A020-小説家

P.E.N.メンバーが『昭和の町』葛飾・立石の探求

 「昭和の町」葛飾・立石は、下町の風情がたっぷり残る。8月9日、日本ペンクラブのメンバー7人が集まった。同日は30度を越す、猛暑。気温が高い午後3時に京成立石駅の改札に集合した。

 古い町なみの探索、歴史研究、さらに人気急上昇の居酒屋での飲み会。それらが楽しみで、遠方から集まってきた。
メンバーは吉澤一成さん(事務局長)、井出勉さん(事務局次長)、清原康正さん(会報委員長)、相澤与剛さん(広報委員長)、新津きよみさん(推理小説作家)、山名美和子さん(歴史小説作家)、それに私である。

 女性作家2人はすでに町中を散策してきたといい、汗をたっぷりかいていた。
「暑い、まず軽くビールといこう」
 清原さんが即座に口火を切った。
 繁盛店『うちだ』では、暖簾の外に数人が待つ。こんな時間でも、客が並んで待っていると、驚嘆していた。開店前は20人ほどが両サイドの出入り口に並んで待っていますよ、と教えた。

 店内接客は最上だ。5分ていど待つうちに、7人一同が一つテーブルに着けるように、上手に席を作ってくれた。「モツ煮」は柔らかくておいしい。野菜類がまったく入っていない、とそれぞれが評している。  一皿180円X皿の数=支払い代金。男性が壁面の早見表に関心を寄せていた。
「初めて、モツ煮を食べたわ」という山名さんは、みんなからお嬢さん育ちだな、と冷かされていた。


 仲見世商店街から散策が始まった。手作りの惣菜屋がならぶ。一軒ずつ覗き見る。衣料品店が多いね、と感心していた。人形焼屋、煎餅屋などは手作り自慢だが、時間帯が遅く、どこも火を止めていた。

 薬局屋の壁面には、昭和史の写真が掲げられている。昭和史のビジュアルな研究になる。みんな強い関心を寄せて見入っていた。「このあたりは新潟に疎開していたんだな」「小学校の古い校舎は懐かしいな」「戦後の台風で、こんな被害状況だったんだな」という声があがる。

 一級河川「中川」に向かう。堤防よりも、民家が低い。「ゼロメートル地帯だけに、洪水になると大変ですね」と井出さんが案じていた。東日本大震災で、大津波が記憶に新しい。東京湾に津波が来難いけれど、水門はどうなっているのですか、という質問もあった。平井水門は5メートルくらいですかね。
 三浦半島断層も指摘されている折だけに、下町住民の安全度をも測っていた。

 中川・七曲に架かる、本奥戸橋は景勝地だ。「東京スカイツリーは、どのあたりに見えるの?」吉澤さんが興味を向けた。橋の上から、よく見えます。「富士山も見えるの?」と清原さんが尋ねる。夏場は霞がかかり見えないけれど、冬場は橋の上からも、裾野の丹沢連峰まで見えますよ、と説明した。

「かつしかPPクラブ」の小池和栄さん作成『かつしか 水紀行』の冊子は歴史的な内容が記載されているので、6人に配布した。だれもが関心を寄せていた。

 毎日新聞の「川本三郎の東京すみずみ歩き」で、葛飾区「立石」が一ページで紹介されていた。歴史と文芸的な内容なので、6人には事前に配布しておいた。写真入りの『呑んべ横町』には、清原さんはつよく関心を持っていたのでそちらにも案内した。
 作家の目と言葉で、路地を探索していた。

「葛飾区伝統産業職人会・会館」は火曜日が休館。それでも、いちおう案内した。後日、ぜひ観てほしいと補足した。

 新津さんが出版社・編集者から聞いてきた、人気店「鳥房」も休業していた。立石の特徴は裏路地の飲み屋街にある。
 曲がりくねった両サイドには、スナック、居酒屋がならぶ。ネオンがついていないが、相澤さんなどが店周りのキャッチ、張り紙、メニューなどに、「懐かしいな」と、それぞれ思いを寄せていた。

 商店街・入り口の居酒屋に入った。愛想の良い中国人・ママさんである。品数が多く、一品ずつボリュームがあるので、「かつしかPPクラブ」や教育委員会の人たちも常連客である。


 P.E.N.7人は、ふだん気心が知れた仲である。立石の散策の感想から、フクシマ原発の放射能、来年のPEN主催『平和の日』・佐賀の話。幕末の長州・会津の敵対関係など、3時間ほど、話題が尽きなかった。一方で、PPクラブの活動の質問もあった。

 作家たちが折々に、葛飾・立石にやってくれば、表現力豊かな下町の紹介がなされるだろう。


 新津さんの新作ミステリー(入稿済み)では、立石が背景の一つになっている、と聞く。登場人物が立石の町で、どんな生き様を見せるのか、今から楽しみである。

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