小説家

終戦記念日=太平洋戦争はなぜ始まったのか。薩長史観の歴史教育がまねいた惨禍だった

 石原莞爾(かんじ)は関東軍の参謀で、満州事変を起こした首謀者である。かれの〈世界最終戦争論〉が、太平洋戦争の発端となる思想だった。

『いずれ日本はアメリカと航空機戦を戦うことになる。それに耐えうる国力をつける必要がある。五か年計画で経済力をつけてきたソ連が、満州を奪う前に、日本がまず植民地にし、持久戦になっても、アメリカと戦える国力を保持するべきだ』

 この石原理論が実行された。関東軍は占領下においていた奉天(ほうてん)・吉林・黒竜(こくりゅう)江(こう)省に満州国を樹立した。そして清朝(しんちょう)最後の皇帝だった愛新覚羅(あいしんかくら)溥儀(ふぎ)が就任させた。
 それはまさしく傀儡(かいらい)国家だった。

 日本国民は石原理論と関東軍の行動を熱狂的に支持した。それが太平洋戦争につながった。
 12月8日の真珠湾攻撃の日に、軍艦マーチによって米国との開戦が国民に知らされた。ここにおいても国民が熱狂したのである。

 こうした国民の熱気が太平洋戦争への最大のけん引力になった。軍部・政治の強烈な指導にしろ、国民の声をないがしろにできないからである。

 戦争責任を問えば、それは国民にある。

 太平洋戦争の敗戦のあと、東京裁判がおこなわれた。石原莞爾は病気や開戦前に反東條英機の立場だったことから、戦犯が免(まぬ)がれた。ただ重要な証人として、アメリカの判事が石原の自宅を訪ねて訊問している。

「太平洋戦争のA級戦犯は、だれだと考えていますか」
 ーー戦犯は原爆を落としたトルーマンだ。アメリカ大統領こそ真の戦犯だ。
 あ然としたアメリカ判事が次のように質問した。
「日清・日露戦争までさかのぼれば、戦争を起こした最大の責任者はだけですか」
 ーーそれならば、東京裁判にペリー提督を呼んで来い。日本は約三百年間にわたり鎖国政策の下で、他国に対していっさい干渉もしない国だった。自給自作で、国民は平和に暮らしていた。ところが黒船を率いたペリー提督に脅迫されて開国させられた。
 西欧の侵略帝国主義の列強から身を守るために、日本はみずからも帝国主義になった。太平洋戦争に突入した、すべての元凶はペリーにある。
ペリー提督.png
 日中戦争当時において最高の知能といわれた石原莞爾すら、小学校の教科書の『鬼の顔のペリー像』が頭脳にすり込まれた。生涯消えなかった。

              *

 教育が人間をつくる。人格も思想も形成する。

 徳川政権は260余年の平和を維持し、海外といちども戦争をしなかった。幕末に戦争をしたのは薩英戦争(薩摩・島津家)と下関戦争(長州・毛利家)の2つだけである。  
 
 明治に入ると、この二家の薩長閥の政治家たちが天下を取った。
 前政権を見下すために、江戸幕府の老中首座・阿部正弘は、ペリー来航におびえ、砲艦外交に屈して開港・開国した。そんな弱腰だから腕力・武力・知力にすぐれた薩長が倒幕したのだという。
 
 はたして事実だろうか。ペリー初来航はわずか9日間である。かれは統領国書を手交する久里浜に一度だけ上陸し、四隻の海兵はほかに一度も上陸させていない。
 当時の江戸は天然痘のパンデミック下にあり、「自粛」というべきか、市内には人出はなかった。死の街だ。黒船見学や騒動などあり得ない。
 江戸城といえば、将軍・世子の家定の正室および継室(二番目の妻)も天然痘で死去する。将軍・家慶も病で倒れる。
 こんな江戸城にペリーが行こうとしない。うかつに天然痘を艦船に持ち込むと幽霊船だ。
 ペリーは外交の予備交渉すらせず、久里浜で国書を渡すと、さっさと退散した。わずか九日間のうち、浦賀すら上陸していない。そのペリーは日本を離れると、マカオで居を構えている。
 そこで一年間待つつもりでいた。

 明治時代派から始まった義務教育で、少年・少女らに事実無根を教えた。
『太平の眠気(ねむけ)をさます上喜撰(じょうきせん)たった四杯(しはい)で夜も眠られず』
 これは明治十年に詠まれた狂歌である。さも、ペリー初来航の強化だと教科書に載せた。

 さらには、江戸城内も大騒ぎ、右往左往し、政治はノーコントールになったと教える。そんな徳川幕府側の資料などない。

ペリーの似顔絵 (2).jpg 挙句の果てには、ペリー「夜叉面の鼻の高い」似顔で、米国にたいする恐怖を煽り立てる。
 当時の幕府は狩野派など精緻な画家をたくさん抱えていた。二度目の来航の時に、写真とほぼ同じような絵画をたくさん残している。
 それなのに、明治政府の教科書編纂委員は、あえて精緻なペリーの顔は載せず、「鬼の顔・ペリー」をどこかから見つけたきたのだろうか、もしかすれば、あえて描かせたのかもしれない。それを載せて、少年・少女に「米国憎し」と洗脳したのだ。

 この薩長史観は、力と腕力に勝れたものが政治の勝者になれる、と教えた。すべからく軍国少年となった。

           *  

 明治政府は富国強兵を目標にした。世界の一流国に肩を並べたいがゆえに、帝国主義で大陸侵略となる日清・日露戦争を起こした。
 かたや、軍国少年らは優秀な生徒があつまる兵学校・士官学校を目指した。海上・陸上で階級を上りつめて、やがて海軍大臣・陸軍大臣となり、さらに内閣総理大臣となった。
 軍人が政治に関与する軍事国家になった。
 国民も、教科書で習ったペリー憎しの歴史を信じていた。政府が言う敵国の米英鬼畜をすなおに信じた。全国民一致で太平洋戦争に突入した。
「教える歴史がまちがうと、国家が破滅する」
 それが石原莞爾が後世に残した教訓だろう。

 教育は見方を変えれば、これほど怖いものはない。この歪んだ教育は、石原莞爾の時代で終わったわけではない。
現代でも、この鬼の顔が平然と載っている教科書があるし、私たちはなおも洗脳されているのだ。

新聞連載の「妻女たちの幕末」は、原稿用紙で何枚くらいですか

新聞連載の歴史小説「妻女たちの幕末」が昨年(2022)8月1日から、ことし(2023)年7月末まで一年間つづいた。そして完結した。日曜日をのぞく毎日で、298回である。
 
 数多くの読者から、「何枚くらいですか」あるいは「400字詰めしてどのくらいですか」と質問される。
 単行本を出版してくれる南々社においても、同様の質問を受けた。

 執筆さなかの私は、日々に与えられた文字数(縦19文字・横26行:これは全国紙・朝日や毎日とおなじ)で、その枠内で書き出しと結末でエッセイのように完結型にさせる。そこに重点をおいていた。
 文字数は気にしなかった。

 第一行目にはつよい求心力に気をつかった。
「疫病が歴史をおおきく変えることがある」
 きょうから連載を読みはじめた方にも、連載の入り口になるように誘い込む。

「ペリー艦隊は初来航で9日間しかいない。それも国書を手交するわずか1日だけである。理由わかるだろうか」
 こうした疑問形で誘い込む。

「大奥の廊下の黒煙が逆巻(さかま)き、奥女中らに襲いかかってくる」
 まさにいま、危機に置かれている、と読者の感情移入を呼び込む。

「天保の改革を知らずして、幕末史を語るべからず、といっても、いい過ぎではない。幕末史における重要な根っ子である」
 ときには2行で引き込む。、
銀閣寺 ①.jpg
 一日分は四00字詰めで2枚+5~7行くらいで、約1000文字である。

 1日の結末は明日の紙面への期待につながらないと、連載もそこで断ち切られてしまう。
「長文のぶった切り」では、読者が不完全なモヤモヤ感(未消化)に陥ってしまう。この点はことのほか気をつかった。
 その理由は簡単である。
 私が約15年ほどカルチャーセンターの小説講座の講師として指導している。受講生のほとんどが一気に書き下ろし作品として完成できず、「つづき」ものになる。そのほとんどが単なる「ぶった切り」作品がなる。
 講師としてはつねに未消化な気持ちにさせられる。

「次が読みたくなるような区切り方にしなさい、伏線を張っておきなさい」と口酸っぱくいっている。
 こうした小説指導が、私の新聞連載の1日分のなかで完結型へと重要なチェックポイントとなっていた。

 むろん、「妻女たちの幕末」は全部が全部、1日で完結とはいかないけれど、せめて3日分くらいで政治的な出来事・事件のひとつ舞台としてロットの区切りがつくように思慮した。

「妻女たちの幕末」は298回において四百字詰め原稿用紙に換算すれば、685枚である。ちなみに拙著「安政維新・阿部正弘の生涯」(2019年10月発行)は530枚である。役、3割増しの厚さである。

「妻女たちの幕末」は,先輩作家の海音寺潮五郎、吉川英治、司馬遼太郎氏にない技があった。

 新聞連載の歴史小説「妻女たちの幕末」が昨年八月一日から、ことし七月末まで一年間つづいた。そして完結した。日曜日をのぞく毎日で、二九八回である。
 新聞社は一般に辛口である。文化部・部長から「後半(ペリー来航から)は、新たな幕末史観を興味深く読めたといった感想も多く聞かれ、小説の狙いは成功だったと感じています」と好評だった。
DSC_0509 福山会 (2).jpg
 ここで、私の執筆の手順を明かしてみたい。まず英雄史観の通説は疑ってみる。私は純文学で世に出てきた作家である。
「人間って、こんなことはやらないな」という疑問をあぶりだす。
 歴史は勝者がつくる。国内の史料はかなりねつ造や隠ぺいがなされている。そこで外国の関連資料から疑問をひも解いてみる。

「ここまでウソをつくか」とあ然とさせられる。

 IT時代でAIがすすむ現代、百六十年前の海外新聞が瞬時に日本語に変換できる。これは先輩たち大作家の海音寺潮五郎、吉川英治、司馬遼太郎氏などにはできなかった芸当だ。かれらは明治の薩長閥の御用学者の術に乗せられている、とわかった。

 面白いほどに、新たな発見があった。国立国会図書館も、デジタルで著作権のおよばない幕末関連の資料は面白いほどに難なく入手できた。
「井伊家史料」などもネットで古本として安く入手できる。先輩諸氏が足で神田古本屋をまわったものだが、雲泥の差になった。次つぎに通説をくつがえす傍証が容易にさせてくれた。

「妻女たちの幕末」は単行本として十月に発行予定。多くの読者が通説の嘘に気づくだろう。

阿部正弘の直系の阿部氏と(福山会にて)

安政七年三月三日 上巳の節句 = 土岡健太P(呉市安浦町) および 上野の東京国立博物館・展示中

安政七年三月三日 上巳の節句

 旧暦の出来事を新暦で伝える違和感はありますが、まずお許しください。

 いま我が家の娘たちも嫁し、「お雛様」は倉庫に収められたままになっていることへのお詫びの気持ちで、以前の記事、画像ブログ/2021-01-01(穂高健一著 紅紫の館)を再掲させてもらっています。ご容赦を。

 広島県・大崎上島出身の穂高健一先生の歴史小説には「桜田門外の変」が起こったこの日、江戸城内で、時の将軍家茂公が正室皇女和宮に、このお雛様を披露する予定だったとか。

 ところが大事件が起きて、それどころではなくなり、このお雛様は持ち出され、豪農「日比谷家」にお蔵入りになったと書かれています。

紅紫の館.jpg

 後に「東京国立博物館」に寄贈?された人形の箱には「安政七年」と墨書されているそうです。

 先生は、その小さな符号からいろいろ調べられストーリーを作られたようです。小説とは言え、失意の中で節句の「お雛様」を片付けなければならなかったかもしれないということが、後の日本の進展を象徴しているように思われてなりません。

「関連情報」

① 上野の東京国立博物館にて、「おひなさまと日本の人形」が開催されております。展示期間は【2023年2月28日(火)〜 3月19日(日)】となります。
 そのなかに日比谷家伝来の「古今雛」も展示されております。

東京国立博物館『おひなさまと日本の人形』


② 穂高健一先生は、現在「公明新聞」に昨年8月1日から、1年間にわたり、「妻女たちの幕末」を掲載中です。
 通説を次々にくつがえしており、論説でも、「読者の声」においても賞賛と驚きの声がずいぶん多く寄せられているようです。
 
 本日(3/7)も同紙で読者が、幕末史が好きで今まで小説、テレビドラマはみていましたが、ペリー来航以前に、徳川幕府がこんなにも欧米やアジアの海外情報を国別に知りえていたとは驚愕です。(現代の高校歴史よりも詳しく)、雄藩(薩長土肥)などは足元にも及ばなかったとは......。

 先生にお話をお伺いすると、この3月中旬から「ペリー提督来航」、4月中旬から、将軍継嗣問題、安政の大獄へとストーリーが運んでくるそうです。

 私に「私たちは将来の指針を歴史(過去)から学んで見定める。歴史は国民の財産だよ。薩長が自分の都合で、改ざん、ねつ造された幕末史を正さないとね。5-10年後は日本史の教科書は変わるよ」と話されました。


② 桜田門外の変とは
 安政7年3月3日(1860年3月24日)に、江戸城桜田門外(現在の東京都千代田区霞が関)で、水戸藩からの脱藩者17名と薩摩藩士1名が彦根藩の行列を襲撃し、大老・井伊直弼を暗殺した事件です。

新聞連載「妻女たちの幕末」= 論説委員がコラムで、歴史の新たな視点と評価 

 「歴史の謎を解く」その精神で「妻女たちの幕末」に取り組んでいる。
① なぜ、そのような事件が起きたのか。
② どうして、そんな結末になったのか。

 新聞の連載のさなかか、動機と結末に、多くの疑問をもち、双方を記すようにつとめている。
 年表だけで書かない。通説に、私は支配されない、影響されないという考え方である。
 公明新聞の一面のコラムで、論説委員の方が、執筆精神を評価してくれている。

DSC_0002 妻女たちの幕末 コラム.jpg

「穂高健一氏の小説『妻女たちの幕末』は、歴史を見るうえで、新たな視点を提供してくれる。一つは近世の封建社会で、男性の陰に追いやられていたと思われがちな女性が、たくましい活躍をしていたという一面だ。小説に描かれる幕末の女性たちは、したたかなほど躍動している。また、黒船来航をきっかけに、明治政府によって進められたとする日本の国際化、近代化が徳川時代にすでに大きな胎動になっていることも挙げられる。
  《中略》
 歴史、学問の通説をくつがえす発見や研究は耳目を引く。一方で、私たちは、自分が関わった時代の真実が何であったかを見極め、正しく次世代に伝える責任があることも強く感じる。

 論説委員の方が、作品の役割までも、評価してくれたことはありがたい。

          * 

 原稿の入稿は、ひと月分くらいまとめて前の月に入稿している。ちょうど、ペリー提督の初来航を執筆中である。

「歴史の謎を解く」
 ペリー提督が1852年11月にアメリカ合衆国のニューヨークから、大西洋、喜望峰(ケープタウン)、インド洋、ジャワ、上海、沖縄を経由し、東京湾に7カ月もかけてやってきた。かれらは太平洋横断の航海技術を持っていなかったから。

 それなのに、上陸できたのが大統領国書を手渡せた久里浜の数時間である。そのうえ、わずか9日間でさっさと立ち去っている。

「おい、おい、鳥類、魚介類、植物学の権威の学者たちは、遠路やってきて日本に上陸もできなければ、研究の役目が果たせないじゃないか」

 欧米の軍人は実業家、議会の議員、学者よりも身分が低く扱われている。ペリー提督は、ハーバード大学の著名な博士などに頭が上がるはずがない。
 なぜ、合衆国東海岸から膨大な経費と数千人の乗組員を要して浦賀にやってきて、かれらは逃げるように立ち去ったのか。

 私は、ここに明治政府のプロパガンダ(歴史のねつ造)を見出した。

 

新聞連載「妻女たちの幕末」= 歴史は国民の財産。曲げられた歴史を糺す

 歴史から先人の知恵を学ぶ。だから、『歴史は人間の財産だ』といわれる。ただ、その歴史が曲げられていると、どうなるのか。
 空恐ろしてことである。
 
 明治後期から手がけられた「官営・維新史」が刊行されたのが、昭和14年である。太平洋戦争の2年前である。これがいまの歴史教科書の幕末のベースになっている。ねじ曲げられたところが随所に散見できる。

           *

 明治時代に入ると、薩長閥の政治家たちが幕末史の編纂に号令をかけた。下級藩士から成りあがった自分たちを、徳川幕府を見下し、自分たちを大きく見せるための手段でもあった。

「妻女たちの幕末」はより多くの史料・資料から、真実に迫ろう、という執筆精神でのぞんでいる。
 事実をあからさまにわい曲すれば、嘘だとばれやすい。だから、教えない、伝えない、隠すことで、歴史的事実が消えてしまう。

 連載小説では、隠された事実をほりおこす、という信条でのぞんでいる。

 DSC_0003 妻女たちの幕末 投書2.jpg

 読者の投稿欄に、

 堺市の木村功さんは、「連載小説を楽しみにしている」と前置きしてから、そのきっかけを書いてくださっている。

「天保の改革を断行した幕府の老中首座・水野忠邦が、黒船来航よりも10年早く、蒸気機関車と蒸気船の導入計画をし、長崎のオランダ商館に働きかけていたという衝撃の事実が、この小説で明かされたことであった。
 明治5年に新橋~横浜間の鉄道が開通したことが引き合いに出されるが、そのむ29年も前に検討が始まっていたのである」

 このように、ペリー以前を伏せる、教えないことで、近代化は明治政府からだと、薩長閥の政治家たちは義務教育のはじまった少年・少女たちにすり込んだのだ。

 私たちの世代が教科書で習った有名な狂歌がある、
『泰平の眠りをさます上喜撰たった四盃で夜も寝られず』は明治10年に町人がつくられた創作であり、当時の史実とはちがうと、いまでは教科書から削除されています。

「妻女たちの幕末」の作品のなかでも、私はあえてそれを指摘している。

 手元にある「新しい社会 歴史」(東京書籍・令和4年2月10日発行)がある。広島県・志和中学校で講演するために、入手した『日本人がえがいたペリー』(神奈川県立歴史博物館蔵)が掲載されている。誰もが知る鬼の顔をした鼻が高いペリーである。

 同館の学芸員にだれが描いた絵ですか、と問合せすれば、「作者は不明です。ただ、アメリカ人の嫌悪・憎悪を書き立てるもので攘夷派の可能性が高いですし、それを利用したのは明治政府以降のプロパガンダですよ。まだ教科書に載っているんでか」と応えてくれた。

 このように歴史は時の政権に都合よく利用される、という側面がある。太平洋戦争の軍国主義のときにできた「官営・維新史」から、私たちは解放されるときにきた。

 私は「妻女たちの幕末」で、こうしたプロパガンダはできるかぎり指摘し、後々に『歴史は人間の財産だ』と役立つようにしたい、という信条を持っている。

 
 

新聞連載「妻女たちの幕末」= 為政者だけでなく、庶民の目も加える

 タイトル「妻女たちの幕末」と銘打っているが、江戸城大奥の女どうしの葛藤という通俗小説の側面はほとんどない。
 
 この作品は一つ出来事、事件、政治変革にたいして男の視点、女の視点、さらには庶民の目も入れており、複眼的に筆をすすめている。
 つまり、立体的にみないと、歴史の本筋がみえないからである。

 歴史は後ろからみて「なぜ、そんなことがわからないのだ」という歴史上の人物を批判する人が、あんがい多い。
 歴史の渦中にいる人たちは、明日がわからない。

 政治の変革は運命的なもの、必然的なものではない。その時代に生きている人たちが、大名も、農民も、町人たちも、手探りで歴史の流れを作っている。

DSC_0001妻女たちの幕末 投書1.jpg

 投書欄に、

「連載を楽しみにしています。天保の改革といえば、水野忠邦という知識はありました。しかし、倹約令の詳細については知るよしもありませんでした。連載小説では、江戸幕府の大奥の動きや江戸庶民の生活を通して、詳細に表現されており、まるで映画のスクリーンの光景を見るように読み進むことができます」(中津市・田尻一男さん)

 庶民を描くことで、水野忠邦が先鋭的・斬新な改革をおしすすめながら、理念はよかったが、庶民の大反発をかってしまい、老中首座を下ろされてしまった。
 取締っていた鳥居耀蔵(とりい ようぞう)も同様に失脚した。

  庶民が歴史をつくる。その認識は不可欠である。

 私たちは今のいま、政治家をみれば、かれらは支持率を気にし、国民に沿うような施策をおこなっている。頭から、「殊勝だぞ。いうことを聞け」という自己本位な考えで庶民を無視すれば、バッシングされて短期政権になる。
 
 いつの時代も同じで、政治のトップ(水野忠邦)だけを描いても、ほんとうの歴史にはならない。
 このたびの新聞連載では、折々に庶民を登場させている。

 
 

歴史小説・新聞連載「妻女たちの幕末」=  140回を進行中

 歴史小説「妻女たちの幕末」が、公明新聞で2022年8月1日から連載がはじまった。日曜日をのぞく毎日、読者に読んでいただいている。
 令和4年の年を越し、いまは約半分ほど進行中である。
 
 連載は大づかみに、ペリー提督の黒船の前を半分とし、それ以降は多くの幕末ファンが知るところだし、半分としている。

 とかく私たちは、教科書、歴史書、小説をはじめとして、ペリー提督の蒸気船・黒船がきてから、幕府はおどろきアタフタとして日米和親条約が締結されたと刷り込まれている。

 それ以前にも、アメリカ海軍や捕鯨船、さらにイギリスの測量船など外国艦船が江戸湾に来航し、幕府がしっかり対応している。そこらは、多くのひとが知り得ていない。むしろ、隠されている。

 DSC_0004 妻女たちの幕末 ビットル.jpg

ペリー提督以前をただしく知らないと、薩長史観のねつ造された歴史観になる。端的にいえば、明治政府のプロパガンダに染まってしまう。

 徳川幕府が倒れたのは、わずかな英雄たちの倒幕活動のよるものではない。戦国時代の群雄割拠のまま、徳川政権がつづいた封建制度が、欧米の近代化という資本主義にそぐわず、政治システムがつぶれたのである。

 それゆえに、徳川幕府の内部崩壊である。そこらの認識のもとに、政治・経済・文化の面からも、新聞連載で丹念に展開している。

 ただしい日本の歴史を知ろう、という信念で、丁寧に描いている。


 
 

~志和の歴史に学ぶ~ 講師穂高健一「志和と幕末」 志和中学

令和4年11月10日
志和中学校保護者の皆様
地域の皆様
東広島市立志和中学校
PTA会長 堀 光都子
校  長  脇坂 治海

志和中学校PTA教育講演会開催について(ご案内)
~志和の歴史に学ぶ~


秋涼の候 保護者・地域の皆様には益々ご健勝のこととお喜び申しあげます。また,平素より本校教育並びにPTA活動の推進に,格別のご理解とご協力をいただき,心から深く感謝しております。

さて,本年度の志和中学校PTA教育講演会は,作家・ジャーナリスト 穂高 健一 氏をお招きし,「志和と幕末」と題し講演会を次のとおり開催いたします。

今回は,新型コロナウイルス感染症拡大防止の観点から,会場の人数を考慮し,同じ内容で2回講演をいただきます。保護者及び地域の方はどちらか都合のよい方にご参加いただけます。

ご多用の折とは存じますが,是非ご参加いただきますようご案内申しあげます。

1 日 時  令和4年11月30日(水)  午前の部 10:30~11:30
                      午後の部 13:30~14:30       
2 場 所  東広島市立志和小中学校 体育館

3 講 師  作家・ジャーナリスト 穂高 健一 氏

4 演 題  『志和と幕末』
       
5 日程及び参加対象者         
日程等 参加対象者
☆ 午前の部 志和小6年生、志和中1年生
       保護者・地域の方
   受 付 10:15~
   講演会 10:30~11:30

☆ 午後の部 志和中2・3年生

 受 付 13:15~
 講演会 13:30~14:30
   
※ 午前でも午後でもどちらでも参加いただけます。
    
6 その他  駐車場は,志和小学校グラウンド及び中学校グラウンドをご利用くだ
さい。

新聞連載小説「妻女たちの幕末」 = 8月1日より開始

 今年度(2022年)8月1日より歴史小説「妻女たちの幕末」公明新聞で連載されます。
 現在は宮部みゆきさんの小説「三島屋変調百物語青瓜」が7月30日で終了し、そのあと穂高健一「妻女たちの幕末」がはじまります。むこう一年間(日祭日を除く)です。


③公明新聞・予告2.07.261024_1.jpg

 これまで、私を含めて男性側の視点から歴史小説が書かれています。大別すれば、薩長史観&徳川史観という対立構造です。
  
 この世には男性と女性が半々いるし、対立もする。歴史は男だけで動かない。思い切って女性の視点から幕末史にチャレンジします。むろん、随所には男性の活躍も加わります。

「歴史は庶民がつくる』
 現在でも国会議員だけが歴史をつくっているなど、誰も考えていないでしょう。それなのに、歴史となると学術書も、小説も、為政者に偏っています。

 できごと、事件のとき組織の頂点にいだけでしょう。先頭に立つて采配をふるったとか、先見の目があったとか、英雄が創作された。おおむね単なる飾り物か、後世の美化でしょう。

 極限られた少人数の英雄たちだけで、千年もつづいてきた封建制度、および武家政権が短期間に都合よく消えるわけがない。

 そこにはおおきな民衆の力と渦巻く流れがあった。かれら民衆が、やがて徳川幕府を瓦解させた。その本質を忘れ得ずして、市民の目線も加えて展開していきます。


関連関連情報
「公明新聞」定期購読のお申し込み

「公明新聞」定期購読のお申し込みは、こちらをクリックしてください。

 ただし、私の連載小説は日曜日版の掲載がありません。