カメラマン

ちょっと故郷自慢してみるかな:きっと日本一の美観じゃないかな


 眼下の集落が、大崎上島・木江(きのえ)港です。

 かつては、瀬戸内海随一の遊郭街でした。

 私の家の周辺は、通称「女郎屋」がいっぱいありました。

 三味線、太鼓、おちょろ舟の櫓の音がひびく町でした。



 神峰山(かんのみね)は、きっと日本随一の名まえでしょう。

 なにしろ、神の峰ですからね。有名な平家伝説がいくつかあります。


 瀬戸内で離島として、(離島振興法)で、いちばん大きな島になりました。


 広島県山の日のイベントが、6月4日に開催されました。


 カクテルを作って(有料)いるのは、神主さんです。


 絶景で、カクテルなんて、おしゃれでしょう。

 都会からの若い移住者がきっと日本一?多く、こんなカクテルのアイデアが出てきます。若さって、実行力ですね。


 60歳過ぎて、島に来られると、住民税以上に、社会保障費の負担が島にかかるみたい。念のために……。

 そういえば、高校生の修学旅行は年間に数千人らしい。民宿して、この神峰山に登ったり、釣りもしているらしい。



 南米で長期に音楽関係のしごとをしていたご夫婦です。

 大崎上島に移住されています。「山の日」のイベントを盛り上げていました。


 島は魅力あるのか、若い女性、いや男性も、神峰山ウォークをたのしんでいます。

 そして、南米の踊りのレクチャーを受けていました。



 私の母校です。

 かつては大崎高校です。いまは大崎海星高校となっています。

 思い出たっぷりの学校です。



 後輩って、いいものだな。文化祭の記念撮影ちゅうです。

 そういえば、ぼくらクラスメートは、文化祭、体育祭では、教師から、よく怒られていたな。

「学校創立以来の悪だ」
 といって、怒っていた体育教師がいたけっな。

「ウソつけ。先生は赴任して、まだ2年じゃないか。創立なんて、知らねえだろう」
 と影口を叩いていたものだ。


 いまは穂高健一で活動していますが、ペンネームなので、島ではまったく知名度はありません。

 それで良いんじゃないかな。


 幼い子が桜の苗木を植えていました。


 桜が育ったころ、いい大人になっているだろうな。

 
 そして、島に観にくるかな。


 

 食べ物は抱負です。海の幸、レモン、ストロベリー、あとはわからない。そんな自慢は瀬戸内海のどこにいって口から出てくるので、止めておきます。



 眼下が、私が山越えして通っていた大崎高校・普通科があった中野地区です。


 島には日本一は幾つかあります。そのひとつが、この神峰山から360度の光景で、なんと115の島がみえます。多島美として、断トツです。

 実際に数えて、リストを作った、元船員の方がいる。そういえば、この島には国立広島商船高専があります。
 僕たちが10代の頃、超難関校だった。

 さらに戦前では、江田島の海軍兵学校か、大崎上島の広島商船学校か、と海の男に憧れたひとは、日本じゅうにいたみたい。


 だれが決めたのか、数年前に、「きのえ温泉は日本一だ」とTVで報じたものだから、帰郷するにも、予約でいっぱい。ああ、日帰りか。

 あれこれ日本一を作ってほしくないな。ぜいたくな、悩みです。

【新春の日舞】華やかに踊る、歌う。そして皆さんとともに=S-NTK

S-NTKとは……

 五月梨世()を座長とし、

 日本芸術学部()の卒業生と

 宝塚歌劇団()のOGが中心となり

 歌舞う()集団です

 日本の古典芸能の伝承を目的としています


 2017年も、皆さん、気迫で行きましょう



 笑顔は人間の財産です

 多少苦しくても、笑顔で、乗り越えましょう


 さあ行くぞ、自分の力を信じると、

 いつもの2倍、3倍の成果が出ます


  
 飛躍しましょう

 飛んで、跳ねて、心豊かになりましょう



 さあ、みんな一緒に、チャレンジしよう

 手を取って、頑張ろう

 人間はひとりで生きているんじゃない

 仲間を増やそう



 ちょっと振り返ってみれば、

 小さな、とても大切な幸せがありますよ


 素敵ね、良いわね、と

 褒めてあげましょう

 誉められて、怒る人はいませんよ


 仰ぎ見て、

 希望をもとめて

 進んでいきましょう

 勢いがあれば、

 多少のミスもクリアしてくれます

 生活にスピードをつけましょう



 恋をして、

 愛を感じて

 失恋もして

 また、恋をしましょう



 何事も、

 遅すぎたという言葉はありませんよ

 今から、

 今年から、やりたかったことをやってみましょう



 参加、参加です、

 大勢のひとのなかに飛び込んでいきましょう

 恥ずかしさは、自分の思い込みですよ

 勇気です



 ほら、ほら、

 笑顔ですよ


 男気

 度胸
 
 根性

 やる気

 まだまだ良き言葉はいっぱいありますよ、日本語には



 この世は、男と女

 すべてがここに集まります

 異性とも仲よくしましょう


 今年も みなさん S-NTKをよろしく お願いします

 座長の五月梨世です

 

2017年元旦 「愉快なお化け騒動」 実話か、虚構か = S―NTK ③

 「来たね、美人だろうね

  こんな良い男は、女に声をかけずしても、

   相手から寄ってくるものだぜ」



 「えっ? こんどはこっち側に回って、お酌かい

  音もなく、すっーと場所が変えられるんだな
 
   器用な女だ」



 「見てみて、与太郎が幽霊と酒を飲んでいるよ

  ばかだね

   お陀仏、
 
    なみ阿弥陀仏

     南妙法レンギョウ

      女にもてないからって、

       なにも幽霊など、家の中に引きずり込まなくてもいいのに」


  「あたいにも、一杯ちょうだいよ」

   こんどこっち側かい
 

 「こんな箱拾ったよ

  誰の落とし物かね?」


 与太郎の者じゃないか。

  さっきそんな箱を持っていたな


 ああ、酔っちゃった

  ちょっと、横にならしてちょうだい

   幽霊って、いつも突っ立ってさ、

    手をだらっと下げてさ、

     疲れるって、ありゃしない」



 『時は安政元年、

  真夏どきの夜中、

   長屋は訳わからず、

    騒ぎまくる

     ついには、三味線まで出てくる

      幽霊とお化けと、どう違う?

       その論争もあった』

 
   【かわら版屋ジャーナリストの記事より】



 「あら、御奥さまも、

  幽霊見物で、ござぁますの」


 たいへん美味しいお酒でした、

  あの世ではとても経験できないこと、

   お礼と申してはなんですが、

    一夜の妻として、

      あなた様の寝床で、

       添え寝させていただきます

   冗談じゃないよ


  「ほら、ほら。与太郎が逃げていくよ

   ばかだね、幽霊と酒など、呑んだりしちゃってさ」

 「皆さん、どうです。四文ですよ

  真冬に、幽霊の記事なんて、買いたくないだなんて、

   それはないでしょう

     ここまてネタバレさせておいて

実話か、虚構か、

      読んでみないと、わからないよ」
   
                                  【幽霊のコーナー終わり】
  

 

2017年元旦 「愉快なお化け騒動」 実話か、虚構か = S―NTK ②

 「あら、おなじ箱を持っていますね。

  なんですそれは?」

  見せてあげましょうか


 「ほら、これは最新の大型の塔婆よ」

  塔婆って、墓場に使う、あれ?

  そうよ、持って行っても、いいわよ。

 「こっちにもあるから、遠慮しておくぜ」



 「なんだ。こっちは賭け軸だけれど、

  得体のしれない画らしいな」



 「仏壇の後ろに、かけておくか

  せっかくもらった、名筆家の先生の画だというし

   リアリティータップの画風らしい」


 「おぬしか。幽霊とは

  拙者は西国雄藩の某大名家の元家臣じゃ

   義をもってせざるは雄なきなり

    長屋の連中が怖がっている、退治にきた」


 「幽霊だ、お化けだと言い、

  怖がっている連中なんて、気がしれない、

   掛け軸にかけたって、

    おっな肴(さかな)だよ」



 「手酌とは寂しいな
  
  美人の芸妓でもいれば、心が弾むのにさ」

 

  「この汚い長屋の裏手じゃないの?

   お化けが出る場所って

    愉しみね」

2017年元旦 「愉快なお化け騒動」 実話か、虚構か = S―NTK ①

 「さあ、さあ、買った。たったの四文だよ。正月早々に、江戸に幽霊が出たんだ」

  瓦版屋(かわらばんや)さん、ほんとうなの?

 「本物のプロ作家が、書き下ろしているんだ」

 だったら、フィクションね。虚構よね。

 「なに言っているんだ。この作家はノンフィクションだって、数々、書いているんだ。たったの四文だよ」

 ごまかされたと思って、買ってみるわ。

 「姐さん、それはひどい言い方だね。子どもの前で。

  江戸ジャーナリストは真実しか、提供しない」

  本当に、幽霊が出たんだろうね。

 「この長屋の近くの屋敷で、幽霊が出たんだってさ」

  えつ、すぐに幽霊退治に、行きましょう。

 「そんなの聞いたことはないわよ。幽霊退治だなんて」

 正月から、縁起が悪いでしょ。

 お化け、幽霊が出るとなると、土地の地価が下がるでしょう。大家さん  



 「その幽霊さん、私のように美人かしらね」

  あらら、

 「美人幽霊って、永遠の美しさでしょう。うらやましいわ」

  そういえば、お婆ちゃん幽霊なんて、聞いたことはないわね。



 「たとえ、美人幽霊といっても、退治せねばなりません」

  威勢のいい女将さん連中だね。

  江戸ジャーナリストは口出ししないの。

  はい、はい。


 「苗字・帯刀を許されている身分としても、

  ここは一つ退治せねばならぬな」

  格好いいですこと。

  斬って、斬りまくって。

 「正体をみせぬか。どこにおる」

 


 「幽霊が出たとなると、拙者も、乗らぬ乗らぬわけにはいかぬな

   これでも、かつては西国雄藩のある大名家の勘定吟味役だった。

    公金の横領(使い込み)でクビになったとはいえ。武士の魂は健全じゃ」



 ちょっと不気味な雰囲気になってきたな

 誰もいなくなった。

 内心は、怖いんだな

                          


 「こんなの貰っちゃった。らんらんらん……」

 さっき幽霊らしき女からもらったとなると?

  墓石にしたら、軽すぎる

  塔婆(とうば)にしたら、太すぎる

   葬式の香典返しかな?

                                  【幽霊・つづく】   

2017年元旦 「明けまして おめでとうございます」 = S―NTK

「明けまして おめでとうございます」 

 ことしも頑張ります。皆さん、応援してください。

                                  2017年元旦 

【演技の台本と、写真キャプションは無関係です。と言いながらも、存分に楽のしんでください】


  「初詣に行かれるのから。

  ご主人さま、私をおいて行かないでくださいまし。

  嫌ですよ、他の女と詣でるなんて」


  「愛妻のお前を、置いてけぼりにするわけがないだろう」

  新年そうそうに焼き餅をやくだなんて、ことしも想いやられるよ。

  この心を悟られぬようにしないとな。



 「愛妻だなんて、久しぶりにお聞きしますわ。

  夫婦(みょうと)なのに、照れてしまいます」


 「怖い、新年早々に、果し合いだなんて」

  あの手の連中には、近づかないことだ

 「どっちが勝つのかしら」

  おまえって、見かけによらず、好奇心が強いんだね



  「あら、大勢になってきたわ

   気の毒ね。

    真ん中の槍を持った女(ひと)つよそうね」


  もう、初詣に行こう

  「もうちょっと見させて」

  「やった、勝った。勝ったわ。拍手をいっぱいしてあげる」

   おまえな、亭主がいる側で、よくそんな態度ができるな

  「果し合いなんて、一生涯で、

   なんども見られないでしょ

   素敵ね、あの男(おとこ)」

   いい加減にしろよ。


 「あら、さっき槍を持っていた女じゃないの」

  大道芸さ。初詣の神社の敷地で、殺し合いなどやるわけがないだろう。

 「あなたって、興ざめなことをいうのね

  この助っと女でしょう。殺すのには、しびなかったのよ。

   あのお武家さまはきっと情のある方よ」



 「あの方、後ろ手に、なに隠しているのかしら」

  お前は、町に出ると、男にばかり目がいってるな

 「ことしも、あなたの焼き餅に付き合わされるのかしらね」


 新年の踊りを愉しんでいこう。

 すてきだぞ

 「ねえ、S―NTKなあに?」

  そんなことも知らないで、日舞を観にきたのか

 「ほんとうに知っているの?」

  いまに、紹介されるさ。幕間か、2部で……。


        【ストーリーに関係なく、続きがあります】

猊鼻渓の舟下り、写真で美観を愉しむ=岩手県


  岩手県の猊鼻渓(げいびきょう)の初冬に遊ぶ



 渓谷の岩稜と清流は、魅せられてやまない。

 


 新緑、紅葉も好いがらしいが、冬場は樹木の遮りがないので、切り立つ岩盤は見事だ。


 自然の造形美は、数千年、数万年の歳月をかけてつくられたもの。

 見厭きることはない。



 上り、下りの舟遊びは一時間半ゆっくり、人生の余裕すら感じさせる。

 北からの渡り鳥の鴨が近寄ってくる。

 愛らしく、心から楽しめる。



 カップルは、心と写真に想い出を残す。


 観光客の視点は、岩盤の一点に注がれていた。

 小さな穴に、瀬戸物の皿を投げ入れる。

 見た目よりも、遠くて、とどかない人が多い。


 
 案内したくださったのは、大和田幸男さん

 3.11小説「海は憎まず」で、取材協力してくださった。

 大和田さんも、猊鼻渓は初めてだと、景観に感動されていた。


「おおーい、帰るぞ。取り残されたら、泳いで帰ることになるぞ」

 船頭さんが呼びかける。


 全員乗れたかな?


 人命を預かる船頭さんの竿捌きは、巧いものだ。


 竿の尖端は、怪獣の爪のようだ。



 夏場は船頭が一人。冬場は屋根がかかっているので、ふたりの船頭が乗り込む。

 ひとりは説明は、民謡を披露してくれる。

 謡う喉はプロ級だ。


 船頭の美声に聴き入る


 渓流の美の彼方に、すれ違っていく船がさっていく。



 船下りの料金は、大人 1,600円  小学 860円です。

 こたつ舟運航期間は12月~2月末まで、

特別出演・のこぎりキング下田が巧妙な演奏で魅了=東京・浅草木馬亭

 浪曲寄席で、NO.41として「富士路子一門会」が2016年11月27日(日曜)、芸人のメッカ浅草の木馬亭で行われた。
 『荒神山三席イン木馬亭』と称して、富士路子一門でつづる荒神山の博徒たちの喧嘩である。

 三席の最初の演目は、『荒神山喧嘩の発端』 口演は富士路子 曲師(三味線)は伊丹秀敏である。

「ああいう輩(やから)には、かかわらないほうがよい」
 
 世間はそうでも、浪曲師が喉をうならせると、だれもが陶酔し、聴き入る。

 三席の合間には、巨大なのこぎり演奏が観客を魅了した。

  特別出演は、「のこぎりキング下田」で、卓越した演奏である。

  下田が早稲田大学に在籍ちゅう流行した、『遠くに行きたい』からはじまる。情感に満ちた曲で、満員の観客はしんみり聴き入っていた。

 ちなみに、かれは当時「都の西北……」と名高い、早大・応援団の吹奏楽部員として在籍していた。

「のこぎり演奏には気が弱い、気が小さい、震えがくる、これが最適な性格です」
 
 と言いながら、微妙な音が長い鋸(のこぎり)から発せられると、観客席がわいた。

「貧乏ゆすり。これも必然です」

 両膝を細かく震わせながら、のこぎりで微妙なバイブレーションをつけてみせる。

「のこぎりは管楽器ならず、勘楽器だ」

 こうした軽妙なトークで、笑わせる。


『かあさんの歌』は心を癒(いや)す。 

 下田は生まれた年に、父親を亡くし、母親のあつい愛情の下で育てられたという。母にたいする感謝の想いがつよい。それが演奏にこもっていた。

 最近は小学校から童謡がしだいに消えはじめた、と下田は憂(うれ)う。情緒・情感の教育が退化し、それに反比例して、惨い事件が多くなった、と社会現象にも話がおよんだ。

 国際派のアーティスト下田は、海外活動もこなし、フランスの他、来年(2017)5月は、カンボジアでも演奏が予定されている。


『旅笠道中』


『旅姿三人男』

  こうした日本の曲にも、演奏がおよぶ。

①『旅笠道中』の軽妙な生演奏をお楽しみください。左クリックで、動画になります


②のこぎりキング下田「ゲゲゲの鬼太郎」。左クリックで、動画になります

「荒神山喧嘩。吉良仁吉」。舞台には4人の浪曲師が共演する。

 口演は(左より) 若燕、富士路子、実子、綾那、曲師は伊丹秀敏である。


美女も浪曲師になる。「実子」。時は慶応2年4月~と口演がつづく。

 荒神山の喧嘩は、博徒たちの女争いが原因らしい。男の性(さが)なのか。 


 若手が育つ。浪曲の将来も楽しみだ。「綾那」。


(慶応2年4月ならば、第二次長州征討で幕府軍と長州藩が戦う、2か月前だ。東海道筋は徳川譜代や・幕府領で、治安が手薄になったから、博徒が伸したのか)

 と思いながら、浪曲を聴くのはちょっと場違いかな。



『安来節』 おどりは東家若燕である。

 観ているだけでも、愉快だ。

 富士路子『荒神山喧嘩。神戸の長吉』の三席が完結すると、観客から、感動の拍手が響く。出演者たちはそれぞれ花束を受ける。

 笑顔の芸人たちは、この感慨のために日夜、芸事に励んでいるにちがいない。

但馬国・出石城の仙石騒動って、なんて読むの?   紅葉が真っ盛り

 幕末小説「桂小五郎・木戸孝允」の取材で、いまは各地を飛びまわっている。


 長州藩兵ら2000人が、京都御所の蛤御門に突入を図った。かれらは敗れて逃走した。「禁門の変」である。

 長州藩の京都留守居役(朝廷工作の責任者)だった桂小五郎も、追われて、兵庫県の但馬に逃げた。

 隠れ住んだのが、但馬国の出石城下である。



 藩主は千石家で、天保時代のお家騒動でも有名である。

 関東在住のひとで、「但馬?」「出石?」「千石家?」がすんなり読めたら、そうとうの歴史通である。


 出石(いずし)城は、兵庫県北東部の但馬(たじま)にある。


 戦国時代は、山城で、有子山城が山頂にあった、赤い有子橋を渡っていきます。

 これも、読みにくいな


 
  有子山(ありこやま)城は、江戸時代は山麓に降りてきて、出石城となった。

 この出石城「二の丸」は、紅葉がまさに盛りだった。



 本丸への階段には、赤い鳥居が連続する。

 稲荷神社かな、と思ったが、そうでもなかった。

 


 黄葉も、見ごたえがあるな。 

  太鼓橋で、家族が紅葉を楽しんでいる。

  大勢の人出だった。


 


 
 紅葉ばかり見ていると、白堊(はくあ)の建築物も、みょうに新鮮に思える。


 辰鼓楼(右手)は、時計台だった。

 関東だとソバは信州だが、関西では出石だった。

 江戸時代に信州上田の大名家が転封(てんぽう)し、そば好きの大名が家臣らとともに、そば職人をつれてきたという。



 訪ねた日(2016年11月16日)が、出石自慢の『新ソバ大会』だった。

 出石役場の前には、一人前(小皿・5皿)が500円である。見るからに市の職員や、近隣のお手伝いさんが懸命に働いていた。
 



 旧・武家屋敷の銀杏は、青空にむかって映えていた。



 いずこの寺院の境内も、紅葉で燃えている。


 落ち葉を踏みしめる音は、じつにさわやかだった。


 
 「宋鏡寺」は、沢庵和尚で有名である。ここら、タクアンが全国に広かったという。

 桂小五郎は雑貨屋に扮装していた。

 この通称・たくあん寺で、散策でも、来たかな、と思い浮かべてみた。逃亡者は心理的に、紅葉狩りのの余裕などないかな。

 名刹は、夕方にかぎる。観光客はひとりもおらず。

 無人で、静寂で、ひとり秋の情感を味わえる。

 「出石資料館」に出むいた。建物は明治だった。

 「出石城の甲冑」はいま土蔵が工事中で観られないといわれて、がっかりした。

 受付の方が、あまりにもがっかりしていたからか、土蔵の内部が工事でないので、特別に閲覧させてくれた。

 蔵の展示のなかで、歓声をあげたいくらいの、慶應4年3月の「太政官」令をみつけた。


 明治政府は初年からキリスト弾圧をとった。この「太政官・令」が証拠品であり、英仏・アメリカから強い抗議で、撤去の要請が出てきた。

 まだ、勝海舟と西郷隆盛の話し合いで江戸城が開城する前だった。


 明治新政府は 「太政官」令のお触書で、戊辰戦争のさなかにもかかわらず、いきなり重大問題を起こしてしまったのだ。

 桂小五郎(木戸孝允に名前を変える)は、長崎浦上の隠れキリシタンの処罰問題で、大きくかかわった。

 さらに岩倉使節団が明治4年((1871年)年11月12日から明治61873)年9月まで、日本からアメリカ合衆国、ヨーロッパ諸国に派遣された。副使に木戸孝允・大久保利通とした政府首脳陣や留学生を含む総勢107名で構成された。

 日米通商条約な欧米との条約改定の期限が、翌年に迫っていた。その交渉が主たる目的だった。
「キリスト教徒を弾圧する野蛮な国家と外交交渉をしない」
 と剣もほろほろに扱われてしまった。
 さらには、岩倉使節団は行く先々で、民衆から石も投げられた。結果として、どの国とも、条約改定の外交交渉はできなかつた。

 かれらは帰国して、慌てて「太政官・令」の撤去を命じたのだ。

 「出石資料館」受付の方に、よく「太政官・令」がありましたね。というと、「最近、お城の蔵から発見されたのですよ」
 と教えてくれた。
 お礼を言って立ち去った。

 先々月は長崎、先月は萩、津和野、このキリスト教の「太政官・令」は見られなかった。まさか、この出石で見られるとは思いもかけなかった。

旅の情景=津和野は美観。しかし、明治時代に残酷な歴史があった


 津和野に出むいた。

 山口線の駅でSLに出合った。

 そうか観光目的で、この路線を走っているのだ。

 すれ違いの列車に乗っていたが、すぐさま降りて、3枚ほど撮った。


 車掌の制服が良かった。

 そちらに向かって小走りになった。

 なにしろ、わが列車はすぐに出るかもしれないのだ。

 私に真似して、5、6人が降りてきた。

 「もう出ますよ」
 こちらの運転手に急かされて、戻りながらも、なおもシャッターを押していた。

 過ぎ去っていくSLのアングルもいいかな

 一両列車の最後尾に行った。


 萩・津和野はなにかとセットで捉えられている。

 だから、津和野は山口県だと思われている。

 その実、島根県だ。

 はじめてきた街だが、よく整備されたうつくしい街だった。

 この町に、明治初期に悲しくも、過酷な歴史があるとは思えないほどだ。

 長崎浦上の隠れキリシタンが、幕末から明治にかけて弾圧された。とくに、明治時代の弾圧は、人間が、老若男女に対してそこまで残忍なことが出来るのか、というものだった。


 幕末の各国との通商条約は、宗教の自由を認めるものだった。長崎に教会ができた。すると、隠れキリシタンが礼拝にやってきた。幕府は日本人のキリスト教崇拝は認めなかった。大量に捕縛された。それが「浦上四番崩れ」とよばれる隠れキリシタンだった。

 翌年、明治時代になった。新政府はこれらキリシタンを長崎から名古屋から西の10万石以上の藩に移送し、懇々説諭を加えて改宗する狙いだった。
 4万3000石の小藩の津和野藩にも、割り当てられたのだ。

 なぜ小藩の津和野藩なのか。明治は祭政一致からはじまり、津和野の藩主以下がその指導的な国学者であった。藩主の亀井玆監(これみ)は、岩倉具視に次ぐ地位にいたのだ。

 津和野の国学者たちは、「宗教は宗教で改宗できる(善導)」と言いつづけていた。

「そこまで言うのなら、やれるものなら、やってみよ」
 最初に隠れキリシタンの中心的な人物が、津和野藩に28人が送り込まれた。津和野藩は、乙女峠の光琳寺に収容した。さらに増えて、小藩の津和野藩に153人のキリシタンを抱えた。


 乙女峠のキリシタンたちは、善導しても改宗しない。津和野藩の役人はしだいに焦りを感じてきた。藩主には生殺与奪が与えられていた。拷問は過酷というよりも、人間とは思えない残虐性を持ってきた。
 同藩で死亡した殉教者は36人に及んだ。


 德川政権下においても、島原の乱が起きた。当初は過酷な年貢の取り立てからはじまった農民一揆だった。それがキリシタン弾圧の口実につかわれた。
 原城に立てこもった籠城した老若男女3万7000人は全員が死亡した。(実数は不明)。

 江戸時代半ばからは、過度なキリシタン取調べは薄れてきて、日米和親条約がむすばれると、阿部正弘は踏絵を廃止している。 

 しかしながら、明治時代は祭政一致の政策、さらに廃仏毀釈から、苛酷なキリシタン弾圧となったのだ。
 明治時代に配流された者の数3394人のうち662人が命を落とした。純然たるキリシタン殉教者である。

 この惨事が西欧じゅうに報道されていた。
 そうとも知らず、岩倉具視たち視察団が、江戸幕府が結んだ条約改正に欧米に臨んだ。行先々の王室とか、国会とかで、強い非難を浴びせ続けられたのだ。1年半も面と向かってバッシングされて、あげくの果てにはキリスト教弾圧を理由に、1か国も条約改正に応じてくれなかったのだ。

 かれらは帰国後に、キリスト教信仰の自由を認めざるを得なかった。
 
 津和野には、美観と残忍な歴史が織り込まれている。