昭和30年、40年代の酒場街が、わが住まいの近くに残っていた
学友3人が私の住む下町に集った。1人は大学時代に高円寺で、焼いも屋のバイトをしていた。卒業後は日本電信電話公社、NTTの幹部にまでなった。彼にはどこか泥臭さがある。それが魅力である。彼に良く似合う店ということで、京成立石駅裏の繁盛店の『うちだ』に招いたのだ。
学友3人が私の住む下町に集った。1人は大学時代に高円寺で、焼いも屋のバイトをしていた。卒業後は日本電信電話公社、NTTの幹部にまでなった。彼にはどこか泥臭さがある。それが魅力である。彼に良く似合う店ということで、京成立石駅裏の繁盛店の『うちだ』に招いたのだ。
依頼原稿で、四百字詰め5枚で『ちいさな自分史』のエッセイを書いた。結婚後の夫婦の危うい関係と、島育ちの劣等感と、二つに割れてしまった。提出は夫婦ものにした。『島育ち』は昭和三十年代の港町の描写が書き込まれている。手を入れた小品として、HPに残すことに決めた。
6月23日新橋の生涯学習センターで、2時間に渡って実施された。そして、場所を変え、新橋の駅ビルで、二次会を開きながら、そこでも作品批評が継続した。その場で、講師メモを見せたら、全員が欲しがったので、それを差し上げた。おもいのほか喜ばれた。
第1回の教室の内容を列記しておく。
講座の導入部では『読んで読んで、読みまくれ』『書いて書いて、書きまくれ』「いい講評者を見つけなさい』この3点が、エッセイや小説など散文が上達する、最大のコツです、とまず強調した。
高橋千剱破さんには先に、上村信太郎さん(登山家でノンフィクション作家)の同会への入会推薦をお願いしていた。きょうの電話で、手続は進み、七月度の理事会で承認されますから、という内諾が得られた。
6月23日から、『元気に百歳クラブ』のエッセイ添削教室がスタートする。作品は思いのほか多く、12作品である。講座の方式を変えることにした。さらに、駆け込み提出が2作品あり、合計14作品となった。
6月23日より、「元気に百歳クラブ」で、私の指導する『エッセイ添削教室』がはじまる。
「元気に百歳クラブ」はネーミングはなにかしら古い、老人のクラブを連想してしまう。しかし、14作品はすべてメールで送られてきた。
長編小説の受賞歴が少ないので、9つの受賞作およびタイトルが私の作風のすべてを言い表しているとはかぎらない。
かつて長編推理小説は約10年くらい書きつづけた。江戸川乱歩賞などは、あと一歩のところで、候補作まで届かなかった。それには越えられない理由があったようだ。出版社とすれば、作品は『商品』だから、作者の若さが必要だと聞かされた。
私の小説仲間、伊藤昭一氏が、『伊藤桂一氏を囲む会」を運営している。ふたりとも30年来の愛弟子である。
伊藤昭一氏から、承諾を得て、全文の引用掲載をする。