正式な国名はどっちか。ビルマか、マャンマーか?
スー・チー女史とともに来日した、ミャンマーの作家・人権活動家、マ・ティーダ博士が4月18日、日本ペンクラブで懇談会を行った。約1時間半。会員の参加は約30人だった。
ティーダ博士(女性医師・作家)は1966年ヤンゴン市に生まれた、外科医である。1985年から作家活動を開始し、ミャンマーの民主化運動を海外に知らせた。その結果として、軍事政権ににらまれて、懲役20年の刑を受けて投獄された。
懇談会は外部公開でないので、細部は語れないが、会員から国名に対する質問があった。
「ビルマか、マャンマーか。ヨーロッパや国連ではビルマで通す。ミャンマーという国名に対して、博士はどう感じていますか」
どう答えるのだろうか。
日本人には「ビルマの竪琴」などで、その国名の方がなじみは深い。軍事政権が「ミャンマー」の国名を押し付けている、と私は認識していた。
07年9月27日に、映像ジャーナリストの長井健司さんが、ビルマ(ミャンマー)の軍事政権の兵士に射殺された。世界を震撼させた。
翌08年3月14日に、日本ペンクラブの人権委員会主催で、日本プレスセンターホールで、公開シンポジュウムが開催された。パネラーのジャーナリストが国名の報道を問題にした。
日本政府は軍事政権に肩入れし、支援している。先進国のなかで、日本が軍事政権を国際社会で最も早く承認した。ジャーナリストも毒されているから、ビルマでなく、ミャンマーを使っているのだ、と噛みついていた。国連ではビルマを使用すると、ここでもそれが強調された。私もなるほどな、と影響を受けていた。
それから5年の歳月が経った。日本人にもミャンマーが定着してきた感がある。懇談会の席で、マ・ティーダ博士が、
「どちらの国名でも別段、問題ありません。複合民族だから、地域的なくくり方で呼称がちがう。外国の方々がどう呼んでも、問題はない。気にはしていない」
と述べたのには驚かされた。
あのフォーラムで問題視した、国名のビルマは何だったのか。
懇談会が終わると、茅場町の居酒屋に流れた。マ・ティーダ博士、浅田次郎会長、堀正昭さん(国際ペン事務局長)など10人ほどが参加した。
「考えてみれば、日本だって同じだな。ジャパンとか、ジャポンとか、どう呼ばれても、日本人はなにも気にしない。ミャンマーでも、ビルマでも、別にかまわないのは東洋人の発想かな」
西木正明さん(直木賞作家)がそう前置きしてから、ロシア、中国、韓国での日本の呼び名を披露していた。なるほどな、と思った。
「にっぽんか、ほにんか。どっちが正しいのかな」
浅田さんが首をかしげた。
日本国憲法と、大日本帝国憲法では、「日本」の発音が違う。ここらも話題になったが、結局のところ、日本人自身も国名が定まっていない、という話になった。