登山家

道志山塊のスケールの大きい御正体山 = 栃金正一

 御正体山、標高1681m

1.期日 : 2016年11月12日(土)晴れ

2.参加メンバ : L栃金正一、武部実、関本誠一、開田守

3.コース : 都留市駅(バス) ~ 道坂隧道入口 ~ 岩下の丸 ~ 御正体山 ~ 峰宮跡 ~ 三輪神社 ~ 熊井戸入口(バス) ~ 都留市駅

8:10に、都留市駅発のバスに乗車した。だんだん標高が高くなるにつれ、周囲の山々の紅葉が美しい。右手には、これから登る御正体山が見えてくる。
 道志山塊の最高峰だけあって、とても大きい。

8:40、バスの終点の道坂隧道入口に到着。

 準備をしてから出発。駐車場脇の道を登り道坂峠に出て、今熊山への道を分け、急坂を登り終わると、目の前が開けた。4等三角点のあるガンギ沢の頭には9:20に到着する。
 ここから道は平らな尾根歩きとなり、左側に丹沢山塊と道志の集落が見える。尾根歩きが終わり急な斜面を登ると、岩下ノ丸のピークに10:05に到着する。
 緩い下りの尾根道をしばらく行くと、道志村の白井平からの分岐に出る。ここからは、ブナ林のなかの急な長い登りになる。八合目あたりを過ぎると、一旦は傾斜が緩み、その後の急坂を登り終わると、ぽっかりと空が開けた1等三角点のある御正体山頂に、11:55に到着する。

 山頂は広々としているが、周りは木々で囲まれており、展望はない。小さな御正体権現の祠があり、皇太子殿下の登頂の記念プレートも設置されている。


 ここで、記念写真を撮り、ベンチに座り待ち遠しかった昼食にする。

12:25、山頂を出発する。山頂から北に向かって、ブナやミズナラ等の樹林帯の道を下って行くと、小さな石の祠と石灯篭がある峰宮跡に12:50に到着する。

 さらに少し行くと、池の平方面との分岐に出る。この分岐を右に行き、三輪神社方面と続く尾根を下る。
 道は急で、昨日の雨で落ち葉が濡れていて、滑り易く慎重に下る。しばらく下ると、尾根の幅が広くなり、道が緩やかになる。
 日が当って美しいブナ等の赤や黄色の紅葉を眺めながら行くと、目の前が開け、治山工事の作業道路に出る。

 並行して登山道があるはずだが、入口がわからないため、作業道を行くことにした。作業道は歩き易く、予定より約1時間も早く、三輪神社に到着した。
 バスの時間があるので、先の熊井戸入口のバス停まで歩くことにした。途中、後ろを振り返ると、日に当たった御正体山が堂々と大きく見える。

15:30の熊井戸入口のバスに乗車し、15:45に都留市駅に到着した。

 天気に恵まれ、美しい紅葉も見られ、道志山塊のスケールの大きい山を堪能できた山行でした。


ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№211から転載

バカ尾根に登る、なぜ、バカ尾根というのか。行けば、わかる=塔ノ岳

「こんかいはバカ尾根です」

 なぜ、選りによって、リーダーはこんな山を選んだのか。  

 ふだんのストレス解消だという。

 バカ尾根の象徴である丸太階段をひたすら登っていく。

 これって、ストレス解消になるの?

 歩きづらさから、余計、ストレスがたまるのじゃないの。

 丸太の階段が、自然保護になると、信じている人がいる。

 この丸太を数万段も作るのに、ヘリで運び上げる。ヘリのガソリンは化石燃料を燃やす。

 環境保護のために環境によくないといい、人力とかで担ぎ上げる。

 なぜ、自然のままの地べたの登山道が、丹沢では悪者になるのだろうか。

 そんなことを考えながら、ただ足元を見て登る。

 ふり向けば、相模湾の美景があるのに、
 
 それらの景色にはお尻を向け、男ばかり6人が必至こいて登る。


 山桜がある。

 せめて、足を止めようよ。
 
 丸太階段ばかり、眺めていないで。


 やたら階段を登りつめると、丹沢山塊の塔ノ岳(とうのだけ)は標高1,491 mである。

 大倉なる登山口から、標高差1100メートルは、半端な体力じゃ登れない。

 だけど、4歳児を連れてきて、登らせる親がいるんだよね。
 

 もはや話題は山じゃない。

 温泉地は何処にあるか。

 これがメインとなれば、はやくビールが飲みたいね、となる

 心は山に非ず。


 下山道は、林道を予定していたが、リーダーの予想、いや予定を裏切って、通行止めだった。

 俳諧の心があれば、山桜の和歌でも詠えるのにな。

 そんな情感などわかない。

 そういえば、かつて丹沢の環境保護団体が、『シカのために森を大切に守ろう』と声高に叫んでいた。

 挙句の果てには、シカが野草の花を一本残らず、食べつくしてしまった。

 下山のさなかも、水を補給し、周囲をみわたす。

  視野のなかには山桜以外、花など皆無だった。『山に花がない』、これって、自然なの、それとも不自然なの。

見事に、シカに裏切られた環境保護団体の無責任さが、『馬鹿(バカ)尾根』のことばで象徴されている。

『保護』とかいう響きのよいことばが、曲者だ。善行だと酔っている。尤(もっと)もらしい、へ理屈並べ立てるのは、行政が大好きな見識者といわれる学者なんだよね。

 
 そもそも、日本人が日本オオカミを撲滅させたから、日本じゅうでシカとイノシシに山野が荒らされている。

 ここは外国から、オオカミを輸入して野に放ったら、解決する。


 こんなことを提案すれば、「自然の生態系」を破壊する、と学者は目くじらを立てて大反対するだろうな。八ヶ岳も、南アルプスも、高山植物は一本もない。いよいよ北アルプスも……。

 もう破壊尽くされているのに、まちがいなく外来種に生態系を狂わせると主張するだろう。

 このところ、シカから丹沢山塊の植物を守るといい、周辺には紛争国の国境のごとく大フェンス網をやみくもに作りはじめている。
 税金から払われているのかな。募金活動はしていなかったし。
  

 丹沢大倉尾根は、丸太階段とフェンス囲いのなかで、脱都会派の老若男女が、ひとことも文句もいわずに登り、そして下っていく。
 バカ尾根といわれる由縁(ゆえん)である。
 

深田久弥終焉の山・茅ヶ岳(1,704m) = 関本 誠一

日時:2016年10月15日(土)  晴れ

メンバー:L関本誠一、栃金正一、岩渕美枝子   (3名)

コース : 深田公園入口 ~ 女岩 ~ (深田久弥終焉の地) ~ 茅ヶ岳 ~ 金ヶ岳 ~ 茅ヶ岳登山口BS


  今回計画した茅ヶ岳は今夏(6/28)に日本百名山完登に恵まれた筆者にとって、どうしても今年中に行きたかった山である。

 だが、周りに魅力的な山が沢山あり、『偽八』と不名誉な呼び方もされている不遇な山の一つだ。それでも、登山中に亡くなられた山…深田久弥氏終焉の地を訪ねたかった思いからだ。


 韮崎駅に集合(7:40)。15:50発のバス30分ほどで、深田公園入口に到着。そこは駐車場になっており、マイカーで来ている人たちが沢山いる。

 準備後、駐車場を出発(8:30)。歩いて5分位の所に氏を偲んで作られた記念公園がある。
 質素な佇まいだが、氏の筆跡による『百の頂に、百の喜びあり』が刻まれた石碑がひと際目立つように建っている。

 ここから両側自然林の明るい登山道を緩やかに登ってゆき、女岩到着(10:40)。
 崩壊の恐れがあるため女岩は現在立ち入り禁止になっており直接見ることはできないが、ここで5分ほど休憩。
 ここから傾斜がきつくなるが登ること30分、尾根に出たところに小さな石碑が建っている。この石碑の場所が終焉の地とのことだが、座って休んでいるときに亡くなったとのこと。…あまり景色も良くない山頂直下で休憩とは、よっぽど体調が悪かったと思いながら掌をあわす。
 石碑の裏側には亡くなられた時刻も刻まれていた。

 このあと山頂に向かうが、15分ほどで茅ヶ岳山頂だ(11:40)。

 当日快晴もあって山頂からの眺めは、富士山を始め南ア、奥秩父、八ヶ岳と360°素晴らしい景色。昼食後も眺望を充分堪能し尽くし、結局は1時間近く贅沢な時を過ごす。

 山頂からは一旦急斜面を100mほど下って、そこから登り返すこと150m。…本コース一番きついところだ。
 到着したのが、無名のピーク。ここから緩やかにアップダウン15分で金ヶ岳に到着(13:25)。振り返ると茅ヶ岳~富士山が一直線に見える以外は木々に囲まれて展望はあまりよくない。

 小休止のち、山頂直下のかなり急な斜面はロープを使いながらの下りを過ぎれば、あと快適な登山道。明野ふれあいの里まで下りてくれば、登山道は終りだ。
 あとは、宇宙線観測所等の施設を横目に見ながら、ひたすら舗装路を下りバス停到着したのが15:30。
 バスに十数分間に合わずタクシーで韮崎駅に向かう(16:30)。

 駅前に居酒屋があったが、16:38発のホリディ快速に乗り込む、車内でささやかな反省会を行いながら帰宅の途につく。お疲れ様でした。


《日本百名山を終えて…》

 55年前、大菩薩嶺が最初の登山…日本百名山は筆者にとって登山人生そのものになった。

 当初、気ままな山行を繰り返していたが、20年後転機が訪れる。…、八ヶ岳(24座目)山頂小屋で同年代登山者との出会いを機にピークハンターとなる。

 だが、80座で頓挫し諦めかけていたが、当倶楽部入会にあたりリベンジ。今夏7年目にして達成する。応援してくれた山仲間に感謝の気持ちで一杯だ。
 今後は身の丈あった登山を楽しみたいと思ってます。


       ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№209から転載

登山中の落し物が多発 奥多摩・雷電山(494m)= 武部 実

平成29年1月17日(火) 

参加メンバー : L武部実、渡辺典子、岩淵美枝子、中野清子、開田守の計5人

コース : 軍畑駅 ~ 榎峠 ~ 雷電山 ~ 辛垣山(457m) ~ 三方山(454m) ~ 青梅丘陵ハイキングコース ~ 梅岩寺 ~ 青梅駅


 ここ数日来の大寒波襲来で心配していたが、朝晩の冷え込みはあるものの、当日は晴れて風もなく、穏やかなハイキング日和であった。

 9:50 軍畑駅を出発。榎峠に向かう道路脇に定期券入りカードの落とし物を発見。まだ一か月以上の有効期限がある。
  さぞかし本人は残念がっていることだろう。駅名から判断するに地元の人でなく、高水三山か雷電山かのハイキングにきた人にまちがいなさそうだ(青梅駅前交番に届ける)。

 ところで登山中の拾得物は意外と多い。帽子、小型の三脚、テルモスそしてデジカメ(交番に届け出)までも。みなさん気を付けましょう!

 10:17榎峠着。ここが登山口だ。
 杉林の中の階段を登っていくこと約35分で雷電山に到着する。

 山頂は北方方面が開かれている、何の変哲もない山だが、山名の由来が面白い。

 むかし、付近一帯が干ばつに見舞われたときに、雨乞いをこの山でおこなったところ、稲光とともに大雨が降ってきたということだそうだ。
 関東での雨乞いは大山が有名だが、ここにもあったのですね。

 11:23 二番目の辛垣山(からかいやま)に到着。山頂からは見通しは無く、戦国時代の山城跡であるが、石灰石の採掘により面影はほとんど無い。
  三方山に行く途中にこのコース唯一の日当たりのいい場所があり昼食を摂るが、我々の来る前にツアーの団体さんもここで昼食にしていた。
  皆さんいい場所をご存じなのですね。


 12:44三方山着。ここも山頂からの見晴らしはないが、少し降りたところがビューポイントだ。
 筑波山、新宿高層ビル群、そしてスカイツリーまで眺めることができた。このコースは東屋が設置してある休憩所が4か所もあり、整備されているのが良くわかる。

 最終目的地の青梅駅には鉄道公園から行く予定であったが、途中に石碑が多く設置してある場所があり、ここが梅岩寺に降る道であることが判明(地図には載ってない)。

 14:38 梅岩寺着。この寺の有名なのは2本の大きなしだれ桜。関東でも有数の名桜と説明板に書かれているほど立派だ。
 4月中旬に咲くが、このほかにもソメイヨシノやミツバツツジ、そしてカタクリの花も見られるのでぜひ青梅に来てはいかがでしょうか。
 

ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№210から転載 

話題にはこと欠かない、真鶴半島自然観察&ハイク =  市田淳子 

日時:2017年3月18日(土)JR真鶴駅9:00集合


メンバー:L市田淳子 渡辺典子、栃金正一、中野清子、開田守

 コース : JR真鶴 ~ 真鶴港 ~ 貴船神社 ~ 灯明山 ~ 森林浴 ~ 遊歩道 ~ 番場浦遊歩道 ~ 潮騒遊歩道 ~ 三ツ石海岸(昼食) ~ ケープ真鶴 ~ 御林遊歩道 ~ 中川 ~ 一政美術館 ~ 岬入り口 ~ 真鶴港近く(反省会) ~ JR真鶴駅


 真鶴は話題に事欠かない場所だ。

 石材業は漁業と並ぶ産業で、「小松石」は江戸城の石垣にも使われた。所々に見られる歌碑も小松石なのだろうか。
 歴史的にも面白い場所のようだが、今日の主役は海と山。真鶴駅から海を眺めながら下って行くと、真鶴港に着く。

 カモメたちが集まりイソヒヨドリの美しい声が聞こえ、山行とは違う趣だ。海の反対側に貴船神社がある。この日一番の難所と言ってもいい急な階段を登ると、本殿が現れ周囲にはサクラが咲いていた。

 海の神様を祀った神社で、漁の無事と豊漁を祈る。貴船神社をあとにして、港の岸壁に整備されている遊歩道を歩く。釣りをする人、岩場で遊ぶ親子、海をぼーっと眺める人、犬と散歩する人…山と同じように海は人々を魅了する。


 港の橋まで行くと、真鶴半島がだんだん大きくなって来て、いよいよ御林に向かって歩く。アスファルトの車道は車で岬に行く人たちのためだが、できれば土の道が欲しい。

 少し歩くと山道の入口があり、やっと土を踏みながら歩ける。地元の人たちは、海に恵みをくれる森を「御林」と呼んで大切にしてきた。
 その御林は「魚つき保安林」として保護されている。

「木々の枝から海面に落ちる虫を求めて魚が集まる」

「樹木の影を魚が好む」

「森から海に注がれる栄養豊富な地下水に、魚が好むプランクトンが集まる」

 などの諸説があるようだが、どれも本当に思える。

 御林には巨木が多く、5人で手を繋いでやっと木の周囲を囲むことができるようなものがたくさんあった。クスノキ、スダジイ、アカマツ、クロマツといった照葉樹の森で、奥多摩や丹沢の山々と違い鬱蒼としている。
 半島にしっかり根を張って強い潮風を受けながら、何百年もの月日を過ごしてきたのだろう。


 暫く歩くと道は下り坂になる。
 三ツ石海岸が近い。潮騒の音、潮風、明るい太陽の光、海岸の植物、山から海に到着。海抜4mの海岸で昼食にした。上空を時折トビが飛翔するが、トビの食事は自然食にしてもらおう。


 昼食後はケープ真鶴に登り、再び御林を歩いて中川一政美術館へ向かった。
 御林の片隅にひっそりと佇む美術館。97歳で亡くなるまで、描く欲望を捨てなかった中川一政氏の人生と作品を始めて知って圧倒された。

 自然ばかりでなく同時に芸術にも触れることができたことは本当に贅沢なことだ。さらに贅沢なのは、港の近くにある定食屋さんで、地元の魚をお腹いっぱいいただいたことだ。

 アジが有名で、アジのたたき、豆アジのフライ、そして、たたきに使ったアジの頭と骨を揚げてもらった。こうして、山、海、芸術、味覚の四つを楽しんだ贅沢な一日だった。(森林インストラクター)

 ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№210から転載

《日本百名山の達成》 その想いを語る = 関本 誠一

 55年前、大菩薩嶺が最初の登山…日本百名山は筆者にとって登山人生そのものになった。

 当初、気ままな山行を繰り返していたが、20年後転機が訪れる。…、八ヶ岳(24座目)山頂小屋で同年代登山者との出会いを機にピークハンターとなる。


 だが、80座で頓挫し諦めかけていたが、当倶楽部入会にあたりリベンジ。今夏7年目にして達成する。応援してくれた山仲間に感謝の気持ちで一杯だ。


 阿寒と知床連山の中間にそびえる斜里岳は知名度低く目立たないが独立峰なので、近づくにつれ徐々に大きくなるその姿に一種の感動を覚える。

 見晴らしの滝、七重の滝、霊華の滝、竜神の滝と続き、やがて傾斜が緩くなり流れがみえなくなると新道と旧道が合流する上二股だ。

 沢沿いに進む旧道は次から次へと現れる滝を楽しんでいくと、自然に高度を稼いでくれて疲れを感じさせないが、ところどころ滑りやすくとても危険だ。

         【作品から一節】


 今後は身の丈あった登山を楽しみたいと思ってます。


       ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№209から転載

霧のなかで硫黄が鼻を突く、 那須三山 = 松村幸信

平成25年10月7日(月)~8日(火) 二日間とも晴れのち曇り

参加メンバー : L石村、武部、野上、市田、中野、松村

ルート:

【一日目】  那須塩原駅 ~ 那須ロープウェイ ~ 茶臼岳 ~ 硫黄鉱山跡 ~ 牛ヶ首(姥ヶ坂) ~ 姥ヶ平・ひょうたん池~姥ヶ平下~沼原分岐~三斗小屋温泉

【二日目】 三斗小屋温泉~大峠~三本槍岳~熊見曽根~朝日岳~峰の茶屋跡~
    那須ロープウェイ山麓駅~鹿の湯~那須塩原駅        



 今秋は、台風が次々と襲来し、雨が多く天候が安定せず、出発の間際までやきもきしていた。

【一日目】

 8:12に到着の東北新幹線で、三々五々と那須塩原駅に集合した。駅前から、8:30発の那須ロープウェイゆきバスに乗車する。車内で購入できるフリーパス券は、2日間は何回でも、乗り降りできて往復料金よりも安く実にお得だった。

 9:45、山麓駅に到着するや否やロープウェイに飛び乗る。
 紅葉時期にはまだ早いと思っていたが、ロープウェイから見える鬼面山は、見事に色づいていて、他の乗客から歓声があがる。

 4分で、頂上駅に到着する。準備をして、茶臼岳を目指し、歩き出す。だが、ガスが掛かり見晴らしはよくない。
 風に乗って、硫黄の臭いが鼻を突く。
 10:45 茶臼岳の山頂に到着した。眺望もなく、集合写真を撮ると、直ぐ先に進む。ガスに巻かれ方向を見失い、お鉢の回りをうろうろ。

 11:35 硫黄鉱山跡分岐に着いた時には、ガスも晴れ、姥ヶ平の鮮やかな紅葉が、目に飛び込んでくる。

 11:41 お腹も空き、山道脇に腰を下ろし、眼下の紅葉を楽しみながらの昼食である。12:36 姥ヶ平、ひょうたん池に写る逆さ茶臼岳と紅葉は見事だった。
 紅葉を思う存分満喫し、今晩の宿である三斗小屋温泉に向かう。

 14:48 煙草屋旅館に到着した。楽しみにしていた露天風呂は基本混浴だが、15時から17時の間は女性専用のため、残念ながら男性陣は内風呂へ。

 16:30 夕食をとり、21:00 消灯。

【二日目】

 4時過ぎに目を覚まし、暗闇の中を露天風呂に向かう。ひとり満天の星を見ながら、静かにゆっくりとお湯を楽しむ。
 夜が白み始めると、次々と人が入ってきて、あっという間に芋洗い状態となる。

 東側に山を背にしているので、日の出が見えないのが残念である。

 6:30朝食をとり、7:05に出発、天気は晴れ。大峠までの間に、三回の渡渉があり台風による増水もなく、全員が無事に渡り9:00に大峠に到着した。

 ここからは尾根道で木立も無くなり、日差しが強く、肌を突き刺す。

 11:14 くたくたになりながらも、三本槍岳に到着し、やっと昼食を摂る。ここまで、予定時間より大幅に遅れる。
 三本槍岳から清水平へ下り、登り返すと、茶臼岳が目の前に現れ、終点がみえたことでほっとする。那須三山の最後の朝日岳に13:19に登頂した。
 バスの時間に間に合うよう、急ぎ下山していく。バス発車時刻の5分前の、14:50に山麓駅バス停に到着する。那須湯本で、途中下車し、硫黄泉質の鹿の湯で汗を流す。
 さっぱりしたところで、再びバスに乗車、17:10に那須塩原駅に到着。今回は天候にも恵まれ紅葉と温泉を存分に堪能した山行でした。


 ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№173から転載

秩父宮殿下のマッターホルン登頂=上村信太郎

 スイスとイタリアの国境に優美な山容でそそり立つ名峰のなかの名峰マッターホルン(標高4476m)は、世界中の登山者を引きつけてやまない。

 この名峰に、アルプスの日本人登山者はまだ数えるほど少なかった大正15年に、昭和天皇の弟宮、秩父宮雍仁(やすひと)殿下が登頂に成功されたことはあまり知られていない。宮様24歳。若き日の英国留学中の山旅であった。


 では、宮様のアルプス登山はどのように実現されたのであろうか。まず英国最高峰のベン・ネヴィス(標高1344m)登頂後、念願のマッターホルン登攀計画を日本に打診した。すると宮内庁は「とんでもない。けがでもしたら誰が責任をとる! 」と猛反対。断念を強く説得されるも、宮様の意思は固かった。
 結局、アルプス登山実施が決まり、準備が進められた。

 肝心の宮様の案内役は、すでに宮様と山スキーの経験があった槇有恒に決定。槇は、すでに11年前に英国に帰国していたウォルター・ウェストンに助言を求めた。同行する人たちは松方三郎、松本重治、渡辺八郎の各氏で、彼らは準備のために一足先にスイスに入った。

 8月12日、宮様が登山基地のグリンデルワルドに到着。ウェストンらの出迎えを受けた。同時期、スイスには細川護立侯爵(細川護熙首相の祖父)、浦松佐美太郎(後にウィンパーの『アルプス登攀記』翻訳)、麻生武治(後に日本初の冬期オリンピック選手)、東京朝日新聞の特派記者藤木九三などが駆け付けた。

 一行はトレーニングを兼ねて周辺のいくつかの山々を登攀後、ツェルマットへ移動。8月31日、朝3時に山小屋を出発。マッターホルンの頂をめざす。宮様と槇の前後はスイス人ガイドが付いた。6時40分ソルベイ小屋着。8時15分イタリア側頂上着。ここで宮様から少量のブランディが振る舞われた。30分後、イタリア側へ下山開始。シュワツゼー・ホテル着は深夜になっていた。

 宮様とウェストンの親交は、じつはこのアルプス登山のみではなかった。同年5月、ウェストンは宮様から午餐に招かれていた。さらに昭和12年には、国王ジョージ五世の戴冠式参列のため渡英した宮様に招かれた他、アルパイン・クラブ(英国山岳会)の総会に出席された宮様をエスコートしている。


 アルプス登攀後の宮様は穂高岳、槍ヶ岳、小槍を登攀され、その後もアルパイン・クラブの会報に山の紀行文を寄稿されるなど、終生、山への関心を持たれた。
 宮様がアルプス登山の際に使用されたピッケル、ザイル、登山靴などの記念の品々は、昭和34年に開設された東京・国立競技場内の「秩父宮記念スポーツ博物館」に一般公開されている。

ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№57から転載


     写真:Google写真フリーより 

三浦アルプス(二子山)立派な一等三角点、横須賀~横浜まで一望=武部実

 山行日 : 平成28年10月12日(水) 

 参加メンバー : L武部、中野、開田、武部弟の計4人

 コース : 逗子駅 ~ 長柄交差点 ~ 川久保 ~ ゲート ~ 二子山 ~ 阿部倉山の裾 ~ 川久保


 逗子駅から長柄交差点までは、バスで5~6分である。国道311号を東に向かって15分ほど歩くと川久保交差点。その横断歩道を渡り、5分で「葉山にこにこ保育園」入口の看板が見えてくる。
 道路を少し歩くと、保育園児たちのにぎやかな声が聞こえてきた。

 10:04、ゲートに着く。ここから車や自転車は通行止め。ゲートを潜り抜けると、ようやく山道らしい雰囲気だ。森戸川林道である。左岸には森戸川が流れる。樹木が濃いので、日差しがさえぎられて意外と涼しい。気持のいい林道だ。

 この辺から山頂まで、小鳥のさえずりが盛んだ。大きい鳴き声から、可愛らしい小さな鳴き声まで、何種類もの声を聴いたことだろう。だが、残念ながら、小鳥音痴の私にとっては、名前がわからず無念である。
 山頂の直下には「この森で見られる野鳥」の看板があり、15種類の小鳥が描かれている。今度行ったとき時に、確認してはどうですか。

 三浦半島中央道路の下を通り、15分ほど歩いたところが、林道の終点だった。(10:46着)。ちょっとした空き地になってベンチがあり、小休憩する。ここは分岐になっていて、東方向は中尾根を歩いて乳頭山に、北側は森戸川沿いに二子山に行くことになる。

 二子山コースには「マムシ注意」の看板があってドッキリさせられたが、ここから渡渉が始まる。小さい川なので、水量はもちろん少ないが、滑れば相当なケガはまぬかれないだろう。慎重に歩を進める。5~6ヶ所ほど渡渉し、この間にはトラロープが張ってある登りもあって、なかなかのバリエーションぽいルートだ。

 東逗子駅との合流点を過ぎれば、山頂はすぐそこだ。標高は低いが、立派な一等三角点の楚石を確認し、木材で組み立てられた展望台に登れば、眼下の横須賀はもとより横浜まで一望できる。見通しが良ければ、スカイツリーまで眺められるようだ。

 12:10 阿部倉山(161m)を目指して出発。樹林帯の中を小さなアップダウンがいくつも繰り返して歩く。なぜか一か所だけに、大きな50弁ほどの花をつけたトリカブトが咲いていた。もう、そろそろ阿部倉山に着くはずだが、一向に目的の山に着かず、とうとう川久保の登山口まで着いてしまう。
 どうやら阿部倉山を巻いてしまったようだ。これから登る、という地元の人に話を聞くと、わかりにくい場所らしい。それに阿部倉山は見通しも良くないと言われて、まあしょうがないかと納得した。
 13:10という早い時間に下山したので、帰りは逗子駅までのんびりと歩く。

     ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№208から転載

標高2,415mから海岸Om 北アルプス北端・栂海新道縦走=栃金正一

1.期日 : 2016年7月26日(火)~29日(金)3泊4日

2.参加メンバ : L佐治 関本 藪亀 栃金

3.コース : 7/26日 移動日 平岩駅(バス)~白馬岳蓮華温泉ロッジ

7/27日 白馬岳蓮華温泉ロッジ ~ 白高地沢 ~ 花園三角点 ~ 吹上のコル ~ 朝日岳 ~ 朝日小屋

7/28日 朝日小屋 ~ 朝日岳 ~ 吹上のコル ~ 長栂山 ~ 黒岩山 ~ サワガニ山 ~ 犬ケ岳 ~ 栂海山荘

7/29日 栂海山荘 ~ 菊石山 ~ 下駒岳 ~ 白鳥山 ~ 尻高山 ~ 入道山 ~ 親不知海岸

【7/26】 今日は移動日で、平岩駅からバスに乗る。白馬岳の蓮華温泉ロッジに着くころは、雨が降ってきて、明日の山行が気にかかる。


【7/27】 早朝5:00の出発時には、ほぼ雨は上がっていた。

 ロッジ前のキャンプ場への道を進むと、整備された木道に出る。滑り易い木道を慎重に下り、いくつかの湿原を抜けると、大きな白高地沢の河原に出る。
 河原で休憩し、急斜面をグングン高度あげながら登ると、視界が開け、色とりどりのお花畑のなかに花園三角点を確認する。

 ここの水場で早目の昼食をとる。ここからは、五輪尾根を一気に登り、山腹をトラバース気味に行くと、栂海新道の分岐である吹上のコルに到着。休憩の後は、広い歩きやすい斜面をジグザグに登って行く。

 13:30、朝日岳に到着する。山頂は広々していて、展望指示盤がある。記念写真を撮り、朝日小屋に向かう。
 広い平原のなかに建つ赤い三角屋根の、朝日小屋には14:20に到着した。


【7/28】 朝日小屋の豪華な食事をいただき、朝日を浴びながら、5:30に元気に出発する。6:30、朝日岳山頂に到着した。白馬岳、雪倉岳、剣岳・立山連峰が良く見える。

 7:00、吹上のコルに到着。ここからいよいよ長い栂海新道に入る。シラビソの林を抜けると木道になり、照葉の池があり、周りはキスゲ等のお花畑になっており、とにかく美しい。

 道は登りになり、途中ですこし道をそれ、長栂山に立ち寄る。アヤメ平の小さな雪渓を越えると、広々とした黒岩平の平原に出る。
 ここで冷たい水を補給し、急斜面を登ると、黒岩山に到着。ここからは登り、下りの多い稜線を行く。サワガニ山を登り、北俣の水場で水を補給し、さらに犬ケ岳を登り、14:20、栂海山荘に到着する。

自炊だが寝具もあり、ゆっくりと寝られた。


【7/29】 早朝5:00に出発する。途中、黄蓮の水場で水を補給し、菊石山を過ぎ、急登の下駒岳を登り、小屋の建つ白鳥山に到着する。

 ここからは下りとなり、標高が低く、とにかく暑い。最後の水場となるシキ割の水場で、水を補給し、尻高山を経て、最後のピークである入道山を登る。

栂海新道の入口のある国道8号には、14:20に到着。さらにここから海岸を目指し、階段を下り、目標の日本海海抜0メートルの親不知海岸に、15:00に到着した。


 朝日岳から親不知海岸まで下る、お花畑でいっぱいの長大な尾根歩きを全員が無事に、縦走できた。天気にも恵まれ、思い出に残る山行となりました。


    ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№206から転載