小説家

31回「元気エッセイ教室」作品紹介

 1年間に10回の講座回数で歩んできた。「エッセイ教室30回記念誌」が作られた。30回におよぶ作品の創作活動は、その都度において緊張感が伴う。「いろいろな人が読む」という緊張と刺激が力量を押し上げてきた。
 この先も、新たな飛躍のためにも、今回のレクチャーはあらためて「エッセイの基本作法」の確認をおこなった。

 主たるポイントとしては、
①素材は、自分自身が体験したものを抽出する。他者から聞いた話は避ける。
②テーマは、絞り込んで、絞り込んで、最小のものにする。
③構成は、現在、過去、現在の組み合わせをする。
④書き出しはできるかぎり情景文にする。
⑤結末には、作者の説明は入れない。


文章の上手な書き方」についても、確認をおこなった。


演習】は情景文と説明文の使い分けである。受講生たちはそれぞれ一枚の写真(花壇に立つ、二人の少女の像)を見て、書き出しの描写をおこなった。


作品紹介」として、
 受講生はみな力をつけてきた。作中で「人間の生き方」について、それぞれシャープに切って見せてくれる。それ自体に魅力があり、読み応えもある。光る文章、感銘することばなども拾い上げてみた。

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旭日中綬章の祝賀会は、一人2000円台の居酒屋

 日本ペンクラブは来年9月に、国際ペン東京大会を開催する。25年ぶりの開催となる。昨年の世界フォーラム「災害と文化」をさらに上回る、大型イベントである。テーマは「環境と文化」に決定している。
開催までの一年半にむかって毎月一回、準備委員会が同クラブ大会議室でおこなわれている。
 

 5月12日は、阿刀田高会長、浅田次郎専務理事、西木正明、吉岡忍、高橋千劔破(ちはや)各常務理事、中村敦夫さんなど各委員長および副委員長が集まった。
 今回は「環境と文化」に対する副題とか、国内外へのPR活動、海外作家の招聘などについて討議された。日本を代表する作家たちだけに、副題のことば一つにも、微妙な言い回しにこだわっていた。

 運営面となると、25年前の井上靖会長の下で行われた東京大会がつねに話題にあがる。当時の経験者たちは、記憶をよみがえらせ、それらを参考にしている。と同時に、井上靖会長の大きさが折々に語られている。


 準備委員会が終わると、茅場町の居酒屋・「浜町亭」に流れる。六人掛けテーブルが二つ。詰め込んで13人が座った。それぞれが多様な話題を持ちだす。

 阿刀田高さんが2つのテーブルをかけ持った。双方で、今春の旭日中綬章に対する乾杯の盃を掲げていた。
 こちらの席に移ってきたとき、
「受賞の理由はなんですか?」
 私は聞いてみた。当局からは受賞の理由は何も教えてくれなかったという。「昨年色っぽい小説を書いたから、少子化対策に寄与したからかな?」
 阿刀田さんはブラックユーモアなど「短編の名手」らしく、切り口よく笑わせていた。日本ペンクラブ会長として、文化的な寄与だと思われる。
「打診はあったのですか」
「まったくなく、唐突に話が来ました」
 阿刀田高さんとしては、予想外という口ぶりだった。
       

        (左:阿刀田高さん、右:高橋千劔破)

 阿刀田さんの話を受けて、高橋千劔破さんが、ある打ち明け話を披露した。
「当人に直接の打診をしないで、該当者の周りの人に、勲章は貰ってくれそうですかね、と問い合わせするんですよ。ノーベル賞を受賞した大江健三郎さんは文化勲章を断った。これは打診のしょうがなかった……、というケースでしょうね」
 

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30回「元気エッセイ教室」作品紹介

冒頭のレクチャーは、「悪文の研究について」とした。

 私が小説を学びはじめた30代初めのころ、「講談社フエーマススクールズ」に通いはじめた。直木賞作家・伊藤桂一氏から、執筆の根幹を築ける指導を受けた。当時、教室に提出した作品の講評は小説家、編集者、批評家と多彩だった。大変勉強になった。

 小説現代の川端編集長から「あなたは悪文だが、作品は面白い。ただ、編集者によっては頭から悪文を受け入れない人がいるよ」とアドバイスを受けた。

「悪文とは何か」。自分にそう問うてもわからない。答えられない。長く悩んだ。そこで、小説の神様といわれた、志賀直哉の長編『暗夜航路』を原稿用紙に書き写すことをおこなった。日々に原稿用紙で3、4枚ずつ、3年はほど続けた。ずいぶん根気がいった。それで悪文から脱皮できたと思っている。

 エッセイは「悪文」を気にすることはない。文章が劣っていても、内容(素材)に深みがあった、感動させたりすれば、味のある良品となるからだ。文章よりも、素材の切り口の勝負なのだ。

 文章作法からみた「悪文」の条件はありえる。
①誤字脱字が多い。
②区切り符号、改行、段落などの使い方が正しくない。
③慣用語の使い方を間違っている
④借り物の表現が多い。自分の目で見た文章ではない。
⑤センテンスが長すぎて、主語と述語のかかり方が悪い。
⑥文と文のつなぎが悪い。
⑦修飾語が長すぎる

 文章を書きなれてくると、書き上げた後の推敲で、「悪文」の大半が改善される。そのためにも、「良い読み手」を求めてください、と強調した。

 今回は30回目ということで、受講生は気合が入っていた。作品のテーマ、書き出し、結末、ストーリーは4大要素だ。今回はできるだけ「書き出し」と「結末」を結びつけた、作品紹介としてみたい。

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29回「元気エッセイ教室」作品紹介

 今回は、「エッセイは何のために書くのか」と,受講生には一度振り返り、自問してもらった。それぞれにエッセイに取り組む、その意義、目的、思いなどは異なる。
「私自身のために書く」
 それは全員に共通するものだ。

 エッセイと日記との違いは明瞭だ。日記は自分自身が読むもの。エッセイは他人に読んでもらうもの。この違いは大きい。

 エッセイには読者に感動を与え、共感を得る、という目的がある。突きつめると、『この世に生きてきた、いま、ここに生きている』という姿を描き、他人に読ませるもの。それがエッセイの真髄である。

 エッセイと記事の違いはどこにあるか。記事は5W1Hで、より事実、史実のみを読者に知ってもらうことだ。書き手の感情や感覚を排除した、客観性が求められる。

 エッセイは主観で書くものだ。過去、現在、将来の一部を切り取って書きつづる。五感、あるいは全身で感じたこと、想いなどを読者にも同様に感じてもらうものである。

 今回の作品紹介は、作者の意図や狙いなどを中心においてみたい。『書きあげた作品は手を離れると、一人歩きをする』。読み手の考えと、作者の意図がまったく違うケースもある。それが前提である。

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28回『元気100エッセイ教室』作品紹介

 冒頭の30分は毎回、「作品作り」の基本レクチャーをおこなっている。届いた作品を一通り読んでから、講義する内容を決めている。
 今回は「比ゆ」を取り上げてみた。比ゆには大まかに2種類ある。

直喩
「あたかも」「さながら」「まるで」「ようだ」「みたいだ」で、表現されるもの。

隠喩】(比ゆだとはっきりわかるように、表面に出さない)
「眉は三日月」「黄金色の稲穂」「疲れたネクタイ」「落葉の船」という類である。


 比ゆは成功と失敗とに極度に分かれやすい。使う場合はしっかり吟味することが大切だ。比ゆが効果的だと、文章が光る。反対に、しっくりこない比ゆ、手垢のついた比ゆなどは作品の価値を下げたり、駄文扱いにされたりする。

 作品の評価を下げてしまう、比ゆとは。

① 手垢がついた比ゆ
「抜けるような青空」「海よりも深い愛情」「山のような大波」「りんごのような頬」「借りてきた猫のようにおとなしい」「鬼みたいに怖い顔」

大げさな比ゆ
「水晶のような瞳」「噴火口のようなニキビ」「心臓が破れたようだ」「冷酷な女だ」「透き通った肌だ」

 創作とは自分の言葉で書くもの、描くものだ。「比ゆ」も自分の創作であるべきだ。借り物の比ゆは、作品の価値を落としてしまう。


 28回目となる、エッセイ作品を紹介したい。今回は奇抜な題名が目立った。『爆弾のオミヤゲ』『墓場への近道』『ムール貝のバカ喰い』『ついてない』などである。こうした題名に出会うと、どんな内容か、と興味が深まるものだ。

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原作者・新津きよみさんが、フジTV系・連続ドラマ「トライアングル」を語る

 毎火曜の夜10時からフジ系列で、連続テレビドラマ『トライアングル』が放映されている。原作者は、人気推理小説作家の新津きよみさん。関西テレビ(大阪本社)が開局50周年記念のために、依頼した、書き下ろし作品である。

 日本ペンクラブ2月例会が2月16日、東京會館でおこなわれた。同会場で、新津きよみさんに、「原作者として、TVドラマ『トライアングル』をどう見て、どう感じているか」と直撃インタビューしてみた。広報委員会委員の鈴木悦子さんも質問に加わった。井出勉・事務局長代理も興味ぶかく聞いていた

穂高 「ちまでは評判の良い連続テレビドラマで、私の知り合いは家族全員で観ていますよ。いまは何回くらいまで進んでいるの?」
新津 「あしたの火曜日夜で、七編(話)です」
穂高 「何回くらい連続する予定なの?」

新津 「さあ? TV局から台本は貰っていないし、知らされてないの。『トライアングル』HPには未定と書かれているし、判らないわ。私が書いた原作はエピソード(事件)は6、7編(話)で消化されて、終っているけど……。その先は脚本家のオリジナルだから、どうなのかしら…?」
鈴木 「TVの連続ものは、ワンクールがだいたい10回か、11回なんですよ。だから、その辺りじゃないかしら」

 作家の手から原作(作品)が離れると、TV局と脚本家との打ち合わせで進められ、原作者にはフィードバックはないようだ。
             
            鈴木悦子さん(左) 新津きよみさん(中) 井出勉さん(右)

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第27回 『元気100エッセイ教室』作品紹介

 エッセイは日常の出来事を書く、歩んできた記録を書き残す。この二つが最も多いだろう。今回のレクチャーでは、この二つについて述べた。

「日常生活の一こま」や「身辺の小さな出来事」を素材に取上げ、読者を感動させたり、印象深い作品としたりする。それには素材の切り口が大切だ。


 常識の目で見、常識的な書き方は、読み手には退屈な作品になる。素材(対象)をやや斜(はす)から見たりすると、切り口がシャープで、新たな見方、新しい考え方の作品がうまれてくるものだ。つまり、些事な素材でも、読者にはおどろきやショックや感動などを与える作品になる。


 今回の提出作品から、素材の切り口や、その処し方などを中心にみていきたい。

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早乙女貢さん・お別れ会の夜

 直木賞作家・早乙女貢(さおとめ みつぐ)さんが、昨年末に死去した。早乙女さんは親戚筋が皆無なので、密葬は「士魂の会」メンバー8人でおこなわれていた。「お別れ会」が2月4日、18時から東京会館(東京・丸の内)9階の大広間で開催された。主催は日本ペンクラブ。参列者は会場一杯で、推定500人くらい。実に大勢で、早乙女さんの人柄が偲ばれる。

 生前親しかった佐藤陽子さんがバイオリンを2曲奏でた。会場に物悲しく流れた。

 日本ペンクラブ阿刀田会長が、「お別れのことば」を述べた。当クラブが2000人の会員という大きな団体になれたのは、早乙女さんの貢献が大である。阿刀田さん自身も早乙女さんの推薦を受けて入会したという。「ペン会員の10分の1は、早乙女さんの推薦ではないでしょうか」と述べた。

 日本文藝家協会を代表して伊藤桂一さん。1955年のころ「泉の会」に所属し、伊藤桂一さん、尾崎秀樹さんらと同人誌「小説会議」を創刊した仲間である。その後も長い付き合いだった。早乙女さんは無宗教だったが、「私は寺の息子であり、けさは般若心経を唱えてきました」と明かす。
 早乙女さんが『会津士魂』で吉川英治文学賞を受賞した。選者のひとり伊藤さんは、その作品とともに、作家魂を高く評価した。

 菅家(かんけ)一郎・会津市長は、「戊辰戦争から140年目に、早乙女さんが亡くなられた」と歴史的な流れから述べた。会津は官軍からは朝敵にされた。早乙女さんが会津藩の武士魂を世に知らしめてくれた。「早乙女さんは会津の誇りです」と結んだ。

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尾道の旅情と志賀直哉の旧邸を訪ねる

 1月13日の朝、夜明け前に尾道駅に立った。私は幼いころ父に連れられて尾道魚市場に何度もきたものだ。朝の薄暗い時間帯に、セリの声が響いていた。市場の一角で、温かい中華そばを食べさせてもらえた。魚介類の出汁だけに、たまらなく美味しかった。いま流行する尾道ラーメンのルーツかもしれない。


 駅付近で、魚市場の所在地を聞いてみた。だれもが首を傾げた。思い出深い魚市場は既になくなったようだ。

 尾道水道は向島との狭い水路で、フェリーボート、小型ボート、貨物船、漁船などのさまざまな船が行き交う。対岸の造船所では、大型の鋼船が建造されている。
 タワークレーンから夜明けの陽が昇ってきた。シルエットが水面に映る。船舶との陰影の組み合わせは情感豊かなものだった。

 魚市場がなくなった尾道港だが、海岸線は整備された、気持ちの良い散策道が続いた。右手には尾道城が見える。私が幼い頃にはなかった。(1964年に観光目的で築城)。

 尾道といえば千光寺だ。尾道水道と向島が一望できる、風光明媚なところ。両親に連れられて、千光寺の桜を観に来たものだ。桜がなくても、冬場でも、最上の景色だと知る。そちらに足を向けてみた。

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第26回 『元気100エッセイ教室』作品紹介

 今回のレクチャーは「素材の切り口」について説明した。

 作品の評価の中心は、文章力と素材だ。どちらが重要か。載せる媒体によって違う。「ともに甲乙付けがたい、ともに重要だ」、というのが明快な答えだろう。


 エッセイはどこまでも読者を相手にして書くもの。自分を相手にして書く日記とちがう。同じ素材でも、作品化されたエッセイは、作者によって切り口がちがうものだ。それが作者の個性だ。

 文章力は、良い文章を読んで、真似て、より多くの作品を書くことで磨かれる。と同時に、「省略」と「書き込み」が重要である。
 素材の処し方は感性もある。それ以上に、常にシャープに切り取る、という意識が大切だ。

 鋭い切り口(シャープ)とは具体的になにか。
「そういう見方があるのか」
「そういう考え方もできるのか」
「なるほどな、面白い捉えかたもあるものだな」
「へぇ、そんな体験があるんだ」
 と読者を感心させたり、うならせることだ。


 今回の提出されたエッセイは、味のある作品、目を引く作品が多かった。豊かな人生経験のうえに、創作技量の向上があるから、作品に深みや厚みが出せているのだ。
 全作品を一つひとつ紹介したい。作品の素材をメインに紹介するために、部分抜粋を中心においてみた。

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