ジャーナリスト

安政東海大地震の取材中に、「津波注意報」逃げてください=下田市

 3・11大津波の長編小説が完成し、3月初旬に刊行される。「災害文学」の第2弾として、170年前の安政東海大地震(マグニチュード8.4)、と、ロシア艦隊・ディアナ―号の遭難を素材にした小説『501人の遭難』(100枚)を、さらに手を加えて長編小説に深耕化させようと考えている。

 2月5日、早や立ちで伊豆に向かった。曇天で富士山は見えなかった。まずは十数年ぶりに伊豆・戸田(へた)村に出向いた。交通の便が極度に悪い立地だ。沼津港から客船が朝一便しかない。(2000円・午後便はない)。『戸田造船博物館』で学芸員から、日本初の外洋船の建造とか、プチャーチン・ロシア提督とかの情報提供を受けた。

 1854年11月4日に朝8時過ぎに発生した、安政東海大地震は伊豆半島にも甚大な被害を及ぼした。下田は大津波で、全戸856戸のうち流出家屋が819戸で約9割が流されている。近郷の死者は5-600人だった。日露和親条約に来ていたロシア艦は大破し、戸田に回送中に沈没した。
 そこで、戸田村でロシア造船技官の指導の下に、外洋船を造ったのだ。日本人が技術を学んだことから、日本造船の発祥の地となった。

 午後の船便はないので、バスで修善寺に出た。すぐさま乗り換え、天城越えのバスで河津駅に出た。『河津さくらまつり2月5日から』ポスターは派手だったが、スタート日そのものだが、1本も桜が咲いていなかった。 

 下田駅前に宿泊した。
 翌6日は同市教育委員会、史編纂室で、安政東海大地震そして日露和親条約の関連資料や説明を受けた。
 午後は町なかでランチを食べる店をさがした。手ごろかなと思い、『くろふね屋』に入った。メニューをみて、「お任せ定食」にしようかな、と思った。サザエが好きなので、『サザエ入りかき揚げ定食・1100円』を注文した。すごいボリュームで、これには驚かされた。かき揚げに隠れて、どんぶりがまったく見えない。

 しばらくすると、ガイドブックを持った女性2名と男性の3人連れが入ってきた。きっと有名な店なのだろうな。

 日米和親条約関係の資料がある、了仙寺に出向いた。同寺の宝物館を観ていた。観覧者は私一人だった。館外では急に防災行政無線がひびき渡っていた。
「お客さん、津波注意報が出されました。すぐ高台に逃げてください」
 同館の受付女性が側にきて避難を促した。

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日本一の活動弁士・澤登翠さんが熱演で無声映画の魅力を語る

 活動弁士(かつどうべんし)の澤登翠(さわと みどり)さんが、1月23日(水)に、東京・五反田の「TOKO HOTAL」で講演を行った。主催は日本作家協会の「映画と旅研究会」で、世話人は山本澄子さん、虎谷勝也さんである。

 澤登さんの講演テーマは「無声映画は素敵」である。約60分間にわたって、無声映画の魅力と弁士の役割を語った。

 現代人は、映画には音声がついているものだと思っている。だが、それは最近のことである。

 無声映画時代は、活動弁士(映画の弁士)がセリフや説明を名調子で行ったのである。

 映画の初期は、スクリーンの俳優が演じるが、まったく音声がない。

 映画弁士が、名調子で語るのだ。


 弁士がただ棒読みになれば、その映画自体はまったく面白くなくなる。

 女性弁士でも、男の声、老人の声、幼い男児を語るのだ。だから、声の幅はとてつもなく広い。


 日本には、無声映画時代、世界的な巨匠の監督が生まれた。それが現代でも、欧米やアジアの映画作りでも、研究されている。


 映画弁士は、スクリーンの俳優たちのセリフだけでなく、風の音、激流の瀑流音、下駄の音、汽車の車輪の音、と次々にスクリーンに映し出されるものに対して、口で表現するのだ。

 時には雄々しく叫ぶ。

 無声映画には、メイン・タイトルと、俳優の名、場面一つひとつにほんのわずかな字幕が書かれている。

 弁士にとっては、映画が配給された時、それだけのわずかな情報で、自ら台本を書くのだ。


 台本を書いて、映画を見る観客のまえで、ストーリーを語っていく。観客を酔いしびれさせる、それだけの内容がなければならない。

 有能でなければ、よい台本が書けない。

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戊辰戦争の「浜通りの戦い」を歩く①=いわき市末次

 歴史は後世のものが勝手に作ったり、推測で書かれたものがまかり通ったりする。戦いの悲劇が美化されたり、若くして死ぬと英雄視されたりする。ここらは用心してかからないと、誤った史観に陥ってしまう。
 歴史小説が史実だと勘違いしているケースも、これまた多い。最も顕著なのが、司馬遼太郎の坂本龍馬である。どこまでもフィクション小説である。『船中八策』は幕末、明治、大正半ばまで史料にも、文献にも一行もない。
 大正時代の終わりに、土佐の文人が「新政府綱領八策』(国立国会図書館・長府博物館に本ものがある)を下地にして面白おかしく『船中八策』を創作した。司馬遼太郎がフィクション小説・龍馬がらみで作品の中核においたから、大半の人がそれを史実とみなしている。『船中八策』の現物などまったくあり得ないのに。

 会津落城(開城)などは、ご当地の作家や関係者が故意に美化し、薩長敵対とか、悲劇とかを作り上げている面もある。それに乗っかり、市全体が観光に利用している傾向すらある。(戦時中は、軍部から特攻精神に利用された)。その意味からしても、福島・戊申戦争関連は用心してかからないと危ないな、という警戒心が私にはある。

 現地に問い合わせても、こちらの資料には芸州藩がきたという事実は見当たりませんね、という回答すらあった。つまり、浜通りの戦いすら、薩長が誇張されているのだ。

 それを前提に、1月14日から3日間ほど、戊辰戦争「浜通りの戦い」の取材に出向いた。初日はいわき市・末次という集落だった。初日の14日は大雪だった。「50年ぶりじゃないかな。いわきで1月に、こんな大雪が降ったのは」と地場のひとがいうほど、時間とともにかなり積もってきた。

 この末次の寺にも、芸州(広島)藩の兵士たちが眠る。

 芸州藩は浜通りの戦いで、最も死傷者を出したのに、戊辰戦争後には「薩長土芸」が「薩長土肥」に変り、芸州藩が歴史から消えてしまった。なぜか。
 広島に出向いて幕末史を調べると、決まって「原爆で資料はなくなった。他藩から調べて構築するしか手がない」と言われてしまう。
 広島は他県に比べて、幕末の芸州藩の研究者が大学教授を含めて極度に少ないのが特徴だ。

 現代の広島人は、毛利元就(広島・吉田町出身)を中心とした、毛利には関心が強い。毛利が大好きなのだ。しかし、関ヶ原の戦いで敗れた毛利が萩に移されてから、その後の歴史となると、関心度が極端に低くなってしまう。
 浅野家が、德川色の強い和歌山から広島にきた、そのことすら認知していない人もいる。忠臣蔵の浅野の本家だとも知らない。つまり、德川(江戸)が好きではないのだ。

(浅野家は幕末に強い影響力を持ち、幕長戦争すら戦わず和平交渉に持ち込んだ、十五代将軍・德川慶喜には武力をちらつかせた大政奉還へと推し進めた)
 芸州藩が大きな働きをしている。しかし、現代の広島人には、紀州から来た浅野家の功績など、德川どうしだから、どうでも良いのだ。私にはそう思えてならない。

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年末・新年を歩く④浅草寺で、1013年のご利益を願う


 浅草寺の本堂前に、今年はのご利益を祈る人が、押しかけていた。

 仏さまと神さまと、どっちがご利益があるのだろう。



 もうそろそろ、お祈りできるかしら。

 雷門前の長い列では、いかに時間を過ごすか。

 スマホがあれば、苛立つこともないし……。


 仲見世で、おいしいものを食べたいな。

 子どもにとっては、退屈な長い列だろう。


 カップルで、初詣は何かにつけて楽しい

 五重塔が浅草の象徴である。東京スカイツリーに押され気味だけれども。

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年末・新年を歩く③浅草は東京スカイツリー人気=本堂まで遠いな

 浅草(台東区)は復活した。東京スカイツリー(墨田区)という、世界一の電波塔の完成で、昨年からの人気は続いている。
 タワーのある墨田区にも、七福神などで有名な社寺はある。
 だが、浅草寺に奪われているようだ。

 混み合っていなければ、流行に乗っていない。そんな若者気質から、10~30代の参拝客が目につく。数年前まで、年配者か、外国人観光客が目についたものだ。

 今年は様相が変わってしまった。



 浅草・雷門は警察官が出て、交通整理だ。東京マラソン並みかな。それ以上の警察官の数かもしれない。

 あわてず、外国人の大道芸人を見てから、ゆったりした気分で参拝も良いものだ。

 雷門に入るには、60メートル先から並ぶ。

 交差点では何度も、行列はストップさせられるから、遅々として進まない。

 雷門前は、すべての車が通行止め、参拝者は一方通行だ。
 人力車はどこにおいているのか。
 車屋さんはふだんの呼び込みもできず、商売がままならず、ふたりして地図で、商売になりそうなルートを探していた。


 東京スカイツリーが背景になる、浅草駅前の一等地で、商売にならない車屋さんが立て看板を持って、暇そうにしていた。

 車の通らない大きな通りで、ツリーと立て看板の組み合わせは、そうあることでもない。
 

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年末・新年を歩く②東京で唯一の深夜・餅つき大会=葛飾・原神社

 東京の下町には、除夜の鐘とともに、はじまる餅つき大会がある。場所は葛飾・東立石4丁目の原神社の境内である。
 
 NHK紅白歌合戦が終わると、深夜の道路に足音が響く。四方から初詣の住民が集まる。子どもたちも嬉々としている。
 
 どのくらい前から、この伝統行事が続いてきたのだろうか。

「半世紀以上は間違いなく、続いているよ。この餅つき大会は」
 長老が語る。
 その実、自信はなさそうな口ぶりだ。

 昭和30年代、下町の工場には集団就職の子どもたちがやってきた。「金の卵」と言われていた。正月には田舎に帰れない子のために、餅つき大会を始めた。
「そんなふうに聞いたけれど」
 そう話していた。

 ことしは60キロのもち米を使う。前日から準備して、朝もち米をといで、夜11時からは蒸籠(せいろ)で蒸して、炊きぐあいをみていく。

 どの程度蒸せば良いのか。祖父から父へ、そして子どもへと教わっていく。


 火力が大切だよ。大工の棟梁が正月が近くなると、廃材を集めておく。そして持ち寄ってくる。材質によって、火力が違う、と話す。

「新建材はダメだよ。切れない、燃えない、有毒ガスが出る。だから、古い家を取り壊した廃材を使うんだ」
 と教えてくれた。


 臼(うす)や杵(きね)は、湯を使う。湿らさないと、餅が打てないのだ。こうした準備は、若手あたりの役目らしい。



 さあ、杵を振り上げる。臼で捏(こ)ねる。タイミングがひとつ間違うと、頭蓋骨を叩き割ってしまう。この命がけの呼吸が日本の伝統だ。

 東京でも、下町・葛飾立石の、それも東立石4丁目の原神社だけに、元旦の恒例行事として残っているのだ。
 全国を見渡しても、年々、餅つき大会は影を薄くしているようだ。


 昼間の原神社の境内は閑散としているし、参拝者はほとんどいない。駅への近道として、境内を通り抜けている人は見かけるけれども。


 つきあがった餅は、町内会の婦人を中心として、黄な粉、あんこ、大根すり、納豆など、好みで配られていく。つきたての餅は、とてもおいしいよ。

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年末・新年を歩く①盛衰=賑わう築地と、客足が鈍い葛飾立石

 2012はどんな年だったのだろうか。新たな出会いがあったり、愛する人を失ったり。人それぞれ、悲喜こもごもだろう。大きな喜び、あるいは悲しみに遭遇した人もいる。
 多くの人は来年に期待する。と同時に、年の区切りは、気持ちを入れ替えさせてくれるものだ。

 東京の「年の瀬」の歳時記として、築地魚市場に足を運んでみた。12月30日(日)は朝から雨だったにもかかわらず、例年通り、大勢の買い物客でにぎわう。

 築地は、年末の集客力において抜群の力がある。

 なぜ築地なのか。御徒町のアメ横もあるではないか。

 東京・築地市場は全国から魚が集まる。たとえば、釧路に水揚げされた魚が、築地に運ばれて、セリにかけられて、仲買人を通して、北海道に送られる。そして、釧路の店頭に並ぶ。
 これが日本の流通システムだ。

 だから、築地は特別に鮮度がよい。そこらは消費者の目が肥えている。

 一般に築地に買い物に行こう、と誘われたから、「築地場外市場」のことを指す。雨の中でも、鮮度が優先だ。


 築地魚市場にはセリをする「場内市場」がある。こちらでも、最近は小売りを始めている。日曜日はセリがないから、年末でも思いのほか閑散としていた


 東京都築地魚市場には、「場内市場」と、「場外市場」がある。さらには東銀座へ向かう歩道にも、一般客を相手にした店舗がならぶ。魚以外にも、お茶とか、卵焼きとか、カマボコとか、諸々の専門店がある。
 傘が満足にさせないほど人通りがあった。


 年末の築地はにぎわうが、30日の雨の銀座は人出がことのほか少なかった。通行人の傘の数もふだんの半減だ。楽に歩ける。
 東京住まいの多くは帰省したり、海外に出かけたり、あるいは家で大掃除なのか。銀座に出向く、そんな日ではなさそうだ。

 日本人が少ないだけ、通行する外国人がやたら目立っていた。

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プロから学べる、感動できる「2012年報道写真展」=東京・日本橋

 東京・三越日本橋本店の7階で、第53回2012年報道写真展が開催されている。主催は東京写真協会。テーマは「熱狂、興奮、感動の瞬間がそこにある」。12月24日(月・振替)まで。
 トップを飾る写真は、8月20日に、五輪メダリストのたちの銀座パレードに50万人が集まった(報知新聞社)。この迫力は同展のポスターにもなっている。

 私は、プロ野球の選手がファールボールを追って、スタンドのカメラ席に顔面から落ちている。この一瞬の撮影はすごいな、と感銘した。報道陣のど真中に選手が(飛び込んで)落ちてきている。逃げるカメラマンの様子が捉えれている。当該記者はカメラを向けて撮っているのだから、まさにプロ中のプロだと思う。

 香港の民間反日団体の船が尖閣諸島の魚釣島に接近してきた。わが国の巡視船2隻が航行しながら、香港船の船体を挟み撃ちにしている。1枚の写真から、海上保安官たちの操船技術の高さが如実にわかる。と同時に、尖閣諸島の緊迫度が写し出されている。

「東日本大震災から約500日」のサブタイトルでは、被災直後の写真と現在とを組み合わせたものが多かった。写真の前で、ハンカチを出して、涙をぬぐう人もいる。
 フクシマ原発の原子炉建屋の公開では、ガレキ化した建物のなかから、円筒形の黄色い格納容器のふたが見えている。不気味さが伝わってくる。

スポーツ関連の写真はオリンピックに、とくに注目が集まっている。立ち止まる人も多い。感動の呼び起こしだろう。

 最新の写真は、衆議院選挙で大勝した自民党の様子である。報道関係だけに、やることが早いな、もうパネルで展示されている、と思わせた。
 今年亡くなった著名人の顔写真も数多く並ぶ。一世を風びした人も、やがて死に行くのだな、と生命の滅亡に寂しさを感じさせる。

 作品総数は250余点である。
 同展から技術を学ぶとすれば、「決定的な瞬間と偶然とは違う」、事前の予測も必要だな、と思わせた。オリンピック会場の報道写真家はまさにメダリストの表情狙いである。企画的な写真にはハイアングルとか、ヘリコプターからの高所撮影が効果的だと思わせるものが多かった。

 ニコン、キャノンの報道陣が使う、高性能カメラが触ってシャッターが押せる。連写の早さには驚かされる。だが、なぜかしら手をふれる人は私が見ているかぎり誰もいなかった。あまりにも高級すぎで、無縁だと考えているのだろう。

シニア大樂「写真エッセイ教室」=来期も継続で

 男性はリタイアした後に何をしようか、と考える。職場で全力投球した人ほど、仕事を離れてから、生きがいを探すケースが多い。その点、女性は隣近所との交流があるし、戸惑わない。そんな内容のエッセイを書いた人は複数いる。説得力があるな、と思う。

 リタイア後になにかしら始める、脳細胞を常に若々しく保つ。「人間は一生勉強だ」。この格言と、生きがいとを重ねあわせる。それには過去、現在、将来にわたって自分自身を描けるエッセイが最適だと、私は考えている。

 一つの作品はそう簡単にはできないものだ。常日頃から、頭のなかで、「次は何のテーマで書くか。書出しは? ストーリーは? エンディングは?」と考え続けるし、脳細胞は休む暇などない。そのうえ、文章を磨くとなると、これまた長期にわたってくる。


「パソコン時代とデジカメ時代だから、エッセイに写真を張り付ける」
 そんな講座を開設しよう、と一昨年にシニア大樂と合意できた。同大樂の公開講座などで呼びかけた。
 2012年1月から「写真エッセイ講座」をスタートさせた。文章の書き方、写真の撮り方からの指導である。最終目標は、1年間にわたって10回で冊子まで作れる創作技法を学ぶ。
 ちょっと欲張りすぎたかな?
「1年間契約だから、その先がないから……。冊子まで、強引に推し進めよう」と決めた。「追いつけない人は、せめてワードに写真を張り付けられる。この技術までくれば、それでも今後に役立つ」と内心は考えていた。

 私が持っている多くの講座はアフターで飲み会で、人間関係の構築を図っている。ただ、この講座の場合は終了後に、補講でパソコン指導となった。
 ある時期から、受講者どうしが教えたり、教えられたり、という良い関係ができた。「他人に教えることは一番覚えること」。それが皆の創作力の成長にもつながった。

 11月第4週の最終回には、全員が冊子で提出した。さらには来期の継続希望者が多数で、2013年度も1年間10回で展開することに決まった。前後して、事務局の杉さんから、全員にメーリングリストが構築されたので、メンバー同士のコミュニケーションが高まった。
「2年目の人と、新規に加わった人と、一緒に指導できますか」
 杉さんから質問があった。 
「どの講座でも、2-5年やった人のなかに、新しい人が加わります。複合の指導は慣れていますから、大丈夫ですよ。新人は基礎からわかりやすく指導します。2年目の人は提出作品から品質アップを添削で求めまていきます」
 そう答えた。 

          写真提供:石田貴代司(いしだ きよじ)さん(写真・前列の最右)

明治大学・第4回読書感想文コンクール 優秀賞=大久保昇

「読むことの歓び」明治大学文学部が主催する、「第4回 読書感想文コンクール 優秀作品集」に、大久保昇さんが入選された。現在、明治大学は急進中で、学生の人気度も高い。それだけに注目度が高く、応募作品は1165人である。
入選作品は大崎善生著・『将棋の子』の感想文である。社会人部門・14名の優秀賞のひとり。ちなみに高校生部門の受賞者は86人である
 大久保さんは朝日カルチャー「フォト・エッセイ入門講座」の受講生である。

選考委員長は同大学・林義勝文学部長、他12人の選者である。単行本が明治大学から発行された。(定価1400円+税)

 同コンクールは、明大文学部の教授をはじめとした関係者が、10作品を課題図書として提示し、応募者はそれに対する感想文を書いて投稿する仕組みである。

   第4回課題図書として(明大・作品紹介から部分抜粋)

大崎善生著『将棋の子』
  将棋のプロを目指す少年たちの栄光と挫折を描いている

G・ガルシア=マルケス作『予告された殺人の記録』 
 これから起こる惨劇は誰でも知っていた。

・クセノポン著『アナバシス』
  ギリシア兵1万余りが、敵地から決死の脱出を行う。

・ゲーテ作『若きウェルテルの悩み』
  人妻を愛してしまった、若者の苦悩

幸田露伴作『五重塔』
  強風の中で耐え抜く五重塔と、ふたりの職人のすさまじいぶつかり合い、
  
小林秀雄著『モオツァルト』 
 モオツァルトの悲しさは疾走する

・シェイクスピア作『ハムレット』
  暗殺された父親の亡霊から、真実が語られる、ほんとうに真実か。

夏目三四郎作『三四郎』
   純真な若者が「自己」とは何かを問う。

トーマス・マン作『トニオ・クレーゲル』
   憧れ、失意、傷心、美の追求にいきる作家の自画像

養老孟司他著『復興の精神』
  命の尊さや真の幸せを問う


 大崎善生著『将棋の子』の主人公は、天才少年の棋士といわれた成田英二(北海道出身)である。成田が、羽生善治さんと熾烈に戦う。それに敗れたために、プロ棋士になれる年齢制限に引っかかり、挫折する。そして、北海道に帰り、廃品回収業を行う。
 
 成田は「ボクは羽生善治さんたちと戦った、そのことが勇気をくれる」
 成田英二の栄光と挫折と心の財産をしっかりつかんだ、感想文である。大久保さんは、自ら将棋を指すだけに、つかみどころがしっかりしている。

 同コンクールはすべて優秀作で、金・銀・銅のような序列がない。大久保さんの感想文は、社会人部門のトップに掲載されている。定価をつけた書物は、ふつうは最良作品から載せるものだから、トップクラスに近いと評価してもよいだろう。

 表彰式で、選者から「大久保さんの作品は、羽生善治との戦いがよく書けています」
 と高評されたという