エッセイ教室は今回で、20回を迎えた。芸術や文化など創作活動は、くり返しの連続で上達するものだ。文章は苦手だ、下手だと思い込んでいる人でも、創作活動を継続すれば、まちがいなくレベルが上がってくる。 
スポーツにおいて毎回の勝利はない。エッセイも良品ばかりではない。失敗作の連続とか、スランプとかがある。感動作品だったり、ときには平板で冗漫な作品だったりする。
「書けない」と妙に気取ったり、格好つけたりして、書かないひとがいる。これは創作活動で最悪だ。絵でも、彫刻でも、文学でも中断せず、一心に続けることだ。
やがて、「良い作品ですね」、「文章が上手ですね」といわれるようになる。いつしか、文章力の高いレベルに達した自分を知ることになるのだ。
受講生は20回にわたり、エッセイを創ってきた。1行、1文字にもシビアな添削とか、大勢の講評を受けてきた。それに耐えてきたこと自体が貴重な財産だと想う。
今回の講座冒頭のレクチャーでは「文体とリズム」について説明した。エッセイの領域を超えた、小説講座に近い内容だ、という認識の下で。
文章には大きく分けて、文体とリズムの2本柱がある。
文体はつきつめれば、作家の体質、性格、個性などによって、作家の特徴(文体)が生み出されてくる。
人間の顔が一人ひとり違うように、文体は作者によって違う。同一の素材で、おなじ内容でも、作品はそれぞれに違う。それは文体の違いにも寄る。
自分の文体は、書き続けることのみで確立されてくる。
文章のリズムは作品の感動や感銘にかかわる。文章のリズムとはなにか? 音楽に置き換えると、わかりやすい。音楽には強弱(動と静)が必要である。強さばかりではだめ、弱さがなければ、曲は単調になる。エッセイも同様で、緩と急が大切。ラストに向けた、起伏や盛上がりがないと、一本調子になる。
文章のリズムも書きつづけることで、会得できるものだ。作曲家が一夜にして生まれないのとおなじである。
20回目の記念。その意識もあって、作者たちは執筆に熱が入っている。良品が多かった。作品を個々に紹介したい。
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