A010-ジャーナリスト

死刑囚の首は誰が絞めるの?

 私には、『獄の海』という文学賞の受賞作がある。当初は、死刑囚を書くつもりだったが、とても書けないと解ったから、少年受刑者を主人公にした作品である。選者の藤本儀一、田辺聖子、眉村卓、難波利三の4氏から、作者は刑務官だろう、と言われるほど、取材が利いた作品だった。

 さかのぼること、私は広島拘置所の元副所長(当時50歳前後)から、小説を書く上で、死刑囚について取材を申し込んだ。何度かの手紙のやり取りの末、彼=元副所長が取材に応じてくれた。3時間余りにわたって、赤裸々に語ってくれた。
 退職時には、同拘置所には3人の死刑囚が収監されていたと話す。毎日、死刑囚の観察記録をつぶさに書くという。
「なぜですか?」
「死刑囚が精神異常になれば、刑が執行されないからです。日誌で、正常か、異常の兆候がないか、報告するのです。罪の意識がなくなった精神異常者を殺せば、ただの人殺しですから」
 私にはすべてがはじめて聞く話ばかりだった。

「死刑に最も反対しているのは誰だと思いますか。刑務官ですよ」
 その言葉が強く印象に残っている。
「なぜですか」
「いいですか、刑務官の募集要項には罪を犯した人の更生を図る、大切なしごとです。そう書かれているんです。人間の首を絞めて殺すこともあります、と一行も書かれていません。死刑囚を殺すのは刑務官です」
 殺す。その表現にはどきっとさせられた。
 死刑執行は東京拘置所など、高等裁判所が所在する拘置所である。(高松は大阪に護送)。

「なぜ拘置所ですか」
「裁判で懲役刑が確定すると、刑を執行するために、刑務所に送られます。しかし、死刑囚の刑を執行すれば、それが死ですから、拘置所で終わりです」
「だから、拘置所なんですね」
「東拘(東京拘置所)などに勤務の辞令が出ると、ぞっとしますよ。人間を殺す、そんな任務が自分に回ってくる可能性があるんですから」
 刑務官は転勤で、鑑別所、拘置所、刑務所、少年院と動く。だから、刑務官になれば、だれでも死刑囚を殺す可能性がある、という。

 法務大臣が印鑑を押せば、死刑の執行命令が拘置所にとどく。所長など数人の幹部が、「どの刑務官に、どの任務をあてがうか」と思慮する。
 独房から連れだす人、首に縄をかける人、ぶら下がった遺体を降ろす人、そして安置所に運ぶ人、すべてが複数で行われる。(私の推測・仮に3人ずつにしても、十数人の刑務官で構成される)。

「当日、出勤してきた刑務官を呼び出し、指示・命令すると、殆どが青ざめます」
「なぜ、前日に教えないんですか」
「死刑執行日が、所内に漏れたら、全刑務官が休みますよ。法の執行とはいえ、人間が人間を殺すんですからね」
 ということばがいまだ耳に残る。

「光市母子殺害事件」の最終判決が出た。死刑囚が広島拘置所に収監されていると知ったから、同拘置所の元副所長の話を思い出した。

 少年の犯行は極悪非道だった。一審で無期懲役、二審で無期懲役である。最高裁では差し戻し、上告で、死刑が確定した。 
 被害者の夫・本村洋(もとむら・ひろし)氏は、容疑者逮捕の早い段階から、「死刑」を求めてきた。メディアの前でも、それを語り続けてきた。

 少年法では死刑ができない。だから、同氏はメディア誘導で、少年を死刑に持ち込もうとしている。少なくとも、私にはそう思えた。
「江戸幕府でも、『かたき討ちは禁止された』のに。妻子が殺されたから、殺せと叫ぶのは如何かと……」と、同氏の行動や発言を距離をおいてみていた。

 最高裁で上告が棄却されて、元少年の死刑が確定した。その日、私はたまたまTVニュースをみていた。本村氏が「大変満足です」という発言をした。それには怒りを覚えた。きっと日本じゅうの刑務官は同じ心境だっただろう。
「本村氏がみずから両手で首を絞めるわけではない。元少年を絞め殺すのは、刑務官なんだ」と反発しながらも、なおも記者会見を見ていた。

「私の妻と子どもが殺されて……」ということばが出てきた。同氏は再婚している。『元妻』と正確にいうべきだ。同じ記者会見の席で、現在の結婚生活を語ったのだから。
 元妻と現在の妻とは区別するべきである。それが殺害された元妻に対する礼儀だろう、と私は思った。

 本村氏が戦ってきた、被害者がわの権利の追及。それはいちおう理解できる。ただ、同氏は「日本の社会正義」とか、日本の刑法とかを絶対視し、ひたすら死刑を求めている。日本の法律・刑法はほんとうに正しいのだろうか。

 国連総会では、死刑の全面的な執行停止の決議が2年連続で採択されている。世界の3分の2は廃止国である。まして、実際の死刑執行は、日本を含めても30か国にも満たないのだから。

 同氏は死刑、死刑を叫びながらも、その一方で、さもなければ懲役100年の刑、200年という終身刑の成立を同時に求めても良かったのではないだろうか。そうすれば、日本にも、同氏の努力で、終身刑の道が拓かれたかもしれない。

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