小説家

書店員が薦める、GWの文芸書=1位が村上春樹、2位が「海は憎まず」

「海が憎まず」が販売されてから、1か月が経ちました。

「電車のなかで、涙を流して読みました。恥ずかしいから、途中でやめました」
「メディアの報道では、3・11は表面的にしかわからなかった。実はすごい事態だった、それを世に知らしめてくれた、素晴らしい取材です」
 そんな評価が連日、著者の下に寄せられています。

「津波で流される屋根の上で、母親がおっぱいをあげている。泣きました」
「津波は人間を平等にし、全部をゼロにしてくれた。この晴男さんの言葉には感動しました」
「警察署長のところは涙で文字がかすんでしまいました」
 これら手紙とか、メールとかは大半が私の面識のある人です。

 面識のない人が書店で、「買って読んでみよう」という気になる本なのか。

 版元は中小出版ですから、営業力が乏しく、大手書店の平積みなどありません。店内の棚に差し込まれている本が目につくのだろうか。 口コミ(電話、てがみ、メール、フェイスブック)が購買動機に結びついているのだろうか。それはほとんど知ることができません。

「良い小説は腐らない」この格言があります。多くの本は目先の人気だけで消えていきます。良書はいつまでも読まれていきます。
 
 目の肥えた書店員が、「海が憎まず」を推薦できる良書として、災害文学として、評価してくれたサイトがありました。(丸善&ジュンク堂ネットストア )、第2位でした。

文芸書が読みたい!書店員が選ぶいま注目の新刊まとめ 2013年GW編
      (左クリックすれば、開けます)

【国内】
1位 村上春樹著『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』

2位 穂高健一著『海は憎まず』 

3位 京極夏彦著『遠野物語』

4位 伊東潤著『巨鯨の海』

5位 木皿泉著「昨夜のカレー、明日のパン」

【海外】

1位 カリ-,ロン著『神は死んだ』

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第68回・元気100エッセイ教室=ストーリー力のつけ方

  エッセイは「人生のある一点」の出来事を切り取り、短く表現する創作芸術です。特別にストーリーがなくても、味わい深く、完成度の高い、感動作品が生まれます。

 身辺小説とエッセイとの境界線は曖昧です。
 志賀直哉の「城崎にて」は短編小説だの、あるいはエッセイだの、と意見が分かれています。なぜか。この作品にはほとんどストーリーがないからです。

 一般に、エッセイには制限枚数があります。ストーリーに制約が出てきます。複雑なストーリーに寄りかかると、作品があらすじになり、失敗作に陥りやすくなります。
 むしろ、ストーリーが邪魔になったりします。

 エッセイ作品は一つ事柄を深耕し、一つ内容に拘泥し、書きこんだほうが無難です。成功率は高くなります。単純な素材でも、この作品は考えさせられるな、と深い内容になります。
 ただ、テーマ型のエッセイは、変化が少なく、読者を途中で退屈させるおそれがあります。また、味気ない作品になる可能性もあります。

「この作品は読ませるな」
「この作品は面白い」
 そう評価を得る作品は、筋立てが凝っていたり、構成の運びがよい作品が多いようです。次がどうなるのか、と読者を惹きつけます。
 読み手をつかんで離さない、ストーリー力を身につけると、エッセイでも、短編小説でも、全体の構成が上手になり、作品が光ってきます。


ストーリー力を身につけるコツ 6か条

①タイトルは、内容が見えない工夫をする。

   「夕立の後」 「残り雪」

②書き出しの1行で、何が起きるのか、と思わせる。
 
 「私はドアの前で震えていた」

③本文に入っても、結末が見えない状態にする。底が割れない、とも言います。

④読者の予想を裏切る、意外性のある展開にする。

⑤唐突な事象が出てくる、その前にこまかく伏線を張っておく。

不自然さはつねに伏線で消す

⑥最後に来て、「どんでん返し」は、ストーリーの最大の魅力です。


ストーリー力を磨きたい、あなたへ

 新規の作品を数多く書くことで、ストーリー力は磨かれます。

 一度、完成した作品は不思議に何度書き直しても、さほど良くならないものです。書き直し作品は、まわりの人が再読しても、「どこが変わったの?」と疑問視されるほど、変わっていないものです。

 おなじ力量で何度書き直しても、作品力は横ばい状態だからです。文章がちょっと良くなったかな、という程度。つまり、推敲のくりかえしで、作品の総合評価は上がりません。

 一つ作品をいくらいじっても、「新たな作品」への生まれ変わりはないと思ってください。それならば、一度投稿したり、どこかに提出したりした作品はすぐさま忘れてしまうことです。

 どうしても作品を手直ししたければ、数か年は作品を寝させることです。一方で、新たな作品作りに励む。それがストーリー力をつけていくコツです。

第7回・歴史散策・文学仲間たちと=王子~巣鴨

 日本ペンクラブの広報委員会、会報委員会の文学仲間7人による、「歴史散策」は7回目となった。4月17日(水)午後1時、JR王子駅に集合した。私は福島取材でいわき市から戻ってきたが、乗り物のタイミングが悪く、皆を改札前で20分も待たせてしまった。


 
 王子周辺を歴史・文学散策してから、都電に乗り、巣鴨へ向かう。そして居酒屋にたどり着く、というコース設定である。

 参加者は左から、井出さん(日本ペンクラブ事務局次長)、吉澤さん(同事務局長)、山名さん(歴史小説作家)、新津さん(ミステリー作家)、相澤さん(作家)、清原さん(文芸評論家)、そして穂高(作家)の7人である。

 王子駅から音無親水公園に出むいた。
 「案内板」には、江戸時代から名所として知られていたと記す。当時の資料には、一歩ごとに眺めが変わり、投網や釣りもできれば、泳ぐこともできた。夕焼けがひときわ見事で、川の水でたてた茶はおいしいと書かれていたという。

 現代では想像もつかない。まるで人工の川だ。


 王子神社はJR王子駅から徒歩5分くらいで、音無川の左岸の高台にある。門前から参道奥へと樹木が茂り、静寂な境内である。

 権現造の社殿は大きく、見るからに威厳がある。祈れば、願いごと(入試)が叶う、と思うのか、学校帰りの学生が立ち寄るところだ。

 神社の境内で出会ったのが「毛塚」です。この塚はなんだろう。

 理容、美容業、かつら屋などが髪の供養のために、昭和36年に建てたもの。世のなかには、いろいろな供養があるものだと、妙に感心させられた。

 珍しいだけに小説、エッセイ、コラムなど、執筆の材料になるのかな。7人のうち、何人かはそう考えているかもしれない。

 春風がやや強かった。下町情緒を楽しみながら、7人は次なる目的地に向かう。皆の頭のなかでは、情景描写として文字化しているかもしれない。

「ここは田中角栄の出身校だ」と知ると、皆が足を止めた。館内の資料館が一般にも開放されている、と明記されていた。

 見学を申し出ると、館長が説明してくれた。建築設計の専門学校で、田中角栄が長く校長に着いていた。戦前の女子たちも、建築設計の分野に進出していたと資料からわかった。

 散策の途中で、スズメが死闘をくり広げていた。路上で、まさに殺し合いである。人間の存在など関係なく、激しく攻撃をしていた。

 誰もがこんなすさまじいのは初めて見たという。
「オスのスズメが、メスを得るための死に物狂いの戦いかな」
 そう解釈していた。 
 

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純文学が庶民にもどる=小説3・11『海は憎まず』皆さんの感想から(下)

小説3・11『海は憎まず』は、私小説・純文学です。一般庶民の目で、読みにくいか否か、それはどうでしょうか。読者の皆さんの感想です。

④ 【溝口さん 学友】

 海は憎まず。タイトルを(は)にされた意味十分につたわてきます。災害報道、テレビ、写真、沢山溢れましたけれども、被害当事者の深い深い本音悲しみ等、それぞれの立場の人たちが時を経て伝えて欲しいことが良く理解できました。

 3.11.の大災害の事をこの本で、後世の人達に残す、災害文学者として新分野を拓き大変良い仕事をされたと思います。
 また、彩さんとの絡みで違う分野、方向に題材を求めて行けば面白いものが書けるとふと思いました。これからはますます多忙を極めると思いますが、体には無理をしないで頑張ってください。

⑤ 【高原さん 元気に100歳クラブ・元教授】

 早速読ましていただいております。すばらしい書き出しで、迫力がありました。
 全編を読んだら、感動ひとしおと存じます。


⑥ 【佐藤さん 大学院教授】

 写真が掲載されていますと、読者に臨場感が伝わってきますね。これから一言一言かみしめながら拝読させて頂きます。
 以前3・11の授業を行ったとき、石巻のゲストスピーカーが、いつまでも関心を持ってほしいということでした。そのためにも、3・11を小説にされたことは素晴らしいことだと思います。


⑦ 【高橋さん・フォトエッセイ受講生】

 5日にアマゾンで「海は憎まず」を注文し、到着次第、一気に読み終えました。発刊おめでとうございます 改めまして力作です
 現地での取材なくしては、書けない内容です。長時間の取材苦労や生々しい話が随所に出ています

 私達が日頃接している、テレビ・新聞はどうしても美談仕立てや苦労話が好きなようです。
 この小説のいろいろな場面で出てくる、マスメディアへの批判は痛快です。マスメディアは、日常よく出くわす平凡な場面には冷たく、被害が大きかったり、悲惨なシュチエーションが大好きなのです。そのくせ、「メディアはもっと詳しく、日の当たらない人達を取り上げなくては」などど、平気でおっしゃる。この本には、テレビ・新聞だけでは、全く知りえなかった情報が各ページににじみ出ています

 先生との個人的な会話の中で、断片的には伺っておりましたが、大島の話、稲崎中学校長の話、警察署長との話などは、他のメディアでも、もっと注目していいように思われます。もっとも作家の方だから、話してくれたのかも分かりませんが・・。それと、被災者同士の複雑な感情、仮設暮らしの方が恵まれている話などは、この小説を読んで初めて知る人も多いと思います

 私も震災の半年後、陸前高田から碁石海岸あたりを廻った時の衝撃は、今でもはっきり覚えています
今は、あの時のガレキは相当減っているようですが、各人の心の傷は個人差が出てきているのでしょうね。
 新たな目標に向かっている人も多いのでしょうが、自分に置き換えても、年を取ってからのやり直しはハンディキャップが多すぎます。
 数年経ってから後、先生が関わった人のその後も知りたいものです

 この本を読んだ人は、被災を身近に感じ、発生が近いと言われる地震津波に無関心ではいられなくなるでしょう。これからも、このような取材活動を継続し、先生による、新しい「災害小説」のジャンルを確立して下さい。今後のご活躍を期待しております

 それにしても青山彩をうまくからませましたね。まずは興奮冷めやらぬ読後感でした。

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純文学が庶民にもどる=小説3・11『海は憎まず』皆さんの感想から(上)

 これまで芥川賞などの悪影響で、純文学は読んでも訳のわからないもの。難解で、文字が読めても内容がわからず、とても読む気がしないと言い、一般庶民は純文学からはそっぽを向いてきました。

小説3・11『海は憎まず』は、私小説・純文学です。「小説は人間を書くことだ」と、まず述べています。庶民の目として、この先を読んで、むずかしい文学だと感じるでしょうか。どうでしょうか。

 『海は憎まず』を手に取ると、読者は作者とおなじ目線で、主人公「私」といっしょに被災地を回われます。
 TV、映画、報道ではまず味わえない、被災者たちの心理や本音が次つぎ聞くことができます。メディアが伝えきれていない、あるいは伏せてきた被災地の人々の生き方、考え方、ものの見方にも接しられます。

「えっ、こんなことがあったのだ」と読者と主人公が一緒になって、驚くことができる。「人間って、そうだよな」と、作家とおなじように感じられる。
 それらが13章にわたる人間ドラマとして、克明に、わかりやすく、書かれている。読み手は次つぎに現地の人たちに感情移入ができる。だから、読み応えのある作品ですね、という評価が寄せられているのだろう。

 プロ作家からは書出しからして良いね、とか、一般のオバサンたちもラストまで思わず一気に読みました、と言ってくれます。
 芸術ぶって気取り過ぎだった「純文学」が、いまここに一般庶民の手にもどってきた。「海は憎まず」で、純文学・小説が庶民の手に取りもどせた。それは大げさでしょうか。

 寄せられた、メールやはがきなど、一部を任意に紹介してみます。

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タイトル:なぜ「海を憎まず」でなく、『海は憎まず』か。「を」、「は」の違い

 多くの人から、文法的にみれば、『海を憎まず』ですよね、と訊かれる。カルチャー教室でも「小説」を教えている作家なのに、単行本のタイトルの助詞が間違っている。そんな顔もされる。

 人間の立場、人間の眼から見れば、「海を憎まず」だ。それは当然の疑問だろう。

 海を主体に置いた、海の方の視点でみれば、「海はなにも人間を憎んでいない」。大自然は決して人間の敵ではない。
 人間が憎いと思って、海が大津波を引き起こしたわけではない。人間側と海側と、双方の眼から見れば、「海は憎まず」が中庸として成立する。

 さかのぼること、同書を書くために三陸の各地を回っていた。陸前高田市で、ある50代の漁師を取材中に、
「津波は必要なんだよ」
 と真顔で話す。
「えっ。必要なんでか、津波が」
 私はびっくりした。
 
 東日本大震災は人間社会を破壊した。こんなにも大災害で、大勢の死傷者を出し、漁船など生産手段を奪われながら、なぜ津波を怨んではいないのか、私には理解ができなかった。

「津波は、人間が汚した海底の、どぶ掃除をしてくれるんだ。津波がくるたびに、海がきれいな状態に戻ってくる。数年に一度は津波がこない、と日本人は魚介類を満足にたべられなくなるよ」
 そう言われると、人間はあまりにも海を無造作に汚しすぎてきた、と妙に反省するものもあった。

「何十年に一度は、とんでもない大津波がくる。船もイカダも、一切合財津波が持っていかれてしまう。その時は、悲しくてつらい。でも、海から(漁獲で)貰った財産だ、生涯に2度くらいは海の神様に返す。そう自分に言い聞かせている」

 この話は、気仙沼大島の漁師もまったく同様に語っていた。
「2、3年に一度の津波はとてもありがたいんだ。津波は海岸に近いヘドロを沖まで、熊手のように、あらいざらい沖へ持って行ってくれるんだ。台風など嵐は海上の上辺だけが波立つだけで、海底の掃除までしてくれない」

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第67回・元気100エッセイ教室 = テーマの絞り込みについて

 叙述文(エッセイ、小説)を書き慣れていない人は、「これは面白いネタ(素材)だ」と思いついた、着想の段階からすぐ書き出してしまいます。
 着想とテーマとが混同し、その違いがわかっていないからです。

 「どんなテーマで書かれるのですか」
 そう問うと、ストーリーを説明する人が実に多いのです。テーマとはなにか。それ自体がわかっていないからです。

「わが娘の結婚が決まった」
 それを書こう。この段階はまだ着想です。着想から書き出すとどうなるでしょうか? 
 勢いよく書きはじめたものの、途中で止まってしまいます。書いては改め、あらためては書く。またしても、書き直す。
 こうした試行錯誤の繰り返しで、無駄な労力が多くなります。最悪は途中で、放棄です。できあがりは不統一で、読者に充分に理解されない作品になります。

『テーマとはなにか』
 どのようにテーマを決めるべきか。作者として、たとえば「娘の結婚の」何を言いたいのか。作者の「私」は何を主張したいのか。
 この結婚はなにが問題なのか。声を出して言いにくいことは何か。それらを突きつめていくと、最も重要な事柄にたどり着きます。それを取りだせば、テーマです。

 テーマは一言で短く。それが大原則です。
 最も解りやすいのが、『結婚は人生の墓場だ』。これを考えた人は、結婚式の喜びだけでなく、その後における男女の立場で、結婚生活から人生を突き詰め、深く絞り込んでいった結果、たどり着いた結論です。
 これがテーマの絞り込みです。

 テーマが決まれば、そこから筆を取る。テーマに対して素材の肉付けをしていけばよいのです。テーマが明瞭なほど、材料を次つぎに注ぎ足しても、ごく自然に作中に吸収されます。そして、テーマがエンディングに書き記されます。

『結婚は人生の墓場だ』
 これならば、テーマがしっかり絞り込まれていますから、夫婦喧嘩からでも書き出せます。蜜月の新婚の回想でも、離婚の調停の場でも、どんな素材でも受け付けてくれます。
 エンディングで、主人公が一言「結婚は人生の墓場だ」と呟けば良いのです。

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〝災害文学〟小説「海は憎まず」出版=『東都よみうり』に掲載

 小説 3・11「海は憎まず」(日新報道・1600円)が4月2日から、全国の書店で発売されます。アマゾンなどネットは4月5日頃です。

 東京の東部を中心に20万部を発行する『東都よみうり』(読売新聞の姉妹紙)で、出版を前に、同著の紹介記事が掲載されました。

 タイトルは「津波被災者の内面描き 〝災害文学〟小説「海は憎まず」出版 葛飾区の作家・穂高健一さん」です。作品の骨子とか、プロフィールが紹介されています。


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穂高健一著、小説3・11「海は憎まず」の執筆姿勢について

 拙著の小説3・11「海は憎まず」(日新報道)は、岩手県と宮城県の大津波の被災地が舞台になっている。諸般の事情で出版が少しずれ、3月末に刊行し、4月2日から全国の書店にならぶ。

「戦争文学」はあるのに、なぜ「災害文学」が生まれなかったのだろうか。災害後の人間の生き方、心の傷、差別、ねたみ、希望などはフィクションだからこそ、描けるはず。災害報道やノンフィクションとなると、人物が特定されるから、本音はとかく書き切れないものだ。ある意味で、綺麗ごとになってしまう。

 しかし、フィクションならば、「人間って、こういうこともあるよな」、「えっ、こんなことが起きていたの」という人間ドラマが描き出せる。それが「海は憎まず」である。

 関東大震災のとき、白樺派の文豪たちは何していたのだろうか。
 志賀直哉などは蜂の死骸(城崎にて)を書いても、大災害の被災者たちの日々を書き残してくれなかった。谷崎潤一郎は震災後、わが身を案じ、急きょ京都に永住している(遁走)。文豪たちは、後世に伝えるべき震災後の人々を書いてくれなかった。大震災でも、「災害文学」は生まれなかった。

 小説家は「都会の俗塵から離れ、芸術に専念する」という大義名分で逃げてはダメである。

 東日本大震災3・11は千年に一度の大災害である。こんどこそ、小説家は「災害文学」を作り出すべきだと、私は考えた。そして、毎月、三陸に出むいた。
 大船渡、陸前高田、気仙沼、気仙沼大島、南三陸町、閖上、女川で被災者に向かい合った。可能な限り本音を赤裸々に語ってもらい、それらを丹念に取材し、一つひとつをドラマ化し、書き上げた小説である。人間のほんとうの真実がある。

 日本は災害列島である。「災害報道」と「災害文学」は両輪の輪である。ひとたび災害が起きれば、災害報道の写真や記事だけでなく、プロ作家、アマ(同人誌、学校文芸誌など)で、誰もが被災後の人々を描き、あらゆる角度、それぞれの立場で書き残す。
 こうした「災害文学」の機運を作りたいと考えている。

「海は憎まず」が、災害文学の先駆になることを願っている。


関連情報

題名 : 小説3・11「海は憎まず」
著者 : 穂高健一
出版社 : 日新報道
ISBN978-4-8174-0759-7 C009
定価 1600円+税

書店で、予約受付中です。(初版本は予約がお勧めです)
ネット(アマゾンなど)は4/5頃になります。

朝日新聞・書評委員会メンバーの立石ツアー・深夜まで悦に(中)

 朝日新聞・書評委員会のメンバー13人が、京成立石駅の線路側にある、『呑んべ横丁』に驚嘆していた。古い飲み屋街だ。日本国内を探しても、これほど古い飲み屋街はそうもないだろう。

 アーケードは低く、細長く、2本通っている。『終戦後』『敗戦後』という言葉が似あう。そのことば自体がもはやはるか彼方に遠ざかり、それを使う人もほとんどいない。むしろ、『昭和の町が似合う』と置き換えた方がわかりやすいだろう。
『呑んべ横丁』は閉店した店もあるが、いまなお数軒が細々と営業している。昼過ぎから開店する飲み屋もあれば、かなり遅い時間から開けるところもある。さまざまだ。

 同メンバーたちは興味の目で、『呑んべ横丁』の路地を何度も往復する。

「軒が低く、暖簾の下がった店入口が低い造りばかり。それは終戦後の日本人が栄養不足で、背が低かったから、当時の身長に見合ったものです」
 昭和史研究家の保坂さんがそう語っていましたよ、と出久根達郎さんが教えてくれた。
「なるほど」
 私はやはり研究家は観る視点が違うなと思った。

 朝日新聞「文化くらい報道部」の記者が、「横須賀にはレプリカでこれに似た、『昭和の飲み屋街』をつくっているんですよ。行列ができるほど繁盛しています。この「呑んべ横丁」は本もの。これをなぜ、もっと生かさないのかな?」と首を傾げていた。

 この先『のみや横丁』は取り壊される、そうした運命にさらされているようです。京成電車の路線拡張とか、高架線とか、駅ビル開発とか、いろいろ取りざたされている、と私が説明すると、
「残すべきですよ。横須賀などは町おこしで、あえて創っているんですよ。もったいない」
 同記者は、そう強調したうえで、あらためて取材にきますと話す。彼は経済関連の書評の担当記者のようだ。

 書評委員会のメンバーの一人は、ネットで事前に知り得た「鳥房」が火曜日休みで残念がっていた。

 立石駅の踏切警報機が鳴る音がひびく。それを聞きながら、わき道、さらに折れ曲がった細道へと入っていく。夕方4時で、まだ日が高いけれど、駅裏の飲み屋の一部は営業している。むろん、客は入っている。立ち食い鮨屋などは客があふれている。

「立石はこんなにも、早く店が開いているんですね」
 それが奇異に感じるらしい。
「もっと早くに店は開いていますよ。人気店の『うちだ』などは」
 その背景の説明をした。

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