小説家

ノンフィクション・8月学友会  徳川幕府はペリー来航の50年前からアメリカと貿易していた なぜ学校教育で教えない?

 学友会は1年以上が経つ。幹事はごく自然に持ち回りとなった。メンバー5人は『類は類を呼ぶ』で、揃いにそろって他力本願、かつ無責任な連中ばかり。なにごとにもツメが甘い。かならず陳腐な出来事が起こる。
「次回は大宮だ、いい居酒屋がある」と焼芋屋の鳴り物入りで決めていた。元蒲団屋が7月の開催日を勘違いし、出張を組み込んでしまったことから、仕切りなおし。8月9日17時、集合場所は大宮駅『みどりの窓口』となった。

 幹事は旧岩槻市と旧与野市に住む2人、それに居酒屋を指定した元焼芋屋が加わった。学友会メンバーが5人なのに、幹事が3人というバランス自体にも問題があった。それが詰めの甘さになり、8月の集合すらも陳腐な展開となった。

「大宮駅構内はいま工事中で、『みどりの窓口』が移設している」と、元銀行屋がいち早く情報をキャッチした。ヤマ屋が連絡網で、ただ横流し、詳細の付加など一切なし。つまり、大宮駅に行けば、『みどりの窓口』なんて、簡単に判るさ、というていどの認識だった。

 5人が時間通りにやってきた。しかし、大宮駅『みどりの窓口』周辺の3ヶ所で、ばらばらに待つありさま。冷房の効いた『みどりの窓口』のなかにいたのが元焼芋屋。ほかの者は暑さに霹靂(へきれき)して待っていたのだ。結果として、最後に現れたのが元焼芋屋で、「大宮で用が早く終わり、1時間前に来て、ずっと待っていたんだ」と、涼しい思いをしながら抜けぬけと恩着せがましくいう。

 皆がそろったところで、東口繁華街の居酒屋『かしら屋』へ向かった。「人気店だから、夕方5時をあまり回ると、座る場所がないかもしれないぞ」と元焼芋屋が時間ロスの原因を棚に上げにした、焦りの口調でいう。この図々しさが学生時代からの持ち前だから、誰も腹を立てない。

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小説講座の指導は、受講者の実践・実作のみでレベルアップを図る

 目黒カルチャースクールで、『小説の書き方』の講師をしている。教室では、創作の実践指導のみで、受講生には、A4原稿用紙の升目を埋めてもらっている。あえてパソコンは使わない。原稿用紙に拘泥する。それはキーボードを叩けば、だらだらと文字が連なるからだ。

 初期の段階では、「人物の登場のさせ方」を説明し、原稿用紙にむかってもらう。次の講座では主人公の性格、外観、生活などの書き方のポイントを述べる。そして、書き綴る。原稿用紙に向かう受講生には、鉛筆と消しゴムは使わせない。ボールペンだけで書き進む。

 世のなかには小説を書きたい人は多くいると思う。実際に書き始めて挫折した人は数え切れないだろう。その理由の大半が、最初から読み直ししたり、手を入れたりするからだ。受講生にはそんな失敗をさせたくない。
「初稿だから、主人公の年齢も、名前も、家族構成も途中で変わってもいい。ストーリーも辻褄が合わなくてもいい。2稿の段階で手直しすればいいんだから。伏線も2稿で張ればいい」と、それを守ってもらい、先へ先へと書き進む。

 各地にあるカルチャーセンター小説講座の多くは、提出された小説の批評、添削、それにレクチャーだと思う。私はどこまでも実践にこだわる。

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第12回『元気100エッセイ教室』作品紹介

 受講生にはつね日頃から、『隠したいこと』『言いにくいこと』『過去にしゃべったことのない失敗』などを書いて欲しい、といっている。自慢話は日経新聞の『社長の履歴書』に任せればよいのだから。もう一つ、孫の話は避けて欲しい、と。

 最近、あることに気づいた。受講生どうしが酒席で、旧知のように語り合っているのだ。
提出するエッセイは本音で、自分の心を裸にし、恥部に触れるところまで書けるようになってきた。失敗談ほど、講師や仲間から高い批評を受ける。良い作品だと言われる。とりもなおさず、それは作品を通して、筆者の人間性を知ることになる。

 もしも自慢話、鼻持ちならない話題、過去の出世物語などだったら、面白くない相手になってしまうはずだ。

 相手の人間性を知れば、『胸襟を開いて語れる』、相手の考え方を知れば、『警戒心を取り払って語れる』という交友関係につながってくるようだ。
 60歳過ぎて、相手の腹を探ることなく語れる。そこには新たな人間関係が生まれる。学生時代以来ではなかろうか。

 今回の作品批評も、自分の恥部をさらけ出したり、心をのぞき見たり、諸々の失敗が盛りだくさん。読み手には興味深い作品ばかりだ。


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花筏(はないかだ)・さきがけ文学賞・候補作品

                            ※著作権付き小説。無断引用厳禁


 娘の十三回忌を迎えた。寺の本堂に集まった参列者から、住職を待つ間、あれからもうそんなに経ったのね、早いものね、という話がごく自然にもちあがった。誘拐された10歳の娘が能登の山奥で殺された秋、新聞の大きな記事になっていたと、誰かれなしに語りはじめた。


 親戚のものたちは遠慮がちながらも、事件を口にせずにはいられないらしい。

 土岐(とき)駿一は殺された娘の梨香を想い、押し黙って聞いていた。かれの心のなかでは、事件は風化せず、きのうのことのように思えるのだった。殺される寸前、娘は雨の山中で泣き叫び、死に物狂いで抵抗したことだろう。梨香の悲痛な叫び声が未だに深夜ふいに耳もとで聞え、目覚めることもある。あの事件の記憶から決して逃げられない自分があった。

 梨香の話題は長つづきせず、いつしか梨香とおなじ年のいとこの結納金へと話が移った。法要の席で、縁談の話題など場違いだと思うが、世間はそんなものだし、駿一はとがめる気など毛頭なかった。子どもを殺された怨念や心の奥深い痛みはそれに遭遇した実親でなければ、親戚筋でもわからないものらしい。

 本堂の窓から雑木林越しにみる、能登の山並みが雲間の陽光を受け、緑の山肌を鮮明に浮かべていた。駿一は殺害現場となった山の方角を凝視し、梨香への想いを一段と強めた。

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掌編・ノンフィクション 6月学友会『下町・立石の呑み屋は1人・一軒1500円、大満足』 

 東京・下町の立石にあるモツ煮屋『宇ち田』が、学友会のルーツ。ホームグランドでもある。数ヶ月ぶりに、五人がそこに戻ってきた。夕方5時に、京成立石駅が集合場所だった。


 元焼芋屋が一時間もはやく到着していた。「おれが会議で遅れると、みんながツベコベいうからな。仕事よりも、学友会が優先だ、といって」
 今回はどうも会議をすっぽ抜かしてきたようだ。立石駅に早く着いた元焼芋屋は、立石商店街など、界隈を一巡してきたという。
「良い街だ。かつて日本のどこで見られた町が、そのまま残っている」
 かれはことさら賞賛する。
 葛飾・立石の下町は、京成電車の線路をはさんで、左右に広がる。昭和30年代、40年代からの店舗が連なる。その数は半端でない。商店街の買物にはサンダル履きが似合う。独特の雰囲気がある街だと、元焼芋屋が語る。


 元教授がそれを受けて、「明治時代から、きちんと躾(しつけ)られた『真の日本人』が少なくなり、絶滅の危機にある。いまや身勝手、独りよがりの人間ばかりだ。しかし、この立石・下町にくれば、本物の日本人に接することができる」と話す。


 立石商店街の店主は、昔ながらの客との対面商売を堅持している。客が注文すれば、その場で揚げたて、煮立ての商品を作りだす。居酒屋の女将やおやじたちは、頑固で、ぶっきらぼう。「でも、根が曲がったことが嫌い。江戸っ子気質の日銭を稼ぐ以上の儲けを出そうと思わない。呑み屋に行けば、気骨のある『真の日本人』がまだ沢山いる町だ」と話す。

                            立石駅前は、下町の生活情感たっぷり

 こんな会話の最中にも、現れないのがひとりいた。自宅から駅改札までは4分30秒の最も近距離に住むヤマ屋だ。

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第11回『元気100エッセイ教室』作品紹介

 教室が始まる冒頭、受講生の賀田恭弘さん(松戸市)の死去が伝えられた。悲しみの暗い気持ちになった。
 ソニーの黄金時代に同僚だった河西和彦さんが、12回の提出作品で、追悼エッセイを書いてくださった。穂高健一ワールド、トップ参照 葛西さんの作品を読みながら、冥福を祈った。

 新しく濱崎洋光さんがメンバーに加わった。提出されたのは「散歩道」で、情景描写のすぐれた作品だ。人は視点、見る角度によって、情景の感じ方がちがう。物事の見方も、同様に捉える角度によってちがってくる、という内容だ。

 今回の教室のレクチャーでは、喜怒哀楽の感情表現について述べた。人間の複雑な感情をいかに巧く言い表せるか。それが優劣を決める一つになる。
 月並みなことばで、……うれしかった、悲しかった、泣いた、腹が立った、なさけない、等とストーレートに書くと、思いのほか読者には、作者の心情が伝わらないものだ。激怒とか、慟哭とか、ことばが大袈裟になれば、作品がしらけてくる。

 それを解決するには、平たい感情のことばに、反対の言葉をちょっと添えてみることだ。『ことばは料理と同じ。甘いものには、少量の塩味が利く」というコツを述べた。

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河西和彦さんの作品『賀田恭弘さんを悼む』より

 エッセイ教室が10回の節目を越えた。それを一里塚として、『エッセイ教室十回記念誌」が刊行された。
 この教室は昨年6月、私が取材に出向いた『元気に百歳』の幹事から依頼されてスタートしたものだ。同クラブは博報堂、新日鉄、日立のOBが多い。ある意味で、エリート・シニアクラブだ。当初の受講生は9人。メンバーは月を重ねるごとに増えてきた。現在のメンバーは16人。第11回目となる、今回の作品提出は13作。提出率が良いので、おどろいてしまう。

 河西和彦さん『賀田恭弘さんを悼む』は今回の提出作品だ。賀田恭弘さんは教室の最初からのメンバーだった。他方で、ソニー創業者の盛田昭夫さん、井深大さんの腹心だったと知る。

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小さな生命の旅 (3)  【掌編・私小説】

 ダムを見上げていた私は、先を行く妻との距離を意識した。同時に、頭のなかから27歳の出来事だった奥日光・根名草山の滑落と遭難騒ぎを打ち払った。
 ここは妻の気持を尊重し、四方ダムの堤に上がることを断念した。そして、渓流沿いの舗装道を引き返えしはじめた。
 数日前の八ケ岳・硫黄岳で傷めた右一歩を踏みだすごとに、膝関節のじん帯を引きつる鈍い痛みがあった。関節はほとんど折れ曲がらず、まるで丸木の義足を付けたような歩行だった。すくなくとも、先を行く妻を追う足取りではなかった。

 私は渓流から湧きあがる音を意識した。雪解け水のような、私の身体の血液までも、冷え冷えさせる響きだった。眼下を見た。渓流の小波が陽と木影をきらめかせる。流れる水は底まで透明に澄む。

 川魚が岩間の藻と戯れていた。あちらにピクッ、こちらにピクッと、水中で跳ねる。回ったり、止まったりして遊び回る。
 私はふと小さな川魚そのものの生命を意識した。

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第10回 「元気100エッセイ教室」の作品紹介

 エッセイ教室は10回目を数えた。提出された作品はいつもながら、個性豊かで、バラエティーに富んでいる。あえて作品に差を付けるとすれば、文章力と表現力だろう。

 しかし、エッセイは素材が勝負だ。となると、人生経験豊かな作者ばかりで、優劣はつけがたい。エピソードが面白く、楽しませるものから、人間の本質を深く追求している作品まで、幅が広い。

 女学生のとき、自殺を予告する青年に逢いにいった。かれのマントに、双肩から包まれた、翌日、かれは死んだ。強烈な恋の想い出。
 観たい展覧会があれば、さっとニューヨークに飛び立てるシニア・女性の国際感覚。
 戦前戦後の教育の違いを語り、作者が書き残しておきたい世界で、論理を展開していく作品。
 こうした素材に差をつけても無意味だし、ナンセンスだと思う。

 講座のスタートはいつも30分間レクチャーを行う。今回は初稿を書き終えたあとの【チェック・ポイント】についてアドバイスをした。初稿はやや多めに書く。推敲で削っていく。これがコツで、削るほどに文章は磨かれる、と具体的に示した。


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掌編・ノンフィクション 4月度学友会より 『ここはどこのお宅の座敷? 間違いました』

 4月度の学友会が、19日、五反田駅前のすし屋、『五輪鮨』で開かれた。元焼芋屋が馴染みとする店だ。参加者はいつものメンバーで5人。埼玉県・岩槻から足を運んできた元銀行屋は、五反田駅は最も遠い西の外れだと、難癖をつけていた。


 かれは20代の頃、戸越銀座の某銀行計算センターに勤務していた。そのせいか、目は懐かしさたっぷり。きょうの酒と料理への期待もたっぷり。難癖をいう割には、顔は笑っていた。

 学友会は難癖、皮肉、上げたりすかしたり、すべてが自由だ。言いたいことが好き勝手にいえる。朝令暮改も結構。発言にはいっさい責任などない。同時に、批判もされない。

 ビル・テナントの『五輪鮨』の小座敷に入ると、元焼芋屋が得意とする吹聴がはじまった。かれの従弟が佐賀県・唐津市にある川島豆腐のオーナーだという。従弟は元祖『ざる豆腐』の発案者で、超有名だと講釈を述べる。

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