ジャーナリスト

寝苦しい夏の夜長に、「会報」をよむ・シリーズ④=シニア大樂

 シニア・ブームの最先端をいく。あるいは口火を切った、それがシニア大樂だろう。
 団塊の世代が60代を迎える。その数年前の、2003年4月に同大樂が発足している。当時から、4大新聞などメディアに、団塊世代の先駆け、指針になると、数多く取り上げられてきた。むろん、いまなおである。

 田中嘉文理事長から発足時の話を聞いた。「シニア・ライフ・アドバイザー」資格を持ったメンバーが、ハワイ大学の加齢学セミナーに出席した。(米国では進んだ学問)。帰国後、呼吸の合った男女6人が、われわれは何ができるか、と半年ほど語り合ったという。
「60歳で赤いチャンチャンコ」という日本人の感覚を打ち破り、欧米並みに豊かな心になれる人生を創りだそう。そういうアドバイザーになりたい。

 リタイアした人は残る人生を有意義に過ごしたい、企業のなかで培われた能力や才能がこのまま廃ってはもったいない、という気持ちがある。それを引き出し、生かす、その手立てのアドバイスをする。
 シニア大樂が立ち上がった。すぐさま、「出前講師をやろう」という藤井敬三副理事長の発案で、同大樂に講師紹介センターが生まれた。

 一般的に、民間の講師斡旋業者に派遣講師を依頼すれば、2時間で数十万円が相場である。なかには100万円台の超著名人もいる。多くはイベントで招かれる。聞き手は「○○」の話しを聞いたよ、見たよ、という自己陶酔に終わってしまう。

 シニア大樂の幹事は、次世代の人たちが安く学べる講師陣を揃えよう、幅広く知識を提供しようと考えた。そこで2時間・数万円で出向ける人材を募った。それがヒットした。
 9年目にして登録講師は500人を超えている。国際空路のパイロット、大使、大手企業の管理職、真打の落語家、建築士、高級官僚、アナウンサーなど枚挙に暇がない。


 同大樂では、【シニア大樂ニュース】を発行している。夏の寝苦しさのなかで、開いてみた。
 講師陣の大道芸人、落語家、手品師などがシニア演芸団 「演多亭」を立ち上げ、毎年、定期公演を行っている。今年の7月7日は6回目を迎えた。文京シビックホール370人の定員が満席で、当日券も売切れだった。
 2011.8.1の第32号には、メインタイトルが『七夕の笹揺れ、演多亭シビック公演大盛況』である。
 第1部は、ヘブンアーティストのオンパレード
 第2部は、落語と漫談とマジック
 公演の成功ぶりを熱く報じている。

 穂高健一ワールドでも、【寄稿・写真】これぞ、熱演・芸人たちの顔=滝 アヤで写真紹介している。

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かつしか区民大学「私が伝える葛飾」。堀切菖蒲園で、取材方法を学ぶ

 東京・葛飾区に、「かつしか区民大学」が正式発足して2年目になった。主催は葛飾区教育委員会。講座の一つ「私が伝える葛飾」は、昨年と同様に、講師は穂高健一で、区民記者の養成を目的とする。11年度の受講生は19人である。

 同講座は5月20日からスタートし、11月25日まで延べ8回の講座を通して、報道写真の撮り方、記事(あるいはエッセイ)の書き方を学ぶ。座学(2時間)は6回、課外活動(一日コース)は2回。受講生は毎回、課題作品の提出が義務づけられている。
 全員が共通認識を持つために、講師が添削した作品は一作ずつ映像器具などを使い、指導していく。


 葛飾は花ショウブで有名である。6月に入ると、花は盛り。同月19日(日)は同区・堀切菖蒲園で、課外活動を実施した。

 当日は全員が10時に堀切地区センターに集合した。教育委員会・生涯学習課からは2人の担当者、「かつしかPPクラブ」からは浦沢誠会長を含めた4人の参加協力が得られた。午前中は写真の撮り方、午後は取材の仕方にウエイトを置いた。

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小さな奇遇が、3つも連続=ご近所から、徳川家茂と和宮の謎まで

 日本写真協会(東京・千代田区)の総会に出席した。2011年4月1日に、同協会は公益社団法人に認可された。
 宗雪雅幸会長をはじめとした執行理事は、安堵の表情で、総会に臨んでいた。事業報告、決議事項とも、会員からは質問も、反対もまったく出てこない。すべて挙手で、原案通り可決だった。

 文芸関係や山岳関係の総会では、質問が立て続けに出てくる。日本ペンクラブなどは発言者が多く、議事の進行が止まってしまう。それら荒れる総会を知るだけに、写真の会員はおとなしいな、と妙に感心してしまった。

 写真はカメラを被写体に向けて、目と心で語りかけて撮るものだ。口は必要ない。そんな勝手な解釈で、自分を納得させた。

 この総会のさなか、右横の席から、不意に肩をたたかれた。鈴木幸次さんだった。
「これはまた奇遇ですね」
 ふたりの驚きの言葉だった。議事進行中だったから、それだけの言葉だった。

 昨年末には、わが家に一枚の展示会の案内・はがきが届いた。鈴木さんが同会に入会し、名簿を見ると、極々近いところに、私の住居(葛飾区)あると知り、連絡してきたものだ。日程の都合がつかず、展示会には参加できず、そのままになっていた

 約半年が経った。
 2011年6月1日の『写真の日』のレセプションで、私が会員のネームプレートから『かつしか写真クラブ』主幹を見つけて、声がけをしてみた。
「よくわかりましたね」
 鈴木さんが感心していた。
「葛飾区東立石で、わずかな番地違いで、同じ会員とは奇遇ですね」
 ふたりはともに住居の場所を確認し、あまりの近さに驚いていた。 

 鈴木さんは、山岳写真からスタートし、現在は花とポートレートだという。私も略歴を語り、一気に親しい会話となった。

 それから半月後、この総会で真横に座っていたのだ。まさに奇遇に思えた。
 総会終了後は、懇親を深めるために、「お茶しましょうか」と誘った。1階の写真展をのぞいてから、近所の喫茶店に入った。

 鈴木さんが主幹のクラブは会員が約20人、月2回の会合を開催している。構図が中心の指導だという。作品提出は数枚だが、300枚近くを出す方がいると聞いて驚かされた。
「数多くの枚数を撮ったうえで、絞り込むのも能力の一つなのに……。それができない方なんですね」
 そんなコメントをさせていただいた。

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それでも死体の写真報道はするべきです=オピニオン

 私のもうひとつのHP「穂高健一の世界」を編集して下さっている方(40代・男性)から、PJニュースの『大惨事の報道はこれでよいのか。大手メディアの自主規制の是非を問う』に対して意見をいただきました。
「(死体を)見る権利もあるが、見ない権利もある。公共メディアではなくインターネットや、有料本の様な物に限るべきだ」という趣旨です。

「海外のメディア(ニューヨークタイムズなど)では、遺体が放送されているようですが、遺体を写したフジテレビがかなりたたかれているようです」という補足がありました。


 大震災の話だけならば、「(死体を)見る権利もあるが、見ない権利もある」という意見は正論かもしれません。
 しかし、なぜ、日本のメディアが死体を見せないのか。その本質(根幹)は明治以降の戦争から培われてきた、危険なものなのです。

 いま声高に言わないと、日本がもしも戦争に突入したら、メディアはまたしても戦場の若者の屍を見せない報道になるでしょう。これで良いのでしょうか。 

 いま現在でも、ベトナム戦争、イラク戦争、イスラエル・パレスチナ、アフガン戦争など、日本では死体のない兵器戦争しか報道されていません。それはアニメの戦争世界と同じ。死者への痛みなど知る由もなく、戦争を仕掛けた、あるいは背後にいるアメリカに対して、日本はもろ手を挙げて大賛成となるのです。

「えっ、南ベトナムから、アメリカはなぜ全面撤退するの?」
 それが当時の日本人の殆どの感想です。若い米国兵士の戦場死体など、報道写真で見せられていませんでしたから、日本人はピンボケ状態でした。戦場の凄まじさは知らなかったのです。


 世界各地で「世界報道写真展」が毎年、開催されています。日本では、東京都写真美術館などで開催されます。
 世界中のジャーナリストたちの報道写真・10万点以上から優秀作品が100点強選ばれています。
 焼け焦げた遺体、四肢が吹き飛んだ死体、子供の死体もあります。悲惨な死体が写っています。それを見れば、戦争など絶対してはならない、という強い気持ちにさせられます。

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年に1度、ギター演奏を聴く=名曲が心にしみる

 川瀬のり子と教室生徒による、第8回「ギターサロンコンサート」が4月24日、東京・自由が丘チエスナットホールで開催された。小、中学生(男女)から、リタイアして本格的にギターに取り組む60代まで、と幅が広い。


 演奏者たちはそれぞれ真剣な表情で、1小節ずつ楽譜に忠実に弾く。緊張から音が硬くなる。それでも、この日のために、練習に励んだ、という熱意と努力が伝わってくる。



 年に1度、ギター生演奏から、心を癒してもらっている。
 個人的な好みからいえば、より初級者の曲のほうが心地よい。

           

「禁じられた遊び」「グリーンスリーブ」「シェルブールの雨傘」「夜霧のしのび逢い」「枯葉」「鉄道員のテーマ」「ラ・クンパルシータ」など、聞きなれた名曲だけに、心にしみこんでくる。

 中級、上級者になると、ホ短調とか、変奏曲とか、アストゥリアスとか、むずかしくなる。なにも考えず、自然体で聴いている。

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春の郊外を歩く、大震災を考える=作家として、何をなすべきか

東日本大震災から、約1ヵ月たった。日本人が一つになって、復興・復旧へと向かいはじめた。とはいっても、いまなお暗い雰囲気が漂う。

 メディアは相変わらず、政府関係者や東電をバッシングし、妙に利巧ぶっている。為政者を攻撃しなければ、知的集団ではないと、ジャーナリストたちは勘違いしているのではないか。そんな想いが強くなるばかりだ。

 今回の大震災の発生後から、私はどこかジャーナリストでなく、小説家として自分を置きたいと考えている。そんな自分を意識している。


       
 東京・仙台までの新幹線が開通した。被災した現地に足を入れようかなと考えた。いま出向いて、暗い報道ばかりを伝えても、大手メディアの二番煎じになるだけだと思い直した。
 
 状況が落ち着いた頃、ジャーナリストでなく、小説家として被災地に出向きたい。被災地で、人々が経験した「人間とは何か」という根幹を求めて現地を回ってみたい。
 単に事実の伝承、報道の上滑りでなく、災害時の人間の本心、本音、思考をさぐり出したい、浮かび上がらせたいというものだ。
  

 4月末の晴れ間を狙って、東北には向かわず、初めて目にする千葉県・柏市の郊外を歩いてみた。近郊農家もある。あけぼの山農業公園もある。
 田畑や花や土地の匂いを感じながら、いま文学は何をするべきか、何を書き残すべきか、と考えてみたいと思った。

  

 2008年2月、日本ペンクラブ主催の世界フォーラムで、「災害と文化」が行われた。国内外の著名な作家たちの作品が紹介されたり、朗読されたりした。

 大自然はある日突然、巨大なエネルギーで人間に襲いかかる。人間は為すすべがない。脆弱な姿をさらしだすしかない。
 人間が自然災害と立ち向かったとき、いかに弱いものか。そのなかで、人間は何を考え、どんな行動をするか、それらが作品化されていた。

 人間は自然災害を制御、防御、コントロールできる。そう信じるのは人間の驕(おご)りだと、多くの文学者・作家たちは語っていた。
 予想も、予知もできない。人間の思慮を超えたりするものだ。
 

 災害を被った直後、人間は何を考え、どんな行動をとり、どんな希望へと結びつくのだろう。
 希望が得られない人は絶望になる。

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えっ、中国電力は原発事故と関係ないんじゃないの=広島・山口

 ミステリー小説「海は燃える」第8回目の入稿が終わった。4月第3週に、その写真撮りで、広島に出むいた。と同時に、幕末芸州藩の歴史研究をしている(近い将来・書籍にしたい)ので、幕長戦争との絡みで山口県にも足を伸ばした。
例年ならば、春とともに各地で、中高年層を中心とした旅行客を見かける。だが、どの連絡船も、列車もガラガラだった。広島市内でも、観光客は殆ど見かけなかった。宮島口で降りる乗客も皆無に近い。宿泊したホテルも閑散としていた。

 洞窟写真が欲しいので、新山口駅前から秋吉洞行のバスに乗った。外国人(男子大学生らしい)が1人だった。強い雨が降っているせいかな。その程度に受け止めていた。考えてみると、関西、関東、全国の遠隔地からの旅行者は、雨だからといって鍾乳洞見学をやめることもないだろう。まして、洞内に入れば濡れないのだから、と思い直した。

 
 
 鍾乳洞の巨大さを写真で表示するには、対比として人間の姿が欲しい。先刻の外国人はさっさと先を行ってしまったので、対象の人物がいない。

 それでも、マイカーでやって来たのか、約1000メートルの観光ルートで、数人は見かけた。撮影のタイミングと合ってくれなかった。
 黄金柱の鍾乳岩の観光写真屋は機材を置いたままで、カメラマンはいなかった。商売にはならないのだろう。

 洞窟の出口からバス停まで、軒を並べる土産物屋はどこも無人かと思うほど、店員の姿を見かけない。割りに大きな店の、うす暗い人気のない店内をのぞいていると、女将さんが奥から出てきた。
「お客さんも来ないし、節電しているんですよ」
 と天井を指す。
「えっ、山口県も原発事故と関係あるんですか。中国電力は大震災の影響などなかったのでしょう?」
「東北や関東の人たちがみんな節電しているのに、こっちの人間が煌々(こうこう)と電気は使えないでしょ」
「そういうものですかね」
「苦しみは分かち合わない、と。おなじ日本人ですからね。観光客が来ないのは痛手だけど、津波で家を流された人たちを思えば、家があるだけ贅沢よね」
 と真顔で話す。
  観光客がやってこない。当然のことのように受け止めていた。

 彼女は過去に2度、洞窟の地下水が豪雨で流れ出し、床下浸水を経験したという。それだけでも怖かった。映像でみた、大地震の津波は途轍もなく恐怖に思えたと語る。

 3月11日のあと、節電で、中国地方のJR列車すらも間引いていたような口ぶりだった。(確認はとっていない)。

「こっちにも電池がないし、タバコもないし、いろいろ影響はあるんですよ」
 と教えてくれた。
 ガス台などは「着火マン」でつけられるけれど、風呂釜用などは乾電池がないから、風呂が沸かせられない。数日間はもらい風呂していたという。

 日本人の殆どが地域を問わず、被災地の人たち痛みを分かち合う。と同時に、浮かれた気持になれないので、自然発生的に「自粛」という言葉が全国に広がった。それは従来とは違って、行政指導型ではない。

「自粛」は経済に悪い影響を与える。今年の流行語になるのではないか。そう思う一方で、日本人はやはり単一民族だな、としみじみ思わせられた。

 日本は戦後復興から高度成長期へと、つよい経済指向で突っ走ってきた。他方で、日本の文化を犠牲にし、伝統の良さを見失ってきた。すべてが経済優先だった。

 経済面で「自粛」が悪影響だと叫ぶだけでなく、ここは一度しっかり立ち止まってみる。日本人は復興・復旧の底力をもっている。あわてることもなかろう。
「日本人とは何か」
 日本人の精神文化をじっくり考える、半世紀に一度の機会ではないか、と旅先で思い直した。

写真で観る・聴く、「のこぎり音楽」=東京・西新井文化ホール

 第7回のこぎり音楽・チャリティーコンサートが、2011年4月9日に、東京・足立区のギャラクシティ西新井文化ホールで開催されました。
 演奏者は、世界最大・のこぎりで演奏する、のこぎりキング下田さんです。


スペッシャルゲストは「楠堂浩己とFinest Jazz Men」です。


会場の聴衆も、童謡などを歌っています。

アナウンサー・堀江慶子さんが、歌うお年寄りに、明るくインタビュー


チェンバーは重量感のある楽器です。舞台で振り回しながらの演奏は迫力満点です。

 
 

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逃亡しない日本人たち

 世界を見渡しても、自然災害に縁のない国が多い。それらの人々には、この大災害がどのように映っているのだろうか。東日本大震災のあと、私は「外電」の報道に興味を持っている。

 地震発生時の、激震でゆれる建物と逃げ惑う人たちがTVに映し出される。約30分後の津波が、船舶や家屋を次々に飲み込み、黒い舌のような大波で逃げ惑う人々に襲いかかる。さらには、福島の原子力発電所が水蒸気爆発を起こす。農産物や生乳から自然界にない放射線物質が検出されている。

 まさにトリプルの大被害である。これは有史以来の世界最大の自然災害だといえる。

 東北や関東の被災地の人たちは、「生きていただけでありがたい」といい、救助、救援の人たちに「ありがとう」「お手数をかけます」という言葉を向けている。ヒステリックに泣き喚く光景などない。
 外電はそれらを日本独特の秩序と精神だと伝えている。

 日本在住の外国人たちは、放射線の被曝を怖れ、国外へとぞくぞく退去している。各国のメディアは、それら引き揚げ状況を報道している。それが外電で、日本に伝わってくる。

 一昨日、上海出身の唐湘己さんから、母親からの伝言として、「東京は危ないから、上海に来なさいよ」と連絡があった。生命を案じてくれる厚意に対して、謝意を言いながらも、私は心の中で、「日本人は災害から逃げない」と一蹴していた。

「仮に大量に放射線を被爆しても、3年や5年くらいで、すぐ死ぬわけじゃないし」という気持もあった。

 私は広島出身で、原爆小説を書いたことがある。多少だけれども、核物質、核反応、放射線被爆の被害の知識がある。
 広島・長崎の被災者は、核爆発でどれだけの放射線を浴びたことか。残留濃度の高い放射線の街で、広島県民は死と隣りあわせで道路を整備し、近代的な街を作ってきた。
 原爆投下の8/6以降に広島に入り、復興に尽した。それらの人たちも白血病で死んでいった.その数はとてつもなく膨大である。

 それらの状況と今回と比較して考えている。

 福島原発では原子炉が自動停止しており、核分裂もゼロ。わずかな放射線被爆の可能性(マイクロ・シーベルト単位で)、国内外のメディアがあれこれ騒いでいる、それが滑稽に思えたりする。広島・長崎の高濃度の被ばく線量と比較して、論じれば、わかりやすいのに、と思ってしまう。

 日本人は逃げない、被災地の復興に挑む、その精神ルーツを考えてみた。

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海外報道は間違っている、日本人に礼節などない

 東日本大震災で、日本はあまりにも悲惨な状況下におかれている。海外の報道は被災地の日本人を絶賛している。「混乱や暴動や略奪はない」、「怒鳴り合いや喧嘩もない」、「日本の冷静さに世界が感心」、「日本人には秩序と礼節がある。それを見習おう」という趣旨が多い。

 世界は日本に対して同情一色である。貧しい国、たとえば内戦状態のアフガンからも、「日本から見れば、たいしたお金ではないだろうが」といって、この災害に対して義援金を送ってくれる。

 東北の被災した現地では、救助、救援、ボランティアの人たちが不眠不休で、被災者の救出や生命を守るために活躍している。福島の原発事故では、東電の作業員や支援部隊の人たちが、放射能による後遺症を覚悟で、「自分がやらなければ、日本人が大変になる」という武士道に似た精神で、生命をかけて原子炉に立ち向かっている。

 世界が認めるように、被災地の人たちは連帯感で助け合って頑張っている。それは日本人としても誇りに思うし、賞賛に値する。


 ところが多くの日本人はどうだろうか。首都圏の大手スーパーでは、開店前から消費者が行列を作り、開店と同時に、食品や生活用品を必要以上に買い込む。トイレットペーパーなどは大勢が群がり、わず1時間で売り切れてしまう。まさに、「自分の家庭さえよければ、被災者など関係ない」という身勝手な行動だ。

「なぜ、こんなことをするのか」
 オイルショック時から何度も見せられてきた光景だ。うんざりさせられる。2週間か、3週間ほど待てば、トイレットペーパーは市場に出回り、やがては過剰在庫から、商品はだぶつく。スーパーは値下げ競争になっていく。それがわかっているはずなのに。

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