A010-ジャーナリスト

年末・新年を歩く②東京で唯一の深夜・餅つき大会=葛飾・原神社

 東京の下町には、除夜の鐘とともに、はじまる餅つき大会がある。場所は葛飾・東立石4丁目の原神社の境内である。
 
 NHK紅白歌合戦が終わると、深夜の道路に足音が響く。四方から初詣の住民が集まる。子どもたちも嬉々としている。
 
 どのくらい前から、この伝統行事が続いてきたのだろうか。

「半世紀以上は間違いなく、続いているよ。この餅つき大会は」
 長老が語る。
 その実、自信はなさそうな口ぶりだ。

 昭和30年代、下町の工場には集団就職の子どもたちがやってきた。「金の卵」と言われていた。正月には田舎に帰れない子のために、餅つき大会を始めた。
「そんなふうに聞いたけれど」
 そう話していた。

 ことしは60キロのもち米を使う。前日から準備して、朝もち米をといで、夜11時からは蒸籠(せいろ)で蒸して、炊きぐあいをみていく。

 どの程度蒸せば良いのか。祖父から父へ、そして子どもへと教わっていく。


 火力が大切だよ。大工の棟梁が正月が近くなると、廃材を集めておく。そして持ち寄ってくる。材質によって、火力が違う、と話す。

「新建材はダメだよ。切れない、燃えない、有毒ガスが出る。だから、古い家を取り壊した廃材を使うんだ」
 と教えてくれた。


 臼(うす)や杵(きね)は、湯を使う。湿らさないと、餅が打てないのだ。こうした準備は、若手あたりの役目らしい。



 さあ、杵を振り上げる。臼で捏(こ)ねる。タイミングがひとつ間違うと、頭蓋骨を叩き割ってしまう。この命がけの呼吸が日本の伝統だ。

 東京でも、下町・葛飾立石の、それも東立石4丁目の原神社だけに、元旦の恒例行事として残っているのだ。
 全国を見渡しても、年々、餅つき大会は影を薄くしているようだ。


 昼間の原神社の境内は閑散としているし、参拝者はほとんどいない。駅への近道として、境内を通り抜けている人は見かけるけれども。


 つきあがった餅は、町内会の婦人を中心として、黄な粉、あんこ、大根すり、納豆など、好みで配られていく。つきたての餅は、とてもおいしいよ。

 本殿にお参りした後、全員がお守りをもらえる。むろん、無料だ。

 原神社には、巨木の銀杏がある。秋にはその実を集めておいて、正月の参拝者に「福ぎんなん」と称したお守りを渡している。
 

 寒空の深夜に、長い列で参拝を待つ。全身が冷えてくる。鳥居の角で、甘酒が配られている。お代わりは自由だ。何杯でも飲める。


 餅つき大会の準備は、午前中に行われる。

 大みそかの昼間は何かと忙(せわ)しない。夜はみんなテレビを見たい。
 長年の経験だと、31日の朝だと、町内の手伝う人を集めやすい、と関係者は語っていた。


 20年ほど参拝には順番などなかった。いまでは数百人が並んでいる。
 整理にあたる消防団員に、どのくらいの参拝者ですかねと聞くと。数えたことはないけれど、どのくらいかな、500人以上は参っているよな、とまわりの団員と推測していた。

 区外からも原神社にやってくる。
「浅草寺や浅草神社に行っても、つきたての餅は食べられないし。どうせ電車に乗るならば、と思い、こっちに来ました」
 足立区の男性が語っていた。
 
 たしかに、つきたての餅を口にする機会は薄れた。この先、口コミや、ネット情報で、とてつもなく人が集まるかもしれない。なにしろ、いまは葛飾立石人気だから。

 一軒・1000円ていどで飲める、モツ煮込みの居酒屋に、遠くは茨城、八王子、小田原、もっと遠くからかもしれないけれど、やってくる時代だから。
 
 正月・0時からはじまる原神社・餅つき大会には、関東周辺から参拝者が来る時代もありかも。

 人が大勢待っている。杵はふた組で行こう。かれらは気合がいっそう入っていく。
 
 60キロのもち米は、何人分ですか。大工の棟梁に、改めて質問を向けてみた。

 約600人分だよ。
 


 子どもも、大人も、おなじ雰囲気で、つきたての餅を味わい楽しんでいる。

 ふた組で杵で餅をついても、もち米が蒸さないと、手空になってしまう。

 杵の前で、ひたすら打つ順番を待っている青年がいた。

 昼間、ここで護摩でも焚くのかな、とのぞいてみると、単なる木材の寄せ集めだった。


 温かく暖を取りながら、餅を食べてもらう。だから、たき火なのだ。

「いま、他所でこんな餅つき大会をやろうとしても、狭い境内で火を使うなんて、消防署の許可が出ないよ」
 関係者が話していた。

 半世紀も無事故だから、恒例行事として、消防署は特別許可を出ているようだ。となると、日本の伝統行事である、「新年餅つき大会」は東京に限って言えば、原神社だけになってしまうのか。

 甘酒を作る、おばさんに、いつ頃から、お餅つきをしているの、と聞いたら。
「私が母親の腹に入るまえだから。もっと、お年寄りに聞いてよ」
「おばさん若いの?」
「30歳に見えない? もっと若作りの化粧をしてくるんだった」
 と言い、みんなして軽口をたたいて笑いこけていた。

 原神社の上空には満月があった。殆どの人は気づいていないようだった。
 視線を参拝者に戻すと、若い夫婦参拝者が増えてきたな、と思った。

 下町から町工場が消えると、多くはその跡地にマンションができる。葛飾でも、「03」族だから、それなりに若い夫婦ものには人気らしい。
 下町の悪戯な子どもたちが影をひそめて、どこか品の良い子どもたちが増えてきたな、という印象をもった。

 東京の下町・葛飾立石が年々どこか微妙に変わっていっている。


 

「ジャーナリスト」トップへ戻る