小説家

写真小説の第3作目・「心は翼」は、8月1日より、掲載

 第3作目の『心は翼』は、ジャンルとしては、ファンタジーにミステリーを組み込んだものである。

 マドンナは詩人で、26歳、大使の娘である。彼女は6歳の時に、スキー場で誘拐事件に巻き込まれた。2週間後、雪峰の八ヶ岳を越えた、反対側の山小屋で発見された。

 この奇怪な事件が、マドンナにはトラウマとなっている。誘拐犯がいまや彼女の心のなかで、悪魔に育ち、呪縛しているのだ。物語はこの背景から動きだす。
 主人公・井伊佳元が苦しむマドンナに、どこまで手助けできるのか。20年前の誘拐犯までたどり着けるのか。これがメイン・ストーリーである。

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第21回 『元気100エッセイ教室』作品紹介

 こんかいの冒頭の講義は『結末の書き方について』だった。作品の結末は最も重要なもので、作品の成否がここにある、といっても過言ではない。
 結末が弱いと、5分の4がどんなに素晴らしくても、失敗作とみなされる場合がある。成功作品といわれるものは、まちがいなく結末がぴたっと着地している。体操競技で着地が決まったように。


 展開がラストに近づくほど盛り上がり、最後の数行で頂点に達する。そして、「なるほど、作者はこれを言いたかったのか」という、テーマと結実する。それが読者の感動であり、良い読後感となる。

「上手な結末」の書き方について、技術的には5項目述べた。
 そのひとつが、『作品はやや多く書いておく。そして、どこか手前で、すぱっと切る。(トカゲの尻尾切りのように)』というものだ。そうすれば、読後に余韻が残る、と強調した。

 今回のレクチャーは「結末」だったが、作品紹介はこんかいも「書き出し」にこだわってみた。

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『エッセイ教室20回記念誌』が発行

 06年6月からスタートした、『元気に百歳』クラブのエッセイ教室が、いまや20回を超えた。受講生は熱心で、頑張っているなと、ある種の感慨を持った。同メンバーは合計19人である。病気、所用などで欠席者が出ることから、作品提出・参加者は13~15人くらいだ。開催場所は、新橋区民センターである。

 森田さん、中村さん、二上さんの世話役の下で、同教室の運用がなされている。講師の私は添削と講評に徹することができるので、ありがたい。
 

 このたび、『エッセイ教室20回記念誌』が発行された。掲載された数は122作品だ。前回の「10号記念誌」(07年5月発行)は94作品であり、28点も増えている。
 作品が提出されても、やむを得ない事情でエッセイ教室を欠席すると、相互に評論する機会をなくす。それらの未掲載作品が4点あった 
 『エッセイ教室20回記念誌』の発行で、最もおどろいたのスピードの速さだ。発案から、1ヵ月以内で、それを作り上げたのだ。

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第20回 『元気100エッセイ教室』作品紹介

 エッセイ教室は今回で、20回を迎えた。芸術や文化など創作活動は、くり返しの連続で上達するものだ。文章は苦手だ、下手だと思い込んでいる人でも、創作活動を継続すれば、まちがいなくレベルが上がってくる。 


 スポーツにおいて毎回の勝利はない。エッセイも良品ばかりではない。失敗作の連続とか、スランプとかがある。感動作品だったり、ときには平板で冗漫な作品だったりする。
「書けない」と妙に気取ったり、格好つけたりして、書かないひとがいる。これは創作活動で最悪だ。絵でも、彫刻でも、文学でも中断せず、一心に続けることだ。
 やがて、「良い作品ですね」、「文章が上手ですね」といわれるようになる。いつしか、文章力の高いレベルに達した自分を知ることになるのだ。

 受講生は20回にわたり、エッセイを創ってきた。1行、1文字にもシビアな添削とか、大勢の講評を受けてきた。それに耐えてきたこと自体が貴重な財産だと想う。

 今回の講座冒頭のレクチャーでは「文体とリズム」について説明した。エッセイの領域を超えた、小説講座に近い内容だ、という認識の下で。

 文章には大きく分けて、文体とリズムの2本柱がある。

 文体はつきつめれば、作家の体質、性格、個性などによって、作家の特徴(文体)が生み出されてくる。
 人間の顔が一人ひとり違うように、文体は作者によって違う。同一の素材で、おなじ内容でも、作品はそれぞれに違う。それは文体の違いにも寄る。
 自分の文体は、書き続けることのみで確立されてくる。

文章のリズムは作品の感動や感銘にかかわる。文章のリズムとはなにか? 音楽に置き換えると、わかりやすい。音楽には強弱(動と静)が必要である。強さばかりではだめ、弱さがなければ、曲は単調になる。エッセイも同様で、緩と急が大切。ラストに向けた、起伏や盛上がりがないと、一本調子になる。
           
 文章のリズムも書きつづけることで、会得できるものだ。作曲家が一夜にして生まれないのとおなじである。

 20回目の記念。その意識もあって、作者たちは執筆に熱が入っている。良品が多かった。作品を個々に紹介したい。

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ノンフィクション『いい加減な会』・春の初会合

 桜が散り、いまやツツジが満開だ。

 どこの世にも、ルーズな男がいるものだ。その一人が、例のヤマ屋だ。桜の咲き始めたころ、3月某日(具体的な日にちは忘れてしまった)、場所は大宮駅から近かった。それを取り上げて書く、という約束だった。


 一人ひとりからコメント、原稿、写真を集めたヤマ屋だったが、そのまま放置していた。「今年がなければ、来年があるさ。桜は来年でも咲く」という態度でいた。このルーズさはあまり類をみない。

 こんかいから、ヤマ屋が好き勝手に呼称変更した。それは、『いい加減な会』だ。かれは当初、「初期高齢者の会」を思慮していたようだ。
 これだと病気、病院、墓、仏様、数珠、法事、あの世が話題の中心に座ってしまう。およそ、赤いドレス、イヤリング、愛、恋、失恋、ロマンスなど、心弾む世界とは無縁だろう。それでは読者層が高すぎる。記事に広告がつくとすれば、セレモニー・ホールか、お寺くらいだ。

 ヤマ屋が決めたのが、『いい加減な会』だった。会はオープンにして、年齢層の幅を持たせる。会員はいい加減な性格を自負すれば、老若男女を問わず参加資格がある。

 当然ながら、面倒な会則はいっさいなし。几帳面な会計係が会費など取り立てる、という気すらない。
送られてきた原稿は取り上げる。書いても、書かなくても自由だ。そのていどの拘束だ。

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着物美人の撮影は霧雨、そして快晴=写真小説の舞台裏

 4月1日から、写真小説『TOKYO美人と、東京100ストーリー』がスタートした。第1作目はタイトル「新妻の悩み」で、3回連載。現在は(002 浅草)まで掲載している。近日中には、(003 隅田川)を載せる予定である。


 1作ごとに、女性モデルは違う。それが特徴の一つである。


 2作目は5月1日に掲載予定。タイトルは、『婚約者は刑事』で、ミステリーだ。これは5回の連載である。400字詰めで、約150枚の中編小説だ。

 写真小説の裏舞台にも少しふれてみたい。
 これまで殆どの小説は作品が完成したときに、イラストを描いてもらうのが常だ。そして、書籍や雑誌に掲載されていた。それが映画化されると、俳優のイメージが重なり合っていく。つまり、イラストレーターの絵とか、映画監督がつかう俳優とかが、読者の描く人物像になる。それは執筆中の作家が描く登場人物とはまったく別ものだ。


『TOKYO美人と、東京100ストーリー』の特徴は、まず写真撮影を先行させることにある。撮影は原則として作者自身がおこなう。その写真から、人物(マドンナ役)の特徴を立ち上げていく。同時に、作品のジャンル、テーマ、構成を組み立る手法だ。従来の小説の執筆方法とは180度ちがう。

 撮影場所は、東京都内の有名処、メジャーなところと決めている。モデルの彼女たちから、撮影してもらいたい場所を聞く。(撮影ずみの場所は他に変更してもらっている)。
 服装はすべて彼女たちに任せているので、洋服から和服まで、幅が広い。むろん、持ち物、小物、アクセサリーなども、彼女たちの考えによるものだ。

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ノンフィクション・08年・学友会 昭和の大学生

 あれから何ヶ月が経ったのだろうか。節分、バレンタインー、桃の節句、桜の開花宣言、いまや染井吉野が散りはじめている。1月17日の「学友会」の新年会から約3ヵ月が経つ。
 山屋はルーズな男だから、『穂高健一ワールド』に寄稿する、学友会のノンフィクションはまだ書き上げていない。一行も手を付けていないのだ。
「つつじが咲くころだ。どこ吹く風で、いつまで書かないのだ」
 元焼き芋屋が執拗に督促する。
「今回の学友会も、写真を消したんじゃないか」
 元蒲団屋が疑う。

「写真は間違いなくある」
 山屋のことばに、信憑性はあるのか。普段がふだんだから、まわりは疑う。
「それなら、証拠を示す意味でも、書きなよ」
 元蒲団屋は、山屋のほほ被りを見逃さない態度をとった。
「来年といっしょにしたら? 2年の合併記事にしたら」
「だめだ」
「書けばいいんだろう」
「3ヵ月前の記憶がどこまで確かなものか」
 山屋が記憶の消滅を良いことに、自分に都合よく、虚構(フィクション)で書かないだろうか。そんな恐れが多分にある。

 春の低気圧の通過で、猛烈な風雨となった。八ヶ岳は大荒れだ。登山が中止になった山屋が、ようやく書きはじめたようだ。

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第19回 『元気100エッセイ教室』作品紹介

 冒頭の30分間レクチャーでは、エッセイには大づかみに四つのジャンルがあると分類してみた。『エッセイの書き方は一律でなく、ジャンル別に展開のコツがある』と話した。それらを常に念頭において書くと、読者に感動を与える作品につながる、と強調した。

① 経験エッセイ
   負の経験を素材にすると、読者の共感を呼ぶ。:告白したい体験、懺悔の気持ち、醜いと感じた自分など、それらをあえて選んで書く。

② 旅エッセイ
   情景描写が豊かになる書き方をする。風月花鳥を挿入したり、擬人法を取り入れたり、・短歌、俳 句、詩などで、気の利いた言葉があれば、取り入れてみる。

③ 記録エッセイ
   対象(出来事)は絞りに絞り込む。ストーリーで書くと失敗しやすく、単なる記録文になる。ひと伝えに聞いたことは、まず失敗する。自分が体験したこと、見聞したことで書く

④ 日常生活エッセイ
    主人公(私)は前面に出す。まわりの人物(妻、子)は舞台装置にしてしまう。濃密な文体で書く。センテンスにリズム感を持たせば、読者は引き込まれてくる。

 今回の作品紹介は、前回に続いて書き出しに拘泥してみたい。教室では毎回、どの作品においも、書き出しにたいするコメントを入れている。導入文、リード文。それらの役目は重要だ。
 作品の素材や内容がよくても、書き出しで失敗すると、読者が読んでくれない。成功すると、途中で多少の破綻があっても、最後まで読んでくれるものだ。

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「東京下町の情緒100景」が完結・想いをつづる

 私は広島県の瀬戸内の島で生まれ育った。東京の私立大に入った。結婚後は市川の社宅に住んでいた。長女が生後4か月のときだった。腹部を2度も手術する、危機一髪に陥った。

 妻からは、『あの子(長女)がもし死んでいたら、真夜中、酔っ払って帰宅し、病院に連れて行ってくれなかった、そんなあなたとは離婚するつもりだった』といわれた。(エッセイで書いた)
 義父が「医者もろくにいないところに、住むんじゃない」といった。そんな経緯から、東京下町の立石に引越ししてきた。当時の商店街はずいぶん繁栄していた。

 私は20代後半に、過労と不摂生から「腎臓結核」という思わぬ病気になった。次女が生まれた翌日に、長期入院となった。退院後、次女と顔を会わせたとき、人見知りで、泣かれた。
 手術でなく、薬の治療を選択したので、退院後も闘病生活が長くつづいた。朝夕には散歩に出る、中川の桜並木が見事だった。収入がないし、幼子が2人もいるし、生活苦の悶々とした日々のなかで、桜の樹木が心を休めてくれた。
 一方で、護岸工事で、次々に桜が伐採されていく。それが毎日の光景だった。「淋しいな。これは本当に人間の英知なのだろうか」、という疑問がわいた。
 伐採された桜は二度ともどることはなかった。

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世界PENフォーラム『災害と文化』は大成功

 日本ペンクラブ主催・世界PENフォーラムが終わった。打ち上げ会、二次会では、阿刀田高さん、吉岡忍さんなどを柱とした、実行委員は異口同音に『大成功だった』と語っていた。出演者とともに、実行委員はみんな良い顔で酒を飲む。酒の枡に、それぞれが記念にサインしあっていた。

 同フォーラム開催中の広報委員は手分けして、写真撮影、記者受付、出演者とNHK・インタビューのセッティング、そして記事を書くことになっている。
 舞台の照明が強すぎて、写真撮影は不満足で、納得できないものが多かった。3日目からは三脚をつかった。それでも、上手くいかなかった。


 NHK・15分インタビューのセッティング役が私にまわってきた。井上ひさしさん、新井満さん、出久根達郎さんなど出演者と、ショート・タイムだが、一緒できた。

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