かつしかPPクラブ

穂高健一先生の出版記念会に、かつしかPPクラブの会員とOBも参加

 年に4回ほど行われる作品発表の例会で、いつも的確なアドバイスをしていただく、講師である穂高健一先生の出版記念会が、立石の居酒屋「あおば」で開催され、かつしかPPクラブの会員やOBも、多くが参加をさせていただきました。

 折しも葛飾図書館では、私たちやOBの制作した小冊子が一般公開されていますが、開催されたのはちょうど中日に当たる、6月15日のハナキン(死語でしょうか?)です。

 午後6時からはじまった即席の会場には、あふれるばかりの来客が、日頃お世話になっている穂高先生を囲み、酒を酌み交わしています。

 まず驚いたのは、日本ペンクラブ会長の吉岡忍先生や、会の発起人である出久根達郎先生、
それに、元朝日新聞論説委員の轡田(くつわだ)隆史先生をはじめとした、そうそうたる顔ぶれでした。

 また、出版に尽力された西元社長や渡辺社長、それに大日本印刷のご担当の方など、普段お忙しい来賓もところ狭しと席を埋め、積極的に先生と話されておられました。


 強烈な個性と豊富な見識に圧倒されてしまい、カメラを持つ手も震えてしまいます。私たちはまるで借りてきた子ネコのごとく、酒場の片隅に固まって呑んでいました。


 すると見かねた穂高先生が、例会のようにやさしく接していただき、あたたかい声を掛けてくださいます。

「きょうは出版記念に名を借りた、単なる飲み会ですよ。楽しく過ごすために、わけ隔てなく席を囲みましょう」

 私たちはほっと胸をなで下ろし、お酒の力を借りて緊張も和らぎ、取材とおなじ気分で来客と接していきます。

 ベテランの文筆家が、芥川龍之介や川端康成のこぼれ話を、わかりやすく解説してくださいます。
 とても高名な作家さんが、若いころ日本や世界を放浪したときの、恋や酒の話に花を咲かせます。気さくなある先生も、明治や大正に活躍した、名もなき庶民の武勇伝を聞かせてくださいました。

 そんな盛りあがる宴席でOBの斉藤さんが、手作りの水ようかんケーキ(あっているかな?)を差し入れてくださると、海千山千の先生方も頬をゆるめ、われ先にと指を伸ばし、なかには両手を使ってほお張るツワモノも現れました。

 穂高先生もそうですが、著名な作家の皆さんって、紳士と少年が体に同居しておられるのですね。(失礼しました!)

 そして酒宴のピークは、吉岡忍先生がお声を掛けられ、会員の秋山さんと伴って現れた賓客の女性です。
 笑顔を絶やさぬその美女は、長年にわたって穂高先生の陰になり、日向になり、苦楽をともにされた奥さまでした。

「奥さんが辛抱したから、離婚されずに済んだのか」
「日頃呑み歩いている俺たちの当てつけだろう」
「家族を大切にして、もっと稼げる小説を書け」

 容赦ないヤジと心のこもった励ましは、穂高先生がこれまでに築かれた、作家仲間のつよい絆だと理解できます。
 そして会員からも、ささやかながら色紙2枚と花束を、先生と奥さまにプレゼントしました。
 先生は恥ずかしそうに、「そんなに気を使わなくても良いのに」とつぶやき、私たちに向かいます。

「この居酒屋はスポーツ選手の色紙ばかり貼られている。店員さんも興味ないみたいだし。
これほど素晴らしい作家が集まっているのに、写真の一枚さえ飾ってくれないんだものな。でも君らに活躍してもらったら、何十年か後には伝説となって、語り継がれる酒場になるかもしれないよ」

 いつもより酔っていた先生が胸を張り、冷静な眼差しで話してくださった言葉が、ふかく胸に残りました。

 私たち、かつしかPPクラブ会員の筆力は、まだまだ穂高先生の足元にも及びません。
それでも、無名の私たちを招いてつくっていただいた、この貴重なご縁を心にきざみ、先生のご期待に添えるよう、精進を重ねていこうと、改めて決意を固める夜となりました。


文章:隅田 昭  写真:郡山利行  出版記念・題字(毛筆):秋山与吏子

帰化   須藤裕子

ナガミヒナゲシ
 ヨーロッパ原産で、1961年に日本への帰化が確認されて以来、全国各地での繁殖が極めて高い。


 
 地域によっては、一面花畑のようになっている所もある。
 根と葉からは周辺の植物の生育を強く阻害する成分のアレロパシーを強く持つ。その一方、一つの実に1千~2千個もある芥子粒のような種をばらまく。これで増えない訳がない。

 葛飾区では特別駆除を呼びかけはしていないが、飯能市では、ホームページで、見つけたら抜くように推奨している。

 コンクリートによってアルカリ性になった道端の土壌を好む特性がある。

 隙間さえあれば、道ばたはもちろん、垂直の切り立った壁面からでも生育する。

 金網の仕切りが、増殖阻止に一役買っているように見える。いや、そこに金網があっただけにも見える。

 かれらは特に、水場を好んで生育している訳ではない。

 「ハナミズキ」と一緒の風景に違和感がない。

 公園入り口の「ナガミヒナゲシ」は、もう、立派な看板娘になっている。

 ところが、「ツツジ」の花壇がもはや「ナガミヒナゲシ」の花壇に代わりつつあるこの風景。旺盛な繁殖力を脅威と見るか、驚異と見るかは人のくらしとのバランス次第だ。

 もしも「この種を煎じて飲んだら、健康にいい」という効用があったなら、たちまち栽培するのが人間なのかもしれない。
 

 アヘンの原料となるケシと同じ仲間だが、「ポピー」や「ヒナゲシ」と同じようにアヘンの原料物質は含んでいない。

 花弁が鮮明で、観賞価値があるため、あえて抜き取る人はいない。

 もう、「我が意を得たり」という増殖ぶり。

 街のいたるところで、こんな風景を見かける。種は白い未熟な状態でも発芽するため、繁殖力が凄い。

 サメの歯を想起するような棘で武装した植物「オニノゲシ」。

 かつて繁殖した「セイタカアワダチソウ」を、最近あまり見かけなくなったのは、自らのアレロパシーで、繁殖できなくなったのだという。「ナガミヒナゲシ」もいずれそうなっていくのだろうか。

 そして、今度台頭してくるのが「アメリカオニアザミ」や「オニノゲシ」か。

 植物も生育し安いところでは「楽」に増える反面、生きていくのに「楽」ではないことがあるのも確かだ。
 脅威的な増殖をする帰化植物「ナガミヒナゲシ」の生育状況を観察しながら、花を育てたり、観る私たちの立ち位置も、行きつく咲きは America いや 「自分First!」?

6月1日(金)から『かつしかPPクラブ』展示会が1か月の開催

 ことし(2018)6月1日(金)から 6月30日(土)まで、葛飾区中央図書館の展示コーナーにおいて昨年度に続いて、「第2回かつしかPPクラブ展示会」が開催されます。展示場所は、葛飾区中央図書館の展示コーナー(受付でも案内しています)。

 開館時間は、月~土曜日 9:00~22:00、日曜日 9:00~20:00です。ただし、6月28日(木)のみが、図書館の休館日となります。

 現会員の作品8冊、OB会員の4作品を併せた16冊の熱のこもった小冊子が、多段に並べられます。現メンバーは8名の少数精鋭ですが、それぞれが日常のもちまえの特技を生かした取材作品を持ち集まります。それを同展示会でそれを発表するものです。

 メンバー各自は、いま展示分担をし、最終日まで精いっぱい盛り上げようと、張りきり、手作りの展示会を盛り上げを図っています。

 第2回「かつしかPPクラブ」展示会は、各作品の紹介パネル、および穂高健一講師の紹介も展示します。なお穂高健一著『芸州広島藩 神機隊物語』、『広島藩の志士』の新刊本も同図書館のご厚意で貸し出しができます。


【関連情報】

 かつしかPPクラブは、さまざまな年齢や職業の人たちで構成されています。毎年、年4回は、プロ作家(ジャーナリスト)の穂高講師による添削と講評があります。
 講座のあとは、有志が講師を交えて夕食を兼ねた楽しい懇親会が開かれています。

 さらなる特徴として、

① ここ数年は、年一度は遠征の取材を行っています。新潟とか、鹿児島とか、岩国・広島・瀬戸内の島々で現地の方々と交流しています。

② 穂高健一講師が日本ペンクラブ広報委員、日本文藝家協会の会員であり、年一度(6月ごろ)は、著名な現役作家たち約15人、かつしかPPクラブ会員+賛助会員ら約15人、併せて30人強で、「立石の飲み会」を実施しています。もはや、6-7年続いています。


 今後とも、同クラブはさまざまな場所で、葛飾区の行事・イベントや場所・景観・人物などを取材し、発表していきます。
 新たなテーマ、他地区との交流会の開催も検討しています。

【入会希望】
 会員になるためには原則として、区民大学『写真と文章と取材の極意』などを受講した卒業生、または当該クラブ員の推薦があり、かつ会長の認可が必要となります。

 展示作品を見て、同クラブで学んでみたい方は、当日、会場では申し込み用紙も用意しています。


 葛飾中央図書館近くにお寄りの際は、ぜひお立ち寄りください。そして、じっさいの小冊子をお手に取ってご覧ください。

◆写真:郡山 利行 ◆文章:隅田 昭


『関連リンク』

隅田昭のエンタメーゼ

穂高健一「芸州広島藩 神機隊物語」を読んで = 郡山利行

「かつしかPPクラブ」の穂高講師が、ことし(2018年)4月1日に、長編歴史小説「芸州広島藩 神機隊物語」を発刊される。

「見本誌が刷り上がったから、作品を読んでみてください。鹿児島とか、御手洗とか、多々、取材に協力してもらったから」
 そう前置きして、同書が私に手渡された。

 私は鹿児島出身である。薩摩と芸州の経済・政治協力が、御手洗の密貿易、贋金などを通して克明に描かれていた。
 著者の芸州広島藩にたいする想い、この著作への熱意が随所にほとばしっている。と同時に、取材のち密さと深さには驚くばかりだ。

 戦場の臨場感がすごい。
 神機隊の若者たちが、「民のために生命を惜しむなかれ」と、戊辰戦争で相馬藩・仙台藩に向かう臨む姿は迫力あるし、感動的だ。

          *

 プロローグでは、広島護国神社の巫女(みこ)と宮司が登場する。愉快な会話で、まず歴史小説の堅苦しさをほどいている。巫女によって、浅野家の家史『芸藩志』が語られる。小説はこの芸藩志を土台に展開されていく。

 広島は毛利のお城だった。関ヶ原の戦いのあと、福島正則が広島城主になったが、すぐに転封となった。代わって、浅野家が紀州和歌山から転封してくる。42万石だが、実高は35万石で、7万石の経済ギャップに、広島藩は毎年苦しむ。貧乏に耐えて耐え抜く。ここに「辛抱と強い団結」という広島の風土が生まれてくる、といかにも広島出身の著者らしい目で、経済、文化にも筆をはこぶ。

 やがて、第二次長州征討が起きる。芸州口の戦いが克明に描かれている。 広島領の民は長州軍と幕府軍のはざまで甚大な被害をうけた。
 つまり、広島藩の武士や農兵は、領内の民を守れなかったのだ。その無念さ、口惜しさが、読者にも伝わってくる。

「ここは民を守れる強い軍隊をつくろう」
 広島藩の若者たちが神機隊を立ち上げた。「民のために生命を惜しむな」。それが神機隊の理念のひとつとなった。
 読者としては、神機隊の身分・職業の出身別の構成が欲しかった。


 大政奉還の前後から、薩長芸軍事同盟まで、ドラマの盛り上がりの一つである。読者の私は、辻将曹・小松帯刀・西郷隆盛らの場に、自分も同席しているような臨場感があった。

             *

 志和盆地での、神機隊の洋式軍事訓練は、興味深く読めた。隊員となった『侍』たちが、よくぞ過酷な訓練に耐え抜いたと、感動的だった。

 かれらの理念は平和主義者だった。なぜ、神機隊は、自費で戊辰戦争に出兵したのか。かれらは、政治的の権力欲や名誉欲のためでなく、「民に安堵を与えるために、この戦いを早く終結させる」という目的だった。

 戊辰戦争が勃発した。もし勝敗もつかないまま5年、10年、20年と戦争が長引けば、国土は荒れ、民は飢餓に苦しみ、秩序も倫理も欠落して人心も荒廃する。やがて、虎視眈々(こしたんたん)と狙う外国の餌食(えじき)になってしまう。

 1日早く戦争を終結させれば、一日早く民に平和と安堵を与えられる。それをもって天皇制の明治新政府が安定する、と信じて疑わなかった。


「仙台・青葉城を陥落すさせれば、会津は降伏する」
  かれらには迷いがなかった。相馬・仙台・旧幕府軍の連合を相手に、連戦・連夜の戦いで、北上していく。すさまじい戦いに挑む。

 神機隊のさまざまな戦闘場面で、読者である私は志和盆地の隊員たちの厳しい訓練の様子が目に浮かんだ。
 私がかつて読んだ幕末・維新の著作は、戦闘の場面となると、大砲か鉄砲か白兵戦ばかりだった。
 しかし、この「神機隊物語」で、著者が負傷兵への救急医療用の野戦病院や出張病院など、軍隊の転戦と外科医の活躍や医療の連動について、詳細に書いていることである。
 最も印象的なもののひとつである。
 
                   *

 高間隊長が浪江で壮絶に死す。それでも、神機隊はくじけず、最後の一兵まで、「この戦争を早く終わらせる。民に平和をもたらすために」と戦に挑む。
 先陣をつねに望む神機隊は死者、戦病死、負傷兵が尽きない。仙台領に近づくほどに、戦える兵士は極わずかになった。

 神機隊の最後の戦闘ともいえる。
 仙台領の駒ケ嶺での一列縦隊突進の場面は、本書のクライマックスである。隊員たちは、抜刀して突っ走る。敵の本陣の中央突破だ。それは亡き高間省三の頭脳的な戦法だった。
「 ここだ、こっちだ!」
  と大声で指揮する、高間省三隊長の姿を見たにちがいない。

                   *
 
 神機隊物語の最後まで、義勇同志として、武士出身者も農商出身者も心ひとつにして戦う。心を打たれる。仙台・青葉城がついに陥落した。数日後、会津も白旗を上げた。

 政権欲がない神機隊のかれらは、無欲すぎた。戊辰戦争のあと、明治政府の中央で権力争いに加わることはしなかった。歴史は勝者が作る。「薩長芸の進発(挙兵)・倒幕」なのに、芸州広島藩が消され、薩長倒幕となった。

 150年経った今日まで、神機隊や広島藩の活躍は歴史から消されていた。

「現代の広島人は、幕末・維新に無力感を持っている。残念ながら、原爆前を知ろうとしない。現代と過去(歴史)との意志疎通ができていない」
 著者が執筆される前に、そう語っていた。

『神機隊物語』で、広島藩の『芸藩志』が世のなかに広まれば、幕末史観が確実にくつがえる、という著者の熱意が読みとれた。それが私の読後感のひとつである。
「御手洗は幕末史の宝庫だよ」
 著者のことばで、鹿児島の人を連れて、もういちど御手洗に行ってみようと思った。
 

「えっ、驚いたね。穂高先生の本が広島で~」=PPクラブ浦沢誠さん談

 昨日つまり2018年4月4日の夜、葛飾区環境課で「花と緑」関連の会合があった。区民記者「かつしかPPくらぶ」の浦沢誠会長(元東京大学、国立科学博物館)と同席した。
 会合のあと、
「おどろきましたよ。広島護国神社で、巫女さんが先生の「神機隊物語」が売っていましたよ」
 と開口いちばんに教えてくれた。

「実は、きのう広島から戻ってきました。わたしの孫が外国にホームステイするので、せめて世界遺産の宮島を見させておこう、と考えましてね、広島に行ってきたんです」と語られていた。

 浦沢さんの話を紹介しておこう。

               *

 4月1日(日)、東京から新幹線で広島に入り、その足で宮島の厳島神社にいきました。世界遺産をたっぷり見学しました。夕方には広島大手町のホテルに入りました。食後、市街地(本通り?)の散策で、大きな書店に入ると、店内に売れ筋のビラがさがっていました。

「おどろきましたよ。穂高先生の「広島藩の志士」が『文芸第3位』でした。妻や子どもに、それを指して、これが私の先生だよ、と教えると、びっくりしていました。
 1位はカーブですから、これはしかたない、当然だと思いました。2位は忘れたけれど、3位とはすごいですね。カメラを持っていなかったから、撮影できなかった」
 と悔しがっていた。

 浦沢さんは、「広島藩の志士」が3月の半ば、「神機隊物語」が4月初旬に出版になると知っていたが、まさか広島でこんなに売れているとは想像していなかったようだ。
 
           *

 翌日はレンタカーを借りた。岩国。3日目は尾道・千光寺、さらに呉市の大和ミュージャムにいくと、火曜日で休館だったという。
「しかたないな、広島にもどろう」
 ハンドルを原爆資料館にむけた。ここも、改装中で一部しか見学できなかった。
「原爆投下のあと、荒廃した焼土に、神社の鳥居が立っているのが、印象的でした」と話す。

 原爆が真上(相生橋)に落ちたので、護国神社の鳥居は縦からの荷重にたいして十二分に耐えられた。もし横からの爆風ならば、吹き飛んでいた。資料館では鳥居の半分しか残っていない写真もあった、と説明していた。

 浦沢さんは理系で、とくに建築分野ではすぐれている。力学の視点で語っていた。


 帰りの新幹線まで時間があるので、レンタカーで「広島城に行ってみよう」とむかった。城址の駐車場に入る、お濠の手前に大きな鳥居があった。
「えっ、お城なのに、なぜ神社の鳥居から入るの?」
 と奇怪だった。

 よくよく見ると、「広島護国神社」と額に書かれていた。「ここが穂高先生から聴いていた護国神社かな。ならば、高間省三が筆頭祭神に祀られている」と思った。

 広島城を登城したが、内部は月並で、さしてみるものはなかった。城址を歩いていると、別の鳥居があった。ここが広島護国神社だった。本殿に、家族4人がお参りした。

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わがまちの 手彫り印鑑 (下)  郡 山 利 行

 葛飾区金町4丁目の井上隆夫さんは、55年間にわたり、印鑑手作り一筋の人生である。
 

 井上さんが掘るさなかの印鑑は、ツゲの16.5mmである。


 手彫り印鑑は、次のような作業手順で作ります、と実演しながら説明していただいた。

1.見本を見せる。

2.字体を決める。

3.納期を確認する。・・・作業日数が決まる。

4.印材を研磨する。

5.字入れ。・・・印材に直接、墨を使って筆で書く。 文字は表裏反対。

6.彫刻する。・・・文字ではない所を削る。 荒彫りという。

7.印面に残った墨を、磨き落とす。

8.印面に、新たに黒か朱色の墨を塗る。

9.文字仕上げの彫刻。・・・最も大事な作業。

10.文字まわりのカス取り。・・・最終仕上げ作業。

11.完成



 作業5は字入れ(印材に墨を使って筆で書く。 文字は表裏反対)で、そして書かれた墨を落とす。細かい目のサンドペーパーで、軽くこする。

 作業7(印面に残った墨を、磨き落とす)段階まで進んできた。

 作業8は、印面に、新たに黒か朱色の墨を塗る。

 印材が水牛の黒ならば、朱色の墨となる。市販の墨汁ではだめで、少し上等の墨をすずりで、とろとろの状態にしたもの。

 それを墨本体で直接印面に塗る。

 井上さんは、修業時代からずっと、『坊主』 という名の作業台で、彫っている。


 作業9は 「文字仕上げの彫刻」である。・・・最も大事な作業で、専用の木製の印鑑固定器ごと、坊主を握りしめて、左手を固定する。

「 これからが勝負です」
 井上さんの仕上げの手彫りが始まった。

 平成29年8月に彫った、画像の印鑑は、「今までの中で、いちばん字数が多く、印材の太さからいっても、最も大変だった製品です」 と、記録を見せてくれた。 

 記録画像の右側は、井上さんが手彫りした、16.5mmのツゲ印鑑の実寸コピーである。

【 4.編集後記 】


 手彫り印鑑作りの、奥義の一端を紹介してくれた 井上さんは、「 お客さんから、望み通りの印鑑を作ってもらえたと、喜ばれたことが何度もあります。
 また、手彫りの製品にこだわって、注文して下さる人達がいらっしゃるので、それに応えるべく、これからも頑張り続けます 」 と、力強く語っていました。 

 忙しいさなかにもかかわらず、時間たっぷり取材に応じていただきました、 ありがとうございました。


【関連情報】

  井上印章店

  名称: 井上印房  井上隆夫
  住所: 125-0042  葛飾区金町4-6-2
  電話・FAX: 03-3627-3710

わがまちの 手彫り印鑑 (上)  郡 山 利 行


葛飾在住の井上さんによる、手彫り印鑑の、文字の仕上げ彫刻作業。撮影:平成30年1月21日


【1.はじめに】

「 朱色ってなにかなァ 」
「 それは印鑑に決まっているでしょう。 朱肉の世界にもつながるでしょう」
「 印鑑もいろいろあるけどなァ 」
「 本物の朱肉は、きちんと使うのがとてもむずかしかった」
 このような会話が、筆者夫婦の間ではずんだ。
 こんかい冊子テーマの≪朱≫についての、始まりである。

 そして、手彫り印鑑を作っている井上さん(葛飾、金町在住)に取材して、印鑑作りの果てしない奥の深さを、紹介してもらった。 


【2.井上さんの仕事】


 井上隆夫さんは、昭和21年生まれの71歳で、この道55年、印鑑手作り一筋の人生である。

 葛飾区金町4丁目の地に、平成3年に店を構えてから27年になる。

 自宅は手彫り印鑑の作業場でもある。 お店の間口いっぱいに置かれた植木鉢の花樹が、花を咲かせていた。


 写真撮影:平成30年1月24日

 井上さんの印鑑作りは、昭和37(1962)年から、墨田区業平(なりひら)の、「中島印房」という印章店での修業から始まった。
 その店で29年間務めたあとに、現在の地で開業した。 
「 中島印房の店の造りを、そっくりそのまま、この金町に新しく作り独立しましたよ 」
 と、井上さんは、当時への思いを込めて、語った。

 店の前が車道で気が散りませんかと、筆者が問いかけたところ、「 業平の店も、目の前が都電が走る道路でしたので、まったく気になりません。 しかもここは、交差点の停止線の横なので、運転手で気にする人がいて、時折店に立寄ってくれます 」
 と、地の利を楽しそうに語ってくれた。


 印鑑作りを習得するのに、最もむずかしかったことは、何ですかと筆者の質問にたいして、井上さんは「 簡単にできたことは何ひとつありません。どんな単純な作業でも、一般の人には絶対にできないのが、この仕事の特徴です 」 と、さらりと答えた。


 井上さんが手彫りする印鑑の材料は、右・写真の左から、ツゲ、水牛(黒)、水牛(白)、象牙の4種類である。
 材料は直径15mmの標準的な実印である。 


 金町の店を構えてから27年間で、およそ8000本の手彫り印鑑を作った。その記録が、≪御印影≫である。(上写真)
「 得意とする製品の型がありますか 」
  筆者の問いに、井上さんは少し考えてから、
「 注文される品物が、広く浅い世界なので、こだわりはありません。自分の腕の範囲内で、精一杯です」
 と、答えた。

 更に、「 近頃、産業ロボットが高性能になったので、人の手で彫るのが必要なくなりつつあるような気がします」
 と、ぽつりと語った。

 印鑑の材質、字体、大きさ、仕事の流れなどによって、使い分けられる彫刻刀である。 
「 刃先の材料は既製品で、専門店で売っていますが、それをすべて自分流に研ぎ変えます。刃先以外の柄は、すべて手作りです」


 印鑑は身分を証明する大切なもの。世のなかには、命の次に大切だと認識する方も多い。

 井上さんは、手彫り印鑑の作業手順(ノウハウ)にも取材に応じてくれた。

                    【つづく】

道草を食う   須藤裕子

まえがき

「バス社会実験:綾02」路線が葛飾区役所と京成バス・タウンバスで協議され、平成29年10月23日(月)から平成30年3月31日(土)まで、実施中だ。

 バスの新路線協議は平成26年から行われており、新しく開設されたり、開設には到らなくてもバス停を増やすという結果が出ている。

 今回、「綾02」路線は1日・27便、新しいバス停を3か所増やし、平日・土休日も走っている。
 果たして新路線になるのか、実験で終わってしまうのか……。

 筆者は1月31日(水)を皮切りに、区役所と綾瀬駅を18分で走る「綾02」に何度か取材で乗車してみた。


お花茶屋駅」バス停前には、平成15年6月に開設した「お花茶屋南自転車駐車場」がある。
 駅周辺の放置自転車対策で設置され、朝6時から夜10時まで、係員が交代で常駐し、663㎡に400台収容できる。

 1か月1500円、3か月3700円、1時預かりだと100円で置くことができ、設備もよく、便利この上ない。
 線路を渡った曳舟川親水公園には、平成15年4月に開設された「地下自転車駐車場」があり、1600台収容できる。

 お花茶屋駅の線路沿いには、さらにもう1か所「西自転車駐車場」もある。整備された自転車駐車場は町のいい景観になり、安心感も生む。


共栄学園」前には、創立80年となる「共栄学園中学高等学校」がある。

 同校のホームページには、『1933年、本田立石に和裁塾を作ったのが始まりで、1938年、本田裁縫女子学校の設立が創立になり、戦後、共栄高等女学校と改組し、2003年、高等学校男女共学化』と紹介されていた。

 同校の校舎には、創立80年を謳う垂れ幕「至誠一貫」とともに、垣根の「サザンカ」が華やかだ。


堀切5丁目」からはスカイツリーが望める。

 スカイツリーの建築はどんなに小さくても、富士山を見つけたような気分になる。なぜだろう?


 新設の「小菅交番前」で降り、長いスロープを登って辿り着いたのが「小菅東スポーツ公園」。
 下水道施設の上部に設置されている373万5097㎡で、テニスコートも備え、堀切水辺公園より広い。
 ここを通って行くだけで運動効果十分だ。

 昼前、公園で遊び終えた親子が家路の途中で、坂を下っていた。
「元気に歩いていますね」
 と、話しかけると、
「行きはいいのに、帰りは抱っこになっちゃうんですよ」
 と、母親が微笑んでいた。

「日本庭園」には東屋・石灯籠・池があり、広々とした景色の中で、冬の日射しを浴びながら男性たちが話し込んでいた。

 高いビルの隙間から見る空とは逆、広く澄んだ青空が広がり、ゆったり感がある。和の空間、やっぱり悪くない。

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潮汐(ちょうせき)  田代 真智子

『まえがき』

「汐の満ち引き」「満潮」「干潮」などの言葉は、知っていたが、実際にこの目で確認してことはなかった。平成29年は天候不順の日続いた。

 8月下旬の暑い日に、かつしかPPクラブの取材旅行で広島に行くことができた。2017年8月20日から、2泊3日のハードなスケジュールではあったが、多くの風景を目にした。

 初めてみる安芸の国、一生に一度は訪れたかった宮島で「干潮」から「満潮」までを過ごした。時の流れをこの目で実感することができたのだ。

汐が引いた浜辺でたたずむコサギ

 宮島に到着したのは、8月20日午後3時頃。フェリーから見えた厳島神社の鳥居は、想像していた姿とはほど遠く、なんと鳥居の足がむき出しで、周囲にはたくさんの人が居るではないか!

        汐が引いている状態、干潮である。

 そもそも干潮と満潮は何故起きるのか、それは、月と太陽の引力により引き起きる。
 満月と新月の頃は、潮の満ち引きの差は最大となる。大潮である。差が小さい時は、小潮となる。

 地球は1日に1回転しているので、干潮と満潮は一日に2回ずつ来ることになる。

 この海面の周期的な上下の変化を潮汐(ちょうせき)という。この8月日、私達は潮汐をこの目で確認した。

 月と地球は約27日に1回の円運動をしている。月と地球は、それぞれ万有引力で引き合い、それぞれの相互運動による遠心力が働いているため、一定の距離が保たれているという。
 解るような、わからないような、宇宙の神秘である。

≪潮の種類≫
大潮(おおしお)~ 潮の潮汐作が大きい状態。
新月や満月の前後数日間

中潮(なかしお)~ 大潮と小潮の間の期間

小潮(こしお)~潮の潮汐差が小さい状態

長潮(ちょうしお)~月の上弦、下弦が1~2日過ぎた頃で潮汐差が一段と小さい。
 若潮(わかしお)~小潮末期の長潮を堺に大潮に向かうので潮汐差が次第に大きくなる状態。

 長潮の翌日、潮が若返るということから若潮。

干潮の厳島神社:15時48分(地元では遠浅という) 満潮の厳島神社(海面に神殿が映る)

 汐が満ちるまで、大願寺に行き、勝海舟と木戸孝允の会談の部屋の前で150年前の時間と空間をかいま見た。

 その後の足早に参拝受付が終了する時刻間近の厳島神社境内を見学し、豊国神社の五重の塔、千畳閣を観て夕日の沈む厳島神社の大鳥居を観に戻った。   

 大願寺の九本松(廿日市市天然記念物)



   厳島神社の能舞台では、茶道家元による献茶式が斎行される。



豊国神社の五重の塔(日が傾き始めた)


千畳閣(重要文化財。豊臣秀吉が逝去したため未完成となった)



    18時12分 (夕陽が山陽道の山波へ沈みかける)


 宮島は潮汐によって時の流れが確認できる。たどり着いた海岸は、数時間前とは全く違う空間が広がっていた。

 満ち始めた海を観ている多くの人は、ほとんど外国人である。

 この超日本的風景の魅力は、国籍問わず、多くの人に受け入れられているのだ。
『あとがき』

 美しい夕日は、自然の山や海、都会の中など様々な場所で眺められるが、海に沈む夕日を観て、汐の満ち引きが「太陽」「月」「地球」という宇宙と関連があると考える人がどれだけいるでしょう。

  8月20日の日の入り時刻18時52分

 今回の取材で、汐が満ちてくる水面を観ていて、地震や台風などの自然災害を思い出さずにはいられませんでした。宇宙の神秘とも言える力が起こすから天災というのでしょうか。


  宮島は日本最大の外国人観光客がたくさん訪れるところです。

 東京に生まれ育った私には、滅多に味わうことができない体験を記録に残すことができ、有意義な取材でした。

            写真・文  田代 真智子


【HP管理者より】

 田代記者の取材が昨年8月でした。真夏の取材が真冬の掲載になり、記者には申し訳ないです。宮島は4シーズン通して、素晴らしい景観と歴史の地です。潮汐(ちょうせき)は毎日楽しめます。季節を問わず、ぜひ訪ねてください。

「隠された幕末史」・穂高健一が100人の区民に講演=浦沢誠

 歴史作家の穂高健一が、2018年1月28日 葛飾区立立石図書館・研修会(2階)で、14:00から2時間0の講演をなされました。題名は『隠された幕末史』です。

 当日は晴天のもと、参加者はまるで計ったようにジャスト100名でした。

 年少者は小学生(男子)で、大半は60代を超える年齢の方がたでした。

 講師は『穂高史観』で独特の切り口を持ち、幕末史をひっくり返すような内容で、2時間を熱く語りました。


 立石図書館の白井館長が、冒頭のあいさつで、「作家・穂高さんは、葛飾区史の『郷土ゆかり人』(100人)に載られていますが、私自身、あまり認識がありませんでした。HPを見ると、小説家、登山家、ジャーナリスト、写真家など幅広く活動されています。おどろきでした」と語った。


 「きょうは、明治維新から150年。大政奉還、鳥羽伏見の戦い、戊辰戦争、これらの歴史の舞台裏がどのように語られるのか、とても楽しみです」


 明治22年に、伊藤博文の下で、明治憲法が発布された。この22年に、大久保利通の家屋が全焼し、大久保利通の日記が燃えてしまった。

 白版に『鳥有』と文字を書き、「とりう、と読みます。すべてなくなることです」。つまり大久保日記が全焼したことを意味します。

 国立国会図書館のアーカイブから確認できます、と付け加えた。

「この全焼は放火ではなかろうか」
 なぜか、放火か。幕末史にかかわる主要な人物たちの慶応3年の肝心な日記がことごとく、燃やされたり、抜かれたり、まったく現存しないからだ。

 まさに明治20年代の政府トップは、焚書(ふんしょ)を謀ったのだろう。事実ならば、ヒットラー、毛沢東とともに、明治政府は「世界三大焚書」を成した、後世に重大なる責任を負わねばならない、と語った。

 

 自著の幕末歴史小説「二十歳の炎」(2014年6月に発行)にサインをなさった。

 表紙の英雄・高間省三の写真がとても格好いい。

 明治時代発行の軍人携帯必読「忠勇亀鑑」には、日本古代の武人、日本武尊、加藤清正、豊臣秀吉、徳川家康らがならぶ。戊辰戦争はたったひとり。西郷隆盛、板垣退助でもなく、唯一の武勲と紹介されているのが、表紙の高間省三です。。

 日本人にはぜひ知ってもらいたい人物です、と穂高講師はつねに語っています。


 穂高講師から学ぶ「かつしかPPクラブ」のメンバーが講演にかけつけました。PPクラブを下支えしてくださる立石名物・岡島古書店の岡島さん、四つ木郷土史家の石戸暉久さんたちも、講演参加されました。

 二次会では、幕末の要人の日記がことごとく「焚書」されたが、どれがやっのか、その犯人探しで、盛りあがりました。