小説家

朝日新聞・書評委員会メンバーの立石ツアー・深夜まで悦に(上)

 直木賞作家の出久根達郎さんから、1月半ば頃に、1通の手紙が届いた。出久根さんはいつもながら和紙で達筆の太文字だ。
 朝日新聞の「書評委員会」の会合で、出久根さんが葛飾・立石の話を持ち出したところ、大いに盛り上がりました。ついては、「立石ツアー」を企画したいので、地元作家の私にコーディネートしてもらえませんか、という内容だった。


 希望日は2月19日(火)だった。

 この日は空いていたので、私は出久根さんに、OKですよ、と電話を入れた。書評委員会のメンバーのみならず、記者、編集委員なども参加するから10人くらいだという。記者などは仕事の都合で、遅れてくる。
 それはそれとして、当日15時から駅前の喫茶室で落ち合い、あとは下町らしいところを見てもらいましょうと、出久根さんもよく知る街だけに、ふたりの間でツアー企画のルートはすぐまとまった。

 数日後、出久根さんから、和紙の手紙がきた。いつも感心するのは切手が絶妙の味がある封書だ。参加を表明したメンバー紹介で、朝日新聞の【読書】では常に出てくる名前だ。

   保坂正康さん(昭和史研究家)
   小野正嗣さん(今回の芥川賞・候補、三島由紀夫賞受賞)
   中島岳志さん(評論家)
   揚逸(ヤン・イー)さん(平成20年・芥川賞・受賞) 
   山形浩生さん(野村総合研究所・上級コンサルタント)
   上丸洋一さん(朝日編集委員)
   原真人さん(同)


 書評委員会メンバーと朝日新聞・記者たちを含めると、13、4人となりました、と記す。私にすれば、日本ペンクラブの仲間には良いぞ、好いぞとなにかと誘いながらも、一方で毎日見慣れている街だけに、「昭和が残る、葛飾・立石はそんなにも好奇心に満ちた街かな」とむしろ驚かされた。

 そういえば、思い出すのは朝日新聞の素粒子を書いていた、轡田隆史(くつわだ たかふみ)さんだ。立石にべたぼれで、私の顔を見ると、「テレビ朝日のニュースキャスターだった、小宮悦子さんも、立石にきたがっているんだよ。派手な顔立ちは似合わず、泥臭い街だからな、まだ実現せずだよ」と話す。その実、轡田さんは友人と立石に通い詰めていると語っている。

 書評委員会の13人となると、とても一人で対応できない。そこは出久根さんのことだ、若いころから古本屋仲間である、「達っちゃく」「岡ちゃん」という間柄の、立石の古本屋の主である岡島秀夫さんに声掛けをされていた。この岡島さんは客商売をしながら、「ケータイ、名刺は持たない。手紙は書かない」と言う、明るく愉快な親父さんだ。

 同日、京成立石駅前の喫茶店には、夕暮前の3時に集まった。同委員会をサポートする、編集長も記者もやってきた。余裕を15分ぐらい見てから、同駅から徒歩2分もない、葛飾区伝統産業館(山中定男館長)に出むいた。

 同館は江戸時代からの技が生きている、葛飾区伝統職人会が運営する。館長、副館長、今回の労を取ってくれた松井喜深子(きみこ・伊勢形紙)さんたちから展示品の説明を受けた。


 出久根さんから事前に参加者に、同館の資料が配布されていた。
 東京桐箪笥 江戸木彫刻 東京仏壇 竹細工 銅版仏画、東京手描友禅 唐木細工、彫金 硝子彫刻 鼈甲(べっこう)など、数々の品が陳列された、

 芸術品的な品物を前にして、メンバーはかなり驚かれていた。それぞれが質問をする。

 全品が手作りで即売している。

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第66回・元気100エッセイ教室=描写力について

 エッセイにおいて、描写文は必要で不可欠な技法です。描写文を上手に書くコツはなんでしょうか。それは対象をよく観察し、作者のことば(文字)で写生することです。
 文章から、読者の想像力を刺激し、イメージを作らせることです。

 描写文と、説明文とは対極にあります。ビジネス文などは殆どが説明文です。叙述文学(エッセイ、小説)では描写文で書き進んでいきましょう。

 作者はよく知っている人、物、事象ほど、説明文で簡単に書いてしまう傾向があります。悪い例として、
『妻は犬の散歩から帰ってきた。そして、買物に行ってくるわ、とスーパーに出かけた』
 と書いてしまうと、読者はどんな妻を連想をするでしょうか。

 作者自身はわが妻ですから、よく知っているでしょう。だが、読者には妻の年齢、顔の特徴、容姿、着るものの趣味などまったくわかりません。となると、読者は概念で考え、月並みな妻のイメージをもってしまいます。これでは人物描写にはなりません。

人物描写のテクニックを身につけましょう

  登場する人物の外観と、性格と、癖とを3つを組み合わせるのがコツです。そうすれば、登場人物が立ち上ってきます。

 ・外観……似顔絵を画くのように、特徴を見出して書いていく

      眉には斜めの傷跡がある 縞柄の派手な服をきた三十代の女性 

 ・性格……長所・短所、際立った精神的な特徴などを書く
 
     図太い性格だ はにかむ態度 見下した口の利き方をする 

 ・癖……言動、四肢の動きなど、瞬時の同じくり返しを取り上げる
 
    緊張すると指をかむ癖がある 話しながらメガネを拭く
  

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第65回・元気100エッセイ教室=作品の盛り上がり

 元気100エッセイ教室の受講生を対象に、最も指導してほしい技法は何んですか。16項目を示し、アンケートを取ってみた。最も多かったのが、『作品の盛り上がり」だった。

 長編小説ならば、「ラストでクライマックスを作りなさい」と前置したうえで、構成(ストーリーの組み立て)を中心に説明すれば、おおかた理解されるものです。

 しかし、エッセイとなると、原稿用紙に換算しても、3-5枚が平均的ですから、この範囲内で盛り上がりを作るには、かなり文章技法(テクニック)を要します。
 
 一般的に、エッセイは誰にでも書けそうな気がするものです。題名をつけて、それに見合ったエピソードを並べていく。ただ、それだけの作品は低調で、面白みがなく、迫ってくるものがありません。つまり、盛り上がりに欠けた作品になるだけです。
 読むほうも、退屈で、ときには苦痛を伴います。
 そんな作品は例を出すまでもなく、世のなかに一杯あります。

 エッセイにしろ、短編小説にしろ、枚数が少ない場合は、「盛り上がり」はどのようにテクニックで創作するべきでしょうか。
 まず書出しから緊張とか、強く興味を引くことからスタートさせることである。

 旅客機に例えれば、滑走路を走っている段階は捨ててしまい、離陸した瞬間の全開したパワーアップから書き出すことです。そして、1万メートルに達した時をもってエンディングにする。つまり、常に上昇させることで、作品が盛り上がってきます。

 プロ作家(級)を除けば、多くの人の初稿はだいたい滑走路から書いています。だから、平板になったり、冗漫になったり、盛り上がりに欠けてしまうのです。ひどいときは離陸せずに終わってしまいます。

「原稿用紙の前1枚分くらいは棄てるのがちょうどよい」
 こうすると、多くの作品は急上昇している最中から運ばれてきます。
 この先は、素材が小さくても、エピソードを積み重ねながら、『読者が先を知りたい、もっと先を読みたい』と運んでいけば、まちがいなく盛り上がってきます。

もっと先を読ませる3大要素

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正月から読もう、出久根達郎著『人生の達人』=楽しんで学べる偉人伝

 正月はTV一辺倒でなく、読みやすい本、手軽な、そしてためになる本を読んでみたいものだ。出久根達郎著『人生の達人』=いい「大人」のための人物伝(中公新書ラクレ440 700円+税)がお勧めである。

 歴史に名を残した人物には、独特の処世術がある。偉業や成功には裏話があるし、失敗の教訓などは大人の人生のためになる、と出久根達郎さん(直木賞作家)は、そう述べている。渋沢栄一、泉鏡花、後藤新平と、どこから読んでも、人生に役立てられる、と推す。

 勝海舟の町歩きでは、「町を歩け。何事なく見覚えておけ、いつか必ず用がある……」と紹介している。鉄砲に撃たれて落馬し、命拾いしたエピソードなども組み込まれている。

 若槻禮次郎は2度、内閣総理大臣に任命されている。若槻は家が貧しくて、中学校も出ていない。上京して司法省法学校を受けたが、「法律が専門の司法省はひねくれているから、論語でなく、孟子を出すに違いない」と山を張って、それを猛勉強したが外れてしまう。総理になる前、陪審法(現代も復活)に大反対をして、国会で草稿なしで4時間の反対演説をした。この記録は現在でも破られていないようだ。日米開戦での御前会議では、戦争反対を唱えた。東条英機が業を煮やしたという。

 大妻コタカは大妻女子大の創設者である。現在の学校案内には「地価日本一の学校」とあるが、コタカは「学校経営を衣食の道としない」と誓った人物だったという。この落差に、出久根さんは目をつけている。

 取り上げられた人物には、一人ひとりに人間ドラマがある。小説の流れのように、次々に読めていく。さすが直木賞作家の筆の力だ。
 登場人物を美化もしていない。人生訓、教訓の押し付けになっていない。人物がしっかり吟味されている。一人ひとりの偉人を吟味しているのだから、短時間で書けない。7年間の連載を一冊の本にしたものである。

 出久根さんは読売新聞の「人生相談」も行っている。当然ながら、相談内容は多岐にわたり、結婚や家庭生活、子どものしつけなどもある。偉人の伝記にも、そうした目線で書かれている内容もあり、興味深い本である。

 筆者が「あとがきにかえて」で、伝記を読む基準は、エピソードが豊富か否かだという。エピソードが多い人物は、癖があって、交際範囲が広い。いろいろな分野の人と交流している。伝記の妙は、人と人のつながりである、と出久根さんは述べている。
 正月から楽しめる良書である。
 
 

第64回・元気に100エッセイ教室=豊かな表現力

 人はなぜ時間をかけてエッセイや小説を読むのでしょうか。テレビや映画を観ている方がフリーで楽なはずなのに。
 その一つに、読み手は自由に、自分好みの作品を選べるからです。文字から得た内容が、私たちの頭にある脳細胞のスクリーンに描けるし、人物の心理までも読み取れるからです。
  
 エッセイや小説などを読めば、読者は楽しんだり、感動したり、涙したり、情感豊かに心を刺激してくれる。さらには長く記憶にとどまるからです。

 ただ、文章や単語がぶっきら棒すぎると、映像化が難しくなります。文章が説明調になると、なおさらイメージが浮かびにくくなります。強いては読み手の負担になり、読んでいる途中で嫌になります。

 エッセイや小説を創作する人は、読み手の脳裏スクリーンを意識した書き方が重要です。それには豊かな表現力を身につけることです。
 
   ・ 駅から男がやってきた。

   ・ 港から船が出航する。


 どんな駅かどんな男かもわからない。ひとまず新宿駅を描いてみる。
 どんな港か、客船船か貨物船か、それすらもわからない。読者なりに横浜港あたりを頭脳スクリーンにイメージしてみる。
 それがまったく違っていた場合はどうなるでしょうか。


   ・ 奥多摩の無人駅から、登山姿の40男がやってきた。

   ・ 夜が明けた入江の漁港から、釣り客を乗せた船が出航する。  


 読者は脳裏スクリーの描き直しになります。これがくり返されると、義理で読む場合を除いて、作品は途中で放棄されてしまいます。
(ミステリー小説の場合は、意図的に豊かな描写を避けることがあります)

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美人ストリッパー(作家)と文学談義で盛り上がる=スカイツリーで裸身を

 日本ペンクラブ主催「ペンの日」のパーティー会場で、作家・高橋克典さん(日本作家クラブ専任理事)から、ふたりの女性を紹介された。高橋さんが主幹する同人誌『ZOWV・ゾワヴ』のメンバーである。私は前々から、「同人の在日の金子京花さん、もう一人は牧瀬茜さん。2人の作品の講評をしてあげてほしい、将来性がある人だから」と高橋さんから言われていた。
 同パーティー会場で、初顔合わせだった。

 牧瀬茜さんの名刺には、『表現者・ストリッパー・作家』と表記されていた。ペンネームは「時羽七知」である。元ストリッパーなのかな、と思った。現役で、とても売れっ子で、追っかけがいる。この道ではとても有名だと、金子さんが教えてくれた。

 私の受講生だった純文学作家を目指す女性が、ストリッパーを取材し、それを作品化していた。それを思い出し、話題にしてみた。
『売れない二〇代の女性ストリッパーが、ヒモの男性と暮らす。舞台でぺちゃな乳房を侮られても、生きていくためには、劇場の便所掃除婦へと落ちていく。座長の人間性もよく書けていた』と私は説明した。

 その作品を読んだときには、すごい取材をするものだな、と感心させられた。ある文学賞の選考の上位まで行っている。
「狭い世界ですから、誰に取材したか、それがわかれば、顔はわかります」と牧瀬さんが話していた。

 PENのパーティーが終われば、決まって二次会だ。高橋さんとは出版の用件があるので、小中さんグルーブのメンバーとともに、東京會舘に近い居酒屋に行った。
 牧瀬さんを中心に盛り上がった。彼女は「ストリッパーに誇りを持っています」と堂々と話す。父親がTVの放送作家だった。元NHK・小中さんは番組名から、わかったようだ。

 彼女がこの道に入った動機を話す。路上でアクセサリーを売っていたある日、ストリッパーの人が買ってくれた。劇場に観に行くと、気持ちよく、美しく脱いでいた。これは私に似合った職業だと一瞬にしてひらめいたという。

 日本中の劇場で、ストリップで表現する、職業の魅力を語る。彼女には自信と誇りが満ち溢れている。私がイメージしていた暗さ、引け目など、みじんもない。からだで芸術を語る。すごい価値観だと感慨を覚えた。
 

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ドナルド・キーン講演「90歳で日本に帰化・うれしい」=ペンの日

 11月26日、東京・千代田区の東京會舘で、「ペンの日」が開催された。1935年11月26日に、国際ペンの組織の下に、島崎藤村が初代会長として創立された。毎年、この日を創立記念日「ペンの日」として祝っている。会場には、全国から会員や来賓者が多く集まった。

 PENが発足当時の日本は、満州事変、国際連盟を脱退し、国際的にも孤立していく、暗い時代だった。さらには日中戦争、太平洋戦争へと突き進んでいく。
 と同時に、治安維持法などで、多くの作家が言論弾圧を受けた。それでも、『言論の自由』『戦争反対』の二つを柱とする日本ペンクラブが存続してきたのだ。

 なぜ戦後まで存続できたのか、と私はいつも不思議に思う。最も早くにつぶされてもよい団体なのに。そこに文学精神の強靭さがあるからだろう。

 国際ペン(本部・ロンドン)は、「獄中作家」の支援を行っている。21世紀でも、世界を見れば、ノーベル賞の受賞者でも、自宅軟禁とか、獄中の作家が今なおいる。信念を曲げず、体制に屈しない。つよいな、と思う。そういう作家が戦前、戦中にも日本にもいたから、日本ペンクラブが存続したことは間違いない。

「日本ペンは設立してから、77年が経ちます。喜寿の日です」
 浅田次郎・第16代会長があいさつした。77年間の先輩諸氏の作家たちを讃えていた。

 会場内には、篠笛が厳かに演奏された。そして、紹介されたのが、ドナルド・キーンさん(1922年生まれ)だ。20分ていどの講演が行われた。

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第6回・歴史散策・文学仲間たちと=御茶ノ水・神田

 日本ペンクラブの広報委員会、会報委員会の歴史作家、歴史好き作家、文学者の7人がごく自然にできた、「歴史散策」は6回目となった。11月7日(水)午後1時、JR御茶ノ水駅・聖橋口が集合場所だった。そして、御茶ノ水・神田界隈の歴史ある場所を回った。

 私はそれに先立つこと、都営線・蔵前駅で電車が止まり、少し遅れた。日本の電車は世界に誇る正確な交通機関だったが、最近の都心部の電車はしだいに時間が読めなくなってしまった。「線路内に人が立ち入った」という表現を聞くたびに、うんざりさせられる。誰がいつ、どんな理由で、どの路線に立ち入るか、こればかりはまったく読めない。待ち合わせ時間に5分、10分早めに出かけたところで、この言葉に出会うと、もっと長い時間を要する。
 ときにはローカル列車に一本乗り遅れたよりも、不快感がつのることもある。

 お茶の水駅をスタートした歴史・仲間は、聖橋を渡る。眼下には神田川が流れる。のぞき見るが、きょうは船の往来はなかった。

「湯島聖堂」に入る。文学にたずさわる者ばかりだから、聖堂と孔子からはじまる、案内板をじっくり読み込んでいる。德川綱吉の時代には儒学が盛んになり、聖堂ができている。その後、幕府直轄の昌平坂学問所(昌平校)の開設された。こうした時代の出来事なども語り合う。
 歴史は誰もが強いから、話題が途切れることはない。

 「神田明神」へと向かう。同神社の鳥居の手前で、甘酒屋の老舗「天野屋」があった。皆して迷わずに入ると、古風な雰囲気で、古い時計や鉄道関連品が店内装飾になっていた。
 甘酒は50円高かった。「冷えたビールが常温よりも高い時代があったな」そんな話題も出てきた。

 神田明神は広い境内で、「神田祭は江戸の三大祭よ」と山名さん(歴史作家)が他の祭りを含めて説明する。
 敷地内の千代田区指定「神田の家」(遠藤家)の邸宅に出向いたが、中に入れず、外観を見たにとどまった。そこから屋上庭園を経由し、おなじ境内の「銭形平次の碑」まで行った。作家と出版社が発起人が銘記されている。文芸評論家の清原さん(会報委員長)がくわしく説明してくれる。

 急勾配の男坂を通り、湯島天神に向かう。「妻恋坂」の交差点を横目で見る。「素敵な地名ね」と新津きよみさん(推理作家)が随分気に入っていた。「ミステリーのなかで使ったら」という話をしながら、湯島神社に入る。菊展が開催されていた。梅は有名だけれど、秋には人寄せで、菊展をするのかな、と思いながらも、周囲を見ると、「学問の神様」だから、学生の参拝者が多い。
「猿回し」でしばし笑ってから、次の目的地、ニコライ堂に向かう。

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NHK大河ドラマ『八重の桜』の先取り講演・清原康正氏=鎌倉

10月27日(土)午後1時から、鎌倉・故早乙女貢さん邸宅で、清原康正(きよはら・やすまさ)さんの講演が行われた。タイトルは、「早乙女人脈の広がりと『明治の兄弟』~NHK大河ドラマの主人公」である。
 清原さんは著名な文芸評論家で、日本ペンクラブ・会報委員会の委員長である。同志社大学大学院卒。大河ドラマ『八重の桜』の主人公である新島八重は、新島襄(同志社大学設立)の妻であるから、興味深い講演だった。


 私は昨年の秋に、会津に取材で出向いているし、戊辰戦争に関しては常に関心を向けている。この戦争は何だったのか。江戸時代の260年間一度も海外と戦争をしない平和国家から、戊辰戦争で、明治政府は戦争勝利品の味を覚え、海外派兵の戦争国家になっていったという認識が強い。

 ことし9月初めころ、清原さんから、「早乙女邸の講演に来ない?」と誘いを受けた。会津の新島八重の話だというので、一言返事で出向いた。

 京都人の清原さんの視点だから、薩長と会津とに対して公平感があった。私には好感が持てた。

 これまで「会津落城」となると、とかく悲劇の美化とか、史実の歪曲が多く、鼻持ちならない話が多く、あまり好きになれなかった。
 会津城を攻撃したのは薩摩藩と土佐藩だった。会津が白虎隊の悲劇を含め、憎むべきは薩摩、総大将の板垣退助・土佐藩なのに、「会津は長州を憎し」と作り上げている。
 これらは枚挙に厭わないし、聞くだけでうんざりさせられてしまう。

 清原さんは、会津落城とせず「会津開城」として説明していた。
 
 新島八重は会津砲術師範の娘として生まれている。羽織袴を着て、刀を差し、城に立て籠もり、戦った人物である。洋式砲術にも堪能で、スペンサー銃で戦い、幕末のジャンヌ・ダルクとまでいわれた女傑である。

 開城後は、京都・薩摩屋敷に囚われていた、兄の山本覚馬(かくま)を頼って京都に行き、そこで新島襄に出会うのだ。清原さんはこうした流れから、なぜ京都か、それを詳しく説明する。

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日本ペンクラブのメンバーが葛飾・立石の魅力を語る=11月17日(土)

 東京・葛飾区は区制が敷かれて、今年で80年を迎えました。80周年記念行事の一環として、「かつしか区民大学」の特別講演会が開かれます。

 タイトル : 日本ペンクラブのメンバーが『下町葛飾・立石』の魅力を語る

 パネラー: 吉岡忍さん(ノンフィクション作家)

        出久根達郎さん(直木賞作家)

        轡田隆史さん(元朝日新聞論説委員)

        吉澤一成さん(日本ペンクラブ事務局長)

        新津きよみさん(推理小説作家)

        穂高健一(葛飾立石在住・作家)

 6人による、パネルディスカッションです。 各パネラーが思いのまま「昭和が残る葛飾立石」を語ります。私(穂高)はコーディネーターを行います。


 開催日:11月17日(土)午後2-4時(開場は午後1時30分)

 場所:ウィメンズパル(立石5-27-1)

 最寄駅:京成立石、あるいはお花茶屋駅

 費用:500円

 対象:200人 どなたでも

 申込み方法:往復ハガキまたは電子申請
         「特別講演会」、住所、氏名(フリガナ)、年齢、電話番号と明記

         〒124-8555
         葛飾区役所 教育委員会・生涯学習課

         11月8日(木)必着です。多数の場合は抽選となります。
 
問合せ: ☎03-5654-8475(直通) 03-3695-1111(代表) 内線2735、2736

          写真はかつしか区民大学情報誌「まなびぷらす」より
   
          広報「かつしか」10/15号にも案内が掲載されています。

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