登山家

8.11山の日 第3回大崎上島・神峰山大会 全国公募=『俳句募集』

 2019年は「山の日神峰山」恒例のイベントに加え、大崎上島の名峰神峰山(かんのみね)を句材に俳句募集を行っています。四季は問いません。
 優秀作品には大崎上島の特産品を贈ります。ふるって応募ください。

〇募集方法
 ハガキ若しくは封書で投稿ください。(電話番号を記入ください。)
 町内の方は投句箱(役場本庁・木江支所・情報プラザ・エル・観光案内所・NPOかみじまの風に設置)に作品と住所氏名を記載の上投句ください。

 ※ 複数の募集か。だだし、俳句は1句につき、1枚のはがきでお願いします。

〇選者
  石本秋翠先生(地元) 大久保昇先生(東京在住)

〇締切日(必着)
  2019年7月3日(水)

〇郵送受付場所
  〒725-0301 広島県豊田郡大崎上島町中野1834
     NPOかみじまの風「山の日神峰山実行委員会」宛て

〇お問い合せ
 月~金(祝日は除く)10:00~15:00にお願いします
  ℡ 0848-67-5530(NPOかみじまの風)

 8月11日「山の日」の大崎上島・神峰山大会は、2016年度から施行されています。ことし(2019)は3回目です。

 風光明媚で神峰山は、山頂から115もの多島美が堪能できす。
 里山・里海が一瞬で満喫できる大崎上島・神峰山で、国民の祝日8月11日「山の日」に、イベントを開催し、恒例行事として、規模を充実させていきながらは、数年先には全国大会を開催することを目指しています。

 近い将来は「海の日」も連携させて、「まち残し」を推進するものとしています。
『山と海に親しむ機会を得て、山と海の恩恵に感謝する』
 このコンセプトにおいて、島内の子ども、学生らと、山と海との自然循環教育を継承することにあります。そして、島内外の人たちにも、大崎上島の良き自然環境を知ってもらう活動として継続的に開催しています。

(情報提供)大崎上島のシンボル神峰山(かんのみね)


 古より語り継がれている「市杵島姫命」の伝説があります。姫が平和で美しい、安住のできる土地を求めて遍歴の旅に出られた。瀬戸内海に浮かぶ美しい島を眺めながら、船を進めていくうちに、やがて姫は大崎上島の神峰山を見つけられました。

 さっそく姫は、その方に向かって船を進めました。神峰山に登ってごらんになると、そこからの眺めは、また一段と素晴らしいものでありました。姫はこの地こそ安住の地であるお住まいになりました。


 やがては厳島弥山にご鎮座されますが、それ以前は神峰山で生活されたと言われております。

 史実として、幕末の史家で儒学者である頼山陽が、広島県・竹原出身であり、著作『舟游記』に神峰山を記述しています。

 一説には、長禄4年(1460年)「明」の僧侶「奇山禅師」が、国の混乱を避けて海を渡り日本に来られた。
 関前灘を過ぎると、海は荒れ狂って船は転覆しそうになりました。神仏に加護を願う。
 山々が重なりあって崖が切り立つ。一番高い山に畏敬の念を抱いて、一心に祈ると、やがて海は不思議と穏やかになった。

 その有り難い山々の中央にそびえ立つ一番高い山を「神峰山(かんのみね)」と名づけたと伝えられています。

 地元の人々は、この禅師を「神僧」と崇め「堂主」として滞在を懇願したので、庵を神峰山頂に結ばれたと伝えられています。


  俳句は全国公募ですから、どうぞ奮って応募ください。


【参考資料】

 穂高健一著「神峰山」(未知谷(みちたに)、2000円+税)が全国の書店およびネットで発売される。
 5編の中編小説です。

 右の「神峰山」の写真のうえで、左クリックすれば、アマゾンに飛べます。

富士山は雲の中だった大蔵高丸(1770m)=大久保多世子

1 登山日 :2018年6月9日(土)晴れ                             

2 参加メンバー : L佐治ひろみ、栃金正一、武部実、中野清子、開田守、金子直美、大久保多世子

3 コース :甲斐大和駅 ~ 湯ノ沢峠登山口 ~ 湯ノ沢峠~大蔵高丸 ~ ハマイバ丸 ~ 米背負峠 ~- 大谷ケ丸 ~ コンドウ丸 ~ 大鹿山分岐 ~ 景徳院 ~ 甲斐大和駅


 8:40 甲斐大和駅に集合する。予約してあったタクシーで約20分、湯ノ沢峠登山口に到着した。中止もあり得る雨予報だった。だが、終日最高のハイキング日和になり、緑を満喫した爽やかな1日になった。


 降車するなり、春ゼミの大合唱と、ウグイスの鳴き声が迎えてくれた。落ち葉が柔らかくなった山道は、足に優しく歩きやすい。

 沢沿いに歩いたりクリンソウを愛でたりして、1時間で到着した避難小屋は、室内も綺麗に整えられていた。
 その小屋からしばらく歩くと、尾根に出た。草原が広がっている。

 可憐なスズランやキンポウゲの花が、目を楽しませてくれた。大蔵高丸は秀麗富士12景で展望は良いが、肝心な富士山は雲のなかに隠れたままである。

 朗らかな健脚2人組に会い、集合写真のシャッターを押してもらった。


 なだらかに起伏した尾根が続き、ゆるい登り下りを繰り返し、11:25にハマイバ丸に到着した。ここで昼食となった。

 山頂の脇に「破魔射場丸」との表示があり、珍しい山名に納得できた。

 山頂から少し下ったところは、露岩が散在した荒地で、破魔射場と呼ばれるそうだ。急な下りや笹やぶ・灌木帯を過ぎて少し登ると、【大きな岩=天下石】がある。

 ここから先は広葉樹林帯が続き、木々の緑が一層美しい。下りきって、米背負峠に着き、正面の坂を登ると、大谷ケ丸に到着。先着の3人組が、「1時間ほど前に、すぐそこにクマが出た。」と教えてくれた。

 若い男性とにらめっこを2回して、離れて行ったと話す。皆、緊張して顔を見合わせる。この山の西側から南アルプスも見えるそうだが、それよりクマ鈴を身に着けたり、話し声を大きくしたり……。幸い、熊に出会うことはなかった。

 滝子山への分岐や滑りやすい急な下りを過ぎると、カラマツ林に変わる。地図には「防火帯に入らない」と注意書きがある通り、やや戸惑った。
 右側に目印のリボンが5~6個ついていて、難なく進むことができた。大鹿山への分岐で、男性3人は山頂まで往復し、女性はそのまま下ることになった。

 急な下りに時間がかかり、30分ほどで合流できた。大鹿山への往復は10分弱だったという。男性陣は皆、健脚揃いだった。

「間もなく景徳院だろう」
 と思われる所。左にコンクリートで固められた山道、右に手すりのある急な細道があり、無標識なので全員で相談して、右に進んだ。だが、2か所も大きな柵で、塞がれていて大変であった。

 二つ目の柵を過ぎてから、左の道が正解だったことが分かった。西日が強く、どっと疲れが出たが、傍らのヒメレンゲの群生が美しかった。

 景徳院で休憩後、県道に出て、4:22のバスで甲斐大和へ向かった。

 全体を通して、何か所か急な下りはあったが、最後まで歩きやすい柔らかな道の連続で疲れが少なかった。


 ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№226から転載


全山錦秋の雨飾山(1,963m) = 佐藤京子 

登山日 : 2018年10月14日~16日

 
参加メンバー : L武部実、SL開田守、中野清子、佐藤京子の計4人


コース: 1日目 東京駅から新幹線で糸魚川へ。駅からジャンボタクシーで雨飾山荘(泊)

      2日目 雨飾山荘 ~ 梶山分岐 ~ 雨飾山 ~ 梶山分岐 ~ 笹平 ~ 荒菅沢 ~ 雨飾山登 山口 ~ 雨飾高原キャンプ場 ~ 小谷温泉 雨飾荘(泊)

3日目 雨飾高原~(バス)~南小谷駅~信濃大町~松本駅~新宿駅


 今回のテーマは、「紅葉と秘湯の山旅」である。東京駅を昼過ぎに、のんびりと出発した。

 雨飾山には、新潟県の糸魚川側から登る今回のコースと、長野県の小谷温泉から登るコースがある。
 糸魚川は、初めての場所である。糸魚川断層の博物館もあるようだが、予約のタクシーで、まっすぐ雨飾山荘へ。
 そこは日本秘湯を守る会の加盟の1軒宿である。自家発電の山小屋で、9時には消灯となる。 今回は、男女別で泊まれた。

 5時の夕食まで、たっぷり時間があるので温泉につかる。食堂は、木造りで明るい。主人がにこやかに見守っており、客に声をかけていた。
 玄関前の露天風呂には、男性陣が暗闇の中ヘッドランプで入る。夜空にはカシオペアがみえる。明日の天気がいいことを願い、7時半には寝床に入る。

 隣の部屋からいびきが聞こえてきたそうだが、私は疲れていたため、ぐっすり眠れて幸せ。


 2日目。8時間は歩くというので、5時に朝食をとる。6時には出発。登るにしたがって、ブナの林が広がり、ナナカマドは赤みを増していく。

 日本海と糸魚川市街も見渡せた。登りは結構きつく、到着が正午頃とだいぶ時間をとられてしまう。

 山頂は、双耳峰である。南方に着いた時は、全方位が見渡せたが、それもつかの間だった。すぐ雲がかかってしまう。

 下りも時間がかかりそうなので、のんびりはできない。残念だが、北方には登らず、山頂直下の分岐で昼食。下山を急ぐ。
 笹平を過ぎると、進行方向が全山が錦秋である。

 梯子を二つ降りただろうか。 荒菅沢で、すこし休憩し先を急ぐ。途中「携帯トイレ使用場所」という看板のある建物があった。


 長野県側の道には、登山口まで、2/11、7/11など、11分割の標識がかけられていて目安になった。ふもと近くの道には、木道がかけてあり、沢沿いに泳ぐ魚も見えた。岩魚のようだ。


 二日目の宿泊先となる雨飾荘についたのは、4時頃だった。予定を超え、10時間の行程になった。
こちらの温泉は、ぬるめ。いつまででも入っていられる。

 夜の献立は、たいそう立派なものだった。清流岩魚の姿造りを、生のわさびを擂っていただく。手打ち蕎麦にもまた擂る。


 翌日は、宿で土産を買ってからバスに乗り込む。乗り換え駅の信濃大町の立ち蕎麦もおいしくいただきスーパーあずさに乗り込んだ。

  リーダーの武部さんほか皆さまには大変お世話になりました。


ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№230から転載
   

「はやち」は「疾風」を意味する早池峰山(1917m)=武部実

登山日 : 2018年6月30日(土) 晴れ

コース : 盛岡駅バス ~ 小田越 ~ 早池峰山 ~ 小田越 ~ バスで盛岡駅


 大人の休日俱楽部東北4日間15,000円パスを使って、丁度この時期、6月上旬~8月上旬の土日に盛岡駅から早池峰山の登山口まで直通バスが運行されるということで計画した。

 盛岡に前泊し、7:00に出発。2時間弱で、登山口である小田越に着いた。(8:55)。


 登山口で登山者に呼び掛けているのが、携帯トイレの販売である。山頂に3か所の携帯トイレブースがあり、使用した袋を登山口の返却ボックスに入れるというもの。利尻山でも勧めていたが、自然保護ということだけで、定着するのはなかなか難しそうだ。そう思うのは、私だけか。

 歩き始めは樹林帯である。緩やかな登山路を進むと、所々に一斗缶とこん棒がつるされているのが目に入る。クマよけの音だしだ。

 30分弱ほど歩くと、樹林帯を抜け、森林限界になり、見晴らしのいいところに出る。ここが一合目である。蛇紋岩の岩がゴロゴロしているところを登る。
 当日は風が強くバランスをくずさないように慎重に登るが、登山路に張られているロープを掴む登山者もいた。

 すると、下山中の登山ガイド(?)が
 「ロープは緩くて危険ですから、ハイマツを掴んでください。根っこが一本位抜けてもすぐ生えますから」
 と大きな声で怒鳴っていたのが、印象的だった。

 “はやち”とは風が強いこと、ここから早池峰山と名付けられたことがよくわかる。

 一合目あたりから、ミネウスユキソウをぼちぼち見かけてきた。

            【ハヤチネウスユキソウ】

 下山中のの登山者が上のほうに行けば、ハヤチネウスユキソウがたくさん見られるとのことで、少し様子をみる。周りを見渡すと、紫色のミヤマオダマキがいっぱい咲いていた。

 今回の高山植物の主役は、この花に間違いなし。その他にミヤマアズマギク、ミヤマシオガマ等が良く咲いていた。

 しかし、この山で有名な高山植物は何といっても早池峰が頭につく、固有種のハヤチネウスユキソウだ。
 登るにつれて、たくさん咲いていた。
 綿毛が特徴らしいいが、以前に見た礼文ウスユキソウとの違いがよくわからなかった。だが、なんとなく納得できた。

 山頂の直下では、途中の登山路で見かけなかった、イワカガミ、コバイケイソウ、チングルマ等咲いていた。
 剣が峰と山頂との分岐には11:10に着く。ここから山頂は15分で到着した。残念ながら、ガスが出て見晴らしは無かったし、記念の山頂写真は小さな標識しかなくて、少しがっかり。


 今回の東北の旅は、山以外にも10年ぶりの友人に会うこともでき、とても有意義な旅だった。


 ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№228から転載

発売から1か月半の『神峰山』が大きな反響=若き女性の悲哀な人生で、涙が止まりませんでした

 1945年8月15日、終戦、敗戦という言葉だけで、戦争は終わらない。終戦後の悲惨な庶民の生活こそ、「2度と戦争をしてはならない」という歴史的な証言である。5作品の中編小説が収納された「神峰山」のメイン・テーマです。
 戦争が残した非情さ、抗うことができない運命のなかで、瀬戸内の港の遊郭街で、前向きに必死に生きる10代、20代の女と男たち。彼女たちは必死に生きているけれど、結果はとてつもない不幸だったりする。


 ことし(2018年)の11月1日の発売から、実に多くの反響が寄せられています。ご紹介させていただきます。


 【 読 者 感 想 】         


 ☆ 良かった。心に響きました。「初潮の地蔵さま」で泣きました。無念で、悲しくて泣きました。いまの自分(投稿者)の幸せがありがたく、泣きました。「女郎っ子」も、その急展開が、どうしようもなく悲しくて、泣くしかなかった。

 私(投稿者)は、昭和22年生まれで、団塊の世代です。「人の多さ」だけに気を取られて、噛み締めるべき真実の、二面あるはずの裏面が視野に入って来なかった。時代が大きく動いた時の、陰の事実に気が付いていないなことを深く突きつけられました。

 この作品は、映画・ドラマ化するべきです。大きな反響を呼ぶと思います。時代の隠れた面を知ってこそ、歴史といえるのではないでしょうか。

「あとがき」も切り口が鋭く、名文だと思いました。筆者の気迫に押されました。私の三男が広島にいます。神峰山を訪れ、ご冥福をお祈りしたいと存じます。
                     (小坂隆昭さん・横浜)    


 ☆ 現在を生きる私には想像もつかない世界。それでいて、昔も今も変わらないであろう、「女」を生きる女性たちの心。……読み進めるごとに、その悲しみが伝わってきました。特に「初潮のお地蔵さま」の(主人公)絵梨には逃げ切ってほしかった。もっと生きてほしかった。雄太先生(広島商船高校生)との物語を、穂高さんが書いてくださったのに……と(死が)残念でなりません。
                     (神山暁美さん・宇都宮)


 ☆ 装丁が良い。本文活字も読みやすく知的な感じです。広島のみならず、戦後の日本人の悲哀と欲、女性史を学ぶ絶好の一書だと思います。
                    (平木滋さん・広島) 


 ☆ 電車の中で読んでいたら、主人公が悲しくて、切なくて、ハンカチを出して、涙を拭きながら読みました。作中の小学6年生の博が遭遇した「紫雲丸事故」をより知りたくなりました。ネットで調べました。木江南小学校と校名が書かれていました。作中の人物の犠牲者たちが、瀬戸大橋が架かる、大きな要因になったのですね。
 神峰山にぜひ行きたいです。
                    (鷹取利典さん・葛飾区)


 ☆ とてもいい本です。しみじみと心にしみ込んでくる本です。情景が浮かんできて、情緒があって、よい純文学です。男性のなかに、女性が物悲しく語りかけてくるのが美しいです。不条理の世界にこそ、究極の愛があるのでしょうか。
                     (竹内真一さん・広島)


昭和30年5月11日・高松港沖で、紫雲丸海難事故が発生。写真の中央部


☆ 「女郎っ子」が悲しくも胸を打ちました。元女郎の優衣子が選んだ大工は、性の問題で不仲になったけれど、心底から話し合って和解する。ともに心優しい人です。かれは義父の立場で、連れっ子だった「女郎っ子」博少年が不良少年にいじめを受けても、「将来は広島大学、東京大学に行かせてやる、世のなかのためになれよ」と励ます。その場面は感動です。
 少年・少女らが海難事件の紫雲丸事故で、不運にも遭遇してしまう。母親の優衣子が少女の棺を開けて語りかける。小説として、悲しみが昇華した最高の場面です。
                    (J.Mさん・目黒)   


 ☆ 私の父親は、戦前・戦後、瀬戸内を航行する内航海運の機帆船を持っていました。木江港の「おちょろ舟」の話しは、子どもの頃、父親や船員からなんどか聞かされました。わからないままにきいていました。作品「神峰山」に描かれた女郎の姿が、そうだったのか、と重なってきました。
 当時は焼玉エンジンから、ジーゼルへと変化する時代だったと思います。
                    (東 力秀さん・福岡)


 ☆ 戦後の女性史を静かに語る名作である。確かに、終戦・敗戦という言葉だけでは戦争は終わっていなかった。「女郎っ子」ひとりの少年の心の情景と、その背景を大切に掘り起こして紡ぎ、静かにかつ心底からの「反戦への想い」を綴っている。
 瀬戸内海の離島という自然風景と共に、運命に翻弄された女性たちの生きざまを、リアリティに満ちた描写で描ききっている。
 女性史を学ぶ絶好の小説と思う
                     (アマゾン・カスタマービューより) 


 ☆ それぞれの人生がかなしい。切ない。戦争したのは日本だ。戦後に、どん底に突き落とされたのが庶民だったし、暗い社会でも人間は生きていかなければならない。善悪で読むのでなく、女郎屋の楼主・女将すらも戦後の困窮のなかで生きるために、その職業を選んだとおもう。
「ちょろ押しの源さん」が、若き女郎が亡くなるたびに、お地蔵さまを神峰山の山頂にかつぎ上げる。仏教思想で、死して仏さまになり、苦しみから女性は解放される。書かれていないが軍人は死んで軍神になったと祀られる。死後における『仏』『神』の違いを考えました。
 掲載された5編は、一冊ずつ「神峰山」①~⑤の長編にすれば、よかった。もったいないな、と思いました。若い世代に読んでもらいたい。
 私は神峰山に行ってみたい。
                    (吉武一宏さん・千葉)

干支の数にちなんで12山だ。めざすは単独山行・甲斐駒ケ岳(2967m)=武部実 

平成26年10月17日(金)~18日(土)

参加メンバー:武部単独

コース:長衛小屋~仙水峠~駒津峰~甲斐駒ケ岳~駒津峰~双児山~北沢峠



 今年の干支はウマ。ということで馬・駒の名がつく山を登ろうと思いついた。

 干支の数にちなんで12山だ。一月に奥多摩の馬仏山(723m)に最初に登り、甲斐駒の前で9山を数えるまでになった。
 ところで駒ヶ岳と名のつく山は全国に20座位あるといわれているが、その最高峰が甲斐駒ケ岳で、最低峰は2月に行った越生駒ヶ岳(363m)だ。
 甲斐駒は本来なら会山行(L佐治)で行く予定であったが、残念ながら雨で中止。その後の皆さんの日程が合わないということで、今年中に何としても登りたかった私の単独になってしまった。              


 今回泊まった長衛小屋は、北沢峠から10分ほどの所にあり、最近リニュアルしたということで小奇麗だ。当日の宿泊客は7~8人なのでゆったりと過ごすことができた。
         
 翌朝5:00出発。外気温はマイナス1度である。ダウンジャケットを着こみ寒さ対策はバッチリ。満天の星空を眺めながら、真っ暗闇のなかを歩き始める。
 登山者と会うこともなく、暗闇の中を一人で歩くのは気持ちのいいものではない。 

 30分で仙水小屋に着。この辺りから空が白々としてくる。と同時に気温が上昇してきたのか、ダウンを脱ぐ。               

 6:10仙水峠に着いた。樹林帯を抜けて見通しが良くなる。正面に摩利支天が、東には鳳凰三山の地蔵が岳のオベリスクが、そして振り向けば雪を被って真っ白な仙丈ケ岳を眺めることができた。
                      
 峠を越えると急な登りになってくる。一時間ほど登り、振り返ると雪で真っ白な北岳が見えてくる。ここから眺める北岳は、尖鋭な形に見えて恰好いい。
    
 7:40駒津峰(2752m)に着。ここで一休み。西に目をやると、今年の8月に登った御嶽山の噴煙が見られ、東には地蔵が岳の後方に富士山が眺められた。

 数日前に降った雪が所々に残っているが、特に問題は無い。しばらくして直登ルートとまき道の分岐になり、今回はトラバース気味に登る。

 9:15山頂に着いた。360度の展望だ。近くの南アルプスはもちろんのこと、中央アルプスや北アルプスまでも一望できて大感激だ。

9:30出発。摩利支天はパスし、先を急ぐ。駒津峰は朝と違って登山客で一杯だ。双児山を通り北沢峠に12:50着。
 13:30発のバスに間に合いひとまずほっとする。ウマ年の山は、駒津峰と甲斐駒2座を加えて11山になる。目標達成まで残りはあと1山だ。


  ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№216から転載

秀麗十二景の10番目の九鬼山(970m)= 開田守

平成30年2月14日(水) 

参加メンバー:L武部実、岩渕美枝子、中野清子、古賀雅子、開田守の計5人

コース:禾生駅~杉山新道~九鬼山~紺場休場~分岐~田野倉駅



 九鬼山は大月市選定の秀麗十二景の10番目の山稜である。集合は富士急行線の禾生駅9:50である。
 富士急線の大月駅から3つ目の禾生駅(421m)から、国道139号線を大月方面へ15分ほど歩き、リニア新線の高架手前の桂川を落合橋で右に渡ると、九鬼山への表示があった。
 平行して古いレンガ造りの落合水路橋がある(発電用のものだそうです)。

 その水路橋のトンネル(天井から氷柱があった)を抜けると道標があって、左は愛宕神社経由の道、右の杉山新道へ行く。枯れ沢に沿ってチラホラ雪のある道を行く。途中には水道用ホ―スの穴が空いていて、その水の飛沫が凍ってきれいな氷になっている。
 急坂をジグザグ登る道は倒木が目立ちます。やがて凍りついた雪道になったので各自アイゼンを付ける。

 何回かのピークを味わい、ようやくさらにもうひと登りで富士見平になる。見事な富士山が自己主張していた(12:07)。天気が良くてよかった。
 ここで日当たりのよい暖かい所で昼食をとる。20分ほど昼食休憩してから山頂へ向かう。数分で九鬼山の山頂には12時47に着いた。

 以前には富士山が眺められなかったと聞く。今は少し伐採されていて見られます。三角点にタッチしてから、北東になるのか尾根を下っていく。
 急な雪面もあって危ない道である。トラロ―プもあったがたるんでいて、これも危険だ。岩場もある。ゆっくり慎重に行く。

 やがて小広い平地へ。ここが紺場休場か、でも道標はない。少し行ってから田野倉駅への分岐へ。まだ雪があるけれど、そろそろアイゼンを外そうかと思って下る。

 雪もなくなったところで、もういいかとアイゼンを外す。やがて林道へ出る。ここは少し凍っているので注意を要する。田野倉駅へと歩きだす。15:23発の大月行にようやく間に合った。

 天気がよいのが何より。私は秀麗十二景の登ってないところは4つほどまだあります。富士山が眺められるのは五分五分、季節は冬がいいのでは。都留市にも二十一秀峰が選定してあるそうだ。

 大月市の山の道標で、真ん中に紫色のロゴがあるのは、猿橋を似せたものかと思っていましたが、大月市郷土資料館の職員さんに聞いたところ、旧笹子トンネルだそうです。反省会は大月で。


ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№223から転載

武蔵野の自然を満喫できる、日立中央研究所内(野川水源)見学=栃金正一

1.期日 : 2018年4月14日(土)曇り時々晴れ

2.参加メンバ : L栃金 上村 渡辺 伊東 星 野上 武部 岩淵 脇野 中野 
佐藤 古賀 他3名

3.コース : 国分寺駅~日立中央研究所~姿見の池~お鷹の道~殿ケ谷戸庭園~国分寺駅
       

 日立中央研究所(以下中研と表記)、もともとは、今村銀行(後の第一勧業銀行)の頭取の今村繁三の別荘地を日立が譲り受け昭和17年に設立したもの。設立にあたり創業者「小平浪平」の「良い立木は切らずに、よけて建てよ」という意志が、現在も引き継がれ自然環境が維持・整備され、毎年春季に一般開放されている。


 10:30に国分寺駅に集合。日立OBの岡田さんの案内にて、徒歩7分位で中研正門に到着する。
 受付を済まし正面の「返仁橋」と言う深い谷に掛かっている橋を渡る。橋の真ん中あたりで下を覗くと、小さな川が流れているのが見える。橋を渡り切ると大きな噴水があり、その向こうに6階建ての研究棟が建っている。

 建物の脇を通り広場に行くと、ステージがあり催しものをやっている。周囲には模擬店等もあり大勢の人が飲んだり食べたりしながら楽しんでいる。


 広場を通り過ぎ道を下って行くと大きな池に出る。池の大きさは、10,000㎡で周囲は800mあると言うので、池の周囲を回ってみる。途中道からはずれて、国分寺崖線(通称 はけ)からの湧水を見に行く。崖の下から澄んだきれいな水がチョロチョロと湧き出ている。これが、「野川」の源流のひとつとのこと。

 大池の奥に行くと、年2回花を咲かせると言う「十月桜」を、花の終りかけであるが、見ることが出来た。
 少し行くと「生きている化石」と言われている「メタセコイア(アケボノスギ)」が大きく空に向かってそびえている。さらに少し行くと水門がありここから池の水が「野川」へと流れて行く。

 大池巡りを終り、坂を上って行くと「御衣黄(ギョイコウ)」と言う大変めずらしい、花びらが緑色の桜の木がある。残念ながら花は終わりかけていたが、わずかながら緑がかっていた。黄色い「タンポポ」が、一面に咲いている芝生の上で待ち遠しかった、昼食をとる。

 昼食後、中研を後にして西国分寺の「姿見の池」から中央線を渡り広々とした「東山道武蔵路」跡をゆったりと歩き「野川」の源流のひとつである「真姿の池」を見学した。

「お鷹の道」を通り国分寺駅近くの公園でガイドの岡田さんに感謝して解散した。まだ、時間があったので、有志で「殿ケ谷戸庭園」を見学した。今回は、都内に数少ない武蔵野の自然を充分に楽しんだ一日となりました。


    ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№228から転載

第2回 大崎上島「山の日」神峰山フォーラム2018 = 地元高校・2校の生徒らも参加・活躍

『第2回 大崎上島「山の日」神峰山フォーラム2018』が、広島県・大崎上島において、平成30年8月11日(土・祝日) 午前10時から午後3時30分に開催された。

 主催者は大崎上島地域協議会、後援は全国山の日協議会、幕末芸州広島藩研究会。会場は大崎上島開発総合センターの大会議室である。

 今年から島内の学生らも参加型で実施された。「山と海の恩恵に感謝する」をテーマにしたパネルディスカッションである。


 7月の集中豪雨被害で、広島県は甚大な被害を出した。離島の大崎上島も、山崩れは数か所あり、道路通行止め、懸命の作業で幹線道路は復旧したが、片側通行の場所もある。

 その悪条件下でも、第2回目が開催された。ただ、神峰山の登山道はがけ崩れが発生し、登頂は不可能になった。「お地蔵さんを洗う、磨く、祈る」は、山麓の会場で、参加者のこころのなかで、行ってもらった。


 先んじて、ポスターは広島市内15枚、チラシ100枚、島内にはポスターは40枚、行政機関等など窓口、フェリー乗り場、定期船の発着場(回漕店)に掲示された。

 なお、チラシは島内に4,000枚全戸配布、残りは関係機関の各窓口で配布された。
 
 同フォーラムの当日は島内の有線放送で開催をアナウンスされた。


 世界初の山の日がナショナルホリデーになった。国民の祝日「山の日」は超党派議員で成立したもの。同メンバーだった地元選出の衆議院議員・寺田実代議士も参列してくださった。

【第1部・午前の部】

 開会挨拶  NPOかみじまの風 代表理事 横本正樹(よこもと まさき)さん

 司会進行 松島勇雄さんである。


① 山を奏でるコンサート 「ラテン・コンサート」

   三須磨大成(たいせい)さん・利香(りか)さん デビット・松井さん



 山の鎮魂歌。なぜ、鎮魂なのか。神峰山には多くの地蔵さんがある。それぞれの石仏に悲哀がある。それを慰めるものである。


② 大崎上島・神峰山物語シリーズ朗読会

穂高健一原作・書き下ろし「紙芝居と海軍大尉」


 朗読・「朗読ボランティア・しおさい」

 読み語り 川本恵里さん、 福本まゆみさん


③ 大崎海星高校生による大学生神峰山案内成果報告

  3学年 梶村莉子(かじむら りこ)さん,神紀美香(じん きみか)さん

  同校の高校生が、都会の大学生を招いて、神峰山に案内する学校行事が行われている。その活動を紹介するもの。パワーポイントとレザーポインター使用して行われた。

「神峰山」に関する問題など、ユニークなものも含まれていた。

 協力者にお茶付き弁当用意が用意された。昼食を通しても、40人が山の話題を行っていた。
 高校生たちが寺田実代議士(前列・中央)、穂高健一と記念撮影に収まった。

 
【第2部・午後の部】

④ 来賓あいさつ、
    衆議院議員  寺田 稔(てらだ みのる)さん
    広島県議会議員  森川 家忠(もりかわ いえただ)さん
    大崎上島町長  高田 幸典(たかた ゆきのり)さん

④ 基調講演 穂高健一氏が著書「広島藩の志士」を語る。江戸時代の地元・広島藩の歴史を学ぼう 
          
⑤ フォーラム対談「神峰山の魅力を語る・山と海の恩恵に感謝する」

 作家・穂高健一と、広島商船高専・大崎海星高校学生の有志たち。

 フォーラム参加学生
 広島商船高専
   横山 夏樹(よこやま なつき)さん、
   宇郷 佳暉(うごう よしき)さん
   森岡 芽生(もりおか めい)さん
           
 大崎海星高校 

   梶村莉子さん
   川本麻美さん
   神紀美香さん
   菅翔稀さん
   竹内繭さん
   三村桃花さん
   大藤薫乃さん

 大崎上島には、「農林漁業、伝統文化、生活自然、景観」などの有形・無形の資源が豊富にある。9人の高校生が、将来志向で、その活用方法を考える。


   

    9人の高校生らは、高田幸典・町長と記念撮影


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多摩川の水干で、山と水に感謝  笠取山 市田淳子

山岳名 : 笠取山(1941m)
                          
期日:2018年6月2日 晴れ

参加メンバー:L栃金正一、上村信太郎、開田守、金子直美、市田淳子

コース:作場平橋駐車場~一休坂~笠取小屋~笠取山~水干(みずひ)~笠取小屋~ヤブ沢峠~一休坂分岐~作場平橋~駐車場

歩行時間 : 約6時間

 ずっと行ってみたいと思っていた「水干(みずひ)」に行くことができた。水干とは、沢の行き止まりの意味で名付けられた多摩川の源だ。
 ここから雨水はいったん土の中に浸み込み、60mほど下で、湧き水として姿を現し、多摩川の初めの流れとなる。
 一滴の雨水が多摩川の水に……。何とロマンティックなことだろう。私にとって多摩川は子ども時代から親しんできた川、自然との接点だ。

 しかし、その多摩川は小学生の頃、汚染の象徴となった。今、この清い水を目の当たりにして、下流の水を知る私は、やはり自然保護を訴えないわけにはいかない。


               *

 作場平の駐車場から、一休坂を経て、笠取小屋に着いた。小屋の前から大菩薩嶺が美しい姿を見せた。
 笠取山へ向かう樹林帯は、大菩薩嶺から丸川峠に抜ける道に似て、コケが多い。樹林帯を抜けると、急に展望が開け草地が広がる。
 かつて山火事に見舞われ、高木は燃えてしまい、その結果草地が広がるのだが、この景色は滝子山に似ている。
 ここには小さな峰があり分水嶺となり、富士川、荒川、多摩川に分かれ、市民に水を提供している。ほんの少し下ると、笠取山の山頂が見える。

 山頂まで直登であることは一目瞭然だ。あの斜面を登るか、と思うと気が重い。しかし、登ってみると、それほどでもなかった。

 後ろを振り返りながら見える景色は、辛い登りを緩和させてくれた。
 いよいよ山頂だ。初めにある「山頂」の道標は本当の山頂ではなく、その奥に本当の山頂が控える。大菩薩嶺、鶏冠山が見えるので、地図を見て山の位置を確認した。

 北側斜面にはシャクナゲの群落があり、この群落はしばらく続いている。見頃は過ぎたが、かろうじて間に合ったようだ。山頂で昼食を済ませ、水干に向かう。
 岩場を下り「水干」の看板。ここでキバナノコマノツメに出逢った。水干は雨が降ると水滴
が見えるようだが、この日は見えなかった。

 少し下ると、湧き水が現れ、流れを作り、渓流になる。水に恵まれた日本だからこその景観だ。この水があるからこそ、我々は豊かな生活ができると思うと、山の恵みに感謝の気持ちでいっぱいになる。

 砂漠の国では考えられない豊かさであり、水道の蛇口をひねると、水が当たり前に出ること
を今一度、簡単なことではないと、胸に刻みたい。

 ここからヤブ沢峠に出て、心地良い水の音に癒されながら、渓流沿いを歩き、元きた道に戻り作場平の駐車場に着いた。

 天気も良く多少の渋滞はあったものの、ほぼ完璧に予定をこなし、期待通りの笠取山の山行に感謝です! (森林インストラクター)


   ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№226から転載