小説家

第40回、元気100エッセイ教室

 このエッセイ教室は40回を迎えた。これほど長くつづくとは思わなかった。それが本音だ。現在は平均して15人ほどの提出者がある。大ざっぱに見ても、500作品ぐらいに朱を入れてきたことになる。
 受講生は皆熱心で、レベルが高く、一段と読み応えのある作品を創作している。その限りにおいてはうれしい。


 教室の冒頭には、30分間の講義を入れている。テーマ、構成、書き出し、結末とか、表現方法、描写方法、心理描写、素材の切り口などとつづけてきた。もうタネ切れだな、もう教えることはないな。そう思うこともたびたびである。
 それでも、過去のレクチャーとダブらないように、と努めてきた。

 今回は、「上手な題名のつけ方について」について、説明した。
 題名は、読者と作者との最初の出会いの場だけに、最も重要な位置づけにある。指導する側にたてば難しい。
 読者の目につきやすく、手に取りたくなる。読みたくなるように工夫するが必要です。単に目立つばかりではだめです。作品の内容を端的に言い表すべきです。

(具体的に示してほしい)
 そう問われても、即答はできない。

良い題名」とは何でしょうか。
 法則があるようでない。作品の素材とか、内容とか、時代とか、読者がある程度の推量ができるものが求められます。読後には、
「なるほど、だからこういう題名か」
 と説得力を持つものが、光る題名だといえるでしょう。

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主役と脇役と、写真の技を教わる。日本文藝協会のパーティーで

 5月11日は早朝から雨だった。午前中は、東京・千代田区でHRM主催の第5回「心の経営」実践フォーラムに参加した。文筆業となってからは、会社経営とかリーダーシップ論とかに縁遠く、無関心になっていた。
 理事長の弓山桂司さんとはある取材が縁で、親しく交流させてもらっている。HRMの会員にもなり、折々にフォーラムにも参加している。出席者は40代前後の若手実業家が多い。
 今回は、60歳で保険会社を設立した、出口治明氏の講演だった。中高年にも、残された人生にも可能性が大だと、刺激を受けた人が多かったようだ。

午後も雨だった。東京・市谷の「アルカディア市ヶ谷」で、第64回日本文藝家協会の総会が開催された。2000人余りの会員を持つ、作家、文学者の団体。ほとんどが委任状で処し、会場に見えた参加者は70人強だった。
 公益法人への移行から、定款の変更など、重要な議案がある。そのうえ、著作権に絡む、グーグル問題など、日本の文芸が帰路に経つ。その割には、参加者が少なくて、「寂しいな」という印象をおぼえた。

 一方で、著名な三浦朱門さんなどが、遠慮のない質問をする。日本ペンクラブ、日本山岳会などもそうだが、総会では鋭い質問が飛び交うことが多い。単なる拍手で終わらない。そうした雰囲気が好きだし、日程が許すかぎり、私は会員の義務として参加するようにしている。


 夜6時からの懇談会は、約200人強になった。出版、放送、各関連団体から大勢の参加者があった。落合恵子さんの20分間のスピーチの後、会食と懇談に移った。

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39回「元気に100」エッセイ教室=文章スケッチで、表現力の強化

 今回は文章スケッチについて、講義した。
 作者は机の前で、原稿を書いていると、頭のなかに定着した情景で書いてしまう。つまり、筆先で描いてしまうものです。

 その結果として、具体的な実例として書いたつもりでも、読者には特徴がなく、変哲もなく、細かな点が欠落した描写(概念的な表現)になっています。

 これが読者の退屈さを誘います。いかに改善するか。どうすればよいか。最良の方法は書斎から出て、「文章スケッチ」することです。ノートに文章スケッチしてきた描写を、作中で挿入すれば、思いのほか、かんたんに密度の濃い、描写力のある文章が作れます。

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連載・ミステリー小説「海は燃える」がスタート=「島へ」53号

 4月1日発売の、雑誌「島へ」53号で、ミステリー小説の連載をはじめた。
 最近は取材を中心とした、ジャーナリスト活動が多かった。多くの人に会って、いろいろな話を聞く。それらは、いつしか小説の素材になる、という気持ちがあった。

 カルチャーセンターでも、「小説の書き方」の指導をおこなっている。他方で、小説の実作発表は遠のいていた。小説の文学賞は9つある。それを活かして、小説家として、もっと書かなくては……、という意識が常にあった。ときには焦燥感もあった。
 今回の連載・ミステリーで、小説家の道、原点に戻る、という良い機会を得た。

 推理ものだから、内容は省略させていただく。舞台は瀬戸内海の芸予諸島である。どんな事件か……? 

38回「元気エッセイ教室」・文章の上達法

 いくら読書しても、多くの名文を読んでも、自分で書かなければ、文章は上達しない。

 文章の上達法は、できるだけ数多く書くことである。ただ、数多く書いても、推敲をくり返さなければ、文章は磨けない。書きっぱなしではダメである。

 推敲の重要性を認識することが第一歩である。文章上達への坂道は「書いて、書いて、書きまくる」、「推敲のくり返し」、この両輪で登っていくことができる。

 日記はいくら書いても、数十年書いても、推敲しないから、文章力は磨かれない。エッセイは読者を対象とするから、推敲が必要であり、文章の修練になる。

 書き上げたばかりの原稿は、自分に甘えている。(独りよがりの面が多い)。読者に通じず、不正確で、流れが悪かったりする。

 一度書き上げたら、大きな声を出して読む。そして、読みながら文章を修正する。ていねいに直したつもりでも、翌日にあらためて見れば、不備があるものだ。2、3日してから、ふたたび推敲する。

 文章の流れ、誤字、脱字など、完璧にできたら、次は「読者に読みやすく、わかりやすく」という面で、推敲する。時間をかけるほど、推敲は完全になる。 

 文章の上手な人ほど、文章の厳しさと恐ろしさを知っている。一字一句も疎かにしない。だから、語彙に対する、注意力が増してくる。

「小説の神様」志賀直哉は、原稿を書き上げてから、いかに催促されても、一ヶ月は手元においていた。推敲をくり返してから、編集者に渡していた。

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取材こぼれ話、瀬戸の島は雪だった、困ったな=大崎上島・木江

 推理小説を雑誌に連載することになった。この話が年末にあってから、どんな犯罪にするか、と思慮してきた。殺人事件では雑誌の雰囲気に合わない。そこで、二十歳の女性が誘拐された、拉致の犯人を追って、芸予諸島の島々を駆け巡る、という展開にした。

 女性編集長から、「挿絵はイラストしますか、写真しますか」と持ちかけられた。写真にさせてもらった。HPで、『TOKYO美人と東京100ストーリー』を手がけているし、将来は写真小説のジャンルを開拓したい、という気持ちが強いからだ。

 かつて小説が掲載された誌面は、みなイラストの挿絵だった。どれも上手なイラストレーターの方々ばかり。読み手には、作品がこんなふうに伝わるのか、と作者の意図や思いと違ったりして楽しいものである。
 ただ、主人公のイメージがどこか違うな、という違和感があった。写真ならば、筆者の私が作中のイメージで撮影し、みずから表現できるはずだ。


 第1回目の原稿が入稿できた。写真を撮りに大崎上島・木江(きのえ)へと前泊で出向いた。3月9日は朝から雨、そして雪に変った。
「最悪だな。3月に雪とはついてないな」
 雑誌には締切りがある。あらためて出直すには時間がない。ともかく、必要な情景の撮影に入った。はたして、巧くいくのか、と不安がつのる。

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あなたは、なぜエッセイを書いているんですか?

「元気に100百歳」クラブのエッセイ教室は37回を迎えた。教室の冒頭30分は、講師(私)によるレクチャーである。
 好いエッセイとは良い素材が先か、磨かれた文章力が先か。文章家の間でも、どちらがより重要で優先するか、と意見の分かれるところだ。

 良いエッセイの条件の一つは、すくなくとも文章で蹴躓(けつまず)かないことだ。だから、同教室では文章作法や技法というテクニックの強化を中心においてきた。かなりの成果が得られてきた。

 今回はあえて書く事への原点にもどってみた。「あなたは、なぜエッセイを書いているんですか?」という質問を向けてみた。個々の受講生にはその回答を求めなかった。
 参考になるだろう、3項目をあげてみた。

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35回「元気エッセイ教室」

 エッセイは誰のために書くのか。極端かもしれないが、『エッセイは読者のために書くものだ。自分のためならば、日記だけに留めるべきだ』と私は言いきっている。
 独りよがりの下手な叙情文(エッセイ、小説)は、義理で一度読んだにしろ、「もう結構、二度と読みたくない」と思う。そんな本心は作者に言えたものではない。


どんな作家でも、最初から名文・名作など書けたわけではない。いま流に言えば、超下手だった習作時期があるはずだ。それを越えていく過程で、ときには巧いな、名作だと思える作品が生まれる。ところは次は駄作だったりする。
 創作活動とは、そのくり返しで上達していくものだ。
 やがて、上手な作品が安定して連続的に書けるようになるものだ。

 同教室は約4年間続いてきた。受講生の文章力が磨かれてきた。そのうえ、豊富な人生経験に裏づけされた、良質の作品が次々に生まれている。

 他方で、新しく入られた受講生もいる。「着想から作品化までのポイント」の再確認をおこなった。

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かつしか区民大学「写真と文章で伝える、私のかつしか」で野外実習

 表題の講義は昨年11月13日(金)にスタートした。講師を受け持ち、4回目となった。これまでは「柴又学び交流館」の室内で、金曜日の夜の座学だった。
 1月17日(日)は晴天で風は弱く、真冬にすれば、天候に恵まれた。同日は10時~17時まで、葛飾・柴又かいわいで野外活動を行った。

 一級河川・江戸川の土手にはランニングやサイクリングを楽しむ人出が多かった。
此岸の河川敷グランドでは、いくつもの少年野球チームが練習する。対岸には緑豊かな市川市の丘陵が横の帯状に広がる。同市の円い独特の給水塔が童話に出てくる帽子のように見える。上流、下流の鉄橋ではともに電車が行きかう。都会の喧騒とした町並みから開放された、視野の広い快い光景だった。

 午前中は写真の撮り方で、構図を中心とした実技を行う。
「一枚の写真から、説明がなくても、『葛飾』の風景だとわからせてください」 と受講生たちに課した。

 下流の駅舎には「新柴又駅」の表示がある。土手のポールには「海からの距離」、河川敷備品倉庫には「葛飾区施設」と記されている。少年野球のユニフォーム「葛飾」を指し、構図のなかに取り込むようにとアドバイスした。
受講生が一団となって、熱心にシャツターを切る。


 寅さん記念館、山本亭、矢切の渡しなど、葛飾・柴又を代表するスポットに足を運んだ。写真の「キャプション、タイトル」を考えながら撮影し、メモも取るように、と指導する。

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36回エッセイ教室・講義の紹介=「元気に百歳」クラブ

「元気に百歳」クラブで、エッセイ教室の指導を行って、約4年間(1年間・10回)を積み重ねてきた。今回で36回だ。毎月書くことで、全員のレベルが著しく成長した。「うまくなったな」とつねに思う。


10号ごとに、世話役が冊子を作り配布している。その内容もよい評価をいただいている。このHPで、作品紹介をしてきたが、そ役目は終わったと判断した。

 今後は、教室の冒頭のレクチャーのレジュメを掲載し、このHPを見てくださる方に、多少なりとも、エッセイ教室の雰囲気、内容を知ってもらいたい。


各種の文章の書き方

日常生活の出来事や事実を述べる、叙述の文章にはいろいろあります。日記、作文、自分史、エッセイ、コラム、小説などがあります。学術的な明確な分類や定義はありません。書き方には大なり、小なり、違いがあります。今回は書き手の立場から、その再確認を行います。

【日記】 日常生活などを記録として書き残す。事実のみを記す。将来は史実になる可能性があります。犯罪の場合は、証拠品となり得ます。

【作文】 日常の体験、一つの事がら、出来事などを、与えられた枚数で書く。ありのままを書くことが求められます。

【自分史】 人生のなかで、主要なできごとを中心に書き遺す。「私」が歩んできた道、生き方、信念、周りの人たちとの関わりを時系列で書く。ある程度の自慢ばなしになる。

【コラム】 身辺の出来事、世間の事件、政治経済、文化などと範囲は広い。それら一つ(目玉)を取上げて、「私」の考え、意見、主義主張を述べる。気の利いた風刺や話題を提供する。

【エッセイ】 身近なできごとを取上げて、他人に読んでもらう。テーマ、構成(ストーリー)の組み立て、読み手に感銘、共感、感動を与えるもの。

【小説】 読者の想像力を刺激させ、楽しませるために書く。事実は必要でないが、作中のリアリティーは要求される。


Aエッセイの書き方のポイント(コツ)

①「失敗談」「私の恥部」「隠したいこと」「悩みや苦しみ」「喧嘩」「対立」を書けば、高い評価の作品になります。

②作者の自慢ばなしは書かない。

③最近、「私」が凝っていること。(他人が呆れる)その徹底振りなどを書く。
「私」の特異な個性を愛してくれる読者がいる、と信じて書く。