ジャーナリスト

戦争は平和都市をつくる

 ふるさとに帰る都度、「平和」という表現をよく聞く。「広島は平和都市」だと行政も、市民も語る。

 いまや、ウクライナ戦争は緊張の度合いを高めている。アメリカ次期大統領選挙で、トランプ氏が勝てば、ウクライナ支援から撤退するという。バイレン大統領も、来年以降の追加支援予算が取れないだろう。

 アメリカ支援がなくなれば、ウクライナは孤立する。フランスは陸上軍を送りだす構えだ。イギリスも与するだろう。
 これは1853年のクリミア戦争とまったくおなじ。ナイチンゲールで有名になった欧州大戦争である。ロシア(ニコライ一世)がオスマン帝国に侵攻した。英仏がクリミア半島一帯に兵を送り込み、オスマン帝国との連盟軍としてロシア軍と戦う大規模な戦争になった。
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「歴史はくりかえす」
 170年経った今、英仏軍がウクライナ領に入り、その先ロシア領まで踏み込めば、プーチン大統領は公約通り、核弾頭ミサイルを撃ち込む。首都・キーウならば大惨事で、核被爆地「キーウは平和都市」となる。
 戦争は人間を凶器にする。「目には目を、歯には歯を」となると、英仏がモスクワに核報復する。モスクワは平和都市を宣言する。
 両国は首都を変えてでも、戦争をつづける。
 さらに被爆したパリ、ロンドンの平和都市が誕生する。NATO軍の28カ国のなかで核兵器をもたない国すら核攻撃のターゲットにさらされる。


 2023年1月現在、核兵器は一万2512発ある。核はおなじ都市に落とさないので、その数だけ平和都市が生まれる。
 思うに、一世紀前の漫画をみれば、高速道路、新幹線、旅客機による旅行など夢の世界だった。いまや違和感なく実現している。漫画とは未来像の先取りだ。SFやアニメなどには「人類滅亡」の素材があふれている。あと一世紀も待たずして人間は過去40万年の歴史を消し、他の生物に地球を譲るのか。

 ところで、毎年八月六日の広島式典では平和をうたう。「原爆投下がアメリカだったと、広島は言わない」と、プーチン大統領が批判したことがある。

 第二次世界大戦から80年が経ち、世界の若者たちはドイツ・ホロコーストも、日本がどこの国と戦ったのかも殆んど知らない。式典主催者がアメリカによる原爆投下だと言わないのは、子々孫々、後世に歴史の本質を隠す行為だ。

 曲げられた歴史はとかく利用されやすい。独裁者となったプーチン大統領が核兵器のボタンを押しても、NATO諸国に予告と警告をくり返してきたロシアだから、広島式典のように投下国の悪名が残らない、と考える。勝てば免罪符だと言い、核兵器の引き金に利用される。

                    「広島ペン2024下 寄稿」

国民の祝日「山の日」・8月11日 第8回大崎上島・神峰山大会

国民の祝日・8月11日「山の日」は、全国大会第9回目は東京大会です。

瀬戸内海の島で、なぜ「山の日」をやるの❓ という疑問からスタートして、もはや恒例となった「第8回大崎上島・神峰山大会」が8月11日に開催されます。

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第1回からのコンセプトは「全国に通用する島になろう」です。東京で活躍する著名なアーチストを招こう。普段はまず現地・広島ではなかなか聴けない一流どころの音楽を聞こう。
 かれらアーチストも、島の良さを知ってもらおう。

 全国大会を目指し、国会議員も来て挨拶してもらおう。(コロナの時をのぞき)。今年もお二人の衆議院議員と県会議員にお声がけしています。

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全国大会もしくは10回までこぎつけられたら。次の目標は決まっています。次世代にバトンタッチし、「瀬戸内海のマルタ島」として世界に名が知れる大崎上島にしてもらう。夢でなく、理想で行動する。これを合言葉にして。

 先日、チラシを日本ペンクラブの会報委員に配って宣伝したら、「なに県にあるの?」といきなり委員長から質問が飛び出した。
 こちらはもはや全国に知れ渡っている気分でした。広島県大崎上島町です。

日時 ・8月11日「山の日」 13:00 ~ 16:00

会場 ・大崎上島開発総合センター大会議室です。

プログラム 来賓あいさつ 
  
      「神峰山」と題した俳句募集の「優秀作品発表」

      和楽器演奏

      講演 穂高健一「江戸城大奥の光と影」(妻女たちの幕末より) 
 、

オッペンハイマーの映画  桑田 冨三子

「オッペンハイマー? 聞いたことあるなア、だれ、その人」
 大きな声が耳に入った。
 わたしは、その時、大勢の人たちといろいろな話題でガヤガヤと歓談していたのだが、(ああ、やっぱり、日本人はこの名前がなんとなく気に懸かるんだ)と気が付いた。

 今年の春、終わりに近い頃になってやっと、日本ではこの「オッペンハイマー」の映画が見られるようになった。他の国では去年からとっくに公開され、結構話題になっていたのに。
「なぜ、日本では公開されないの。米国やフランスでは、みんな、もう見ているよ。」
「日本人は原爆を落とされて可哀そう」
「きっと日本人はこの映画をみたくないと思っているからよ」
「みせたくないのじゃないの?」
「だれが?」
「うーん、アメリカの政治家か」
「日本人は原爆のことを考えたくない。知りたくない。躊躇しているんだと思う」

 外国人たちの話を聞いていたわたしはさっそく、この映画を見に出かけた。

オッペンハイマー.jpg 6月5日のことである。ゴールデンウイークのさなかの街は閑散としていた。いつもより人出は少ないように思われたが、六本木ヒルズの映画街で入場券を購入しようとして驚いた。
 なんと開始の2時間も前なのに全く席がない。満席である。交渉して、なんとか一番端っこの席を手に入れたが、入ってみると、これまたびっくり。座席にいたのは全員、若者だらけで、年寄の姿は見当たらない。でもわたしは、ほっとした。
(若者たちがこんなに、この映画に関心を持っている。)

 映画のストーリー。1926年、イギリスのケンブリッジ大学で実験物 理学を学んでいたロバート・オッペンハイマーは、教授に勧められて、ドイツへ渡り理論物理学を学ぶ。博士号を取得し、故国アメリカへ帰国し、カリフォルニア大学バークレー校で教鞭をとった。同じ大学の精神科医師で共産党員のジーン・タトロックと出逢い恋仲になる。この聡明で奔放なジーンとのロマンスは長続きしない。

(この短い期間がのちにただならぬ影響をおよぼすことになるのだが・・・)オッペンハイマーはその後、植物学者キティ(キャサリン)と気が合い結婚する。
 二人の間には子供も生まれて、幸せな家庭を築いていた。

 時は、ヒットラー率いるナチスがポーランドに侵攻、第2次世界大戦を起こし、その戦況を優位に進めていた。1941年、米国が世界大戦に参戦する。
 ルーズベルト大統領は英国との協力体制で核兵器開発プロジェクト「マンハッタン計画」の実施を承認する。プロジェクトの責任者になったレスリー・グローヴスは、1942年、ドイツの原子爆弾開発の成功が近いと危惧し、オッペンハイマーに原子爆弾開発に関する極秘プロジェクトへの参加を打診。オッペンハイマーは喜んでこの誘いに応じた。

 彼は、まずニューメキシコ州のロスアラモスに研究所を建設し、当時の最高峰頭脳科学者を集め、家族ぐるみで移住をさせた。彼は人々を激励し鼓舞し、あらゆる決定の場に同席し、知的アドバイスを与えた。その存在が「情熱と挑戦への独特な雰囲気」を作り、世界初の核兵器製造につながる科学的発見を連鎖反応のように次々と生み出していった。

 その一方では、競争相手であったナチスは劣勢を極め、1945年に降伏してしまう。

「あとは日本を降伏させるだけ」
 となる。なんと、そのための武器として、原子爆弾の研究は続けられた。1945年7月16日、オッペンハイマーと研究所の科学者たちは、ロスアラモスの南にあるトリニティ実験場に集まった。

 世界初の核実験が行われる。「ガジェット」と名付けられた原子爆弾が、人類の未来を形づくることを、その場にいた人々は理解していた。連鎖反応で地球の大気を発火させれば、地球全体を破壊する可能性はある。緊張の瞬間。この世ではない煌めきと凄まじく轟き渡る爆発音。(この映画の特殊撮影らしい)実験は成功した。オッペンハイマーは喜んだ。でもそれは、ほんの束の間のことであった。

 8月には広島、長崎に実際に原爆が投下され、その惨状を聞いたオッペンハイマーは、深く苦悩するようになる。世界戦争は終わった。
 戦争を終結させた立役者として賞賛されるオッペンハイマーだったが、時代はそのまま冷戦に突入し、アメリカ政府は更なる威力を持つ水爆の開発を推進して行った。そのため、1947年プリンストン高等研究所の所長に抜擢された彼は、さらに原子力委員会のアドバイザーになる。
 だが彼は、この核開発競争がますます加速していくことを懸念する。水爆開発反対の姿勢をとったことで、次第に追い詰められて行く。米のマッカーシ上院議員らが赤狩りを強行。昔の恋人ジーンとの事もあり、彼の人生は大きく変わって行くのだった。映画はここで終わる。

 1954年、オッピーはソ連のスパイ容疑をかけられFBIから「共産主義者」のレッテルを貼られる。アイゼンハワー大統領の時、政府公職追放を受け彼は危険人物と断定された。1961年ジョンF・ケネデが大統領に就任すると側近にはオッピー支持者が多く公的名誉回復の動きが出る。オッピー61歳、喉頭がん。62歳で死去。

 2022年、米エネルギー省のグランホルム長官が、オッペンハイマーを公職から追放した1954年の処分は、「偏見に基づく不公正な手続きだった」として取り消したと発表。彼にスパイ容疑の罪を着せて失格を剥奪したことを、公的に謝罪した。

 わたしがこの映画を見て考えたことを述べる。

➀映画は大きな問題を観客に投げかけるが、その解決を与えていない。

②原爆の破壊力がどれぐらい地球・人間・文明に及ぶのか、それが日本で試されたこと。

③映画は世界中の人々に共通する普遍的な問題を教示している。

 わたしは映画を見に来ている若者が大勢いたことに驚いたが、それは、とても嬉しいことである。日本の若者たちが、こんなに大勢、この未解決難題にどう向き合っていくのか、わたしは、希望を持って見守っていく。

写真 J・ロバート・オッペンハイマー J. Robert Oppenheimer ウィキペディアより

【オピニオン】代議士たちよ、世界に活躍する政治家になれ。悲惨な世界を救え

 21世紀に入り、地球環境の悪化、さらにウクライナ戦争、イスラエル・ガザという戦争が連日報道されている。一般人が砲弾の恐怖にさらされている。瓦礫(がれき)に埋まる子どもらや母親たちが悲惨な叫びをあげている。気の毒すぎる。

 いま、私たち日本人は何をするべきなのか。なにか助け舟を出せられないのか。私たちはなにもできないのか。誰も助けてあげられないのか。
 傍観者になっていないだろうか。助けられる命を見殺しにしているのではないだろうか。そんな自問がある。
 
             ☆  

 テレビ・ラジオのジャーナリストやコメンテータたちは、「自由民主党の黒いお金をめぐって」バッシングしている。SNSの庶民も正義感ぶって首相の低支持率を喜んでいる節がある。

 日本の代議士は世界の悲惨なことに眼をむけず、狭い日本のなかで、黒い金の罪だ・罰だ、と党利・党略の攻守の議論をふりまわす。
 鬼の首を取ることも大切だろうが、過去の汚点を掘り返すのも程度問題だ。首相を自民党総裁に足止めしすぎている。
 G7の大国の首相ともなれば、地球がかかえる環境問題、戦地の人の命を助ける行動に尽力するおおきな役割があるはずだ。            
     
       ☆
         
 地球は狭くなった。戦地まで一日もあれば飛んでいける時代だ。罪のない大勢の市民がきのうも、きょうも血を流し、食料に飢えに苦しんでいる。

ウクライナ戦争.jpg「餓死(がし)で死ぬほど、人間の死で最も痛ましいことはない」といわれている。
 
 野党を含めて国政をあずかる代議士が、ここ1、2年で何人が悲惨なウクライナやガザに入ったというのか。政治家として、日本人として、多くの命を助ける行動にでないのか。

 いまや、世界はこんな日本の政治家に何も期待しないし、ただあざ笑っている。仲介の声もかからない。情けないではないか、おなじ日本人として。与野党ともに『世界に通用する政治家になれ』と叫びたい。

             ☆  

 私たち日本人は太平洋戦争で悲惨な体験をした。出征した父親が戦死して残された子が数百万人いた、満州から飢(う)えで引き揚げてきた子が数十万人もいた、都市の大空襲で両親を亡くした子らが数限りなく大勢いた。
 戦争孤児、あるいは原爆孤児たちはガード下や焼け野原で暮らしていた。物乞いまでして生きてきた。
 敗戦後の飢餓(きが)の日本人に、世界中が食糧支援してくれた(戦争批判はありながらも)。そして生き長らえてきた歴史がある。
 それもまだ7~80年前のことだ。

 政治家は二世、三世になった。だからこそ、勉強してほしい。悲惨な日本の現代史を紐解(ひもと)いてほしい。代が変わっても、恩返しの時ではないか、と政治の本質を理解してほしい。

 国政の代議士ばかりでなく、平和都市宣言(356)の市町村長らにも、これは言える。困ったときには助けてもらい、戦地で困窮している被災者には頬かぶりでは、情けないではないか。
 何のための役所の前の一等地の「平和都市宣言」の立て看板なのか。

             ☆   
 
 年明けて、私は中国新聞から「オピニオン」の執筆依頼がきた。「戦争を止める決意と気迫を」というタイトルにした。
 岸田首相の外交政策に期待するとしながらも、これはひとり首相にかぶせて一任するものではない。
 与党、野党を問わず、全員がもっと世界に活躍する政治家になれ、と𠮟咤する気持ちで執筆した。
 岸田首相の力量不足なれば、与党の政治家が次つぎ支援するべきだ。野党も政権を目指すならば、世界の主だった政治家と連帯する意気込みを国民に見せるべきだ。
 与野党とも、『世界に通用する政治家になれ』と期待したい。

「今を読む」2024年2月27日 中国新聞「オピニオン」.pdf


【国民は選べる】次の衆議院議員選挙で、愛子さんか、悠仁さまか、選ぼう

 愛子内親王殿下(愛子さま)は、4月1日に社会人として日本赤十字社に就職された。多くの庶民はTVの映像に映しだされた、清々しい笑顔とお姿をみて彼女への将来への期待が高い。

 秋篠宮悠仁親王(悠仁さま)は高校生で、皇位継承順位は父・文仁親王に次ぐ第2位である。大学進学先として東大と筑波大が有力視されているようだ。

二重橋.jpg 国民の眼は、どちらが天皇になるのか、とかたずをのんで見守っている。現在の皇室典範では、男系天皇と規程されている。
 ただ、昭和22年には、戦前の大日本帝国憲法とちがい、国民主権で国会において「皇室典範を改定できる」と規程している。

 つまり、庶民が天皇を選べるのだ。これぞ国民主権である。
 将来の天皇は、女系の愛子さまも可能とするのか、いやいや男系の悠仁さまでいこうとするのか。

 戦前まで、明治天皇の治世(明治22年)に「退位禁止(譲位禁止)」と「養子禁止」と「直系男子への皇位継承優先」について定めた旧皇室典範があった。
 国会議員が改定できなかった。

 戦後の日本を占領下におくGHQが、この皇室典範の内容をほぼ踏襲するが、国民の代表(代議士)が国会で改正できるとした。

 
 ・日本国憲法第二条によって、皇位は世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。

 ・皇室典範第一条
 皇位は皇統に属する男系の男子がこれを継承する。


 今年10月には衆議院選挙がおこなわれる。国民が投票で、象徴天皇は女系も可能とするのか否か、と決めてはどうだろう。

 ・改定【皇位は、皇統に属する男系もしくは女系のみがこれを継承する】

 すべての立候補者には、このように皇室典範の改定するのか、現行のままとするか、それを選挙公報に謳(うた)ってもらう。明示していない候補者には、選挙事務所に問い合わせする。
 男女、年齢層を問わず、わかりやすい国政選挙になる。

            *
 
 国民国家の日本において、近年の政党政治はどうもうまく機能していない。スキャンダルが多すぎる。民意が期待通り反映されていない。選挙公報も紙きれ同然だといわれても仕方ない。
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 大きな政治集団が裏金で金儲けをしている。国民の義務の税金も払わない。母集団の頂点にいる者が、適材適所でなく大臣や役職をとりしきっている。パソコンができない人物がデジタル庁長官になる。公文書の改ざんや焼却する。枚挙にいとまない程の醜悪なる事実を見せつけられている。

 多くの代議士たちは本気で民意を聞かず、頂点にいる人物に迎合している。この構図は、独裁者を生みだす危険性すらある。国家・国民に危機がおよんだときに、真に役立つ政治家なのかと疑わしい。

           ☆
     
 このさい「皇室典範」に絞り込んだ衆議院議員の選挙をおこなってみる。与党か、野党か、などと問わず、国会議員全員が無党派でよい。日本の政治を変えることができる好機になる可能性がある。

『政党政治から個人主義政治』

 国会に選ばれた最上の人物を内閣総理大臣に決めればよい。その首相が憲法にもとづいて適任の人物を大臣に選任する。
 
 夢物語と思われるかもしれないが、政治哲学からいえば、デジタル化で有権者が瞬時に代議士を選べる時代がくる。手間ひまもコストもかからない。都度、有能な人物を選べる。
 大きな事例があるたびに国会・議会を解散し、民意を問う。それが世界の政治の流れになるだろう。

 世界に先駆けて、日本が個人主義政治に変革していく。
 日本には歴史的に民による革命の経験がない。「お上の決めたことに従う」という風土を作ってきた。
 ここから脱却する。政治意識を変える最大のチャンスだ。投票率も期待できる。選挙後の個々人の政治家にも厳しい目がむけられる。

 国家の将来のために、手弁当とまでいわないが、代議士が本気で民意を聞いてくれる政治制度へと踏みだせるだろう。

 民が象徴天皇の皇位をきめる。国民主権を体験することだ。
 
                    写真 = googleフリーより

新聞寄稿 「ペリー来航の真相」

 最近の私は、歴史作家といわれている。もともと純文学の作品を書いてきた。かれこれ十年前になるだろうか、雑誌の編集者から「坂本龍馬を書いてください」と依頼をうけた。
「えっ。歴史上の大物の信長、秀吉、家康、龍馬などは、権威ある歴史作家......、司馬遼太郎、吉川英治、池波正太郎とかが書くジャンルではないですか」
「あなたの筆力だと書けますよ。取材力はあるし」
「無名でも、読んでくれますかね」
 そんな経緯で引きうけた。
 坂本龍馬の通説にはやたら嘘が多いな。
「人間って、こんなことしないよな」
 私が純文学の目でみると、英雄史観には人間離れしたことが多すぎる。現代のように新聞・テレビもないし、情報が瞬時に飛び交っていないし。そもそも、この世にはスーパーマンなどいない。

                  ☆

 私にはジャーナリズム精神と技術がある。自分が納得できるまで裏どりをする。あるときはミステリータッチ(刑事の勘)で臨んだ。ともかく、龍馬の足取りを追う。
 やがて船中八策(せんちゅうはっさく)は本物も、まして偽物もない、とわかった。さらに調べると、大正時代に土佐の政治家兼文筆家のつくり話だとすっぱ抜いた。つまり、龍馬は大政奉還の建白には関わっていなかったのだ。
 それを整理して雑誌で掲載した。これまで返品率が70%だったのが逆転し、返品が限りなくなくなったと喜ばれた。中日新聞(東京新聞)が日曜版で、見開きで大々的に取り上げてくれた。

                 ☆

いろは丸.jpg いろは丸事件でも、「衝突した紀州が悪い、龍馬が正しい」と、それが通説だった。長崎奉行は、龍馬の金塊と最新銃を積んでいたという主張を認めた。そして紀州藩には損害支払いを命じた。

 私は鞆の浦で、潜水調査した京都大学の助教授の存在を知った。取材申し込みをうけてくれた。「ガラクタばかりですよ」とマイクロフィルムを見せてくれた。さらに引き揚げた蒸気窯レンガの実物も触らせてくれた。
「なぜ。京大は鉄砲も金塊もなかったと、それを発表しないのです」
「ヘドロが船体に被さっており、引揚しないと船名が確認できないからです。あとは作家の世界ですよ」
 それも加えて雑誌に掲載した。
 坂本龍馬の批判記事は、おおきな反響を呼んだ。
 
 私が連載で次々と龍馬通説を暴いた。当然ながら、ファンから反論が寄せられる。「そこまで言われるならば、高知の坂本龍馬記念館に行って、船中八策を見せてもらうとよいですよ」とさらりと応えていた。むろん、現物があるわけがない。フィクションなのだから。

 6回の連載がすべてそんな感じだった。最近は教科書から坂本龍馬が消えるという。これまで虚像の世界の人物だから当然だろう。それは龍馬自身が悪いのではない。
「彼はそもそも鉄砲密売人なのだ。歴史学者と歴史作家が明治政府のプロパガンダに乗せられて、いまだに『倒幕の英雄』という偶像を史実のごとく扱っているにすぎないのだ」

                  ☆

 最近の歴史関係書は、歴史を後からの視点で書いている。
 英雄たちが早くに文久時代から「倒幕」を叫んだように展開している。これも大嘘だ。当時の幕府といえば、最大の絶対権力があった。全国津々浦々に、公儀隠密がはりめぐされている。
 幕府の役人に、「倒幕」が一言でも発覚すれば、あるいは嫌疑がかかれば、当人のみならず連座制で一家全員が処刑される。武士は「家」制度の下で、親兄弟に迷惑をかけられない。たとえ脱藩しても、口が裂けても倒幕など言えなかった。脱藩そのものが「斬首」の刑が認められていた。
 学者にしても、歴史作家にしても、十五代将軍徳川慶喜の大政奉還まで「倒幕」を叫んだり、書簡(密書)に綴ったりした人物はいない(隠密に奪われる危険性があるし)とするべきだ。(処刑された吉田松陰すら倒幕は口にしていない)。

  ☆

 それにしても、明治政府の御用学者たちのプロパガンダはひどすぎる。
 学校教科書の歴史も、かなり嘘で染められている。薩長土肥の政権は自分たちを高く見せるために、事実に反して前政権の「徳川時代」を卑下している(プロパガンダ)。
「教科書は正しい。だから真実だ」。日本人はそう信じている。平成・令和の時代になっても、社会科教科書に「鬼面のペリー提督」を載せている。狩野派の絵師などは実写的に正確に書いている絵があるのに、と怒りすら覚えてしまう。
 明治政府が都合よく作った幕末史は嘘が多い。
「歴史は国民の財産だ。そこに嘘があれば、国民を欺(あざむ)きつづけることになる。幕末史の出来事の欺瞞を糺(ただ)さないと、このまま受け継がれていく。私たちの子孫のためにならない」
 このプロパガンダをばらしてやろう、と私は考えた。

ペリー 中川.jpg 幕末史で最も重要な出来事が、「ペリー提督の黒船来航」である。ここから日本史が大きく変わる。
『ペリー艦隊日本遠征記』の著者・Samuel Wells Williams は1812年生まれで宣教師である。この著作がどこまで事実なのか。Williams本人は、ペリーから依頼された、新興国アメリカの高揚感を高めることにも意を用いた物語だと明記している。これはまさに司馬遼太郎氏「竜馬は行く」という同じ創作タッチだ。
 それなのに明治以降の学者がなぜ『ペリー艦隊日本遠征記』(小説タッチ)を史実として扱うのだ、と強い疑問をもった。

 私はアメリカ側の史料(ペリーの書き残した書類、研究書、新聞)を漁った。Williamsの『ペリー艦隊日本遠征記』と照合した。かたや幕府側の交渉録なども精査した。
 ニューヨークからの出発に先立って、ベリーは海軍長官から「武力行使で条約を結ぶと、議会の多数派の民主党から批准されない。決して武力は使うな」と釘を刺されている。アメリカの日本遠征の目的は別にあると、私には類推ができた。
 ペリー提督が二回目の江戸湾来航(1954年)を半年も早めたのは、日本遠征を命じたミラード・フィルモア大統領が失脚して、ジェームズ・ブキャ ナン大統領(民主党)になったからだ。政権交代である。威圧的な砲艦外交の根拠がなくなっているのだ。
 
 私たちが学校で習ってきた社会科教科書に影響されない真実に近い『ペリー来航』を書こうときめた。

 純文学とは小説を通して「人間とは何か、真理の探究」の精神を描くものだ。私はいまなお純文学志向なのだ。

 2019年にまず「安政維新 阿部正弘の生涯」を世に送りだした。つづいて江戸城大奥の上臈・姉小路に注目し、一年間の新聞連載(公明新聞社)「妻女たちの幕末」(298回)を執筆した。それを一冊にして、昨年末(2023年)に南々社から単行本で出版した。

 とくに新聞連載中から気になっていたのが、「学校で習った砲艦外交に間違いない。小説とはいえ創作が過ぎる......」という批判だ。私はひと区切りつくと、ペリー来航の真実をもとめてオランダ・ライデン市のシーボルト記念館を訪ねた。
 それを寄稿文とした。
 2024年2月8日に掲載された。(写真のうえでクリックすると、拡大されます)

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終戦記念日にあえて問う。戦争抑止は「兵器廃絶」なのか、政治家の資質なのか

 8月15日は、太平洋戦争の終戦記念日である。日本の主要都市は廃墟になり、もう戦争は止めよう、と国民がみんなして誓った。

 そして大日本帝国憲法が破棄された。あらたに日本国憲法が発布された。前文のなかに、『政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し』と謳(うた)う。
 明治・大正・昭和の77年間における10回の海外戦争は、その発議が政治家にあったと断言できる。

 毎年、終戦記念日を前にして広島・長崎の原爆被爆の式典がおこなわれる。各メディアは大々的に取り上げている。
 核兵器廃絶とか、核の抑止力はなくなった、という論議が中心に座っている。これは「兵器」には核物質をつかうな、という戦術面である。

 核以外ならば、どんな兵器でも許されるか、という反問にもつながりかねない。
 これでは広島・長崎の主張は、核廃絶が達成すれば、それでよしとするもの。本質的な戦争禁止への論旨ではない。

「被ばく=平和」その結合が間違っている。広島・長崎のセレモニーは、「戦争をやめよう」という強い論議につながっていない。なぜならば、投下国がアメリカだとひと言もいわないからだ。

 ウクライナ戦争においても、広島・長崎の声が戦争抑止に役立ったとも思えない。政治家の両県知事や市長が行動で示していない。単独でモスクワに乗り込んで、プーチン大統領を諫(いさ)める、という意気込みすら見えてこない。

 きょうこの日、無人の兵器によって、容赦なく民間の住宅地に攻撃されている。ウクライナが核兵器(1240発の核弾頭と、当時世界第三位の核兵器保有)をすべて廃棄すれば、他の武器でロシアから攻められる、という弊害を生んだ。これでは核兵器を失くそうという大国は現れないだろう。
 民の命を思うならば、「無人兵器の製造禁止条約」をさけんだほうが、まだ現実的だ。
 
               *
   
 どうすれば戦争をなくすことができるのか。プーチン大統領の姿勢をみれば、政治家の資質を問うことである。
 これはロシアだけの問題ではない。
 わが国の副首相(元総理)の麻生氏が82歳にして、台湾に訪問し、「日本は戦う覚悟だ」とまるで日本人を代弁しているような発言をする。元首相となれば、老人の戯言だと笑ってすまされないだろう。

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1874年(明治7年)に、明治政府がはじめて海外に出て行ったのが台湾への軍隊派遣である。この台湾出兵から太平洋戦争へと連鎖した。

            *

 いずれの開戦前も、政治家・官僚など戦場に行かない高年齢の世代が、勇ましく国民に戦争をあおっている。
 その結果として日本やアジアの人たち、軍人・民間人をふくめてとてつもない戦争被害者を出した。
 
 プーチン大統領のウクライナ侵攻と、麻生氏の台湾での行為はさして変わらない。戦争で解決しようとするもの。タバコを吸う人(中国)の前に火薬をおきに行くようなものだ。

 ウクライナ戦争がはじまったとき、ロシアの若者は数百万人も国外に逃避したという。日本人は戦前とちがい、政治家・麻生氏の尻馬にのって武器をもって台湾海峡で戦う若者たちはさして多くないだろう。はたして何割いるのか。よくよく調べて行動するべきである。

 議員・麻生氏は公人としての行動が『政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し』と謳(うた)う日本国憲法の根幹に抵触するものだ。

 勇ましい弁が立つ政治家が戦争を起こす。これは歴史が教えることだ。
 
 

、、

「妻女たちの幕末」は,先輩作家の海音寺潮五郎、吉川英治、司馬遼太郎氏にない技があった。

 新聞連載の歴史小説「妻女たちの幕末」が昨年八月一日から、ことし七月末まで一年間つづいた。そして完結した。日曜日をのぞく毎日で、二九八回である。
 新聞社は一般に辛口である。文化部・部長から「後半(ペリー来航から)は、新たな幕末史観を興味深く読めたといった感想も多く聞かれ、小説の狙いは成功だったと感じています」と好評だった。
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 ここで、私の執筆の手順を明かしてみたい。まず英雄史観の通説は疑ってみる。私は純文学で世に出てきた作家である。
「人間って、こんなことはやらないな」という疑問をあぶりだす。
 歴史は勝者がつくる。国内の史料はかなりねつ造や隠ぺいがなされている。そこで外国の関連資料から疑問をひも解いてみる。

「ここまでウソをつくか」とあ然とさせられる。

 IT時代でAIがすすむ現代、百六十年前の海外新聞が瞬時に日本語に変換できる。これは先輩たち大作家の海音寺潮五郎、吉川英治、司馬遼太郎氏などにはできなかった芸当だ。かれらは明治の薩長閥の御用学者の術に乗せられている、とわかった。

 面白いほどに、新たな発見があった。国立国会図書館も、デジタルで著作権のおよばない幕末関連の資料は面白いほどに難なく入手できた。
「井伊家史料」などもネットで古本として安く入手できる。先輩諸氏が足で神田古本屋をまわったものだが、雲泥の差になった。次つぎに通説をくつがえす傍証が容易にさせてくれた。

「妻女たちの幕末」は単行本として十月に発行予定。多くの読者が通説の嘘に気づくだろう。

阿部正弘の直系の阿部氏と(福山会にて)

新聞連載小説「妻女たちの幕末」、一年間の完結。文化部長より、「成功でした」とコメント

 新聞連載小説「妻女たちの幕末」が昨年8月1日に、作家・宮部みゆきさんから引き継いで連載を開始しました。この7月31日で完結しました。日曜日をのぞく毎日で合計298回でした。
 かえりみれば、コロナ禍のなかで歴史講演などが止まり、その分の約2年間は「妻女たちの幕末」の関連資料の読み込みに集中できました。むろん、京都や新宮や都内の各所に必要不可欠な取材には出むいています。

二人の天皇.jpg 幕末史と言えば、明治政府の薩長閥の政治家に迎合した御用学者たちが、事実を歪曲し、ねつ造した。「薩長史観」で腕力・武力に勝れたものが勇者だとした。明治から、それを教育で使った。義務教育から軍国少年がつくられた。かれらは兵学校・士官学校を目指し、やがて首相や海軍・陸軍大臣になった。当然ながら、軍人が政治に関与する軍事国家になった。
明治・大正から太平洋戦争終結まで、政治家も、軍人も、国民も、「薩長史観」の英雄崇拝の歴史を信じたことで、国民一致の戦争に突入した。


 現在も少なからず、薩長史観が信じ込まれています。私たちはいかにねつ造の歴史から抜け出せるか。これが連載小説の目的でした。

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 そこで私は、外国関連の文献・当時の古新聞など可能なかぎり追いもとめました。通説の英雄史観にある事象から「人間って、独りで、こんなことはできないな」という私の純文学の頭脳で、まず疑問を抽出し、外国から傍証(ぼうしょう)する作業に費やしたのです。

 AI時代です。関連文献や新聞が見つかれば、即座に日本語に変換できる。ありがたかったです。これは過去の著名な歴史学者・歴史小説家(海音寺潮五郎氏、吉川英治氏、司馬遼太郎氏など)にはできなかったことです。

「妻女たちの幕末」の冒頭において、、
『江戸城が無血開城した。それなのに、なぜ上野戦争(彰義隊&新政府軍)が起きたのか。その答えは海外にもとめることができる』
と記しています。

 これこそ、まさにIT時代が幕末史の通説を変える典型的な傍証でした。......明治政府がひた隠しにしたもの、日本に二人の帝(天皇)が誕生したという記事であった。瞬間的にしろ、南北朝時代の到来である。当時のニューヨークタイムスの記事で、それを知ることができたのです。(イラスト:中川有子さん)

 なぜ、現在でも教えたくないのか、私たち国民が考えることです。
 
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 私は国内関係は極力一次史料にまで手を伸ばし、丹念に読み込みました。すると、徳川将軍家の史料に軍配が挙がるのです。
 幕府の昌平黌(しょうへいこう)出身や教授らなど超エリートたちが外国奉行になった。来航する外国人よりも、ディベート力(論理と頭の回転の速さ)ははるかに勝っていた。どの条約も日本側の希望がほぼ通っている。安政の通商五カ国条約など、それぞれ五か国とも言語がちがう条約締結を3カ月でやってしまう。
 現代の外務省や各省庁など、徳川政権の頭脳と交渉力は足元にも及ばない。

 一例として、フランスは主要輸出品目・ワインに35%も輸入関税をかけられた。中国・インドはわずか5%なのに。日本には屈辱の不平等条約をむすばされてしまった。と、現代のフランスは、当時の歴史をそう捉えている。(シラク仏大統領)。

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 掲載してくださった新聞社の社会部長から、7月末日に、「特に後半は、新たな幕末史観を興味深く読めたといった感想も多く聞かれ、小説の狙いは成功だったと感じます」とコメントが寄せられた。新聞社はおおむね辛口ですから、「成功」という言葉は、このさき幕末史が大きく転換する契機になるかな、と思います。

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「穂高健一ワールド」は、その新聞小説が後半に入り初めころから、意識して停止しました。
 なぜならば、複数の方が、私のアーカイブを使い(パクリ)で、書籍出版されています。平気でパクる心無い歴史家に、「妻女たちの幕末」の新しい歴史観がかれらの自説を付加し汚されないためのものでした。

 たとえば、老中・若年寄が7-8人では、幕府による諸藩の統率「武家諸法度」および順守など、少人数の幕閣で力を発揮できるはずがない。登城した勤務時間は約5時間くらいで、なおかつ老中の月番担当制だ。となると、だれが行ったのか。

 一例として御三家・御三卿・300藩の大名家のすべて婚姻は幕府の許可がいる。旗本・御家人の婚姻もある。さらに、大名家が朝廷から冠位をもらう幕府側の申請手続きもあるし、多々、輻輳(ふくそう)している。
 これらの処理は老中(男の政事)に持ち込まれても、対応できるはずがない。それならば、だれがやるのか。大勢の女性が処す集団的組織が向いている。それが千数百人を抱えた大奥(奥の政事)の機能だった。論理的にも、そこには矛盾なかった。当初は推量から入り、(刑事が見込み捜査をする手法)、多面的に傍証(証拠)をあつめて構築しました。
 裏付けが次々にとれました。幕府内人事や大名昇格権(官位)の窓口・対応など、歴代将軍が大奥に付与してきた。だから、大奥には老中を左遷させるほどの実権があった。

 ついては、心無い作家たちに、新吉原か、大奥か、将軍ハーレムのごとき通説の作り話で歴史が汚されたくない、と「穂高健一ワールド」を半年間ほど休止いたしました。

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 なお、「妻女たちの幕末」は南々社から、10月か11月には単行本で出版する予定で作業に入っています。「安政維新・阿部正弘の生涯」とおなじ出版社です。

 連載の7月末の「エピローグ」で、最後の数行のなかで、
『あらためて徳川幕府が二百六十余年も政権を維持できた背景を問う。表の政事(男)、奥の政事(女)の両立が寄与した寄与した側面がある』
 と記しています。

 上臈御年寄・姉小路の女の視点「妻女たちの幕末」、阿部正弘の男の視点「安政維新・阿部正弘の生涯」と二つを併用して読むと、いっそう克明に幕末がとらえられるからです。

                                              「了」
 
 
 、

 

安政七年三月三日 上巳の節句 = 土岡健太P(呉市安浦町) および 上野の東京国立博物館・展示中

安政七年三月三日 上巳の節句

 旧暦の出来事を新暦で伝える違和感はありますが、まずお許しください。

 いま我が家の娘たちも嫁し、「お雛様」は倉庫に収められたままになっていることへのお詫びの気持ちで、以前の記事、画像ブログ/2021-01-01(穂高健一著 紅紫の館)を再掲させてもらっています。ご容赦を。

 広島県・大崎上島出身の穂高健一先生の歴史小説には「桜田門外の変」が起こったこの日、江戸城内で、時の将軍家茂公が正室皇女和宮に、このお雛様を披露する予定だったとか。

 ところが大事件が起きて、それどころではなくなり、このお雛様は持ち出され、豪農「日比谷家」にお蔵入りになったと書かれています。

紅紫の館.jpg

 後に「東京国立博物館」に寄贈?された人形の箱には「安政七年」と墨書されているそうです。

 先生は、その小さな符号からいろいろ調べられストーリーを作られたようです。小説とは言え、失意の中で節句の「お雛様」を片付けなければならなかったかもしれないということが、後の日本の進展を象徴しているように思われてなりません。

「関連情報」

① 上野の東京国立博物館にて、「おひなさまと日本の人形」が開催されております。展示期間は【2023年2月28日(火)〜 3月19日(日)】となります。
 そのなかに日比谷家伝来の「古今雛」も展示されております。

東京国立博物館『おひなさまと日本の人形』


② 穂高健一先生は、現在「公明新聞」に昨年8月1日から、1年間にわたり、「妻女たちの幕末」を掲載中です。
 通説を次々にくつがえしており、論説でも、「読者の声」においても賞賛と驚きの声がずいぶん多く寄せられているようです。
 
 本日(3/7)も同紙で読者が、幕末史が好きで今まで小説、テレビドラマはみていましたが、ペリー来航以前に、徳川幕府がこんなにも欧米やアジアの海外情報を国別に知りえていたとは驚愕です。(現代の高校歴史よりも詳しく)、雄藩(薩長土肥)などは足元にも及ばなかったとは......。

 先生にお話をお伺いすると、この3月中旬から「ペリー提督来航」、4月中旬から、将軍継嗣問題、安政の大獄へとストーリーが運んでくるそうです。

 私に「私たちは将来の指針を歴史(過去)から学んで見定める。歴史は国民の財産だよ。薩長が自分の都合で、改ざん、ねつ造された幕末史を正さないとね。5-10年後は日本史の教科書は変わるよ」と話されました。


② 桜田門外の変とは
 安政7年3月3日(1860年3月24日)に、江戸城桜田門外(現在の東京都千代田区霞が関)で、水戸藩からの脱藩者17名と薩摩藩士1名が彦根藩の行列を襲撃し、大老・井伊直弼を暗殺した事件です。