあの山行だった。

ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№218から転載

採掘されつづける武甲山(1304m)=武部実 

平成23年10月24日(月) 小雨のち曇り

参加メンバー:L関本誠一、佐治ひろみ、大久保多世子、武部実

コース:西武秩父駅 タクシー~一の鳥居~表参道~山頂(昼食)~長者屋敷の頭~橋立鍾乳洞~浦山口駅~お花畑駅~西武秩父駅          


 初めは22日(土)に計画したが、雨天のために延期となっていた。本日・24日(月)に西武秩父駅に9時に集合した。タクシーで、一ノ鳥居までは20分弱で、到着する。(2600円)。

 9:30に出発。小雨だったが、歩き始めて10分位で雨は止み、気温は高め、上着を脱いでTシャツ一枚の仲間もいた。

 杉木立の山道を一丁目(石柱に表示)から、歩きはじめて20分ほどで十丁目だった。「もう頂上?」違うんですね。
 この丁目は、約109mの距離をあらわしているものだった。頂上までは五十二丁、まだまだ先だ。

 十八丁目の不動の滝には、水飲み場があった。約半分の二十六丁目で軽く休憩をとる。すこし歩いたところで、海抜1000mの大杉に到着した。(10:50)。

 われわれ4人が手をつないで大杉の幹回りは丁度だから、優に6mはありそうだ。

 11:40、五十二丁目の御嶽神社に到着する。ここから少し登ったところが、展望台である。残念ながら、きょうは霧の中で、採掘現場や羊が丘、そして秩父の街並みはまったく見えない。

 武甲山1304mの標識の下には、三角点(?)があり、そこには1336-41+9と表示してある。たしかに計算すれば、1304mになるが、プラス・マイナス の意味は不明である。

 昼食を摂って出発の準備をしている時に、サイレンと発破の音がひびく。頂上は震度2位の揺れがきた。毎日、定時に発破するらしいのだ。

 12:40に出発した。一時間ほど下ると、渓流沿いの道になり、少しあるくと、林道にでる。この林道には落ち葉に混ざって、クルミの実がたくさん落ちていた。さらに、ねこじゃらしによく似たチカラシバが道の両側に群生している。この先を歩けば、橋立鍾乳洞はすぐそばだ。
 ここから20分で、浦山口駅に15:10に到着した。

 予定より早く着いたので、15:23発の電車に乗ることができた。

 お花畑駅から西武秩父駅まで歩き、時刻表を見たら、ちょうど普通列車15:37発の飯能行きの電車があった。それに間に合い、飯能から急行電車に乗り換え池袋駅には17:30頃に到着する。
 池袋では軽く反省会を行い帰途につく。

 今回は3年ぶりだったが、あらためて感じたのは、奥多摩の山々とちがって急登がなく、歩きやすく、変化に富んだ山った。
 石灰の採掘によって何年後かには、山が無くなるか、あるいはもっと無残な姿にされるおそれがあるので、皆さんも今のうちに登ってみてはいかがですか。

           ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№147から転載

モンブラン初登頂者の謎=上村信太郎

 スポーツ登山の発祥は、スイスの科学者オーラス・ベネディクト・ド・ソシュールのモンブラン(標高4807m)登山とされる。

 それ以前は「高山の山頂に立つという目的」での登山行為ではなかった。また高山の氷河の上でビバークすると生きて帰れないという迷信もはびこっていた。

 ジュネーブ生まれのソシュールは、幼年時代から博物学に興味を持ち山々を歩き回るのが好きだった。
 20歳のときに植物採集を目的に初めてシャモニーを訪れ、ブレヴァンの展望台からシャモニーの谷越しにモンブランを眺めた。
 このとき、当時は登頂不可能とされていたアルプスの最高峰モンブランに登ろうと固く決心して名案を思い付く。モンブランに登頂できるルートを発見した者には、だれでも多額の報奨金を支払うと発表した。時に1760年7月24日であった。

 それ以後、ソシュール自身も含めた多くの真剣な試登が繰り返されたがいずれも失敗。ようやく初登頂されたのは27年後であった。
 1786年8月7日、シャモニーの医師ミシェル・ガブリエル・パカールと、24歳の水晶採りジャック・バルマの二人がボソン氷河からモンブラン登頂目指して出発。彼らはル・モンという村で落ち合い、その日は氷河の手前でビバーク。
 翌朝4時半に出発し、午後6時32分にモンブランの絶頂に立った。パカールは山頂で高度や気温を観測。19時前に下降を開始。真夜中に出発地点まで下降してビバーク。二人は2400m以上の標高差を一日でピストンしたことになる。
 翌朝、雪目になり両手が凍傷になったパカールはバルマに導かれて下山し、帰宅したバルマは重病だった乳幼児の娘が入山中に亡くなったことを知った。


 下山後、バルマはソシュールを訪ねて報奨金を受け取った。
 その翌年8月、ソシュールは一人の召使とバルマの他に、食料や科学実験用器具などを担ぐ18人のガイドとポーターを引き連れてモンブランに挑み、ソシュール夫人が麓から望遠鏡で見守るなか登頂に成功。
 このソシュールらによる一連の登山行為が「スポーツ登山」を誕生させ、やがて明治期にイギリス人宣教師ウォルター・ウェストンによって日本にも紹介され、やがて今日の「百名山ブーム」に至ったとされている。

 モンブラン登頂から1ヶ月後、町ではある噂が広がった。「パカールは途中で疲労して落伍した。バルマが一人で登頂した」というもの。この噂は結果的にバルマを英雄に仕立ててしまった。
 1841年、79歳になったバルマは、文豪アレキサンドル・デュマの取材を受けて「パカールは途中で何度ももう歩けないと言ったが無理やり引上げた」などと答えた。
 だがその後、ドイツの科学者ゲルスドルフがたまたまシャモニー滞在中にモンブラン初登頂の様子を望遠鏡で目撃したときの日記とスケッチが発見され、それによれば「彼らはしばしば先頭を代えて進み、6時32分に絶頂に登った」と記されていて、デュマの記述と正反対の内容であった。

 そして、初登頂からじつに143年後になって、パカール本人が書き遺した手記が発見され真相が判明して『アルパイン・ジャーナル』に掲載された。それには、「荷物を分担しょうとバルマの他に案内人を連れていこうとしたが、報奨金を独占したいバルマが断った。私たちはほとんど同時に山頂に着いた。」と記されていた。

 今、シャモニーの町の中心地に二つの銅像が建つ。ソシュールと一緒に並び立ってモンブランの方向を指さしているバルマの像と、もう一つはパカール一人が座っている像でパカールが名誉を回復してから新しく建てられたものだ。
 それにしてもバルマはなぜパートナーを生涯中傷し続け、パカールもどうして自らの山行記を最後まで発表しなかったのであろうか…。永遠の謎である。

           ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№216から転載

  
 
  


 

シモバシラ観察会=市田淳子

日 時 : 2016年12月29日(木)高尾山口駅9:00集合

メンバー:L栃金・市田 上村、武部、岩淵、中野、開田

コース:稲荷山コース~高尾山頂 11:15~シモバシラ観察 11:30~一丁平 12:15<昼食>~城山 13:10~西尾根コース~相模湖駅着15:15


 シモバシラ観察会を計画したものの、気温が高すぎてシモバシラが期待できないかもしれないという不安があり、稲荷山コースを歩きながら、もう一つの観察会を行うことにした。

 登山の愉しみは、その山の自然を知ること。高尾山は599mという低い山なのに、なぜ登山客を魅了するのか。一言で言ったら、日本で一番小さな国定公園なのに、生物多様性が考えられないほど豊かだということだ。

 高尾山はケーブルのラインの辺りで西の植物と東の植物が出会う。

 さらに沢があることで渓谷林、針葉樹林がある。植物種が豊かということは、昆虫、鳥類等も豊かになる。
 歩き出す前に、稲荷山コースに多い樹種の葉を見てもらい、それぞれの特徴を思うまま述べてもらった。1種類だけは覚えて帰ろう!という同定の目標を持って歩くことにした。

 同じカシでも葉っぱの形、鋸歯(ギザギザ)の様子が違う「シラカシ」「アラカシ」。ドングリを実らせる落葉樹の「コナラ」。鋸歯に特徴があり、薄くて壊れやすい「イヌシデ」この4種は、都内の公園や雑木林にもたくさん生えている。
 そしてもう1種は「イヌブナ」鋸歯の伸び方が超特徴的! 稲荷山コースを歩くと、南側の斜面に照葉樹であるシラカシやアラカシが目立つ。

 その中にコナラ、イヌシデが混じる。そして、なかなか現れなかったイヌブナはかなり上の方に登ると出会うことができた。植物はちゃんと自分の棲む場所を心得ている、というより適した場所で長い時間をかけて進化してきたのだ。
 こんな目を持って高尾山を歩くのもたまには良いものだ。



 さて、肝心のシモバシラ、貧弱ではあるが、何とか私たちの期待に応えてくれた。暖かい日が続いたが、この日の朝は冷え込んだため凍ったのだ。

 枯れた植物の茎から形成される氷の芸術。これを見ずに春を迎えることはできない。自然は人間と比べることができないほどの才能溢れる芸術家だ。

 しかし、この芸術家も温暖化には勝てない。10年ほど前は、「誰がトイレットペーパーをこんなに落としたんだろう?」と思うほど「氷の花」だらけだったのに。そうは言っても、今冬もシモバシラを見ることができた。来冬も変わらず見られますように。

 高尾山頂では顔を見せなかった富士山も一丁平辺りから綺麗に見えてきた。
 ポカポカ陽気の中、ほぼ予定通り相模湖駅に到着。楽しい一年の締めくくりの山行だった。(森林インストラクター)

        ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№209から転載

カメラで登る北アルプス・針の木峠~七倉

2017年9月9日から、北アルプスに入りました。


 3日間は快晴でした。朝の北アルプス連峰はとても魅せられてしまいます。

  ふだん都会で汚れた心身が洗われます。



 扇澤バスターミナルから、登りはじめる

 渓谷のガレ場をトラバースしながら、高度をあげていく。

 最初に目指すは、針の木峠です。

 針の木大雪渓は、九月ともなると、ダイナミックさが欠けてくる。

 戦国武将の富山城・藩主の佐々成政が、1584年、浜松の徳川家康に会いに行くために、厳冬期に、立山から黒部、さらに針の木峠をこえて信濃に降りてきます。

 富山・芦峅寺の中語(ちゅうご:山岳ガイド)を先導に、家臣18人とともに往復しました。

 天空に、大鷲(おおわし)が飛来する。

 瞬間の、シャッター・チャンス

 はるか遠方に、岩稜の正殿・剣岳が雲をかぶっていました。


 蓮華岳の山頂から、針ノ木峠が雄大に屹立(きつりつ)しています。

 蓮華岳から北葛岳へと縦走が始まります。

 「上り、下り」、そして休憩の単調さのなかにも、両側の美観が心を癒してくれます。



 ちょいと、ここらで休憩をとろうよ。

 とても、いい顔。


 渓谷からわきあがる白い雲が、稜線に化粧をはじめました。

 

 キレットの難解な痩せ尾根に挑戦します。
 
 まずは小休止で、精神統一です。

 統一しても、滑落する奴は事故るんだよな。

 達成感は格別だね。


 七倉小屋は、ランプと囲炉裏がある、風情豊かな山小屋です。

 売り物の囲炉裏は薪をくべていなかった。

 煙公害で、苦情でも寄せられるのかな。

 囲炉裏をとりかこんで、朝夕の食事を摂(と)ります。

 ビールとアルコールと、会話で満喫です。

 高山植物はわずかに咲いていました。

 ここらは、まだ鹿害が及んでいないようです。


 七倉岳からの下山です。顔がすべてを物語っています。