寄稿・みんなの作品

薬膳料理入門   黒木 せいこ 

 私は60歳を過ぎた。コロナ禍が続く中、毎日の食事でより健康になれたらと思い、身体によいという薬膳料理の勉強を始めようと思った。それは、昨年秋のことだった。

 近くに教室がないかと、ネットで調べてみると『心味(ここみ)』という薬膳料理教室があると知った。東京都内の三軒茶屋と横浜の青葉台の二か所に教室があるようだ。
 私は自宅に近い青葉台に行くことにした。場所は最寄り駅で降りたあと、歩いて15分ほどの住宅地にある一戸建ての家である。(そこは先生のご実家だそうである)。

 迎えてくれたのは若いすらりとした美しい女性の先生だった。一階の15畳ほどのリビングが教室になっており、生徒は女性ばかり5人である。一人ひとりの間には、アクリル板が立ててあり、コロナの感染対策にも配慮されている。


 薬膳とは、東洋医学の理論を取り入れた健康料理である。西洋医学のように、からだの悪い部分だけを見て治療するのではなく、全体のバランスを見ながら、体内の環境を整えることで健康へと導いていくものだ。

 2時間の講座の前半は、先生の講義を聴く。まずは身体(おもに内臓)の仕組みを勉強することから始まる。「肺の働きについて」「腎の働きについて」「冬の養生・陰陽の概要」などである。

 講義の前には、必ず先生が入れたお茶をいただく。その日は、菊の花だけを用いた「菊花茶」だった。
 これは眼の疲れや喉の痛みによく、解毒、鎮静作用があり、高血圧にもよいと言われている。その効用もさることながら、ほのかな甘い香りの芳香成分が神経を刺激して、快い感情を与えてくれる。とても飲みやすいお茶である。

 気持ちがリラックスしたところで、先生の講義が始まる。中国医学に基づいた論理なので、難しい漢字の熟語が多い。たとえば、肺の働きについては次のような説明があった。

「肺は呼吸の管理や、発声、汗の調整、外邪(がいじゃ)を追い出したり、水分代謝を管理したりします。肺の働きを支えているエネルギーは宗気(そうき)といい、これは清気(せいき)(肺が取り込んだ空気)と水穀(すいこく)精微(せいび)《脾(ひ)が作り出した栄養》でできています。」
 という具合である。

 難しい漢字が多く、先生の説明を聴き、内容はなんとか理解できても、とてもすぐに覚えられるものではない。
 だが、そんな難しい話ばかりではない。
「よく、風邪をひいて鼻水が出ると、ネギやショウガで身体を温めるとよいと言われていますね。水溶性の透明な鼻水の場合は、身体が冷えているのでそれでよいですが、粘着性の色のついた鼻水になると、身体に熱がこもっているので、逆効果になります。その場合は、身体を冷やす大根、ごぼう、春菊などがよいですよ」などという有益な話もある。

 先生は、時にはホワイトボードにわかりやすく図を描いたり、難しい理論の中に、親しみやすいエピソードなども加えて、薬膳の話を進めてくれる。

 1時間の講義のあとは実践である。先生があらかじめ用意した薬膳料理を試食する。私にとって、毎回とても楽しみな時間である。
 冬の養生に必要な、身体を温めたり、血の巡りをよくする食材としては、米、イモ類、黒豆、シナモン、鶏肉、にら、エビなどがある。昨年秋は、それらを取り入れた4品のメニューだった。
 薬膳料理とは、薬のようで味気ないイメージだったが、食べてみると全く違う。野菜や肉の味がしっかり出ていて、とても美味しい。レシピを見ても、手に入りにくい食材はほとんどない。料理法も特殊なものではない。

 身体にいい物を食べているという意識も手伝って、食べたあとは、元気になった気がした。
 そこで私も先生のメニューを参考にして、自分なりの献立を作ってみた。


   ・黒豆のチーズリゾット
   ・カボチャと卵のサラダ
   ・鶏肉と山芋とレンコンの煮物         

 食べてみると、黒豆のチーズリゾットは、黒豆の量が多すぎて、煮込みが足りず、豆が固かった。それに、チーズと黒豆は相性が悪いようだ。
 だが、他はまぁまぁの味だった。
 

 その後、季節は冬から春へと変わり、月に一回、学ぶ内容も「春の養生」へと変わっていった。
 5月には「梅雨の養生」を学んだ。梅雨どきは湿気が多いので、余分な水分が身体に溜まり、うまく排泄できないと様々な不調が出てくることがある。むくみやのぼせ、頭痛などである。
   
 そこで、水分の排泄を助ける食材としては、あずき、そら豆、大豆などの豆類、とうもろこし、冬瓜(とうがん)、はまぐりなどがあるそうだ。
 今回も先生のメニューを参考にして、自分なりの「梅雨の養生メニュー」を作ってみた。

   ・そら豆のごはん
   ・ソバの実のサラダ
   ・鶏肉のグリル、もずくソースがけ
   ・カボチャとにんじんの煮物

 蕎麦の材料であるソバの実は、教室で先生が紹介してくれた食材である。ビタミン、ミネラルなどの栄養素が凝縮されている。
 今回は少し茹でて、生野菜に混ぜて食べたが、ソバの実を使ったレシピは、他にも色々あるらしい。
 鶏肉は油で焼いてあるが、もずくと一緒に食べることで、さっぱりとした味わいになった。
今回は、どれも失敗なく美味しく食べることができた。

 
 薬膳調理は、季節や体調、それぞれの体質などによって臨機応変に選ぶ食材を変えていくので、奥が深い。
 習い始めてからもうすぐ1年になるが、私は、まだその時に合った献立をすぐに考えるまでには至っていない。

 これからも奥行きのある薬膳料理を学び、楽しく、美味しく食べて元気に過ごしたいものだ。
                           【了】

【孔雀船98号 詩】うつぶせの春 望月苑巳

うつぶせの春がまたやってきた

顔を上げて見ることが出来ない

不条理に包まれた春だ

そこには上書きされた町がある

遠くに港を出てゆく漁船の幻

水平線には拳を振り上げた真っ黒い海坊主


岸壁でゆりかもめが歌っている

それを追う猫も

猫を追う子供らも

魔法のように

その日、消えた



すべては午後2時47分の魔法

上書きされる前の町を

もう忘れかかっているという自己嫌悪が

記憶の海に浮かぶ

もがく家並み

慈悲を忘れた神のいたずらかとも思う

などとはいうまい

そんな薄っぺらい形容詞では言い表せないのだから


人知を超えた歴史のデザイン変更が終わり

上書きされた町には

猫もゆりかもめも

子供らの笑顔も戻ってはこない

それらは偽りの幻の町だから

まだ何も終わっていない

まだ何も始まっていない

うつぶせの春がまたやってきた

PDF縦書き うつぶせの春・望月苑・

【関連情報】

 孔雀船は1971年に創刊された、40年以上の歴史がある詩誌です。

「孔雀船」頒価700円
  発行所 孔雀船詩社編集室
  発行責任者:望月苑巳

 〒185-0031
  東京都国分寺市富士本1-11-40
  TEL&FAX 042(577)0738

イラスト:Googleイラスト・フリーより

【孔雀船98号 詩】  眠れなくて 臺 洋子

しんとした階下の部屋のテレビをつけた

風そよぐ花畑の映像に 聴きなれない穏やかな旋律


四拍目に入る コッ という小さな音が

心地よく響く

音楽はやがてデクレッシェンドして消えたが

コッ コッ コッ の音だけは残っている

とても近しく聞こえるその音は

台所から響き

寸分の狂いもなくその音楽と溶け合っていた

時計の 秒針の音


誘われるように台所へ向かい

月明りの差し込むシンク 調理台 鍋の置かれた棚を見る


この場所に二人で立って料理を教えてもらった

義母(はは)はいつも「洋子ちゃんの慣れた切り方でいいよ」と

私の仕草に微笑んでいた

義母(はは)の自慢のコロッケには椎茸が入っていた

慣れない実家の台所で

丹精に漬け込まれた辣韭の瓶を倒してしまい

床にまき散らした時も

そのくらいのそそっかしさは大事と

途方に暮れる私を慰め 先に立って片付けてくれた

休日をみつけては帰る息子夫婦

遠くで暮らす嫁に

義母(はは)はいつも優しかった


この一年 帰省もできず面会もできないまま

義母(はは)は今日 荼毘に付された


台所に響く 静かな秒針音

ここへ誘ってくれたのは

「おかあさん でしたか」

夜は深くなり

何気ないやりとりが

浮かんでは刻み込まれていく


         二〇二一年 三月の終わりに


PDF縦書き  眠れなくて 臺 洋子

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 孔雀船は1971年に創刊された、40年以上の歴史がある詩誌です。

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イラスト:Googleイラスト・フリーより
 

【孔雀船98号 詩】 ダーリング夫人のキス 船越素子

ダーリング夫人には

だれにもあたえない

キスがひとつ 

いつでも右の口もとにうかんでいる

ご亭主のジョージも

ウェンディも 弟たちも

もらうことができなかったキス

決して大人にならない

あの少年だけが

風のようなあいさつをして

受けとっていくのだ


バリはどうして

彼の物語の最初に

あんなことを綴ったのだろう

10歳のわたしには

人生の不思議な烙印だった

それに夕餉の支度をする

母の口もとにも
 
たしかに

ダーリング夫人のキスが

うかんでいた


近ごろは鏡のなかに

ダーリング夫人の

慕情に似たちいさな蔭を
 
わたしの口もとに時折見かける

それを誰にあげるのか

いえ、あたえてしまったのか

わたしにもわからない


ただ 銀行家のダーリング氏には

端から無縁なことなのだ

株や配当には とても素晴らしい

知識と才能をお持ちですがと

作家はすこしだけ辛辣だから


そんなことには関わりなく
 
わたしの口もとに残る痕跡は

胸の奥でひりひりと
 
キスの行方を捜している

失われた記憶と 何かを 何ものかを
 
尋ねかねているのだった


PDF・縦書き 『ダーリング夫人のキス』 船越素子

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 孔雀船は1971年に創刊された、40年以上の歴史がある詩誌です。

「孔雀船」頒価700円
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イラスト:Googleイラスト・フリーより
 

【孔雀船98号 詩】 穴のあいた靴 小松宏佳

この底に穴のあいたくつは四年生のころ国立駅で
買ったくつです。五年生になるときつくなったの
でくつしたをぬいではくようになりました。その
せいで夏はあつくなったコンクリートに足がふれ
ていたくなったり冬は雪などが入りしもやけにな
ったりしました。       二組 小松玄汰         


画用紙に書かれた詩のしたに

割り箸ペンの墨で

柔らかくゆがんだ黒い運動靴の絵があった

息子がこれを持って帰ってくるまで

この靴のことをわたしは知らなかった

靴底を見ておどろいた

直径四センチくらいの穴だ

あわてて買いに走った

こういうことを言わない子供なのだとわかった

言われないと気づかないわたしだとわかった

彼の足の哀れだけを見て

靴を処分したら彼はとても残念がった

穴も好かれて広がっていったのだ


小人のせいだろうか

低学年のころまで

猫が路上でごろんごろんするのを真似て

路上でぐるぐる転がったり

お店でなにを聞かれても

「にゃおー」としかこたえなかった彼の国には

靴屋の小人やまねっこ小人が住んでいた


絵のまえで小人が咳払いをすると

絵の靴はひとりごとのように言ったのだ

おれはね、脱皮の皮なんだよ。

PDF縦書き 穴のあいた靴 小松宏佳


関連情報】

 孔雀船は1971年に創刊された、40年以上の歴史がある詩誌です。

「孔雀船」頒価700円
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イラスト:Googleイラスト・フリーより

長続きの訳は 吉田 年男

 いま、私が続けていることの一つにウォーキングがある。少しでも時間が取れそうなときには、なにをさておき、家の周りを気軽に一回りしてくる。ひとまわりといっても2~30分ほどで、距離にして3000歩くらいか? 近所のこの程度の歩きでは、ウォーキングとはいえないかもしれない。

 ほかに、隔月に一回、江戸東京歴史探訪と称して、主に都内の由緒ある神社・仏閣などをめぐるウォーキングの会に、参加させてもらっている。

 2009年5月、杉並区主催の「知的好奇心生活を始めよう」という集まりがあった。キャスター・リポーターの 東海林のり子氏による「好奇心からすべてが始まる」という講演を聞いた。ウォーキングの会は、この集まりが誕生のきっかけになっている。

 その時に用意されていた「応援教室」に、マージャン、江戸・東京を歩く、読み聞かせ入門、パソコン、ダーツ等があった。
 集まりに参加していたのは、60歳~70歳前後のひとたちであった。区としてはこの集まりをきっかけに、各「応援教室」からの自主グループが立ちあがることを期待してのことであったように思う。

 私は、幼少のころから東京の町並みには少なからず興味があった。迷わず応援教室の中にあった「江戸・東京を歩く」を選択した。
「江戸・東京を歩く」グループに集まった人は、男女半々で20名ほどであった。
一週間後に、「江戸・東京を歩く」グループは、徳川記念財団の学芸員から、「篤姫の生きた江戸・東京を歩く ~調べて・歩いてその魅力を再発見~ という資料をもとに、江戸市中の話を聞く機会に恵まれた。そのあと、場所を杉並保健所に移して、五人一組の四班に分かれて、班毎にコースを決めて都内を歩き、歩いたコースの紹介のような発表会を何度か繰り返ししたことをおぼえている。

「江戸・東京を歩く」グループに集まった人は一年後には、十名ほどになった。
残ったのが、今のウォーキングの会のメンバーたちで、年齢もだいたい同じくらいの仲間だ。
とりあえず会の名称を何にするかを話し合った。2008年1月から始まった、NHKの大河ドラマ、天璋院「篤姫」にちなんだ名前がいいのではないか。ということで、「於篤の会」に決まった。於篤の会は、今年で12年目になる。

 会の運営は、あえてキーマンを作らず、幹事は三人一組で、(そのうち一人は女性)で一年を通して輪番制にした。そして、一年後にまた新しい組み合わせで、幹事を決める。
ウォーキング計画の当番になった幹事は、次回歩くコースを話し合って決める。コースが決まったら、昼食はどこでするかなど、予めコースを幹事3人で下見をする。そして、コースの地図を添付した計画書を作って、定例会にて全員に発表する。

 定例会、ウォーキング、定例会、ウォーキングと、歩くのは隔月にして、1年に6回になっている。

 コロナ禍で、ちょうど一年前から、まともなウォーキングは全くできなくなってしまった。今年、四月になって久しぶりに歩くことに決めた。今までより、内容が乏しいが、冊子「すぎなみ景観ある区マップ」和田・堀ノ内編の一部を歩くことにした。
 コロナ禍以前は、昼食はファミレスなどですることが多かったが、天気もよかったので、各自コンビニでおにぎりや弁当を買って、済美山運動場に隣接した芝生で、ひとやすみしながらの昼食になった。それでも久しぶりの気晴らしウォーキングが実現した。

 このコースは、「和田・堀ノ内編」をできるだけ時間短縮して幹事(私を含めて三人の輪番制幹事)が、今年一月の定例会で「第六十八回ウォーキング計画書」として、会のメンバー全員に発表したものであった。

 緊急事態宣言が出ている最中は、外出も儘ならない。計画書は作ったものの、未実施のコースがまだ数件ある。しばらくは新しく計画書は作らず、すでに計画したコースを、歩く距離と時間を短くアレンジをして、歩こうと皆で話し合って決めた。

「於篤の会」が、長続きしているのは、あえてキーマンを置かずに、幹事は輪番制にして、歩く距離や時間はその場に合わせて、あまり堅苦しく考えないで、臨機応変に行動していることかもしれない。

                    イラスト:Googleイラスト・フリーより

つながる・つなげる 井上 清彦

 ジャロジーを少し開けると、北からの涼しい風が入ってくる。坪庭みたいに居間との間に隙間があるからだろう。
 先週、いつもZOOMミーティンで使っている居間から、一坪ほどの書斎にパソコンを移して、初めてZOOMミーティングを行った。昨年、書斎で受けようと、PCを持ち込んだが、ワイファイの受信が不安定で、せっかく机の上や背後を片付けたのに無駄だった。

 
この一月近く、頼みのワイアレスのワイファイの受信が、不安定になった。親機のルーターの向きを変えたりして、うまくゆくこともあるが、椅子から立ち上がり、席を空け戻ってくると、扇マークが消えて受信できなくなっている。我慢の限界に来て精神衛生上も良くない。
 月500円で契約しているニフティに相談し、「中継機」を教えてもらった。早速、自転車で井草八幡宮近くの家電量販店で購入した。親機が古くて、セットを手動でやらねばならず、同じく月額500円で契約しているNTTに教えてもらって、なんとか中継機をセットできた。コンセントに差し込むとランプが2つ点灯し、居間は言うに及ばず、書斎でも安定して受信出来たときには、胸のつかえがとれた気分だった。

 オンラインの雄であるZOOMとの出会いは、昨年、夏から、所属する会のホームページ委員会の縁だ。仲間の大学名誉教授に志願して、彼の懇切丁寧な指導で、ZOOMをやっとマスターした。コロナ感染を避けるため、ホームページ委員会で使うようになった。ここで自信をつけ、昨年秋からは、「元気に百歳」クラブの編集長を務める季刊誌の編集会議にも使うようになった。


 今年に入ってから、自宅近くの「ゆうゆう桃井館」で月1回開催される発足6年目に入った「おとこのおしゃべり会」も導入した。最高齢は90歳の方も居て難航したが、スマホで対応する人もいる。昨年名誉教授に教えて頂いたことへの恩返しで、「ZOOM伝道師」を自認している。

 妻は、私の教え方が、「教えて上げるんだの気持ちが強くて、上から目線よ」と、指摘が入った。たしかにそうだ。その後は気をつけて対応している。

「おしゃべり会」がうまく行ったことを、ゆうゆう桃井館運営側が評価し、同じゆうゆう桃井館の調理室で開催している、今年で12年めに入った「男の台所教室」は、昨年3月から、コロナ感染を避け、調理を行っていない。これを打破するためZOOMを使って活動ができないかとの話が持ちあがった。運営するNPO法人の旧知の女性代表からも私宛に正式依頼があった。この件も、時間はかかったが、なんとかうまくいき、先月は、初めてZOOMで今年度の運営方針を決めた。

 降って湧いたコロナ危機に対応するため、様々な、つながる方法がある。伝統的な電話とパソコンメールに加え、進歩系の「ライン」が登場し、つながりが便利になってきた。私も、所属クラブのスケッチサロンや、大学同期のサークル仲間や家族のグループラインを活用している。

 さらに進んだZOOMだ。所属クラブのリーダー会議やスケッチサロンの講評会もZOOMで行っている。
 コロナでデジタル時代が進化した。「巣ごもり生活」が続く中、人々の「つながりたい」との気持ちは強い。私も微力ながら「繋げる」ことを続けて行きたい。

            イラスト:Googleイラスト・フリーより

記憶の計らい 金田 絢子

 つい先日(令和3年3月)、スペインのアンダルシア地方に旅したときの、大学ノートが見つかった。淡いブルーの表紙に「スペイン記」と書いた覚えがあるのに、すでに表紙はない。最初のページに4・24と日付が記され、その右、欄外に平成元年とある。咄嗟に「平成元年のわけがない。間違いじゃないか」と思った。
 娘にも、
「平成元年と書いてあるけど、ちがうの。もっとずっと後の筈よ」
 とまくしたてた。

 というのも、夫と私は昭和63年に初めての海外旅行をしたが、阪急交通社のツアーだった。とっかかりの旅行社に操をたてて、次もその次も同じ阪急の企画に参加したのだと、私の記憶にある。だから、ジャルパックで行ったアンダルシアが、何で、平成元年であるものか。

 ノートには明らかに私の筆跡で平成元年となっている。そうだったんだと素直に認める前に、記憶を優先させたのだ。ほかの資料をあたったら、私の独り合点であった。

 こうした場面に馴れっこの娘たちは少しも驚かない。終始、何をかいわんやの心境であったろう。とこうするうち、娘が言った。
「ロエベの商品を買ってきて欲しいって、女性社員に頼まれたってお父さん言ってたわね」
 初耳である。ロエベにまるで興味のない私の耳を、夫の言葉は素通りしたものと見える。
 ここで私は、
「ロエベにはいかなかったわ、バカラには行ったけど」
 と愚にも付かぬ発言までしたのである。

 もちろんガラス製品を扱うバカラに行ったのは、全く別の旅行で、コート姿の私が写っている写真をおもいだしたからにすぎない。
 バカ丸出しの発言をくりかえしているうち、ようやっとわたしも記憶の一端をとり戻した。娘たちの土産にロエベのバッグを買ったっけ。色も形も目に浮かんできた。私がロエベに行かなかったなんて、まさに嘘っぱちだ。


 さて、私の記憶にもノートの記述にも、はっきりと残っているのは、グラナダのフラメンコである。
「洞窟のフラメンコを見に、デコボコの夜道をゆく。ライトアップされたアルハンブラ(アラビア語で『赤い王城』の意)宮殿が美しく暗闇に浮かびあがる」
洞窟の情景は、今も瞼に鮮明だ。
 ノートには
「まだ多分、とおくらいのかわいい顔立の髪の黒い女の子が、おばあさんのとなりの椅子から、私と目が合うとにっこり笑ってくれた」
 と書かれている。だが、むしろ、汚れた身なりの、そのおばさんが、膝の上の楽器を鳴らしながら、アメリカ人のカップルをじろじろ眺めまわしていた姿の方が、はっきり記憶に残っている。

 スペインに入国するとから
「ジプシーには気をつけろ。金持ちの日本人を集団でとり囲み、盗みを働くから」
 と忠告された。

 流浪の民ジプシーも、現在ではその多くが定住しているそうだが、ナチスによる絶滅政策など、各地で厳しい迫害を受けた歴史を持つ。未だに爪はじきされているらしい。彼らが、かっぱらいもどきに走るのは、無理からぬ行いではないだろうか。ノートにはないが私はひとり、複雑な気持ちに駆られた。

 フラメンコを見に、デコボコ道を歩いたのも、ジプシーのおばさんが薄汚かったのも、演出だったろうか。
 セビリアで教会の「涙のマリア」の像に感動しての帰りみち、夫はころんだ。すると、歩きながらソフトクリームを食べていた青年が、まるで舞台のワンシーンのように救いの手を差しのべた。

 手に触れそうに蘇るアンダルシア!

 30年の月日をはねのけて、わたしに近づいたアンダルシア。ひょっとしてそれは「記憶」の粋な計らいだったかもしれない。

イラスト:Googleイラスト・フリーより

雨雨雨と、雨て読み? 廣川 登志男

 五月も中旬となった。先日、沖縄が梅雨入りしたと天気予報が告げていた。今年も早や梅雨の季節だ。この時期になると思い出す句がある。句と言っても、これは古川柳だと記されていた。漢文好きが高じて漢字に興味を持ち始めた頃に、強烈に印象に残ったものだ。『漢字遊び』(山本雅弘著)にあった。

「同じ字を 雨雨雨と 雨て読み」(作者不明)


 どのように読むかと、問いかけとなっていた。ずいぶんと悩んだが、それらしい答えが見つからない。古川柳だから、十七文字の読みがベースなのだろう。
 読み方は、「おなじじを あめ さめ だれ と ぐれてよみ」と書かれていた。

【雨】の字は、読み方が結構多い。「あめ」は当たり前の読み方で、「さめ」は【氷雨】、「だれ」は【五月雨】で、「ぐれ」は【時雨】だという。なるほどと納得した。特に、最後の「ぐれ」は語調が良い。それに、「ぐれ」は「ぐれる」の掛詞で、面白おかしく読みましたと解釈される。

 これは、日本語だからこその表現だし、トンチでもある。

 同じ字でも全く異なる意味を持つ熟語がある。【良い加減】には、二つの意味が辞書に載っている。読み方は、「よいかげん」でも「いいかげん」でもよいが、辞書には、両方とも同じ意味のことが記されている。
 一つは、お風呂などの温度が適切な状態で、入るとちょうど良いという意味だ。文字を反対にすればよくわかるが、「加減が良い」で、日本語大辞典では、①ほどほどであるさま・なまぬるいこと、とある。

 もう一つの意味は、②でたらめ・おざなり、とある。「いい加減な男だ」といった使い方だ。

 イントネーションの違いでわかりそうに思える。
 前者の意味では、「かげん」に力点を置いているようだし、後者の意味では、全体的に平坦なトーンとなるような気がする。万事においてこのような違いがあるわけでも無いのが難しい。

 漢字の熟語には、よく考えないと思いもかけない意味を表しているものもある。例えば、【親切】などは、外国人には理解不能な字のようだ。
 八年ほど前になるが、「外国人による日本語弁論大会」で、ネパールの専門学校生が「日本語のおもしろさ」と題して「親切」に言及していた。「おや」を「きる」と書いて、『情が厚く、丁寧なこと・さま』を意味するなんて理解できない、と。

 これなどは、日本人にとっては早くから覚える熟語だが、外国人にはどうしてそのような字を充てるのか理解できないだろう。
 個々の漢字の意味を調べると、「新字源」では次の説明になっている。

【親】①みずから。②親しむ、親しい。③みうち、みより。④おや(父母)。

【切】かなりの多義語であるから、簡潔にまとめられたものを引用すると、

(せつ)切る。こすり合わせる。ぴったりする。さし迫る。身に迫って感じる。しきりに。・・・
(さい)すべて。

【親切】は、「身に迫って親身に世話する」という、我々が普段から無意識に理解しているとおりの「情が厚く丁寧なこと・さま」の意味になる。
 ここで思うのは、単純にそれぞれの漢字から意味を推察するにしても、それぞれに、思いも寄らない意味が含まれていることに注意しなければならないことだ。

 特に【切】は「切る」とは全く違った意味をもっていて、こういう言葉・漢字の勉強が大事なのだろう。
 雑誌「武道」の本年一月号に「日本人の心根を考える」と題して、東京大学名誉教授・竹内整一氏が、「切なさ」について寄稿していた。
「切なさ」だけで、図表も入れて六頁四千文字にもなる説明が展開されている。確かに難しい内容だったが、興味あるものだった。その最後に、「切なさ」とは、『ある種の「耐えがたさ」であり行き場のなさである』とあった。序文だけ簡単に紹介する。

『幼い子どもたちは、「せつない」という言葉を使わない。「かなしい」「さびしい」は子どもたちにわかっても、「せつない」は、大人にならなければわからない、ある独特なニュアンスがあるからだ。また、これに該当する欧米語をもたない。それは、漢字「切」から発した独自な日本語だからである』。

 色々と書いてきたが、漢字には、その成り立ちからして意味があり、それを理解することは非常に大事だと思う。
 文字を書く、すなわち文章を書くにあたって、作家の人達は、行間の空気にふさわしい最適な文字を選択することで、自分の「思い」を読み手に深く伝えようと努力するのだろう。

 これまで私は、理学書や新聞・雑誌などを中心に読んでいたが、これからは、小説や詩集などにも目を通していきたいと思う。作家が、思いを込めて選び抜き充ててきた、興趣を覚える言葉・漢字を調べ、日本語のおもしろさをこれまで以上に勉強しようと思う。時間はかかるだろうが。

イラスト:Googleイラスト・フリーより

清い水槽は誰のため   青山 貴文

 吹き抜けの玄関を入った左側に、大人の背丈の半分くらいの高さの下駄箱がある、その上に水槽(巾60×奥40×深さ30センチ)を置いて、ほぼ5年になる。この水槽の水は、フィルターを通して循環し、かつポンプで空気を水中に補給している。だから、常に酸素の豊富な水流を水槽の中に作っている。


 これまで、この水槽の清掃は、毎年数回行っていたが、だんだん億劫になってきた。ここ数年は年一回しか洗浄や水の入れ替えをしていない。

 5年前、当時小学4年生の孫が、近郊の別府沼の小川から1センチくらいの小魚6匹を捕まえて、この水槽に入れた。
 そのうち4匹は、1年経って子供の拳くらいの大きさに育ち、髭もある。鯉であったら、この水槽は小さすぎる。妻と孫たちと一緒に元の小川に行って、放流してやった。残っているのは2匹だけで、大きさ7センチくらいだ。魚の種類はどうもタナゴらしい。


 数日前から、妻と顔を合わせると、
「青苔が水槽に付着して中が見えないわ。そろそろ清掃しなくてはね」と言う。
「我家の水槽は、水が循環しているから魚は平気だよ」
「清掃しないなら水槽を片付けるから、魚を別府沼の小川に戻してきてよ」
「今ごろ戻したら、自然対応力がないから、すぐ死んでしまうよ」
 と言って、水槽の洗浄を伸し伸しにしていた。
 
 事実、水槽のガラス全面に苔が付着しているが、水流のお陰で水質は綺麗で無臭だ。しかし、玄関に苔むした水槽が置いてあると、はなはだ格好がわるい。特に、来客があると見栄えが悪く、妻はそれが嫌なようだ。

 水温むころになった4月11日、天気予報によると翌日から天気が下り坂になるらしい。水槽の洗浄は、晴天の今日こそやるべきだと重い腰をあげた。 
 3年日記を見ると、水槽の洗浄は、去年5月12日、一昨年4月7日に行っていて決して遅くはない。

 私は昼食後、掃除道具として、水槽の水を吸い上げるサイクロン、バケツ2個、ブラシ類や網などを玄関に揃える。まず、ホース付きのサイクロン全体を水槽に沈めて、出口側のホースをバケツに入れる。
 だが、うまく水が出てこない。一年前は難なく出来たのに、どうも巧くできない。いろいろ試して、やっと水を上手に吸い上げられるようになる。私もまだ捨てたものではない。

下駄箱より低い踏み台に載せたバケツに水槽の水を貯める。バケツの7分目くらいに水が入ると、空のバケツに置き換える。交互にバケツを替えながら、水槽の中の水を殆ど放出する。二匹のタナゴを網で掬いだし、バケツに移す。魚たちは、毎年のことで覚えているのか、バケツの中では静かにしている。

 水がなくなり軽くなったとはいえ、水槽の底に砂粒が入っているので、一人では水槽を上げ下ろしができない。妻と声を合わせ、水槽の両端を両手で持って、下駄箱から玄関の外の三和土(たたき)に降ろす。去年は、確か、自分一人で動かしたはずだ。傘寿を過ぎてから、急に用心深くなった。

 私は水槽のガラスや砂粒を、妻は循環器の部品やパイプあるいはフィルターなどの洗浄をおこなう。私が中腰になって、水槽のガラスに付着したコケをブラシで落とす。
 なかなか落ちない。
 何度も丹念にブラシをかける。また、水槽の砂粒の水を何度も入れ替えて砂粒同志を擦りながら洗浄する。腰が痛くなり、何度も立ち上がって、腰を伸ばす。

 十数年前から、中腰の仕事をすると直ぐ足腰が痛くなる。妻を見ると、水道栓の近くで、彼女専用の折り畳み台に腰かけて、一心にパイプなどの苔を除去している。彼女は、なかなの合理主義者だ。

 洗浄後、水槽を下駄箱の上に設置し、水の循環装置を取り付ける。ホースで水道水を水槽に入れる。水槽の中で、2匹のタナゴが、よりそって泳いでいる。苔むしていたころは、2匹は別々にわかれて物陰に隠れてじっとしていた。

 玄関の水槽回りの空気がよどんでいて暗かったが、洗浄後は、透き通った水槽の回りが明るい清潔な雰囲気に様変わりした。
 清掃はやり出せば、3時間弱で滞りなく終わった。終わってしまえば、腰の痛さも心地よく、何か新しい力が湧いてきた。
 自分の心の内にはいつももやもやとした闇が漂っていた。清掃が終わったとたん、その闇がすっと消えて心身ともにすっきりした。

 水槽の洗浄は、タナゴのため、いや来客のためと思っていた。ここまで言うのは妥当性を欠くかもしれないが、妻のため、いや自分のためであったのか。

 今朝も、透き通った水槽に二匹のタナゴがゆったりと泳いでいる。

              イラスト:Googleイラスト・フリーより