A020-小説家

第6回・歴史散策・文学仲間たちと=御茶ノ水・神田

 日本ペンクラブの広報委員会、会報委員会の歴史作家、歴史好き作家、文学者の7人がごく自然にできた、「歴史散策」は6回目となった。11月7日(水)午後1時、JR御茶ノ水駅・聖橋口が集合場所だった。そして、御茶ノ水・神田界隈の歴史ある場所を回った。

 私はそれに先立つこと、都営線・蔵前駅で電車が止まり、少し遅れた。日本の電車は世界に誇る正確な交通機関だったが、最近の都心部の電車はしだいに時間が読めなくなってしまった。「線路内に人が立ち入った」という表現を聞くたびに、うんざりさせられる。誰がいつ、どんな理由で、どの路線に立ち入るか、こればかりはまったく読めない。待ち合わせ時間に5分、10分早めに出かけたところで、この言葉に出会うと、もっと長い時間を要する。
 ときにはローカル列車に一本乗り遅れたよりも、不快感がつのることもある。

 お茶の水駅をスタートした歴史・仲間は、聖橋を渡る。眼下には神田川が流れる。のぞき見るが、きょうは船の往来はなかった。

「湯島聖堂」に入る。文学にたずさわる者ばかりだから、聖堂と孔子からはじまる、案内板をじっくり読み込んでいる。德川綱吉の時代には儒学が盛んになり、聖堂ができている。その後、幕府直轄の昌平坂学問所(昌平校)の開設された。こうした時代の出来事なども語り合う。
 歴史は誰もが強いから、話題が途切れることはない。

 「神田明神」へと向かう。同神社の鳥居の手前で、甘酒屋の老舗「天野屋」があった。皆して迷わずに入ると、古風な雰囲気で、古い時計や鉄道関連品が店内装飾になっていた。
 甘酒は50円高かった。「冷えたビールが常温よりも高い時代があったな」そんな話題も出てきた。

 神田明神は広い境内で、「神田祭は江戸の三大祭よ」と山名さん(歴史作家)が他の祭りを含めて説明する。
 敷地内の千代田区指定「神田の家」(遠藤家)の邸宅に出向いたが、中に入れず、外観を見たにとどまった。そこから屋上庭園を経由し、おなじ境内の「銭形平次の碑」まで行った。作家と出版社が発起人が銘記されている。文芸評論家の清原さん(会報委員長)がくわしく説明してくれる。

 急勾配の男坂を通り、湯島天神に向かう。「妻恋坂」の交差点を横目で見る。「素敵な地名ね」と新津きよみさん(推理作家)が随分気に入っていた。「ミステリーのなかで使ったら」という話をしながら、湯島神社に入る。菊展が開催されていた。梅は有名だけれど、秋には人寄せで、菊展をするのかな、と思いながらも、周囲を見ると、「学問の神様」だから、学生の参拝者が多い。
「猿回し」でしばし笑ってから、次の目的地、ニコライ堂に向かう。

 徒歩での道のりは長いが、古風な店構えの飲食店がある。それらを楽しむ。黄葉の見ごろに近くなった銀杏並木を通り、聖橋を渡り、御茶ノ水を通り抜け、ニコライ堂に入った。

誰もが敷地に入るのは初めてだった。教会の建物内は運悪く、10分違いで閉まっていた。ところが葬儀の通夜があり、ロシア人の牧師がきて、鍵を開けてくれて、見学時間を延長してくれた。入るについては、300円だった。持参品の取り扱いとか制約がいくつかあった。
 元JALで海外駐在が長かったという、井出さん(PEN事務次長)がロシア正教会について語ってくれた。

 豪華な明治大学の横を通り抜けていく。それぞれが母校の昨今を語り、入試の人数が抜群となった明大と比較をしていた。

「大久保彦左衛門の屋敷跡」で江戸時代を語り、夏目漱石の出身の錦華小学校跡地へと向かう。「吾輩は猫である」の碑と、漱石略歴の案内板の前で、明治時代の文学を話し合った。

 神田神保町へと足が向かう。この界隈は相澤さん(広報委員長)がくわしい。古本屋をのぞきながら、「周恩来ここに学ぶ 東亜高等予備校」碑のまえにきた。日中国交回復に寄与した人物である。それだけに、日本PENと中国の作家が毎年相互に開催している、「日中文化交流」が流れた? 延期について話題になった。
 
 相澤さんが推薦の居酒屋「酔之助」(よのすけ)に入る。吉澤さん(PEN事務局長)が合流する。
 実にメニューが豊富だった。それぞれがめずらしげな一品から三品ていどを頼む。酒が入ると同時に、歴史談義、文学談義だ。
 酒も深酒になる。男性はもう一軒とお決まりのコースで、神保町の老舗居酒屋「 兵六 ( ひょうろく ) 」に入った。薩摩焼酎が有名だという。
 店内の林芙美子の色紙を見ながら、また文学を肴に飲む。

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