A020-小説家

第3回のエッセイ添削教室 (書評)

 月遅れのお盆とか、友人の不幸とかで、作品提出者が教室に参加できない人がいた。欠席裁判を避けるために、次回送りの批評としている。
『終戦の日』の特攻隊基地の様子がリアルに描かれた上質な作品、異文化の風習をしっかり見つめている作品、心筋梗塞を宣言された自分を見つめる作品、さらには明治人の祖父を描いた作品など、読み応えのあるものが多かった。
 3回目にして筆力向上が目に見えてわかってきた。その面では収穫が多かった。

 
山下昌子「困ったよときになったもんじゃ」
 明治五年生まれの威厳のある祖父を描いた、上質の作品である。タイトルは、祖父が世を憂う口癖のことばである。
「漱石のような立派な口ひげを生やし、背筋もピンとしていた」祖父はかつて四国の小学教師だった。辞めた祖父が一旗あげようと上京し、日本橋浜町で回船問屋をはじめた。
 成功した暁には羽振りもよく、妾を持った。しかし、台風が来て持ち船がすべて沈み、家業は没落していった。そうした祖父の姿を、父親からの伝承で描く。さらには『私』が地図を片手に日本橋浜町の祖父の足跡を訪ねる、という内容である。
結末では、『私』が祖父の口調で、現代の世相を憂う。ここに及んでは書き過ぎで、残念な気がするが、気骨のある明治人の晩年までもがよく描かれている作品である。


高原 眞「時の流れの馬車」
 人間の死と輪廻という重要なテーマが、根幹にある作品である。
『私』の母は90歳まで健在だった。70歳を超えたころ、4年ごとに母の名に因んだ「イワネ会」と名づけた小旅行が行われていた。旅館に一泊二日で、全家族は総勢で28人。母の死や兄弟の死で「イワネ会」は自然消滅となってしまった。
 かつて老母を祝っていた私が、その年齢に達した。結婚満50周年。息子と娘の家族から、山中湖で金婚式を祝ってもらう。3人の孫たちのエピソードが紹介されている。ブラックバスの釣り、帰途はサファリーパークにいく車中で、小2の男児がおねしょをした話しなど、軽妙なタッチ。
 文章と構成の面では卓越している。他方で、登場人物が多いために、未消化の面がある作品となってしまった。


中村 誠「信濃路の旅」
 悪天候の旅の苦労が描かれた作品である。気象台が『平成十八年七月の豪雨』と名づけた記憶に新しい豪雨。それだけにリアリティーに満ちた作品である。
 三組の親しい夫婦が信濃路にドライブ旅行を計画した。しかし、運悪く、出発日は気象庁の予報通り、長野地方は大雨となった。それでも韮崎にある秘境の鉱泉を目指す。やっと到着することができた。
 翌日はさらなる強い雨。大雨警報と洪水警報から、予定した上高地は断念が旅は止めなかった。松本、大町にはむかった。そこでは美術館の鑑賞はゆっくりできた。
 最終日の帰路は雨がやや弱まったけれど、通過する川は恐ろしいほどの泥流。そのうえ、帰路の高速道路は一部切断されていた。大きく迂回をして東京に帰り着いた。
 無謀な旅だと、批判の目で読みすすむ作品だが、車の運転手が長年のパイロット経験者だったとなると、ある種の安堵を与えてくれる。不思議な作品だ。
 豪雨という強烈な素材。それだけに、やや人物が負けて薄まってしまった。主人公「私」が恐怖心をもっと深く追いかけたならば、作品の評価はさらに高まっただろう。


河西和彦「お盆と帰省」
 定年退職後の主人公「私」が、船橋から長野の母の老もとに遠距離介護する作品。田舎に生まれ育った老母は都会を嫌う。「四十年前に亡くなった夫の家を守る」それが口実だったために、長男の私が月に何度も実家に通い続けるはめになった。老母が軽い脳梗塞で倒れてからは、さらに帰省の頻度が高まる。
 他方で、戦前、戦後の物資不足から、母親は何事ももったいない精神で、あらゆる物を残していた。やがて、母親は百歳の天寿を全う。家のなかの片付けや整理の苦労が始まる。
 ゴミ回収の曜日と出す量は近隣はうるさい。それに合わせた帰省とならざるを得ない。ときには高速バスが諏訪湖花火大会の渋滞に巻き込まれ、動かなくなる苦労などが、緻密な筆運びで書き込まれている。
 ゴミにはうるさい隣組だが、母の葬式のときには勤めを休んでまで手伝ってくれた。葬儀が終わった後、近所にお礼の挨拶に行くと、『人間として当たり前のことをしたまでだ』と、ある奥さんに言われた。
 人間関係が希薄になってゆく現代だけに、地方に残された暖かさのある風習に心を打たれた、というエピソードも紹介されている。
 丹念に書く姿勢は評価できる。ただ日記は書き残すもの。エッセイは「読者には感動を与えるもの」。エッセイであるからには、必要以上の歳月、年齢、不要な名前などは削り、必要最小限に抑える必要がある。
 それら問題点をはるかに超えたヒューマニティに満ちた作品である。


森田多加子「へそだしルック」
 ニューヨークのテロ事件のあった年、娘一家がロサンジェルスに転勤になった。主人公「私」は六歳と三歳の孫の世話のために、渡米した。一ヶ月間ほど滞在した。いまなおテロ事件の後遺症で、海岸の観光地にはあまり人出がない。短いことばのなかに、アメリカ人の恐怖をしっかり描いている。
 土曜はメイン通りに、新鮮な野菜や果物が数多く並ぶ『市』が立つ。そこで見た光景が描かれている。臨月らしい大きなおなかの女性が、素肌の腹部を突き出ていた。上下には洋服があるが、見事にまん丸く露出しているのだ。
妊婦は悪びれた風でもなく、自然な態度であった。『私は今からおかあさんになるのよ』とアピールしているようで、心地よかったという。
 異国での文化の違いを紹介した上質のエッセイである。妊婦のへそだしルック。意外性という面でも、作品の価値は高い。


石井志津夫「加齢なるこれから ―あくせく自適3V生活の効用と見直しー」
 人生後半が面白くなると、妻と話しあって始めた3V生活が、6年目となった。予想した以上に、セカンドライフに変化を与えてくれたと前置きする。
 3V生活の一つひとつを紹介していく。『V1SIT』とは人を訪ねる、会に参加する、講演に行くことだ。出掛けた先で、香りのある人、素晴らしい人達から、沢山のヒューマンシャワーを浴びることができた。
 次は『VILLA』幕張のマンションから40km離れた所にある住まい、茶論亭(さろんてい)との二住生活である。毎週行く理由は、近くに保健所認定の天然水が貰える処がある。家族や友人といつでも使えるサロンにしている。自給ごっこ(餅つきやラッキョウづくりなど)が気兼ねなくできる場だから。
『VOLUNTEER』は地位、肩書き、名誉という飾りものはすべて取り払い、裸の自分を信用してもらえる場である。理解すること、少しだけ分かち合うこと、一生懸命生きること、それらが大切だと痛感できる、と効用を語る。
 しかし他方で、加齢に伴う体力の衰えを意識してしまう。忘れる、スムースにいかないといった高齢の自覚が目覚めてきた。3V生活の見直しの時期だととらえる。思いきって、整理・処分を進めて、身軽にしておく。最後は体力への負担の軽減である。家庭菜園も手のかかる野菜(果菜類)から手のかからない野菜(葉菜類・根菜類)へと、また果樹(梅、柿など)への切り替えを進めている。
 啓蒙的なタッチのユニークなエッセイである。シニア時代に、生き方を示唆してくれる作品である。

 
塩地 薫「伏兵の奇襲」
 鼠径(そけい)ヘルニアの術前の心電図検査で、心筋梗塞が発見された。
 単なる形式的な検査前。そう思い込んでいた『私』はスポーツセンターに入会したばかりで、検査後は水泳やマシントレーニングをしようと、準備万端整え、張り切っていた。突如として、『私』は看護師に車椅子に乗せられたり、医者からは重病人扱いにされたり、予想外のことがおこったのだ。
 書き出しから一気に引き込まれる作品である。
 異様な波形の心電図など、専門的な説明も巧く取り込む。心筋梗塞ともなれば、スポーツセンターにも出向けず、トレーニングウエア、運動靴、水着,帽子、水中眼鏡などを虚しく家に持ち帰った。こうしたストーリーの運びのなかで、『私』の心理描写が上手に描いている。
 他方で、重大な病名を告げられた後も、心筋梗塞は伏兵の奇襲だ、最悪の事態を回避する幸運だったと、見方を変えていく。そして、「元気で百歳まで生きる」と生き方を再検討に及ぶ。
 全体の構成がしっかりしている作品である。作者の目は確かで、自分自身を突き放し、人生観の変化する『私』をしっかり見つめている。達者な筆運びである。


長谷川正夫「八月と軍刀」
 昭和20年8月15日。愛知県知多半島の海軍航空隊における、隊員たちの敗戦の衝撃が明瞭に描かれている、歴史的な証言の貴重な作品である。
 敗戦を知った隊員たちが、「くやしい。残念……」と叫ぶ。大地を何回も足で踏みつけた。主計科士官の『私』は飛行機乗りではないが、やるせない気持ちが体中をかけめぐった。敗戦の日の騒然とした航空隊が、しっかりした描写で書けている作品である。『血気にはやる搭乗員が無断で飛行することを防ぐため、飛行機の燃料は機内から抜き取り、プロペラはすべて取り外された』。これらは歴史的にも大切な目撃証言である。 
 他方で、さらなる証言が飛び出す。
 士官のもつ軍刀は米軍に差し出すこととなった。『私』の祖先は武士。先祖伝来の日本刀をもって海軍に入隊していた。
敗戦の結果、軍刀は米軍に取り上げられて破棄される。武士の魂の刀をむざむざと引き渡すのは断腸の思い。引渡しは拒めない。こうした心理描写がよく書けている。
 考えた結果、航空隊の裏山に登った。木が生い茂り、小さな岩や石がごろごろしている。『私』は軍刀を引き抜き、刃が欠けるまで岩に切りつけた。『私』はみずから刀の魂を抜き取り、単なる一本の鉄の棒に変えたのだ。この描写は圧巻である。
 日本刀は日本人の心と魂の源。無駄なことばを排除し、美学の世界を見事に表現した秀作である。

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