年末・新年を歩く④浅草寺で、1013年のご利益を願う
浅草寺の本堂前に、今年はのご利益を祈る人が、押しかけていた。
仏さまと神さまと、どっちがご利益があるのだろう。
もうそろそろ、お祈りできるかしら。
雷門前の長い列では、いかに時間を過ごすか。
スマホがあれば、苛立つこともないし……。
仲見世で、おいしいものを食べたいな。
子どもにとっては、退屈な長い列だろう。
カップルで、初詣は何かにつけて楽しい
五重塔が浅草の象徴である。東京スカイツリーに押され気味だけれども。
浅草寺の本堂前に、今年はのご利益を祈る人が、押しかけていた。
仏さまと神さまと、どっちがご利益があるのだろう。
もうそろそろ、お祈りできるかしら。
雷門前の長い列では、いかに時間を過ごすか。
スマホがあれば、苛立つこともないし……。
仲見世で、おいしいものを食べたいな。
子どもにとっては、退屈な長い列だろう。
カップルで、初詣は何かにつけて楽しい
五重塔が浅草の象徴である。東京スカイツリーに押され気味だけれども。
浅草(台東区)は復活した。東京スカイツリー(墨田区)という、世界一の電波塔の完成で、昨年からの人気は続いている。
タワーのある墨田区にも、七福神などで有名な社寺はある。
だが、浅草寺に奪われているようだ。
混み合っていなければ、流行に乗っていない。そんな若者気質から、10~30代の参拝客が目につく。数年前まで、年配者か、外国人観光客が目についたものだ。
今年は様相が変わってしまった。
浅草・雷門は警察官が出て、交通整理だ。東京マラソン並みかな。それ以上の警察官の数かもしれない。
あわてず、外国人の大道芸人を見てから、ゆったりした気分で参拝も良いものだ。
雷門に入るには、60メートル先から並ぶ。
交差点では何度も、行列はストップさせられるから、遅々として進まない。
雷門前は、すべての車が通行止め、参拝者は一方通行だ。
人力車はどこにおいているのか。
車屋さんはふだんの呼び込みもできず、商売がままならず、ふたりして地図で、商売になりそうなルートを探していた。
東京スカイツリーが背景になる、浅草駅前の一等地で、商売にならない車屋さんが立て看板を持って、暇そうにしていた。
車の通らない大きな通りで、ツリーと立て看板の組み合わせは、そうあることでもない。
東京の下町には、除夜の鐘とともに、はじまる餅つき大会がある。場所は葛飾・東立石4丁目の原神社の境内である。
NHK紅白歌合戦が終わると、深夜の道路に足音が響く。四方から初詣の住民が集まる。子どもたちも嬉々としている。
どのくらい前から、この伝統行事が続いてきたのだろうか。
「半世紀以上は間違いなく、続いているよ。この餅つき大会は」
長老が語る。
その実、自信はなさそうな口ぶりだ。
昭和30年代、下町の工場には集団就職の子どもたちがやってきた。「金の卵」と言われていた。正月には田舎に帰れない子のために、餅つき大会を始めた。
「そんなふうに聞いたけれど」
そう話していた。
ことしは60キロのもち米を使う。前日から準備して、朝もち米をといで、夜11時からは蒸籠(せいろ)で蒸して、炊きぐあいをみていく。
どの程度蒸せば良いのか。祖父から父へ、そして子どもへと教わっていく。
火力が大切だよ。大工の棟梁が正月が近くなると、廃材を集めておく。そして持ち寄ってくる。材質によって、火力が違う、と話す。
「新建材はダメだよ。切れない、燃えない、有毒ガスが出る。だから、古い家を取り壊した廃材を使うんだ」
と教えてくれた。
臼(うす)や杵(きね)は、湯を使う。湿らさないと、餅が打てないのだ。こうした準備は、若手あたりの役目らしい。
さあ、杵を振り上げる。臼で捏(こ)ねる。タイミングがひとつ間違うと、頭蓋骨を叩き割ってしまう。この命がけの呼吸が日本の伝統だ。
東京でも、下町・葛飾立石の、それも東立石4丁目の原神社だけに、元旦の恒例行事として残っているのだ。
全国を見渡しても、年々、餅つき大会は影を薄くしているようだ。
昼間の原神社の境内は閑散としているし、参拝者はほとんどいない。駅への近道として、境内を通り抜けている人は見かけるけれども。
つきあがった餅は、町内会の婦人を中心として、黄な粉、あんこ、大根すり、納豆など、好みで配られていく。つきたての餅は、とてもおいしいよ。
2012はどんな年だったのだろうか。新たな出会いがあったり、愛する人を失ったり。人それぞれ、悲喜こもごもだろう。大きな喜び、あるいは悲しみに遭遇した人もいる。
多くの人は来年に期待する。と同時に、年の区切りは、気持ちを入れ替えさせてくれるものだ。
東京の「年の瀬」の歳時記として、築地魚市場に足を運んでみた。12月30日(日)は朝から雨だったにもかかわらず、例年通り、大勢の買い物客でにぎわう。
築地は、年末の集客力において抜群の力がある。
なぜ築地なのか。御徒町のアメ横もあるではないか。
東京・築地市場は全国から魚が集まる。たとえば、釧路に水揚げされた魚が、築地に運ばれて、セリにかけられて、仲買人を通して、北海道に送られる。そして、釧路の店頭に並ぶ。
これが日本の流通システムだ。
だから、築地は特別に鮮度がよい。そこらは消費者の目が肥えている。
一般に築地に買い物に行こう、と誘われたから、「築地場外市場」のことを指す。雨の中でも、鮮度が優先だ。
築地魚市場にはセリをする「場内市場」がある。こちらでも、最近は小売りを始めている。日曜日はセリがないから、年末でも思いのほか閑散としていた
東京都築地魚市場には、「場内市場」と、「場外市場」がある。さらには東銀座へ向かう歩道にも、一般客を相手にした店舗がならぶ。魚以外にも、お茶とか、卵焼きとか、カマボコとか、諸々の専門店がある。
傘が満足にさせないほど人通りがあった。
年末の築地はにぎわうが、30日の雨の銀座は人出がことのほか少なかった。通行人の傘の数もふだんの半減だ。楽に歩ける。
東京住まいの多くは帰省したり、海外に出かけたり、あるいは家で大掃除なのか。銀座に出向く、そんな日ではなさそうだ。
日本人が少ないだけ、通行する外国人がやたら目立っていた。
東京・三越日本橋本店の7階で、第53回2012年報道写真展が開催されている。主催は東京写真協会。テーマは「熱狂、興奮、感動の瞬間がそこにある」。12月24日(月・振替)まで。
トップを飾る写真は、8月20日に、五輪メダリストのたちの銀座パレードに50万人が集まった(報知新聞社)。この迫力は同展のポスターにもなっている。
私は、プロ野球の選手がファールボールを追って、スタンドのカメラ席に顔面から落ちている。この一瞬の撮影はすごいな、と感銘した。報道陣のど真中に選手が(飛び込んで)落ちてきている。逃げるカメラマンの様子が捉えれている。当該記者はカメラを向けて撮っているのだから、まさにプロ中のプロだと思う。
香港の民間反日団体の船が尖閣諸島の魚釣島に接近してきた。わが国の巡視船2隻が航行しながら、香港船の船体を挟み撃ちにしている。1枚の写真から、海上保安官たちの操船技術の高さが如実にわかる。と同時に、尖閣諸島の緊迫度が写し出されている。
「東日本大震災から約500日」のサブタイトルでは、被災直後の写真と現在とを組み合わせたものが多かった。写真の前で、ハンカチを出して、涙をぬぐう人もいる。
フクシマ原発の原子炉建屋の公開では、ガレキ化した建物のなかから、円筒形の黄色い格納容器のふたが見えている。不気味さが伝わってくる。
スポーツ関連の写真はオリンピックに、とくに注目が集まっている。立ち止まる人も多い。感動の呼び起こしだろう。
最新の写真は、衆議院選挙で大勝した自民党の様子である。報道関係だけに、やることが早いな、もうパネルで展示されている、と思わせた。
今年亡くなった著名人の顔写真も数多く並ぶ。一世を風びした人も、やがて死に行くのだな、と生命の滅亡に寂しさを感じさせる。
作品総数は250余点である。
同展から技術を学ぶとすれば、「決定的な瞬間と偶然とは違う」、事前の予測も必要だな、と思わせた。オリンピック会場の報道写真家はまさにメダリストの表情狙いである。企画的な写真にはハイアングルとか、ヘリコプターからの高所撮影が効果的だと思わせるものが多かった。
ニコン、キャノンの報道陣が使う、高性能カメラが触ってシャッターが押せる。連写の早さには驚かされる。だが、なぜかしら手をふれる人は私が見ているかぎり誰もいなかった。あまりにも高級すぎで、無縁だと考えているのだろう。
男性はリタイアした後に何をしようか、と考える。職場で全力投球した人ほど、仕事を離れてから、生きがいを探すケースが多い。その点、女性は隣近所との交流があるし、戸惑わない。そんな内容のエッセイを書いた人は複数いる。説得力があるな、と思う。
リタイア後になにかしら始める、脳細胞を常に若々しく保つ。「人間は一生勉強だ」。この格言と、生きがいとを重ねあわせる。それには過去、現在、将来にわたって自分自身を描けるエッセイが最適だと、私は考えている。
一つの作品はそう簡単にはできないものだ。常日頃から、頭のなかで、「次は何のテーマで書くか。書出しは? ストーリーは? エンディングは?」と考え続けるし、脳細胞は休む暇などない。そのうえ、文章を磨くとなると、これまた長期にわたってくる。
「パソコン時代とデジカメ時代だから、エッセイに写真を張り付ける」
そんな講座を開設しよう、と一昨年にシニア大樂と合意できた。同大樂の公開講座などで呼びかけた。
2012年1月から「写真エッセイ講座」をスタートさせた。文章の書き方、写真の撮り方からの指導である。最終目標は、1年間にわたって10回で冊子まで作れる創作技法を学ぶ。
ちょっと欲張りすぎたかな?
「1年間契約だから、その先がないから……。冊子まで、強引に推し進めよう」と決めた。「追いつけない人は、せめてワードに写真を張り付けられる。この技術までくれば、それでも今後に役立つ」と内心は考えていた。
私が持っている多くの講座はアフターで飲み会で、人間関係の構築を図っている。ただ、この講座の場合は終了後に、補講でパソコン指導となった。
ある時期から、受講者どうしが教えたり、教えられたり、という良い関係ができた。「他人に教えることは一番覚えること」。それが皆の創作力の成長にもつながった。
11月第4週の最終回には、全員が冊子で提出した。さらには来期の継続希望者が多数で、2013年度も1年間10回で展開することに決まった。前後して、事務局の杉さんから、全員にメーリングリストが構築されたので、メンバー同士のコミュニケーションが高まった。
「2年目の人と、新規に加わった人と、一緒に指導できますか」
杉さんから質問があった。
「どの講座でも、2-5年やった人のなかに、新しい人が加わります。複合の指導は慣れていますから、大丈夫ですよ。新人は基礎からわかりやすく指導します。2年目の人は提出作品から品質アップを添削で求めまていきます」
そう答えた。
写真提供:石田貴代司(いしだ きよじ)さん(写真・前列の最右)
「読むことの歓び」明治大学文学部が主催する、「第4回 読書感想文コンクール 優秀作品集」に、大久保昇さんが入選された。現在、明治大学は急進中で、学生の人気度も高い。それだけに注目度が高く、応募作品は1165人である。
入選作品は大崎善生著・『将棋の子』の感想文である。社会人部門・14名の優秀賞のひとり。ちなみに高校生部門の受賞者は86人である
大久保さんは朝日カルチャー「フォト・エッセイ入門講座」の受講生である。
選考委員長は同大学・林義勝文学部長、他12人の選者である。単行本が明治大学から発行された。(定価1400円+税)
同コンクールは、明大文学部の教授をはじめとした関係者が、10作品を課題図書として提示し、応募者はそれに対する感想文を書いて投稿する仕組みである。
第4回課題図書として(明大・作品紹介から部分抜粋)
・大崎善生著『将棋の子』
将棋のプロを目指す少年たちの栄光と挫折を描いている
・G・ガルシア=マルケス作『予告された殺人の記録』
これから起こる惨劇は誰でも知っていた。
・クセノポン著『アナバシス』
ギリシア兵1万余りが、敵地から決死の脱出を行う。
・ゲーテ作『若きウェルテルの悩み』
人妻を愛してしまった、若者の苦悩
・幸田露伴作『五重塔』
強風の中で耐え抜く五重塔と、ふたりの職人のすさまじいぶつかり合い、
・小林秀雄著『モオツァルト』
モオツァルトの悲しさは疾走する
・シェイクスピア作『ハムレット』
暗殺された父親の亡霊から、真実が語られる、ほんとうに真実か。
・夏目三四郎作『三四郎』
純真な若者が「自己」とは何かを問う。
・トーマス・マン作『トニオ・クレーゲル』
憧れ、失意、傷心、美の追求にいきる作家の自画像
・養老孟司他著『復興の精神』
命の尊さや真の幸せを問う
大崎善生著『将棋の子』の主人公は、天才少年の棋士といわれた成田英二(北海道出身)である。成田が、羽生善治さんと熾烈に戦う。それに敗れたために、プロ棋士になれる年齢制限に引っかかり、挫折する。そして、北海道に帰り、廃品回収業を行う。
成田は「ボクは羽生善治さんたちと戦った、そのことが勇気をくれる」
成田英二の栄光と挫折と心の財産をしっかりつかんだ、感想文である。大久保さんは、自ら将棋を指すだけに、つかみどころがしっかりしている。
同コンクールはすべて優秀作で、金・銀・銅のような序列がない。大久保さんの感想文は、社会人部門のトップに掲載されている。定価をつけた書物は、ふつうは最良作品から載せるものだから、トップクラスに近いと評価してもよいだろう。
表彰式で、選者から「大久保さんの作品は、羽生善治との戦いがよく書けています」
と高評されたという
太平洋の波打ち際の玉砂利のうえで、銀色の美しい魚が飛び跳ねていた。大きな白い波がくり返し、打ち寄せ、しぶきが飛び散る。
「コハダはまだ生きて」
私は凝視した。白い波がコハダのかぶさるのに、なぜか沖に逃げていかないのか、と疑問に思っていた。あちらこちらに、コハダが魚体を横たえている。どれも、海にもどれないでいるのだ。
コハダにとって、荒々しく渦巻き打ち寄せる波のなかでは、水平感覚が取れず、泳げきれないのだと理解した。
私があえて一匹のコハダを手にしてみた。5センチていどで、小さな命が妙に哀れに思えた。私は釣りをしない。釣り針が口に刺さった魚を見ると、あまりにも痛々し過ぎるから……。
手にした一匹を海に戻しても、この命はきっとダメだろうな、と思った。
そこに、釣り人が私に近づいてきた。周辺のコハダを指すと、
「コハダの群れが、大きな魚(サバなど)に追われたんだよ。時にはイワシが打ち上げられているよ」
「海のなかでも、生存競争は厳しいんですね。そういえば、コハダが打ち上げられる、数分前、ここから10mほど沖合で、海面から飛び跳ねる魚がいた」
それは20センチから30センチの魚だったと思えた。その魚に、コハダたちは追われていたのだろうか。
釣り人はビニール袋を持ってきて、コハダを入れはじめた。私は立ち去った。
3.11大津波の補足取材として、11月29日、清水駅からバスに乗り、三保の松原へ出向いたのだ。それは、陸前高田の7万本の松の木が津波で折れて、市街地に流れ込んだ。一本松を残して、全部である。
折れた松の先端は尖(とが)った槍のような凶器になった。津波とともに住民たちに突き刺さった。そして、陸前高田は最大の悲惨な都市になった。
現地取材しながら、「三保の松原」はどうなんだろうな、と重ねあわせるものがあったからだ。
関根稔さん(ライフ)が春先に企画してくれた、新津きよみさん(作家)を囲む「世田谷散策」が諸般の事情で、夏を越え、秋まで繰り越されていた。10月23日(火)に決定した。メンバーは新津フアンである古関雅仁さん、佐藤恵美子さん、そして私の5人。従前から交流がある仲だった。
前日の天気予報となると、23日は発達中の低気圧の通過で、竜巻、突風、豪雨の悪天候だという。ニュース番組でも、明日の外出は注意するように、と報じていた。その低気圧は昼過ぎに関東地方を抜けていくという。
「どうするの?」
この機会を失くして再調整となると、いつになるか判らない。関根さんの判断で、世田谷見学をする時間はかなり圧縮されるが、集合は3時間ずらしで、午後3時に新宿駅と決まった。
5人は京王線、東急世田谷線と乗り継いで宮の坂駅に着いた。関根さんの案内で世田谷散策がスタートした。
世田谷八幡神社の境内には珍しい土俵や力石があった。毎年9月には東京農大の奉納相撲が行われるようだ。
わがメンバーもと古関さんと佐藤さんが奉納相撲をしていた。
豪徳寺は井伊家の菩提寺である。「招き猫」発祥の地でもあるらしい。江戸城桜田門外で、水戸・薩摩の浪士に暗殺された井伊直弼(なおすけ)の墓があった。こんなところに井伊大老の墓があったのか。そんな感慨を覚えた。
一方で、徳川に近い井伊家の豪徳寺がなぜこうも広い敷地なのか、と私は疑問をおぼえた。明治の廃仏毀釈など考えても、境内が大きく圧縮されもおかしくないはずだ。
本堂の近くには三重塔があった。二層の垂木に彫られた猫を説明するボランティア・ガイドの老人がいたので、その理由を聞いてみた。井伊家が戊辰戦争の時に官軍に付いたからだという。(猫の木彫りしか興味がなさそうだった)
私には過去から戊辰戦争の歴史疑問があった。
取材で出向いた大船渡市で、思わぬ朝市を発見した。
朝6時半ころ、現地入りし、朝食が取れる場所を探していた。まったく予備知識もなく、路地横の朝市を見つけた。
それがあまりにも偶然だっただけに、感慨深いものがあった。
買う人はすべて地場の人である。
観光客は1人としていなかった。
それだけに生活密着そのものの朝市だった。
場所は、大船渡・盛(さかり)である。
JR大船渡線が壊滅的な打撃を受けて盛駅は営業していない。その駅近くの路地にある、朝市だった。
この朝市は江戸時代から始まった、200年もの伝統があるという。
これだけの品数で、商売になるのかな。そうした都会感覚で、みると間違いかもしれない。
これを売ったお金で、何がしらの物を買って帰る。
物々交換に近いのだろう、と勝手に解釈した。
被災者にとっては、履物も貴重なもの。下駄箱もすべて流されてしまっているからだ。
生活費に余裕がない。シーズンごとに必要最小限のものを買う。それが現地の人たちの実態だ。
もう冬が近い。大変だろうな。
農工具の店に立ち寄る客は、きっと機械化の大型農業とは無縁の小規模農家だろう。
5日、10日、15日日、20日、25日、30日に開かれる。
2月は28日か、29日の最終日だけれど、「この時は客がこないんだよね」と話す。
鍬(くわ)、鋤(すき)がまだ商売になる。
見た目にも、農家の方だという方が、のぞいていた。