寄稿・みんなの作品

【孔雀船Vol.92】  日溜り = 藤井 雅人

池に日と空が映っていた

緑の木々のあいだ 水面の下に

ぬくもりに集う小世界のけはいがあった

蓮の葉は無数の音符となり 漂っていた

なだらかな雲のアルペッジョのうえに

日の光がゆっくりと 蜜の甘さに和むなか

自分のなかにあり 自分を傷つけていた

かたくなな幸せの形は溶けていった

宇宙のひろがりのなかに

静かで底深い 癒しの力のなかに


それは 数十年前のことだった

日溜りに 小さな歌声を絡みあわせていた

水辺の小宇宙をまた訪れようか

そして祈ろうか

おのれの心を もっと溶かしてくれるように

それが謙虚な

宇宙に宥されるものとなるように



【関連情報】

孔雀船は1971年に創刊された、40年以上の歴史がある詩誌です。

「孔雀船」頒価700円
発行所 孔雀船詩社編集室
発行責任者:望月苑巳

〒185-0031
東京都国分寺市富士本1-11-40
TEL&FAX 042(577)0738


イラスト:Googleイラスト・フリーより

【孔雀船Vol.92】 水とりんご=紫 圭子

水の朝

朝の水

昇ってくる太陽

水に時間はあるのだろうか


塩漬けされたりんごは腐らない


幼年の日

祖母の家

水は山の湧き水をパイプで取っていた

水の湧く場所へ登るのがすきだった

初夏の水が音をたてて光っているなかへ

りんごを放すのがすきだった

海辺に住む幼な子は

湧き水のなかに

水平線から昇る太陽そっくりなりんごを見る

りんごをかじって 太陽をかじって

ヤッホー!

山の峰に木霊する声を両手でつかまえて草のうえを転げた


りんごは食べてしまったけれど

水はどうなったの


りんごをつつんだ水

いっしゅん、かたちを脱いで

また別のかたちをつつみにでかけたの


朝の水

手をぬらして過ぎていく

わたくしの手をつぎつぎに包み破って

水の朝は昇ってくる


昇ってきたものは

塩漬けしておいたりんごのもとへかえってゆくだろう


りんごのなかに太陽が入って

太陽のなかにりんごが入って


目を見開くと無数の光る微粒子が

蛍みたいにチカチカ

顕微鏡でのぞいた精子みたいにチカチカ

くうかんをおよいでいるのが見える


純化していく

湧き水に似た宇宙大海

みずが くうかんが

塩漬けされたりんご

記憶を呼び覚ます



【関連情報】

孔雀船は1971年に創刊された、40年以上の歴史がある詩誌です。

「孔雀船」頒価700円
発行所 孔雀船詩社編集室
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イラスト:Googleイラスト・フリーより

【孔雀船Vol.92】 ひょいと=苅田 日出美

ひょいと

むこう側に

寝返りをうつようにして

転がりこむのだろうか


まし時計は

いま6時10分で秒針はすいすいと回っている

ベッドの上から

そんなシーンを眺めている


ひょいと

むこう側へ転がってしまいそうな 朝

暖房のリモコンをONにして

パジャマを脱ぐ


そういえば

これまで生きてきた時間のなかで

ぷっつりと切断された時を

二回だけ経験したことがある


手術のために全身麻酔をされて

気がついたときには何も覚えてはいなかった

夢をみるとか親しい人の声を聞くとかいうこともなく

数時間は空白で

そのままで むこう側に転んだら

なんにも無くて

白紙のようなものがプリンターから

エンドレスに出てくるのかも


ねむい眼をこすりながら ひょい ひょいと

キッチンに降りてきて朝食のパンを焼く

それがルーチンなのだろう

孔雀船は1971年に創刊された、40年以上の歴史がある詩誌です。

「孔雀船」頒価700円
発行所 孔雀船詩社編集室
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イラスト:Googleイラスト・フリーより

【孔雀船Vol.92】 ひさしぶり=中井ひさ子

羽音がした

ごきげんさんと声がかかった


カラスごときに知り合いはない

耳の底がうごく

奇妙な懐かしさが

にじんでくる


会ったことあるか


子どもの頃か

いや

もっともっと


なみだつ向こう

おぼろな 

ひかりのなか


目と耳だけで話したな

抱えていた思い


宙にういていたな

いちにのさんで飛び降りた


カラスになってどうだった

トカゲとイモリが怖いねん


人の暮らしはどうなんや

人ってあんがい怖くって


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孔雀船は1971年に創刊された、40年以上の歴史がある詩誌です。

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    イラスト:Googleイラスト・フリーより

【孔雀船Vol.92】 さくらいろにそまれ廃墟=船越素子

  さくらいろにそまれ廃墟

     新宿梁山泊「少女都市からの呼び声」2018・3・26へ寄せて

                                  船越素子

廃墟のように生きてきたので

そういって帽子をとり会釈する男に

見覚えはなかったが

でらしねのひとだろうか

かすかに古めかしい匂いもする

そのノスタルジアは涙をさそう

胸と石畳に彫り込もうとした

若くて無謀なわたしの記憶を

あなたは空中で抱きとめた

人はノスタルジアで死ぬのですよ

焦がれる思いが胸を突き破る

丸の内三号館 秘密の花園前にて下車

ゴム引きコートの裾翻し

あなたと呼ばれる男が消えていく


都心の一等地のまぼろしの廃墟で

果てしない土地転がしのその先の先へ

スカラベ・サクレの相似・相反性を

いつかはあなたと語りあいたいから

ファーブル『昆虫記』をひもとき

ランチボックスをひろげ

昼の時間を 笑いさざめいていたのだ


気づきもしないだろう

あの中庭のマロニエと

出会ったときにはもう 

恋におちていたということ

樹の根はいのちだから

ガラスの子宮が砕け散っても

密やかな作業が繰り返されること


それからは害虫駆除も剪定も

砂粒のような日々を労働にかえた

地下茎が繰りひろげる

不思議な挨拶の作法が

わたしの身体奥深くに棲みつき

さくらいろのガラス玉が廃墟を埋めつくす

いつしか瓦礫のむこうから

吹き荒ぶ行軍の気配が たしかに近づいてくる


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孔雀船は1971年に創刊された、40年以上の歴史がある詩誌です。

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イラスト:Googleイラスト・フリーより

緑と紅のコントラストが魅了する飯豊山(2105m・個人山行)=関本誠一 

日時:2014年9月下旬  晴れ時々曇り

コース:【二日目】大日杉小屋~地蔵岳~切合小屋~本山小屋~飯豊山 (往復:10時間)


『山行』
 南麓(川入)からの山行を計画していたが、昨年7月の集中豪雨で川入に通じる道路が寸断、『開通見込みない』とのこと。

 今年(2014年)はなかば諦めていたが、東麓から登るルート(中津川口)が車利用で可能なことに気づいた。
 まず最寄り駅からのタクシーを考えたが、駅がローカル線で東京から乗り継ぎ不便なのと、タクシー代が約1万円と高額なので諦めた。
 今回は山形新幹線・米沢駅でレンタカーを借りて、3時間かけて登山口がある大日杉小屋まで入る。
 町営の山小屋だが、鉄筋高床式で隅々まで清掃されて、まるで新築のようだ。

 素泊り(,500)のみで、8月迄のシーズン中は管理人も駐在し、女性も安心の山小屋だ。毎夕、見回りの管理人から尾根上の山小屋の情報入手し、翌日に備え、早めに就寝する。

【二日目】

 4時に起床する。朝食後、5時に出発した。今日は尾根にある小屋で泊まる予定なので、シュラフ・コンロ・コッフェル・食料など自炊装備を背負っての長丁場だ。
 登山口からほどなく、ザンゲ坂の急登が待ち受ける。
 鎖はないが、土が滑りやすいので、慎重に行登っていく。このコースは地蔵岳までの急登をどう乗り切るかが、キーポイントになる。
 途中『だまし地蔵』と呼ばれるピークあたりで、疲れもピークに達する。最近は、軽量装備で山頂往復という登山に慣れているせいか、今回のフル装備は一段と辛い。

 8時に地蔵岳に到着、ようやく谷を挟んで、飯豊山の全容を見ることができる。なんと立派な山だろう。これを見たら、誰でも感動する素晴らしい景色だ。
 地蔵岳から、ダケカンバの休憩ポイントまでは、アップダウンを繰り返しつつ、緩やかな下りだ。
 最低鞍部からは、飯豊山、切合小屋、種蒔山に至る稜線が、間近に見え気分も、ハイテンション。残り僅かになった秋のお花が元気を与えてくれる。

 切合小屋の手前にやぶ漕ぎ道があるが、左側から初夏の雪渓跡?を避けていけば、問題なく切合小屋に出る。
 ここからは、飯豊の醍醐味である。この時期は紅葉前線のなか稜線を本山に向う。
 快晴の空、緑と紅のコントラストが素晴らしい。草履塚、姥権現、御秘所と緩やかなアップダウンを繰り返す。御前坂の標柱まで標高を下げ、そこから本山小屋へ最後の急登だ。
 小屋前ベンチに荷物デポ、山頂へは平坦な道を約20分。山頂からは梅花皮方面の眺めも一段と素晴らしい景色だ。


 時間的に早かったので、山小屋には泊まらず、日帰りにすることに決定する。下りは登ってきたコースを逆に辿る。
 飯豊山はアクセスもルートも長く遠い存在だったが、今回ようやく山頂を踏むことができた。
 天気も待ちに待った晴天である。登りのきついということも忘れてしまうほど、なんと景色の素晴らしいことか…。
 しかし、飯豊の魅力のほんの一端しか触れてないと思う。それでも、すでに飯豊のとりこになってしまいそう。
 まさに『飯豊はイイデ~!』(笑)という皆さんの言葉通りの山です。ぜひ出かけてみてはいかがでしょうか。

(草履塚から望む飯豊本山)

  ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№189から転載 

名もなきキノコの群生地、山梨県・倉見山(1256.2m)=佐治ひろみ

日時…2014年10月7日(火) 

メンバー … L武部実、飯田慎之輔、石村宏昭、大久保多世子、中野清子、佐治ひろみ、関本誠一

コース … 富士急行線・東桂駅 9:30 ~ 山頂12:30 ~ 堂尾山公園 ~ 寿駅15:00


『山行』

 台風で中止になった甲斐駒ケ岳の代案で倉見山に登って来ました。

 東桂駅に9:30に集合する。駅前から南に20分ほど歩くと、長泉院というお寺の墓地に着く。ここが倉見山の登山口になっていて、案内板も出ていた。なんだか変な感じだが、墓地の中からスタートすると、まもなくお堂が出てくる。

 そのまま進むと、道はだんだんと急になり、息も弾んでくる。両側はアカマツの林で、立派な木の根元には松茸が、…あるわけはないが、名前も知らないキノコが大小はえていて、見つけながら登ると面白い。

 鉄塔の所で、おやつ休憩の後、更に急坂を登る。
 道は相変わらず林の中の登り一辺倒だが、たまに木々の切れ間から三ツ峠方面や、下の町並みがきれいだ。

 そのうちに登山道には、トリカブトの花が目立つようになり、下山するまであちこちに咲いていて目を楽しませてくれた。

 それよりも楽しかったのは…、突然大きなナラの木? の根元に何か発見し、一同ざわめきが起こる。それはナメコの形をしたキノコの大株である。あちこちに生えていて、食べられるかは疑問だったが、誰か地元の人に聞くとして、みんなでビニール袋に2つも取ってしまった。

 それを担いで、更に登ったり下ったりすること30分。最後の急坂を登り切ると、頂上に到着する。

        倉見山山頂にて

 目の前に富士山が見えるはずだが、残念ながら今日は雲の中である。
 さっきのキノコを手に持ち記念撮影し、少し先のベンチで、昼食を取ることにした。富士山は見えないけど、6人で秋の果物などつまみながら、楽しいランチタイムだった。

 約30分の休憩後、寿駅に向けて出発する。登りもそうだったが、ここもイノシシが掘り返したのか、登山道はフカフカに耕されて、足には気持ち良い。登りルートに比べると、傾斜も緩やかで、回りも開けた感じだ。

 下りながら、杓子山や富士吉田方面の眺めを味わう。ススキの穂がいかにも秋の山行らしい。
 途中の堂尾山公園の東屋は屋根が壊れていたが、ここまで来ると、もう下界の音もチラホラ聞こえる。
 腰ほどある草をかき分けて下ると、ほどなく車道が見えてきて、14時40分本日の山行も無事に終了する。

 あとは寿駅への車道歩き。道々、地元の人に、先ほどのキノコを見せるが、はっきりとした回答は得られず、大月の観光案内所で紹介された定食屋のおばちゃんに聞く事なる。

 15:13発の電車で大月に戻り、定食屋で≪大≫反省会をして締めくくる。
 
 台風で甲斐駒には行けませんでしたが、武部さんの計らいで一日楽しい山行ができました。秋の味覚のキノコのその後は、中野料理長に聞いてみましょう。

 皆様お疲れ様でした。

     ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№182から転載

積雪期の魅力・奥多摩・御岳山(929m)=武部実

登山日: 平成30年1月28日(日) 

参加メンバー : L上村信太郎、武部実、大久保多世子、中野清子、佐藤京子、開田守の計6人

コース : 滝本~ビジターセンター ~ 御岳山 ~ 奥ノ院(1077m) ~ ケーブルカーで滝本


         奥ノ院への急登

【山行】

 10:00に滝本を出発する。ケーブルカーは使わず、樹齢が数百年の杉並木の大木が両側に鬱蒼(うっそう)と繁っている道を歩く。

 御嶽神社の参道だが、今日は寒いせいか、登山客や観光客も少なく、われわれ以外は数人しか歩いていなかった。参道は、山に住んでいる人たちの生活道路でもあり、舗装してあるので山登りという雰囲気はあまり無い。

 1時間10分ほどでビジターセンターに着く。休憩を兼ねて久々に中を覗く。職員に尋ねると、最近は外国人観光客が増えて対応が大変らしい。
 そういえば、パンフレット類も英語表記が多いようだ。私は、少しでも名前を覚えようと、鳥と花のパンフを貰う。これからの山登りに活かせたらいいのだけれど。


 御嶽神社に着いて目に付いたのは、イヌ年に関係あるのか、犬にご利益があるのか、それは知らないが、犬連れが多かったことだ。

 ペットブームだそうだが、ここにもその影響がおよんでいるのですね。神社の奥に御嶽山の山頂の石碑があり、ここが正真正銘の925m地点である。
 石段を登った正面にある拝殿だけで満足せずに、必ずここまで行くべし。


 12:40、奥ノ院に向けて出発。10分ほどで、ロックガーデン等の分岐の長尾平に着く。ここに登山家・長谷川恒男の顕彰碑が設置されてあった。
 大きな石に長谷川恒男の字、石碑にアルプス三大北壁単独登攀などの略歴が彫られてあった。2011年に没後20周年を記念して建立されたものだ。

 奥ノ院の登山口にあたるところの鳥居をくぐり、少し先の浄水場あたりから雪が積もっている山道となり、アイゼンを装着する。
 初アイゼンの人もいて少し手間取ったが、全員が揃って出発する。急登は無く緩やかな登りは快適だ。われわれの他に登山客は、数人のみの静かな登りであった。途中、一か所クサリ場があるが、慎重に歩けば危険なところではない。

 14:10奥ノ院の祠が設置してある所に着いた。ここから山頂までは5分ほどだが、見通しはあまり無い。大岳山や西方向が少し見えるくらいだ。
 登った道を下り、ケーブルカーの御岳山駅に着いた。(15:40)、丁度タイミングよく発車寸前に飛び乗ることが出来た。

 一週間前に降った雪がまだまだ残っていて、アイゼンの練習には程よい積雪であり、楽しく登れて良かったと思う。やはり、この時期にはアイゼンは必携だ。

  ハイキングサークル「すにいかあ倶楽部」会報№221から転載

「和キルトX百段階段2018コンクール」で、黒木せいこさんが審査員賞を受賞

 2018年5月15日から、東京・目黒区のホテル雅叙園東京で、「和キルトX百段階段2018」が開催される。
 同コンクール「衣桁に掛ける和のキルト 和-モダン」の表彰式が、同日15時から雅叙園アンコタワー内「アルコ・ザ・ガーデン」で開催された。主催は公益財団法人・日本手芸普及協会で、投稿作品59点のなかから33点が選ばれた。 

 金賞はファションデザイナーの大澤恵美子さん(群馬・桐生市)で、作品は「蒔絵と回路」である。「子供のころから機織り機が聞こえる町に育った。いま、退職後、手間を省かず、時間を節約せず、思い切った作品をつくりかった」と受賞のことばを述べた。

 朝日カルチャーセンター千葉の「フォトエッセイ教室」の受講生・黒木せいこさんが、みごと審査員賞・岡本洋子賞を受賞した。


 審査委員の岡本洋子さんは、黒木さんの「夢まぼろし」について、
「白と紫の配色とコントラストが素晴らしかったです。6角形のヘキサゴンで構成されて、今回のコンクールのテーマ『モダン』にも、すばらしく上手にマッチしていましたので、選ばしてもらいました」
 と選評を語ってくれた。

 黒木さんは受賞の喜びとして、
「キルトの指導講師のもとから離れて、独りで制作に専念する道を選びました。それだけに、ひとりで制作する緊張感もありました。ただ、やり直し、手直し、という面がなく、3か月の短期間で仕上げることができました。ともかく、一人で作って受賞できたので、とてもうれしいです」と語った。

 紫の変化をたのしむ作品として、『夢まぼろし』のイメージ通りに、出来ましたと語った。

 自信作ですが、完成度は80%です。次作に対しても、粗材はたくさん持っていますから、と意欲的に語っていた。


【用語説明】

 衣桁(いこう)とは、和服をかけておく道具。衝立(ついたて)しきと屏風(びょうぶ)しきがある。

春末峡 第3章 黒淵を継ぐもの = 広島hiro子

 黒淵にたどり着いた。
 いつの間にか白くしぶきを立てる水音が途切れ、双璧に囲まれた黒淵の静けさが、また別世界を思わせる。舟付き場から先に見える水面は、風にそよぐほどの小さな波があるだけで、その色は深い碧色をたたえていた。垂直に伸びた岩壁が見上げるほど高く陽をさえぎり、なおさら深淵さをただよわせていた。

 ここは観光案内の紙面を飾る名所のひとつだ。川を行く渡舟と、山道を辿る登山道がある。舟は例年なら4月終わりでなければ運行していなかったが、今年は半ばからはじまっていた。智子と後藤信弘の二人は迷わず、登山道ではなく渡舟を選んだ。

「黒淵」の文字を入れた青Tシャツの若い舟頭が、片道か往復かを尋ねた。片道300円で、往復は500円だという。智子が山道もあるからと片道と言おうとすると、信弘が智子の肘を軽く抑えた。智子が言葉を失くしたすきに、ズボン内ポケットから素早く舟頭にお札を手渡した。
「往復。ふたりで1000円だね」


 平たい舟に先頭と後部に分かれ、前に中年の男性と、後ろに智子たち、舟頭が乗り込んだ。板だけを数枚左右に張った舟椅子の後部に信弘が座ると
「帰りはきっと疲れてるから。こうやって舟で座っていれば、一休みにもなる」
 と、小さくつぶやいた。
 智子は何も帰りまで同じ景色をみなくてもいい、と言おうとしていたが、なるほど運動不足とストレスとで疲労気味の智子にはちょうど良かった。運動用の靴を履いてこなかった智子には、なおのことありがたかった。
「気を使ってくれてるのね。なんだか昔より優しくなったみたいね」
「いや、そんなもんじゃないよ」
 彼は照れているのだろうか、だんだんと深くなっていく水底をじっとみつめた。

 若い舟頭は、5メートルほどの竹竿を水底に押し付けながら、ゆっくりと川上へ向かう。エンジンのような器具は何もなく、竹竿のみで舟を渡していた。
 先頭にひとり座る男性は、作業着の身なりからして少なくとも観光客ではないらしい。どうやらこの地の人のようだ。20代に見える舟頭さんは智子たち二人に、風景の説明を始めた。
「雪解けの水も含まれていて、この時期でも冷たい水の流れとなっています。
 水底に敷き詰められた丸石が透けて見え、浅いように感じらえますが、これでも3.4メートルの深さです。石の表面に小さな巻貝があるのがおわかりですか。これが蛍のエサとなるカワニナです。7月半ばには、夜の景色を薄明るくするほど蛍の群れで・・・・・・すぐ先は深さ5メートルになります。この切り立った崖に……」
 と慣れた口調で、渓谷美を伝えてくれた。

「なんだか貸し切りみたいね。申し訳ないみたい」
 智子の独り言のような問いに、舟頭が答えた。
「今年はちょうど数日まえから再開したばかりです。年によって変えたりするので、最初はお客さんは少ないです。ゴールデンウィークでなくて良かったですよ。それに秋なら、もっと並んで待つようになります」
「まあほんとに? ちょうどよかった。こんなにゆったり満喫出来て。運が良かったのね、私たち。いったい誰の運かしら」
 21歳で後藤と新婚旅行に行ったことを、ふと思い出した。別れて25年もたったのに、まるでつい数日前にも思える。
「運がいいのが僕ならいいけど、それはきっと、トモのほうだよ。君は自分では判かってないだろうね。君がものすごく強運の持ち主だってこと」
 後藤はまるで自分のことのように嬉しげに笑った。 

 舟は、いちばん深いあたりをゆっくりと漂う。もう少しで岩壁に根をはった山すみれに手が届きそうになった。見上げると、岩苔をたくわえた岩壁は天高く続き、その先さえ見えない。智子は幽玄な自然美に浸りながら、後藤の言葉をおぼろげに聞いた。
(私、運なんて強くないと思うけど・・・あれ? トモって今日、初めて言った?・・・・・・なんだか、昔行った新婚旅行みたい・・・)
 涼やかな波に揺られ、ゆったりとした時に流される。

 知らぬ間に、智子の数日前の仕事の悩みは、どこかに消えてしまっていた。

「その昔は水底が見えないくらい深く、黒く見えたので、黒淵という名前が付いた、というのがここの由来です」

 確かに水の色は緑碧色にみえるが、黒淵という名前のように黒とまでは言い難い。真下をのぞくと、しっかりと水底の石の形や模様まで見えた。
「石が丸いね。山道に転がってたのは、みんな角張ったのに」
 智子が独り言のようにつぶやくと、若い船頭は聞きもらさず答えた。
「この渓谷の強い流れが岩をまるく研磨するんです」
「え?ここは流れが少ししかないのに?」
「船底に見える丸石は、集中豪雨があるたびに、上流から流れて溜まったものです。聖湖のダムの建設で出た石や、岩雪崩で積もった石が集中豪雨で、徐々に黒淵の底に積もるんです。ここまでの話しは、あまりお客様にしないんですけれど……、今は流れてくる石に黒淵が埋められないように格闘してますよ」
「どうやって? 流れ込んでくる石は積もる一方だろう? ダムによらず、最近の豪雨も昔よりひどくなってきているし」
 後藤が身を乗り出した。
「以前より確かに浅くなってきてますね、黒淵は。昔は11メートル以上の深さがありましたから。だから時折り石を掻き出して、下流に押し流すんです。ひどい時には黒淵の底の石が水上につもり上がってきたこともありますよ」
「たいへんそう。自然の美しさもずっと同じじゃないものね。ここを守るのにも大変なことはあるのね?」
「そうです。ここは渓谷で、海に近いような幅広い川ではないので、集中豪雨の時はひどいことになります。石が流されるだけでなく、10メートルほど水かさが上がってくる時があるんです。あそこに見える茶屋のすぐ下まで、水が渦巻いてました」
 ふたりは唾をのんだ。この黒淵を10メートルもかさ上げする水量とはどのくらいのものだろう・・・
「津波みたいだね。家まで持っていかれそうじゃないか。怖いな……」
 静かな時には幽玄なたたずまいを見せながら、やはり自然の力は計り知れないものなのだ。
「ええ、実際、昭和63年には、あの茶屋の一階の丈半分が水に浸かりました。サッシも、押し入れも布団も何もかも流していったそうです。茶屋は辛うじて残りましたけど」
「うう……ん、恐ろしい。人なんてあっという間に飲み込まれそう。でも、あの建物もよく流されなかったけど、茶屋の目の前の大木も、良く流されなかったわね。あれば何の木?」

 茶屋よりも1から-2階分ほど下にある一本の大木は、ゆうに20メートルの高さがあった。63年の豪雨では、ちょうど川の中央で、踏ん張っていたことになる。20年近く前なら、木の先端近くまで豪水にまみれていたにちがいない。今では遠くから見ても堂々とした大木だが、新芽が吹き始めたところで、それが何の木の葉なのか、見極めることができない。
「あれば、ケヤキの木です。もう50年以上になります。僕がちょうどその半分の齢ですね。良く流されずにいるって、母がいつも言ってます。母がここに嫁に来た時は、まだ腕くらいの大きさだったそうです」
 智子は背筋の寒気を払いながら、話をつないだ。
「あ、お若いからアルバイトさんかと思っていたけど、こちらの息子さんな
んだ?」
「はいそうです。今は僕がここをやってます。よくいわれますよ。アルバイトかって」
 20代半ばという青年は、さわやかな笑顔で返してきた。

「小さい時から、ここを手伝ってます。祖母の代からずっとです。これからも僕がここを繋いでいきます。外国人のお客様も増えてきてますし。母では対応しきれないですからね」
そう言えば、あらかじめ見てきたHPに、フランスのミシェランで三ツ星をとったと紹介されていた。やはりネットの威力はものすごく、急に異国の観光客が増えたのだと、若い経営者は話してくれた。
 飾り気のない素朴な舟渡しの旅は、またたくまに間に終えた。青年は別の客をのせて、今度は舟を下った。
 青年は過酷な自然と、立ち替わる様々な客の対応に相対する。その背中は、黒淵を担い、心なしか頼もしく見えた。
 ケヤキの木は、もう流されることはないであろう。そして、この黒淵に深く根付いていくのだろう。

「ひとと自然か……。今日はいいもの見せてもらったな。来てよかっただろう」後藤は満足げだった。
 智子は黙ってうなずいた。

(おとといまで、仕事でがんじがらめになっていた私をここまで解放してくれた。それはこの深い自然の力なんだわ。ここに住む人も木も草も、生き物たちもすべて。そして、あなたのお陰でもあるのよ。でも、あなたにとって、これが目的ではないはずなのだけど・・・本当は観光旅行のつもりではないでしょう?あなたの言葉を聞かせて、ヒロさん)

 ふたりはそれぞれの感慨をもって、黒淵を後にした。

                       【つづき】