ジャーナリスト

【歴史エッセイ】 いまの世は末期ではない。ただ、德川時代の後期と重ねあわせる、と

 歴史はくり返す。

 いまはまさに分断社会である。新型コロナウイルスの急激な2波の拡大による自粛派がいる。かたや、経済政策から総予算1.7兆円の「Go To Travel」のキャンペーンの推進派がいる。

 新型コロナウイルスが、ペリー提督の黒船に例えると、どうなるのか。薩長史観=黒船から「幕末」ならば、コロナから「令和の末期」になってしまう。
 それは正しい表現ではない。
 いま国民にとって解決が見えない状況である。「今後の日本はどうあるべきか」と真っ二つに分断しているのだ。
 見えないものは不安であり、恐怖である。それぞれが意見と主張をもつ。ときには政権変動までともなってくる。
 

 歴史は用語でごまかされやすい。

           *
 
 わたしは、いま幕末と明治初期を一つ小説で執筆している。じつに難しい。なぜなのか、と疑問がわたしにつきまとう。そうか、「幕末」、「明治維新」という用語が「薩長史観」で、後から創られたもの、だから、わたしたちは思い違いをしているのだ、とわかった。

 德川政権の後期は『分断の社会」だと気づいた。

 ペリー提督の来航から、老中首座の阿部正弘が、開国・通商に舵(かじ)を切った。德川御三家の水戸藩の斉昭が、従来どおりの鎖国・攘夷(じょうい)を主張した。この対立が政権の崩壊までつづいたのだ。

 武士階級のみならず、農民も、町人も、黒船来航のあと、「わが国はどうあるべきか」と真剣に考えていた。まさに通商か、鎖国維持か、と意見が分断した社会だった。西欧列強への不安と危機が先行し、どっちが正しいか、誰もがわからなかったのだ。

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 現在、新型コロナウイルス禍で、日本人が「コロナ来航」の解決を模索(もさく)している。明日の生活と社会の変革を考えている。だれもが迷っている。意見がちがう。
 一人一律10万円、(親子3人だと30万円)。これはだれがいつ払うのか。これすら解決がついていない。
 私たちの子どもの世代が補うのか、孫の世代か。まさか、コロナ危機が先行した「食い逃げ」ではあるまいな。
 そんな考えならば、後世から現政権は罵声(ばせい)を浴びせられてしまう。

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 薩長史観だと、「安政の大獄」の下で、井伊大老がひとり悪者にされている。だが、かれ自身を克明に調べていくと、日本の取るべき道はなにか、と井伊直弼(いい なおすけ)は真剣に考えていた一人だった。


 
 13歳で紀州藩主の徳川慶福(よしとみ・のち家茂将軍)は、知的で性格も良好だ。のちの和宮との夫婦関係も素晴らしいものがある。一橋慶喜には決して劣らない。
 その人間味から、井伊大老が14代将軍に推したのもよく解る。

 攘夷派大名たちが、安政の5か国通商条約の抗議で、無断で江戸城に登城してきた。尊王攘夷派からみれば、日本の将来を考える、命を賭(と)した行為だったのだろう。

 これは武家諸法度からすれば、幕府への反逆行為であり、重罪だった。大老職の立場としては当然の処罰である。

「戊午の密勅」(うごのみっちょく)は、孝明天皇が水戸藩に勅書(ちょうしょ・勅諚)を直接下賜(げちょく)した事件である。
 仕掛け人ともいわれる西郷隆盛、公卿、尊攘派浪士たちは、日本を良くしたいとねがう「幕府改革」の手段だった。
 しかし、これは天皇家と将軍家との秩序を乱す、幕府への反逆行為である。これを認めれば、政権が危なくなる。井伊大老は徹底した取り締まりで秩序回復をめざした。

 攘夷派たちは罪のない無辜(むこ)の外国人を殺す。殺された側の本国の家族は、どれだけ涙しただろう。のちに初代内閣総理大臣になった伊藤博文も、暗殺者のひとりだった。
 幕府はそうした過激攘夷派を弾圧する。まさに、血なまぐさい『分断の社会』だった。

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 ペリー提督の黒船来航(1853年)以降から15年間は、日本人のすべてが「清国のように植民地になるな」という共通認識で一致している。だから、西洋の要望にそって仲よくする通商派と、西洋列強は怖いから日本に入れるなと攘夷派が叫ぶ。

 津々浦々の民までも、政治への関心度は、わが国の有史以来の最高だったかもしれない。
 当時は大政奉還(1867年)まで、倒幕など、だれも考えていなかった。ひたすら「植民地にならないために」と開国か、攘夷か、という方向の違いによる、分断社会であった。

           *    

 大政奉還のあとに戊辰戦争が起きた。ほぼ同時代に、アメリカにおいても南北戦争が勃発(ぼっぱつ)し、戦死者はなんと62万人である。(米国の太平洋戦争の死者は約29万人)。
 当時の日米はほぼ同じ人口で、日本の方がやや多い。

 日本の戊辰戦争は、大名は1人も殺されていない。鳥羽伏見の戦いの死者は、双方併せても390人である。戊辰戦争すべての戦いを合計すると、8420人だった。

 日米の戦死者のちがいは、日本が「倒幕」という勝ち負けの戦いではなかったからだ。「統一国家」に従わないものだけを討つ。その姿勢に、だれもが逸(そ)れていない。
 だから、会津が白旗を上げて落城すると、西軍(官軍)はその場でさっさと解散し、みな自藩に引き揚げていったのだ。
 それは薩摩も、長州も、土佐も例外ではなかった。

 かれらの戦争目的は、「分断社会」から、「御一新」という統一国家づくりだった。決して維新(内部改革)の発想ではない。

 つまり、殺戮(さつりく)で血をながす分断はもう止めよう。日本は一つになろうよ。というものだった。箱館戦争が終結したあと、榎本武揚など、だれひとり死罪が出なかった。
「德川の有能な人材は、将来の日本のために必要だ」
 薩摩藩の黒田清隆がそう主張し、押し通したものだ。

 みんなが日本の将来を考えていたのだ。

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 わたしたちの日本史の教科書は、官製『維新史』(昭和14年に発刊)がベースになっている。その時代は日中戦争のさなかで、軍人政治家が国会を牛耳(ぎゅうじ)り、薩長史観がピークのときである。
 今日となっては『維新史』を鵜呑(うの)みにはで きない。勝ち負け。その勝敗の視点だから、德川政権が倒れることが前提とした「幕末」となる。
 実際は、当時はだれも幕府が倒れると思っていない。德川後期は、方向性と意見の相違による「分断社会」だった。そう教えるべきだろう。

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 新型コロナウイルス禍から、日本のみならず、世界各国のいずこも、いまは「分断社会」である。意見が異なる。

 中東のイスラエルが、新型コロナウイルスの第2波に見舞われている。第1波はうまく乗り切った優等国だった。
 しかし、経済再開に踏み切るのが早すぎたことから、ふたたび感染者の急増を招いた。 
 7月中旬から、プラカードを掲げたデモ隊が、首相公邸まえで抗議の声をあげている。イスラエル各地で、首相辞任を求めている。
 首相の支持基盤である右派や宗教勢力からの参加者もみられ、不満の広がりは深刻だ。

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 日本人は薩長史観=「幕末」の発想で、ものごとを勝ち負けの発想でみてしまう。

 本来は、首相が逃げ隠れせず、日々に国民のまえに立ち、コロナ過の分断した意見相違の溝を埋める努力をするべきである。
 それが政治であり、民の安堵につながってくる。

「政府は消極的なもので、法律が個々の人々を幸せにする、というものではない。国家がつくった制度は必ずしも、人々を救ってくれない」
 民がそれを知ったときには、政権の瓦解(がかい)がはじまる。

 260年間も盤石(ばんじゃく)だった徳川政権が、あっという間に、倒れる。それは歴史が教えるところだ。
 開国主義をつらぬく德川政権だったが、慶喜が唐突に逃げて攘夷にうごいた。それが結果として命取りになった。

 国家は国民によって成り立っている。国民一人ひとりの資質を合算したものだ。政権トップがその場のご都合主義や利己心で、方針をごまかす。すると、民のこころが離れて一気に瓦解する。

 德川後期の歴史から、それが学べる。

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 鳥羽伏見の戦いで、1万5000人もいた旧幕府軍だが、死者280人(大半が新撰組)でも、徳川慶喜が大坂からこつ然と消えたがゆえに、一気に崩れ落ちた。

 将軍(首相)が国民のまえから消えたまま、老中(大臣)に任せ切っていると、民の信用欠落となり、巨大な数で成り立つ政権でも、支柱を失い、一気に崩れはじめるかもしれない。

  
 海外において、アメリカの現職大統領すら日々、民の前に現れる。熱弁をふるう。ただ、徳川慶喜公のような、(選挙を意識した)ご都合主義、利己主義の動きに感じてならないけれど。
   

 このさき世界中で、コロナ過の失策で、政権がどのていど消えていくのか、いまはそれすら見通せない。
   

    写真引用 = ウィキペディア(Wikipedia) 

【歴史から学べ】  広島の県議、市議、市長が毒されたのはなぜなのか。(下)

「長崎には歌が、数多くある」、しかしながら、「広島には歌がない」。それはなぜでしょうか。私は講演会で、参加者に聞いてみる。
 長崎には、「長崎の鐘」、「長崎はきょうも雨だった」「長崎の女」「長崎エレジー」「長崎の蝶々さん」「長崎から船に乗って」と曲が次々出てきます。
「広島まではなぜ、歌がないと思いますか」
 唐突に、カープの歌がある、と一人が叫んだので、会場は爆笑でした。 

           *

 広島と長崎は米軍の原爆投下で焦土になった。しかし、歴史は戦争で失われていない。

 人物の好き嫌いは別にして、龍馬のいた亀山社中、グラバー邸、オランダ坂、幕府の長崎奉行所、長崎製鉄所、長崎海軍伝習所跡、唐寺など多々ある。
 由緒ある歴史の場所は、情緒や情感が満ちている。もう一度訪ねたいと思う。歌も生まれる。長崎の方は歴史を大切にしている。

 広島の歴史は戦国時代の毛利元就のみで、昭和20年の原爆投下でまでの歴史を消している。教えない。だから、歴史が伝わらない。
「歴史のないところには、情感豊かな音楽が生まれない」
 長崎観光はリピートがある。
 広島原爆ドームは近距離から見たら、もう2度は訪ねてこない。

 広島原爆による焦土は、約5~10キロていどの範囲内だ。それ以外は焼けてない。しかし、歴史学者たちは「原爆で広島の歴史の史料・資料が焼失した」というイメージに洗脳されている。だから、江戸、明治、大正などの歴史発掘は無関心である。

私は書斎の窓から、妻が咲かせたうす紫色に咲いたアガパンサスを見ながら、夏の気配をつよく感じている。と同時に、「8月6日の原爆投下」の日が近づいてくるな、と思う。
 わたしは、ふしぎに昭和天皇を思いだす。
 小学生のころの私は、同級生と通学路で、「ピカドン」の怖さを折々に語ったものだ。

 腕と肩に白いケロイドの原爆症をもった教師が「きょうも、平和教育だ」と言い、手作りの紙芝居を見せられた。大嫌いな授業だった。夜は恐怖で厠にいけず、がまんしても、布団に漏らしてしまう。

 大崎上島は離島の小学校だから、広島大学(旧・高等師範)の若い独身教諭が赴任してくる。実体験だ。真っ赤な炎、ドロドロに焼け爛れた手、黒焦げの少年の死体など一枚ずつめくりながら、戦慄と恐怖の場を語る。
 子ども心に、こんな戦争をした大人が悪い、昭和天皇も悪い、と思想に関係なく素朴に思っていた。
 
            *

 広島・長崎の原爆投下を指図したのは、米軍の空軍参謀総長のカーチス・ルメイである。

 戦後、昭和39(1964)年、ルメイに「勲一等旭日大綬章」が授与された。大学生の私は、さすがに耳を疑った。
 提案者は源田実(広島県出身)だと、当時いわれていた。決裁した首相は佐藤栄作である。ところが、昭和天皇は、「原爆投下責任者のカーチス・ルメイに、皇居で私の手から渡したくない」と拒否された。
 授与式は入間基地になった。

 天皇は戦争に心を痛めていたと報道で聴いていたが、本当なんだ、と私ははじめて認識を新たにした。

           *
   
 現代、こんな重大な事実すら広島人は話題にも、問題にもしていない。
 昭和天皇にすら反対された叙勲だった。広島人も、叙勲に反対と行動を起こしつづけるべきだが、なにが不都合なのか、叙勲から目を逸らし、被ばく=平和と声高に叫んでいる。これでは疑似平和だと思う。


 いま世界中で黒人問題から、歴史的な人物の銅像が次つぎに倒されている。それは歴史を正しく認識し、シンボルを否定しなければ、人種問題の新しい未来が築けないからだ。

 カーチス・ルメイに勲一等旭日大綬章を与えたのが、佐藤栄作元首相だ。現在の自民党総裁はその末裔だ。
 自民党本部から河井代議士の夫妻に、選挙資金1億5000万円が次ぎこまれた。報道によれば、広島県議、市議、一部市長らの選挙活動費につかわれたという。その数は90余人だという。

「悪質な体質を断ち切る。それには勇気が必要だ」

 心から広島が原爆=平和を叫ぶならば、カーチス・ルメイの家族から、勲一等旭日大綬章の返還運動は起こすべきだ。
「まずはルメイの勲一等旭日大綬章授与は誤りだと、県議会、国会で返還決議を採るべきである」

 自民党党首=首相である。敵にするかもしれない。しかし、亡き昭和天皇の意志でもある。歴史を正す勇気が必要だ。なぜ、国会決議か。

 そのためにも、もう一度、ここで明治時代に起きた20余年間の血と汗の「自由民権運動」を学んでもらいたい。
           *

 庶民は、封建制の徳川幕府が倒れたあと、新しい時代がくると期待した。しかし、農民・町人は、政治は武士階級が行うものだと信じて疑わなかった。かたや、福沢諭吉、中村正直などが西洋の民主主義を翻訳し、日本に紹介した。(~明治10年・啓蒙時代)

 
 西洋では、貴族でなく、平民が政治をおこなっている。
 ならば、日本人の平民も選挙で選ばれて『国会』で国政に関与したい、と考えはじめた。没落士族と組み合わさり、全国各地で「国会開設」運動がはじまる。


 明治10年には西南戦争で西郷隆盛が破れた。翌11年には大久保利通が暗殺される。ここから薩摩政治家のトーンが落ちる。長州閥政治家の独壇場になってくる。

 長州閥政治家と民衆の戦い。この構図が自由民権運動である。

 政府はきびしい弾圧をおこなう。福島事件、高田事件、群馬事件、加波山事件、秩父事件、飯田事件、名古屋事件、静岡事件と、民はテロや蜂起で対抗する。

「板垣死すとも自由は死せず」
 このことばは自由民権運動の象徴である。大隈重信とともに日本最初の政党内閣を組織した。ついに、明治23年「国会」開設が勝ち取れたのだ。

 民間人は選挙で代議士になれる。その所属する『衆議院』が予算の権限をもつ。日本国憲法の条文に、それが明記された。
 これは画期的なものだった。政府は衆議院の予算承認を得ないと、国家の収入(税金)を使えないのだ。
 世界でも、政府の独走を縛る理想的な「国会」システムだと言われた。

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 その後、日清・日露戦争~大平洋戦争まで、民衆がつくった『国会』の機能は、軍人政治家部に弱められてしまった。
 しかし、国会には予算で軍事費を押える機能はまだ残っていた。
 東条英機は、衆議院の議員らが反東条が占めて、軍事予算が通らないといい辞職している。

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 あの昭和20年での東条英機内閣の当時すら、市民を代表する『国会』という機能が、東条英機を辞任に追い込んだのだ。
「日本の国会は、戦争でも死ななかった。日本人の財産だ」

 広島人よ、『国会』の議員は金で買うものではない。

【歴史から学べ】  広島の県議、市議、市長が毒されたのはなぜなのか。(中)

 6月はくちなしの甘い香りがただよう。政治の甘い香りはお金であろうか。政治とは庶民、民の豊かな生活と安全を与えるもの。
 しかし、政治家になれば、とかく民に奉仕を忘れて、甘い香りに群がるものだ。
 国政から町政まで、真面目な政治家もいる。
 それだけに、『政治家』と一括りにされると、不愉快だろう。それを承知のうえで、広島県の破廉恥(はれんち)な体質を糾弾せざるを得ない。同県人として、恥部の構図をさらけ出す。


 虚偽(きょぎ)の言い訳をした政治家は、おおむね虚偽を重ねるものである。広島の県議、市議、一部の市長は記者会見で、開き直って、「潔さ(いさぎよさ)」を演じている。

 安芸高田市の児玉浩市長(57)は、丸刈りで演出し、記者会見していた。河井代議士から60万円を受け取っていますと明かす。
「かっこつけるなよ」
 多くの日本の人は、不愉快におもったことだろう。

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 政治家は庶民の声を聞くのがしごとである。
 政治家の栄養分は歴史にある。『歴史の声を聞け』。どんな事象も掘り下げるほど、政治エキスがある。広島の多くのひとは、毛利元就の崇拝者だ。
「仲謀多くして勝つ。戦国時代の3悪(謀将・ぼうしょう)はだれでしょうか。見方によれば、諸説あるでしょう。安芸国の毛利元就(もとなり)、備前国の宇喜多 直家(うきた なおいえ)、美濃の斎藤道三です」
 わたしが広島の歴史勉強会、講演会で、そう語ると、不愉快な顔をされる。

           *

 安芸高田市には、毛利家の先祖伝来の郡山城(こおりやまじょう)がある。毛利家が江戸時代に「郡山をそっくり買い取った」経緯から、広島浅野家は「毛利家以外の立入禁止」として保護地にしてきた。
 現代も、たぶん毛利家の土地(大半が墓地)だろう。

 毛利家はかつて安芸吉田荘の国人領主だった。

 毛利元就は家督を継いだ時点では、小規模な安芸高田の国人領主に過ぎなかった。一代で、元就は山陽・山陰の10か国を領有する、巨大な大名の雄にまで成長させた。
 戦国時代に勢力争いの戦争に勝つだけでなく、これでもか、これでもか、と非現実的な策謀・策略をおこなってきた。
 政略結婚、毒殺、身内を裏切った殺戮なくして、元就が一代で総石高112万石はとうてい達成できないものだった。

「三つの矢がまとまれば折れない」
 広島人はその元就の故事を崇拝する。

 この故事は、同族の結束を強めるもの、同族会社は三代目で危ないように、3代目の 毛利輝元(てるもと)は安芸高田に生まれ、関ヶ原の戦いで西の総大将にもちあげられて、敗北した。
 德川家康から「毛利氏は改易し、領地は全て没収する」とした。石高がゼロとなった。(現代流にいえば、毛利家の倒産である)

 岩国の吉川 広家(きっかわ ひろいえ)が、110万石の毛利家が改易とは気の毒だと言い、「周防・長門2ヶ国は輝元に与えるように」と嘆願した。29万8千石で安堵されて、広島から萩に移封された。
 その吉川に対して、毛利家は冷たく、明治になるまで、大名として認めていない。冷徹な冷たい仕打ちである。

           * 

「広島人の多くは、あたまから毛利元就を広島の英雄だと信じ込んでいる。歴史上の正義・勝者だと見なしている」
 そこから学び取る政治哲学とはなにか。政治権力の座、英雄の賛美である。

 広島は核兵器反対・平和と叫びながら、その実、戦争史観で毛利元就を賛美する。自己矛盾の世界である。

政治は民のためにおこなうものである。私欲・私益のためではない

 明治時代からは長州閥を中心とした政治である。長州とは毛利そのものである。毛利元就からの歴史だといっても過言でない。

 発祥の地、安芸吉田市長の丸坊主の懺悔(ざんげ)は陳腐(ざんげ)で、あしたから『庶民にために政治に尽くします』というものではない。
 それは単に自己防衛の演出にすぎない。金で、選挙民のみならず、国民を裏切った悪質な人物である。毛利元就の大胆さよりも、金額が少ないと思っているかもしれない。
 
 長州閥の政治家が明治時代の初期から現代まで、政治におおきく関わってきている。それだけに、郡山城下の安芸高田市の市長は、なおさらきちんと襟(えり)を正すべきである。
 僧侶になって寺院で記者会見を演出した方が、まだ信ぴょう性があると思える。。

                      『つづく』

【歴史から学べ】  広島の県議、市議、市長が毒されたのはなぜなのか。(上)

 私が幕末歴史小説『二十歳の炎』(改題・広島藩の志士)を発刊した当初、同書の紹介で広島の、あるメディアの方を訪ねた。

「県会議員の半分は、江戸時代の広島藩主は毛利家だと思っているのですよ」
「えっ、ばかな。嘘でしょう。江戸時代の毛利家は長州(山口県)の藩主でしょう」
「冗談じゃなくて、本当です。広島のものは、毛利元就から原爆まで歴史の真空地帯です。ですから、県会議員すら、この歴史小説の江戸時代の背景はわからず、理解するのは難儀だと思いますよ。広島のだれもが、歴史に目が向いていないし、勉強していないからです」
「歴史音痴(おんち)のひとが、広島の議員をやっているのですか」
「そんなところです」
 ここ7、8年さかのぼった最大級のおどろきの一つだった。

 政治家の役目は、将来を見通し、方針・方策をつくりだすものである。
『人間は同じことをするもの』
 政治家は現在ある課題を、歴史上から類似的なものを探しだし、その歴史を訪ねて、叡智(えいち)をもらう。そして、政治の方策をねるものである。それでなければ、「ヤマ勘」や自身の経験優先、他の力で動いてしまう。あるいは無策に等しい。

 広島の議員は、歴史学なくして、政治の役目が果たせるのかな、と不可思議だった。

            *
    
 
 新型コロナ騒ぎ、梅雨空に咲くアジサイを見てうっとうしさを取り除いて、執筆している。時折り、広島県出身の私は、知人から電話をもらう。
 厄介な事件を起こしてくれたものだ。
 講師でカルチャーセンターに出むいても、河井克行代議士の現金配布の事件をどう思いますか、と質問される。

「お金をもらった地元政治家が8割、9割悪いと考えます。かれら広島の議員、あるいは市長は、『為政者になれば、身きれいにする』という自覚が欠如しているからです。悪いのは受け取った側です。
 
『私利私欲で、個人の利益を追える』と不純な動機が育つ土壌が広島にあるからです。
 なぜならば、国政とはなにか。県代表ではない。民政を国家レベルで、決めていく決議機関である。

 かれら広島議員は国会開設の歴史すら、学ぼうとしていない。 なぜ、明治23年に『国会』が開設されたのか。
 日本人の庶民が、薩長閥の政治に反旗をくつがえし、民権運動として20余年間の血と汗で開かれた。この歴史を知らないし、学ぼうとしていない。だから、こんな無様(ぶざま)なことをしでかすのです、とはっきり言いきってしまう。

 市議、県議に立候補する段階から、明治時代の『自由民権運動』くらいは勉強しておくべきです。学校で教わらず、教員がさらっと流したにしろ、とつけ加えている。

           *

 原爆の被ばく=平和と声高に叫んでいれば、広島県の県政・市政に金が入る体質がある。

 将来の広島はどうあるべきか、とどこまでも考えるならば、江戸・明治・大正という大変な革期から、英知を学びとろうとするはず。その体質が殆どない。
 それが今回の事件の本質的な発端でしょう。自民党の本部に、広島の体質が見透かされたのです。

           *
 
 自由民主党がなぜ1億5000万円を広島の立候補者につぎ込んだのか。自民党の党戦略家は、戦術的に、全国を見渡しして、もう1議席増やせて、2議席を取れる選挙区はどこか、と戦略を練る。
「金で最もうごく県は、広島だ」
 広島県の県議、市議、市長たちはお金で動く、と自民党の党本部から狙われたからですよ。

 少なくとも、河井代議士自身から「1億5000万円を支援してください」と党本部に申し出た金額とは思えません。押しつけられたのです。

 小説的にいえば、「人間は唐突に、おもわぬ大金が入れば、迷います。まさか1億5000万円を選挙資金に使わず、自分の懐に入れて邸宅をつくれば、とんでもない結果を招く」と考えるはずです。
 法務大臣ならば、検察庁が指揮下にある。悩まなければ、ウソになる。

 県会議員だった美顔の妻が立候補する。
 その人脈をたどり、この際はみずから『あなたと私の秘密です』と口止めを計りながら、広島県内でばら撒くしか道はないと、河井代議士は考えたのでしょう。
 
 悪事の怖さはマンネリで、倫理観を失わせていくことです。

 河井代議士の立場で、広島の県議、市議、市長に手渡しする。お金の入った封筒をポケットに押し込む。「そんなことしないでください」、「預かっておきますよ」と言いながらも、それを受け取ってくれる。

 双方が不法と知りながらも、一人、またひとりと金銭の受け渡しが行われると、悪の道には歯止めがかからず、巨きく積み重なっていく。
 ほとんどの犯罪の事例である。

 悪のるつぼに巻き込まれてしまう。
 
                 【続く】

初夏の青空をキャンパスに、ブルーインパルスが舞う、=東京・葛飾

 ここ2か月ほど自粛ばかりで、東京人は室内で、ひたすら天井を見ている。

 室外に出て空を見上げれば、そこにはかがやく青空があった。

 五月晴れは、とても心地よいものだ。

 

 浮雲が多少のアクセントをつけていた。これがまた絵になる。

 2020年5月29日、12時40分ころだった。
 
 航空自衛隊の ブルーインパルスが、新型コロナウイルス に対応する医療従事者たちに感謝を伝えるために編隊飛行をおこなった。

 

 
 何機いるのかな。6機が白い絵の具のように直線を描いていく。

 さらにもう一機が確認できた。全体をコントロールする指導機なのだろうか。



 かれらは東京スカイツリーの周りをはたして何回まわるのだろうか。

 

 編隊機の急上昇も素晴らしいものだが、直線でも美しさをかもしだす。

 

 葛飾区は「寅さん」、「立石飲み屋」、「下町の工場」というイメージだが、こんな公園もある。

 子どもらは、青空よりも、団らんを愉しんでいた。

 スマホで撮影するひと。少しでも高いところから撮影したいのは人情だろうか。

 編隊機の高度からみれば、2-3メートルはまったく変わらないと思うけれど。


 この空は羽田空港の航空路で、ふだんは離着陸の飛行機が次つぎに飛来してくるところだ。

  ブルーインパルス が東京上空に飛ぶとなると、この時間シャットアウトだろうか。

 少なくとも、前後の30分間は民間機の姿をみなかった。

「もう来ないのかな」

 しばらくは、そんな会話が流れていた。

 東京人は日々、引きこもり生活を余儀なくされている。それだけに青空と ブルーインパルスで、すかっとした余韻を持ちかえっただろう。

【歴史から学ぶ】 世界大恐慌よりもひどい。「医療崩壊」のあと「経済崩壊」がくるのか。

 国会で、安倍晋三首相が「1929年(昭和4年)以降の世界大恐慌と比べ、厳しい状況になっている」との見解を示した。日本では当時、昭和恐慌と世界恐慌が重なった惨事になったのだ。
 それをどう感じ取るべきか。



 いま、「医療崩壊」の瀬戸際にある。これをうまく乗り越えたとしても、首相の予見通り、貿易立国の日本に、「経済恐慌」や「経済崩壊」がくるかもしれない。

 東京都に絞ってみると、大企業の本社が多い。だから、都税はいま豊かだ。
 しかし、令和2年の各社の決算発表は、新型コロナの影響で、軒並み赤字である。決算書すらできていない会社もあった。

 企業は収益を出すのは人・金・物の組み合わせと努力とを要する。反面、赤字はちょっとした瞬間で膨大になり、企業の存続すらも危うくしてしまう。

                *

 1年後の令和3年の決算となると、どうなるのだろうか。経済活動の停滞・不調から、とてつもない未曽有の大赤字になる可能性もある。

 豊かな都政が突如として180度ひっくり返る。都財政は大赤字になる。

 都知事はいま「社会が混乱している」と、ホームステイを強調しているが、「経済恐慌による改革」まで視野に入っているのだろうか。うかうかすれば、巨大な赤字都政で、東京都の運営そのものが危うくなってくる。
 となると、都の職員(一般行政職)の1万8207人の給料は払えるのだろうか、という心配にも及ぶ。都税がなくなれば、半分、あるいは1/3の削減くらいの荒療治や覚悟が必要になるかもしれない。 とても削りにくい消防吏員・公営企業・行政委員会・学校教職員・警察官までをふくめると、都税で暮らす人は総計16万5千人をかかえている。
 

 それと同様に、23区も、区民税の大幅な減少がある。立派な区役所は外部に貸して、質素な小さな行政に転じる必要がある。

 ここまで書けば、「なあーに、V字型の景気回復があるさ」ということばが飛び出すだろう。

               *

 私たちは性格において、大ざつぱに二通りある。楽観主義者と悲観主義者である。

「なんとかなるさ」、成り行き任せ、「どうか、そうならないでほしい」と願う。こうした楽観主義はけっして悪いことではない。
 むしろ、悲観的に考えすぎると、経済(投資・消費)がかえって冷え込んで悪影響を及ぼしてしまう。

                * 

 しかし、行政担当者は逆である。危機管理とは最悪を考えることである。

 行政マンは「なんとかなるさ」では給料をもらう資格がない。常に最悪の場面まで想定したシュミレーション(simulation・模擬実験)をする。そのうえで、段階的な対策を練る。
 こうした状況下では、悲観主義者のほうが適性があっているといえる。


 災害は忘れたころにやってくる。2021年は「東京オリンピック」どころか、まさかと思うが、最悪は「関東大震災」という直下型の地震が来たらどうするべきか。

 これは不安を煽(あお)っているのではない。私たちの曾祖父のころ、いまから100年前に、それを経験しているのだ。
 この歴史から学ばなければならないのだ。

 第一次世界大戦のあと、わが国に「戦後恐慌」が起きた。そして、「スペインかぜ」が大流行した。(1918-1920)。まさに、現況とおなじようなウイルス禍である。
 このときは日本人が約40万人近く死んだ。

 その3年あと、大正12(1923年)年9月1日11時58分、関東大地震が発生したのだ。マグニチュード(M)は 7.9である。

 悪いことは重なるもので、当時の内閣総理大臣の加藤友三郎(広島出身)が、この大震災の8日前、8月24日に現職で急死していた。
 想像を絶する大惨事のなかで、首相が空席だったのだ。

                *

「歴史は進歩ばかりでない」。時間の流れの中で、そういう負の事実(遺産)もあったと踏まえていたほうがよい。

 新型コロナ・ウイルスの環境下で、東京に大地震が起きたらどうするか。神戸淡路大震災も、同様である。
 ただ、人間には経験という大切な財産がある。
 2011年3月11日に悲惨な東日本大震災が起きた。日本中にボランティア活動精神をうみだした。ボランティア文化ができたのだ。
 江戸時代に盛んだった「お互いさま」という「相互扶助の精神」の復活でもあった。

                 *

 私たちは、ウイルスと闘いながら、3.11から学んだボランティアを経験をどう織り交ぜていくか。IT通信も、一段と進歩している。
 日本を沈没せてはならない。関東大震災なみが来れば、大坂か、京都か、首都機能を即座に移す。どのように具体的にバックアップするか。
 被災者への支援・救援活動、安全維持の消防・警察活動なども多岐にわたるシミュレーショが、いざ本番には不可欠である。「備えあれば、憂いなし」という格言がたいせつである。
 
               *

 大正時代の関東大震災は、当然ながら、大不況に陥ってしまった。さらなる負の時代が連続する。
 大正時代が終わった翌年、昭和2年(1927年3月~)に、昭和金融恐慌が起きてしまったのだ。「銀行の取り付け騒ぎ」ということばで、庶民の間で広まった恐慌だ。銀行が次つぎに倒産してしまった。


 高橋是清(これきよ)大蔵大臣が、片面印刷の200円券を臨時増刷して現金の供給に手をつくした。

 これを解決したと思ったら、日本が運悪く金解禁を行った。日本の金貨が外国に流れてしまったのだ。そのデフレ不況が世界恐慌と重なってしまったのだ。もはや最悪である。
 「経済崩壊」がたちまち政治に影響を与えた。
(現・安倍晋三首相がいう「世界大恐慌」とは、この時点の実態を語っているのである)
 日本社会は倒産、犯罪、自殺、路上にはホームレスがあふれた。暗黒の時代へと加速していった。

 これが満州事変を誘発してしまう。       


【ここらは学校教育の場で、教師が最も教えにくいところで、大半がスルーしている。しかしながら、現代社会で身近に役立つ、重要な歴史の宝庫なのである。
 東京オリンピック2020でなく、その前後に直下型の巨大地震がきた。負の影響が全国に波及する、と考えれば、わかりやすい】

            * 
       
 安政2年の「江戸大震災」、昭和2年の「昭和金融恐慌」、令和2年の「新型コロナウイルス禍」という、『2年』のごろ合わせか、偶然か、惨事が奇妙に一致している。
 過去の歴史はふしぎに負の連鎖が続いている。

 為政者は大惨事の時に、手柄や業績や賞賛に値する名誉など考えない方が良い。歴史は知恵の無限の宝庫だ。目先だけでなく、巨視的な視点から学び取るとよい。
 大正・昭和の恐慌。その時代を生きた人々の生活まで近づけば、生きる英知が豊富にあるのだ。 

 パチンコ屋の営業に法的な処罰をするか否か。高所得者層のゴルフ練習場(打ちっぱなし)はずいぶん密集しているが、営業はできる。新書の本は売れるが、古本は売れない。ここには貧富の差、利用者の所得格差が不自然に生じているのだ。

            *
 
 水野忠邦(みずのただくに)は、禁止の元祖だ。天保の飢饉で、質素倹約の生活から奢侈(しゃし)禁止令を強く庶民に科した。それでも、歌舞伎、芝居小屋は数少なく開いていた。全面禁止ではなかった。

 現在は公営の屋外の運動施設などは全面禁止だが、そろそろ一部解禁にした方が良いのではないか。精神面の安全性からも。諸外国ではストレスから暴動も起きはじめている。

 児童公園にテープを張ったり、買い物は3日に一度、藤棚を伐ったり、あまり細かいこと「重箱の隅をつつくような」ことに干渉せず、大目に見るほうがよい(家康)。
 あなたがた政治家は規制、禁止づくりよりも、もっと別にやることがあるはずだ。


「世界恐慌より大きな危機がくるかもしれない」
 国家の首相が真剣に危惧しているのだ。東京都政(府県政)も、ここらを正面から検討した方が良い。

 いまや中小企業・中堅企業が従業員の支払いをどうするか、という問題に突き当たっている。収入のない人は、都民税(県民税)、区民税(市町村税)など払えないのだ。
 となると、地方自治体は行政の無駄を徹底して切り削いでいくことになる。さらには過酷だが、「公務員の首きり」というつらい選択に及びかねない。


 まさか「昭和恐慌」の先にあった、2.26事件のような、軍事クーデターは起きないと思うけれど。

 地方自治体の政治家、行政マンは今やるべき課題はなにか、と考えた方が良い。コロナ規制、規制の一辺倒にならずに。

             *
  
 経済は崩壊が始まると、とてつもなく加速度がついて落ちていく。犯罪、自殺、一家心中が社会の中核に座ってくる。飢え、貧困、食糧危機にまでなる。それが2.26事件、日中戦争へと拡大していった歴史的事実である。

 私たちは「暗黒の道」に入る前に早くに脱出しなければならない。悲惨な大正・昭和史からの教訓である。
 

【歴史に学ぶ】早大には医学部なし。慶応大医学部がコロナで衝撃の発表

 東京都内で3月初旬、院内感染が次つぎに起きはじめた。その初っ端に、慶応義塾大学病院(新宿区)が、医者とスタッフから新型コロナ・ウイルスの感染者が出たと発表した。

「えっ、最先端治療ができる慶応大学病院が、コロナの院内感染に?」
 東京都民はびっくりした。全国のひとも同様だったと思う。
 新型コロナは大学病院すら、襲うのか。東京は危ないのか。その認識を新たにした。同大病院は永寿総合病院(東京都内)から転院したコロナ患者を受け入れた。その患者から感染したらしい。

(4月21日において、同大病院は感染拡大を封じ込めている)。

                 *

 かたや、なぜ早稲田大学に医学部がないのか。慶応大も、早稲田大もあれば、補完できるのに、と思ってしまう。その理由は建学精神にある。

『われわれは福澤諭吉の精神にもとづき、患者さんに優しく、信頼され、先進的医療の開発、人間性と深い医療人の育成を実行してまいります。』
 そのモットーが慶応義塾大学病院に掲げられている。

 標語とはおおかた守られない、出来ない、だから、それを掲げることが多い。信号を守らないから、『赤信号で渡るな、命を落とす』と標語が生まれるように。


               *

 (2020年)4月23日の同大医学部は、
「院内感染を機に、複数の診療科で「COVID-19救命チーム」を結成しました。コロナ感染症に無関係な来院者67人にPCR検査を行ったところ、4人(5.97%)が陽性者だった」
 と公表した。

 慶大はとても勇気ある。まさに、福沢諭吉の建学精神が発揮されたのだと思えた。

            * 

  東京都の人口は、昨年(令和元)10月1日現在、推計1394万2,856人である。

 統計学の確率手法でいけば、約6%陽性ならば、東京都民83万6571人がコロナウイルス陽性である。咳、発熱、気怠さが出ていない無自覚のひとをふくめた数字である。

 同大学医学部は東京の信濃町だから、全国に換算するのは良くないだろう。

 いま、この場で全都民「3密」「外出自粛」の実行率が6割とすれば、東京都内で83万X4=約33万人の陽性者が街なかで行動していることになる。
 慶大は、医学的な根拠をもって、重大な警鐘を鳴らしたのだ。


 これまで日本政府は、韓国とか、欧米とかで導入する抗体キットによるコロナ検査(どの国でも数十万人)にたいして、やや懐疑的であった。腰を上げなかった。
 
 しかし、日本でも最高医学の「COVID-19救命チーム」となると、無視はできない。政府もいささか慌てたようだ。抗体キットを開発し、抗体検査で、全国の自治体別にコロナ感染の比率をだす、という。

 となると、なにかと「遅いな」と思う。でも、やってくれたほうがよい。どうせ、長期戦の戦いなのだから。

           *   

 幕末の福沢諭吉は「学問のすすめ」とか、勝海舟との軋轢(あつれき)とかが有名であるが、かれが医者だったとか、伝染病との関りとかは、あまり知られていない。


 福沢は大分・中州藩の下級藩士の出身である。

 大坂の緒方洪庵(おがたこうあん)塾で学ぶ。そこは全国から医者と蘭学をめざす者が、同塾に集まってきた。江戸の幕臣の「昌平黌(しょうへいこう)」と肩をなべるエリートたちの集まりだった。
 福沢は緒方洪庵塾の塾長(トップ)だった。

 中州藩の命令で、福沢は江戸に移る。築地鉄砲州で蘭学塾を開く。そのあと、咸臨丸(かんりんまる)で渡米し、勝海舟と仲が悪かった話しは有名だ。
 德川幕府の遣欧(けんおう)使節団の一員として、パリ、ロンドン、ベルリンなどに出向く。病院、福祉施設を積極的にみてまわった。


 戊辰戦争が勃発(ぼっぱつ)した慶応4(1868)年に、「慶応義塾」が建学された。初代塾長は広島藩領の奥深い(山県郡川小田村)農民出身で医者を目指す古川正雄(ふるかわ まさお)である。福沢は、上野で彰義隊が戦うさなかでも、慶応義塾で講義をしていたという。


 旧幕府軍が敗走した。古川塾長はいかなる考えだったのか、慶応義塾を投げだし、榎本武揚らとともに箱館戦争に行ってしまう。あげくの果てに、艦長となった古川は捕まって東京で入牢だった。
 福沢はなんども古川に差し入れに訪れた。
「それ見ろ。徳川はもう新政府にかなわない、勝負がついた、とワシがいうたのに、古川は塾長を投げだして参戦した。ざまあ、みろだ。解ったか」
 と言いつつも、家族の面倒をみていた。
 これが初代塾長の姿だった。

           *

 翌年の明治3年5月に、福沢諭吉は伝染病の発疹チフスに感染した。

 当時の日本の医者は、だれも治療法がわからない。福沢はとうとう十数日間にわたり、人事不省に陥るのだ。
「横浜に、アメリカ人の名医のヘボンがいる。そこにたのもう」
 と塾生が横浜にかけあった。
 (ヘボン式ローマ字で、日本人ならば、小学生からなじみがある。生麦(なまむぎ)事件で、薩摩藩士がイギリス人4人を死傷させた事件のとき、重体の2人に外科手術し、その命を取りとめた)
「わたしは脳外科医と眼科です。伝染病となると、感染医学に優れた医者がこの横浜にいます」
 と紹介されたのが、おなじアメリカ人医師のシモンズだった。


 シモンズはアメリカ人医師だが、ヨーロッパに渡り、ドイツ医学の感染病、予防医学などを学んでいた。依頼されたシモンズは、すぐさま意識のない福沢の病床に駆けつけた。そして、当時の最新医学の治療と、栄養を施し、治癒(ちゆ)させたのである。
 福沢の生と死とでは、明治時代の歴史が変わっていただろう、と思われる。

            *   

 九死に一生を得た福沢諭吉は、明治6(1873)年に、三田の山の上に、「慶応義塾医学所」を設立した。
 松山棟庵を校長とする医学所は、英米医学者を教授として招聘(しょうへい)し、7年間に約300人の医者を輩出した。このように、福沢諭吉が、感染病に対応できる医者の養成につくしたのである。

 現在の慶応義塾大学病院が、初期の新型コロナ院内感染の失策にもめげず、複数の診療科「COVID-19救命チーム」を起ち上げ、いまのわが国のウイルス対策に一石を投じた。というよりも、日本中に重要な警鐘を鳴らした。
 まさに、明治時代からの福沢精神が脈々と生きている、と思う。

           * 

 なぜ、早稲田大学に医学部がないのか。多くの人が疑問です。いろいろな説があるでしょう。「無いもの」に対しては、いかような解釈もできますから。

 大隈重信は第8代内閣総理大臣の経験者で、明治・大正における突出した著名な政治家です。当時の、中央集権制度の政治と経済(大蔵大臣も経験)をうごかした最大人物の1人です。
 
 だから、早稲田大学は「政経学部」が強いのかな。まわりの早大卒業生や在校生に聞いてみてください。
 

TV局は「三密」と「外出自粛」の目で、番組とCMを洗い直せよ=メディアだけ例外におけない

 法律に基づく緊急事態宣言が出されてから、もはや2週間が経過した。

 4月22日(水)、尾身茂さん(新型コロナウイルス対策・副座長)が、悲痛な顔で、
「コロナウイルスは厄介な敵です」
 と前置きしてから、
「爆発な感染すれば、取り返しがつかなくなります。人とひとの接触で感染します。10個のことを守ってください」
 と示していた。
 誠実そうな尾身さんの真剣な訴えには、こころを動かされる。この方は、日本国民を心から愛しているな、とつたわってくる。

           *

 同22日、神奈川県・湘南海岸には、若者がおおぜい押しかけ、サーフィンとか、砂浜でビーチバレーとかを愉しんでいる。さらに、半裸体で砂地によこたわり陽光で背中を焼いている。

 藤沢、鎌倉、逗子の国道・県道のながい車の渋滞、さらにはかれらの買物客でスーパーを混雑させている。
 コロナ感染の不安におびえる今、湘南鎌倉エリア、三浦半島の地元11市町の首長らが、「通行止め」、「海岸立入規制」をしてほしいと、連名で同県の黒岩祐治知事に提出した。

                 *  

 最近のテレビは定点観測で、渋谷交差点を映しだす。大阪、千葉、そのほかの道府県も最も繁華街の人出の減少を数字でしめす。

 若者らは渋谷にいけば、悪者扱いにされる、だから、湘南海岸にいく。そこには雄大な青い海原、白い砂地の海岸、太陽の光りがある。
 男女が初夏のスポーツを楽しむ。かれらにすれば、短い青春時代を愉しんでいるのだ。

 映像でみるからに、大波に乗るサーファーの満ちあふれたエネルギーからすれば、コロナ対策の外出自粛は、『防空壕(自宅)にこもり、敵のウイルスに備えよ』といわれた心境に近いのかも知れない。

 しかし、いまは緊急事態だ。仏大統領のいうように、ウイルスとの戦争なのだ。個人犠牲もやむを得ない事情なのだ。
 隣国は自由主義圏であるが、「個人情報よりも、社会の安全を優先した法律」を制定したうえで、スマホのナビの位置、クレジットカードの利用場所、車の移動などをふくめたトータルコントロールをしている。
 個人行動を徹底して追求している。まさに、戦時体制なみである。

 しかし、街への外出は自由だ。

 日本政府は個人情報保護で、強いしばりの規制を課(か)していない。つよい圧力でなく、お願いベースだ。それに応えて8割にとどかないが、国民の半数以上は、
「やれるところまで、やろう」とがんばっている。

         * 

 同22日夕方のテレビ・ニュースでは、湘南の市町長たちが県知事に「規制」を訴えている映像がながれた。
 ところが、1時間もせず、某局は『バス電車で乗り継ぐ鎌倉&湘南ぐるり』の娯楽旅番組をながしていた。
 ニュースでは湘南に来ないでほしい。旅番組では鎌倉にいこうよ。この矛盾はいったいなんだろうか。

 旅番組は前々から計画した番組で、運悪くタイミングが合ってしまったのかもしれない。

 鎌倉&湘南の寺院の境内には、五分咲きの桜が咲いていた。撮影はおおかた3月中旬だろう。放映まで、約一カ月間ほどある。

 この間に、7都府県に緊急事態宣言がでたと、テレビ局関係者は知っていたはずだ。さらに同宣言が全国にもおよんだ。その趣旨は8割、すくなくとも7割は「外出自粛」をもとめるものだ。
 各局はニュースでいっせいに報じた。ならば、旅番組は外出をあおり、時節がら良くないとわかるはずだ。そうしたチェック機能が働かない硬直した内部なのか。それとも、テレビ局はなにをながしても、報道の自由で許されると驕(おご)りがあるのか。

                *

 いずこの局とも、旅・観光めぐりとか、沿線歩きとか、町歩きとか、美味しさ巡りとか、と視聴者の外出を誘う番組がやたら多い。
 人間の行動は単純で、かつ衝動的な面もある。テレビに出れば、翌日にはにぎわう。旅番組をみて、ふいに明日、あさってにも出かけてみたくなる。こうした番組にケチをつけるわけではないが、「外出自粛」をもとめる国民のコンセンサスと逆行し、まったく相反している。

 編集総局長、番組製作者はこんな視聴者心理にも気づかないのだろうか。

           * 
 
 各局のCM(コマーシャル)すらも、国民が守ろうとする「三密」とは縁遠いし、ど外れした内容が氾濫(はんらん)している。
 一例を挙げれば、オフイス(事務所)に大勢の社員が机にむかっていて、そこに十数人の刑事に扮(ふ)した人物がドヤドヤと押し入ってくる。密集そのものだ。

 政府が企業にテレワークを呼びかけて、企業の出勤7割カットの協力をもとめているさなかである。これらコマーシャルはまったく逆行している。無神経にも、それを平然と、何度もなんどもくり返している。


 民間放送は世情と反しても、CM売上の維持する権利がある、と勘(かん)違いしているのではないだろうか。
 放送局の固定費が一定で、広告収入が減ならば、経営悪化をまねく。わかっている。コストダウンの経営努力をすればよい。世相と反しても、テレビCMは許されると思うならば、放送権の寡占化(かせんか)を利用した、傲慢(ごうまん)な態度になる。

 
 いまは町の飲食店、中小、中堅企業は売上が9割減、半減し、固定費に苦しむ世のなかだ。コンサートも中止、プロ野球も、大相撲も、みんな中止による収入源だ。ゼロ収入もある。これらと痛みを共有するべきだ。

 コマーシャル(商業)まで憲法で守られている「報道の自由」だとは思わないでほしい。単なるビジネスである。それ以上のものではない。

 TV局はここで、一度すべてのCMにフィルターをかけて洗い直してみるべきだ。不適切だとおもえば、スポンサーに「時節がら好ましくないので、さし替えてください」と要求するべきだ。
 断られると、局の収支に影響するだろう。そのあとは当然ながら、コストダウンの企業努力だ。ただ、下請け会社や制作会社など弱いものを泣かせば、かならずしっぺ返しがくる。ここらも、十二分に掌握(しょうあく)してとりかかるべきだ。

           * 
 
 2018年には、全世界の広告収入に占めるデジタル広告費(38.5%)が、テレビ広告費(35.4%)を超えた。
 これはなにを意味するか。
「新聞・テレビ離れ」。この一言に集約される。「奢(おご)れるもの久しからず」。時代の流れから、成熟期を越えて、衰退期に入ったのだ。

 理由はさまざまにある。それは自己解析してみればわかることだ。結果として、広告料金のダンピングによる、1時間番組に占める広告は、述べ本数の過剰で現われてきている。
 ひとつの番組が5~6分すれば、ふいに打ち切り6本も7本も広告の連続だ。それは「テレビ離れ」を象徴する現象だ。
 まさに、若者がテレビをみない悪循環に陥っている。

「東京のテレビ局が2、3局倒産しても、別に困らないよ」
 10-30代の世代層はそうした認識だ。
 
           * 

「法に守られた企業ほど弱体だ」。それは歴史が教えるところだ。
 かつて銀行法に守られていた大手銀行は倒産しない、国が守る、と半世紀以上にわたる神話だった。銀行に入行すれば、家族挙げて赤飯だ。

 ところが北拓、興銀、輸銀などが、合併という名のもとに、次つぎに消えていった。

 テレビ局は放送法に守られている。CMもその隠れ蓑(みの)にすれば、おおきなしっぺ返しをうけるだろう。
 法に守られることは、一面で政府に迎合させられる弱さでもある。

 第二次世界大戦のとき新聞社は、、「大本営」のいう通りに報じないと、洋紙(新聞紙ロール)の配給が満足にうけられなかった。軍人政治家に、迎合したために、戦意高揚に利用されてしまった歴史がある。

 報道が政治に利用されると、国民をミスリードする。危険な面があるのだ。
 
 コロナウイルス戦争のさなか、日本政府は他国に比べて法規制していない。
 5月6日で、この新型コロナウイルス問題が終焉(しゅうえん)しないかもしれない。その理由を考えるだろう。
 大型連休で、TV旅番組をみて、大勢が都道府県を超えて、海に、野山に、観光地に出かけていたならば、番組の野放しが問われる可能性がある。

 国から番組規制がかかれば、テレビ局にとっては本意ではなかろう。そんな危惧も視野に入れて、大型連休まえには、局内で自主チェックしてみる必要がある。
 NHK大河ドラマが予定変更してでも、多くの人から失望を生んでいない。ある意味で予定外には慣れてきたのだ。

 時節がら、予定していた番組とさし替えて、10年前、20年前の収録番組の再放送でも、視聴者からかえって面白がられるかもしれない。

『このたびはコロナ戦争は為政者の都合ではない。国民の命を守る戦いのためだ』
 ここらをしっかり押さえておかないと、大手マスメディアの論評どおりではない窮地に立つ局面もあり得る。

 2018年から、全世界はテレビ文化からデジタル文化に変わったのだ。市民ジャーナリズムによる批判、とりわけSNSは侮れない。

 
  写真の鎌倉海岸=2017年5月に撮影

【読者に訊く】 『医療崩壊』を止める、それは正しい。国民が望むコロナ検査のスピードを落としている

 読者の方からも、新型コロナウイルス禍について意見を聞いてみよう。

 このたびは、神奈川県厚木市にお住いの永井誠(78)さんです。金属関連商社の監査役です。外出自粛のいま、電話インタビューで、企業がわの視点も踏まえて語っていただきました。

 

ーーまずは、現在の新型コロナウイルス禍において、どのような意見、考え方をおもちですか。お聞かせください。


「政府が4月7日(火)に、『緊急事態宣言』を7都道府県に出されました。コロナ感染から1か月の大型連休明けに脱出するために、都府知事が外出自粛要請や施設の使用停止という措置を可能にしたものです。
 それから10日あと、今度は全国のすべて47都道府県に同様な宣言が出されました。
 これからしても、政府のやり方が遅い、スピード感がない、後手に回っている感じです。コロナの終息どころか、日々にウイルス感染者の数が拡大しています。

 大型連休が明けた5月6日から、どうなるのでしょうか。もし、緊急事態宣言が解除されたとしても、コロナ禍が完全な感染終息にはなっておらず、人々の気持ちが緩み、却って、そこからウイルスがまん延する恐れすらも感じます。


ーー他には、どんな意見をお持ちですか。

「医療崩壊を止める、という言葉は正しい。しかし、それがコロナ検査のスピード化にブレーキをかけています。国民のいのちのためには、大規模な検査が急務です。『病床の不足』が強調されるばかりに、国民の大多数が受けたいウイルス検査が、むしろ萎縮されています。

 ウイルスの抗体がない。治療薬がない。新薬ができても、私たちに廻ってくるには時間がかかりそうです。発展途上国にもウイルスがまん延していけば、来年の「東京オリンピック2020」の開催は難しいだろうな、と見ています。
 オリンピック選手は、世界中から参加することが前提ですからね。


ーーふだんコロナ対策で気を付けている点はなんですか?ーー

「三密を避けるためにも、夫婦ふたりで買い物に行かず、どちらか一人が車でスーパーに行くようにしています。店内の買物で、コロナに感染しないかという警戒心はあります。
 かたや、私はコロナ検査を受けていないし、もし潜伏感染者だったら、他人に染(うつ)す可能性がある、と透えない二重の不安があります」

  
ーー国や行政の対応のもどかしさ、どんな点ですかーー

「私は、緊急事態による「強い制限」があっても良いと思います。つまり、罰則付きの制限も必要です。
 従来の「お願い」「要望」の「自粛」スタイルだけでは、人と人の接触が8割減とか、7割減とか、という数字の達成はできないと思います」


ーー経営にたずさわる観点から、今後をどう見られていますかーー
 
「規模によって、どこまで持ちこたえられるか。町の飲み屋、レストラン、小規模の処が売上が9割減、5割減と言われていますが、いま現在、救済しなければ耐えられない状況にあります。
 中小企業、中堅企業は資本にとぼしいところが多いですから、このコロナ禍の期間が長引けば、順次、経営破たんしていきます。企業倒産が増えて、企業が消えていきます」 

ーー企業の監査役の立場から、もう少しお話し下さいーー

「先行きがまったく見えていません。それがどこまで及ぶか、現在は想像もできません。それが不安なのです。2008年のリーマン・ショックの時は、私たちは売上3割減でも、企業は持ち堪えました。
 
 企業には損益分岐点があります。これまで何度も景気・不景気の波がありました。それらはある程度は予測ができました。不況と回復を見越した資金繰りもつきます。しかし、今回はまったく予測がつきません。

 中堅企業、中小企業はコロナウイルス禍が長期化し、各企業は売上が5割を切れば、会社の資産力を問わず、存続は厳しいでしょう」と強調された。


ーー国や県に要望はありますかーー

「困難な時代ですから、国民のために動けるリーダーシップのとれる政治家がほしいです。国政、県政の政治家の決断力が重要です。
 選挙優先がちらつく政党政治です。「10万円の支給はわが党が要請したものだ」と言い、選挙目当ての善政を売りにしています。
 党利党略が目につきます。

 ~を予定しているとか、~を早め審議したいとか、~を行いたいとか、~即時対応したいとか。未だ実行をみないものばかりです。
 きょう現在の実行が欲しいです。党派を超えてスピード感のある政治をもとめます。


       ※ 永井誠さんは、のこぎりキング下田さんのご紹介です 

【歴史から学ぶ】わが国は新型コロナ禍で、社会システムは機能しているのか。天災か、人災か

 新型コロナウイルスが、日本国内の人々に恐怖を与えている。人類の歴史はこれまで病原菌・ウイルスとの戦いでもあった。
 動物から感染するウイルスの場合は、細菌よりも実態がつかみ難い。ウイルスの発祥もわかりにくい。ふつうに考えれば、疫病(えきびょう)は天災だともいえる。ただ、歴史をひも解けば、古今東西において、施政者の対応しだいでは、疫病がとてつもない被害を出してまう。

 新型コロナにたいする中国・韓国のアジア諸国の対応、さらに欧米の大統領や首脳たちの緊急対策は、民に目をむけた真摯(しんし)な態度で、スピード感に満ちあふれている。
 ぞれでも各国は、ロックダウンをもってしても、大規模な医療崩壊や、悲惨な感染者数と死傷者数で、なおも進行形している。世界的なパンデミックの終息はみえていない。

           *   

 わが国の場合は令和2年の年初から3月中旬まで、政治家の対応をみていると、頑張ってはいるが、ときには己の立場が優先で、真に民に目がむいているのか、と疑わしくなる面がある。
 
 横浜港に入港したダイヤモンド・プリンセス号の検疫(けんえき)が、毎日のごとく、メディアに報じられることで、国民は新型コロナウイルスにふかい関心をよせはじめた。
 大人だけでなく、幼少年、保育園児までも、「コロナ」ということばが飛びだしてくる。
 裏を返すと、とてつもない恐怖におびえる人々の一面を示すものだ。

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 4月15日に、北海道大学の西浦教授が「たいへん重大な局面に差しかかっている。いまの状況をつづけていると、重篤(じゅうとく)患者が85万人、半数に近い42万人が死んでしまう」と警告を鳴らした。

 西浦氏は「厚生労働省の新型コロナクラスター対策班」のメンバーの一人である。諸々の対応策を述べている。
 翌日には政府は公式見解ではないと反論した。

『いまのまま』ということばの裏には、政治家の現況の施策では、42万人の死者が出る可能性があるよ、という表現にも置き換えられる。そこの文脈が読み取れていない。遠回しな政府批判が解っていない。


 100年前の「スペインかぜ」における日本人の死者は、1波、2波を合わせると、感染者数は2,357万4194人、死者は38万5029人という正確な罹災者の数字が、内務省衛生局に残っている。
 当時の日本人の人口は、5,666万7328人である。
 西浦氏はこのデータを解析し、『いまのまま』で行けば、42万人の死者も予見できる、と展開されたのだろう。

 当時は、全国民にマスクをつけよ、と衛生局は大々的なキャンペーンをおこなっている。それは現政権と同じである。
 他には、抗体は発見されていない。新薬は米国のギリアド社で「レムデシビル」の治験がはじまったとか、富士フイルムが開発した「アビガン」(流通されていない)とかが、新型コロナの治療薬と期待されている、と報道がある。

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 新薬がすぐに使われる、そんな過剰期待は危険である。なぜか。「厚生省」は薬害裁判になんども懲(こ)りている。
 薬害裁判は、5年、10年も長期にわたる。「羹(あつもの)に懲(こ)りてナマスを吹く」(前の失敗に懲りて、必要以上の用心をする)。「御身大切」で、早々に新薬を認可する体質はないだろう。

 この先、新型コロナが爆発的な感染になっても、厚生省は一定の手続を踏まずして、ウイルス治療薬としてすぐ認可する体質などない。
 政治圧力があっても、応じないかもしれない。政治家はいつか変わる。それがこれまでの官僚の考え方だ。どうしても、過去からの官僚の体質から、そう見立ててしまう。


 とはいっても、官僚の正義感と勇気と、さらに国民的な危機管理をもって、新型コロナ対策の「社会システム」の一環として、正常な機能として働いてもらいたい。

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 危機と危険はちがう。「危機」とは、システムが正常に機能していないときに起きる被害である。
「危険」とは、当人がぼっとしているから、突然に、余地なく起きてしまう。
 つまり、「危機管理の重要性」を政治家も官僚も、十二分に持ってもらいたいのだ。
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 プリンセス号の船内の大感染から、国内にまん延したら危ないと、多くの日本人は頭脳のなかで、アラーム(警報)を鳴らした。これを放置すれば、民に危険が及ぶ。政治家も同様だっただろう。

 日本は「検疫(けんえき)システム」が満足に機能せず、かえって硬直化していた。スピード感が世界中において、最も見劣りがしている。これはだれの責任なのか。


 国民は自由に検査が受けられない。どのメディアでも、庶民の悲鳴を報じている。……熱が出る、咳が出る、身体が重くても、コロナの検査が受けられない。病院でも、自宅でようすを見てください、といわれる。
 これは社会システムの欠陥だ。

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 この社会システムの欠陥は、政治家の恣意的(しいてき)なもので、2つの要因からしても、人災の面がある。言い過ぎだろうか。


① 政府は武漢が首都封鎖になっても、令和2年の最大行事として、「4月に予定している中国の習近平・国家主席の国賓としての来日」を期待してきた。それに拘泥(こうでい)した。

 日本はつねに安全だと、メッセージを流しつづけてきたのだ。習近平氏の来日を諦(あきら)めたのが、ことし(2020年)3月5日だった。


② ただ、3月に入っても、なおも「東京オリンピック2020」7月開催への執念から、「日本は安全」「オリンピックは開催できます」と世界に発信してきた。

 それには日本人の感染者が、極々、少ないことが条件になる。

 厚生省(保健所)を窓口にして『外国渡航者」でなければ、検診できないシステム』をつくりあげた。海外渡航歴の有無がつよいフィルターになったのだ。


 当然ながら、検体数が少なければ、日本国民のコロナ感染者数が低く抑えられる。

 おおかた、WHO(世界保健機構)は苦情の一つも言いたかっただろう。しかし、出資金が大きい日本には内政干渉をしなかった。

 

  国民は自由に診療をうける権利がある。しかし、熱があっても、病院にいっても、救急車をよんでも、満足に検査をうけられない。
 これは社会のシステム障害である。

 伝染病は保健所(下級官吏)を通さねばならない。

 大学病院も個人病院の医師も、「保健所」というつよい検問が立ちはだかる。新薬の開発も厚生省の許可手順を踏まないと、使用は原則としてできない。

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 日本国内の医者や、看護師や、介護士たちにすら、発熱、咳、倦怠感が出ても、渡航歴がないために、厚生省の「帰国者・接触者相談センター』というシステムが厚い壁になっていた。
 このシステムの欠陥からコロナ検診が受けられない。
 
 新型コロナウイルスとは、人が移動すれば一緒に動いていく。感染は海外からだけでない。国内でもまん延する。自明の理だ。
 ウイルスは静かに深く全国に「院内感染」を広めた。

 そして、時間の経過とともに、4月中旬には「院内感染の爆発」という事態に陥った。東京都の大病院までも、とんでもない院内感染となって出てきたのだ。
 ウイルスが庶民よりも先に医者を害したのだ。


 なぜ、こんな欠陥システムを長々と運用したのか。
 行政マンが声高に欠陥を叫ぶ勇気がなかったのか。危機とは予見性である。それを口にするには勇気がいる。
 オリンピック開催を強調する政治家たちに、かれらが忖度(そんたく)したから他ならない。
 まさに政治家も、行政も体質が旧態依然としていた。
 
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 2020年3月24日。『安倍総理大臣がIOC=国際オリンピック委員会のバッハ会長と、東京オリンピック・パラリンピックの開催を1年程度延期し、遅くとも来年夏までに開催することで合意した』と報じられた。

 この日は、東京都のコロナ感染者数は17人である。1か月もたたずして、4月17日には200人を越えた。小池都知事(67歳)がおどろいた顔をしていた。オリンピックにこだわったから、コロナウイルスの潜伏患者を日本中に野放しにさせてしまった。
 これまで口では「国民の命」を語りながら、自分の面子(メンツ)やトップという立場に拘泥(こうでい)してきた。つまりは、民の為につくす、という行政理念に欠けていたのだ。

「危機管理」の面で、まさに関東大地震のときの後藤新平東京市長の決意と比較してしまう。

 いま東京都医師会がコロナ検査システムをつくろうとしている。行政がやらなければ、自分達がやる、という強い意志を感じる。

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 誰にでも、判断ミスはある。それを咎(とが)めているのではない。謙虚(けんきょ)に人災だったと認めて、政治責任をしっかり感じてほしい。
 その上で、「医療崩壊」のあとに予見される「経済崩壊」の諸策に取り組んでほしいのだ。

 政治家は神さまでないことは解っている。「この人は信用できる。ミスも認めるし」という信頼度が、難局を乗りきる最大の武器だ。日本人は一つになれる民族だ。歴史がそれを証明してくれる。信頼で結束を強めてほしい。


 德川家康の名言がある。『われ一人腹を切りて、万民を助く』。多くの人の命が助かるならば、自己犠牲もいとわない、というものだ。そういう政治家ならば、誰もがあとについてくる。

 北海道・鈴木 直道さん(すずき なおみち、年齢 39歳)、
 大阪府・吉村 洋文さん(よしむら ひろふみ、年齢 44歳)、

 お二人はまさに30-40歳の若者だ。若者がコロナの媒体のように言われる昨今だが、かれらの熱意には、家康の名言が似合っていると思う。


写真・国立競技場=ネットより