カメラマン

華やかな美女乱舞(上)=S-NTK公演・宝塚歌劇団OGらとともに


  座長は五月梨世(元宝塚歌劇団の男役・月組)による、優美な踊り手たち



 構成・演出・振付の総監督は「帆之亟」です。そして、出演。



 すてきな顔立ちと、美声とで、舞台を華やかにしてくれます。
 


 子役も交えて、楽しく明るく、童話ショーが展開されていきます。

 この子らの中から、出演のお姉さんたちにも負けない、将来のスターが出てくるでしょう。

 


 影絵には、踊手たちの心に宿る面影が投影されています。

 どんな面影かしら?

 それは当人しかわからないな。三者三様だと思うよ。、


「お待ちくださいまし。お願いでございます」

 艶な芸と踊りとで、観客を魅了します。


 


 きらびやかな和服ショーにも、洋風・ダンスの踊りが組み込まれています。

 和服を着て一糸乱れず踊る

 まさにプロの演技ですね。



 雅で艶やかな男役です。容貌と踊りの均衡美で魅せます。

           


 
 踊り手の呼吸が伝わってきます。

 呼吸そのものが芸術です。

 

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『春花繚乱』 恋の花歌舞伎・悲劇は美なのか?(2)=写真で観劇 

 S-NTK 第2回 公演   『復興支援チャリティー公演』 

                   一景 阿国花歌舞伎 二場 恋の花歌舞伎
 

         2015年2月7日(土)・8(日)  大井町きゅりあん 小ホール  


 1603(慶長8)年、出雲阿国と呼ばれた女芸能者が、京都で、念仏踊り「かぶき踊り」を興行化しました。これが歌舞伎の起源です。男役もすべて女性が演じていたのです。
 現在と逆でした。


 美女の出雲阿国はいまも伝説のひとです。
 

 ※ 写真キャプション(説明)として、舞台イメージから『物語』をつけてみました。『恋の花歌舞伎』の脚本とはまったく関連ありません。


 


 京の都で、出雲からきた「阿国」(五月梨世)は、その美しさから、絶大なる人気だった。



 四条河原の芝居小屋で舞台に立つ阿国の踊りは、あまりにも濃艶で美し過ぎた。

 京の都のみならず、諸国・津々浦々に、その名が知れ渡った。

 座長の新五郎は、大切な人気の芸人に男がついてしまうと、興行に悪影響がつくと怖れる。阿国にを執拗(しつよう)に監視する。

「怖いのは堺商人だ。大金を積めば、阿国が妾になるはずだと、信じておる」

 現に、堺商人のなかには数人、芝居小屋に通いづめてくる輩がいる。要注意だ。

 人気役者の阿国は、いっときも離れず背後にいる座長・新五郎(舵一晴・元宝塚歌劇団花組)を意識していた。

「私に、自由が欲しい。恋もしてみたい」
 
 阿国は胸のなかで、つねに呟いていた。

 尾張国から、 武将・名古屋高久の次男の、山三郎(さんさぶろう・帆之亟)が京の都にやってきた。父方は北条氏の子孫、母方は織田氏の縁戚という、名家だった。



 見目うるわしい「美男・美女」という言葉が、最も後世に残ったとすれば、この2人だろう。

 さらなる上といえば、義経と静御前くらいだろうか。



 阿国と山三郎の仲を警戒するのは、座長の新五郎だった。

「まずいな。あんな美男子じゃ、阿国が惚れてしまう。恋は危険だ。なにをしでかすか判らない」

 新五郎の眼は従前に増して、いっときも阿国から離れなかった。

 「山三郎さま、あなたは憎いひとです。私の胸をこんなにも、苦しめています」

 「拙者かとて同じだ。このまま阿国を連れて、尾張に帰りたい」

 「わらはも、ついていきとうございます」

 「今夜、四条河原で逢えないか」

 

 「芝居小屋から、抜けだしてきました。山三郎さまに逢えると想うと、怖くなかった。いいえ、殺されても、逢いにくくと決心していました」

 「よく来てくれたか。嬉しいぞ。名古屋で、夫婦(みょうと)になろう」

 「うれしい。強く抱いてくださいまし」

 

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『春花繚乱』 華やかな日本舞踊の美ここにあり(1)=写真で観劇 


 S-NTK 第2回 公演   『復興支援チャリティー公演』


         2015年2月7日(土)・8(日)  大井町きゅりあん 小ホール  


 「阿国花歌舞伎」

     五月梨世  元宝塚歌劇団 


 出演者には元宝塚歌劇団の名優が6人、豪華な美の妙技をみせる。

   


 きりっとした眼差しは素敵だが、着物をつかむ繊細な指先にも美を感じる

  華やかなパワーで踊る。

  元宝塚歌劇団の男役は、きりっとした美の境地に誘い込む

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冬から春へと、端境期の点描=写真で散策

 目黒学園カルチャースクールで、「小説」と「フォト・エッセイ」の指導をしている。目黒からの帰路、雨が上がりそうなので、旧芝離宮恩賜庭園に立ち寄ってみた。

 冬の気配が色濃く、そのうえ小降りになったとはいえ、誰もが町で傘を手にしており、大都会の中心部の公園には、ほとんど人出はなかった。

 園内の樹木は、まだ冬の姿だ。

 
 


 こちらも樹木が藁ですっぽり防寒している。都会に住んでいると、雪国ではありきたりな姿が、愉快な形に見えてくる。

 円の管理事務所で聞くと、「梅が咲いていますよ」と教えてくれた。

 梅林のような華やかさなどないが、それでも樹木の花には春が感じられて、心地良くなる。


 葛飾区・環境課で、「花いっぱいの町づくり」がスタートした。4月ごろから同区のホームページで、花づくりの各団体の活動が紹介されていく。

 花いっぱいレポーターが公募で5人選ばれた。

 この5人の発足、活動のスタートに当たり、2/16に、「写真の撮り方」「取材の仕方」で3時間ほど講師を頼まれた。


 レポーターたちが、町で活動する人たちに質問していく。



 渋江公園は同区内では最大級の広さだ。いま改修中である。

 それにともなって、大きな花壇が園内で移設される。「緑化推進協力員 第3ブロック」の人たちが、ボランティアで移植していた。

 私は集合写真の指導もした。「記念写真のような、真正面から無味乾燥な撮り方はしないで下さいよ」とアドバイスした。

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女形と男役がおりなす喜劇『身替主人』(下)=浮気は不倫に非ず

  復興支援チャリティー公演  S-NTK第2回公演

※ 物語は写真イメージから創作したストーリーであり、歌舞伎の底本、主催の脚本とは無関係です

 大旦那・清兵衛の身代わりが、奥さまのお絹にばれてしまった。さあ、大変だ。

「旦那さまはどこ? あなたたち、どこに隠したのよ」

「あの。あの」

 番頭や手代はみな口ごもる。 取りつく島もなく、問い詰めてくる。


「嘘や隠し立ては、ただですまないわよ」

 奥さまは問い詰めるほどに、怒り狂う。
 
「なにも、何も致しておりません」

「私の大切な旦那さまを殺(あ)やめて、どこかに埋めたんでしょ。殺して、ただで済むと思っているの」

 予想外の濡れ衣だ。この場の状況は悪化していくばかりだ。


「滅相もない。決して、決して、そんなことはしません」

「わたしの目をごまかそうと思っても、そうはいかないわよ。町奉行にしっょぴいてもらい、白州のお取り調べて、拷問で、白状させてもらうからね。遺体をどこに遺棄(いき)したのよ」


「そこまで疑われると、白状します。旦那さまは幼馴染の小春の許に……」

 「わたしって、美しい妻がありながら、なんていうことを」

 お絹はこんど泣き崩れた。

 その痛々しさは、まわりの同情を集めた。

「小春なんて、そんな好い女じゃありませんよ。奥さまの許に心が戻ってきます。単なる遊び心ですよ」

「どんな女なの?」

「そりゃあ、ひどいブスです。性格が悪く、意地汚く。弁天さまのような奥さまとは段違い」

「そうなの」

「これは事実ですよ。奥さんができ過ぎですから、旦那さまはちょっと遊び半分。息抜きですよ。悪戯心ですよ」

「呼び戻しておくれ」

「もう夜が明けますから、そろそろお帰りになるはずです」


「あのひとの口から、直接、聞いてみる。わたしを身替りにしておくれ。布団を被られておくれ」

「これは厄介なことになったぞ」


「早くしなさい」

「はい。ただいま。布団を用意します」

 番頭や手代は周章狼狽(しゅうしょう ろうばい)ぎみで、とうとうお絹に従うはめになった。


「わかっているわよね。旦那さまが帰ってきたら、この寝床に、番頭の平助が寝ていることにするのよ」

「へい。いま敷きます」

「蒲団のそばで、旦那さまが小春とどんな夜を過ごしたか、痴態(乳繰り合う仲)だったか、あなた方がうまく話を誘導しなさい。
 得意げにべらべらしゃべる性質(たち)だから。この耳でしっかり聞いてみるから」


「小春って、好い女だ。あんな素敵な女と、なぜ、所帯を持てなかったのか。くやまれるな。大黒屋の財産に目がくらんで、婿養子になった。愛と恋に生きるべきだった」

 清兵衛は心も浮かれて、いい気分で戻ってきた。


「小春と比べて、うちのお絹ときたら、とんでもない女だ。ブスで、おかちめんこで、嫉妬が強くて、ロクな料理もできない。下種(げす)のカスだ。小春。わが小春よ」

 旦那は鼻歌を歌いだす。



「旦那さま、いま、この場で、そんな事をしゃべると危ない」

 と強く停止させる。

「構うものか。布団をかぶった平助にも、たっぷり聞かせてやる。どんなに楽しい夜だったか。手土産話しはたっぷりある。浅草の船宿で、お酌をしてもらって、さあ、あなた、寝床にどうぞ……。たまらないな。あの小春の声は」

「あなた。今までどこに行っていたの」

 お絹が蒲団から飛び出す。

「あのその。ちょっとそこまで」

 清吉は慌(あ)てて逃げだすが、もう後の祭りだった。

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女形と男役がおりなす喜劇『身替主人』(上)=浮気は不倫に非ず

  復興支援チャリティー公演  S-NTK第2回公演

東京・大井町きゅりあん 2015年2月7日


※ 物語は写真イメージから創作したストーリーであり、歌舞伎の底本、主催の脚本とは無関係です



 大黒屋の大旦那の清兵衛(五月梨世)は羽ぶりがよいが、その実、婿養子の身だった。

 「女房にはとくか頭が上がらないな。隙あらば、ちょっと良い女に……」

 清兵衛は下心たっぷりである。

 「こんな好い男は、所帯を持っていようとも、女が放っておかないさ」

 男は自尊心が強くなければ、世のなかは渡っていけない。そう信じて疑わない。

 「やっぱ。恋文がきたぜ。こういう予感は良く当たるな」

 


 江戸時代にはなんども奢侈(しゃし)禁止令が出ていた。幕府の改革は赤字解消の策で、武士も町人も、つねに節約第一だった。

 派手な服装の外出は禁止である。財力のある大店の奥方は、家屋内で、華美な服装を身につけて愉しんだ。

 むろん、大黒屋のお絹(帆之亟)は例外ではなかった。高価な絹の絢爛豪華な着物に、鼈甲(べっこう)の髪飾りだ。

 この手の奥方は、自分が最高に美しいと、信じて疑わない。嫉妬(しつと)心は、とてつもなく強い。


 


 「さては、どんな手を使うかな」

 幼馴染の小春が、大坂の小唄の師匠をしている。このたび江戸・浅草に戻ってくる、と恋文が届いたのだ。

「この機会は逃せられない。小春も手紙で、逢いたがっているし」

 清兵衛は思慮(しりょ)したあげくに、仮病をつかい、女房のお絹を煙にまいて、こっそり外出することに決めた。

「実はな」

「どうしたの。急に元気がなくなったみたい」

「そうだろう。いましがた医者に行って診てもらったらな。ケロリに罹(かか)っていると言われた。1か月は養生しないとだめらしい」

「コロリですって。恐ろしい。そんな恐ろしい病気に、大切なあなたがかるだなんて」

「ちがう。ケロリといってな。難病だ。とくに女に伝染すると、大ごとになるらしい。6尺以内に近づいたら、危ない」

「わたしっ、どうしたらいいの?」

「愛するお前にはすまないが、わたしは家を離れて、1か月ほどどこか遠く療養に出かけてくる」



「1か月だなんて、わたし耐えられない。哀しい。死んでしまいたい」

「お前が死んだら、どうなるんだ、この大黒屋は。1週間、1週間で戻ってくるようにする」

 清兵衛は何としてでも、このお絹の眼をかいくぐりたかった。

 一方で、浮気がばれると怖い。こんな嫉妬の強い女に、浮気がばれた暁には、離婚騒ぎになる。それも勘弁ねがいたい。

「わたし介護で、あなたについていく」

「そんな派手な着物で外出は禁止だ。美しい姿で、お絹は家のなかにいるべきだ。そうしろ。3日で帰ってくる」

「やだ、やだ。嫌だ」

「我まま言うな。難病がうつるとどうするのだ。ひと晩、ひと晩だけで良い」

「いいわ。ひと晩、あなたから離れて寝てあげる。でも、この家から出ないでね」

「えっ」

「別室で、床を取ってね」

 こんな女のところに婿養子にきたのが、運のつきだ。わが身がつらいな。

 小春に逢いたいな。

 

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【寄稿・写真】これぞ地球。幻想美の極致の写真(上)=宮内幸男

  写真家・宮内幸男物語(プロフィル)

 昭和20年、愛媛県勝山市に生まれる(69才) 30歳から独学で写真を始める。33歳で地元渡部章正氏を師として迎える。

 42歳愛媛県美術会会員推挙

 50歳愛媛県美術会役員
  以後常任評議員、隔年審査 、審査委員長

 59歳から病魔と戦う。

 62歳では、脳梗塞 右側完全マヒとなり、写真活動に支障をきたす。
「生きる目的を持たないと戦えない、絶対に妥協はしない」


 その気持で、病気と向かい合ってきた。毛筆による独学リハビリが成功した。


 半年でほぼ回復してから、写真活動を精力的に展開する。

 タイの山岳人族の電気の無い村にも、カナダのイエローナイフにも、一人で行った。
 それらの現地で語学は、日本語で笑顔のみ、「笑顔は世界 の共通語」を実践する。


 68歳から、写真活動のほかに、民生委員、児童委員 厚生省委嘱などで活動する。


撮影地はどこでしょうか。地球の南半球です

恒例・立石飲み会=雨にも負けず、呑兵衛は集まる。

 朝日カルチャ千葉が主催する『立石を歩く』(昭和が残る葛飾・立石を歩く、撮る、語る)が11月20に開催された。参加者は8人(女性7人・男性1人)で、事務局の栗原さんが添乗員役だ。
 京成立石駅に集合にしたとたんに、大雨だ。
「最悪だな」
 講師の私はつぶやいた。昭和が残る街を歩く。そして、中川・七曲りと東京スカイツリーを被写体にした写真テクニックを教える内容だった。私は土砂降りの雨の中で、どのようにレクチャーするべきか、と思慮した。
「やるしかない」
 駅の案内図で、葛飾の地形とか、踏切の警戒音が鳴る町とかを説明してから、歩きはじめた。

 同駅から徒歩1分の葛飾区伝統産業館に出むいた。事前に話を通していたので、東京キリコの職人・女社長、および印伝の矢部さんが、店内にある職人達の手工芸品を説明してくれた。いずれも、購入が可能だ。

 仲店では、「さくらい惣菜店」の櫻井さん(写真・上)が、パンフレットを用意してくれていた。そして、商店街の歴史を語ってくれた。戦後、葛飾で最初にできたアーケード街だった。
 唯一、雨に濡れない場所なのに、写真撮影のレンチゃーをはじめた。

「写真はテクニックじゃない。構図だよ」
 過去において写真は腕前といえば、露出とか、シャッタースピードとか、こうした技術がすべてだった。だから、その道に進みたい人は写真学科のある大学に行ったり、専門学校に入学したりして、学んだものだ。
 いまはそれらすべてをカメラの高度な機械がやってくれる。その上、人間の勘や眼よりも確かだ。

「写真の公募の審査でも、技術は問わず、テーマと構図の戦いです」
 そうした前置きを行ってから、構図の黄金分割法とか、S字、三角形、斜め線、C字などを取り組んだ撮影方法を指導した。
 そして、ハイアングル、ローアングル、サイド・アングルなど、カメラマンが立つ位置の基本を教えた。


「きょうは晴れか、曇りか、いずれかの予報だった」
 そんなボヤキを語りながら、 アーケードを出た。豪雨のような空で、皆して中川に架かる橋へと足を運んだ。全員が傘をさしているので、実に難しい写真指導だ。
 強い斜雨はまったくやむ気配がなかった。それでも、中川の護岸を歩いた。雨の日は、路面の光や落ち葉を取りこむと、思わぬ良い写真が撮れるよ、と教えた。
 夕方5時過ぎに、公開講座はともかく終了した。(皮肉にも、この公開講座の時間だけが雨だった)。

 次なるは希望者による、大衆酒場『あおば』の飲み会である。

 ここから趣が変わる。『作家と昭和を語る』(何年経っても、仮題)と合流となる。

 この立石飲み会は不定期で、テーマがない。年2回ほど行っている。これまで、立石に来たことがない日本ペンクラブの作家たちにも、漸次、声掛けしてきている。だから、微妙に、メンバーが変わる。
 
 昭和20年代の「のんべ横町」が残る。戦後から立石にはヤクザがいない歓楽街で有名だった。むろん、いま現在も。
 どんな路地・横町も安全だから、飲み会の前に、町を散策してきてください、と話している。

 あいにくの雨だから、全員が「あおば」に直行かと思いきや、立石一番人気の『うちだ』に立ち寄ってきた作家もいる。大いに結構なことだ。

 飲み会の会費は飲み放題・食べ放題で、3500円/1人。飲む酒は忠実に注文通りテーブルに出てくる。だが、料理は注文しても、ママが勝手にフライの盛り合わせ、煮込み、餃子などを持ってくる。

 騒いで飲んで、立石の語りを楽しむ。それが最大目的だから、場所提供の雰囲気だけでも充分である。会計はママにやってもらう。まさに、いい加減な幹事である。

 こんかいのメンバーには、立石が常連となった日本ペンクラブのメンバーの轡田さん。朝日新聞時代の社会部の後輩を誘ってきた。すると、朝日カルチャーの石井社長とばったり。双方は朝日新聞・横浜支局時代の仲間(上司・部下)だったという。そこから話が弾む。

 テレビ朝日時代のディレクターも来ている。公開講座の参加者たちと語り合う。

 
 葛飾区民記者「かつしかPPクラブ」のメンバーもやってくる。さらには、3代続く古本屋の岡島さんも顔をだしてくれる。岡島さんは、直木賞作家・出久根達郎さんとは丁稚時代からの付き合いだと語る。
 下町・葛飾立石を語らせれば、この岡島さんの右に出る人はいないだろう。

 講談界の第一人者である神田松鯉さんが、初めて立石にやってきた。話し上手だから、一気に盛り上がった。
「神田らんちゃんがわが家で、講談をやっているんですよ」
 石戸さんが語れば、その話題でも活発な語らいの場となる。

 石戸さんはかつしかFMでレギュラー番組(1時間)を持っている。それだけに話しは上手だ。話しはあちらこちらで、割れているし、にぎやかな笑いに包まれる。


 菊池さん(作家)は前々から立石に誘いながら、実現が出来なかった。今回は雨のなか出向いてくれた。
 数人の予定者は参加できずだが、おおかた半年後には立石にやってくるだろう。立石を感じ取って、それぞれが媒体で発信してくれる。このテーマのない語りの場が、立石の町にとっても、それなりに有意義になる。
 一方で、作家とはふだん縁がない人も、土産話ができるだろう。

 幹事の私はビールで泥酔加減だ。一度「あおば」でお開きにしてから、2次会だった文学から下世話な話、卑猥の話まで盛り上がった。どんな下ネタでも、純文学調になるから、不思議な語りべが揃っていた。
 

                        「あおば」の店内写真:かつしかPPクラブ・郡山利行、

「葛飾花と緑のはがき」コンクール・第一回写真の部で、審査委員長

 「葛飾花と緑のはがき」コンクールの入賞式が11月12日、「かつしかエコライフプラ」2階で開催された。主催は葛飾区。昨年度(2013)までは「絵画の部」「押花の部」の2部門で競われていた。今年度(2014)から、誰でも写真が撮れるデジカメ時代を反映し、『写真の部』がスタートした。
 私はその審査委員長を仰せつかった。

 各部門とも、郵便はがきか私製はがきに、絵画、押花、写真のいずれかを作品化し、メッセージを添えて応募する。9月30日が作品の締め切りだった。10月中旬には審査会が行われた。そして、翌月12日に入賞者の表彰式に臨んだ。

 
 授与式では、絵画の部(小学生の部、中学生の部、一般の部)、押花の部(小学生の部、中学生の部、一般の部)、そして、写真部である。
 それぞれに葛飾区長賞他5賞が授与された。写真の部では近藤宏臣さんが葛飾区長賞を受賞した。

 青木区長の挨拶では、同コンテストのテーマ『花に親しみ、緑を拡げよう』から、緑を増やし、緑を大切にした、住みよい街づくりをしよう、と強調した。その上で、受賞作品はどれも素晴らしいと誉めたたえた。
「今年度は応募者が3部門で1700点を越えました。ここ数年は漸増しているが、今年度からさらに大幅に増した。これは区民の緑にたいする関心度が強まっている証しです」と述べられた。

 各審査委員長から、それぞれの部門の総評がなされた。
 絵画の部は田名則子さんで日本絵手紙協会公認講師、押花の部は岡田満江さんで都立農産高校園芸デザイン科教諭だった。そして、写真の部は穂高健一である。

「写真の部は初年度であり、とくに募集要項に拘泥しました。『区内の花壇に咲く花』という条件がある以上は、その基準を満たす必要があります」
 そぐわないものは外した。葛飾区からこんな大きな富士山は見えない。だから、区内ではない。
 堀切菖蒲園や水元公園は葛飾区を象徴する花菖蒲の名所である。色彩豊かな菖蒲の花弁を上手に写し取った作品もありました。それは花壇ではないから、入賞から外しました。

 募集要項のこだわりは意外だったようだ。

「なぜ花壇にこだわったか。その理由を述べてみます」
 都会はつねに古いものから新しいものに変わっていく。文化発展とはコンクリートと鉄の世界になる現状である。鉄は錆びないために塗装する。見た目に華やかでも人工の色である。

 コンクリートの灰色は、人間の心を灰色にしてしまう。灰色とは荒んだ、刺々しいもの。だから、穏かな余裕ある心が失われていく。こうした人間だからこそ、花壇を増やし、緑と花で心を豊かにする必要がある。

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写真で観る、情熱、発散、熱気=東京・大井どんたく(下)

 熱気がからだいっぱいに満ちている

 琉球の踊りには、

 首里王朝の盛衰がある

 何かを訴えている

 彼女はそれを演じている



 名優が日本舞踊を踊る

 指先からつま先まで、無駄がない

 微妙な手の動かし方

 指のさばき方がごく自然だから、

 名優なのだろう
 


 楽しく踊っている

 内心は緊張かも知れない

 でも、観る側には、満悦した踊りに思える



 集合写真を撮るわよ。集まってちょうだい。

 皆来て、来て、はい、パチリ

 後ろの看板「お知らせ」が気になるけど

 そんな背景など関係なく

 「どんたく」の想い出写真になればいいのだ、

 

 沿道で踊る肢体の艶っぽさ

 肩や手の美しさも気高い、

 和服の衣装が、裾でちらっと乱れて

 
 こんなふうに表現すると、時代小説になってしまいそう

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