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かつしか区民大学・特別講演会=パネラーも「楽しかった一日です」

「楽しかったよ。パネラーも楽しめる、フォーラムだった」
 出久根達郎さん(直木賞作家)が、会場から出て、雨降るなか、葛飾・立石の飲み屋に向かうさなか、開口一番に、そう言った。

 日本ペンクラブの「ペンの日」(11/26)の東京會舘で、各パネラーから声をかけられた。

「いや、良かった。楽しかったよ」
 轡田隆史さん(元朝日新聞論説委員)が笑みを浮かべていた。
「良い写真冊子が届いた、凄いね。かつしかPPクラブのメンバーなの。すごいね」
 吉岡忍さん(ノンフィクション作家)が、郡山利行さんの記事・写真集をべた誉めしていた。
「そんなに、ニコニコ顔だった、ぼくが?」
 吉澤一成さん(日本ペンクラブ事務局長)
「ありがとう。もっと本を持って行けばよかった。20冊があっという間に売れたし」
 新津きよみさん(推理小説作家)の紹介本で、私が会場で掲げて見せた、その文庫本までも販売した。彼女からは、差し上げたものだったからと言い、ていねいにも、その本が郵送で届いていた。

 東京・葛飾区は区制が敷かれて、今年で80年を迎えた。80周年記念行事で、「かつしか区民大学」の特別講演会が11月17日(土)午後2-4時開催された。場所はウィメンズパル(同区・立石)で、タイトルは「日本ペンクラブのメンバーが『下町葛飾・立石』の魅力を語る」である。
        
 各パネラーが「台本なし」で思いのまま語った。私(穂高)はコーディネーターを行った。

 かつしかPPクラブの区民記者が講演録と写真を取っているので、いずれかの機会に、「みんなの作品」コーナーに掲載されます。
 各パネラーの顔の表情とか、二次会の写真とか、その様子も含めて?


                     写真提供:郡山利行、滝アヤ

第6回・歴史散策・文学仲間たちと=御茶ノ水・神田

 日本ペンクラブの広報委員会、会報委員会の歴史作家、歴史好き作家、文学者の7人がごく自然にできた、「歴史散策」は6回目となった。11月7日(水)午後1時、JR御茶ノ水駅・聖橋口が集合場所だった。そして、御茶ノ水・神田界隈の歴史ある場所を回った。

 私はそれに先立つこと、都営線・蔵前駅で電車が止まり、少し遅れた。日本の電車は世界に誇る正確な交通機関だったが、最近の都心部の電車はしだいに時間が読めなくなってしまった。「線路内に人が立ち入った」という表現を聞くたびに、うんざりさせられる。誰がいつ、どんな理由で、どの路線に立ち入るか、こればかりはまったく読めない。待ち合わせ時間に5分、10分早めに出かけたところで、この言葉に出会うと、もっと長い時間を要する。
 ときにはローカル列車に一本乗り遅れたよりも、不快感がつのることもある。

 お茶の水駅をスタートした歴史・仲間は、聖橋を渡る。眼下には神田川が流れる。のぞき見るが、きょうは船の往来はなかった。

「湯島聖堂」に入る。文学にたずさわる者ばかりだから、聖堂と孔子からはじまる、案内板をじっくり読み込んでいる。德川綱吉の時代には儒学が盛んになり、聖堂ができている。その後、幕府直轄の昌平坂学問所(昌平校)の開設された。こうした時代の出来事なども語り合う。
 歴史は誰もが強いから、話題が途切れることはない。

 「神田明神」へと向かう。同神社の鳥居の手前で、甘酒屋の老舗「天野屋」があった。皆して迷わずに入ると、古風な雰囲気で、古い時計や鉄道関連品が店内装飾になっていた。
 甘酒は50円高かった。「冷えたビールが常温よりも高い時代があったな」そんな話題も出てきた。

 神田明神は広い境内で、「神田祭は江戸の三大祭よ」と山名さん(歴史作家)が他の祭りを含めて説明する。
 敷地内の千代田区指定「神田の家」(遠藤家)の邸宅に出向いたが、中に入れず、外観を見たにとどまった。そこから屋上庭園を経由し、おなじ境内の「銭形平次の碑」まで行った。作家と出版社が発起人が銘記されている。文芸評論家の清原さん(会報委員長)がくわしく説明してくれる。

 急勾配の男坂を通り、湯島天神に向かう。「妻恋坂」の交差点を横目で見る。「素敵な地名ね」と新津きよみさん(推理作家)が随分気に入っていた。「ミステリーのなかで使ったら」という話をしながら、湯島神社に入る。菊展が開催されていた。梅は有名だけれど、秋には人寄せで、菊展をするのかな、と思いながらも、周囲を見ると、「学問の神様」だから、学生の参拝者が多い。
「猿回し」でしばし笑ってから、次の目的地、ニコライ堂に向かう。

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NHK大河ドラマ『八重の桜』の先取り講演・清原康正氏=鎌倉

10月27日(土)午後1時から、鎌倉・故早乙女貢さん邸宅で、清原康正(きよはら・やすまさ)さんの講演が行われた。タイトルは、「早乙女人脈の広がりと『明治の兄弟』~NHK大河ドラマの主人公」である。
 清原さんは著名な文芸評論家で、日本ペンクラブ・会報委員会の委員長である。同志社大学大学院卒。大河ドラマ『八重の桜』の主人公である新島八重は、新島襄(同志社大学設立)の妻であるから、興味深い講演だった。


 私は昨年の秋に、会津に取材で出向いているし、戊辰戦争に関しては常に関心を向けている。この戦争は何だったのか。江戸時代の260年間一度も海外と戦争をしない平和国家から、戊辰戦争で、明治政府は戦争勝利品の味を覚え、海外派兵の戦争国家になっていったという認識が強い。

 ことし9月初めころ、清原さんから、「早乙女邸の講演に来ない?」と誘いを受けた。会津の新島八重の話だというので、一言返事で出向いた。

 京都人の清原さんの視点だから、薩長と会津とに対して公平感があった。私には好感が持てた。

 これまで「会津落城」となると、とかく悲劇の美化とか、史実の歪曲が多く、鼻持ちならない話が多く、あまり好きになれなかった。
 会津城を攻撃したのは薩摩藩と土佐藩だった。会津が白虎隊の悲劇を含め、憎むべきは薩摩、総大将の板垣退助・土佐藩なのに、「会津は長州を憎し」と作り上げている。
 これらは枚挙に厭わないし、聞くだけでうんざりさせられてしまう。

 清原さんは、会津落城とせず「会津開城」として説明していた。
 
 新島八重は会津砲術師範の娘として生まれている。羽織袴を着て、刀を差し、城に立て籠もり、戦った人物である。洋式砲術にも堪能で、スペンサー銃で戦い、幕末のジャンヌ・ダルクとまでいわれた女傑である。

 開城後は、京都・薩摩屋敷に囚われていた、兄の山本覚馬(かくま)を頼って京都に行き、そこで新島襄に出会うのだ。清原さんはこうした流れから、なぜ京都か、それを詳しく説明する。

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わがジョギング・ロード、東京スカイツリーを見ながら、ノコノコと

 だれかれ問わず時おり、「最近は走っていないのですか。HP『ランナー』に書き込みがないようですけど」と訊かれる。

「週に2度かな、3度かな、10.5キロを走っています。ときには7キロになりますけど」と応えている。
 なぜ、10.5キロ、7キロと端数が出るのか。『中川左岸・右岸緑道公園ジョギングコース』には200mごとに路盤に距離表示があるので、シビアなタイムと距離が測れるからだ。

 私の住む葛飾・東立石は海抜ゼロメートル地帯だ。大災害が起きれば、最も弱い地域だ。その反面、わが家からすぐ近くに、中川、荒川放水路があり、ジョギング・ロードとしては都内では最高の環境に恵まれている、と思う。
 ともに護岸には信号機はないし、景色には恵まれているし、ロングコースである。最近は東京スカイツリーの完成で、いっそう風光明媚な河岸となった。

 平和橋と奥戸橋と、右岸・左岸を回ってくる。3.5キロだ。
 3~4年前はマラソン市民大会に出るために、中川や荒川に出て、多少の雨でも走っていた。
 夜明けとともに起きて河川の護岸に出て走っていた。タイムを競う、筋肉を弛めない。継続は力なり。そんな気力に満ちていた。

 最近は荒川の河口に向かうこともないが、東京湾まで行けば、往復20キロだし、1キロずつの標示がなされている。信号機はないし、どこまでも一直線だ。
 JRや地下鉄の高架鉄橋とか、道路の大橋とかが、頭上を越えていく。だいたい1キロずつだから、飽きない景色だ。
 最近は出向いていないので、中川の奥戸橋・平和橋ばかりになっている。

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新津きよみさんを囲む「世田谷散策」、戊辰戦争の謎が解けた?

 関根稔さん(ライフ)が春先に企画してくれた、新津きよみさん(作家)を囲む「世田谷散策」が諸般の事情で、夏を越え、秋まで繰り越されていた。10月23日(火)に決定した。メンバーは新津フアンである古関雅仁さん、佐藤恵美子さん、そして私の5人。従前から交流がある仲だった。

 前日の天気予報となると、23日は発達中の低気圧の通過で、竜巻、突風、豪雨の悪天候だという。ニュース番組でも、明日の外出は注意するように、と報じていた。その低気圧は昼過ぎに関東地方を抜けていくという。
「どうするの?」
 この機会を失くして再調整となると、いつになるか判らない。関根さんの判断で、世田谷見学をする時間はかなり圧縮されるが、集合は3時間ずらしで、午後3時に新宿駅と決まった。

 5人は京王線、東急世田谷線と乗り継いで宮の坂駅に着いた。関根さんの案内で世田谷散策がスタートした。

 世田谷八幡神社の境内には珍しい土俵や力石があった。毎年9月には東京農大の奉納相撲が行われるようだ。
 わがメンバーもと古関さんと佐藤さんが奉納相撲をしていた。

 豪徳寺は井伊家の菩提寺である。「招き猫」発祥の地でもあるらしい。江戸城桜田門外で、水戸・薩摩の浪士に暗殺された井伊直弼(なおすけ)の墓があった。こんなところに井伊大老の墓があったのか。そんな感慨を覚えた。

 一方で、徳川に近い井伊家の豪徳寺がなぜこうも広い敷地なのか、と私は疑問をおぼえた。明治の廃仏毀釈など考えても、境内が大きく圧縮されもおかしくないはずだ。

 本堂の近くには三重塔があった。二層の垂木に彫られた猫を説明するボランティア・ガイドの老人がいたので、その理由を聞いてみた。井伊家が戊辰戦争の時に官軍に付いたからだという。(猫の木彫りしか興味がなさそうだった)

 私には過去から戊辰戦争の歴史疑問があった。

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山名美和子著「戦国姫物語―城を支えた女たち」の出版記念会

 10月10日、東京・銀座クラッシクホール(銀座ライオンビル6階)で、歴史小説作家の山名美和子さんの出版記念会が開催された。

 著作は「戦国姫物語―城を支えた女たち」(鳳書院・本体1,600円)である。波乱の生涯をおくった、姫たちのドラマ60篇が収められている。

 同発起人代表は西木正明(直木賞作家・PEN常務理事)で、「彼女は自分の足で、全国の城を訪ね歩き、戦乱に生きた女性たちの歴史秘話を丹念に取材して書き上げた秀逸な作品です」と紹介があった。
 発起人はPEN側として浅田次郎(会長)、吉岡忍(専務理事)、高橋千劔破(常務理事)ほか、私を含めた6人と、丸山晃(埼玉新聞社)である。

 山名さんは挨拶のなかで「取材で、多くの城をめぐりました。かつて戦いの砦だった城に歳月はながれ、なお残る華麗さに目を奪われ、あるいは埋もれた歴史に哀愁を誘われます」と述べた。

 城は戦いや天災、江戸時代の一国一城令、明治の廃城令、そして空襲により、多くが失われましたが、土塁や石垣を吹きすぎる風の音、せせらぎに耳を傾けると、往時の人びとさんざめきが聞こえてくるようです、と話す。

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いつも、いざという時も、1人では生きられない=「元気に100歳クラブ」誌

 100歳まで生きよう。それだけではダメで、元気で100歳まで生きてこそ、人生が豊かになる。その趣旨で2000年に「元気に100歳クラブ」(代表幹事・和田譲次)が発足した。
「元気が最高のボランティア」の旗の下に、現在の会員数は全国で約250人である。
 北海道から九州まで、本支部において勉強会、レクレーション、パソコン教室、趣味の会など、幅広く展開されている。

 その一つに出版活動がある。毎年1回は、単行本形式のクラブ誌『元気に百歳』が発行されている。

 10月10日には、『元気に百歳』第13(夢工房・本体1,200円)号が発行された。同会員の58人が執筆している。


巻頭言  「長寿ギネス記録カルマンさんの生まれ故郷を訪ねて」(白澤卓二・医大教授)

インタビュー「好奇心ガール、これからの挑戦」(笹本恒子・写真家)

ゲスト寄稿 「夢実現の法則」(吉村作治・エジプト考古学者)

 同    「傾聴と祈り」(日比野則彦・サックス奏者)

 同    「来るべき大地震に備えて」(青木元・気象庁)


 会員はジャンル別に掲載されている。

『人と出会い支え合う』
        「永遠に生きよ、五葉松」(児玉朝能) 他13名
『自然と共に支え合う』
        「津波てんでんこ」(板倉宏子) 他8名
『言葉響き支え合う』
        「言葉の力―私が救われ支えられた言葉―」(豊田勝子)他8名
『命育み支え合う』
        「みかんの花咲く丘」(喜田祐三)他10名
『友と語らい支え合う』
        「旧い友達」(中西成美)他4名
『心耕し支え合う』
        「『元気に百歳』クラブ俳句サロン『道草』」(住田道人)他9名 
 

 私は同クラブから「エッセイ教室」の講師を依頼されて、もはや6年余り。受講生たちの良品が数多く掲載されています。(穂高健一は未掲載)。

ミステリー小説「海は燃える」が最終回

 小川知子さんは私の中学時代の担任(国語)だった。習字の時間には「自分の名前ぐらい練習して丁寧に書きなさい」と叱責された。国語の時間には「作文は上手ね」と褒めてくださった。

 私が30歳のとき腎臓結核で長期入院となった。全集などばくぜんと読んでいるだけでは、日々が面白くなくなった。何かできることがないかな。そう考えたとき、中学生時代には作文を褒められた、という記憶がよみがえってきた。
「小説でも書いてみようかな。身体を動かさなくても、寝たまま頭を使えばいいんだから」
 そんな動機から始まり、こんにちの作家稼業へと結びついた。

 ミステリー小説『海は燃える』の最終回・「17夜祭」が、隔月誌「島へ。」68号(10/1発売)に掲載された。同誌53号(10年5月1日発売)から16回にわたって連載してきた推理小説である。

 美大生の誘拐事件からスタートし、中盤ではいじめ事件を絡ませ、終盤では真犯人と対峙する殺人事件へと運んで行った。

 推理小説はこれが書下ろしならば、伏線とか、証拠品とか、犯人の遺留品とか、最初からもう一度書き直せる。しかし、連載となると、すでに本は発行されているから、さかのぼって書き直しができない。それが厳しい。
 犯人に結び付くだろう、証拠品、発言、目撃者をあらかじめ配置しておくのだが、当初の「作者の想いや考え」とは違い、登場人物が勝手に動きだす。
 最初の「あらすじ」など、途中で吹っ飛んでしまうから、なおさら厄介だった。

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役に立たない登山教室に参加してみて=槍ヶ岳

「高所登山は、無理しない、体調は万全を期す。基本だ、わかったか」
「深夜バスで、寝不足なんですけど」
「だったら、そこのベンチで休息を取っておけ」
「皆から、遅れますけど」
「別に、君が山に登れても、登れなくても、なんら問題はない」

「ソフトクリームが食べたいだって。山に来たら、おなかをこわすものは食べない。基本だ」
「でも、食べたいわよ」
「正露丸もってきたか」
「はい」
「じゃあ、食べてよし」

「あのインストラクターは女に甘いよな」

「あんな高いところに登るんですか」
「上を見て、ため息をつくんじゃない。下を見て、靴ひもでも締めろ」
「ああ」
「山に来て、景色を見ようなんて、10年早いんだ。下を見て歩けよ」
「10年経ったら、何歳になるのかな?」

「手を振って、足をあげて。大地をしっかり一歩ずつ踏みしめるんだ」
「素直にやれる奴は、良いよな」


「要所、要所で地図を見るんだ。地図で、ルートの方角を確かめるんだ」
「磁石を買ってくるのを忘れたんですけど」
「だったら、見ているふりをしろ」

「雪渓(せっけい)に乗るな。危険だ。クレパスに落ちたら、どうなる?」
「ケガします」
「じゃあ、自己責任だな」

「地図が読めなければ、絵図でも頭に叩き込んでおけ」
「絵図ですか」
「そうだ。お前たちは地図をもっていても、どうせ飾り物だ。道に迷ったら、役立ちっこないんだから」

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神田松鯉襲名20周年と古希を祝う会=東京

 9月28日、講談師の神田松鯉(かんだ しょうり)さんが誕生日を迎えた。今年70歳の古希である。と同時に、3代目の松鯉を襲名し、記念すべき20年を迎えた。双方を祝う会が、東京千代田区・東京會舘11階シルバールームで行われた。

 本名は渡辺 孝夫(たかお)さん、群馬県・前橋市の出身である。

 講談、落語など演劇界の方々、松鯉さんを師と仰ぐ生徒たち、俳諧人など幅広く、約200人ほどが集まった。松鯉さんは日本ペンクラブの会員で、世界フォーラム、世界ペン大会で、文学作品の朗読を行い、その名が広く知れ渡った。PEN会員からも約25人ほどが参加した。

 同会場では、スライドショーによる、講談師の歩みが紹介された。
 劇団文化座に入った。その後、2代目中村歌門に入門し、1970年には2代目神田山陽に入門し、神田陽之介となった。92年には3代目神田松鯉を襲名した。
 他に1980年より「ビジネス講談」を行い、小笠原への船旅研修の講師なども務めている。
 現在は、日本演芸家連合の理事である。

1978年、第6回放送演芸大賞ホープ賞受賞。
1988年、文化庁芸術祭賞受賞。

 会場では、松鯉さんが参加者たちの要請と拍手で、催促されて、「平家物語」の屋島の戦いの、那須与一の扇の的を射る。名場面を5分間披露した。
「本来は30分ですが」と笑わせていた。

 即興だったことから、縁台が人手のテーブルだった。実に、ユーモラスな光景である。さすがに芸人たちだと感心させられた。

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