ジャーナリスト

「特定秘密保護法」は、闇の公安警察が欲しがる法律 ③ 青木理

 公安警察とは何か。警視庁警備部・公安部が、戦前の特高警察の流れをくみ、それを引き継いでいる。個人の情報を収集し、蓄積し、管理している。その活動はベールに包まれているが、令状なしの違法捜査が日常化している、とも言われている。

 作家やジャーナリストが公安部の情報を入手し、外部で報じれば、「特定機密保護法」で、刑罰10年-5年を課せられる。戦前の治安維持法の刑罰と、ほぼ同じである。そうした法律が国会で審議されている。

治安維持法(大正十四年法律)
第一條 國体ヲ變革シ又ハ私有財產制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ處ス


11月24日、東京・文京シビック小ホールで、『特定秘密保護法に反対する 表現者と市民のシンポジウム』が開催された。3番手として、ジャーナリストの青木理(あおき おさむ・元共同通信社)さんが指名された。
 
 青木さんは冒頭に、秘密保護法に関しては、どうしてもこれだけは言っておきたいことがあります、と述べてから、
「この法律は安倍政権とセットで語られていますが、本当に欲しがっているのは、安倍政権よりも、警察官僚なんです。民主党政権のときも、尖閣諸島のビデオ流出事件から、仙谷由人(せんごく よしと)官房長官が先導した経緯があります」
 内閣情報調査室(通称・ナイチョウ)は大した組織ではない。職員もせいぜい200人程度の規模で、たいした能力もない。ここは基本的に警察官僚の出島なんです。警備・公安警察のトップ、準トップクラスがかならず長に座り、その下には警備・公安警察官あがりの職員が大挙している。
 むろん、それ以外にも外務省、防衛省、公安調査庁などがいますけれど。主は警備・公安警察の出先機関であり、ここが今回の法律の事務局になっているんです。

「公安警察が欲しがる法案。その視点で見ていくと、外交・防衛のためにというけれど、どの官僚よりも、警察官僚が最も使い勝手が良い法律になっているんです」

 他の省庁は秘密を大臣が指定することになっている。警察官僚の頂点は警察庁長官になる。これは警察内部で完結し、外部のチェックがまったく入らない組織です。

 特定機密保護法が内閣情報調査室の手で、立案される過程で、「テロ対策」の項目が忍び込まされた。
「テロ対策という名目がつけば、警察に対する情報がすべて秘密になってもおかしくない」
 青木さんは強調した。

「外交・防衛の重要な問題では、情報の流出は好ましくないと考える人もいる。。機密は多少なりとも必要だろう、と皆はお考えでしょう。それでも、ある程度・機密の範囲が限定されます。しかし、テロ対策となると、警察のありとあらゆるものが秘密になりかねない」
 極端なことを言えば、交番がどこにあるか。それすら全国交番一覧表はテロ対策から公開しない。いま警察が必死に隠していて全容がよく解らないけれど、自動車ナンバー読み取り装置(俗称は「Nシステム」もそうです。(Nシステムは、手配車両の追跡に用いられ、犯罪捜査の重大な手がかりになっているらしい)。これらは完全に特定秘密になるでしょう。

 警視庁公安部の人員配置図とか、公安委員がどこにいて、どこに事務所を置いて活動しているか。まちがなく特定秘密になる。
「つまり、警察がいちばん使い勝手がよくできている法律なんです。外交防衛は建前として掲げているけれど、この法律によって、一番強化されるのは治安なんです。平成の治安維持法。言葉遊びでなく、治安維持法になるんです」 


 青木さんの主張からは、市民生活に暗い影を落とした、戦前の特高警察の再来があり得るだろう、と予測させられる。一世代前は、隣人が隣人を密告して罪に陥れた暗い社会だった。路上やひと前で迂闊なことを言えず、政府・軍部・天皇批判などできない暗黒の日本だった。
 それからまだ68年しか経っていない。歴史のはるか彼方の話ではない。治安維持法が息吹いてきたのだ。

「特定秘密保護法」言論・報道の自由を奪うと、戦争の道 ② 吉岡忍

 市民は国の多くの情報に接する権利がある。政府は透明性をなくしてはいけない。権力が腐敗するように、秘密主義は社会を腐敗させる。むかしもいまも、自由な報道と私たち民衆の血液なのだ。

 政府や官僚は秘密保全の過剰な強迫観念から、みずからの行動を隠し、あいまいにしている。「特定秘密保護法案」は、政府の秘密を膨張させ、市民の知る権利を奪うものである。

 11月24日、東京・文京シビック小ホールで、『特定秘密保護法に反対する 表現者と市民のシンポジウム』が開催された。司会・進行役の篠田博之(『創』編集長)さんが、2番手として、吉岡忍(作家・日本ペンクラブ専務理事)を指名した。


 第一次世界大戦の後、言論表現の自由がなければ、それぞれの国家が勝手なことを言い、互いに憎しみ合って、戦争に及んで行く。こうした歴史的な反省のなかから、作家、詩人の集まりである「国際ペン」(本部・ロンドン)が誕生した。
 日本も昭和10年に島崎藤村を初代会長として「日本ペンクラブ」が下部組織の一つとして発足した。現在は世界中に約150センターがある。

 国際ペンのジョン・ラルストン・サウル会長、副会長、獄中作家委員会・委員長から、日本政府の「特定秘密保護法案」に対して憂慮する、というメッセージをもらった。(会場に配布)。

 吉岡さんは日本ペンクラブが発足した、昭和10年のころの言論統制と弾圧に触れた。
「日本ペンクラブが発足したときには、すでに「治安維持法」は発動されていたし、新聞が戦争の後押しをする体制が出来上がっていた。多くの書き手が執筆禁止となった」
 戦前、戦中の日本ペンクラブや作家は、あまり活動ができなかった苦い経験がある。

 そうした反省に立って活動を続けている。「特定機密保護法」は危険な法律だから、日本国内だけでなく、国際的にも、この法案の危険性を訴えてきた。

 アメリカの外交政策、国際戦略はいまや行き詰っている。アフガン、イラク戦争のとき、アメリカはヨーロッパ諸国を巻き込めた。しかし、シリアの問題でわかるように、ヨーロッパ諸国はもはやアメリカの外交政策に協力しない態度に変わってきた。だから、シリアでは軍事的な対応ができなかった。

 アメリカにとって、いま一番言うことを聞いてくれるのは、おそらく日本だろう。日本は1945年の敗戦以来、朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク戦争など、「基地を出せ」、「金を出せ」、「血を流せ」と言ってきたが、日本政府は一度もNOといったことがない。こんなに従順で使いやすい国はないだろう。
 日米軍事関係の連帯を結ぶ、それには秘密保護法が必要だとアメリカから背中を押され、与党は突き進んでいるのだろう。

 こんな背景も含めて、日本ペンクラブは各国の約150のペンセンターに、レターを送った。
「私たちは外圧をかけようとするのではなく、日本国内の危険な事実を伝えるものです。『日本政府がやろうとする、特定秘密保護法案は危険性があり、その反対運動に賛同します』という声明をもらっています」

 アメリカには同じような法律があって、「スパイ法」が戦後すぐにできた。

 1970年代にはベトナム戦争が起きた。ペンタゴンでは秘密裏にいろんな情報を集め、分析し、この戦争の勝ち目のなさとかを解析していた。
 そもそもこの戦争はアメリカ軍がこいに挑発し、ありもしなかったベトナムからの攻撃をあったとして、大々的に世界に発表した。そのうえで、これらを懲らしめるために、ベトナムを攻撃するんだと言い、始まった戦争である。

 ペンタゴン(アメリカ合衆国の国防総省)は、アメリカ軍がでっち上げた事実を調査し、秘密として保持していた。そこの公務員だったエドワード・スノーデン氏が、ベトナム戦争に関する機密文書『ペンタゴン・ペーパーズ』をワシントンポスト紙やニューヨークタイムズに渡し、それが報道された。
 アメリカ国民自体が、とんでもない戦争だ、と知り得た。

 世論が「こんな風にして戦争がはじめられたとは知らなかった。こんな戦争だったら、手を引くべきだ。すぐやめるべきだ。まだ続けるつもりなのか」と、長い間戦ってきたアメリカは国内から批判の手が上がった。国際的にも犯罪だとされた。
 やがて、アメリカのベトナム介入の舵は切られ、アメリカ軍の撤退となっていった。

 暴露したエドワードや新聞記者たちは、スパイ法で逮捕されて裁判を闘った。
「けれども、当時の司法はなかなか健全でした。スパイ法にあたらない、情報を流した側も、受け取った側も、連邦の高裁、最高裁でも無罪を言い渡した。おそらく、日本で「特別秘密保護法案」が成立すれば、おそらく逆転ホームランは起きないだろう。毎日新聞の西山記者のようになるだろう。いま、政府にノーというメディアも少なくなってきた。私は懸念しています」
 吉岡さんは何としても、廃案にするべきだと強調した。

「特定秘密保護法」は市民にとっても危険な法律だ ① 田原総一郎

 権力者は秘密を持ちたがる。国民に不都合なことは知らさないで隠したがる。これら権力の秘密を暴くのがジャーナリズムである。
 国会で審議されている「特定秘密保護法」は、言論・報道にかかわる者を抑え込み、裏からあの手この手で情報収集や取材活動すれば、処罰しようとするものである。

 11月24日、東京・文京シビック小ホールで、『特定秘密保護法に反対する 表現者と市民のシンポジウム』が開催された。主催は月刊『創』、後援は日本ペンクラブ他。司会・進行役は篠田博之(『創』編集長)さんである。会場は約350名の定員だが、45分前から整理券が発行されるほど、市民の関心度が高かった。


 
 第一部のパネルディスカッションで発言された主だった方の主張を紹介していきたい。篠田さんが最初に指名したのが、田原総一郎(キャスター)さんだ。
 田原さんは、危険な法律だ、と前置してから、
「重要な日本の将来を左右する法律なのに、国会審議が早すぎる。たった2週間しかない。なんで、こんなに審議が早いのか」
 自民党は国民が気づかないうちに法律を通そう、と考えている。審議するほど、反対運動が高くなるからだ。
「次に、秘密の定義がない。行政機関の長が、『これが秘密だ』と言えば、秘密になる。この頃の内閣はころころ変わる。大臣は1年か、2年くらいしかもたない。結局は、官僚が恣意(しい)的な考えで、どんどん秘密ができる。官僚は秘密が大好きなんですよ」

 諸外国にも秘密保護法があるが、それぞれ監視機関をもっている。米国すらも大統領直轄の監視機関で三重にチェックが行われている。日本ではそのチェック機関が設けられない。こんなバカげた国はない。

 国会審議では記録を取らない。昔は記録(紙)をとっても置く場所がないから、記録を取らなかったことがある。いまはIT時代だから、デジタル記録として残せる。なぜ審議を記録として残さないのか。
「国民は知る権利がある。最高でも30年で公開するべきである。それが60年だと言っている」
 まして、記録を取らないと公開などできない。

「新聞は特定保護法案に対して、熱心でない。社説でちょこっと書いているだけだ。言論の自由・報道の自由に反する法律だから、反対だとか、政府と強くやり取りするべきだ。それがない」
 田原さんは新聞各社の姿勢にも批判の目を向けた。

 報道の自由は認めると言っているが、悪質で違法な取材に対しては懲役10年、少なくとも、懲役5年だという。
「ジャーナリストならば、通常やっている取材は全部悪質なんですよ」
 田原さんはそう強調してから、
「記者たちはたとえば大臣や官僚の幹部に、あなたの名前は出さないから、とオフレコを前提に情報を取る。財務省はこう言っているとか、外務省はこう言っているとかで報じる。これは共謀ですよ。共謀は5年です」

 田原さんはTV座談会などで総理や大臣に対して、矛盾があると、それを突く。相手は弁解する。
「弁解など聞きたくないよ、国民の前に、真実、本当のことをしゃべるべきだ、と迫る。これは脅迫ですよ。そうなると懲役10年の刑になる」

 かつて西山事件があった。毎日新聞の西山記者が外務省の女性と仲良くなって、沖縄返還の情報を取り、それを報じたのだ。貴重な情報を世間に知らせたのに、裁判では女性秘書官と情を通じたとして有罪になった。
「ものすごく重要な情報で、日本政府が沖縄返還で、アメリカに金を払った。つまり、日本はアメリカからお金で沖縄を買った。外務省はずっと否定し続けた。それを暴いた」
 ふつうは新聞記者は各省庁の秘書官と仲良くなり、飯を食べに行く。局長、事務次官、大臣とかに接する前に、秘書官から大体の情報を聞いてから、上層部に会う。これら「情を通じる」と有罪になる
 
「政府というものは隠すものなんですよ」
 田原さんはそう強調して同法案に対して強く反対した。

記念講演のタイトルは、「脳を創り、脳を耕す」=日立目白クラブに於いて

「元気に百歳クラブ」(中西成美会長)の秋の例会が、10月10日(木)午後12時から、東京・新宿区の日立目白クラブで開催された。創立記念日と兼ねた、クラブ誌「元気に百歳」(夢工房・A5判278頁 定価1,200円+税)の出版記念を行う。今年は14回記念で、会約70人が参加した。

 記念公演は第1回から外部の著名人を招いている。中西会長から、「会員からも講演をお願いしたい」と私に依頼があった。私は同クラブのエッセイ教室の講師を7年余り受け持っている。

 中西会長との事前の打ち合わせで、「年齢を超えた、柔軟な、若々しい脳を如何につくるか」という内容のすり合わせがあった。「元気に百歳」は、身体も心も脳も活発で、元気で100歳まで生きてこそ値打ちがある、それがモットーである。寝たきりや、植物人間で100歳まで生きるのでなく、元気にが強調されている。そこで、演目は『脳を創り、脳を耕す』(プロ作家がその秘訣を語る)に決まった。

 会場の「日立目白クラブ」は旧宮内省が1928(昭和3)年に学習院高等科の生徒寄宿舎として、建設した。52年に日立製作所が譲り受け、社員の結婚式場などに使っている。建物は白亜の外観である。内部は重厚な作りで、白い壁と縦長のアーチ窓が特徴である。東京都の都選定歴史的建造物である。

『脳を創り、脳を耕す』は固いタイトルだ。笑いを取ってからテーマに入る。スピーチ技法は無視し、いきなり核心から入りことに決めた。
「私は脳の生理学者でもないし、脳細胞の関連知識はなどない」
 と前置きしてから、一般に、加齢とともに、物事にたいして柔軟な対応が弱くなり、従来からの考え方に拘泥し、進歩的なものに批判的になり、保守的になります。頭は固く、頑固で、融通が利かないのが常です。

 作家は一般に年老いても頭が柔らかく、ボケが最も少ない職業だと言われています。(病的なものは除く)。作家は好奇心が強く、物事の本質を突き止めるために、疑ってみるからです。

 事例として殺人事件を出した。

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世界最大のノコギリ楽器の美しい旋律に、聴衆は酔う=東京・西新井

 のこぎりキング下田(本名・下田尚保)さんは世界最大のノコギリ楽器をつかった、卓越した演奏家である。10月6日(日)、東京・西新井文化ホールで、第8回「のこぎり音楽チャリティー・コンサート」を開催した。親しみのある21曲で、約700人の聴衆を魅了した。

 スペシャル・ゲストは楠堂浩己とFinest Jazz Menで、最初の曲「ザッツ・ア・プレンティ」を奏でながら、会場を華やかに盛り上げた。司会はTVアナウンサーの堀江慶子さんで、明るい口調で、のこぎりキング下田さんを舞台に招き入れた。

 日本の代表的な童謡・歌曲「月の沙漠」、「里の秋」などで、すぐさま聴衆の心をしっかりつかむ。 さらには明治40年に誕生した、「更けゆく秋の夜~」 で始まる「旅愁」へとつづく。
 ノコギリは大小4種で、曲によって使い分けられる。その一つはノコギリの先端・取っ手に鹿の角が使われていた。

 司会の堀江さんから、各曲目の紹介が入る。「千の風になって」では、USAで話題となった詩『Do not stand at my grave and weep』を2001年に、新井満さんが日本語に訳し、自ら曲を付け、 秋川雅史さんが歌って大ヒットした、と語る。

 聴衆の一人・豊島区の滝口さん(57歳・女性)は、「千の風になっては、ノコギリ楽器にとても似合った曲ですね。心に響きました」と、第1部の終了後に、感想を述べてくれた。


 のこぎりキング下田さんは、東京都公認ヘブンアーティストで、国内の演奏活動は幅広い。豪華客船「にっぽん丸」「ぱしふぃっくびいなす」のクルーズの演奏、浅草東洋館で隔月レギュラー出演している。さらにフランス・パリなど海外公演の実績を持つ国際派アーティストである。

 下田さんの曲の合間に、ヴォーカリストの絵馬優子さんが特別出演し、美声を会場に響かせた。

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特定秘密保護法はほんとうに必要なの? 

 阿部政権がいま推し進める「特定秘密保護法」は、運用によっては暗い日本に逆戻りする、と危惧する。このさき将来を見据えると、肌寒い思いだ。


 ときの権力者はつねに体制の維持に努める。一方で、体制を変えようとする、いろいろな考えや動きが底流で起きてくる。
 体制を維持しようとする側は、さまざまな法律や規制をつくり、現状をかたくなに守ろうとする。その法律を作る人(国会)と、運用する人は当然ながら違う。

 法をつくる目的と、運用する段階の人も違えば、認識も違ってくる。だから、法の解釈は政府の都合よい方向に変わったりする。政府ばかりか、個人の運用がとてつもない方向に進むことがある。


 まず「個人情報保護法」を考えてみたい。メディアが興味半分で政治家たちの私生活を暴露していた。ときには報道の自由を根拠として。政治家たちは頭にきていた。暴露メディアを規制する目的だった。
 政治家が自分たちのためにつくった法律だったから、罰則などない。

 それがいまや個人生活レベルまで下りてきて、学校の同級生名簿、会員名簿作成までも、掲載者の承諾なしで作れば、罪だと思っている人がいる。個人情報保護を口にする人がやたら多い。
 身近な所でも、このように拡大解釈がなされているのだ。

 いま検討されている「特定秘密保護法」は、最高10年の懲役刑だという。

 国家公務員が身内にいる人たちは、逮捕状を持った官憲がいつわが家に押し掛けてこないか、と妙にビクビクする、落ち着かない世のなかになるだろう。
 それはなぜか。情報の漏えいは当人の意識だけでなく、無意識でも起こり得るからだ。

 悪意ある人物(ハッカー)が、公務員のパソコンに侵入し、国の情報を持ち出せばどうなるのか。当然ながら、担当する公務員らにはみずから外部に情報提供をなした、と嫌疑がかけられるはずだ。

 犯罪者扱いされた公務員が、
「身に覚えがありません。そんなことはやっていません」
 と口で弁明しても、
「外部に流れた、証拠は挙がっているんだ」
 と簡単には覆(くつが)えせず、言い訳だと信じてもらえないだろう。
「無実を証明」するのは逆に難しい。

 パソコンによる、えん罪はいつでも起こり得る。
 ここをしっかり押さえておかないと、「特定秘密保護法」が戦前の治安維持法なみに名だる悪法になる可能性がある。

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浅草ストーリーを創る人びと=春川ひろし

 東京・浅草では著名なアーチスト・春川ひろしさんを中心とした、「春川ひろしと童謡デキシーランダース」がこのたびHPを立ち上げました。素晴らしい内容です。

 先立つこと、制作会社の方から、穂高健一が2010年1月22日に「PJニュース」に掲載した、『浅草ストーリーを創る人びと=春川ひろし』(上)(中)(下)の3回掲載を転載したいけれど、リンクができない、なにかしら方法はないでしょうか、と相談を受けた。

 PJニュースはすでにサイトが閉鎖されている。「春川さんが 保存してある同記事のコピーを、ホームページに掲載したい」という趣旨だった。


 さかのぼること、「PJニュース」はライブドアのホリエモンが誕生の親です。「将来、多くの人がニュースを新聞・TVよりも、ネットで見る時代になる」と予見し、PJ(パブリック・ジャーナリスト)ニュースをスタートさせました。多くの人はまさか、新聞・テレビ以上になるなんて、と疑いました。

 いまでは新聞社までも、ネット・ニュースを併用しています。ホリエモンの先見性には驚かされるばかりです。私はその初期から、ホリエモンの失脚、ライブドアがPJニュースから手を引くまで、記者活動を展開してきました。約800本ほど書きました。

 ホリエモンが刑務所から出所した後、彼は正式にライブドアと縁が切れた。と同時に、PJニュースが消滅し、ライブドア・サーバーからも一切合財が消えてしまった。あれだけの膨大な貴重なニュースが見られず、残念だった。

 ただ、今回の春川さんのように、記事をPDFで残されている方もあるようだ。それには感心させらた。 データーがあれば、社会に再登場せることは可能だ。

 著作権はPJニュースが存続していれば、正式に提供できたはず。(当時は、積極的に転載もしていた)。現況となれば、著者の私の判断で、春川さんのホームページに『著者・穂高健一氏の掲載許諾済み』と一か所明記して頂ければ、差支えない、というい見解を示した。

「春川ひろしと童謡デキシーランダース」はとても良い店です。浅草ではお勧めです。住民とバンドマンとフリーの見知らぬお客どうしが楽しめる素敵な雰囲気です。
 童謡が好きな親子がジャズで歌う。そこには微笑ましさもあります。


関連情報

「春川ひろしと童謡デキシーランダース」

『浅草ストーリーを創る人びと=春川ひろし』(上)(中)(下)

心優しく、絵心で、明日をめざす=柏木照美さん

 2013年の梅雨明けが予想よりも早く、連日の猛暑だった。
 7月8日には、東京銀座1丁目のBartok Gallary(バートック・ギャラリー)で開催された、『紙芝居塾7期終了展』に出向いた。午後2時ころだった。地下鉄から会場まで、直射日光の暑さで、胸や背中に汗が流れ出るのがわかるほどだった。
「こんな猛暑の昼間ですから、お客さんはいらっしていません」
 案内状をもらった柏木照美さんが出迎えてくれた。梅雨入りしたばかりの猛暑日は、たしかに出かける人は少ないだろうし、ギャラリーが独り占めできた。


 出品者は10人の展示会で、手作りの創作紙芝居だった。柏木さんの作品は、『おいしい紅茶の入れ方』で8枚の絵だった。
 彼女に頼めば、仲間内のどの紙芝居でも披露してくれる。

『ほこらの龍』(ひぐちりかこ作)を頼んでみた。池に住む龍と村人と、あつれきと交流を描いた、心温かい内容の作品だった。柏木さんの口調はやさしく、擬人法の龍に感情移入できた。
(童心にもどれたのは何十年ぶりだろう)
 たまには童心に帰って、素直に楽しむのは良いものだ。

「私はナイーブなアートを目指しています」
 淡い色合いの作品に特徴がある。それだけに、彼女は「上野現代童画展」にも何度も入選している。

 紙芝居を始めた動機について訊いてみた。「会場は紙芝居と絵画の展示も行っています。私が最初に出品したのは 宮沢賢治の童話『銀河鉄道の夜』を模した絵でした。それをみたギャラリーの女性オーナのジェイン・トビイシさんが、紙芝居を勧めてくれたのです」
 それから毎年出品しているという。物語の創作(ストーリー)、それに紙芝居の絵と、双方に才能が発揮できるので、彼女には向いていたようだ。

 8月には16人による『ありがとうがいっぱいサニー10歳記念展』(江東区・ギャラリーコピス)にも、作品を出品する。作品の売上の一部は東日本大震災チャリティーとして寄付される。

 柏木さんには、絵画とは別の顔がある。13年3月、「日本紅茶協会認定ティーインストラクター」のジュニア資格を習得した。1年間はしっかり勉強して習得したという。次回はおいしい紅茶を入れてもらい、紙芝居を楽しみたいものだ。

大阪も水没するのか。南海トラフで、JR大阪駅には津波が最大5m

「あすは、わが身」
 それが災害列島に住む人間の心構えである。
 大阪の市民は、大地震が来たら、津波を警戒して、地下鉄から逃げた方がいい。私たちは東北と関係ないと思ったら、危ない。


 「南海トラフ巨大地震」で3・11なみの地震規模のマグニチュード9・1が発生すれば、約2時間後には大阪湾が大津波に襲われる、と大阪府は公式に発表した。さきの中間想定の見直しを図ったものだ。

 津波が到達した後、JR大阪駅(北区)など市西部一帯は深さ最大5メートルで水没するという。

 大阪中心部は地下鉄網が発達している。地上が水没すれば、当然ながら、地下に浸水する。津波に襲われたら、地下からは強力な海水の水圧で逃げ切れない。地下街も、地下鉄も水没する。ここまで具体的に発表していないが、簡単に想像がつく。


 一部報道によれば、松井一郎知事は8日の記者会見で、「厳しい想定だが、被害が起きてから『想定外だった』と言い訳することはあってはならない。堤防崩壊を防ぐ強化工事などに力を注ぎたい」と述べている。内心は、地下街、地下鉄の水没など、脳裏に浮かべた発言だろう。

 行政は地下鉄浸水など最大のリスクを明瞭に言わない。これはある種の危機管理の欠如である。

 危険と危機との違いを知ろう。

 危険とは、まったく想定をしておらず、突然、危ない目に遭うことである。
 危機とは、システムの欠陥から、危ない目に遭うことである。行政が明瞭に予測しない地下浸水はシステムの欠陥である。


 穂高健一著『海は憎まず』でも、東北地方で行政が定めた「広域避難所」が低地すぎて、大勢の人が死んでいる、と被災地の事例を取り上げている。行政の方々も多く亡くなっているから、一概に批判もできない。だが、この経験は生かさなければならない。
 同書では、大都会が津波に襲われた場合の、地下鉄の危険性なども取り上げている。

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高校生の教科書から「漢字」を学ぶ=書宗院展

 第57回「書宗院展」が東京銀座画廊美術館の7階で開催された。最終日の7月28日に展示会に出かけた。書家・吉田翠洋(本名・吉田年男)さんの作品が出展されていた。

 書宗院展は古典の書を手本にした、書道である。歴史に名を成す大家に、より近づこうとするものだ。展示品は、たとえ模したにしても、古代から現代まで、名家の書を見られるのが特徴だ。今年は高校生の部の出品があり、制服姿の男女生徒らも会場で作品を観ていた。

 「書聖なる王義之らの生きた時代に思いを巡らし、その息子・『王献之尺牘』の書を出展しました」と吉田さんは語る。


 吉田さんから会場で、興味深い話を聞くことができた。

「楷書があって崩し文字が生れた、と多くの人が信じていますが、それは逆なんです。紀元前1300年ころの甲骨文(こうこつぶん)から、文字は始まっているのです」
 甲骨文を含めた篆書(てんしょ)、そして草書(そうしょ)、行書(ぎょうしょ)、楷書(かいしょ)の五書体が順次生れた、と話す。

 それが2013年度の高校教科書(書道)に出ているという。その実、吉田さんは教え子が書道教室にその教科書を持ち込んでいたので、それを見て知ったと話す。

 吉田さんは一つひとつ解説し、丁寧に教えてくれた。

「篆書」ということば自体はふだん聞きなれない。中国で生まれた最も古い書体で、甲骨文、金文(きんぶん)、小篆(しょうてん)を含めているという。秦の始皇帝時代に確立している。

 左右相称で曲線が多い。ただ、書写には時間がかかる そこで簡素化して前漢時代に隷書(れいしょ)が出現した。躍動感があふれる、動的な美しさだという。

 次に生まれたのが、日常の手紙などの早や書き用として、「草書」である。それは前漢の時代だった。「行書」は後漢に表れはじめた。双方とも、実用的に文字として発達してきたのだ。

「楷書」の兆候は早くにあったが、長い歳月をかけ、合理的な文字として、唐の時代に完成した。それが現代まで続いている。その後には新しい書体が生まれていない。
「明の時代、新の時代にはりっぱな書家はいるが、現在と同じです」と吉田さんは教えてくれた。

 こうした一連の記載が高校教科書(書道)に載っている。教科書からも、学ぶものも多いな、という思いを持った。