小説家

あなたは、なぜエッセイを書いているんですか?

「元気に100百歳」クラブのエッセイ教室は37回を迎えた。教室の冒頭30分は、講師(私)によるレクチャーである。
 好いエッセイとは良い素材が先か、磨かれた文章力が先か。文章家の間でも、どちらがより重要で優先するか、と意見の分かれるところだ。

 良いエッセイの条件の一つは、すくなくとも文章で蹴躓(けつまず)かないことだ。だから、同教室では文章作法や技法というテクニックの強化を中心においてきた。かなりの成果が得られてきた。

 今回はあえて書く事への原点にもどってみた。「あなたは、なぜエッセイを書いているんですか?」という質問を向けてみた。個々の受講生にはその回答を求めなかった。
 参考になるだろう、3項目をあげてみた。

続きを読む...

35回「元気エッセイ教室」

 エッセイは誰のために書くのか。極端かもしれないが、『エッセイは読者のために書くものだ。自分のためならば、日記だけに留めるべきだ』と私は言いきっている。
 独りよがりの下手な叙情文(エッセイ、小説)は、義理で一度読んだにしろ、「もう結構、二度と読みたくない」と思う。そんな本心は作者に言えたものではない。


どんな作家でも、最初から名文・名作など書けたわけではない。いま流に言えば、超下手だった習作時期があるはずだ。それを越えていく過程で、ときには巧いな、名作だと思える作品が生まれる。ところは次は駄作だったりする。
 創作活動とは、そのくり返しで上達していくものだ。
 やがて、上手な作品が安定して連続的に書けるようになるものだ。

 同教室は約4年間続いてきた。受講生の文章力が磨かれてきた。そのうえ、豊富な人生経験に裏づけされた、良質の作品が次々に生まれている。

 他方で、新しく入られた受講生もいる。「着想から作品化までのポイント」の再確認をおこなった。

続きを読む...

かつしか区民大学「写真と文章で伝える、私のかつしか」で野外実習

 表題の講義は昨年11月13日(金)にスタートした。講師を受け持ち、4回目となった。これまでは「柴又学び交流館」の室内で、金曜日の夜の座学だった。
 1月17日(日)は晴天で風は弱く、真冬にすれば、天候に恵まれた。同日は10時~17時まで、葛飾・柴又かいわいで野外活動を行った。

 一級河川・江戸川の土手にはランニングやサイクリングを楽しむ人出が多かった。
此岸の河川敷グランドでは、いくつもの少年野球チームが練習する。対岸には緑豊かな市川市の丘陵が横の帯状に広がる。同市の円い独特の給水塔が童話に出てくる帽子のように見える。上流、下流の鉄橋ではともに電車が行きかう。都会の喧騒とした町並みから開放された、視野の広い快い光景だった。

 午前中は写真の撮り方で、構図を中心とした実技を行う。
「一枚の写真から、説明がなくても、『葛飾』の風景だとわからせてください」 と受講生たちに課した。

 下流の駅舎には「新柴又駅」の表示がある。土手のポールには「海からの距離」、河川敷備品倉庫には「葛飾区施設」と記されている。少年野球のユニフォーム「葛飾」を指し、構図のなかに取り込むようにとアドバイスした。
受講生が一団となって、熱心にシャツターを切る。


 寅さん記念館、山本亭、矢切の渡しなど、葛飾・柴又を代表するスポットに足を運んだ。写真の「キャプション、タイトル」を考えながら撮影し、メモも取るように、と指導する。

続きを読む...

36回エッセイ教室・講義の紹介=「元気に百歳」クラブ

「元気に百歳」クラブで、エッセイ教室の指導を行って、約4年間(1年間・10回)を積み重ねてきた。今回で36回だ。毎月書くことで、全員のレベルが著しく成長した。「うまくなったな」とつねに思う。


10号ごとに、世話役が冊子を作り配布している。その内容もよい評価をいただいている。このHPで、作品紹介をしてきたが、そ役目は終わったと判断した。

 今後は、教室の冒頭のレクチャーのレジュメを掲載し、このHPを見てくださる方に、多少なりとも、エッセイ教室の雰囲気、内容を知ってもらいたい。


各種の文章の書き方

日常生活の出来事や事実を述べる、叙述の文章にはいろいろあります。日記、作文、自分史、エッセイ、コラム、小説などがあります。学術的な明確な分類や定義はありません。書き方には大なり、小なり、違いがあります。今回は書き手の立場から、その再確認を行います。

【日記】 日常生活などを記録として書き残す。事実のみを記す。将来は史実になる可能性があります。犯罪の場合は、証拠品となり得ます。

【作文】 日常の体験、一つの事がら、出来事などを、与えられた枚数で書く。ありのままを書くことが求められます。

【自分史】 人生のなかで、主要なできごとを中心に書き遺す。「私」が歩んできた道、生き方、信念、周りの人たちとの関わりを時系列で書く。ある程度の自慢ばなしになる。

【コラム】 身辺の出来事、世間の事件、政治経済、文化などと範囲は広い。それら一つ(目玉)を取上げて、「私」の考え、意見、主義主張を述べる。気の利いた風刺や話題を提供する。

【エッセイ】 身近なできごとを取上げて、他人に読んでもらう。テーマ、構成(ストーリー)の組み立て、読み手に感銘、共感、感動を与えるもの。

【小説】 読者の想像力を刺激させ、楽しませるために書く。事実は必要でないが、作中のリアリティーは要求される。


Aエッセイの書き方のポイント(コツ)

①「失敗談」「私の恥部」「隠したいこと」「悩みや苦しみ」「喧嘩」「対立」を書けば、高い評価の作品になります。

②作者の自慢ばなしは書かない。

③最近、「私」が凝っていること。(他人が呆れる)その徹底振りなどを書く。
「私」の特異な個性を愛してくれる読者がいる、と信じて書く。

「読売日本テレビ文化センター」金町の講座・講師がスタートする

 文章に関連したカルチャー講座がさらにひとつ増えた。「読売日本テレビ文化センター」金町で、12月3日から「公募のエッセイを書こう」がスタートした。毎月、第1木曜日の14時15分から2時間である。

 金町駅(JR、京成電鉄)からゼロ分の「ヴィナシス金町」だ。新築の総合施設で、区の図書館、進学塾、飲食店、外食レストランなどが入居する複合ビル。真新しい教室だけに環境は良い。

 同センターには、既存の吉田陽子さん「エッセイを書く」がある。受講者層が多少なりともバッティングしないように、「公募のエッセイを書こう」とした。
これは単にエッセイを書きたい人に教える、という領域を越えたもの。公募で入選、入賞をめざす。講師としては、公募の結果が受講生への指導評価になって現れる。責任は重い。
 私はどこの指導の場でも全力投球している。これまで以上に自分に緊張を持たせるものだ。


 産経学園・銀座が新築ビルへの移転、4月開講をめざす。秋口から講師選定などが進められてきた。11月末に同本部から連絡があり、第4火曜日の10時~12時で、『やさしい文章教室』という仮題で、講座開設の内諾を得ている。


 文章関連の講座の数が増えれば、添削する作品数も増える。私の執筆がそちらに割かれてしまう。
 私はかつて講談社フェーマス・スクール「小説講座」で伊藤桂一先生(直木賞作家)から指導を受けた。先生は吉川英治文学賞の撰者、日本文藝家協会、日本ペンクラブの理事など多忙な方だ。その後の、指導は数十年に及ぶ。
 ある意味で、伊藤先生があって、いまの作家としての私がある。
 
 伊藤桂一先生に恩返しはできないが、後輩への指導が私の恩返しだと思っている。


 関連情報

「読売日本テレビ文化センター」金町

11月26日は「ペンの日」。著作権違反で、犯人不詳で告訴も

 日本ペンクラブは創立74周年を迎えた。毎年11月26日は「ペンの日」として、創立の祝賀の宴が行われる。今年も、東京会館(千代田区)のローズ・ルームで開催された。
 森みどりさんのピアノ演奏とバス・バリトン歌手の清水宏樹さん(ブタペスト国際声楽コンクール入賞)の歌からはじまった。

会場の一角には、日本ペンクラブ歴代会長の顔写真パネルが置かれていた。初代会長は島崎藤村、2代正宗白鳥、志賀直哉、川端康成と続いてくる。近いところで、前会長(14代)は井上ひさし、現在(15代)は阿刀田高とならぶ。


 阿刀田高会長は挨拶で、「来年9月下旬に開催される、国際ペン・東京大会があと一年を切りました。準備は順調に進んでいます。そういうと、吉岡忍さん(実行責任者のひとり)などは、まだまだ大変だ、というでしょうけど」と話す。吉岡さんの顔を見ると、苦笑していた。

(注)国際ペン・東京大会は1957年(川端康成会長当時)、1984年(井上靖会長当時)につづいて、25年ぶり、3回目。

「今年の国際ペン大会はリンツで開催されました。70カ国、140人の参加。そのうち、日本人が28人で最大でした。来年の東京大会をアピールしてきました」と述べた。

 浅田次郎専務理事が乾杯の音頭をとった。「日本ペンクラブは特殊な団体です。ふつう団体の理事といえば有給ですが、当クラブは無給、交通費も自前。会員が(それぞれの懐で)団体を支えています」とユーモアの口調で語った。浅田さんは酒が飲めない。それなのに、いつも乾杯の音頭。今回は飲めない話しはなかった。

 パーティー会場では恒例の福引が行われた。壇上では進行役が大きな声で当選番号を読み上げる。呑む人はそちらを横目で見るだけだ。


 山本澄子さん(立正大学名誉教授)から声をかけられた。彼女とは委員会仲間。「吉本孝明(りゅうめい)さんの宅に行ってきたのよ。穂高さんも誘ってあげればよかったわね」という。その写真を見せてくれた。
「次回はよろしく」
 山本さんはボストン大学卒で、同大学東京事務所(港区・麻布)の寺岡満紀子さんが紹介された。明るい女性だった。

続きを読む...

美人推理作家「新津きよみさんを囲む会」が発足

 新津きよみさんは、いまや推理小説作家の第一人者だ。今年は関西テレビ放送開局50周年記念ドラマ:『トライアングル』の原作者としても脚光を浴びた。2、3ヶ月に一度は新作を世に送り出すほど、執筆は超多忙の人気作家だ。当然ながら、読者層も広がっている。


作品の一部にはスーパーマーケットの万引き事件が出てくる。新津さんはかつて近在の店舗で、犯人が捕まる瞬間を目撃したという。
 彼女が店を出た瞬間、(保安員に)背後から、呼び止められた。「一瞬ドキッとしました。何で? 私が」と思ったという。ところが、彼女の真横にいた人が万引き犯だったのだ。連行される一部始終を見ていた、新津さんは強烈な印象となり、小説の素材のひとつになった、と打ち明けてくれた。

                     (左から、古関雅仁さん、新津きよみさん、関根稔さん)


 大手スーパーの店舗管理職で、大の新津きよみさんファンがいる。新刊が出るたびに、購読している。関根稔さん、古関雅仁さん、持田重雄さんの3人だ。かれらは常々、「流行作家と生の声で話を聞いてみたい」という願望を持っていた。

 3人は日々のスーパー業務で、多種多様な万引きと向かい合う。捕捉(ほそく)した万引き犯の、生活の困窮、盗癖、社会的背景などを知る機会が多い。警察にどのタイミングで出すか。それら判断は実務の一つだ。
 推理小説の情報提供者として、新津さんにもメリットあるだろう、と橋渡しをしてみた。彼女の承諾が得られた。

続きを読む...

34回「元気エッセイ教室」作品紹介

 エッセイは作者の『心情』が表現されているほど、良い作品だ。出来事が小さくても、日常の些事でも、「作者の心」が十二分に表現されていれば、読み手を引き込む、求心力の強い作品になる。

書くうえでの『心情』の留意点として

① 日常茶飯事のことがらで、誰もが見逃す、通り過ぎて行く、そこに焦点を当ててみる。
② 人には数々の苦しかった体験がある。自責のミス、落ち度で窮地に立った出来事を取り上げてみる。
③ 事象と自分の心を執拗に往復させ、心理描写は多めを心がけて書く。
④ 「この程度で、読者が解ってくれるだろう」という、読者への甘えは止める


 毎回、写真を使った演習を行っている。今回の『心理描写』の演習は難しかったようだ。

 16歳の妊婦と父親(33)の写真と会話を紹介し、それぞれに「私の心情」「私の考え」「私の思い」を書いてもらうものだった。受講生の世界とあまりにも乖離し、お手上げ状態の人が複数いた。

 エッセイ作品の提出は15人で、過去最大だった。人生経験豊かな受講生だから、味のある作品がずらり並ぶ。それら作品を紹介したい。

続きを読む...

33回「元気エッセイ教室」作品紹介

 散文(叙情文)では、「会話がうまく書ければ一人前」といわれている。小説に限らず、エッセイにおいても「会話文」の挿入は重要。会話が入れば作品が読みやすく、登場人物の言動がとらえやすい。短い会話の行数でも、人物が立ち上がってくる。

 今回は「会話の書き方」のPART2として、応用編をレクチャーした。

① 会話を入れる場合、人物の性格とか、特徴とか、相手の表情とかが浮き出るようにする。ストーリーを追わない。

② 仲の良い二人でも、意見の違い、考えの違いがある。それを書いてみる。

③ 会話する、双方の心理が動くような内容にする。

④ 会話には、説明文を入れない。

⑤ 会話は、全体比で2、3割以内にとどめる。多すぎると、会話が目立ちすぎて、軽い作品になる。

 この5点に絞り込んで、事例を出して説明した。

 提出された7月度エッセイは、終戦記念日が近い、ということもあって、戦争が関わる素材が多かった。どの作品からも、戦争は二度としてはならない、という反戦の訴えが読み取れた。


続きを読む...

ノンフィクション「古写真の青春」

 東京の街路樹にも、セミが鳴いていた。8月初旬、炎天下の陽炎がめらめら舗道から立ち上がる。誰もがハンカチで汗を拭う。
 焼けた都会の太陽がやや傾いてきた。学友たちがひさしぶりに、人形町に集ってきた。
  昨年末の有楽町ガード下の屋台から、半年が経つ。すぼらな幹事のヤマ屋が6ヵ月間も穴を開けたことから、更迭人事が行われた。

 
 新任の幹事は、張り切りボーイと言われた元布団屋だ。学友会は目的のひとつが「安くて、美味しくて、雰囲気の良い店を掘り当てる」というもの。それが幹事の腕の見せどころだ。

 元布団屋は当然ながら張り切り、人形町の居酒屋「手前みそ・人形町店」を探し当ててきた。4時45分。酒場には客人が一人もいない。一番客となると、店員が揃って親切な態度で挨拶。席に案内して、懇切丁寧にメニューの紹介がはじまった。価格帯を含めて、満足できる店だった。


 今回は元銀行屋が欠席だ。理由はしごとだ。それも、前夜のメールだった。
「奴のために、七月末を変更して、きょうを決めたのに……。それなのに欠席か」とヤマ屋が文句をいう。
 元銀行屋は定年後の再就職先で、いまはバイトの身分だ。「そこでも忠誠心をつくすなんて、信じがたい。高度成長期の悪しき習慣から抜け切れていない」と批判する。
あのころは、家庭よりも親戚づきあいよりも、仕事とゴルフが優先だった。上昇志向で、深夜まで働き、休日出勤も厭わない。そんな猛烈社員がひしめいていた。

「目くじらを立てて批判いることはない。また、会えるさ。なんでも、会社関係で不幸があったらしい」
 元焼き芋屋なだめる。大学時代の友はさして利害もない。それだけに、すぐさま一件落着だ。

 元布団屋が話題づくりとして、大学時代のゼミの写真を持ってきた。著名な中国古物収集家だった父親の子だ、物持ちが良い。自家の押入れの隅々から、ゼミ時代の論文集までも掘り当ててきた。それには、誰もが驚きの声をあげた。

続きを読む...