小説家

推理作家の新津きよみさん、葛飾・立石を歩く

 新津きよみさんは売れっ子の推理作家だ。彼女の作品の多くがTVドラマの原作になっている。現在執筆中の推理作品のなかで、指名手配犯にかかわる女性の住まいを東京・下町にしたいという着想があった。
 それを聞いたので、葛飾・立石を勧めた。レトロな町で人気があるし、夜の街は若いカップルも多く、『昭和の町』といわれている。これまで、日本ペンクラブの方々を立石に案内すれば、皆さんはずいぶん気に入っていますよ、とつけ加えた。


 新津さんとの話し合いで、6月14日(火)の午後3時から、立石取材の同行を決めた。と同時に、夕方5時からは新津さんのファンとのミニ懇親会をセッティングした。

 待ち合わせ時間に京成立石駅に出むくと、彼女は早めに来て、すでに駅周辺の繁華街を歩いていた。それならば、町なかの案内はカットし、一級河川の中川に架かる本奥戸橋に出むいた。途中で、手焼き煎餅屋に立ち寄った。
 本奥戸橋は古い鉄骨構造だ。近代的な橋にはほど遠い。ところが都内とは思えないほど、この地点は七曲りの蛇行で風光明媚だし、東京スカイツリーが近くに見える。下町の新名所である。そんな説明をした。
「TVロケも使えるわね」
 新津さんは、すでにテレビ化を視野に入れていた。

 駅近くに戻り「葛飾区伝統産業館」にむかった。火曜日は休みだった。下町職人の技と工芸品の展示があり、交代制でつめる職人がみずから工芸の手法から製品化まで説明してくれる。新津さんには絶好の素材だと思ったが、残念だった。

 作中の「指名手配犯にかかわる女性」の住まいはどこにするか。彼女は思案していた。

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荒れた総会の後で、作家たちは親しく歓談=日本ペンクラブ

 2011年の日本ペンクラブ総会が東京會舘で行われた。総会の終了後は、シルバールームで懇親会が行われました。

 阿刀田高さんは日本ペンクラブ15代会長として、二期4年をつとめました。総会が終わり、大役を終えた安堵の笑顔で、スピーチをされていました。

 作品はユーモラスなものが多いだけに、要職を終えると、持ち前の明るさに戻っていました。


  浅田次郎さん(作家)は専務理事から日本ペンクラブ第16代会長に就任しました。会長は決して飾り物でなく、常に会合とか、文化フォーラムとか、イベントに出席します。超人気作家だけに、これからは公私ともにもっとハードになることでしょう。

 むろん、専務理事は実務の総統括者ですから、それも大変なことでした。

         

                   広報委員会・委員の鈴木さん(編集者)

 選挙管理委員とか、ペンクラブの役割が増えてきたようです。現在、私と芸州藩の研究を行っています。


            執行部の理事たち

 写真・左から、中西進さん(古典文学者)、吉岡忍さん(著名なジャーナリスト)、高橋千劔破さん(元歴史編集長、作家)、西木正明さん(直木賞作家)。

 吉岡さんは専務理事に選ばれました。NHK「クローズアップ現代」などで、事件・事故のTV解説で、つねに出演されています。

 


         私(穂高健一)と縁がある人たちです。


 写真・左から、篠弘さん(日本文藝家協会・会長)、伊藤桂一さん(直木賞作家・私の恩師)、穂高健一、眉村卓さん(私が受賞した・自由都市文学賞の選者)。

 撮影:須藤甚一郎さん(芸能レポーターから目黒区会議員)

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大荒れの日本ペンクラブ・総会、作家たちは歯に衣を着せず(下)

 昨年9月には国際ペン東京大会が25年ぶりに開催された。総額2億円の支出があった。成功裏に終わったが、会計処理において、大きな汚点となる、簿外口座の存在があった。さらには予算超過でも理事会の承認もなく進んでしまった。

 執行部は最近まで、簿外口座の報告もなく、その存在を知らなかった。この体質にも問題がある、と会員からは総会で厳しい追求となった。

 公認会計士の調査によると、簿外口座による(個人的な)不正はゼロ。だが、今後において、この体質は問題が多い、と指摘された。


 国際ペン東京大会の文学フォーラムでは、広川隆一さんの「人間の戦場43年」が早稲田大学小野梓記念館で開催された。
 総会で、広川隆一さんが「会計処理が曖昧」と噛みついた。

 故立松和平さん(当時・平和委員長)から平和委員会企画写真展を持ち込まれたとき、「予算がかかると開催が難しい。最小限の予算でやれないか」と要請された。立松さんは故人となったが、その意思を受け止めて「私は切り詰めて、人を介して展示経費を削りに削った、100万円以内で実施にこぎつけた」という。

 ところが、収支報告書には約一千万近い金額が掲載されていた。それを問うと、「日本ペンクラブの歩み」750万円が合算された処理だった。
「こちらの展示は業者任せ。金額があまりにも違いすぎる。そのうえ、会計処理が大づかみすぎる」と怒りの口調で責めた。

 他の複数の質問者からは、「謝罪のみだけではだめだ、ばら撒き体質を作り直すことだ」と迫った。実例として、「使った業者のアルバイト代が一人3万円、残業代が5000円。こんな経費をノーチェックで認めている。日本ペンクラブは会員の会費でまかなわれている、という認識が薄すぎる」と言い、体質改善を求めた。

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大荒れの日本ペンクラブ・総会、作家たちは歯に衣を着せず(上)

 第55回、日本ペンクラブ(阿刀田高会長)の総会が5月25日、東京・千代田区の東京會舘で開催された。議長には山田健太さん(専修大准教授)が指名された。

 日本ペンクラブ(P.E.N)定款の改定の討議に入った。高橋千劔破常務理事から、何年間も改定が延び延びになっていたと言い、その趣旨説明があった。
「重要な定款がながく改定もされず放置されていた、執行部の放漫ではないか」
 鋭い質問がさっそく出た。
「これまでの総会で出席者(委任状を含めて)3分の2の達せず、法的に改正できなかった。今回は会員1860人に対して、1266人の出席が得られた」
 という釈明で切り抜けた。わずか26人超で、参加者の賛成多数で可決した。
      
           厳しい追及を受ける日本ペンクラブの執行部
    
 2010年の決算報告に入ると、メディアでも報じられてきた、「簿外口座」に対して、鋭い質問が飛び交った。

 篠弘監事の監査報告の段階から、国際ペン東京大会で予算に対して、大幅な予算超過(約4000万円超)がある。それにもかかわらず、臨時総会もなく、理事会にもかけず実施したと、監事すらも容赦なく、批判側にまわっていた。

 簿外口座とは世間では通常、不正の温床である。内部けん制の体制ができていない、と篠監事が指摘する。
 ただし、公認会計士の特別調査で、簿外帳簿に関して不正はなかった、という報告書を本日受け取った、と付け加えた。吟味をする余裕はないままに、それを読み上げて紹介するだけである。


 監督官庁の外務省から体質改善の要請があったと、財務委員長が報告する。(注)

「P.E.Nは会員の会費から成り立っている、無駄金に対して、執行部の責任はどうなのか」
 会員が強い語調で迫った。

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大震災の名作にチャレンジしよう=第49回・元気100エッセイ教室

「東日本大震災」の烈震と大津波は、TV映像を通して、世界中の誰もが強烈な印象を受けました。自然災害に対する人間生活の脆さ。「これでもか、これでもか」と繰り返し報道され、観るほどに、心を痛めました。

 大都市・東京でも強震で、多くの都民が恐怖を覚え、帰宅難民となりました。その体験から、数多くの作品が生まれてきています。

 それらが私の手元に寄せられています。殆どが距離感がなく、作者の想いが空回りしています。恐怖の感情用語を声高に並べているに過ぎないものです。却って恐怖が響かず、伝わらずです。
 TVや新聞の報道と比べて、はるかに見劣りしています。

 今後、数年間においてプロ・アマを問わず、「東日本大震災」素材とした、エッセイ、小説の名作品が生まれることでしょう。


 今回は「名作が生み出せる可能性」について、レクチャーしました。

 映像には災害の迫力があり、新聞記事には掘下げがあります。文学の強みは何でしょうか。「災害時の人間を描く」、という強みです。

 大災害に対峙した「人間の何を書くのか」という、徹底した『テーマの絞込み』が大切です。と同時に、『距離感』です。


 大災害を体験したり、大事件に遭遇したり、身内の不慮の死に直面したり。そのまま状況を書くと、体験的にただ説明された、「距離感がない作品」になってしまいます。

 作者が対象(大災害)を客観的に捉え、突き放して、描写文で展開していけば、「距離感が取れた作品」となります。
「うまい文章だな、的確に言い当てているな」「上手に描いているな」「この作者にしか書けない表現(描写)だな」と高く評価されます。


 東日本大震災をどう描くべきでしょうか。大地震がきた瞬間は読み手に最も強いインパクトを与えることでしょう。
 どのように読み手を引き込むか。文章表現で、強い求心力を持たせるか。

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男と女の邪念こそ、生きる原点、長生きの秘訣=渡辺淳一

 日本文藝家協会の総会が5月17日、アルカディア市ヶ谷(私学会館)で行われた。夕刻6時から同会員や出版・放送関係者などの懇親会が開かれた。同会員である渡辺淳一さん(作家・医学博士)が、20分間のミニ講演を行った。


タイトルは「無題」でしたが、年老いても性に対する邪念が大切です、と強調された。講演内容を紹介します。

 男と女の側面でもある、邪念(じゃねん)は正直なものである。
 外科医として病院勤務をしていましたころ、病棟に、ある男性患者がいました。元小学校校長で、半身不随でした。
 女看護師が、「あの患者はいやらしくて嫌だ、先生(渡辺氏)、注意してください」と言われた。朝、脈をとるときは決まって手を握り返す。ベッド周りのことを行っていると、胸元を覗き込む、と訴えてきたのです。

「半身不随の患者だし、胸を見せてやっても、いいじゃないの」
 というと、私は批判されました。
 婦長ともども、策を練り、胸が覗けない制服姿で対応した。すると、その患者は2週間後には死んだ。
「胸を見せていれば、もっと長生きできたはず。見る執念が生きる原点だったと思う」


 女性も同様で、性の邪念がある。大腿骨を骨折した老婆がリハビリで、ハンサムな整体師をなにかと独り占めしていた。「ほかの患者さんもいるのだから」と注意しても、拘泥して指名する。
 イケメンに対する執念から、女性は1か月で完治し、退院して行きました。男にしろ女にしろ、知性よりも、邪念が大切。生きる原点だから、恥じることはまったくない、と渡辺さんは強調した。

 

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日本文藝家協会が公益法人になる=総会で発表

 日本文藝家協会の総会が、2011年5月17日、東京・アルカディア市谷(私学会館)で開催された。同協会は4月1日、公益法人として正式に認定されて登記した。

 「物を書く人(作家、詩人)は、書くこと自体が公益です。それ以外は不得意なもの。今後は、文芸講演会、文学トークイベント、文化庁主催セミナーの支援などの公益活動を活発にし、文化人、文藝愛好家にたいして信用度を増す活動をしたい」と篠弘理事長が述べた。

 寄付者に対しては、税制優遇があり、寄付控除がある。「協会が新設した義援金基金口座が、銀行ですぐにできた。これも公益法人となったメリットがすぐに出た、事例の一つです」

 東日本大震災では日本図書協会から協力を依頼された。同協会は支援の輪に加わり、書籍のコピーやデータ、朗読などの録音、録画データを送信できるようにした。
 本来ならば、それぞれ著者の許諾を必要とするが、入手困難と時期と地域にかぎり、一括して許諾できるものとした。

 青森県、岩手県、宮城県、福島県、茨城県、千葉県の会員は105人(全国の会員・2548人)。被災状況について問い合わせした。42人から返信があった。大小の被害を受けている。会費の二年間猶予など、今後は検討されていく。

 林真理子さんら3人が理事に加わった。

P.E.N.広報委員会の反省会、打上げ会、作家たちは美声を聴かせる

 「国際ペン東京大会」が2010年9月に開催された。会場は早稲田大学・京王プラザホテルなど。ノーベル賞作家、文学者たちの講演会、文学イベントが行われた。他方では国際会議として、諸外国から参列した文学者たちの代表者会議が行われた。

 ホスト役の日本ペンクラブは大会を成功裏に終わらせた。それには阿刀田高会長以下、各委員会・メンバーや会員が精力的に処してきた、という背景がある。

 同会員は、現役の作家、詩人、文筆業、大学教授など、大半がそれぞれ仕事を持って活動し、収入を得ている。
 国際ペン大会に向けて、仕事の一部、あるいは大半を棚上げし、全力投球してきた人も多い。同クラブはボランティア(会場までの交通費も自前)だから、収入減になる。それもいとわず国際文学活動のために尽くしてきた。

 私が所属する広報委員会(相澤与剛委員長)は会報委員会(清原康正委員長)と合同で、一年半、取り組んできた(担当役員:高橋千劔破)。
 
 大会前の広報活動は、報道各社への案内、会員への通知など、処すことが多かった。大開当日は、「日本ペンクラブの歩み」などの展示会、記者会見の対応、そして各セッションに出向き、「記録資料編纂」の取材を行ってきた。

 国際大会が終わっても、記録の整理、執筆などが続いてきた。半年後の現在、記録資料がゲラの段階まできた。
 一区切りついたところで、合同委員会の反省会と打ち上げ会が行われた。

 国際ペン東京大会は25年周期で、日本が受け持ってきた。となると、次回も25年後の可能性が高い。それが共通認識だった。
 この反省会が次回に生かされるにしても、25年後は誰も委員として残っていないかもしれない。個々人が良かった点と改善点を述べ、記録で残すことになった。

 反省会。とともに委員会メンバーの最後の顔合わせ会でもあった。日本ペンクラブ規定で、各委員の任期は2年間である(再選もある)。

 阿刀田会長は2期勤めたが、3期目を辞退している。新しい日本ペンクラブ会長は誰になるのか。
 初代が島崎藤村、正宗白鳥、志賀直哉、川端康成……、と著名作家が続いてきた。次期会長の選任には興味深いものもある。

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第48回・元気100エッセイ教室=マンネリの解消法

 人間は旧態依然とした状態を続けると、けん怠を覚えます。そして、惰性になります。エッセイや小説など文学の創作活動では、筆力が高まり、文章技術が身についてくると、マンネリズムが起こりやすくなります。

 創作の力量は右肩上がりの一本調子で、上達などしません。階段を上るように、一つ上がれば、水平状態になります。そのまま書き続けていれば、力量がふいに一段上がます。そして、その力量で水平状態になります。 

 この水平状態がくせ者です。

 エッセイ作品の素材がいつも日常的なものだと、マンネリズム現象に陥ります。毎回、同じ色合いの作品を書いていると、作品がいつしか平板になり、切れ味が悪く、単調な作品に仕上がってしまいます。上手にはまとめているが、作品に光った部分がなくなります。

 それを如何に打破し、超えていくか。

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【書評】中嶋いづる・作「石文は歌を残した」=東北の悲劇を描く

 東日本大震災はマグニチュード9.0で、地震、津波、原発事故とトリプルの大災害となった。規模と被害は想像を絶するもので、世界的にも震撼とさせるものだ。

 中嶋氏から、「25年ぶりに小説を書いてみました」と、「塵風」(西田書店、900円、2月1日発行)が送られてきた。彼は3、40代頃の小説の習作仲間である。(講談社・フエーマススクール「伊藤桂一教室」で、学んだ友)。
 早めに読みたいという気持ばかり。それが先送りになっていた。開いたのは大震災の後だった。

 
作品は西暦700年代(奈良、平安時代)の東北が舞台である。北に侵攻する大和朝廷に対して、青森、岩手、宮城の蝦夷が立ち向かう、敗者の歴史小説である。朝廷の武力に屈する蝦夷の民の悲しみがテーマとなっている。

 このたび、東北地方は大地震の途轍もない大災害に打ち負かされた。現代の悲惨・悲劇と、作品とどこかオーバーラップしながら読み進んだ。
 
 作者は、邪馬台国が九州説を採っている。その勢力が奈良盆地に拠点を移してきた。日本(ひのもと)と国名を決め、応神天皇を祖とする大和朝廷が誕生する。勢力争いで、奈良を追われた王権がやがて津軽へと亡命していく。

 当時の津軽・蝦夷は一つの国でなく、部族の集まりだった。文字の文明はなかった。粟、栃、山菜、きのこを採り、海では魚介類を捕り、山では熊や鹿を獲る。稗、粟、蕎麦などの雑穀農業が行われていた。

 津軽に亡命してきた王権は、漢字や数学の文化を持ち込み、地場産業だった・製鉄(タタラ)や、古くからの中国大陸や北海道の交易と結びついた。そして、国名を日本中央(ひのもと まなか)と称した。

 西暦789年、蝦夷の800人の騎兵が北上川支流の衣川で、4000人の朝廷軍を川に追い込む、という奇襲作戦で打ち勝った。溺死者は1036人(続日本書紀)。武将の名前はモレとアテルイだった。

 その勝利はつかの間だった。大和朝廷は律令制による中央集権政治を推し進めるために、決してあきらめず、執拗に北部・東北地方を攻めてきた。そこで、朝廷は坂上田村麻呂を中心として10万の大軍を差し向けてきた。当時の日本の総人口は600万人だから異様な人数である。

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