A010-ジャーナリスト

希望・中学生のカキ養殖体験・収穫(上)=陸前高田市

 2011年3月11日には東日本大震災が発生し、陸前高田市は16mの大津波に襲われた。

 それから約2年経った、真冬の2月22日、午前9時過ぎに、同市内の中学校が3校合同で、カキ漁船に乗り沖合に出た。

「世界でも、中学校専用のカキ養殖イカダを持っているのは、ここだけですよ」と関係者は語る。

 中学生のカキ養殖体験学習は12年間続いている。

 1年生は春の種付け、2年生は夏のおんとう駆除、3年生になると、冬場の収穫である。だから、今回は3年生だった。

 3・11の大津波では、中学校専用のカキイカダは流出し、学生たちが体育の授業を使って作った、新しいイカダである。

 この地方はイカダに杉丸太を使う。(気仙沼~広島などは孟宗竹である)

 三陸地方のカキは生育・収穫するには2年間を要する。震災後初めての収穫である。


 中学生たちがホイストを使って、ワイヤーをつり上げる。

 2年前の震災の年に、カキの稚貝がイカダにつるされていた。彼らが中学に入学した年である。それがいま3年生となり、生育したカキとして収穫する瞬間である。

 イカダから収穫されたカキが、漁船の甲板へと移されていく。中学生たちは真剣そのものである。

 すぐに手を出せる生徒と、やや後ろ寄りで見つめている生徒と、それぞれ個性というか、差があるものだ。
 
 

 収穫されたカキは、予想以上に良質で大きい。

 津波の後、広田湾の湾内にイカダがゼロになった。震災後に、学校関係者や漁師たちが、「まず中学生のイカダを作ろう」と立ち上がったのだ。

「生徒に希望を」という合言葉で、カキ養殖イカダがいち早くに完成し、広田湾の海に浮かんだ。

 カキにとって競合する相手はほとんどなく、たっぷり栄養が取れたのだ。


 カキは次々に海中から吊仕上げられてくる。その数の多さに、驚かされる。

「売るほどあるな。生半可な真似事の体験学習とは違うな」

 そんな感慨を覚えながら、見入っていた。

 収穫は喜びである。「陸に上がったら、バーベキューだって。楽しみだな」と微笑む。



 さあ、イカダから岸に向かうぞ。

 この漁船は、米崎漁港で、大津波で無傷で陸に打ち上げられていた。(2艘のみだった)

 いまは10軒のカキ業者が共同で使っている。


 一本のカキロープには10個のカキが吊り下がる。それぞれ生徒たちの名前タグがつけられているから、持ち主はわかる。

 


 波しぶきが飛び散る。

「落ちるなよ。海に落ちたら、死ぬぞ」と漁師はつど注意を与えていた。

 海に落ちると、頭は波間で、漁船の甲板から見えないのだという。

「ライフジャケットは何のためにある? 死んでも遺体を見つけやすくするためだ」

 なるほどと思った。

 収穫籠が陸上に揚げられていく。

 漁船が怖くて乗れない生徒も多かった。それも当然だ。あれだけの大津波が襲来した海だから。

 でも、全員のタグがついているから、食する楽しみは同じ。これから加工処理場へと運ばれていく。

                                   【つづく】

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