P.E.N.広報委員会の反省会、打上げ会、作家たちは美声を聴かせる
「国際ペン東京大会」が2010年9月に開催された。会場は早稲田大学・京王プラザホテルなど。ノーベル賞作家、文学者たちの講演会、文学イベントが行われた。他方では国際会議として、諸外国から参列した文学者たちの代表者会議が行われた。
ホスト役の日本ペンクラブは大会を成功裏に終わらせた。それには阿刀田高会長以下、各委員会・メンバーや会員が精力的に処してきた、という背景がある。
同会員は、現役の作家、詩人、文筆業、大学教授など、大半がそれぞれ仕事を持って活動し、収入を得ている。
国際ペン大会に向けて、仕事の一部、あるいは大半を棚上げし、全力投球してきた人も多い。同クラブはボランティア(会場までの交通費も自前)だから、収入減になる。それもいとわず国際文学活動のために尽くしてきた。
私が所属する広報委員会(相澤与剛委員長)は会報委員会(清原康正委員長)と合同で、一年半、取り組んできた(担当役員:高橋千劔破)。
大会前の広報活動は、報道各社への案内、会員への通知など、処すことが多かった。大開当日は、「日本ペンクラブの歩み」などの展示会、記者会見の対応、そして各セッションに出向き、「記録資料編纂」の取材を行ってきた。
国際大会が終わっても、記録の整理、執筆などが続いてきた。半年後の現在、記録資料がゲラの段階まできた。
一区切りついたところで、合同委員会の反省会と打ち上げ会が行われた。
国際ペン東京大会は25年周期で、日本が受け持ってきた。となると、次回も25年後の可能性が高い。それが共通認識だった。
この反省会が次回に生かされるにしても、25年後は誰も委員として残っていないかもしれない。個々人が良かった点と改善点を述べ、記録で残すことになった。
反省会。とともに委員会メンバーの最後の顔合わせ会でもあった。日本ペンクラブ規定で、各委員の任期は2年間である(再選もある)。
阿刀田会長は2期勤めたが、3期目を辞退している。新しい日本ペンクラブ会長は誰になるのか。
初代が島崎藤村、正宗白鳥、志賀直哉、川端康成……、と著名作家が続いてきた。次期会長の選任には興味深いものもある。