小説家

「読売日本テレビ文化センター」金町の講座・講師がスタートする

 文章に関連したカルチャー講座がさらにひとつ増えた。「読売日本テレビ文化センター」金町で、12月3日から「公募のエッセイを書こう」がスタートした。毎月、第1木曜日の14時15分から2時間である。

 金町駅(JR、京成電鉄)からゼロ分の「ヴィナシス金町」だ。新築の総合施設で、区の図書館、進学塾、飲食店、外食レストランなどが入居する複合ビル。真新しい教室だけに環境は良い。

 同センターには、既存の吉田陽子さん「エッセイを書く」がある。受講者層が多少なりともバッティングしないように、「公募のエッセイを書こう」とした。
これは単にエッセイを書きたい人に教える、という領域を越えたもの。公募で入選、入賞をめざす。講師としては、公募の結果が受講生への指導評価になって現れる。責任は重い。
 私はどこの指導の場でも全力投球している。これまで以上に自分に緊張を持たせるものだ。


 産経学園・銀座が新築ビルへの移転、4月開講をめざす。秋口から講師選定などが進められてきた。11月末に同本部から連絡があり、第4火曜日の10時~12時で、『やさしい文章教室』という仮題で、講座開設の内諾を得ている。


 文章関連の講座の数が増えれば、添削する作品数も増える。私の執筆がそちらに割かれてしまう。
 私はかつて講談社フェーマス・スクール「小説講座」で伊藤桂一先生(直木賞作家)から指導を受けた。先生は吉川英治文学賞の撰者、日本文藝家協会、日本ペンクラブの理事など多忙な方だ。その後の、指導は数十年に及ぶ。
 ある意味で、伊藤先生があって、いまの作家としての私がある。
 
 伊藤桂一先生に恩返しはできないが、後輩への指導が私の恩返しだと思っている。


 関連情報

「読売日本テレビ文化センター」金町

11月26日は「ペンの日」。著作権違反で、犯人不詳で告訴も

 日本ペンクラブは創立74周年を迎えた。毎年11月26日は「ペンの日」として、創立の祝賀の宴が行われる。今年も、東京会館(千代田区)のローズ・ルームで開催された。
 森みどりさんのピアノ演奏とバス・バリトン歌手の清水宏樹さん(ブタペスト国際声楽コンクール入賞)の歌からはじまった。

会場の一角には、日本ペンクラブ歴代会長の顔写真パネルが置かれていた。初代会長は島崎藤村、2代正宗白鳥、志賀直哉、川端康成と続いてくる。近いところで、前会長(14代)は井上ひさし、現在(15代)は阿刀田高とならぶ。


 阿刀田高会長は挨拶で、「来年9月下旬に開催される、国際ペン・東京大会があと一年を切りました。準備は順調に進んでいます。そういうと、吉岡忍さん(実行責任者のひとり)などは、まだまだ大変だ、というでしょうけど」と話す。吉岡さんの顔を見ると、苦笑していた。

(注)国際ペン・東京大会は1957年(川端康成会長当時)、1984年(井上靖会長当時)につづいて、25年ぶり、3回目。

「今年の国際ペン大会はリンツで開催されました。70カ国、140人の参加。そのうち、日本人が28人で最大でした。来年の東京大会をアピールしてきました」と述べた。

 浅田次郎専務理事が乾杯の音頭をとった。「日本ペンクラブは特殊な団体です。ふつう団体の理事といえば有給ですが、当クラブは無給、交通費も自前。会員が(それぞれの懐で)団体を支えています」とユーモアの口調で語った。浅田さんは酒が飲めない。それなのに、いつも乾杯の音頭。今回は飲めない話しはなかった。

 パーティー会場では恒例の福引が行われた。壇上では進行役が大きな声で当選番号を読み上げる。呑む人はそちらを横目で見るだけだ。


 山本澄子さん(立正大学名誉教授)から声をかけられた。彼女とは委員会仲間。「吉本孝明(りゅうめい)さんの宅に行ってきたのよ。穂高さんも誘ってあげればよかったわね」という。その写真を見せてくれた。
「次回はよろしく」
 山本さんはボストン大学卒で、同大学東京事務所(港区・麻布)の寺岡満紀子さんが紹介された。明るい女性だった。

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美人推理作家「新津きよみさんを囲む会」が発足

 新津きよみさんは、いまや推理小説作家の第一人者だ。今年は関西テレビ放送開局50周年記念ドラマ:『トライアングル』の原作者としても脚光を浴びた。2、3ヶ月に一度は新作を世に送り出すほど、執筆は超多忙の人気作家だ。当然ながら、読者層も広がっている。


作品の一部にはスーパーマーケットの万引き事件が出てくる。新津さんはかつて近在の店舗で、犯人が捕まる瞬間を目撃したという。
 彼女が店を出た瞬間、(保安員に)背後から、呼び止められた。「一瞬ドキッとしました。何で? 私が」と思ったという。ところが、彼女の真横にいた人が万引き犯だったのだ。連行される一部始終を見ていた、新津さんは強烈な印象となり、小説の素材のひとつになった、と打ち明けてくれた。

                     (左から、古関雅仁さん、新津きよみさん、関根稔さん)


 大手スーパーの店舗管理職で、大の新津きよみさんファンがいる。新刊が出るたびに、購読している。関根稔さん、古関雅仁さん、持田重雄さんの3人だ。かれらは常々、「流行作家と生の声で話を聞いてみたい」という願望を持っていた。

 3人は日々のスーパー業務で、多種多様な万引きと向かい合う。捕捉(ほそく)した万引き犯の、生活の困窮、盗癖、社会的背景などを知る機会が多い。警察にどのタイミングで出すか。それら判断は実務の一つだ。
 推理小説の情報提供者として、新津さんにもメリットあるだろう、と橋渡しをしてみた。彼女の承諾が得られた。

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34回「元気エッセイ教室」作品紹介

 エッセイは作者の『心情』が表現されているほど、良い作品だ。出来事が小さくても、日常の些事でも、「作者の心」が十二分に表現されていれば、読み手を引き込む、求心力の強い作品になる。

書くうえでの『心情』の留意点として

① 日常茶飯事のことがらで、誰もが見逃す、通り過ぎて行く、そこに焦点を当ててみる。
② 人には数々の苦しかった体験がある。自責のミス、落ち度で窮地に立った出来事を取り上げてみる。
③ 事象と自分の心を執拗に往復させ、心理描写は多めを心がけて書く。
④ 「この程度で、読者が解ってくれるだろう」という、読者への甘えは止める


 毎回、写真を使った演習を行っている。今回の『心理描写』の演習は難しかったようだ。

 16歳の妊婦と父親(33)の写真と会話を紹介し、それぞれに「私の心情」「私の考え」「私の思い」を書いてもらうものだった。受講生の世界とあまりにも乖離し、お手上げ状態の人が複数いた。

 エッセイ作品の提出は15人で、過去最大だった。人生経験豊かな受講生だから、味のある作品がずらり並ぶ。それら作品を紹介したい。

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33回「元気エッセイ教室」作品紹介

 散文(叙情文)では、「会話がうまく書ければ一人前」といわれている。小説に限らず、エッセイにおいても「会話文」の挿入は重要。会話が入れば作品が読みやすく、登場人物の言動がとらえやすい。短い会話の行数でも、人物が立ち上がってくる。

 今回は「会話の書き方」のPART2として、応用編をレクチャーした。

① 会話を入れる場合、人物の性格とか、特徴とか、相手の表情とかが浮き出るようにする。ストーリーを追わない。

② 仲の良い二人でも、意見の違い、考えの違いがある。それを書いてみる。

③ 会話する、双方の心理が動くような内容にする。

④ 会話には、説明文を入れない。

⑤ 会話は、全体比で2、3割以内にとどめる。多すぎると、会話が目立ちすぎて、軽い作品になる。

 この5点に絞り込んで、事例を出して説明した。

 提出された7月度エッセイは、終戦記念日が近い、ということもあって、戦争が関わる素材が多かった。どの作品からも、戦争は二度としてはならない、という反戦の訴えが読み取れた。

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ノンフィクション「古写真の青春」

 東京の街路樹にも、セミが鳴いていた。8月初旬、炎天下の陽炎がめらめら舗道から立ち上がる。誰もがハンカチで汗を拭う。
 焼けた都会の太陽がやや傾いてきた。学友たちがひさしぶりに、人形町に集ってきた。
  昨年末の有楽町ガード下の屋台から、半年が経つ。すぼらな幹事のヤマ屋が6ヵ月間も穴を開けたことから、更迭人事が行われた。

 
 新任の幹事は、張り切りボーイと言われた元布団屋だ。学友会は目的のひとつが「安くて、美味しくて、雰囲気の良い店を掘り当てる」というもの。それが幹事の腕の見せどころだ。

 元布団屋は当然ながら張り切り、人形町の居酒屋「手前みそ・人形町店」を探し当ててきた。4時45分。酒場には客人が一人もいない。一番客となると、店員が揃って親切な態度で挨拶。席に案内して、懇切丁寧にメニューの紹介がはじまった。価格帯を含めて、満足できる店だった。


 今回は元銀行屋が欠席だ。理由はしごとだ。それも、前夜のメールだった。
「奴のために、七月末を変更して、きょうを決めたのに……。それなのに欠席か」とヤマ屋が文句をいう。
 元銀行屋は定年後の再就職先で、いまはバイトの身分だ。「そこでも忠誠心をつくすなんて、信じがたい。高度成長期の悪しき習慣から抜け切れていない」と批判する。
あのころは、家庭よりも親戚づきあいよりも、仕事とゴルフが優先だった。上昇志向で、深夜まで働き、休日出勤も厭わない。そんな猛烈社員がひしめいていた。

「目くじらを立てて批判いることはない。また、会えるさ。なんでも、会社関係で不幸があったらしい」
 元焼き芋屋なだめる。大学時代の友はさして利害もない。それだけに、すぐさま一件落着だ。

 元布団屋が話題づくりとして、大学時代のゼミの写真を持ってきた。著名な中国古物収集家だった父親の子だ、物持ちが良い。自家の押入れの隅々から、ゼミ時代の論文集までも掘り当ててきた。それには、誰もが驚きの声をあげた。

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いさり火文学賞・受賞作『潮流』が、日本ペンクラブ:電子文藝館に転載

『潮流』が、北海道新聞社『いさり火文学賞』を受賞したのは2004年である。すでに5年が経つ。北方領土が日本に返還されないかぎり、この作品は生きつづけている、と思う。その面では古くならない作品だともいえる。


 この素材は作品化するまで、十年余年を要した。北海道・函館で乗ったタクシーの運転手が、当時のソ連警備艇に拿捕され、ナホトカに連行された。漁船そのものが監獄で、目隠しされて、上陸は一歩も許されなかった、と聞いた。
「よく発狂しなかったな。閉鎖的な船室に閉じ込められて」
 それが第一印象だった。
 その後は何度も北海道を訪ね、その漁船員から密漁の話を聞かせてもらった。当初はミステリー仕立てにした。(四百字詰め原稿用紙550枚)。江戸川乱歩賞は二次予選を通過したが、候補作にはならなかった。そこで、あらためて純文学に仕上げようと、北海道東部に出向き取材した。別の漁船員から、特攻船の体験談なども聞いた。

「いさり火文学賞」を受賞した先が北海道新聞で大変よかった。担当部長が根室支局、釧路支局に問い合わせたり、密漁に詳しい記者を紹介してくれたり、微妙に事実と違う点を指摘してくれた。漁船員のうる憶え、曖昧な点が補強できた。その情報網はさすが北海道に根を張る新聞社だと感心させられた。

 550枚の作品が80枚にまで圧縮された。その面では濃密な、思い入れが深い作品だった。このたび日本ペンクラブ:電子文藝館の『小説』コーナーに掲載された。

 同館には島崎藤村・初代会長からの歴代会長作品、ノンフィクション、詩歌、随筆、小説などいくつものジャンルに分かれている。来年には合計1000作品に達する予定である。無料で読める。
 日本ペンクラブの正会員ならば、既発表作品に限って一年一作を載せることができる。(未発表の書き下ろしは不可)。他方では、過去の著名な作家(会員、それに準じる人)の掘り起こしが行われている。

「小説」コーナーは、既存のペン会員の作品が少ないだけに、過去の著名な作家が目立つ。「潮流」のまえは森鴎外の作品だ。さらに10作を見ても、中山介山、大岡昇平、樋口一葉らの作品が並んでいる。
 これら大物作家の作品に囲まれているだけに、日本ペンクラブの会員になってよかったな、という感慨を覚えた。

日本ペンクラブ:電子文藝館

小中陽太郎さんを囲む「ヨタロウ会」の暑気払いは、鰻屋の老舗で

「ヨタロウ会」は8月4日、東京・南千住の鰻屋の老舗「尾花」で行われた。
 小中陽太郎さん(作家)が、「この猛暑を乗り切り、元気を付けるために、鰻を食べよう」と提案したもの。同会の幹事・瀧澤陽子さんの案内書には、「尾花は超人気の店で予約できない、遅れると入れないかも」という趣旨の添え書きがあった。


 私はそれなりに時間を気にしながら、千住大橋から徒歩で、南千住・駅前の鰻屋に出むいた。7、8分ほど遅れた。和風の座敷に上がろうとすると、店員がストップをかけてきた。順番の割り込みだとみなされ、嫌な顔をしていた。ここは厚かましく、事情を説明し、仲間12人の席につくことができた。

 長テーブルで隣り合うのが、堀佶さんだった。堀さんはかつてポプラ社の名編集で、いまはフリー編集者だ。このたび日本ペンクラブの広報委員会の委員になられた。来年の国際ペン・東京大会にむけて、会報、メルマガで、ともに力を合わせる仲間となった。それらを中心に話が弾んだ。

    

 真向かいは相場博也さん(創森社)である。相場さんは出版社「家の光」の編集部で、主として単行本を手がけていた。出版に思うところがあって、若くして独立し、単行本を発行する会社を興した。社長として、つねに企画のアンテナを張っているという。「一に企画、二に企画、三、四がなしで、五に企画だ」と強調されていた。
 私が42回地上文学賞(家の光)を受賞したというと、同社にいた相場さんは「すごいですね、地上賞の受賞ですか」とおどろかれていた。当時の編集長や選者の名まえが酒の肴になった。

 小中陽太郎さんが席にやってきた。「大原雄さんは急に葬儀に参列することになった。何でもNHKの先輩らしい。こればっかりは予定が付かないからな」という。残念だが、葬式ではしかたない。
「穂高君は伊藤桂一さんの教え子だ」と小中さんが皆に紹介したことから、伊藤桂一さんの話題がひときわ盛り上がった。高齢で頭脳が明晰、80代半ばで再婚した、と多くの人が知る。

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化粧する少女 さとう良美(小説の書き方・受講生)

化粧する少女


                        さとう良美 

 電車内で、少女が化粧をはじめた。
十五、六歳になるだろうか。肌は健康そうな、ピンク色をしていた。ついこの間まで、青空の下をかけずり回っていたような、幼さが見えた。

 電車の車内で、少女が化粧する場面を、目にするようになったのは、ここ十年ほどのことだ。はじめはとても違和感があった。時と場所をわきまえなさいと、しかりつけたい衝動に駆られた。
同じような場面に、しばしば出会うようになり、しだいに衝撃も薄れてきた。最近は、ああ、またこの子も、これも時の流れなのだろうと、軽く受け止めるようになった。

 この日、出会った少女は車内で、ベージュ色の大きなバックを、ひざにのせた。そして、B5版ほどの鏡をとりだした。これまで車内で見かけた鏡のなかでは、一番大きかった。もはや手鏡とはいえない代物だった。
 少女に興味がわいた。わたしは読みかけの本を閉じ、隣席の彼女に目をやった。これから、彼女はどんな化粧をするつもりなのだろうか。
 少女は、自分の顔がよくうつるように、バックの上の鏡をセットした。手を差し入れ、底のほうから化粧道具の詰まった化粧ポーチを取り出した。
 彼女は、そのなかから平たいプラスチックケースを出した。ケースのふたを開けた。青や茶のアイシャドーの、固められた粉が並んでいた。
 少女は化粧筆に茶色の粉をたっぷり含ませた。筆がまぶたの上を何度か往復した。少女は、出来上がりを確認するため、鏡をのぞき込んだ。両まぶたには、アイシャドーが重ね塗りされた。少女の顔が、少しだけ女になった。
 少女は鏡に向かって、目をパチパチさせ、小さくほほえんだ。どうやら合格らしい。

 次に、バックから取り出されたのは、マッチ箱ほどのプラスチックボックスだった。つけまつげが何組か入っていた。
 少女は、最も長くカールした、つけまつ毛を選んだ。左の親指と人差し指でつまみあげると、右手に持った、小さいチューブに近づけた。
 白い糊がチューブから、にょろにょろと押し出されていく。それがつけまつげの根元に塗りつけられた。1ミリくらいの、白い線になった。糊のついたつけまつげは、手早く、少女の本物のまつげ、その上に運ばれた。実物のまつげと重なり、浮いたようになった。少女は細いプラチックの棒で、まつげの根元をぎゅっと押しつけた。目じりから目元まで、なじませていく。
 つけまつげはついに、実物まつげと一体になった。彼女が瞬きをするたびに、ばさばさと音が聞こえてきそうだ。まばたきは重くないのだろうか。わたしはそれが気になった。
 少女の顔が、大きく変わった。アニメに登場する、美少女のようになった。

 鏡をのぞき込む少女は、出来上がりに満足したのか、緊張した表情をゆるめ、ふっとため息をついた。
 少女の化粧が一段落したことで、わたしはふと周囲をながめた。昼下がりの、私鉄電車はすいていた。立っている乗客はなく、七人がけのシートに数人の客が座っていた。

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32回「元気エッセイ教室」作品紹介

 エッセイ作品では一般的に会話文が少ない。私はできるだけ、会話を入れなさいと指導している。
 上手な会話文の挿入は読者を引き込むうえ、登場人物が立ち上がってくる。散文において、会話の効果は高いものがある。小説でもいえるが、上手い会話は文章を生き生きさせる。

「会話文」は、「話しことば」とは違う。ここが最も押えどころだ。
 日常会話をそのまま文字にすると、ダラダラと冗漫な会話の連続になる。必要で、外せない、限られた会話文のみに限定することだ。



会話文の技法(コツ)として


①ムダな言葉は書かない。とくに時候の挨拶、別れのことばは省略する。
 おはよう。暑いですね。さようなら。お元気でしたか。久しぶりですね。
②会話のなかで、説明文を展開しない。
作者の説明が会話で入ると、読者が遠のく。
④読者が予想しなかった、会話を連ねて行く。
⑤会話から、人物の動作や心理がわかるように書く
⑥双方の意見が違う。対立する。それを会話にすると、良い流れがうまれる。

これら①~⑥の項目について、会話文の実例をもって説明した。


 今回の作品紹介は、心に響くもの、国内外の物珍しい体験、旅行先で心痛むもの、過去に遡って両親を想う懐古の情などと、幅が広い。他方で、日常の些細な出来事だが、一気に読ませるもの、動物、植物との心底からの触れあいの作品が並ぶ。

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