小説家

【一幕二場】庭に一本のなつめの金ちゃん=出久根達郎の初戯曲

 直木賞作家の出久根達郎さんが手がけた、初の戯曲が熊本と東京で公演される。一幕二場のタイトル「庭に一本(ひともと)のなつめの金ちゃん」である。

 熊本は夏目漱石ゆかりの地である。明治の激動期を舞台にしている。熊本と東京の古書店を舞台に、夏目漱石と夢想家が交錯する恋あり、革命家あり、演歌ありの大スペクタクルです。

 会場は2か所。
 11月26日、熊本市民会館・崇城大学ホールで午後4時から、出久根達郎さんX小野友道さんの対談「本の楽しさ」、同6時からは「」が上演される。
 東京公演は12月7日(土)昼の部は午後2時。夜の部は午後6時である。(入場料はいずれも3000円)。

制作上演委員会・副島隆さん他、多数の演劇人。

出久根達郎さん: 1944年茨城県生まれ。92年『本のお口よごしですが』で講談社エッセイ賞を、93年『佃島ふたり書房』で直木賞を受賞。近著として『七つの顔の漱石』など著書は多数あります。

小野友道さん:熊大五高記念館友の会代表世話人


【あらすじ:庭に一本なつめの金ちゃん Official Site より】

 熊本の五高教授夏目金之助(漱石)がひいきにする古書店の庭には、「小春」という柿の木がある。主人はマゲを結った異風者(いひゅうもん)。そこの座敷で夏目先生が前田卓(つな)(『草枕』の怪美人那美のモデル)と密会しているといううわさ。そこに鏡子夫人が訪ねて来る…。

 十年がたち、舞台は新宿。熊本の古書店で修行していた若者が主人の娘と上京し、古書店を営んでおり、庭にナツメの木を植えている。そこは中国革命家たちの連絡場所となっており、宮崎滔天や孫文なども出入りする。

「水師営の会見」の唱歌や世相を風刺する俗謡も。「旅順開城約成りて 敵の将軍ステッセル……庭に一本(ひともと)棗(なつめ)の木…」。
 舞台の題名は漱石を敬愛する作者苦心の語呂合わせである。

 関連情報

チケットの予約、問い合わせ先
 
庭に一本(ひともと)のなつめの金ちゃん
制作上演委員会事務局

電話096-366-1515

 

【推薦図書・歴史小説】 山名美和子著『甲斐姫物語』

 女流歴史作家の山名美和子さんが『甲斐姫物語』(鳳書院・1600+税)が10月2日に発売された。主人公は、忍城(おしじょう・現行田市)の美貌とうたわれた甲斐(かい)姫である。
 戦国動乱の世に、石田光成の忍城攻めは天正18年(1590年)6月5日に行われた。秀吉の小田原攻めと平行した戦いだった。

 この戦いが後世にまで伝わる、日本史でも珍しい戦闘とされている。

 秀吉の腹心の石田光成が2万3千余騎で襲いかかる。城主不在で、籠城する甲斐姫が、秀吉軍勢に城下を奪われてなるものか、と死闘で忍城を守っきった。民百姓、子供を入れても、2600人であった 光成は難渋を極めたが、結果として、城の姫たちに勝てなかったのだ。
 女性作家ならではの視点で描いた戦国物語である。

 忍城は関東七城のひとつに数えられる名城であった。城の周囲は沼地・低湿地で囲まれている。大軍を持ってしても容易に近づくことすらできない。三成の軍勢を攻めあぐんだのだ。
 
「本文より一部抜粋してみると」

 翌未明、石田三成らの大軍勢が攻撃を開始した。敵兵たちの泥沼との格闘は昨日と変わらない。
 忍の守備兵が頓狂な声をあげた。
「なんじゃ、あいつら」
「笑わせるわ、知恵を絞ったつもりじゃろう」
 どっと笑い崩れる。
「昨日も今日も、よう笑わせてくれるわ。筏(いかだ)とはな」
 敵兵は縄で丸太を組んで寄せてくるではないか。
「木材の川おろしじゃあるまいし」
「沼田に棹(さお)を差してもすすまねぇべよ」
 籠城に加わった樵(きこり)たちは腹を抱えておかしがる。
 しかし、油断はならなかった。すでに城への通路は四方八方が敵軍に埋めつくされている。


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著者:山名美和子(やまな みわこ) 早稲田大学文学部卒業 公立学校教員を経て作家になる。
   第19回歴史文学賞入賞 日本ペンクラブ会報委員会委員、日本文藝家協会会員
   著作「ういろう物語」「梅花二輪」「戦国姫物語」ほか、多数

出版社 鳳書院
     千代田区三崎町2-8-12
     03-3264-3168

甲斐姫物語

73回 元気100エッセイ教室 = 距離感と濾過

 人の胸を打つエッセイ作品は、そう簡単に書けません。出来事(素材)を最低でも、半年くらいは頭のなかで濾過(ろか)させる時間が必要です。それはプロアマを問わずです。

 エッセイを書く場合は、まず素材をどう選ぶか、とあれこれ考えます。いま起きた出来事や、最近体験した事柄、日常些事などは記憶が鮮明なので、実に書きやすいものです。
 ジャーナリストならば、「報道記事」として、時間を置かない方が、場面がすぐによみがえるし、より事実に近いところで書けますから、内容がより正確になります。記事ならば、すぐに書くべきです。ある意味で、ルポもそうです。

 しかし、エッセイは逆です。作者が頭のなかで熟成(じゅくせい)する月日が必要です。思考を川の流れのように上流から下流へと進ませるのです。

 日常生活のなかで、いま起きた出来事をすぐに書けば、どうなるでしょうか。「こんなことがありました」という単なる紹介や報告調の内容の浅い作品になりがちです。橋の上から見た情景ならば、そこだけの内容になります。
 作者の創作技量が高く、器用に、上手く取りまとめられても、作品の内容が薄いものです。そのうえ、大げさな言葉が多かったり、語彙の使い方が上滑りだったり、文章の体を為さなかったり、どこかしら欠陥があります。

 顔見知りの読者ならば、「えっ、そんなことがあったの……」と仲間うちの出来事として、多少は興味を示してくれるでしょう。赤の他人の心には響かないものです。
 作者自身が苦しみ、裸になって、物事の本質を描く、上流から下流までも視野に入れた、本音で書いた作品と比べるとはるか遠く及びません。

『書きたいものはすぐに書くな』『これは感動させられる作品になる、と思ってもすぐに手を出すな』
 これはエッセイや小説の鉄則です。

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72回元気100エッセイ教室=名品の作り方

 創作した作品(エッセイ)には読んでくれる人が必要です。読む、読まないは読者の自由です。読み手側からすれば、身勝手な文章は、はた迷惑なものです。
 それだけに、作者はつねに読んでもらえるサービス精神を忘れてはいけません。読んでもらえる労を惜しまない。ごく自然に最後まで読ませてしまう。それが文章の腕前です。

 最後まで読んでもらえる作品を書く。そのためには、「読んでもらえる材料」集めからはじめることです。 難しく考えないで、鮮度の良い、興味を引く、目新しいものを念頭に置いてください。
 大上段に構えず、身近な素朴な材料でも、しっかり観察すれば、切り口の良い料理(作品)が作れます。素朴な食材からも、高級料理が作れるのと同じ。素朴な材料からも、名品が生まれます。

 読者が最も興味をもつのは、事件や出来事よりも、「人間」です。作中の主人公「私」をしっかり描けば、名品と評価されます。しかし、最も見えないのが、作者自身です。
 私の「きわだった特徴、愛すべき癖、そして、いくつかの欠点」が描ければ、それは名品です。


名品を書くための8つのチェック


①視点は「私」に統一する

   ・主人公はどこまでも私ある。書きやすい他人(ひとごと)は書くな、それが鉄則です。
   ・私の欠点、恥部、コンプレックスを書こう。きれいごとは書かない。

②構成(ストーリー)を組み立てる

  ・野球の投球で考える。ストレートにカーブ(ひねり、ジグザグ)も入れてみる。読者(バッター)に、球筋を見破られない。

③「私」を鮮明に描くことは、最も難しいけれど、読者はそれを読みたい。
 
  ・私のきわだった特徴、愛すべき癖、そして、いくつかの欠点を書く

④場面の設定(三一致の法則)

  ・短い時間、狭い空間のなかで、ストーリーを展開すれば、凝縮力が強まる。逆は、散漫な作品になる

⑤表現は五感を使う。
 
  ・文章音痴と、味覚音痴はよく似ている

⑥情景、人物の行動、心理描写の三本柱で書く

   ・説明文で書かない。説明はとかくへ理屈になる。

⑦ 簡素にして明瞭な文章で書く
 
   ・一度読んだだけでは解らない、そんな文章などは論外である

⑧ 表現に凝らない方が作品に味が出る。
 
   ・悪文と美文は親戚どうし

⑨最後に、テーマを統一する。そして、書きなおしてみる。

   

第8回歴史散策=文学仲間たちと両国界隈(かいわい)へ

「今回は遅刻しなかったわね。穂高さんは」と山名さん(歴史小説作家)さんにいきなり、言われた。もし遅れたら、置いていくつもりだったのよ、と彼女はつけ加えていた。小、中、高校の教員歴があるだけに、時間の躾(しつけ)? には厳しい。
 この年齢にして、もはや遅刻魔の私の修正は治らないだろうな。

 8月7日12時半に、浅草橋に集合だった。改札口には文学仲間の全員がそろっていた。むろん、私の到着がビリである。
 
 「歴史散策」は8回目となった。山名さんのほかに、井出さん(日本ペンクラブ事務局次長)、吉澤さん(同事務局長)、新津さん(ミステリー作家)、相澤さん(作家)、清原さん(文芸評論家)、そして私を含めた7人である。

 外気温は連日の35度前後である。
 真昼間の長時間の街歩きとなると、話題はとかく熱中症対策になりがちだ。「暑い、暑い」と言ったところで、涼しくなるわけがない。水分補給は必要だが、飲むほどに汗が流れ出てくる。日陰は少ないし、街角の自販機をつい横目で見てしまう。

 柳橋は、時代小説には欠かせない場所だ。粋な姐さんの柳橋芸者が現れる。過去に読んだ、池波正太郎、海音寺潮五郎、山本周五郎など多々の作品が断片的に思い浮かぶ。その情感を味わってみる。
 小説では、夕暮れの情感を誘う小料理屋の描写も多い。それらしき割烹、小料理屋の店頭をのぞく。いずれも料理の値段は高そうだな、と現実に戻ってしまう。

 神田川と隅田川の合流点には、複数の屋形船が浮かぶ。屋形船の櫓の音がぎー、ぎーと川面に流れる、こんな夏の夕涼みの情緒は、江戸時代の小説に数多く描写されている。
 平成23年の真夏の昼間となると、どの船上にも船頭の姿はなく、ただ係留しているだけだった。

「薬研掘り」。響きがとても良い。
 吉沢さんと新津さんが名物の唐辛子を買う。店頭の女将さんがていねいに量り売りをしていた。「七味」と「一味」と、どう味が違うのだろうか。
 鍋料理とか、うどんとかに振りかける、という認識ていどの認識だ。味覚として、唐辛子の味にこだわったことがない。唐辛子の風味まで感じ取れないと、本ものの食通とは言えないのだろう。

 両国散策コースは、わりに社寺仏閣が少ない。両国橋にさしかかる。東京スカイツリーが、隅田川の対岸に屹立する。ここらがいまや東京の名所になっている。
 眼下の川面には観光の水上バスが行きかう。タグボートがヘドロを積んだ台船を弾く。橋を渡り終えると、話題は「両国国技館」になった。

 幼いころ遊びが限られていた世代だ。そのころは学校の砂場で相撲をとる。夕刻には、ラジオの大相撲にじっと耳を傾けていた。それぞれが想い出の一コマとして相撲人気時代のエピソードを語る。決まって栃錦、千代の富士など往年の名力士の名まえが出てくる。

 勝海舟の出生の碑とか、芥川龍之介の文学碑とかがある。芥川は両国高校から東大に進んでいる。生れもこの近くだろう。
 忠臣蔵で名高い、吉良邸があった。邸内には、「吉良の首洗いの井戸」と表記がなされていた。
「この井戸怖い」と新津さんがそれでも覗き込んでいた。ミステリー作家らしい好奇心だ。

 回向院に入った。歴史小説家・山名さんが説明してくれる。1657(明暦3)年に開かれた浄土宗の寺院。「振袖火事」の名で知られる明暦の大火災では、江戸市街地の6割以上が焼土となった。10万人以上の尊い人命が奪われたという。
 ネズミ小僧次郎吉の墓がある。黒装束姿のネズミ小僧は闇夜に大名屋敷から千両箱を盗み、貧しい長屋に小判をそっと置いて立ち去ったと語られている。

 江戸が東京となった現在でも、義賊のネズミ小僧はヒーローである。境内のネズミ小僧の墓石を削り、「お守り」に持つとご利益があるようだ。受験生が「合格祈願」で墓石を削り、受験会場に持ち込む、という。

 吉澤さんが、墓前に用意された小刀(?)で、墓石を削り、有難がっていた。どんなご利益を期待しているのだろうか。聞くだけ野暮だ。

 大相撲博物館の前は素通りし、「江戸東京博物館」に入った。歴史が得意のメンバーだから、みな何度か足を運んでいる。いまはひたすら暑さから、逃げ込んだ感じだった。

 館内ではたっぷり2時間ある。(飲み屋が開店となる5時から逆算して)。特別展、常設展はじっくり見ることができた。
 常設展の撮影はOKだが、フラッシュは禁止。復元された町並みの模型は見るほどに楽しい。気持ちが入り込み、時代小説作家の、藤沢修平、伊藤桂一などが描いた、江戸の情景の場面と重ね合わせる。

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日本ペンクラブの9月度例会=今年は日本に喜びが2つ、危険が2つ

 2か月に一度の日本ペンクラブの総会が、東京會館で開催された。

 浅田次郎会長は、今年は2つのビッグニュースがあった、とあいさつで語った。
一つは富士山の世界文化遺産に登録だった。浅田さんは幼いころ銭湯通う日々で、大浴槽の壁面には富士山のペンキ絵が描かれていた。気持ちを温めてくれたし、そこからも富士山への愛着が育った。

 国際ペン東京大会で、国際委員のメンバーが東京から京都に向かう車中で、「富士山に近づくと、みんなが窓際に集まった。往路は雨だったが、復路では富士山がくっきり見えた。外国人にいかに人気かわかりました」と話す。

 今年は、もう一つ喜ばしい話題として、東京オリンピックの決定がある。
「先のオリンピックは私が中学生でした。その頃、オリンピックは何度も日本にくるものだと思っていた。いや、長かったですね。皆さんも、こんどは何歳の時かな、と計算されるでしょう。そのときは、私は68歳です」
 みずからの年齢を明かしていた。
 
 その一方で、原発は大丈夫か、と不安な問題を語る。福島原発事故では20万人がまだふるさとを離れてプレハブに住む。ここらの解決がおなざりにならないだろうか、と不安を覚える、と話す。
 東京に一極集中の傾向がさらに強まるのではないか。
 これらは気になるところだ、と功罪の両面を見据えていた。

 吉岡忍専務理事が9月度理事会の報告を行った。

 安倍政権が推し進めている「特定秘密保護法」と、「憲法改正の方向にある」をどう扱うか、という重要な問題が話し合われた。
 特定秘密保護法(秋の臨時国会に提出予定)は、国の機密を漏らした公務員を罰するもの。最高10年の懲役刑を科す内容となっている。公務員を委縮させる恐れが十二分に予測できる。
 さらには、法の解釈と運用によって、同法が悪用される危険性が高く、取材の自由、報道の自由を奪う。日本ペンクラブとしては反対する。 

 憲法の改定も、言論・表現の自由を奪いかねない。ここらはしっかり話し合う必要がある。
『文学と憲法』と出して、フォーラムが10月10日には予定されていると発表した。

 国際ペン2013年がアイスランド共和国の首都・レイキャヴィークで、9月9日から開催された。同大会に参加した、佐藤アヤ子さんが、その報告を行った。同大会が開催される首都レイキャヴィークにつくと、360度見渡せる氷原だった、と話す。
「地球の果てにきた雰囲気でした」
 人口が30万人の国で、そのほとんどがレイキャヴィークに住む、とつけ加えた。

 同大会では堀武昭さんがペン事務局長として再選された。(賛成67、棄権7、反対ゼロ)。任期は3年である。日本人初の事務局長だし、再選されて喜ばしい。

 人権問題に関する議題が多かった。他に目立ったのは、「少数言語の保護」と「表現の自由」におけるエジプトやトルコ(クルド)などの問題だった。

 国際ペンに、新しくミャンマーとインド(これまでは加盟しているが、もう一つ)が加わった。

 来年の開催国で紛糾したが、キルギス共和国の首都ビシュケク(旧名フルンゼ)に決まった。同国は誘致活動が活発で、大統領の特使の大臣も来ていたという。

 佐藤さんは、会場で唐突に指名されましてと言うが、明瞭な語りで報告を行った。さすが大学教授である。

世界における日本文化=近藤誠一(元文化庁長官)(下)

 日本P・E・Nの九月度例会における、・ミニ講演は元文化庁長官の近藤誠一さん(PEN会員・1946年生まれ)で、タイトルは『世界における日本文化』である。


 近藤さんは日本文化の3点を強調した。

①自然観
②曖昧さ(白黒をはっきりさせない)
③眼に見えないものに価値を見出す。

 近藤さんは2番目の『曖昧さ』について語った。

 日本の文化では白でも黒でもない、曖昧さが『間』の表現になっている。余白は単なる書き残しではない。空白に意味がある。その曖昧さには包容力がある。
 悪人にも良い点がある(蜘蛛の糸・芥川龍之介)。善人にも悪い点がある(義経勧進帳)、という考え方である。

 日本で世論調査を行えば、おおかた中間的な意見か、真ん中が大多数になる。しかし、欧米は右か、左である。日本は約2000年間にわたり異民族に支配されたことがない。それらが背景となり、「白でもない、黒でもない」その中間が存在する。

『日本人は眼に見えないものに価値を見出す』
 その点では、相手の心がわかる、という点を強調した。

 夫婦の間をたとえに出す。外国人の夫婦は毎日、「愛している」とたがいに確認する。言い忘れると、相手は嫌いになったのだと決めつける。
 日本人は「好きなの、嫌いなの」と言葉で求めれば、それは野暮だと捉える。日々の生活をみていれば、愛のことばは必要がないし、言葉による確認がなくても、苛立つこともない。
 とかく欧米人にはこれがわからないらしい。

「富士山は人間が作ったものではありません。でも、世界文化遺産に登録されました。自然遺産でなかった。ここに日本文化の特徴があります」
 近藤さんは、文化遺産を強調した。
 世界自然遺産の場合は、地理学的、生態学的に、その自然を残す必要があると認められたものだ。

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世界における日本文化=近藤誠一(元文化庁長官)(上)

 日本ペンクラブ9月例会が、東京會館(千代田区)で開催された。ミニ講演は、元文化庁長官の近藤誠一さん(PEN会員・1946年生まれ)で、タイトルは『世界における日本文化』である。近藤さんは外務省、ユネスコ大使、文化庁長官を3年間ほど歴任している。経歴からしても、文化面な知識が深い会員である。
 欧米と対比しながら、日本の文化特性について語った。

「日本人の性格は、勤勉、清潔、自己抑制(他人への思いやり)です」
 近藤さんはまず3点を強調した。
 明治以降の近代化の流れに乗った日本は、戦後約70年間にわたり、科学面で欧米を真似てきた。ある時期は、「日本製品は安かろう、悪かろう」というレッテルが張られた。その後はクオリティー(品質)重視から、機能、デザインに重きをおいた製品化につとめた。
 そこには日本人の特性が生かされている。それは繊細、緻密、耐久力(とことん突き詰める)という、日本人の3つの特性である。

   ①自然観
   ②曖昧さ(白黒をはっきりさせない)
   ③眼に見えないものに価値を見出す。

 これが日本人の文化の特性だと、近藤さんは語る。それを中心に話を進めた。

 西洋人の技術開発の基本は『人間は偉い、自然の弊害を解決できる』という理念である。合理的、唯物な考えから、人間は自然を克服できる考え方である。
 しかし、日本人は自然を征服しようと考えない。『自然の偉大さ、怖さ、素晴らしい』を受け入れている。自然を征服しようとすれば、自然からしっぺ返しされる、とわかっている。自然との調和を考える。

 たとえば、世界遺産になった平泉の毛越寺(もうつうじ)の、日本庭園は自然のなかに庭造りを行い、庭木や石を配置している。『自然を味わう、自然の流れに沿う、自然の美しさを感じる』という自然にそくした姿勢の庭造りである。

 欧米は二元論である。右か左。イエスかノー。0か1か(デジタル)。そこには便利性とスピードがある。多様な民族が住めば、欲望と物が中心で奪い合いになる。
 ブッシュ大統領はかつて「同盟国か、さもなければ敵か」と関係国に二者択一を迫った。敵は悪だと言い、攻撃したことから、テロの連鎖を引き起こした。
 しかし、日本は相手の文化を重んじる。イランでも、ミャンマーでも、「人権は侵害しているが、良い点もある」という考えから、両国とも接してきた。そこには良いところを引き出してあげる姿勢がある。【つづく】

エッセイ教室70回記念誌(「元気に百歳」クラブ)=序文

 真夏の太陽が海面にかがやく。波静かな海には富士山に似た大崎上島が浮かぶ。竹原港から乗った中型フェリーが、私の故郷の島に向かっている。この島には橋が架かっていない。瀬戸内海では数少ない離島の一つだ。
 東京に出てきたころ、「島育ち」は田舎者の代名詞のようで、人前で語るのは嫌いだった。故郷が恥ずかしいとさえ思ったものだ。
 本州や四国との間で橋が架かると、離島ではなくなる。大崎上島はいま瀬戸内海で最も大きな離島になった。淡路島、小豆島も離島でなくなったからだ。
 船を使わなければ渡れず、近代化や文化が遅れた、過疎の島と形容できる。しかし、不便さが却って人気となり、メディアに何かと取り上げられている、と島民が教えてくれた。不便さが今後の期待につながっている。故郷は静かに変貌しているのだ。
 大崎上島には血筋の身内がいない。それでも私は故郷に足を運ぶ。若いときには、あれほど帰省すら嫌だったのに、と思う。
「故郷は心の財産だな。精神的な支えだ」
 上陸すれば、なおさらその想いが強まった。


 3・11東日本大震災から、2年半が経った。三陸の大津波の被災地は『海は憎まず』として発刊することができた。その後は、原発事故関連の取材で集中して福島に入り込んでいる。私の故郷に対する、見方、価値観がごく自然に変わってきた。
 双方を取材して、私なりに導いた定義がある。
『三陸は大津波による物理的な破壊、福島は精神的な破壊だった』
 福島・浜通りの住人は原発事故直後、恐怖ともに故郷から追い出された。そして流浪の民になった。
 原子炉の底から沈降した核燃料がメルトアウトしている可能性がある。地下水に触れているかも、と住民はそれを恐れる。数年先、数十年先に、高濃度の放射線に襲われるかもしれない。それすら現状では予測できない。住民はもはや故郷に帰りたくても、帰れない、流浪の民となってしまったのだ。


 年配者やお年寄りは故郷に帰って死にたい、と考える。若者は幼い子を放射線のなかで育てられない、と見限る。親子でも連帯感が失われる。夫婦においても考え方の違い、温度差から、離婚が増えている。故郷を失くした人の心はしだいに廃っていく。
 これら福島の人たちと取材で接すると、故郷がいかに大切なものかと解る。と同時に、広島県の離島が、私の人生の根っ子なのだと再認識させられた。


 このたび70回記念誌が発行できた。それぞれ創作の力量は高まり、完成度の高い作品や、生き方を味わえる良品が多い。実に、読み応えがある。
 エッセイは作者の体験・経験がベースになっている。だから、当事者の作者しか知り得なかった、貴重な証言であり、将来は研究資料、史料的な価値も予測される作品もある。滑稽なエピソードが、読み手としては楽しく愉快な作品もある。さらには夫婦、家族愛、人間愛から胸にジーンと響き、涙する作品もある。

 作者側から見れば、創作作品が冊子になっていると、いつでも読み返せる。人生を回帰できる。作品
そのものが「心の故郷」になっているのだ。
 この意義は大きいと思う。


 関連情報

 「元気に百歳」クラブ・エッセイ教室

【推薦図書】 出久根達郎著 「名言がいっぱい」

 人間の性格はそう変わるものではない。ものの考え方、見方は変わる。出久根達郎著『名言がいっぱい』(あなたを元気にする56の言葉)を読んで、そう思った。清流出版、定価1700円+税(9月4日発行)。帯には「心が疲れた……、そんなときに効く あの人のあの名言」と記す。
 それはやや控えめな表現で、出久根さんの内心は、「生き方も変わる、座右の言葉が見つかるよ」と言いたかったと思う。

「名言の背景がわからなければ、名言のありがたみも感動もない。発したものがどういう経歴のかたか知らなければ、通りいっぺんの言葉と聞き流してしまう」。体験から得た言葉は、尊い。そこから元気をもらう、と出久根さんは述べている。

 著者のアドバイスに従って、読者が良く知っている人物、経歴がわかっている、そういう人物から読めば、即座に心にひびく名言に出会う。

 私は幕末史に取り組んでいる今、勝海舟、坂本龍馬、岩崎弥太郎、川路聖謨あたりから、読んでみた。その実、日露修好条約を結んだ川路はあまり好きではなかった。私は下田にもなんどか取材に行った。川路の下田日記が手元にある。他の資料からしても、東海大地震直後のロシア提督との外交交渉は、中村為也(勘定組頭)の苦労に乗っかりすぎている。それで後世に川路の名が残った、と。

 しかし、私は同書から川路を見直した。
「奈良奉行」時代の川路は「おなら奉行」のあだ名をつけられていたとか。奈良では鹿を殺すと死刑であるが、暴れる鹿を取り押さえたが誤って死なせてしまった人に温情判決をしたとか。博打を厳重に取り締まり、与力同心への付け届けを禁じたとか。
 人間としては魅力あるな、という認識に変わったのだ。

 小説家では、夏目漱石、尾崎紅葉、吉川英治、山本周五郎、田山花袋、森鴎外……、と精読させてもらった。周五郎は数多くの文学賞を断る一方で、家計を考えず、ひたすら良い小説を書きつづけていた。タンスの中に夫人の着物が1枚もなかった。
 かれは小説「かあちゃん」のなかで、『貧乏人には貧乏人のつきあいがある。貧乏人同士は隣近所が親類だ。お互いが頼りあい助け合わなければ、貧乏人はやってゆけはしない』と展開する。それら文章が紹介されている。

 尾崎紅葉は親分肌の人で面倒見がよく、弟子たちの文章はていねいに添削し、おめがねに適えば、出版社に売り込んだ。弟子の泉鏡花は「小説作法だけでなく、世間常識、言葉遣い、食事のエチケット、金銭の扱い方、交際法など、人の世に生きるための知恵をすべて教えられた」と語っている。
 私は各講座で、作品の添削をしているので、ここらは肝に銘じるものがあった。
 
 同書から、先入観が変わったのが、二宮尊徳、小林一茶、沢村貞子(女優)、金栗四三(マラソン)などである。

「私はこの物語にずい分悩まされたのを覚えています」(美智子皇后)、「細道を歩む時は、端によけていれば、人は突き飛ばさない」(野口英世の母・シカ)、「長生きをするためには、まず第一に退屈しないこと」(物集高量・もずめたかかず)、目次の名言から入っていった。

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