登山家

コロナ禍の権現山(1312m)   佐治ひろみ       

日時…2021年4月1日 晴れ

• コース…猿橋駅8:18 → 浅川バス停8:50 ~ 浅川峠9:40 ~ 権現山11:10 ~ 雨降山12:35 ~ 初戸バス停14:30/14:54 → 上野原駅

• メンバー…佐治他4名

 久し振りの権現山山行に心は弾む。山頂から綺麗な富士山は眺められるだろうか?

 猿橋駅発8:18のバスに乗り、浅川バス停まで約30分。里山には山桜があちこちに咲いている。終点のバス停に着き身支度を整えて5人で出発した。
 今日は久々の千メートルを越える山、まずは浅川峠を目指してゼイゼイしながら登る。
 9:40 峠に着き、小休止をとる。

 ここから権現山へ行く道と、扇山へ行く道に分かれている。いつも権現山しか行かないが、今度は扇山方面にも行ってみたいものだ。
 休憩を終え歩き出すと、あちこちに鳥の声がする。綺麗な自然林の新緑の中で、きっと小鳥達も気持ちがいいのだろう。人間も同じ。
 権現山へのジグザグの急な登りに喘ぎながらも、心は何だかウキウキしてる。自粛生活の中でのたまの休みに、こうして山の中を歩き回れる幸せをしみじみと感じてしまう。

 山頂までの辛い登りもようやく終えると、尾根に出る。ここからは尾根伝いにもうひと頑張りだが、まわりの景色が開ける分やる気が出てくる。
 平日のせいか、すれ違う人はゼロ。山頂に着いても私達だけで、広々とお昼ご飯をいただく。
 あいにく富士山の方向だけ雲がかかっていた。だが、北側の笹尾根、東の坪山、南の扇山、これから行く雨降山等、素晴らし景色に、ご飯も一段と美味しく感じる。

 30分の休憩の後、雨降山に向かい出発すると、今日初の登山者に遭遇した。恰好からして、サイクリングの人? 少し下った祠の近くに、かっこいいマウンテンバイクが止めてあった。この山道をチャリで登るとは恐れ入る。

 尾根上に2つのピークを踏む。以前は名札など付いてなかったけれど、大窪沢ノ頭と次に鍋割沢ノ嶺を越えすみれの丘?を通り、雨降山の雨量観測施設に到着する。
 今日はここから初めての黒房尾根を通って下りるのだ。どんな道なのだろうと興味津々だったが、ほとんどが檜林の下り一直線である。
 こちら側から登るのは大変だろうと思ってしまう。

 ようやく里の家々の屋根が伐採地から見えるようになると、山の中腹には山桜が咲き、川が流れ、足元には小さな花が現れた。
 さらに下りバス停近くにはスイセン、色鮮やかな花桃、さくらが咲き乱れ、こんな山奥に桃源郷! と思わせるような景色に疲れも吹き飛んでしまった。
 最後にこんなステキなお花見ができて、本日の山行も大満足でした。


         ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報261から転載
 

コロナ禍の山行・宇都宮アルプス=佐藤京子

                                  
日時 : 2020年11月7日(土) 快晴

参加者 : L武部実 佐治ひろみ 宮本武 金子直美 佐藤京子
                         
集合 : 宇都宮駅 8時00分 集合
 
コース : 宇都宮駅 8:30のバス(日光方面行き) ~ 一里塚停留所下車 ~ 平成記念子どものもり公園内 冒険活動センター管理棟から山に入る 榛名山 ~ 男山(527m) ~ 本山(562m) ~ 飯盛山(501m) ~ 晴嵐峠~高舘山(477m) ~ 黒戸山 ~ 登山口 ~ 中徳次郎バス亭 ~ 宇都宮駅

 新幹線に乗ったのは今年になって初めてである。7時8分発。コロナのせいか普通車両はガラガラだ。宇都宮で下車した。西口歩道橋下からバスに乗り約30分で、一里塚バス停で下車する。

 少し歩くと、一里塚と書いた高い標識が立っている。船生街道入口交差点を左折した。約2キロで、「こどものもり公園」に入る。宿泊棟や炊事場もある大きな公園だ。
 木々の紅葉が私たちを迎えてくれた。遠足なのだろうか。小学校の名前を書いたバスが2台駐車している。


 冒険活動センター管理棟から榛名山を目指した。低山ながら、けっこう急登で岩場もある。きつい。ハアハアいって登っていると、子ども達の声が聞こえてくる。もう榛名山に登頂し、下山のようだ。
 聞くと市内の小学五年生だ。2校の長い列だった。軽々と下りてくる子どもたちがほとんどだが、恐々おしりをついて下りてくる子もいる。
「お弁当が楽しみだね。」
 なんて声をかけた。

 遥かに日光の山並みがくっきりと見える。男体山と女峰山だと、仲間が教えてくれた。メンバーではもう登った人が多い。
(私は、いつか登ることがあるかしら。)

 昼前に本山に到着する。待ちに待った昼食だ。朝が早かったので、お腹はペコペコだ。陽だまりの中、昼食を楽しむ。

 帰りは、急坂があるとは聞いていたがけっこうきつい。ロープを張ったところが何か所もある。このロープがなければ、もっときつかっただろうと話す。ロープをきちんと張ってくれた方々に心の中で感謝する。

 そういえばスーパーボランティアとして有名になった尾畠春夫さんが、今年、緑綬褒章を受章された事を思い出した。
 登山道の整備がボランティア活動の最初だそうだ。私にも何かできることはあるのだろうか。ゴミ拾いくらいか?

 時間が押してきたので兜山は省略した。バスに乗って宇都宮駅に戻り餃子屋さんを探す。「GO TO EAT」のせいか? 各店には行列ができている。空いている店を見つけて入る。
 宇都宮餃子とビールで静かに乾杯だ。


 当日の天気予報は、「曇り。夜は雨」だったが大外れ。温かい山歩きだった。
 晴れ男の武部氏と同行者に感謝する。Kさんが落とした上着を、すれ違いで登って行った若い男性が見つけてくれたようで、管理棟に届けてくれたことは、本当に嬉しい出来事だった。


    ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報256から転載

ヒストリー・福島安正の単騎アルタイ山脈越え 上村信太郎    

 明治維新から25年後、まだシベリア鉄道はなく、日清・日露の戦争が勃発以前、1人の日本人が世界を驚かせた快挙がある。それは、当時まだ誰も成し遂げなかった厳冬期シベリア横断を、同僚や従者を伴わずに馬で完全踏破して日本人の存在を世界に示したことだった。

 その人物は当時ベルリン駐在武官の福島安正陸軍少佐(40歳)で、任務を終えての帰国にあたり、あえて騎馬で陸路を走破したもの。赴任地ベルリン出発に先立ち、福島はドイツ皇帝ウィルヘルム二世に謁見している。

 明治25年2月11日、英国産の9歳牝馬「凱旋号」に跨って勇躍出発。ベルリンを発ちポーランドのワルシャワ、ロシアのサンクトペテルブルグ、モスクワ、カザン、エカテリンブルグ、オムスク、セミパラチンスクを経由し、ロシアと清国(中国)国境地帯の山脈を越え、モンゴルのウランバートルから北上してロシアへ入った。さらに、バイカル湖畔のイルクーツクに立ち寄り、東シベリアのチタを経て、旧満州(中国東北部)に入り、ハルビンを経て三度ロシア入り、ウラジオストクから「東京丸」に乗船。釜山で汽船に乗換えてスタート翌年の6月29日横浜に上陸して市民の盛大な歓迎を受けた。

 所要日数は488日。延べ走破距離およそ1万4千㌔メートルだった。


 馬によるこれだけの長期旅行を実行するくらいだから、福島は騎馬隊出身と思ってしまうが実は歩兵。乗馬訓練は「凱旋号」購入のあと猛特訓している。

 また、幾つもの国を通過するのにどの国の言葉を使ったのか気になるが心配無用。福島は中国語、英語、ドイツ語、フランス語が堪能で、ロシア語を習得中だったからだ。

 この長大な横断のために福島が携行した荷物は全部で40㌔グラムと驚くほど軽量。主な持ち物は下着、手袋、洗面具、医薬品、地図、製図用具、日時計、晴雨計、馬体手入具、予備の蹄鉄、人馬の予備食糧1日分、護身用として軍刀と拳銃。他に寝具用毛布1枚と外套を鞍の後部に括り付けた。

 最初の難関はウラル山脈越えだ。入山5日目の7月9日、山頂に建つ「欧亜境界碑」に到達した。二番目は、ロシア、新疆ウィグル、モンゴルの国境に連なるアルタイ山脈越えだ。ロシア人将校の助言によりキルギス人の案内人を雇う。

 山脈中の富士山に似た峰に「アルタイ小富士」と命名したスケッチを残している。9月20日、ロシア国境警備隊に見送られて麓の村を出発。山中で大吹雪に遭うもウランタバ峠を突破。国境を越えて9月24日にモンゴル側の遊牧民天幕に到着。アルタイ山脈踏破は日本人最初であった。

 三番目はバイカル湖の東に位置するヤブロノヴィ山脈越え。標高こそ低いが厳冬期のため気温は氷点下30度以下。1月14日この山脈の峠を越えた。その28日後、アムール河上流の凍結した氷上で落馬し、昏睡状態に陥る瀕死の重症を負うも、奇跡的に恢復して旅を続行。


「単騎シベリア横断」を実行した福島の動機は、欧州人が事あるごとに日本人ら東洋諸国を軽蔑した態度をとるのに反発し、それなら世界初の偉業を達成して彼らの鼻柱を折ってやろうと思ったのが真相らしい。

 冒険ブームの今、「冒険家・福島安正」をマスコミが取り上げないのはもったいないと思う。


 最後に、単騎シベリア横断の主役は馬だ。「凱旋号」の運命は哀れ途中で死亡。すぐ現地で次の馬を購入して「ウラル号」と命名。ウラル山脈を越えたがケガをしたため手放す。難所アルタイ山脈越え直前にロシア人の牧場で5歳の牡馬を入手し「アルタイ号」と名付けた。

 全行程で購入した馬は10頭。この内、「アルタイ号」など3頭は日本まで連れてこられ、最後は上野動物園で余生を送ることができたのだった。

   (白山書房『山の本』112号掲載文を短縮)

   ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№250から転載

いつもと違う夏・コロナ禍の陣馬山=市田淳子

 新型コロナ感染の収束が見えず、夏になってもいつもと違う生活を強いられている。withコロナの山行はどうあるべきなのか、自分自身に問いながら、8月22日、陣馬山から高尾山までを歩いた。

 山に行くことを考えるなら、まず、体力を維持しなければならない。今までなら夏山のためトレーニングをして山に臨んでいたが、春から自粛生活をしているのだから、トレーニングは他の形でできる限りしておかなければならない。
 そして、山では人との距離を持つ工夫が必要で、出会ったならマスクを着用して、自分も他人も守らなければならないと思ってきた。

 そんなことを念頭に8月22日、陣馬山から高尾山という縦走を実施した。最寄り駅から始発で高尾駅へ。高尾駅を降りると、さほど暑くはなく爽やかだとさえ思えた。

 しかし、高原下でバスを降りて登っていくにつれ、風はなく足どりが重くなった。足は鍛えていたが心肺機能は衰えたのだろう。

 ちょうど近くに1人で歩く女性がいて、「暑いですね。風がないですね。きついですね。」と話しながら、苦しいのは自分だけじゃないと言い聞かせて歩いた。いつもより単独行が多いような気がする。


 山頂近くになると、様々な秋の花が頑張れと言わんばかりに次から次へと現れた。キバナアキギリ、オミナエシ、オトコエシ、シラヤマギク、ススキ、キンミズヒキ・・・そんな花を見るだけでも吹いてもいない秋の風を感じられたような気がする。

 春から秋にかけて陣馬山頂付近には草原の花が多く見られ、私にとってはこれから始まる縦走の充電をする場所だ。


 しかし、先が長いからゆっくり楽しんでいるわけにはいかない。景信山までが飽きるほど長い。この日は高温で風がないため、特に長く感じた。小仏城山手前の階段まで行くと、もう少しだという気分になる。

 時計を見てもまだまだ余裕があり、最後まで行けそうだ。それにしても、すれ違う登山客やトレランを楽しむ人たちがほとんどマスクをしていないのには驚きだ。

 夏の奥高尾は高温でマスクは厳しいのはわかるが、私はマスクなしでは歩く気になれず、すれ違うたびにフェイスカバーを付けた。高尾山まで来ると、もう先が見えたようなもので、どのルートで降りようかと余裕も出てきた。

 そして、ついに高尾山口駅まで到着することができ、この日の目標を達成した。こんな山行がいつまで続くのか、これからはこうなるのか、先が見えない不安はあるが、自分なりに確立していく必要があると感じた。


  ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№253から転載

奥多摩・上高岩山(1010m)  武部実

 2020年9月5日(土) 晴れ

 参加メンバー : L武部実、佐治ひろみ、針谷孝司、佐藤京子、金子直美、藤田京子、他1人

 コース : 武蔵五日市駅からバス ~ 大岳鍾乳洞入口 ~ サルギ尾根 ~ 高岩山 ~ 上高岩山 ~ ロックガーデン ~ 御嶽ビジターセンター ~ ケーブルカー駅


 
 武蔵五日市駅のバス停は多くの乗客が並んでいた。ほとんどがトレランのいでたちで、これから大岳山まで練習に行くとのことだった。
 その多人数のせいもあってか、バスは臨時便がでて2台で出発する。ほとんどの乗客が大岳鍾乳洞入口で下車した。

 9:00出発。サルギ尾根の登山口は養沢神社の右奥にある。ところで、サルギ尾根とは面白い名前だ。
「戦後間もなく、昭和20年代の前半のこと。大岳沢に群れをなして棲んでいた猿が時々、この尾根に出てきた。山仕事に出かけた人々が見て、猿が出てくる尾根だから猿来尾根/サルギ尾根と言い習わしたという」(日本山岳会多摩支部HPより)

 登り初めから急登だ。
 30度超えの気温と相まって、汗でシャツからズボンまでビショビショでまるで服の上からシャワーを浴びたみたいな状態だ。一時間半ほどで、炭焼き窯跡になる。このあたりから高岩山の由来となった、と思う露岩がでてくる。

 11:20高岩山(920m)着。山頂は狭く見通しもあまりない。唯一見られたのが、これから登る上高岩山の赤い東屋の展望台である。目標物に向かってもう一息だ。

 12:10展望台着。大きな赤く塗られた東屋があって20~30人は入れそうだ。見晴らしは抜群で、近くの御岳山や日の出山はもとより、眼下の青梅市から西武ドームまで眺められることができた。

 昼食を摂って出発。展望台から上高岩の山頂までは10分ほどであった。
 12:55に着。標識があるだけで見通しはあまりない。

 ここから下って芥場峠からロックガーデンに行く予定だったのが、少々のミスで、地図の破線ルートに入り込んでしまった。
 こちらからでも問題はないが、登山路の確認がおろそかだった。岩場とクサリのコースは、あまりお勧めできないと事前に調べてきたのに、反省。

 14:15ロックガーデン着。ここで小休止。サルギ尾根で出会った登山者は上高岩山から下りて来た時にすれ違った6~7人のパーティーのみ。コースとしての人気度はイマイチなのを感じる。

 途中ビジターセンターに立ち寄り、ケーブルカー駅には16:10に着いたが、一車両後にしてレンゲショウマの観察に行く。
 8月6日に訪れた時と同じくらいの数が咲いていて良かった。とにかく暑く大変な山行だったが、また来てみたいなと思ってくれれば幸いである。

(上高岩山展望台東屋にて)
   ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№252から転載

【寄稿・山行】 奥多摩の山は招く、最も人気コースを登る = 佐藤京子

日 時  :  2019年9月22日(日) 晴れ

登る山 * 麻生山(794m)・日の出山(902m)

参加メンバー : L上村信太郎、宮本武、佐藤京子、他9人 

集合 : 武蔵五日市駅 

コース : つるつる温泉行バス乗車 「白岩滝」下車 ~ 白岩ノ滝 ~ 麻生山 ~ 日の出山 ~ (御岳山登山鉄道) ~ 御嶽駅



  前日まで雨だったので、天候が心配でしたが 良いお天気になりラッキーでした。


 白岩滝バス停を10時10分に出発。    

 白岩ノ滝バス停から川に沿って歩きます。水の流れの音と鳥の声に、何とも言えない心地よさを感じます。
 白岩ノ滝まで地図では、約30分とあります。歩いてすぐ滝が出現です。それも登りながら五つ位の滝があったかしら?

 どれがその滝なのか? 全部ふくめて白岩ノ滝というのでしょうか。

 私たちは、出発が遅かったので、先を急ぎます。残念ながら立ち止まって滝をゆっくり見ることはできませんでした。

  青年が一人、滝をじっと眺めている姿に
 (いいな、今度また来たい)
 と思いました。


 滝と川の流れに別れを告げ、麻生山を目指します。

 正午を過ぎてしまったので、麻生山の山腹でお弁当タイムとなりました。 参加者の一人の女性が突然、大麦の粉(はったいこ)を水で練り、バターを入れたお菓子を作りはじめました。
 麦こがしというのでしょうか。


 これは、昔、日本人の河口慧海という僧が、仏教の経典を持ち帰るために、初めてヒマラヤを単独で越えた時の食糧だそうです。
(もちろんバターなどはないですが)
 これは、リーダーの上村さんのサプライズ企画でした。


 麻生山の登りは急で、あまり整備もされていないので、荷物を置いて登りました。


 昼食後、日の出山に向けて出発です。

 このコースには、杉が植えられていて、よく手入れされているようです。日の出山の頂はとても眺めがよく、麻生山も頂上がとんがってかっこよく見えます。

 初日の出を見る人で、正月はにぎわうということです。また、この山に、「皇太子殿下浩宮様 平成24年御登頂」と記されたプレートがあることもリーダーが教えてくれました。


 帰りは、御岳山の御師集落を通り、御岳登山鉄道~青梅線御嶽岳駅のコースで帰りました。
 予定よりも遅くなったため、女性の大半は反省会に参加せず、そのまま帰りました。


 今回の登山でもそうですが 私は、連れて行かれるまま登ってきたので、これからは地図をもっと見ることが大事とつくづく思いました。

 つるつるの湯とセットで行くには、どういうコースを取ればいいか? 時期はいつがいいかなど考える楽しみを見出していきたいものです。


     ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№241から転載


                                                        

山梨県・都留アルプス(尾崎山968m)=関本誠一

1.期日 : 2020年1月22日(水)  晴れ時々曇り

2.参加メンバ : L関本誠一、栃金正一、武部実、開田守

3.コース : 都留市駅~金毘羅神社登山口~富士山展望台~蟻山~白木山~長安寺山
~天神山~(尾崎山分岐A)~尾崎山~(尾崎山分岐B)~古城山~東桂駅

 今回行くところは国内各地にある『なんちゃって…アルプス』の一つ。3年前に、地元山岳会と都留市が協力整備した標高500~600mの新しいハイキングコースだ。

 途中で、下山できるエスケープルートはいくつもあり、体力や時間に合わせて家族・初心者でも歩ける親切なコース設定になっている。


 富士急・都留市駅に集合8:45。

 登山口まで徒歩で、金毘羅神社に到着9:05。

 ここからいきなり急登が始まる。落ち葉で滑らないように、慎重に登る。急登が終ると、最初のピーク、富士山展望台に到着9:20。

 山頂にかかっていた雲も取れ、富士山を眺めることができた。

 ところどころに数日前に降った雪が残っている。発電所上部を通過して、尾根沿いに進む。蟻山、白木山、長安寺山と、小さなピークが続き、さらに少し下ったところにあるパノラマ展望台に到着した。

 富士山は雲に隠れて見えなくなってしまったが、三つ峠山が存在感たっぷりで屹立している。

 鍛冶屋坂の水道橋を通り過ぎ、天神山を過ぎと11:05。

 元坂の水道橋の先に友愛の森(学校林)にある東屋に到着11:20。

 ランチタイム(30分)をとった。そののち、千本桜植栽地を過ぎ、尾崎山分岐Aに到着12:25。

 都留アルプスはミツマタ群生地など、尾崎山の中腹をトラバース気味に設けられている。われわれは尾崎山山頂を経て、都留アルプスにもどるルートをとる。

 今までの登山道とは違って、荒々しいバリエーションルートで、残雪の急登が待っていた。軽アイゼンを装着して登る。だが、急すぎて滑る! 最低でも6本爪のアイゼンが必要だと痛感させられた。やがて、尾根に出たらなだらかな気持ちいい斜面になった。


 三等三角点がある尾崎山に到着13:55。


 下りは急斜面を慎重に下降し、尾崎山分岐Bに到着14:35。

 ここで都留アルプスに合流した。このさき整備された道を進み、最後の登り、住吉神社を祭ってある古城山に到着15:10。

 下山後は舗装路を東桂駅に到着15:40。


 後半は大変だったが、反省会で盛り上がった。


     ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№246から転載

中央線沿線・御前山づくし=武部実

山行日 : 2020年2月8日(土)  晴れ

参加メンバー : L武部実、栃金正一、佐治ひろみ、関本誠一、市田淳子、開田守

コース : 四方津駅~四方津御前山~西御前~コモアしおつ~大野貯水池~御春山~綱之上御前山~斧窪御前山~梁川駅


 御前山といえば、思い浮かべるのは、大岳山や三頭山、とともに奥多摩三山に数える、山容が大きく春にはカタクリの花で有名な山だ、とほとんどの人が言うに違いない。

 しかし、今回の御前山は、大月市と上野原市に7山もある同名の山のことである。そのうちの四方津駅から、梁川駅の北側にある4山を登ろうと計画を立てた。
 なぜ、狭い範囲にこんなに御前山があるのかは、少し調べてみたが不明であった。


 9:25 四方津駅を出発。

 国道を右折して、トンネルを抜けた先には「四方津御前山」の登山口の標識がある。山道に入ってすぐ、雑木林から草をかき分ける音がしたと思ったら、7~8m先に、猪が悠然と登山道を横断しているではないか。
 私たちに向かってこないか。猪のほうが立ち去って、ほっとする。

 10:03 四方津御前山(461m)着。

 山頂からは南の方向しか眺望はない。だが、道志の山々の先には、富士山の山頂部分がはっきりと眺められた。
 すこし休憩し、西御前(421m)に向かう。
 いま来た道を下り、10分ほどで着いた。ここからは西の方向が開けていて、これから行く「コモアしおつ」の家並みが眺められた。


 山道を下って、しばらくは道路歩きである。
 小きれいな住宅街の「コモアしおつ」を通りぬけて、大野貯水池に着いた。大野貯水池の周辺登山道として整備されている。この道を登ったところには東屋があり、貯水池のきれいな水を観ながらの昼食タイムとなった。


12:15出発。

 周辺登山道に沿って行くと、20分強で御春山(おはんなやま 463m)着いた。扇山、笹尾根等が眺められる、眺望の良い山であった。
 ここで下山すると、大野貯水池の周辺登山道を歩いたことになる。が、われわれは次の御前山をめざして反対方向に進む。40分ほど歩くと、今回のコース一番の急登となった。這いつくばって登るような感じで、キツイ。


13:42綱之上御前山(568m)着。

 ここからは、最初に登った四方津御前山や上野原市の街並みが眺められた。いったん下山し、線路沿いに歩いてガードをくぐったところに、お馴染みの大月市の標識がある。ところが、斧窪御前山の文字が消えかかっていて、目を近づけないと判別不明だ。


15:19斧窪御前山(523m)着。

 山頂には標識がなく、テレビのアンテナが林立しているだけで、見通しはあまりよくない。これで今回の御前山巡りは終了だ。
 この次は鶴島御前山と栃穴御前山を登れば、本当の御前山尽くしだ。

(四方津御前山の山頂)

     ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№246から転載

【寄稿・コラム】 ナイロンザイル事件はいつ解決したか=上村信太郎

 井上靖の『氷壁』を記憶されている人も少なくないと思う。

『氷壁』は発表前年に実際に起きた事件を題材にした作品である。小説が完結したあとも、事件の解決までに長い年月を要した。


 ナイロンザイル事件とは、昭和30年1月1日に、前穂高岳東壁を登攀中の岩稜会3人パーティのトップが約50㌢墜落して、簡単にザイルが切れ、三重大生の若山五朗氏が死亡、2人は翌日仲間に救助された。

 岩稜会パーティが使用していたのは、新しく購入した東京製綱製ナイロンザイル。従来の麻ザイルよりも何倍も強く、ショックにも耐えるとされていた。
 同じころ穂高で、1週間に3件の登攀中の墜落によるナイロンザイルの切断事故が起き死亡者もでていた。


 岩稜会では若山氏の実兄、石岡繁雄会長を中心に独自に実験を重ね、ナイロンザイルは引っ張る力には強いが岩角に対しては麻ザイルよりも弱いと判り、「ナイロンザイル欠陥の仮説」をマスメディアに発表した。
 これに対して、「ザイルの結び方を誤ったか、アイゼンでザイルを傷つけたのではないか」という反論も多かった。


 4月末、登山用具の権威とされる阪大、篠田軍治教授が「ザイル切断の公開実験」を愛知県蒲郡市の東京製綱で、ザイルメーカー、登山関係者、報道関係者を集めて実施。その結果ナイロンザイルは麻ザイルよりも何倍も強いとなった。

 実は篠田教授の公開実験では、ザイルが切れないように岩角(直角)の部分をあらかじめ丸く削っておき、実験に立ち会った人たちにそのことは一切説明せず、切れなかったと報道だけが独り歩きした。

 そこで、石岡氏ら岩稜会側は、それまでの経緯をまとめた『ナイロンザイル事件』(わら半紙に謄写版印刷310ページ)を発行して各方面へ配布。

 これを読んだ作家の井上靖が、事件に興味を持ち岩稜会から取材して、朝日新聞に『氷壁』を発表。連載後、単行本が出版されると、ベストセラーになり映画化もされた。


 この後も、石岡氏と篠田氏の主張は生涯平行線を貫いた。だが、昭和48年6月、ようやく「消費生活用製品安全法」が制定され、登山用ロープが同法の対象になる。

 昭和53年には、岩稜会がナイロンザイル事件解決等の功績により文部大臣表彰されたのだが、それにしてもなぜ、もっと早く事件が解決できなかったのか不思議でならない。石岡氏は草場の陰で何を思うだろうか…。
           『山の本』106号掲載文を縮小


      ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№240から転載

奥多摩・榧ノ木山(1485m)=武部実

平成29年10月11日(水)
 
参加メンバー:L武部実、針谷孝司、開田守

コース:峰谷橋~ノボリ尾根~榧ノ木山~榧ノ木尾根~倉戸山(1169m)~倉戸口バス停


 10:00、真っ赤に塗られた欄干の峰谷橋にあるバス停を出発。30分位歩けば、コンクリート階段の登山口があるはずだ、と探しながら舗装路を歩いた。
 階段は、道路と直角にあると思っていたが、実際は道路と並行に設置してあり見逃してしまう。峰谷まで行って気づき引き返す。30分位のロスタイムか。

 コンクリートの階段を登ったら、すぐに急登だ。
 足場は落ち葉等で軟らかいため踏ん張りがきかず、ずるずると後退しそうになることもしばしば。四つん這いになりながら必死に登ること約30分。まさに悪戦苦闘が続いた。
 このあとも急登はあったが、一番きつかったのは、やはり最初の登りだった。


 途中で昼食を摂り、登りを再開してすぐのところに、熊の引っ搔き跡のある木と糞を見かけたので熊鈴を取り出す。
 そういえば何年か前に、登山家のYさんが熊に襲われたのも、この近くだったはずだ。
 14:10に鷹ノ巣山と倉戸山の分岐に到着。ここが榧ノ木山のはずだ。ところがいくらさがしても山頂の標識が見つからない。三角点が無い山で、標識も粗末なブリキ缶に書いてあるだけなので、落ちてしまったのか不明だ。
 後で、このコースを通った人のブログを見たら同じように標識が見つからなかったとなっていた。とりあえず山頂に行ったということにして、時間もないので先を急ぐ。

 榧の木尾根は緩やかな下りのコースだが、ガスが出てきて見通しはあまり無く、道を間違いないように慎重に歩く。すると後ろからマウンテンバイクに乗った男性二人組が追い抜いていく。あっと思う間もなく、ガスの中に消えていくのだった。

 15:10倉戸山着。山頂は広々としているが、見通しは無い。マウンテンバイクの二人組に再会し尋ねたところ、鴨沢に車を置いて石尾根から倉戸口まで行くということだ。
 鴨沢の登りはキツイが、そこを過ぎればあとは降るだけだ。しかし岩場はないのだろうか。結構大変そう。当日会った登山客は結局この二人組のみ。

 15:20バイク組が出発し我々も出発。倉戸口バス停まで降るだけ。最初のロスタイムを取り戻すべく、バスの発着時間に遅れまいと必死だ。
 16:10バス停に到着。16:13発のバスにすれすれセーフだった。

 今回は多摩百山の2座を縦走した山行であったが、意外ときつくて大変な山であることがわかった。それと榧ノ木山の山頂が不明だったことが心残りであった。

  ハイキングサークル  「すにいかあ倶楽部」会報№223から転載