小説家

第63回・元気100エッセイ教室=「私の性格」を書こう

 エッセイは、「私」を描くことである。他人(身内・きょうだいを含めて)をせっせと書いても、それは薄っぺらな作品になる。ときには雑談でしかなくなる。


 「私」とは私の性格である。

 出来事、事故、事件は、ほとんどの場合は当事者の性格に起因している。
 悲しい出来事でも、愉快なエピソードでも、思わぬ失態でも、見事な解決でも、「この性格だから、このように発展したのだ」と書き進めば、読者は読む必要とか好奇心とかを呼び起こさせる。と同時に、説得力も生まれてくる。

 反面、出来事だけを書くと、どこにでもある話だ、「私」の心の奥底を見せない、本音が語られていない、上辺だけで書いている、と評価が低くなる。
 あげくの果てには、顔見知りの親しい読者だけが喜んでくれる作品に陥り、普遍性がなくなる。


 人間はとかく「他人に対する観察力」は強い。けれど、一方で、「他人から見た、私自身は解っていない」のが常だ。
 作者が頭で考えるままに書くと、まわりの人物は描けても、「私」はほとんど書けておらず、最悪は「この作品は人間が書けていない、駄作だ」という評価になってしまう。
 だから、意識して「私の性格」を書き込む必要がある。そうすれば、好感度の良い作品が生まれてくる。


「私の性格」の書き方

① 書く対象・出来事を前にして、「私は見劣りがする、拙劣な性格ではないか」と、一度は他人(対象)の眼からネガティブに「私」に疑問を向けてみる。


② 書きはじめると、周りの相手(人物)は持ち上げ気味に、「私」は下げ気味に展開させる。それでちょうどバランスが取れる。


③ 上から目線、教える、演繹的な文体(押し付けの文章)は排除していく。


④ まわりの者から(会話文などで)、性格を言わせると、効果がある。


「キミは傲慢だよ。だから、仲間が誘いたくなくなるんだ」

「あなたの気性はまわりを傷つけているのよ。解ってないよね」

「講釈が多いわりに、肝心な時に逃げてしまう、そんな性質があるよ」

「明るい性格に見えるけど、自分の本音を出していないんじゃない」


⑤ 性格を比喩で表す。(だだし、的確でないと失敗作になる)

・折れ曲がった私の性格。
・意地と根性のネジが緩んでいる私。
・ブレーキが利きにくい気質。
・私自身が持て余す私の性格。
・浮世ばなれした私の性格。

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山名美和子著「戦国姫物語―城を支えた女たち」の出版記念会

 10月10日、東京・銀座クラッシクホール(銀座ライオンビル6階)で、歴史小説作家の山名美和子さんの出版記念会が開催された。

 著作は「戦国姫物語―城を支えた女たち」(鳳書院・本体1,600円)である。波乱の生涯をおくった、姫たちのドラマ60篇が収められている。

 同発起人代表は西木正明(直木賞作家・PEN常務理事)で、「彼女は自分の足で、全国の城を訪ね歩き、戦乱に生きた女性たちの歴史秘話を丹念に取材して書き上げた秀逸な作品です」と紹介があった。
 発起人はPEN側として浅田次郎(会長)、吉岡忍(専務理事)、高橋千劔破(常務理事)ほか、私を含めた6人と、丸山晃(埼玉新聞社)である。

 山名さんは挨拶のなかで「取材で、多くの城をめぐりました。かつて戦いの砦だった城に歳月はながれ、なお残る華麗さに目を奪われ、あるいは埋もれた歴史に哀愁を誘われます」と述べた。

 城は戦いや天災、江戸時代の一国一城令、明治の廃城令、そして空襲により、多くが失われましたが、土塁や石垣を吹きすぎる風の音、せせらぎに耳を傾けると、往時の人びとさんざめきが聞こえてくるようです、と話す。

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いつも、いざという時も、1人では生きられない=「元気に100歳クラブ」誌

 100歳まで生きよう。それだけではダメで、元気で100歳まで生きてこそ、人生が豊かになる。その趣旨で2000年に「元気に100歳クラブ」(代表幹事・和田譲次)が発足した。
「元気が最高のボランティア」の旗の下に、現在の会員数は全国で約250人である。
 北海道から九州まで、本支部において勉強会、レクレーション、パソコン教室、趣味の会など、幅広く展開されている。

 その一つに出版活動がある。毎年1回は、単行本形式のクラブ誌『元気に百歳』が発行されている。

 10月10日には、『元気に百歳』第13(夢工房・本体1,200円)号が発行された。同会員の58人が執筆している。


巻頭言  「長寿ギネス記録カルマンさんの生まれ故郷を訪ねて」(白澤卓二・医大教授)

インタビュー「好奇心ガール、これからの挑戦」(笹本恒子・写真家)

ゲスト寄稿 「夢実現の法則」(吉村作治・エジプト考古学者)

 同    「傾聴と祈り」(日比野則彦・サックス奏者)

 同    「来るべき大地震に備えて」(青木元・気象庁)


 会員はジャンル別に掲載されている。

『人と出会い支え合う』
        「永遠に生きよ、五葉松」(児玉朝能) 他13名
『自然と共に支え合う』
        「津波てんでんこ」(板倉宏子) 他8名
『言葉響き支え合う』
        「言葉の力―私が救われ支えられた言葉―」(豊田勝子)他8名
『命育み支え合う』
        「みかんの花咲く丘」(喜田祐三)他10名
『友と語らい支え合う』
        「旧い友達」(中西成美)他4名
『心耕し支え合う』
        「『元気に百歳』クラブ俳句サロン『道草』」(住田道人)他9名 
 

 私は同クラブから「エッセイ教室」の講師を依頼されて、もはや6年余り。受講生たちの良品が数多く掲載されています。(穂高健一は未掲載)。

ミステリー小説「海は燃える」が最終回

 小川知子さんは私の中学時代の担任(国語)だった。習字の時間には「自分の名前ぐらい練習して丁寧に書きなさい」と叱責された。国語の時間には「作文は上手ね」と褒めてくださった。

 私が30歳のとき腎臓結核で長期入院となった。全集などばくぜんと読んでいるだけでは、日々が面白くなくなった。何かできることがないかな。そう考えたとき、中学生時代には作文を褒められた、という記憶がよみがえってきた。
「小説でも書いてみようかな。身体を動かさなくても、寝たまま頭を使えばいいんだから」
 そんな動機から始まり、こんにちの作家稼業へと結びついた。

 ミステリー小説『海は燃える』の最終回・「17夜祭」が、隔月誌「島へ。」68号(10/1発売)に掲載された。同誌53号(10年5月1日発売)から16回にわたって連載してきた推理小説である。

 美大生の誘拐事件からスタートし、中盤ではいじめ事件を絡ませ、終盤では真犯人と対峙する殺人事件へと運んで行った。

 推理小説はこれが書下ろしならば、伏線とか、証拠品とか、犯人の遺留品とか、最初からもう一度書き直せる。しかし、連載となると、すでに本は発行されているから、さかのぼって書き直しができない。それが厳しい。
 犯人に結び付くだろう、証拠品、発言、目撃者をあらかじめ配置しておくのだが、当初の「作者の想いや考え」とは違い、登場人物が勝手に動きだす。
 最初の「あらすじ」など、途中で吹っ飛んでしまうから、なおさら厄介だった。

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第62回・元気100エッセイ教室=「対比法」で書こう

 叙述文学とはなにか。小説にしろ、エッセイにしろ、人間を書くことである。

 人間は一人ひとり様ざまな性格をもっている。親兄弟でも、容姿も違えば、考えも行動も違っている。「私」とはあらゆる面で違っている。まして、他人ともなれば、顔や形も違えば、趣味も違う。そこをしっかり観察することである。

 エッセイの善し悪しは、それぞれの「性格の違い」「考え方の違い」「行動の違い」をどのように描けるかにかかってくる。「違い」に的を当て、掘り下げる、と良質のエッセイが生まれてくる。

 日常生活の出来事、事件や事故の遭遇、奇異な出会い……、それがどんな奇抜で珍しいことでも、『人間の違い』が描かれていなければ、単なる紹介文(記事的)で、読み手には、「そんなことがあったの」という淡白な読後感になってしまう。

「違いを書く」とはいかなる方法があるか

 それは「対比」することである。対比が極端に違うほど、読み手は求心力を強める。

①私と登場人物の「性格の違い」がとくに重要である。人の動きにまで及ぶ

②ひとつ場面で、過去と今回の違いを比較させる。読み手の理解度が高まる

③まわりの人物の容姿、着衣、着こなしなどを比較する。人物が立体的になる。

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第42回地上文学賞『千年杉』が日本ペンクラブ・電子文藝館に転載

 私がはじめて文学賞を受賞したのが、1995(平成7)年1月の第42回地上文学賞
『千年杉』です。受賞作が月刊誌『地上』に掲載されました。その作品を日本ペンクラブの電子文藝館に転載しました。

 同誌に掲載された、4人の選者の選評(千年杉のみ)をここに掲載します。

井出孫六さん

 留学経験を持つエリート商社マンが、混血の孤児たちを連れて過疎の村に行き、風倒木を使って孤児たちの空間を建設しようと苦節する物語。
 村人たちの陰湿な妨害に悩まされつつも、千年杉が倒壊し、山津波が呑まれていく日、風倒木の家だけが難を逃れたのを知って村人たちは主人公を前に土下座して謝る。前半の展開の不十分さにもかかわらず、後段で畳みこんでいく神話的手法の寓意性が他の作品にぬきんでて、受賞をもぎとったといってよい。 


伊藤桂一さん

 受賞作「千年杉」は、一般に農民文学のテーマとなる、過疎、嫁不足、後継者問題、出稼ぎ、減反、風水害等と全く違って、東南アジア難民の孤児数名を連れて、田園生活の中でこれら孤児を育成しようとする、主人公夫婦の健闘ぶりを描いている。
 後味のすがすがしさは、主人公の、いかなる苦難にも耐えてがんばってゆく生き方の姿勢と、その志の故だろう。こうした、自分たちの欲得を離れて、社会のために尽くそうとする、主人公の心意気を描いた作品は、この賞ではめずらしい。細部においては、気になる点もないではないが、精一杯力をこめて、ドラマチックに仕上げてあって、読んでいておもしろかった。


長部日出雄さん

 千年杉は、すでにテレビドラマ化できそうな現代性があって、
1.若者に支持されること
2.とりわけ若い女性を惹きつけられる魅力があること
3.世界に通用すること
 以上の三条件を、かなり満たしていると思う。
 日本とってこれから避けられない国際化の問題を、山村に持ちこみ、しかも歴史と環境の象徴である千年杉と結び付けて、未来への方向性をさぐろうとした着想がよく、冒頭からの伏線を生かした劇の組み立てもうまい。
 こういう作品に目をつける野心的なプロデューサーはいないものだろうか。


平岩弓枝さん

 受賞作『千年杉』は、なによりも登場人物の性格や行動を説明でなく、事件の進行に従って、無理なく読者に理解させようとしていることで、全体がすんなりとまとまっているのが読みやすかった。
 ただ、この作品の最大の欠点は、この主人公が何故、これほどの犠牲を払っても、外国人孤児を育てることに熱中したのか、その動機について書かれていない点である。
 主人公は高校時代から留学経験があり、堪能な語学力を生かして貿易会社に勤務していたというので、それだけの人生を捨てて、孤児の施設づくりに取り組もうと決心したきっかけはなんだだったかをしっかり書いてあると、この作品に説得性が出て来るし、魅力が生まれたと思う。
 出来れば、この作品が活字になるとき、その部分を書き足されては如何なものか。おそらく、作者は動機について考えられて居られたに違いなく、それを書きそこなったのではないかと思う故である。

  【作者・注】平岩さんのご指摘が、編集部の加筆許可となりました。施設づくりのボランティア精神が生まれた背景を加えたうえで、作品が世に出ました。


※「受賞の言葉」が同誌に掲載されていましたので、一部抜粋をしてみました。
 
 2年余りの闘病生活。その病床で小説を書きはじめてから苦節10年を目標にやってきました。が、さしたる成果はなし。さらに鳴かず飛ばずだった苦節に20年の区切りがきた今年、地上文学賞の受賞でした。じつに嬉しく思っています。
 千年杉を書くにあたって、わが国の国際化が進めば進むほど、孤児の問題が拡大すると予測し、その一方で農林業家がかかえる村おこしの問題とからませてみました。

掲載作品はこちら、日本ペンクラブ・電子文藝館・『千年杉』をクリックしてください。

第61回・元気100エッセイ教室=心理描写を書こう

 エッセイは身の回りの出来事や事実をそのまま書くだけ、それでは完結しない。そこに心理をつけ加えて書くことで、人間らしい作品として共感・共鳴、さらには感動へと近づけられるのである。

 叙述文学(エッセイ、小説)において、大事なのは文章である。描写が文章の基本である。そのなかでも、最も重要なのが心理描写である。それはなぜか。人間は行動を起こす前には、必ず考えるからである。それら考え、心のなかを綴るのが心理描写である。

人間は常に自分の立場でものを考えている。
「迷い、打算、思惑、勝算、相手の心の読み」
 行動を起こす前、それらが脳裏を渦巻く。あるときは悩み、神経をすり減らし、考えた末に行動を取らず、見合わせることもあるだろう。
 博愛的な、他人のことを常に思う、心温かい人と高く評価される人でも、全思考の96%以上は自分の立場でものを考えていると一般にいわれている。

 大事故や災害に巻き込まれた瞬間ですら、人間は「死にたくない、助かりたい」という咄嗟な考えから、四肢が連動して動く。一瞬の危機でも、考えなくしての行動はないのである。

 エッセイの心理描写を書くとは、それら行動に及ぶ前の考え、想い、気持ちを取り出し、文字化することである。つまり、「私」の心に容赦なく手を突っ込み、心の想い、考えを取り出す、作業である。
 こうした心理を的確に描くほどに、「人間って、こういう行動のとき、こうも考えるよな」という普遍性に近づいた、よい感動エッセイとなる。
 ところが、[私]の心は実に厄介で、つかみにくく、得体のしれないものである。多くは自己中心に考え、自己本位に満ちている。負とか、マイナス面は隠そうとする。愚かで、いかがわしい存在である。

 この心理描写がなかなか書けないのである。つい逃げてしまう。あげくの果てに、上辺だけ、建前でエッセイを書く。すると、読者は悧巧だから、「書くべきところを書いていない」と作品を見下してしまう。
 

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第5回・文学仲間たちと『谷根千(やねせん)』を歴史散策、そして居酒屋 

 日本ペンクラブの広報委員会、会報委員会の有志がごく自然に、3カ月に一度は集まり、歴史散策している。第1回目は昭和の町・葛飾・立石だった。そこで意気投合し、次なるは小江戸の川越、浅草・隅田川、深川・門仲と歴史的な町を散策してきた。

 こんかいが何回目か忘れていると、新津きよみさん(推理小説作家)がメールで5回目です、と教えてくれた。7人のメンバーが同一日に集まれる日取りとなると、ピンポイントの1日のみで7月11日(水)だった。集合場所は、日暮里駅と決めた。井出さん(PEN事務次長)は急に担当委員会が入り、不参加となった。総勢6人である。

 谷根千(やねせん)とは谷中、根岸、千駄木の地名の総称である。明治時代から文豪たちが好んで住み、それら情景を作品に取り入れてきた。文学散策のコースとして人気がある。
 清原さん(会報委員長、文芸評論家、歴史家)がコースを選定する。


 日暮里駅前から、整備された石畳の御前坂を登っていく。セミが鳴く。女性陣の山名美和子さん(歴史小説家)と新津さんは日傘を手放せない、つよい夏日差しだった。と同時に、水分・アイスクリーム補給である。

 通りの右手の経王寺(きょうおうじ)は、1868(慶応4)年の上野戦争の時、彰義隊を匿ったために、政府軍の攻撃を受けている。
 現在も、砲弾を受けた珠の傷が寺門に残っていた。

 谷中の商店街は、古い建物のデザインを残しながら、観光的にも整備されている。物珍しいものが多い。「錻力屋」(ブリキや?)という店構え、鉄製の灯籠、薬膳カレー、とか目を凝らせば、ひと昔前の日常生活の店が並んでいる。

 赤穂浪士ゆかりの寺、谷中七福神の寺なども、足を運んでいく。


 平成4年に『まちがど賞・台東区』を受賞した、観音寺の築地塀.は見応えがあった。屋根瓦を葺いており、黒色を基調とした、横縞模様が重みを感じさせてくれる。塀の長さは約50メートルくらいだった。

 この辺りには土壁でなく、木製の格子造りで屋根を葺いている、真新しい塀があった。新旧の町の変化が感じられた。

 路地で横たわる猫が多い町である。猫を素材とした、置物販売店もある。

 全生庵墓地には、剣豪で、なおかつ江戸開城の功労者だった「山岡鉄舟」の墓がある。もう一人、落語中興の祖として有名でな、初代三遊亭円朝の墓もある。
 円朝の囃子が新聞で、言文一致体(口語体)で載ったことから、それ以降の文学に大きな影響を与えた人物である。

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第60回・元気100エッセイ教室=漢字の巧い使い方、こだわり方

 エッセイ教室が60回を迎えた。8月と12月を除いた、年10回の講座であり、ちょうど丸6年間つづいてきた。ロングな講座になったものだな、とある種の感慨がある。と同時に、毎回9割以上が提出であるだけに、意欲に満ちた、熱心な受講生ばかりである。
 この講座を受け持った6年前のことだった。事務局から「元気に百歳クラブ」の首都圏エリアには130人余りのうち、107人がパソコンができます。エッセイ教室はメールで作品を送れる人に限定したい、と提案された。生原稿を読むのは負担がかかるので、ありがたい、と思う一方で、知的レベルが高いな、と驚かされたものだ。
 政府がIT国家の旗を振り始めて間もないし、60歳代以上のパソコン拾得者は皆無に近いと言われていたころである。
 他のカルチャー教室では、とかく「作品が書けない、書けなかった」と未提出者の言い訳をする人がいるものだ。「書けない理由はいくらでも簡単に見つかる。つねに、書ける素材と、書く時間を見つけなさい」と聞く耳を持たない態度を取ってシャットアウトしている。

 このエッセイ講座では、それが一度もない。ともかく、海外など行く、特殊な事情を除いて、全員が提出してくる。  レクチャーの実践的から、毎回、事前に「演習」を出している。『宿題ではありません』と記しても、全員がやってくるので、もはやその明記も止めた。
 全員が熱心に60回まで、推し進めてきた。まだまだ創作意欲に満ちている。

 今回は、「漢字の巧い使い方、こだわり方」について、講義をおこなった。
 
 エッセイは文学ですから、作者の表現・表意が優先されます。教科書の記載とおり、文部省が決めた「常用漢字」にこだわらないことです。と同時に、エッセイは漢字の難易度を競うものでなく、内容を味わうものです。

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私小説の書き方=「私でも小説が書けますかね」という質問から

 私は目黒学園『小説の書き方』、よみうりカルチャー・金町『文学賞を目指す・小説講座』で、指導している。
 ある会合で、多少の面識があるひとからふいに、「私でも小説が書けますかね」と質問された。芥川賞が、学歴を問わないところで受賞者を出している。そこからの話題だった。
「あなたが人まえで、自分の愚かさと醜さをさらけ出す勇気があれば、小説は書けますよ」
 そう話したが、理解できない顔をされてしまった。
 すこし言葉足らずだったかな。
「小説はストーリーだと思っているんでしょ。無関係だとは言いませんが、東京から函館に往って復ってきた、それだけでも小説になります。シナリオライターは演技者用に書きますから、ストーリーは重要です。でも、小説は人間の心理が書けることです」
 そう説明した。

私小説の書き方
 それを徹底して学ぶことからはじめれば、小説家への最も近道です、とつけ加えました。


 人間は、だれもが「私の人生」という海で泳いでいます。無意味な現象や出来事やムダはひとつとしてありません。(死まで)完結もありません。過去からすべての出来事がいまの「私」の人格を作っているのですから。
「私の人生」のなかから、話題(素材)、人物、場面を釣り上げて書く。それが私小説です。


 あなた自身の醜い心が書けますか

 小説を書くからには、『水準以上の作品が書きたい』、その能力を身につけたいと考えるはずです。
 それには「私」の心理描写を赤裸々に書けることがとても重要です。

 だれもが「私」の心のなかに必ずや、いやらしさ、醜さ、善(よ)くない気持ちがあります。「私にはこんなにも醜いところもあります」と心の隅々を書くことです。
 ストーリーの運び方、学び方ではありません。小説を書くならば、私自身を描くことから始めるべきです。

 愚かな「私」の心が書けたとき、「読み手をつかまえる」小説技法が身についたことになります。
 
 反面、「私」の愚かさを棚上げにした、素晴らしさ功績、日々の幸せ感、異性にもてる、金銭が満たされる、家庭円満の姿などは書きやすいのです。苦しまずして書けるのです。だけど、読み手が逃げてしまう作品です。
 書くほどに、文章は上手になりますが、駄作の連続になります。しかも、読者は感情移入して最後まで読んでくれず、挙句の果てに、あなたは筆を投げ出すことになります。
 小説家を目指して頓挫した人の大半はこのパターンです。


 コンプレックスを書けますか

「実に苦しくて、恥ずかしく、逃げ出したくて、つらい。こんな私をさらけ出すなんて、泣き出したいくらいだ」
 こうした苦しみの下、私の心の奥底を書き終えると、妙にすかっとした喜びをおぼえます。と同時に、物怖じしない勇気が生まれます。
 こうした作品を書き続けるうちに、やがて読者が感銘や共感を呼び起す、あるいは読者が涙して読むような、感動作品を創りだせる能力が身についてきます。

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