小説家

第9回 「元気100エッセイ教室」の作品紹介

 小説やエッセイをよく読む人は、『自分でも、このくらい書ける』と思ったり、口にしたりする人がいる。実際にペンを持たせると、まず書けない。一作くらいはまぐれで書けても、後にはつづかないものだ。

 プロ野球のテレビ観戦で、ピッチャーの癖、打撃のフォーム、打球の処理など、ベテラン評論家なみに語るひとがいる。実際にグランドに立たせてみると、球はまったく打てない、走れば足がもつれてベース前で倒れてしまう。ある意味で、読書家はそれに似ている。読む目は肥えているが、書くことはダメなのだ。

 創作はつねに書き続けることにある。当教室では、毎月かならず一本はエッセイを書く。良い打球もあれば、凡打もある。打ち疲れもある。それでも書き続けることで、他人が読んでくれて、なおかつ感動する作品が効率よく書けるものだ。

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掌編ノンフィクション・3月度学友会より『恋人の顔を忘れた?』

 元教授が北千住で、安価でいい店があるという。6日、月一度のゼミ学友会・5人の集まりが、『大はし』で行われた。1977(明治10)年に創業した『大はし』は、東京で最も古い居酒屋のひとつ。玄関先には〈千住で2番〉と掲げる、ユニークな店だ。


『大はし』は旧日光街道(元の街道)に面している。創業が江戸時代だったならば、『奥の細道』に向かう松尾芭蕉も、最初の宿場町・千住の『大はし』に立ち寄ったかもしれない 

 ただ、昔の旅人の主たる目的は宿場町の遊郭遊び。芭蕉はいい居酒屋があったところで、わき目もふらず遊郭に飛び込み、女郎相手に遊んだり、呑んだりしたことだろう。奥の細道には、遊郭を詠む句が遺されていないので、残念ながら、これは推量にしか過ぎない。

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第8回 「元気100エッセイ教室」の作品紹介

 エッセイ教室では、講座がはじまると、30分間のレクチャーを行っている。今回は会話文を取り上げてみた。
 散文の会話は臨場感が出るし、読み進みやすくなる。小説と同様に、エッセイでも会話は重要だと考える。他方で、会話の上手な人は将来、伸びるといわれている。主なものとして4つあげて実例を示しながら、説明した。
  ・ありきたりの会話は書かない。
  ・人物の容姿、性格、服装などを会話で語らせる。
  ・擬音は避ける。
  ・長い説明文を会話でやらない。

 各メンバーの作品を紹介していく。

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潮 流 (第7回いさり火文学賞・受賞作品・北海道新聞社)

              第1章

 タクシー運転手の広瀬哲也は、中年夫婦を乗せて函館空港にむかっていた。夫婦は島巡りが趣味らしく、これから奥尻島の観光に出向くようだ。潮の匂いがたまらなく好きだと語り合っていた。
 哲也はその話題にそれとなく協力するように、啄木小公園にさしかかると、運転席側のガラス窓をおろした。五月の空気には、潮の匂いとともに肌寒い冷気の残りが感じられた。
斜め上空には東京発らしいANAの機体が着陸態勢に入っていた。あの旅客機で到着した客を首尾よくひろえたならば、空港行きと帰りの効率のいい運行になる、ツキのある一日になるだろう、とかれは期待した。
 過剰な期待は失望を伴うことが多い。それがわかっていながら、遠距離の客がひろえる幸運を抱いてみた。

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獄  の  海 (第13回自由都市文学賞:佳作)作品

                            ※著作権付き小説。無断引用厳禁 

 いくつもの汽笛が白い潮霧の底を這ってきた。それぞれ違う音色だが、みな警戒心に満ちていた。一九九トンの練習船が狭い屏風瀬戸をゆるやかに航行していく。
 五月の霧が切れると、七尾湾の見なれた夕暮まえの風景となった。
 カモメが何度も船上を飛来する。濃霧がふたたび海面に流れると、港の情景に幕が張られた。と同時に、操舵室の窓ガラスが白い障子紙が張られたように、湿った半透明にもどってきた。

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第7回 「元気100エッセイ教室」の作品紹介

 新しい年に、新たなエッセイを読むのは心が弾むものだ。毎月作品を書き、他人の目で読んでもらう。この継続が力量アップにつながる。確実に、レベルアップしたという実感が得られた。同時に、一つひとつの作品に,味わいが深まってきた。

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【掌編ノンフィクション】の案内

 PJニュース、東京下町の情緒100景(ジャーナリストのコーナー)、とHPで記載しています。今後は、【小説家】コーナーの充実も図っていきます。

 大学のゼミ仲間が昨年の夏に、自然発生的に月に一度会うこととなり、人生とか、日常些事とか、さして意味のないこととか、諸々を語り合っています。備忘録ふうなタッチで、HPで紹介してきました。

 今回からは、執筆をバージョンアップし、コミカルな【掌編小説】として、【小説家】のコーナーに掲載していきます。写真の上手な仲間もいます(下手なのもいます)から、それら写真をはめ込み、ビジュアルな工夫もしていきます。

 ※開き方しては、左手の【小説家】の欄をクリックしてください。

【小説家】コーナーは追々、下記の案内なども思慮しています。
 
 目黒学園カルチャースクール『小説講座』の講師をしています。講座内容を一部紹介することで、小説の書き方について、多少は役に立つコーナー。

 4月から新発売・月刊誌で、『長編サスペンス』の連載が予定されています。それらの案内など。

                                  撮影:焼き鳥屋(新橋)の女将

 

掌編ノンフィクション・『1月の学友会』

 今回の会合は、元蒲団屋の本拠地である埼京線の与野本町駅に移った。案内された店は改札口から徒歩2分の高架下の立食いソバ屋だった。
(マジかよ。本気か。遠路はるばる、埼玉県さいたま市という厄介な地名のところまでやって来て、新年会がここかよ)
 それは口に出すまでもなく、あ然とさせられた。

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『上手なブログの書き方』に続いて、新・『小説の書き方』講師が決定

 目黒学園カルチャースクールで、来年1月度から、新たに小説講座の講師として採用された。
 同学園では、『上手なブログの書き方』の講師をしている。このたび、第3教室として、大鳥神社近くのビル『シェルゼパビリオン』内に教室を開講する。それに伴った、新規講座の拡大の一環である。

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『元気100・エッセイ教室』第6回・11月度エッセイの書評

 読み手の側から、『詩』と『エッセイ』の違いについて考えてみた。韻文(詩)と、散文(エッセイ)のちがいはあるが、作者の想いを文字で伝えることには共通性がある。

 詩では若手が書いた作品おいて、個性豊かな表現で驚かされることが多い。過去にない新しい表現方法との出会いがある。愛とか、恋とか、苦しみとかは、いま進行するものを詩うほうが強いインパクトとして伝わってくる。それは技法ではなく、若者たちの鋭い感性から生まれてくるものだ。

 エッセイは、人生経験が豊かな、年配者の作品のほうが勝ると思う。苦節の人生を自らの力で克服してきた、あるいは夫婦や家族と共に乗り越えてきた、という人生の深みが感じられる作品が多い。奥行きのある喜怒哀楽が含まれている。作品を読み進むにつれて、感動、感激などが湧きあがってくるものだ。

 苦悶の渦中にいると、筆には力みが加わる。かえって上手に伝えにくい。ところが、年配者のエッセイとなると、書いている今と、出来事の間には長い歳月の距離が保てている。それゆえに書く上で、力みとか、気負いとかが薄まり、余裕が生まれているのだ。

 若者の書いた詩と、年配者が書いたエッセイとは両極にあるのかもしれない。年配者のエッセイには、苦しみの時代を書き残す。作者の記録として描かれた世界が強く出てくる。

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