ジャーナリスト

幕末彼氏伝 = 広島国際アニメーションフェスティバル実行委員会のお礼の挨拶

 メインテーマ「幕末彼氏伝 ~集え!広島藩の志士たち、伝説はここから始まる!」が2019年3月21日(祝)、JMSアステールプラザ(広島市中区加古町)1階の市民ギャラリーで開催されました。
 これは穂高健一著「広島藩の志士」(倒幕の主役は広島藩だった)を原作としたものです。主催者から、関係者や来客者、支援してくださった方々感謝のメッセージが寄せられています。

【メッセージ】

 おかげさまで、総来場者数は368名と多くの来場者があり、たいへんな盛会となりました。ありがたい事に、こんかいの関係者の皆さまからは、こちらが驚くような、ご提案を沢山、たくさん頂くことができました。
 そのたびに、担当としては勇気と元気をもらうことが出来ました。

 おかげさまで、当初の予定した何倍も良いものを実現することができました。すべて関係者のみなさまのご協力によるものです。本当にありがとうございました。

 会場の熱気もすさまじく……。わたし自身はサウナにいるような状態で、頭から湯気が出ておりました。

 同イベントでは、老若男女の来場者がありました。広島藩への関心の高さを感じることができました。
 とくに、中央ステージでのイベント時間ちゅうは、これ以上来場者が集まったらどうしよう、会場内がオーバーフローし、危険かもしれない……と、主催者のわたしは内心ヒヤヒヤしておりました。



 こんかいの「幕末彼氏伝 」にはイラスト、マンガ、演劇、アテレコ、さらにコスプレなどサブカルなコンテンツを活用いたしました。
 広島藩の歴史への興味関心を高める、その機会を創出する。その試みの第一歩を踏みだし、今後に大きな可能性を感じることができました。

 関係者・来客者のみなさまの温かいご支援、ご理解、ご協力があってこそ、ここまでの強いうねりとなりました。

「幕末彼氏伝 の打ち上げ懇親会においても、出演者の方、スタッフの方、みなさまの方から、今後もいろいろな創作をしていきたい、というお話もありました。
 今後も多彩なコンテンツが産み出されるのでは……と、胸がワクワクと高まっています。


 会場内でアナウンスしたとおり、こちらの写真はすべてネット、SNS等でのUP、拡散は自由です。

 こちらよりダウンロードしてお使いください。(期限は3月28日までです)。今後とも何卒、どうぞよろしくお願い致します。


 広島国際アニメーションフェスティバル実行委員会 事務局

  粟河瑞穂(敬称略)

【穂高健一の公演】

幕末彼氏伝・穂高健一氏講演ここから入れます

【幕末彼氏伝】第一話~第三話『大政奉還』の制作者たち=メッセージ(下)

 

「幕末彼氏伝」(広島)が、平成31年3月21日(祭)場所 JMSアステールプラザ1階・市民ギャラリーで実施された。
 古今東西、歴史を変えるのは若者だ。「歴史は真実でなければならない」と、広島の若者が、明治政府が歪めた歴史を正す。そのために燃えあがってくれた。
 それは歴史に関わる大きなしごとだといえる。

              ☆
  
 イベントの開催の直後、彼らからコメントをもらいましたので、紹介します。


 総合学園ヒューマンアカデミー広島校 金井さん。

 この度は、貴重な機会を頂きまして、誠にありがとうございました。

 当校の学生・卒業生たちも貴重な体験が出来大変喜んでおり、また多くの方に学生たちの活躍を見て頂く機会を設けられたこと大変ありがたく思っております。

 せっかく頂きましたご縁を大切に、マンガ化計画も追って、ご相談などさせていただきたいと思います。今後共よろしくお願いいたします。

 中久保涼さんは「幕末彼氏伝」で高間省三等のキャラクターデザインを担当された。

「幕末彼氏伝」のイベントお疲れ様でした。高間省三などのキャラクター制作についても、企画当初から色々とアドバイスや助言を頂き誠にありがとうございました。

 とても良いキャラクターが出来たと思います!

 なかなか、ここまで大きなイベントの制作物に携わることがないので、とても良い経験にまりました。自分の制作物がこうやって日の目を見る事は、とても嬉しくもあり、自慢になります。

 イベント中も、貴重なお話などを聞かせて頂きありがとうございました。
 今回のイベントを通して穂高様や多くの方々とお会い出来る良い機会となり、とても貴重な1日となりました。

 またご一緒できる機会があればと思います。

 漫画を担当の藤井(フジィFG)さん

 幕末彼氏伝にて漫画を担当させていただきました。大会当日は、たいへん貴重なお話をお聞かせくださり、ありがとうございました。

 私自身、教科書で教えてもらった内容でしか歴史を知らず、広島にこのようなすごい人物がいたのかと改めて勉強になりました。
 穂高先生の著書も改めて読み直し、さらに見識を深めていきたいと考えております。そして、このような活動に私自身携われたことを大変嬉しく感じております。

 これをご縁にお話を頂いております、漫画化を進めていけたらと思っております。またご相談させて頂くことも多いかと思いますが、その時はご指導のほど是非ともよろしくお願い致します。

 キャラクターやイラストを担当の中久保渉さん

「幕末彼氏伝」で綾・浅野のキャラクターやイラストを担当させていただきました。開催日はとても充実した一日でした。

 穂高先生ともお話でき嬉しかったです。こんかい幕末彼氏伝に関われて、本当に良かったと思っております。
 また、今後企画などでお会いする機会がございましたら、よろしくお願い致します。


 上口雅彦さん

 大会当日は遅くまでありがとうございました。上口ジョウグチです。初めての聞く話ばかりで、勉強不足ですが、とても興味深い貴重なお話ありがとうございました。

【穂高健一の公演】

幕末彼氏伝・穂高健一氏講演ここから入れます
 

【幕末彼氏伝】第一話~第三話『大政奉還』の制作者たちへのメッセージ(上)

 浅野家は名家である。豊臣秀吉の正室のネネは、浅野家から出でいる。初代の浅野長政は5奉行の筆頭(現代の内閣総理大臣)として、秀吉の指示の下で太閤検地と刀狩を起こった。

 戦国時代の群雄割拠(ぐんゆうかっきょ)の乱れた時代において、日本統一をおこなった実質的な最大の貢献者である。現在の土地台帳の基礎をつくった人物である。

 浅野家が紀州から広島に入封(1619年)してから、ことしで400年である。広島浅野宗家・初代の浅野長晟(あさの ながあきら)の正室は、德川家康の3女・振姫である。

 広島藩は外様大名だが、秀吉時代から德川家=浅野家はたがいに深い結びつきがあった。このことが浅野家と徳川家がともに幕末において、皇国(こうこく)思想から、世界史にもめずらしい無血革命といえる幕府の解体、『大政奉還』(たいせいほうかん)という徳川家が天皇家に政権返上をおこなったのである。

            ☆

 大政奉還とはなにか
 それは封建制度の士農工商の封建制を枠(わく)をはらい、身分にかかわらず、優秀な人材を政治の執政者(しせいしゃ)として選ぶ。こうした民主的な国家をつくることだった。つまり、立憲民主主義をめざしたのである。

 しかし、政権欲にかたまった薩長の下級藩士が、巧妙に鳥羽伏見の戦いを起こした。そして、「大政奉還」で目指した民主政権を転覆させてしまったのだ。ここに日本の不幸が起きた。

血で奪った政権は、かならずや対外戦争か内戦をおこす
 この格言通り、薩長の権力者による政権が太平洋戦争の終結までつづいた。日本・アジア人々たちがとてつもなく血に塗られた歴史となった。この歴史的な真実は否定できない。

           ☆  
 
 大政奉還の民主政権のまま150年推移できていたらならば、と悔(く)やまれてならない。2度と戦争を起こさせないためにも、幕末史の真実を知らねばならない。温故知新(おんこちしん)。そこから学ぶべきである。

 明治からの薩長政権にとって、幕末の広島藩・浅野家の平和思想にもとづく倒幕運動は目ざわりだった。
 なぜならば、広島藩が倒幕の主体だったとなれば、新政権にとって自分たちを都合よく、大きく見せるためには不都合だったからだ。そこで、浅野家の家史「芸藩志(げいはんし)」の封印からはじまった。
歴史は為政者の都合よくつくられる
 この典型的な事例である。

            ☆

 芸藩志が昭和53年に300部限定で出版されたのである。平成26年に穂高健一著「二十歳の炎」、その改訂版「広島藩の志士」、さらに「神機隊物語」として、幕末広島藩の活躍がよみがえった。

 広島藩・浅野家臣の若者が神機隊を起ち上げた。平和と戦争の狭間で、民のためにいのちを賭けた。大砲隊長の高間省三(浅野家の家臣)は、20歳にして浪江の戦いで死す。
 広島護国神社の筆頭祭神である。この若さにして、大神社の筆頭祭神。すごい人物が広島藩にいた。この事実を知り感動したのが現代の若者たちだ。

 平成のこの時代に、広島の若者が高間省三たちの生き方に感動し、「世に広めよう」と立ち上がった。燃えた。「幕末彼氏伝」の開催へとこぎ着けた。広島市が主催となった、文化庁の認定も取った。
「幕末彼氏伝」(広島)が、平成31年3月21日(祭)に実施された。

【穂高健一の公演】

幕末彼氏伝・穂高健一氏講演ここから入れます

【つづく】

広島藩の志士たち、伝説はここから始まる「幕末彼氏伝」=3月21日(祝)ー広島

 広島が燃えてきた。若者までも、幕末の広島藩に関心を持ちだした。

「なんだ、山口(長州)の奴ら、これまで薩長倒幕だと良い顔してきたが、あれは違うんだって。倒幕には長州藩は表立って関わっていなんだって。
 考えれば、貧乏百姓が松下村塾で1、2年学んだ程度で、それもわずか数年で、巨大な徳川家を倒せる力なんて、あるわけがないよな。考えるほど、嘘っぽい話しだ。
 日本史をごまかしていたんだ」

 広島市内で、幕末史の話題性が急激に高まりを見せています。

                 *

 「二十歳の炎」(五刷)が改訂版として「広島藩の志士」(南々社)から発売されたのが昨(2018)年3月だった。ちょうど1年だ。

 毛利元就から原爆まで、広島には歴史がないと言われていた。江戸時代のこと、幕末のこと、およそ広島藩は無関係だと思い込んでいた。

「広島藩の志士」の帯『倒幕の主役は広島藩だった』、「150年封印された維新の真実が明らかになる」、『芸藩志』(げいはんし)に裏付けされた作品である。

 推薦者は日本ペンクラブ会長の吉岡忍さんだ。

                 *

 広島人が次つぎに読みはじめた。RCC(中国放送)ラジオでも、「幕末史が変わる」と言い、特番を2度も流してくれている。今後も、さらに番組を組むという。
「広島藩の志士は、もはや広島人の必読書」ともいう方がいる。

                 *

 こうした勢いを加速するように、若者たちが立ち上がった。学生が中心となった企画『幕末彼氏伝』が3月21日(祝)に広島JMSアステールプラザ一階、市民ギャラリーで開催される。開催10:00~18:00。なんと、主催は広島市、(公益)広島市文化財団、文化庁までも組み込んでいる。

 広島の燃える炎を感じる。
 
 広島藩の浅野藩主・家臣・農商の志士たちが、上下一体になり、巨大な徳川幕府に「大政奉還」をさせた。それはいったん徳川家が将軍家に政権を返す。そして、士農工商のなかから、有能な人材を衆議(しゅうぎ・会議)で政治をおこなおう。つまり、「立憲民主主義」をつくろうとしたのだ。

 当時は、だれも徳川家が政権を投げだすとは考えていない。広島藩は『倒幕』で藩論統一して、大勢がいのちを賭(と)して動いたのだ。一般言われる後藤象二郎の大政奉還よりも10ヵ月も早やかった。
 否、「芸藩志」には、後藤が広島藩の辻将曹から横奪(横取り)した、と記す。

「横取りしたのか、後藤が。それは広島藩に迷惑をかけた、後藤を殺す」土佐の中岡慎太郎日記にはそう記されている。「広島藩の志士」にはその場面も紹介されている。

「幕末彼氏伝」は、若者たちで盛りだくさんだ。

 ・「サブカル」幕末ステージ。殺陣、ダンスなどで、「高間省三」や「広島藩」をテーマにしたミニステージである。(13:30~)

 ・「幕末の広島藩とその志士たち」作家穂高健一(14:00~16:00)

 ・「キャラクターを作ってみた展」
   高間省三、辻将曹、浅野長勲などのキャラクター紹介

 ・「漫画にしてみた展」
   小説「二十歳の炎」から、名シーンを抜粋し、広島の学生等による迫力ある漫画を紹介

 ・「錦絵にしてみた展」
   アーティスト村上渚が神機隊の活躍シーンを錦絵で描きます。

 ・映像クリエイターSIMIZU R&D OFFICEによる『広島藩の志士』の一コマ

 ・写真入りパネル。現存する高間省三、辻将曹らの持ち物、手紙なども、

 ・広島の偉人 加藤友三郎元内閣総理大臣

 ・広島国際アニメーションフェスティバル紹介(パネルなどで)

            ☆
    
 世のなかの変革は若者がリードします。薩長倒幕が死語になり、「大政奉還」が世界史でもめずらしい、無血革命だった、と幕末史が変わっていくでしょう。

 ちなみに、その立憲民主主義の「大政奉還」をぶち壊した鳥羽伏見の戦いは、「薩摩幕府」をつくる西郷隆盛の陰謀だった、とも認知されるでしょう。

 歴史は為政者が都合よくつくります。しかし、国民はバカではありません。偽装・偽りはどこかで綻(ほころ)びます。
 事実は強い。歴史的事実は真実へと復元力があるものです。

「元気に百歳」クラブってどんなところ?

「元気に百歳」当クラブ は2000年に設立し、2014年に15周年を迎えました。

高齢化時代の中で社会と家族に負担をかけないで元気に生きられるよう、社会・友人・家族と良好なつながりを持ち、心身の健康を保つことをクラブの目標としています。

「元気であることが社会に対する最高のボランティア」「自立(自律)と支え合い」が合言葉です。

 私達のような考え方の輪が広がり、少しでも社会貢献できることを願って活動を続けています。

 当クラブは首都圏とその周辺及び関西が活動の中心ですが、中部、九州や北海道に在住の会員も含めて現在、会員数は約200人です。

 クラブの目標に沿って地域毎の活動を行っていますが、首都圏とその周辺地区についていえば、年2回の例会と、「パソコン教室」、「俳句の会」、「エッセイ教室」、「日だまり」、「ゴルフ会」、「健康体操と歌の会」、「スケッチ会」の7種のサロンを中心に活動しています。

 (詳細は「元気に百歳」当クラブのホームページをご覧ください)

90%以上の会員の方々が何らかのサロンに参加して「学び」と「遊び」を楽しみ、その中で「仲間意識」を醸成しているのが本クラブの特徴の一つです。

 心を開いた仲間としてのつながりを深めて交流の輪を広げましょう。そして、社会に私達の活動を発信していきましょう。



「元気に百歳」クラブってどんなところ?

 平均年齢60代後半!

 まだまだ元気一杯なシニア達が"元気が最高のボランティア"をモットーに、特技や趣味を生かして活動の場を広げています。

  本クラブは、そんな皆様方が精力的に活動できる場を作ると共に、様々なイベントを通して個人交流の場(グループサークル)を提供しています。

 『活躍の場がほしい』『気の合う友人を増やしたい』、余った時間は是非「元気に百歳」クラブでご活躍下さい。

 本ホームページでは、クラブの活動の内容や予定を随時公表していきます。会員の皆様も、イベントスケジュールの確認などにお役立て下さい。また、活動報告なども公開していきますので、お楽しみ下さい。


 (詳細は「元気に百歳」当クラブのホームページをご覧ください)


【補足説明】

 穂高健一は同クラブで「エッセイ教室」の指導をしています。すでに120回を超えています。

 作品は、任意に、「穂高健一ワールド」の『元気100教室・エッセイ&オピニオン』に掲載しています。
 掲載作品は教室に提出された原稿どおりで、講師の手を加えていません。

外国人と、どのように向かい合って生活するか=安達太良山で考える

 平均年齢30代の若者たちと福島・安達太良山に登った。若いっていいな。(私から見て)。将来は若者たちの財産だ。山道を登りながら、この国の先々を考えてみた。

 最近は地方のみならず、東京など首都圏にも、ずいぶん外国人の姿をみる。国際化とはなにか。日本人が外国に出かけていくことでなく、大勢の外国人と一緒に暮らすことである。日本が多国籍国家になる。これが国際化だと定義できる。

 単一民族で育ってきた日本人には、多国籍には馴染めないひとも多いだろう。しかし、少子化で、減少していく人口を補ってくれるのは、外国人である。廃れていく町村、錆色のシャッター街が息を吹き返すのも、もはや外国人の力をおいて他ならない。


 たくさん出産してよ、若者よ、結婚してよ、と叫んで、行政府が金をばらまいても、潮流はかわらない。

 外国人の力を借りて、地域社会が活性化して豊かになれば、その富は公平な分配をしなければ、ならない。併せて、社会への責任と義務も、日本人と外国人と分担をする。
 公平性をもっと推し進めると、外国人にも政治的な発言の機会を与える必要がある。選挙権(公民権)まで与えないと、政治、経済、文化の面で公平ではなくなる。

 私たちがいつまでも単一民族主義の政治にこだわり、無視していると、外国人による公民権運動が起きてくるだろう。

 外国人からみれば、日本で家屋や土地を購入し、地域社会になじんでいるし、利益を与えているのに、なぜ公民権がないのだ、と不満と不平が昂じてくる。こうした不自然な姿から、軋轢(あつれき)が生じてしまう。
 欧米の歴史や現代をみていると、それがよくわかる。


 
 自然界で、最近、よく感じる現象がある。本州で登山をすれば、2000メートル級の山々から高山植物が消えた。熊笹が多い。2500メートルでも、春・夏の彩り豊かな植物は目にする機会がほとんどない。
 楽しめるのは広葉樹が色づく紅葉くらいになってしまった。

 それが生態系にも変化をきたし、シカやイノシシが急激に増えた。この動物たちにとっては、温暖化は住みやすい環境かもしれない。

 海洋ではかつて沖縄、奄美列島にしか見られなかったサンゴ礁が、本州の南端から北上してきている。温暖化で海水温が上がったからだという。海藻や小魚が棲みずらいので、それを餌にする近海魚が激減している。
 数十年前まで、日本人の主食は新潟コシヒカリ、仙台ササニシキなどがもてはやされていた。いまは、北海道米が美味しいという。
 私たちは小学校のころ、北海道は米がとれない地域だと教わってきた。品種改良があったにせよ、米作地帯が間違いなく北上している。

 温暖化で、単一民族の日本人がこの日本列島からしだいに少なくなっていく。かたや、東南アジアの亜熱帯のひとたちが、日本列島に上昇してきた。

 少子化に対して、住居、保育所、給与所得などといろいろな理由はあるけれど、その根底には、温暖化の影響だろう、と類推できる。これは感覚的で非科学的だが、自然界はすべて論理的にとらえられない面があるのも事実だ。

 温暖化による動植物の変化は、人間も動物だという単純な思考からすれば、決して免(まぬが)れない。丸い地球のうえで、南から民族移動がおこなわれている。年間平均温度で4度低い時が氷河期だった。動植物が地球規模で入れ替わった。
 いまや、温暖化から地球上で民族移動が進んでいるのだろう。

              ☆

 わが国で過疎化が問題視されているが、一次産業、二次産業には若者の比率が極度に少ない。若者を見たければ、行政の職場にいけば、たとえば市役所、町役場、村役場のオフィスにいけば、男女を問わず若者の顔がずらり見られる。
 税収入から給与をもらえるひとたちの顔だ。

 しかし、そこから一歩、戸外に出ると、高齢の人たちばかり。これが現実の日本の姿である。

 日本列島で、若い活気のある外国人と共有して住むならば、より質の高いひとたちに来てもらいたい。祖国で役立たない、職がないから、とりあえず日本で日雇い、日銭稼ぎで日本に流れてきた外国人は望まない。

 日本列島で人口確保で、質の低下にならない。そのためには何をするべきか。

 ここらは真剣に考えておかないと、山から高山植物がなくなるように、海岸に魚が棲まなくなるように、あっというまに、5年、10年単位で、日本は美しさを無くしてしまうだろう。

 質の良い外国人の確保となると、かれらに選挙権と永住権を与えなければ、望んで日本には来てくれないだろう。白、黄、黒の行政長がいる。それ自体に違和感を覚えない。そんな法整備が必要な時代になってきたようだ。
 
 福島県・安達太良山から二本松に下山した。こんな提言から、賛否両論で、老若男女を問わず、語り合ってもらいたいものだ。

内閣が決して国家そのものではない。私たち一人ひとりの国家である

『自国に不利な歴史を教えようとしないと、結果的に真実が見えてこない』

 この言葉は、私が2019年の年初に拾ったことばである。私は常々、「なるほどな」と思った格言、用語、あるいは寸語などを一冊の分厚い備忘録に極力書きとめている。

 ちょうど100年前について、西洋史と日本史と重ね合わせているときに、『自国に不利な歴史を教えようとしない』ということばに出会った、私はとっさに「広島に原爆がなぜ落ちたか、知っていますか」という質問を広島人にむけたけれど、一人として答えられなかった。
 その光景が思い浮かんだのである。


「広島は平和都市だ」
 行政も、市民も、多くが叫んでいる。そう信じている。片や、原爆投下までの日本史は知らない。おおかた広島市内で取材しても、9割以上が答えられないだろう。
『自国に不利な歴史を教えようとしない』
 広島人は戦争アレルギーだと称しているが、その実、自国の歴史に責任を持たない、負を語る勇気がない結果だと思っている。

 
 江戸時代の広島の為政者が、毛利家だと思っているひともいる。
「47都道府県で、広島が最も歴史オンチだ」
 私はなにかにつけて堂々と言っている。広島県出身だから、私が言わなければ、誰が言うのですか。他府県の人は、遠慮して言わないでしょう、と。なぜ学校教育で、広島の近現代史を教えないのだ。そんないらだちもある。

                     ☆

 言い放しでは無責任だ。私はここ数年、「広島人はもっと歴史を学ぼうよ。勉強しようよ」と広島に出向いている。草の根運動である。ときには手弁当でも、無償でも、懐具合など無視して出向いている。


 多少は地元史を知っている郷土史家もいる。「日清戦争で、広島は大本営になった。明治天皇が広島に来られた。そのとき臨時国会も広島で開かれた」。
 その先はどうなったの、と聞いても、まずは答えられない。

 当時の清国は満州族が施政していた。アヘン戦争でイギリスにさんざん痛めつけられた。その次に日清戦争で大敗を喫する。義和団事件で疲弊してしまった。

 日本留学経験がある孫文(そんぶん・漢民族)の小さな革命集団に、いとも簡単に倒されてしまった。辛亥革命である。
 その孫文には力なく、独裁色のある袁世凱(えんせいがい)に大総統の座を譲った。そこにつけ入ったのが、日本国政府と財閥だった。


 日本国政府は、袁世凱に対して「対華二十一か条要求」で、満州の領土と利権をよこせと期限付きで迫ったのだ。これが大きな歴史の節目になった。


                 ☆


 第一次世界大戦が1914年7月28日から勃発し、1918年11月11日で休戦しながらも、ドイツが1919年6月28日に「ヴェルサイユ条約」に署名するまで続いた。いまから、ちょうど100年前である。

 この「ヴェルサイユ条約」が、第二次世界大戦の入り口となった。敗戦国への過酷な要求が、ナチズムとファシズムが台頭する要因をつくってしまったのだ。


 イギリス・フランスが大戦中に、中近東の諸国に独立と権益を認める密約があった。これが現在の中近東問題である。100年経っても、問題が解決されない、という大きな課題を背負ったのである。
 
  この大戦のさなかに、日本がドイツに宣戦布告し、ドイツから山東省権益を奪った。そして、日本が中国に「対華21ヶ条要求」を期限付きで突き付けた。
「ヴェルサイユ条約」で、中国代表団が、日本に山東省を返還してくれ、とつよく要求した。しかし、同条約では認められなかったのだ。


 いまから、ちょうど100年前である。ここから日本政府と軍部は、満州がらみで発砲、爆破事件を起こしては中国人がやったと言い、暴走していくのだ。
 やがて、日本の暴走が世界から批判され、(国際連盟脱退・日独伊三国同盟から)見放されて、より孤独になる。1、2年で終結させると豪語しながら、その裏付けがなかった。最悪な選択肢で真珠湾攻撃に突入し、悲惨な沖縄戦、東京大空襲、広島・長崎原爆投下になっていく。


 その根底には、西洋と並ぶ巨大な軍事大国になったという優越感と驕(おご)りが、政府にも、国民にも、メディアにもあったのだ。武器を持たせれば、使いたくなる。これも歴史の真実のひとつだ。
 
 いまから100年前に、この大惨事の導火線に火がついたのだ。

 わずか1世紀前か、もう遠い昔か。
 第一次世界大戦を利用して、大隈重信内閣が出した「対華二十一か条要求」から、日本の歴史が狂った。政府に巨大な軍事力を持たせた結果なのだと、歴史の真実を知らなければならない。
 
                    ☆

 大隈重信は早稲田大学の創設者、広島は平和都市だ、と舌触りの良いことばだけでは、歴史の真実が見えてこない。 
 自分たちに不利なことを知ってこそ、歴史の真実が見えてくる。

 
 大日本帝国憲法には内閣の規定がなかった。それが大きな欠陥、瑕疵(かし)だった。軍人が台頭し、軍人による軍事支配の国家になった。

 その反動で、戦後の日本国憲法は、最大の権限をもちすぎた「内閣総理大臣主義」をつくってしまった。数百人の代議士さえ押さえてしまえば、なんでもできる。
   

 今年は日本国憲法をつつくらしい。公約だという。誰と公約したのか。かなり内閣の独りよがりだ。ならば、私たちは100年前から、歴史を勉強する必要がある。2度と戦争をしない国家をつくるためにも。これ以上の巨大な軍事大国にならないためにも。


 憲法改正の是非を問う国民投票に迫ってきたときは、もう少しさかのぼって150年前の薩長閥による明治維新から、じっくり歴史を学んでいく必要がある。

 明治の人は、自由民権運動が、まさか、こんな憲法になると思わなかっただろう。憲法草案から発布まで、言わずと知れた伊藤博文内閣によって、大日本帝国憲法がスタートした。


 内閣が決して国家そのものではない。私たち一人ひとりの国家である、と認識するべきだ。その時が来たのである。それが国民投票だ。

著名な作曲家・演奏家がなぜ無料コンサートを開催?=音楽の原点の発見(下)

 くれなゐ楽団は、後輩指導にも、大きな主眼をおいている。
若い音楽家は芸大を出ても、高度な演奏技術を持っていても、実戦で活躍の場がない。演奏会の場数を踏むほどに、実力が増していくものだが、その勉強できる場が少ないという。
「若手の尺八演奏者が無理して、あえて公演をやれば、古典の尺八の曲になってしまいます」
 なぜか。それは新曲とか、編曲とか、観客が知っている歌謡曲とかを織り込みたいと思えば、譜面を作成するためのお金がかかってしまうからだ。

 くれなゐ楽団のメンバーならば、尺八演奏者には発表の場があり、作曲家の菊地さんからボランティア(無料)で譜面がもらえる。
 尺八にはベートーベンの曲はない。しかし、菊地さんはそれを編曲してしまう。
「指使いは大変でしょうけど、『運命』を尺八で演奏すれば、演者も、観客も楽しいものです」
 舞台のみならず、若手演奏家には楽屋における人間関係のつながり、必要なマナーなど音楽家にとって大切な学びの場となっている。
「くれなゐ楽団は、音楽家の後輩を育ていく良い場になっているとおもいますわよ」
 そう強調した酒井さんは、みずから歩んできた姿と経験から語っているとおもえた。

          *

 入場無料でも、当然ながら付帯費用がかかる。チラシ製作費、会場費、音響係、照明係の費用は発生する。節約に節約しても、当日の電気代もメーターを量って取られる。それら経費は平均して18万円くらいかかるようだ。
 チラシはデザインが高いから、手づくりで入稿して印刷してもらう。
「くれなゐ楽団の後援として老友新聞がいます。酒井さんが月一回のコラムを掲載している新聞社です。そこからの支援があり、助かっている面があります」
 酒井さんの人脈のつながりに負う面が強いと、菊地さんは語る。
 
「入場無料でも、観客を集めることは大変だな、若い人は意外と来ないものだなとおもいます」
 くれなゐ楽団の観客は見渡しても年齢層は高い。菊池さんの作曲、選曲は観客の齢層に合わせているという。
「入場無料でも、その日の天気とか、気分とかによりますしね。チケットを買っていると、人間は勿体ないからと、来ますけれどね」
 例年の観客は140人くらい。
 
 今年の足立区の公演は「のこぎりキング下田」さんとジョイントでしたから、約180人と多かったと話す。
「10~30代、勤め人とか、若い年齢層はなぜか来ないですね。3回目の公演くらいで、若いひと向きの選曲は外した方が良い、とわかってきました」
 演奏そのものは簡単で、3回のリハーサルで充分。演奏者は交通費もボランティアで自費だから、出向いてくる回数も配慮した作曲を心がけている、と菊池さんは語る。


「音で笑える。クレージーキャッツ、ザ・ドリフターズは、観客が乗っていますよね。くれなゐ楽団でも笑えるところがあっても良い。それを狙っています。突如として、妙な音が鳴ったために笑う」
 楽しめる作曲も組み込んでいる。

 雇われた音楽公演となると、遊び心を組みこめば、主催者から『お金を払ってやるんだから、ちゃんとやれ』という態度がみえ隠れするようだ。
「コンクールみたいな堅苦しい音楽会は、つまらないですよね。ボランティアですから、わたしたちも舞台で愉しむし、お客さんも愉しんでもらっています」
「酒井さんから、親しみやすく、どういう曲が受けるのかと知恵を貰っています」
「第一回目のファンもいらっしゃいますから、ありがたいです」
「多くの観客は酒井さんのお客さんです。他のメンバーはそういう人脈は持ってないし、皆には集めてよ、と言っているけれど、難しいですよね。日ごろの人脈作り、友だち作りはむずかしい」
 菊地は朴訥とした口調で語る。かれも決して上手とは思えないけれど。

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 夏1回の本公演とは、別に有志で演奏活動もやっている。
「年に何度か、神社の奉納演奏もおこなっていますのよ。わたしがクルーズの琴演奏とか、別の仕事と重なり、参加できず、男性だけの華のない演奏会でも、やる? と訊きましても、当然やります、という返事です」
「神社奉納演奏といっても、ボランティアです」
 和太鼓の関根まことさんは、りっぱな防音スタジアムを持っており、太鼓チームがあり、EXILE(エグザイル)のバックもやっているし、海外公演も多い。100人の弟子がいる。たとえば、こんかいの神社演奏は、和太鼓はダメなんだというと、関根さんはプスッとしていますよ。それほど、5人はボランティアデも、くれなゐ楽団での演奏が大好きなのだろう。

「靖国神社の奉納演奏は大雨でしたから、ひとは誰もいなかった。ご祭神に対しての演奏でした。神さまは音楽が大好きですからね」
 酒井さんは屈託なく明るく話す。


 くれなゐ楽団とはなにか。

 従来のプロ音楽家の常識をくつがえしている。発想の転換、新しいスタイルの音楽活動である。
 主催者任せの音楽会でなく、すべてがかれらの手作り。公演の企画から、編曲、選曲、そして真摯に区役所に頼みにいくことからはじまる。そして、ネット時代における無料化に挑む。
 
 原始、古代には貨幣経済などなかった。音感の優れた人が竹、石、革などを使う楽器演者として、集落のひとや神々を愉しませたに違いない。

 くれなゐ楽団のメンバーは欲得、お金、利益などを超越していた。かれらには一流という驕(おご)りはなく、斬新さと同時に、音楽の原点に立ち返った姿がある。結成から7年経った今、さらなる音楽の発展と、将来のあり方が視野に入っているはずだ。
 やがては、プロ音楽のネット化革命につながると期待したい。

                    【了】

著名な作曲家・演奏家がなぜ無料コンサートを開催?=音楽の原点の発見(中)

 くれなゐ楽団が無料の演奏会を開く、という考え方を思いついた理由はなんですか。作曲家の菊地慶太さん、琴の名演奏家の酒井悦子さん、両名に訊いた。

「パソコンの無料ソフトがありますよね。グーグルだって、無料ですし。それがヒントで、そこから始まったのです」(笑い)。
「当初のマイクロソフトのワードはずいぶん高かったけれど、いまは無料ソフトが多く出回り、多くが無料ワードを使って人気です。くれなゐ楽団は無料ソフトとおなじ入場料はもらわない方向性で臨んだのです」
 菊地さんの説明には、妙に現代性を感じた。

「そうです。音楽会も無料の方が、無料ソフトと同じく、宣伝効果は高く、人気が出るのじゃないかしら、10年間はやってみましょう、という考え方で始めましたのよ。とかくありがちな、メンバー間の分担金でもめる破たんは少なくとも10年間はありませんしね」
 酒井さんが補足した。

 無料だから良くない演奏だとか、アマチュアだとか、そんな先入観が世間にはある。アマ・バンドが勝手に演奏会を開いている、と思われない対策もくれなゐ楽団は講じている。
 公共の会場を借りると同時に、公的な地域性、福祉性を前面に出すために、区役所、区長の後援を受ける策をとっている。
「その交渉の段階で、くれなゐ楽団は営利を目的としていない。この無料が決め手になるのです」
 第1回目が墨田区、第2回が例外的な佐野市、第3回が東京にもどってきて荒川区、江戸川区、江東区、葛飾区、そして7回目が今回の足立とつづいてきた。
「区によって、対応がまちまちですのよ。会場費はちがうし、区の広報に載せてくださるところ、それもまったくないないところ。ずいぶん違いますのよ」
 行政の対応のバラバラ加減は、それなりに理解できた。
        
 くれなゐ楽団のメンバーは雇われている意識は皆無です、とふたりは口をそろえる。

「メンバーは、自分のバンドという意識で、みずから役割を見つけて、積極的に動いています。会場で重い荷物を運ぶひと、お弁当を買いだしに行くひと、餅屋は餅屋、そういう分担で自主的に動いています。酒井さんは顔が広いし、集客とかをやってくれています。ぼくは譜面しか書けない」
「譜面がなければ、演奏ができないでしょう」ふたりの呼吸は合っている。
「演奏会が終っても、費用のかかる打ち揚げなどはしない。いつの間にか、楽屋からだれもいなくなっています」
 メンバーは自分のバンドとして役割を果たすと、分担金の問題もないし、反省会も必要なく、演奏努力にたいする満足感と快さを感じながら、会場から去っているのだろう。

 くれなゐ楽団は、年一度の演奏会を夏場に限定している。音楽家は文化の秋が忙しいので、その期間は外している。
「くれなゐ楽団のコンサートを秋に入れたとすれば、かれらの仕事が秋にきたとき、『この無料演奏会さえなければ』と思うはずです。それは気の毒です。そんな負担をかけたら、みんなに悪い。また、くれなゐ楽団がつづきません。音楽家はお盆が暇なのです。夏の演奏会は10年間継続できる条件のひとつです」
「くれなゐ楽団は夏の風物詩ですもの」酒井が笑みを浮かべた。

 全員がプロです、『ぼくは嫌です』と言われたら、去るものは追わず、それまで、と割り切っている。

「現在のところ『嫌です』という立候補者がいないから、五人編成は続いています。お金はあげてないし、やりたいから来ているのでしょう。リハーサル(練習)の電車賃だけは自前で、あとの負担はない。7年間で、わずか1人が入れ替わっただけです。そのかれとは他で一緒に演奏をともにしています」
 人間にはそれぞれ考え方や意見がある。
 5人が持続可能となると、難しい局面が生じる。その都度、気持を確かめながら、前に進んでいるという。

                   【つづく】

著名な作曲家・演奏家がなぜ無料コンサートを開催?=音楽の原点の発見(上)

「のこぎりキング下田&くれなゐ楽団」のコンサートが、2018年8月19日に東京・足立区の梅田地域学習センターホールで開催された。琴、和太鼓、尺八、キーボード、ハーブなど、いずれも一流の演奏家たちである。
 チラシには『入場無料・申込不要、どなたでもご入場できます』と謳っている。満席に近い観客だった。

 ブロの演奏家が2時間のぶっ続けの公演は見事であった。
 選曲は日本人になじみ深いものばかり、観客が酔いしれている。演奏がわ、観客がわの一体感肌で感じとれた。まぎれもなく超一流の演奏家の「くれなゐ楽団」が、なぜ無料で演奏会を開催するのか。聴くほどに疑問が高まるばかりだった。

 一般にプロとは、どの分野においても卓越した技術で、お客を楽しませ、満足を与え、独特のこだわりがある、そして、お金を稼げるひとだ。お客は期待通りだと、次回もリピーターになる。反面、その期待が裏切られると、次回からは遠ざかっていく。プロの活動家は、その厳しさを常に感じて、お客と真剣に向かいあっている。

        *

 くれなゐ楽団はなぜ入場無料なのか。その考え方、狙いが知りたくて、作曲家(当日はハープとキーボードを演奏)の菊地慶太さん、琴の名演奏者の酒井悦子さんに取材を申し込んだ。

 新宿で、ふたりから話しを聞くことができた。

 菊地慶太さん(49歳)は作曲は小学生の頃からはじめており、音楽大学の作曲学科を卒業し、さらに国立の学芸大学・大学院へと進んでいる。そして、プロの作曲家活動を展開している。
 27年間にわたり『猫勧進』として活動をやってきた。
 7年前、2011年には「自由で、実験的な別働隊をつくろうよ」と作曲家の菊地さんと、「年に一回はやりましょうね」と人脈の多い琴演奏家の酒井さんと呼吸が合い、『くれなゐ楽団』を起ち上げた。紅(くれない)に対して『ゐ』をつかうのはイメージだという。
 5人編成で、菊地さんが4楽器の編曲を一手におこなう。

「なぜ一流のアーチストが無料で、演奏会を催すのですか」と単刀直入に訊いてみた。

「ボランティアによる音楽活動が、社会的に認められるか、どうか。音楽の実験です」
 具体的に、どんな実験ですか。
「観客からお金を貰いますと、分配の面で不平、不満がでてきます。誰がいちばん働いているとか、もめ事のタネになります。入場無料で、観客からの収益がないわけですから、メンバーはボランティア出演になります。争いの回避が継続性につながります」

「逆ですと、最悪は一回ぽっきりの演奏会で終わってしまいますからね」
 酒井悦子さんも、おなじ考え方を述べた。

「くれなゐ楽団は出演料もなければ、自己負担もなく、舞台で演奏ができるのです。各自、楽器を自前で会場に運んできます。それ以上の持ちだし、吐きだしがあれば、くれなゐ楽団の持続性に難がでてきますから」
 作曲家の菊地慶太さんは、持続性を強調した。

 プロはどれだけ稼げるか、という尺度もありますが、最初から、音楽家の皆さんは入場無料に賛成でしたか、と質問をむけてみた。
「くれなゐ楽団を立ち上げる前、それぞれの演奏家に面接して、なぜ、ボランティアなのか、趣旨を説明しました。演奏会は1年に1回だし。練習は3回のみ。ただし、交通費は自分で払う。現在のメンバーは理解してくれました」

 菊地さんがボランティアの音楽活動に、三つのメリットをあげてくれた。
① 演奏する私たちは、舞台に立って演奏していて、とても愉しい。

② 第三者に雇われているのではない。(主催者の思惑)ここはこうしてください、という強い要求・難題もない。媚びる必要はない。自分たちが楽しく演奏ができる。

③ 演奏者の楽しさは、会場のお客さんに伝わっている。

 自由演奏活動が、つまり音楽実験という趣旨のようだ。

「プロアーチストは、チケットを売るのが努力といいますか、その精神的な負担がとても大きいのですよ。演奏会の無料ですと、その労苦から解放されます。くれなゐ楽団はチケット売る努力がないのです。演奏会は無料だから来てね、とお誘いしやすいですしね」
 酒井さんがことばを添えた。

「無料だと、入場者が来るかこないか、観客席の埋まり方がまったく予測できない。ここらが実に不透明です」
「入場者がいらっしゃらなくても、5人は演奏をやれるわけですからね、ストレスはないのです」
 酒井さんが明るく話す。

      【つづく】