小説家

シンポジウムの二次会は、TVの顔ぶれ

 日本ペンクラブと(社)自由人権協会の共催で、08年6月13日、大手町サンケイプラザで、シンポジウムが行われた。タイトルは、言論がアブナイ!「伝えるべきことを伝える大切さ」だった。定員200名の会場が、数多くの報道陣を含め、満員だった。

 第1部は、鑑定医の崎濱盛三さんと、吉岡忍さん(日本ペンクラブ)の対談が行われた。

 崎濱さんは、奈良の少年(当時17歳)が放火し、継母と義弟、義妹が死亡した事件の鑑定を行った。裁判所から預かった少年供述調書をジャーナリストにみせた、刑法の秘密漏洩罪の疑いで逮捕された。起訴されている。不当逮捕だとして、日本ペンクラブは抗議声明を出している。(崎濱さんは裁判で争う)。

 つづいて、映画「靖国」の配給会社のアルゴ・ピクチャーズ代表・岡田裕さんである。新宿の映画館が上映を拒否したり、政治家が圧力をかけてきたりして、社会的にも、言論・表現の自由が問題になった。聞き手はおなじ、吉岡忍だった。

 第2部はパネルディスカッションで、テーマは「伝えることの大切さ」だった。パネリストは、第1部の3名のほかに、原寿雄さん(ジャーナリスト)、伊藤正志(毎日新聞社社会部副部長)が加わった。司会は山田健太さん(同クラブの言論表現委員長)だった。
 言論・表現の自由が、「自主規制」「自粛」の風潮の高まりで、脅かされている。「伝えることの大切さ」をあらためて問い、考える、というものだ。


 進行役は篠田博之さん(同副委員長)で、会場からの質問も、パネリストの手元に渡されていた。

 第1部、第2部とも、私は広報委員の記事担当として、日本ペンクラブ・会報、およびメルマガに書く役割を負う。これらを取材していた。

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第21回 『元気100エッセイ教室』作品紹介

 こんかいの冒頭の講義は『結末の書き方について』だった。作品の結末は最も重要なもので、作品の成否がここにある、といっても過言ではない。
 結末が弱いと、5分の4がどんなに素晴らしくても、失敗作とみなされる場合がある。成功作品といわれるものは、まちがいなく結末がぴたっと着地している。体操競技で着地が決まったように。


 展開がラストに近づくほど盛り上がり、最後の数行で頂点に達する。そして、「なるほど、作者はこれを言いたかったのか」という、テーマと結実する。それが読者の感動であり、良い読後感となる。

「上手な結末」の書き方について、技術的には5項目述べた。
 そのひとつが、『作品はやや多く書いておく。そして、どこか手前で、すぱっと切る。(トカゲの尻尾切りのように)』というものだ。そうすれば、読後に余韻が残る、と強調した。

 今回のレクチャーは「結末」だったが、作品紹介はこんかいも「書き出し」にこだわってみた。

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時代小説作家・早乙女貢さんのインタビュー記事

 私的な理由だが、亡き伯母の13回忌と、従弟の葬儀とかで、1週間に2度も、瀬戸内の大崎上島も帰省することになった。そんな経緯で、日本ペンクラブ・メルマガの【ペンの顔】の原稿が遅れてしまった。編集の広報委員会・鈴木副委員長にはやきもきさせてしまった。
 


 今回のインタビュー記事は、和服姿がトレードマークの早乙女貢さん(直木賞作家)だった。最も感心させられたことは、高齢だが、50年ほど医者にかかったことがないし、薬も飲んでいないという。悪いところは一つもない。すぐ寝れるし、痛いとか、痒いとかもないという。

「ふだんの仕事ではムリするけれど、仕事以外ではムリをしない。ムチャはしない。この習慣で、バランスが取れているのでしょうね」という。

 国際ペンの大会で、世界各国に出向いているので、エピソードは多い。前編と後編を分けることにした。阿刀田高会長からはじまった、同シリーズで、2回に分けるのははじめてだ。


日本ペンクラブ・メルマガ申込み

『エッセイ教室20回記念誌』が発行

 06年6月からスタートした、『元気に百歳』クラブのエッセイ教室が、いまや20回を超えた。受講生は熱心で、頑張っているなと、ある種の感慨を持った。同メンバーは合計19人である。病気、所用などで欠席者が出ることから、作品提出・参加者は13~15人くらいだ。開催場所は、新橋区民センターである。

 森田さん、中村さん、二上さんの世話役の下で、同教室の運用がなされている。講師の私は添削と講評に徹することができるので、ありがたい。
 

 このたび、『エッセイ教室20回記念誌』が発行された。掲載された数は122作品だ。前回の「10号記念誌」(07年5月発行)は94作品であり、28点も増えている。
 作品が提出されても、やむを得ない事情でエッセイ教室を欠席すると、相互に評論する機会をなくす。それらの未掲載作品が4点あった 
 『エッセイ教室20回記念誌』の発行で、最もおどろいたのスピードの速さだ。発案から、1ヵ月以内で、それを作り上げたのだ。

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第20回 『元気100エッセイ教室』作品紹介

 エッセイ教室は今回で、20回を迎えた。芸術や文化など創作活動は、くり返しの連続で上達するものだ。文章は苦手だ、下手だと思い込んでいる人でも、創作活動を継続すれば、まちがいなくレベルが上がってくる。 


 スポーツにおいて毎回の勝利はない。エッセイも良品ばかりではない。失敗作の連続とか、スランプとかがある。感動作品だったり、ときには平板で冗漫な作品だったりする。
「書けない」と妙に気取ったり、格好つけたりして、書かないひとがいる。これは創作活動で最悪だ。絵でも、彫刻でも、文学でも中断せず、一心に続けることだ。
 やがて、「良い作品ですね」、「文章が上手ですね」といわれるようになる。いつしか、文章力の高いレベルに達した自分を知ることになるのだ。

 受講生は20回にわたり、エッセイを創ってきた。1行、1文字にもシビアな添削とか、大勢の講評を受けてきた。それに耐えてきたこと自体が貴重な財産だと想う。

 今回の講座冒頭のレクチャーでは「文体とリズム」について説明した。エッセイの領域を超えた、小説講座に近い内容だ、という認識の下で。

 文章には大きく分けて、文体とリズムの2本柱がある。

 文体はつきつめれば、作家の体質、性格、個性などによって、作家の特徴(文体)が生み出されてくる。
 人間の顔が一人ひとり違うように、文体は作者によって違う。同一の素材で、おなじ内容でも、作品はそれぞれに違う。それは文体の違いにも寄る。
 自分の文体は、書き続けることのみで確立されてくる。

文章のリズムは作品の感動や感銘にかかわる。文章のリズムとはなにか? 音楽に置き換えると、わかりやすい。音楽には強弱(動と静)が必要である。強さばかりではだめ、弱さがなければ、曲は単調になる。エッセイも同様で、緩と急が大切。ラストに向けた、起伏や盛上がりがないと、一本調子になる。
           
 文章のリズムも書きつづけることで、会得できるものだ。作曲家が一夜にして生まれないのとおなじである。

 20回目の記念。その意識もあって、作者たちは執筆に熱が入っている。良品が多かった。作品を個々に紹介したい。

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ノンフィクション『いい加減な会』・春の初会合

 桜が散り、いまやツツジが満開だ。

 どこの世にも、ルーズな男がいるものだ。その一人が、例のヤマ屋だ。桜の咲き始めたころ、3月某日(具体的な日にちは忘れてしまった)、場所は大宮駅から近かった。それを取り上げて書く、という約束だった。


 一人ひとりからコメント、原稿、写真を集めたヤマ屋だったが、そのまま放置していた。「今年がなければ、来年があるさ。桜は来年でも咲く」という態度でいた。このルーズさはあまり類をみない。

 こんかいから、ヤマ屋が好き勝手に呼称変更した。それは、『いい加減な会』だ。かれは当初、「初期高齢者の会」を思慮していたようだ。
 これだと病気、病院、墓、仏様、数珠、法事、あの世が話題の中心に座ってしまう。およそ、赤いドレス、イヤリング、愛、恋、失恋、ロマンスなど、心弾む世界とは無縁だろう。それでは読者層が高すぎる。記事に広告がつくとすれば、セレモニー・ホールか、お寺くらいだ。

 ヤマ屋が決めたのが、『いい加減な会』だった。会はオープンにして、年齢層の幅を持たせる。会員はいい加減な性格を自負すれば、老若男女を問わず参加資格がある。

 当然ながら、面倒な会則はいっさいなし。几帳面な会計係が会費など取り立てる、という気すらない。
送られてきた原稿は取り上げる。書いても、書かなくても自由だ。そのていどの拘束だ。

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世界P.E.N.フォーラム「災害と文化」の打上げパーティー

 日本ペンクラブ主催の世界P.E.N.フォーラム「災害と文化」が実施されて、約二ヵ月が経つ。 実行委員会委員長だった、阿刀田高会長、吉岡 忍委員長の呼びかけで、08年4月18日(金)に、打上げパーティーがおこなわれた。場所は如水会館(千代田区一ツ橋)。


  17:00~18:30は中国の莫言さん 「秋の水」の記録DVDの上映だった。完成度の高い作品に仕上がっていた。参加者からは、NHKが撮影・編集したもの、と当初受け止められていた。しかし、ペン・メンバーによるものだった。

  18:30~20:30は懇親パーティーだった。作家の出演者、演出者(音楽家、画家ほか)、スタッフが一堂に集まった。約40人ほどだった。

 阿刀田高会長は「計画をたてた時はどうなるか? と思っていました。想像以上の大成功でした。よかったな、といまはしみじみ思います。2年後の国際ペンが東京にほぼ決まるでしょう。今回の経験が役立つだろう、と考えています」と挨拶した。
 
 浅田次郎さんは、鑑賞したばかりのDVDを賞賛してから、「私には経験なく、皆さんに任せぱし。いい経験になった」と述べてから、乾杯した。

 吉岡忍さんは「イヤ、面白かったね。何千万円使って、みんなが楽しく遊んだと思えば、こんな楽しい遊びはなかったね」とジョークを飛ばした。「ペンクラブは活字が中心の世界。他に音楽、芝居、絵画などの世界がある。それらを一緒にできるないか、という思惑が前々からありました。今回の世界フォーラムで、それらを結び付けてみた。楽しかったですね」と述べた。


 高橋千劔破さんの司会で、舞台美術の朝倉摂さん(写真)、コカリナ奏者の黒坂黒太郎さん、事務局長の吉澤一成さん、音楽家の森みどりさん、小説家・出久根達郎さん、高田宏さん、さらなる出席者が次々に紹介された。
 
 

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ノンフィクション・08年・学友会 昭和の大学生

 あれから何ヶ月が経ったのだろうか。節分、バレンタインー、桃の節句、桜の開花宣言、いまや染井吉野が散りはじめている。1月17日の「学友会」の新年会から約3ヵ月が経つ。
 山屋はルーズな男だから、『穂高健一ワールド』に寄稿する、学友会のノンフィクションはまだ書き上げていない。一行も手を付けていないのだ。
「つつじが咲くころだ。どこ吹く風で、いつまで書かないのだ」
 元焼き芋屋が執拗に督促する。
「今回の学友会も、写真を消したんじゃないか」
 元蒲団屋が疑う。

「写真は間違いなくある」
 山屋のことばに、信憑性はあるのか。普段がふだんだから、まわりは疑う。
「それなら、証拠を示す意味でも、書きなよ」
 元蒲団屋は、山屋のほほ被りを見逃さない態度をとった。
「来年といっしょにしたら? 2年の合併記事にしたら」
「だめだ」
「書けばいいんだろう」
「3ヵ月前の記憶がどこまで確かなものか」
 山屋が記憶の消滅を良いことに、自分に都合よく、虚構(フィクション)で書かないだろうか。そんな恐れが多分にある。

 春の低気圧の通過で、猛烈な風雨となった。八ヶ岳は大荒れだ。登山が中止になった山屋が、ようやく書きはじめたようだ。

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第19回 『元気100エッセイ教室』作品紹介

 冒頭の30分間レクチャーでは、エッセイには大づかみに四つのジャンルがあると分類してみた。『エッセイの書き方は一律でなく、ジャンル別に展開のコツがある』と話した。それらを常に念頭において書くと、読者に感動を与える作品につながる、と強調した。

① 経験エッセイ
   負の経験を素材にすると、読者の共感を呼ぶ。:告白したい体験、懺悔の気持ち、醜いと感じた自分など、それらをあえて選んで書く。

② 旅エッセイ
   情景描写が豊かになる書き方をする。風月花鳥を挿入したり、擬人法を取り入れたり、・短歌、俳 句、詩などで、気の利いた言葉があれば、取り入れてみる。

③ 記録エッセイ
   対象(出来事)は絞りに絞り込む。ストーリーで書くと失敗しやすく、単なる記録文になる。ひと伝えに聞いたことは、まず失敗する。自分が体験したこと、見聞したことで書く

④ 日常生活エッセイ
    主人公(私)は前面に出す。まわりの人物(妻、子)は舞台装置にしてしまう。濃密な文体で書く。センテンスにリズム感を持たせば、読者は引き込まれてくる。

 今回の作品紹介は、前回に続いて書き出しに拘泥してみたい。教室では毎回、どの作品においも、書き出しにたいするコメントを入れている。導入文、リード文。それらの役目は重要だ。
 作品の素材や内容がよくても、書き出しで失敗すると、読者が読んでくれない。成功すると、途中で多少の破綻があっても、最後まで読んでくれるものだ。

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世界PENフォーラム『災害と文化』は大成功

 日本ペンクラブ主催・世界PENフォーラムが終わった。打ち上げ会、二次会では、阿刀田高さん、吉岡忍さんなどを柱とした、実行委員は異口同音に『大成功だった』と語っていた。出演者とともに、実行委員はみんな良い顔で酒を飲む。酒の枡に、それぞれが記念にサインしあっていた。

 同フォーラム開催中の広報委員は手分けして、写真撮影、記者受付、出演者とNHK・インタビューのセッティング、そして記事を書くことになっている。
 舞台の照明が強すぎて、写真撮影は不満足で、納得できないものが多かった。3日目からは三脚をつかった。それでも、上手くいかなかった。


 NHK・15分インタビューのセッティング役が私にまわってきた。井上ひさしさん、新井満さん、出久根達郎さんなど出演者と、ショート・タイムだが、一緒できた。

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