かつしかPPクラブ

清貧の曙を開け「第8回かつしかミライテラス」 = 隅田 昭

まえがき

 新たな年を迎え、春が待ち遠しい1月29日の日曜日に、恒例の第8回かつしかミライテラスが、テクノプラザかつしかで開催された。
 この日は26社と9団体が集まり、個性あふれる地産商品を並べた。

 入口に向かうと、10時の開始を待ちきれない来場者であふれている。行列のお目当ては一番人気で表紙を飾る、お菓子作り体験コーナーだ。
 出展する菓子組合の職人から、PRを兼ねて実演していると伺った。
 取材は今回で3度目になるが、来場者数は増加傾向にあり、地域の祭典として更なる発展が見込まれる。

もくじ

1.小さなチャレンジ/和の喜びを知る
2.ぬり絵よりも簡単/夫婦で二人三脚
3.真剣つかみどり/地元民のたのしみ
4.べっ甲ひと筋半世紀
5.手作りのキズナ
 あとがき


1.小さなチャレンジ


 600円のクッキー作りは計6回で、各10名が貴重なチケットをゲットした。初々しいなりきりパティシエが生地を練るなか、ひときわ小さな女の子がいた。

 亀有から来場した上原栞子(しおりこ)さんだ。スマホで動画撮影中のお母さん、紗綾(さあや)さんにうかがう。
「フェイスブックで見つけて、前回も参加しましたけど、失敗しちゃいました。家にはオーブンがあるので、休日にはリベンジで、ときどき作らせています」
 今年はバレンタインで、大好きな父親にプレゼントするのが目標だそうだ。彼女のチャレンジは必ず身を結ぶだろう。

     和の喜びを作る


 和菓子作りは総勢100名の子供職人が腕をふるう。
 青戸から訪れた、二児の母の髙橋裕紀子さんに聞く。「広報紙を見て、初めて参加しました。手作りの和菓子が作れるなんて素敵ですね。
 クリスマスは家族みなでケーキを作りましたが、来年は正月で和菓子に挑戦です

2.ぬり絵より簡単

 松井形紙店が千円で、伊勢形紙の体験教室を開いていた。着物などの生地を、一定の柄や紋様に染色するために作られた、伝統ある技法だ。
 ゆるキャラを描いていた女の子に声を掛けると、「幼稚園のぬり絵よりも、カンタンだよ」と話してくれた。
 4月から地元の小学生になる、山田恋(れん)さんだ。

    夫婦で二人三脚

 伊勢形紙の体験教室で、恋さんにピッタリ寄り添う父親の山田賢一さんは、向かいで出展する若きオーナーだった。
 金属加工製品を扱い、終戦直後から立石に根ざしている、ミツミ製作所だ。
 奥さまの舞さんは白鳥の出身だが、結婚するまでは普通の会社員で、町工場の仕事に全く知識がなかったそうだ。
「出展する一昨年までは無我夢中で、夫と二人で会社を運営していました。ミライテラスはネットで知りました。試行錯誤ですが、アルミ製のコマやドングリ回しの体験販売をしています」


3.真剣つかみどり

 地元でお馴染みの北星鉛筆は、色鉛筆のつかみ取りゲームを開催していた。 亀有から来場し、お子さん二人と参加している、斉藤真理子さんが話す。

「回覧板を見て、去年は友達と来ましたけど、とても楽しい会場ですね。今年は初めて子供を連れてきました。何をしようか、ワクワクしています。とりあえずクッキーと和菓子の体験教室が面白そうでしたので、30分行列に並んで、チケットを頂きました。
地元の者でも町工場や工芸品には縁遠いですから、勉強にもなりますしね」

     地元民の楽しみ

 JAかつしかでは、大根や白菜、小松菜などの地産野菜を格安で販売する。奥戸から来場した、主婦の坂元康代さんから伺った。
「スーパーや商店街でも野菜はよく買いますけど、こちらの品物は毎回新鮮です。きょうは野菜鍋にします」


4.べっ甲ひと筋半世紀

 会場の一角でどこよりも人手をかけ、展示品が最も多そうなブースがあった。仕切るのは職人暦47年を誇る、山川べっ甲の山川金作さん(62才)だ。
 定番のカンザシや耳かき、靴べらはもちろん、ブローチやピアスにイヤリング、変わった品では、ギターピックやリングなどがズラリと並んでいる。

 記者は「べっ甲製品は海亀から採るのに、今でも制作できるのですか?」
「塩化ビニールより、優れている点を教えてください」と愚問する。氏が苦笑しつつも、丁寧に答えてくれた。

「海亀は世界中で泳ぐけど、ワシントン条約で規制されてから、輸出入が禁止されてしまった。個人的には復活してほしいけど、当分のあいだ原材料が入手できないな。ただ職人の技があれば、創意工夫でしのげるんだよ。在庫も合わせれば、俺が死ぬまで作れると思うけどね(笑)」


「試しに、これを触ってみなよ」(メガネを渡される)
「柄の部分がザラザラして、すべり止めの役割をしているだろ? 温もりがあるし、独特の味わいも出せる。もし赤ん坊が飲み込んでも胃酸で溶けるし、土に埋めても何年か後になくなるよ」


5.手作りのキズナ

 和菓子体験教室で父親が技を見せ後ろでは若い母子が声を枯らせた


あとがき

 町工場の製品というと、昔気質のコワモテな男が作るイメージがあるが、良い意味で時代とともに変わりつつある。
 ただ、べっ甲職人の山川さんに伺って、心が動かされる話があった。それは記者が明治や大正の文化が好きで、小説も読むと雑談した時だった。

「日本の明治や大正、元禄時代の芸術は、後世に残る力作ばかりだ。それじゃ、いまの物とどこが違うのかと言えば、昔の職人は自分の利益のためじゃなく、他人の喜ぶ顔を想像しながら働いているんだよな。
いまの人は苦労もせずに儲かりたい、有名になりたい、そんな身勝手ばかりを考えているよね。自分も偉そうに言える立場じゃないけどさ」

「昔の職人は最高傑作を愛弟子に譲ったり、娘の嫁入り道具で持たせたりするために、一心不乱に制作していた。金もないのに時間をかけ、様々な物を研究して、ていねいに仕上げている。俺も一生に一つくらい、あんな魂を込めた工芸品を手がけたいと思うよ」

 某国首相や大統領にも聞いてほしい。昔の職人は「清貧」で働いていたのだ。地位や財産より大切なのは、未来に生きる者へ貴重な歴史を残すことだ。

 自戒も含め、日常生活で実行すれば、清貧の心がきっと理解できるだろう。


◆ 写真・文・編集: 隅田 昭

◆ 撮影:平成29年1月29日

◆ 発行:平成29年2月17日


 一部あるいは全部を無断で複写複製することは、法律で認められた場合を除き、著作権の侵害となります。

願う下町の発展 第32回産業フェア(工業、商業、観光展)=隅田 昭


 表紙を飾るのは、地元の新宿中学校吹奏楽部の華やかな顔ぶれである。
 お馴染みフーテンの寅さんやジブリ映画のテーマソング、アイヌ民族のおごそかな調べに続き、軽快なマーチで締めくくり、会場は一体となった。


もくじ
  まえがき
1.父兄のまなざし/貴方色に染めて
2.日本のよろこび/お手軽な季節感
3.女心に応えます/童心にかえって
4.リユースは重要/親子の絆で経営
5.サルのあたしもひと仕事
  あとがき


まえがき

 ようやく猛暑が終わり、秋も深まった。心地よいシーズンの到来だ。そんな10月中旬に、第32回産業フェア(工業・商業・観光展)が、テクノプラザかつしかで開催された。
 このフェアは区内の産業と地域の発展、次世代を担う児童・生徒の育成という目標を、高らかに掲げている。



1.父兄のまなざし

 FMかつしかの司会から、演奏の感想を聞かれた新宿中学校吹奏楽部の顧問は、「今日は反省しないといけない。区民の皆様が喜んで聞いているのに、緊張で笑顔がない」と手厳しい。

 部員のひとりでユーフォニューム担当、佐保亜季さんの両親である、孝之さん、昌子さんご夫妻から話を伺った。
「部員はみな女生徒で、28名と聞いています。ウチの娘は受験生ですけど、家でも毎日、練習をしています。
 ずっとバイオリンを習わせていましたが、仲間と一緒が楽しいみたいです」


      貴方色に染めて

 ハロウィーンのカラフルな手ぬぐいが目立っていた。
 染付けの体験会を主催するのは東京和晒(わざらし)の社長、滝澤一郎さんだ。
 「最近は若いデザイナーに制作を任せています。100枚単位で制作し、約350種類あります。熱心なコレクターが多く、外国の方向けの


2.日本のよろこび

 香ばしい匂いに誘われ、福島県塙町の名産展で好物の焼き団子と干しぶどうをゲット。切り盛りするのは、ブラジルから帰化したサントス鈴木店長と店員の下重吉夫さんだ。

 店長は「日本で様々な方と話すのが大好き」と微笑んだ。
 鮎焼きを250本、団子は150本を用意したと語る。


       お手軽な季節感

 若きイケメンが、来場者に愛らしい鉢植えを薦めている。青戸サンロード商店会で老舗のハナヒデ花園だ。
 その加藤久弥さんから話を聞いた。
「祖父の話では、先祖は日本で初めてカーネーションを栽培した農家だったそうです。私もそれを誇りに、リッツカールトンで修行しました。
 新たな季節の訪れを手軽に味わえるのが、生花の大きな魅力だと思います。最近は保存技術の進歩で生まれた、プリザーブドフラワーが人気です。水分を除去しているので、3年ほどドライフラワーに近い感覚で楽しめます」


3.女心に応えます

 500円ハンドマッサージを声掛けするのは、青戸銀座商栄会ノエビア化粧品の社長、竹内恵子さん(写真右)だ。
 薬草を使用したオーガニックで、リンパ腺を刺激する。
 彼女は「女性はいくつになっても、若くて美しくなりたいという本能があります。  
ウチではご要望にお応えできます」と彼女は胸を張った。


     童心にかえって

 おもちゃの会で熱心に修理に励むのは、代表者の鈴木敏夫さんだ。75才の後期高齢者で子供向けの玩具ばかり触っている、と無邪気に笑う。

 国の研究機関で定年まで、長きに渡って専門技術職に携わっていたという。区民大学で講師の経験もあり、体力の続く限り奉仕したいと張り切る。

 「テレビゲームや時計じかけの玩具は、商売がたきになるから断っているよ。それにお宝鑑定団に出るような、高価な品も扱わない。純粋におもちゃを直して、喜んでもらいたいだけだからね」


4.リユースは重要

 プラスチック工業連合会では、実行委員のひとりである奥山孝一さん(写真)が、クリアファイルとカップを来場者に無料で配っていた。

 株式会社オリタニの若き経営者、折谷征晴さんが語る。 
「最近は回収されたペットボトルから、ハンガーや卓上カレンダーなど、様々な製品にリユースされています」


      親子の絆で経営

 ねじ連合会では古き良き昭和の工作機が、懐かしい音でネジを作っていた。 株式会社KYOEIの三代目、木村邦芳さん(33才)だ。

「ネジ制作の実演は13年前から始め、当時から人気だと聞いています。 弊社では携帯電話から自動車用まで、オーダーメイドで対応しています。
 中小企業は自分の考案した企画で、顧客から感謝されるのが励みです。

 子供の頃から家族の働く背中を見て育ったので、会社勤めをしたいと考えた経験は一度もありません」と語った。


サルのあたしもひと仕事

 静岡県出身のミルクちゃん(2才)人間に例えると、女子中学生かな?


あとがき

 産業フェアの今年のテーマは、「下町の宝/発見~葛飾の技術と味・匠の技」である。
「日進月歩」という熟語もあるが、デジタル技術の進展により、近年は「時分日歩」と言えるのかもしれない。今や死語かもしれないが、かつては、「ドッグイヤー」という言葉も存在した。

 IT業界では技術の進歩があまりに速いので、1年間が犬のように、7年分に相当するという意味だ。(もっとも最近はペット業界の医療技術も進歩しており、7年が5年分ほどに短縮しているそうだが・・・)
 恐らくその目まぐるしい変化が、様々な業界に浸透しているのだろう。
 ただ、いくら技術革新しようとも、最終的に使う人間の役に立たなければ、まったく価値を持たない。

 このフェアでは、取材に応じていただいた、いずれの組織も「お客様に喜んでもらえるが楽しい」と口を揃えていたので、記者は心から賛同ができた。
 1つだけ気になったのは、来場者には地域のお年寄りやお子さんが多く、休憩所やトイレの利便性が悪い点だ。次回からはぜひ改善してもらいたい。

 来場の皆さんがにこやかな表情だったので、来年以降も発展するだろう。


◆ 写真・文・編集 : 隅田 昭

◆ 撮影:平成28年10月15日

◆ 発行:平成28年11月18日


本冊子の一部あるいは全部を無断で複写複製することは、
法律で認められた場合を除き、著作権の侵害となります。

葛飾区中央図書館で、一か月間の展示コーナー(下)郡山利行


 数人の当クラブ会員が、それぞれ自分の特技を分担作業しての、手作り展示会だった。


 穂高先生紹介パネルの前の、ガラスケース上には、同区立鎌倉図書館と中央図書館のご協力により、先生の出版書≪海は憎まず≫、≪二十歳の炎≫、≪燃える山脈≫を、3冊ずつ、図書館貸出書として、展示期間置いてもらった。


 作品14冊の他には、2枚の当クラブ紹介パネルと、1枚の穂高先生紹介パネルを、展示し、壁面上部にはささやかながら、クラブ名の釣り飾りをした。

 今後、ほかの会場でさまざまな内容で展示する機会があるとすれば、葛飾区の行事・イベントや場所・景観・人物などのテーマでの開催も考えられる。 


 当クラブは、昨年までは同区教育委員会主催の穂高先生講師による、≪区民大学講座≫の修了者でなければ入会できなかったが、今年度からは、同区の≪区民大学≫卒業生で、当クラブ会員の推薦があり、会長が許可した方は入会できるようになった。


          写真・文 = 郡山利行

葛飾区中央図書館で、一か月間の展示コーナー(上)郡山利行

 今年2017(平成29)年3月1日から31日までの1ヶ月間、当クラブとしては初めての、作品展示会だった。

 今回の展示作品は、特別なテーマはなく、14名の会員の各人お気に入りの作品だった。


 図書館内の展示コーナーは、図書館事務所横の通路で、延長約10mの壁面とガラスケースだった。

 原本の作品の大きさは、A4を中折りにしたA5サイズだが、各ページをA4縦に拡大印刷して、クリア・ポケットファイルで製本した。


 それを館内での閲覧展示とした。 原本は、施錠されたガラスケース内に展示した。



 作品14冊の他には、2枚の当クラブ紹介パネルと、1枚の穂高先生紹介パネルを、展示し、壁面上部にはささやかながら、クラブ名の釣り飾りをした。


 数人の当クラブ会員が、それぞれ自分の特技を分担作業しての、手作り展示会だった。


        写真・文 = 郡山利行 

自分史への試み「保育園から高校まで文化的な事がら」(5)郡山利行

  1964(昭和39)年10月10~24日  第18回オリンピック 東京大会



  高校では、オリンピック競技の、入場券を学校に提示すれば、その日は出席扱いだった。 姉と銀座で徹夜して並んで買った、券である。


 前の席の、外国人女性の金髪が、午後の日差しに、とても美しかった。

 右の写真は、同年10月15日、国立競技場スタンドにて。



  1964年10月15日 15:40 男子100m決勝スタートの瞬間


 写真の中央付近、スタート号砲の白煙が、残って見えている。レースでは、第1コースのボブ・ヘイズが、10.0秒で優勝した。



 1964(昭和39)年から3年間、NHK総合テレビで、『 虹の設計 』 という、TVドラマが放映された。
 建設業界を舞台とした、数々の男たちのドラマの中で、天草諸島に橋を架ける設計の話で、
 筆者は土木技術者に憧れた。
 ≪島と島を結ぶ橋を、海の上に架ける!≫  船乗りになることをあきらめた、自分を見た。

 優しい顔立ちの少年が、たくましく変貌を遂げて、中央大学理工学部土木工学科へと出陣した。

 
【 5.編集後記 】

 高校生までの少年時代の文化的活動を振り返り、主要な事がらを並べてみた。はっきりとした記憶に残る人達は、家族と学校の先生と、小中学校の三人の級友である。

家族 母 郡山トシ、姉 益代、兄 孝丸

 特に、姉益代と兄孝丸の二人は、古希を迎える現在にまで、決定的な影響を与えた存在であったと、改めて強く思った。

 益代姉からは、小学1、2年生の頃、国語の教科書を1冊まるごと覚えてしまうまで、声に出して読まされた。本を読むということに、慣れさせられてしまった一方で、中学高校生時代には、文学本をたくさん買ってくれた。
 そして孝丸兄からは、本の推薦では、弟が好きそうなものを選んで、タイミング良く知識を伝えてくれた。



小学校の先生 大楽先生(1年)、本田先生(2,3年)、大迫先生(5年)

中学校の先生 見上先生(テニス部)、会沢先生(2年)

高校の先生 栗原先生(3年間担任)

小中学校級友 宮城君(小学6年)、山田君(中学1年) 伊澤君(中学2,3年同級)

 少年期を過ぎた後の本読みは、完全な乱読となったが、その結果として、幅広い知識欲おうせいな大人になることができた。

  姉と兄の二人に共通していたのは、外国航路船長だった父から買ってもらった、ドイツ製小型カメラを使った写真撮りだった。
 この趣味の世界を、筆者はストレートに受け継いだ。

 本小冊子の次のステップは、『青春篇』ともいえる、大学生時代を経て、社会人となった土木工事技術者としての、結婚後の家庭生活と、文化・旅行・スポーツ・親類行事などに、分類編集する構想である。
 自分の後世代に残すべき、強い記憶の事がらの瞬間・状況を、穏やかに素直に表現していきたい。

自分史への試み「保育園から高校まで文化的な事がら」(4)郡山利行

【 4.高校生の時 】

昭和38(1963)年4月、中央線武蔵小金井駅下車の、中央大学附属高等学校に入学した。

  写真 = 高校一年 春

 東横線都立大学駅からの電車通学では、渋谷と新宿が乗り換え駅だったので、土曜日の午後は、たいていどちらかの駅で途中下車して、封切り後再上映の映画をよく見た。
 渋谷の東急名画座は、特に大好きな映画館だった。

 3年間担任だった英語の栗原先生は、洋画をたくさん見て、英会話に慣れるようにと、勧めてくれた。

   映画 『 サウンド・オブ・ミュージック 』

『サウンド・オブ・ミュージック』は、ミュージカル映画のとりこにさせられた、映画である。ジュリー・アンドリュースの元気はつらつの歌声が好きで、20回をはるかに超える回数で楽しんだ。
 歌とセリフと字幕文字は、ほとんど覚えたほどだった。



   映画 『 ローマの休日 』

『ローマの休日』は、渋谷の封切館パンテオンの上階、東急名画座で見るのがいちばん心地良かった。 モノクロ画面と単純なコメディ展開が、映画館の気軽な雰囲気に合い、上映していれば必ず見た。

掲載写真 = Googleの写真より

   映画 『 マイ・フェア・レディ 』

『マイ・フェア・レディ』では、ヘプバーンの歌は吹き替えだったが、他の俳優たちの歌と演技が、いかにも大人の世界濃厚で、何回見ても、飽きなかった。

    本 『 戦争と平和 』:トルストイ

 電車通学、往復100分の読書である。 人名地名の混乱を克服するのに、2年かかって読了したが、中身を全く理解し得えていない、とても不思議な長編小説である。
 後年見た、同名の米国とソ連の映画でも、理解できていない。


    本 『 誰がために鐘は鳴る 』:ヘミングウェイ

美しいタイトルの物語である。 映画の方を先に見た。 主演ゲイリー・クーパーのロバート・ジョーダンがかっこ良くて、女優イングリッド・バーグマンが美しい。映画化を先取りしたようなヘミングウェイの作品群の中で、筆者には一番のお気に 入りである。
 

    本 『 罪と罰 』:ドフトエフスキー

 3年生夏休みの、読後感想文宿題の、課題本だった。 最初から陰湿な場面ばかりで、読むのにつらかったが、後半の緊迫した状況展開では、本から目が離せなくなった。後年読んだ野間宏の『 青年の輪 』は終盤で、『 罪と罰 』のようだなと、思ったことがある。


    本 『 天と地の間に 』:ガストン・レビュファ

 2年生夏休み、姉が、北アルプス表銀座ルートを縦走させてくれた。下山後しばらくしてからの日、兄が、「ヨーロッパの登山家って、素敵だぞ」 と、教えてくれたのが、フランスのガストン・レビュファだった。
 

    本 『 アルプス登攀記 』:E・ウインパー

 兄がくれた、エドワード・ウインパーのマッターホルン登頂記である。 登山の本で、この本以上に興味深く読んだものはない。 線描画の挿絵が美しく、読み進む過程で、登山路の休憩所のような安らぎを感じた。


   映画 『 ビルマの竪琴 』

 映画『ビルマの竪琴』 での、水島上等兵の、ひと言も発せず仲間達に、 自分を伝えようとした姿が崇高に思えた。原作以上に、映画を見ての感動で、それまでの自分の、戦争を見る目が、明らかに変わった。


 

  写真 = 高校三年 冬




「かつしかPPクラブ」が創立6年にして、展示会=葛飾中央図書館

「かつしかPPクラブ」とは、なにかしら。

 東京都葛飾区教師委員会が、単位制の「かつしか区民大学」を立ち上げた。それからすでに6年が経つ。「写真と文章で伝える私のかつしか」と題した講座が、当初から開講された。この講座は途切れることなく、つねに毎年十数人の受講生が学んでいる。

 第1期生が約20人ほどいた。『葛飾区内を歩く、撮る、取材する、そして書く』。この三拍子を学び、小冊子にするものだ。8回の連続講座で、添削はプロ作家・プロジャーナリストだから、一字一句、写真の構図にも、容赦なく朱を入れてきた。取材も、度胸だと言い、飛び込みを行う。それを繰り返して、力量をつける。

「学んだことをこのまま終わらせたくない」
 浦沢誠さんら複数の有志が提案し、自主クラブが発足した。それが「かつしかPPクラブ」浦沢会長である。

 年4回の小冊子発行は欠かさず行ってきた。そして、穂高健一による、きびしい指導の下で、配本してきた。そこには、取材力、撮影力、記事文の文章力には妥協しなかった。
 諸般の事情で、『去っていくものは、追わない』、そして残されたものが、力を磨いていく。その方針も、ぶれなかった。

 かれらの力量は、大手のメディア記者、あるいは雑誌ライターと比べても、まったく遜色がない。それだけの充分な力をつけてきた。

 最大のメリットは、読み手、読者にある。葛飾区内の大きな話題でも、メディアを見ても、ほんの少し、わずか数行しか載らない。これでは欲求不満だ。

「かつしかPPクラブ」の小冊子は、徹底して掘り下げている。読み手には、ふかい感慨を与える。葛飾区をより深く知ることができる。

 こうした力量アップの上で、作品の展示会を決めた。3月1日から3月31日まで、1か月間の特別展示である。

【関連情報】

 展示場所:葛飾区中央図書館

 最寄り駅:金町駅(JR、京成)

 問合せ先:同図書館 03-3607-9201

     :かつしかppクラブ・窓口 090-8689-8166

 

自分史への試み「保育園から高校まで文化的な事がら」(3)郡山利行

【 3.中学生の時 】


 昭和35(1960)年4月、東京都目黒区立第十中学校に入学した。 

 1年E組、自宅のすぐ近くの山田君が同じクラスだった。 彼も本読みが大好きな戦記物少年で、自宅にはいっぱい持っていた。 筆者も負けずに古本屋通いした。


    本 『坂井三郎空戦記録』:坂井三郎

『坂井三郎空戦記録』は、戦記物単行本で、一番最初に読んだ。痛快ともいえる物語の展開で、戦闘機の空戦物読書の原点になった。

『空戦』は、P・クロステルマンという英国空軍に所属した、フラン人パイロットの、ヨーロッパ戦線での空戦記である。 坂井三郎氏のような華々しさはなく、冷静な幅広い視点での物語が、好きだった。


    本『戦艦大和ノ最期』:吉田満

 筆者の父は、太平洋戦争の時には、陸軍商船隊の軍属として、シンガポール、スマトラ方面で、輸送作戦に従事していた。 そのため、艦戦記も数多く読んだ。 その中でこの

『 戦艦大和ノ最期 』は、勇ましさがほとんどなく、何度も読み返した本である。 文語体調の漢字カタカナ文であり、いつも身が引き締まる思いで読んだ。

 1年生夏休みの林間学校での、山中湖一周サイクリングの模様を、宿題作文に書いた。 数枚の原稿用紙に、手書きの挿し絵まで書き、和とじ製本した。 書き出しの一行目が、先生の笛による合図のあとの、「さあ、出発だ。」 だった。 山中湖北部の平野の景色を、故郷の景色に重ね合わせた。
 この作文を授業の時、皆の前で先生が発表してくれて、以後の人生で、文を書くことが好きになった。

     映画 『 二十四の瞳 』

 映画 『二十四の瞳』 には、いろいろな思いがいっぱいである。≪銀座カンカン娘≫が、大石先生になって、自転車でさっそうと、岬の小学校に現れた。 筆者の小学一年生の担任、大楽先生のイメージに重なった。
 そして12人の子供達の青年時代まで、彼らに寄り添う姿が、中学二年の担任、会沢先生にも重なった。


    本 『 西部戦線異状なし 』:レマルク

 2年生の夏、10才年上の兄が、「 そんなに戦記物を読むのが好きなら、これを読んでみろ 」と買ってくれた1冊の文庫本、それが、レマルクの 『西部戦線異状なし』 である。

 二十歳前の主人公、パウル・ボイメル少年の視点で描かれた、戦場の様子と登場する人達の人間描写が、衝撃だった。後年になって見た同名の映画では、更に、この原作としての存在感に一段と感動した。


    本 『 風と共に去りぬ 』:M・ミッチェル

 3年生になった頃、姉が、「そろそろ文学全集も読みなさい、これは面白いわよ 」 と、ド
サッと目の前に置いたひとつが、『風と共に去りぬ』 である。 興奮気味に一気に読んだ。


    映画 『 グレン・ミラー物語 』

 3年生の秋、この1本の洋画に感動し、そして、熱狂的な軽音楽ファンになった。生まれて初めて買ってもらったLPレコードが、『グレン・ミラー・オーケストラ』だった。

    映画 『 七人の侍 』

 3年生の秋、生徒会主催の文化祭(10中祭)で、体育館で上映されて、初めて見た。七人の侍たちが、最高に恰好良かった。
 戦闘シーンの迫力にびっくりした。

    本 『 白鯨 』:H・メルヴィル

 読むことに夢中になった、数少ない小説のひとつである。 そして映画での、グレゴリー・ペックによるエイハブ船長は、興奮せずには見られない存在だった。

 そして映画 『白鯨』 の後に見た映画で、モビィ・ディックと共に太平洋に消えたエイハブ船長が、新聞記者になって、ローマのスペイン階段に現れた時は、映画というものの面白さを、楽しんだ。

    本 『 インカ帝国 』:泉靖一

 3年生の時、級友の一人伊澤君は、横浜方面から東横線で通学して来る、読書少年だった。
彼が、級友の誰も読まない、岩波新書なるものを、いつも平気で読んでいたので、つい真似をした。 彼に勧められたのが、この 『インカ帝国』 である。
 その後大量に読み親しんだ、同新書の、記念すべき第1冊目となった。

「インカ帝国を知ったのなら、この人の本はどうだ 」 と、兄が教えてくれたのが、ノルウェーのトール・ヘイエルダールという人類学者だった。

    本 『 コン・ティキ号探検記 』:T・ヘイエルダール

『インカ帝国』を読んだ後、続けて読んだヘイエルダールの著作、 『コン・ティキ号探検記』 と『アク・アク』である。 帆走のバルサ筏(いかだ)で、南米大陸から太平洋諸島への文明の伝播を、立証しようとした海洋冒険記と、イースター島の調査記録である。 


 夢中になって読みふけった。 そこで、決意した。 将来必ず、イースター島に自分も行ってみる、と。
 時に、1962年秋である。

自分史への試み「保育園から高校まで文化的な事がら」(2)郡山利行

【 2.小学校の時 ② 】

  絵画 『湖畔』 と 『読書』 :黒田清輝

 5年生の担任、大迫(おおさこ)先生は、図画が得意だった。 ある時鹿児島市の美術館で開催された、黒田清輝展に連れて行ってくれた。 

   『湖畔』は、筆者が生まれて初めて、女性を美しいと意識した絵である。 

  『読書』を見て、「台風の雨で濡れた本を、1ページずつめくっているところですか」
と、先生にたずねたら、あきれられた。
                      
 4年生の時、学校でバイオリンを習わされた。まったく弾けず、自然にやめた。

 学校から帰ると、日本の北から南まで、都道府県名と県庁所在地を、順番に全部言えないと、地理の知識が豊かだった母さんは、外に遊びに行かせてくれなかった。 


 日置から伊集院まで、8kmの武者行列。 上写真、前列中央で、左手に先頭提灯を持っているのが、筆者である。
5年生、初めての妙円寺参りだった。責善舎とは、鹿児島特有の地域内≪郷中教育≫の場のひとつで、薩摩藩士意識の源でもある。

 昭和34(1959)年3月、家族は鹿児島から、東京都目黒区に引っ越しした。同年4月から、筆者は同区立東根(ひがしね)小学校に転校した。6年4組、女性担任が高知県出身だったので、当時はやっていた流行歌 『南国土佐を後にして』 を、将来は民謡歌手とおだてられ、学芸会では独唱までした。

 6年の同じクラスに、宮崎県の西都原(さいとばる)出身の、宮城君がいた。同郷的な感覚をお互いに持ち、すぐに友達になった。 その彼は、鉛筆画で太平洋戦争当時の戦艦や戦闘機を描くのが、とても上手だった。

 それを真似したことで、筆者は≪戦記物少年≫になった。 絵の教本となる 『丸』 という戦記月刊誌は、新刊ではなく古本屋で買っていた。 そして、写真グラフ誌と同時に単行本も読むようになったのは、中学1年生になってからである。

                       【つづく】

自分史への試み「保育園から高校まで文化的な事がら」(1)郡山利行

 1.はじめに 
 筆者は、今年2017年に古希を迎える。サラリーマン人生39年間の終盤頃から、おぼろげに考えていた、家族・親類史と自分史作りについて、それを実現させるべく、行動を開始する。

 昭和29(1954)年4月1日は、鹿児島県日置(ひおき)郡日置村立日置小学校に入学した日である。 1年ろ組の担任は、25才の大楽(現姓・前屋敷)ミエ子先生だった。 昨年(2016年)春に、87才でお元気達者の大楽先生に、お会いした。

   4枚一組の写真は、筆者と大楽先生である。


 62年ぶりの先生から、筆者が小学校一年生の時に、どんな児童だったかを語ってもらった。 その喜びが、まず自分史作りに取り組もうかとの、引き金になった。

 上写真は、筆者の、日置小学校入学式の日、自宅玄関前庭での写真であり、同学年時の≪通信簿≫は、現存保有している実物である。 大楽先生に、「先生、ほら、これ」 と見せたら、まあ、と言って、とても照れていた。


 2.保育園~小学校の時 

 右写真は、昭和27年夏、外国航路船長だった父の会社の、神戸の家族宿泊施設にて、5才の筆者である。

 施設ロビーにあった蓄音機で、高峰秀子の、『銀座カンカン娘』のレコードを、何度も何度もかけて、一緒に大きな声で歌っていた。 筆者の母は、この写真を見るたびに、笑いながらそう語った。

 父が、神戸か横浜に帰港した時、田舎の家に送った荷物の中には、珍しい食品等がどっさり入っていた。

 ハーシーのキスチョコと板チョコ、ネッスルのコーヒー、バンホーテンのココア、そしてグレープフルーツなど(左写真)。

 舶来品との出会いだった。

  キスチョコは、母が時々しまう場所を変えていた。 でもちゃんと見つけてポケットに入れ、家の外に遊びに出て、友達にも分けて食べた時のおいしさは、今でも口に残っている。


> 映画 『シェーン』、『砂漠は生きている』

 筆者が5、6歳のころ、13才年上の姉が、鹿児島市で見せてくれた映画である。

『シェーン』では、ジョーイ少年が、シェーンの最後の決闘場所へ行く時、丘から滑るように駆け下る場面で、「がんばれー、急げ!」 と叫び、


『砂漠は生きている』では、見たこともない花が、スローモーションでパーッと開くシーンのたびに、
「 うわー、うわー!」
 と声を上げて喜んだのよと、姉はひやかすように語った。


 写真は、昭和31(1956)年4月、日置小学校3年生になってからのものである。2年生の時の担任、本田先生が、図画や習字のコンテストで入選した児童たちを集めて、記念撮影した。
 
   筆者は前列右端である。


  左写真は県知事の賞での、習字箱であるが、もう何十年も使っていない。

 右写真は、3年生も生担任だった本田先生の、図画の時間である。 写真左側の黒い上着のくりくり坊主の少年が筆者である。

                  【つづく】