What's New

原発を完全廃絶しても、寄港する原子力潜水艦事故のリスクは残る

 日本人はフクシマ原発事故から何を学んだのか。難解な原子物理学が、国民にも平たく理解できたことだ。原子炉が稼動していなくても、炉心を冷やし続けなければ、水素爆発を起こして大災害になる、とわかった。これだけの知識は将来を見通す上で、重要だ。

 一部報道によると、福島第一原発に押し寄せた、津波の高さは約14メートルだったという。原発の防潮堤は遥かに下回る5.7メートルでしかなかった。その結果、津波は原子炉の冷却装置を壊し、炉心部が解けるメルトダウンにまで及んでいる。

 東電は一方的に問題視されている。だが、マグニチュード9.0規模の大津波の予知、予想能力があれば、フクシマ原発はそれに見合った建設設計がなされていただろう。地震学の権威者すら、大津波の規模を予想できなかったのだ。いまさら東電を責めても仕方ないことだ。ただ、原発「安全神話」は崩れたことは確かだ。

「過去から原発には警鐘を鳴らしていた」
 そう発言する人が竹の子のようにメディアの前に現れた。そして、東電バッシングをしている。東電の利権にまで批判が及ぶ。なかには、放射能汚染によって何年も、何十年先までも、廃墟の町になる、と恐怖を煽りにあおっている。

 1945(昭和20)年8月6日、広島に原爆が投下された。市街地は完全破壊された。大勢が死んだ。と同時に、残留放射能の濃度は高かった。
「広島には100年間、草木は育たない」と言われたものだ。翌月から、広島の復興に大勢の人が入ってきた。原爆ドームの周りは植物も育ち、水も浄化されてきた。数年にして、完全廃墟の町を再生させ、西日本最大の都市にまでなった。
 福島原発事故の惨状がまだ収束していない。フクシマ原発の冷却装置が正常に戻れば、周辺住民の復興は早まるのではないだろうか。それは広島・長崎の経験から推量できる。

 脱原発の意見が飛び交う。環境にやさしく、人体に無害な代替エネルギーはあるのだろうか。水力発電のダムは山岳地下水を遮断し、山を破壊している。火力発電所は大気汚染に悪影響を与える。風力発電は地域住民の体調不良が報告されている。ソーラーシステムはコストと発電能力に問題がある。

続きを読む...

30年来の小説仲間と語る。同人誌「クループ桂」の合評会に参加

 同人誌「グループ桂・64号」の合評会が7月13日、千代田区立和泉橋出張所・区民会館で開催された。私は数年ぶりに出向いた。

 同誌は、昭和50年代半ばに、講談社フェーマス・スクール「小説講座・伊藤桂一教室」で学んだ受講生が1985(昭和60)年に立ち上げたもの。私は発起人の一人だった。
 日本文壇の重鎮・伊藤桂一氏(直木賞作家)も、発足に関わってもらった。

 私は30号くらいまでは作品を掲載していたが、その後はわが道をいくで疎遠になっていた。合評会は、数年に一度くらい。


 伊藤氏は全64号に作品を掲載し、約26年間に及ぶ。93歳の高齢だが、なおも合評会を通して小説指導を続けている。伊藤氏は現在も、国内の著名な文学賞の選者でもある。それだけに、同人誌の講評も鋭い。


 同人は「小説講座」で学んでから、筆歴が30年余りの書き手ばかり。読み手も学んだベースはおなじ。それぞれが遠慮のない意見を述べる。作品に対する意見も、反論も、釈明にも目線の高さが同じだから、理解も早い。
 このように永年にわたり、切磋琢磨してきた筆者だけに、同人誌の質の高さにおいては国内でも最右翼だろう。

続きを読む...

推理作家の新津きよみさん、葛飾・立石を歩く

 新津きよみさんは売れっ子の推理作家だ。彼女の作品の多くがTVドラマの原作になっている。現在執筆中の推理作品のなかで、指名手配犯にかかわる女性の住まいを東京・下町にしたいという着想があった。
 それを聞いたので、葛飾・立石を勧めた。レトロな町で人気があるし、夜の街は若いカップルも多く、『昭和の町』といわれている。これまで、日本ペンクラブの方々を立石に案内すれば、皆さんはずいぶん気に入っていますよ、とつけ加えた。


 新津さんとの話し合いで、6月14日(火)の午後3時から、立石取材の同行を決めた。と同時に、夕方5時からは新津さんのファンとのミニ懇親会をセッティングした。

 待ち合わせ時間に京成立石駅に出むくと、彼女は早めに来て、すでに駅周辺の繁華街を歩いていた。それならば、町なかの案内はカットし、一級河川の中川に架かる本奥戸橋に出むいた。途中で、手焼き煎餅屋に立ち寄った。
 本奥戸橋は古い鉄骨構造だ。近代的な橋にはほど遠い。ところが都内とは思えないほど、この地点は七曲りの蛇行で風光明媚だし、東京スカイツリーが近くに見える。下町の新名所である。そんな説明をした。
「TVロケも使えるわね」
 新津さんは、すでにテレビ化を視野に入れていた。

 駅近くに戻り「葛飾区伝統産業館」にむかった。火曜日は休みだった。下町職人の技と工芸品の展示があり、交代制でつめる職人がみずから工芸の手法から製品化まで説明してくれる。新津さんには絶好の素材だと思ったが、残念だった。

 作中の「指名手配犯にかかわる女性」の住まいはどこにするか。彼女は思案していた。

続きを読む...

小さな奇遇が、3つも連続=ご近所から、徳川家茂と和宮の謎まで

 日本写真協会(東京・千代田区)の総会に出席した。2011年4月1日に、同協会は公益社団法人に認可された。
 宗雪雅幸会長をはじめとした執行理事は、安堵の表情で、総会に臨んでいた。事業報告、決議事項とも、会員からは質問も、反対もまったく出てこない。すべて挙手で、原案通り可決だった。

 文芸関係や山岳関係の総会では、質問が立て続けに出てくる。日本ペンクラブなどは発言者が多く、議事の進行が止まってしまう。それら荒れる総会を知るだけに、写真の会員はおとなしいな、と妙に感心してしまった。

 写真はカメラを被写体に向けて、目と心で語りかけて撮るものだ。口は必要ない。そんな勝手な解釈で、自分を納得させた。

 この総会のさなか、右横の席から、不意に肩をたたかれた。鈴木幸次さんだった。
「これはまた奇遇ですね」
 ふたりの驚きの言葉だった。議事進行中だったから、それだけの言葉だった。

 昨年末には、わが家に一枚の展示会の案内・はがきが届いた。鈴木さんが同会に入会し、名簿を見ると、極々近いところに、私の住居(葛飾区)あると知り、連絡してきたものだ。日程の都合がつかず、展示会には参加できず、そのままになっていた

 約半年が経った。
 2011年6月1日の『写真の日』のレセプションで、私が会員のネームプレートから『かつしか写真クラブ』主幹を見つけて、声がけをしてみた。
「よくわかりましたね」
 鈴木さんが感心していた。
「葛飾区東立石で、わずかな番地違いで、同じ会員とは奇遇ですね」
 ふたりはともに住居の場所を確認し、あまりの近さに驚いていた。 

 鈴木さんは、山岳写真からスタートし、現在は花とポートレートだという。私も略歴を語り、一気に親しい会話となった。

 それから半月後、この総会で真横に座っていたのだ。まさに奇遇に思えた。
 総会終了後は、懇親を深めるために、「お茶しましょうか」と誘った。1階の写真展をのぞいてから、近所の喫茶店に入った。

 鈴木さんが主幹のクラブは会員が約20人、月2回の会合を開催している。構図が中心の指導だという。作品提出は数枚だが、300枚近くを出す方がいると聞いて驚かされた。
「数多くの枚数を撮ったうえで、絞り込むのも能力の一つなのに……。それができない方なんですね」
 そんなコメントをさせていただいた。

続きを読む...

Pops Singars Festial vol.1=写真で楽しむポップス①

沢村まみさんはソロシンガーとして活躍されている。兄には、曲家の著名な・中島安敏さん、姉には故・澤村美司子さんをもつ、音楽一家に育った。、


「Pops Singars Festial vol.1」が、5月30日に東京・赤坂の草月ホールで行われた。


パティオイカウイイさんは、ハワイのシャーマンが名付け親です。プレスリーに憧れで、16歳で世界に飛び出す。


世界的な交流イベントに数多く参加する。レパートリーはポップス、ジャズから、民謡、童謡まで、幅広い。


由紀 真さんは俳優座養成所10期生です。活躍の場はTV、ラジオ、ショー、CMなどと幅が広い。浅草ジャズコンテストの常任審査委員です。


舞台のスポットライト
歌手たちの豪華な世界を演出しています。

さが ゆきさんは5のときに歌手になろうと決めた。84年には中村八大グループの専属歌手になってから、8年間在籍した。

現在は、海外公演も多い。

続きを読む...

荒れた総会の後で、作家たちは親しく歓談=日本ペンクラブ

 2011年の日本ペンクラブ総会が東京會舘で行われた。総会の終了後は、シルバールームで懇親会が行われました。

 阿刀田高さんは日本ペンクラブ15代会長として、二期4年をつとめました。総会が終わり、大役を終えた安堵の笑顔で、スピーチをされていました。

 作品はユーモラスなものが多いだけに、要職を終えると、持ち前の明るさに戻っていました。


  浅田次郎さん(作家)は専務理事から日本ペンクラブ第16代会長に就任しました。会長は決して飾り物でなく、常に会合とか、文化フォーラムとか、イベントに出席します。超人気作家だけに、これからは公私ともにもっとハードになることでしょう。

 むろん、専務理事は実務の総統括者ですから、それも大変なことでした。

         

                   広報委員会・委員の鈴木さん(編集者)

 選挙管理委員とか、ペンクラブの役割が増えてきたようです。現在、私と芸州藩の研究を行っています。


            執行部の理事たち

 写真・左から、中西進さん(古典文学者)、吉岡忍さん(著名なジャーナリスト)、高橋千劔破さん(元歴史編集長、作家)、西木正明さん(直木賞作家)。

 吉岡さんは専務理事に選ばれました。NHK「クローズアップ現代」などで、事件・事故のTV解説で、つねに出演されています。

 


         私(穂高健一)と縁がある人たちです。


 写真・左から、篠弘さん(日本文藝家協会・会長)、伊藤桂一さん(直木賞作家・私の恩師)、穂高健一、眉村卓さん(私が受賞した・自由都市文学賞の選者)。

 撮影:須藤甚一郎さん(芸能レポーターから目黒区会議員)

続きを読む...

大荒れの日本ペンクラブ・総会、作家たちは歯に衣を着せず(下)

 昨年9月には国際ペン東京大会が25年ぶりに開催された。総額2億円の支出があった。成功裏に終わったが、会計処理において、大きな汚点となる、簿外口座の存在があった。さらには予算超過でも理事会の承認もなく進んでしまった。

 執行部は最近まで、簿外口座の報告もなく、その存在を知らなかった。この体質にも問題がある、と会員からは総会で厳しい追求となった。

 公認会計士の調査によると、簿外口座による(個人的な)不正はゼロ。だが、今後において、この体質は問題が多い、と指摘された。


 国際ペン東京大会の文学フォーラムでは、広川隆一さんの「人間の戦場43年」が早稲田大学小野梓記念館で開催された。
 総会で、広川隆一さんが「会計処理が曖昧」と噛みついた。

 故立松和平さん(当時・平和委員長)から平和委員会企画写真展を持ち込まれたとき、「予算がかかると開催が難しい。最小限の予算でやれないか」と要請された。立松さんは故人となったが、その意思を受け止めて「私は切り詰めて、人を介して展示経費を削りに削った、100万円以内で実施にこぎつけた」という。

 ところが、収支報告書には約一千万近い金額が掲載されていた。それを問うと、「日本ペンクラブの歩み」750万円が合算された処理だった。
「こちらの展示は業者任せ。金額があまりにも違いすぎる。そのうえ、会計処理が大づかみすぎる」と怒りの口調で責めた。

 他の複数の質問者からは、「謝罪のみだけではだめだ、ばら撒き体質を作り直すことだ」と迫った。実例として、「使った業者のアルバイト代が一人3万円、残業代が5000円。こんな経費をノーチェックで認めている。日本ペンクラブは会員の会費でまかなわれている、という認識が薄すぎる」と言い、体質改善を求めた。

続きを読む...

大荒れの日本ペンクラブ・総会、作家たちは歯に衣を着せず(上)

 第55回、日本ペンクラブ(阿刀田高会長)の総会が5月25日、東京・千代田区の東京會舘で開催された。議長には山田健太さん(専修大准教授)が指名された。

 日本ペンクラブ(P.E.N)定款の改定の討議に入った。高橋千劔破常務理事から、何年間も改定が延び延びになっていたと言い、その趣旨説明があった。
「重要な定款がながく改定もされず放置されていた、執行部の放漫ではないか」
 鋭い質問がさっそく出た。
「これまでの総会で出席者(委任状を含めて)3分の2の達せず、法的に改正できなかった。今回は会員1860人に対して、1266人の出席が得られた」
 という釈明で切り抜けた。わずか26人超で、参加者の賛成多数で可決した。
      
           厳しい追及を受ける日本ペンクラブの執行部
    
 2010年の決算報告に入ると、メディアでも報じられてきた、「簿外口座」に対して、鋭い質問が飛び交った。

 篠弘監事の監査報告の段階から、国際ペン東京大会で予算に対して、大幅な予算超過(約4000万円超)がある。それにもかかわらず、臨時総会もなく、理事会にもかけず実施したと、監事すらも容赦なく、批判側にまわっていた。

 簿外口座とは世間では通常、不正の温床である。内部けん制の体制ができていない、と篠監事が指摘する。
 ただし、公認会計士の特別調査で、簿外帳簿に関して不正はなかった、という報告書を本日受け取った、と付け加えた。吟味をする余裕はないままに、それを読み上げて紹介するだけである。


 監督官庁の外務省から体質改善の要請があったと、財務委員長が報告する。(注)

「P.E.Nは会員の会費から成り立っている、無駄金に対して、執行部の責任はどうなのか」
 会員が強い語調で迫った。

続きを読む...

大震災の名作にチャレンジしよう=第49回・元気100エッセイ教室

「東日本大震災」の烈震と大津波は、TV映像を通して、世界中の誰もが強烈な印象を受けました。自然災害に対する人間生活の脆さ。「これでもか、これでもか」と繰り返し報道され、観るほどに、心を痛めました。

 大都市・東京でも強震で、多くの都民が恐怖を覚え、帰宅難民となりました。その体験から、数多くの作品が生まれてきています。

 それらが私の手元に寄せられています。殆どが距離感がなく、作者の想いが空回りしています。恐怖の感情用語を声高に並べているに過ぎないものです。却って恐怖が響かず、伝わらずです。
 TVや新聞の報道と比べて、はるかに見劣りしています。

 今後、数年間においてプロ・アマを問わず、「東日本大震災」素材とした、エッセイ、小説の名作品が生まれることでしょう。


 今回は「名作が生み出せる可能性」について、レクチャーしました。

 映像には災害の迫力があり、新聞記事には掘下げがあります。文学の強みは何でしょうか。「災害時の人間を描く」、という強みです。

 大災害に対峙した「人間の何を書くのか」という、徹底した『テーマの絞込み』が大切です。と同時に、『距離感』です。


 大災害を体験したり、大事件に遭遇したり、身内の不慮の死に直面したり。そのまま状況を書くと、体験的にただ説明された、「距離感がない作品」になってしまいます。

 作者が対象(大災害)を客観的に捉え、突き放して、描写文で展開していけば、「距離感が取れた作品」となります。
「うまい文章だな、的確に言い当てているな」「上手に描いているな」「この作者にしか書けない表現(描写)だな」と高く評価されます。


 東日本大震災をどう描くべきでしょうか。大地震がきた瞬間は読み手に最も強いインパクトを与えることでしょう。
 どのように読み手を引き込むか。文章表現で、強い求心力を持たせるか。

続きを読む...

男と女の邪念こそ、生きる原点、長生きの秘訣=渡辺淳一

 日本文藝家協会の総会が5月17日、アルカディア市ヶ谷(私学会館)で行われた。夕刻6時から同会員や出版・放送関係者などの懇親会が開かれた。同会員である渡辺淳一さん(作家・医学博士)が、20分間のミニ講演を行った。


タイトルは「無題」でしたが、年老いても性に対する邪念が大切です、と強調された。講演内容を紹介します。

 男と女の側面でもある、邪念(じゃねん)は正直なものである。
 外科医として病院勤務をしていましたころ、病棟に、ある男性患者がいました。元小学校校長で、半身不随でした。
 女看護師が、「あの患者はいやらしくて嫌だ、先生(渡辺氏)、注意してください」と言われた。朝、脈をとるときは決まって手を握り返す。ベッド周りのことを行っていると、胸元を覗き込む、と訴えてきたのです。

「半身不随の患者だし、胸を見せてやっても、いいじゃないの」
 というと、私は批判されました。
 婦長ともども、策を練り、胸が覗けない制服姿で対応した。すると、その患者は2週間後には死んだ。
「胸を見せていれば、もっと長生きできたはず。見る執念が生きる原点だったと思う」


 女性も同様で、性の邪念がある。大腿骨を骨折した老婆がリハビリで、ハンサムな整体師をなにかと独り占めしていた。「ほかの患者さんもいるのだから」と注意しても、拘泥して指名する。
 イケメンに対する執念から、女性は1か月で完治し、退院して行きました。男にしろ女にしろ、知性よりも、邪念が大切。生きる原点だから、恥じることはまったくない、と渡辺さんは強調した。

 

続きを読む...