ジャーナリスト

大津波の恐怖を乗り越え、中学生が体験学習で漁船に=陸前高田市

 2011年3月11日の午後3時過ぎに、巨大な大津波が三陸地方の沿岸部を襲った。
 最大の被害となったのが、陸前高田市である。

 死者・行方不明者が約2000人という途轍もない犠牲者を出した。
 身内や親戚で、犠牲者がゼロの人を探すのが難しい。

 市内はまだ荒野で傷あとだらけだ。むろん、中学生の心も傷ついている。

 私のもとに、大和田晴男さんから「中学生のカキ養殖体験の日程が決まりました。5月25日朝9時から、カキの種付作業を行います」と、待ち望んでいた電話が来たのが、5月に入ってからだ。

 大久保さんはカキ養殖業者である。約10年間にわたり、米崎中学校でカキ養殖のレクチャー(カキの特性・特徴を語る)から、種付け、温湯駆除、収穫まで指導している。

「2年後に、中学校の3校が合併しますから、3つの中学1年生が合同です。それでないと、2年後の収穫期に、米崎中学校の生徒だけになりますから」と話す。

 3校の行事調整で、日程の決定が遅くなったのだろう。

 中学1年生が約90人、米崎漁港のカキ養殖作業場に集まった。建物は廃墟で、ブルーシートの屋根である。


 生徒たちは真剣な目で、種付された貝(ホタテ空貝にカキを産卵させたもの)の裏表に、10個ずつのカキを残すように間引き作業を行う。

 米崎中学校の校長も、体験に加わっていた。

 種付カキがロープに結ばれていく。そのロープがイカダにつるされる前段階の作業である。

 「浜の女」と呼ばれる、カキ養殖業に携わる女性たちも、指導に加わる。

 米崎中学校の1校のときは、大和田夫妻のみで体験学習に対応してきた。今回は3校の合同であり、他の漁師や浜の女たちの手も借りている。

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宮城・気仙沼で見つけた天才少年、段ボール彫刻作家が心をなごます

 東日本大震災の被災地・気仙沼の市街地で、通行人が「おやっ」と足を止める光景がある。
 それは海産物問屋の店頭で、段ボール箱を組み立てたロボットが堂々と突っ立っている。それは誰が見ても、あきらかに子どもの作品だが、くすっと笑ってしまう。

 ㈱勝正商店は気仙沼駅から海岸の向う途中の、三日町交差点の角に位置する。信号待ちする乗用車の車窓からも、
「ほら、見て、みて」
 と指差す光景がある。

 年少者が制作したもので、海産物の空いた段ボール箱を利用したものだ。ユーモラスな作品だ。

 気仙沼は1000人以上の死者と行方不明者を出した、悲惨な被災地である。1年余りが経ったいま、ガレキの撤去は進んできたが、都市再生や復興は遅々として進んでいない。市民の多くは心に傷を負ったままで、口には出さないが、暗い気持ちである。

 それだけに小学校1年生の斉藤勝市郎くん(さいとう しょういちろう・6歳)の作品が、行きかう人の心を思わずなごませるし、明るい話題の提供となっている。

 

 三日町1丁目は、3.11の大津波が床下まできた地域だ。全壊の家屋が少なかっただけに、商店や会社などは順次営業を再開してきている。

 勝正商店も同様である。オフィスと作業場が隣り合い、営業活動が行われている。これら海産物の袋詰めとオフィスワーク(家族5人と社員5人)が、通行ちゅうの人たちからものぞきこめる。

 そこには『段ボールの時計台』とか、『発泡スチロールのお城』とか、『三階建てマンション』とか、さらには絵画など、勝市郎くんの制作品が所狭しと展示されている。
 どの作品も箱の立体空間を上手に利用している。

 店内で、勝市郎くんの創作について話を聞いた。
「通行人の方が笑ったり、面白い、愉快だと足を止めてくれるんですよ」
 祖母が町の人気者だと教えてくれた。

 三陸地方は過去から海産物で栄えてきた。漁業の産地からは段ボールで商品が送られてくる。同店では作業場で小割して袋詰めする。
 毎日、決まって空箱が出てくる。勝市郎くんはそれら形状を見た瞬間に、何が作れるか、イメージがひらめくようだ。
「毎日、なにかしら作っています。カッターやナイフは危ないので、使わせていません。すべてハサミです」
 と母親が話す。
「働く人、全員にケータイのストラップを作ってくれたんですよ」
 母親がそれを見せてくれた。それぞれ(10人の)顔の特徴がとらえた動物に似せる、ユーモラスな絵が飾りになっている。

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テレビ朝日の取材クルーに同行、被災地・女川を訪ねる(2)

 テレビ朝日『スーパーjチャンネル』のクルーとともに、江島から女川に戻ってきた。被災地・女川の悲惨さが解る、女川町立病院の高台に案内してもらった。
 この高台すらも避難した住民が津波の濁流で波にさらわれているという。
 見渡すかぎり、殺伐とした荒野で、倒壊した建物の一部が、被災モニュメントとして残されている。
「人口比の死者は女川が最も多い」
 吉岡さんから、それらを聞かれた。

 眼下には七十七銀行の廃墟がある。大地震の時、男女14人が勤務していた。このうち支店長ら13人が2階建ての屋上に避難した。(1は帰宅していた)。全員が大津波に流された。1人は海上で救助されている。12人が犠牲となった。
 同銀行の屋上で助けを求める行員の姿がケータイ撮影で残されているという。(私は未確認)。気の毒なかぎりだ。

 同じ地域にあった仙台銀行、石巻信用金庫の女川支店の行員は、全員が山側などの高台へ避難し、無事だった。となると、七十七銀行の支店長の指図が問われてくる。

『なぜ、指定避難場所の女川町立病院の高台(写真・慰霊碑の場所)に避難させず、銀行内にとどまったのか』
 遺族の無念さが裁判になるかどうか、今のところわからない。 

 ※私は後日、気仙沼大島の宮司の取材から、友人の話として、「かれは同病院内の1階で必死に柱につかまって助かった。でも、目の前で、病院内から津波にさらわれていった人もいるようです」と聞いた。そうなると、同病院は必ずしも安全な場所ではない。

 天災が発生した場合、管理職は部下をどこに避難するべきか。その一瞬の判断は難しいものがある。

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テレビ朝日の取材クルーに同行、被災地・女川を訪ねる(1)

 吉岡忍さん(ノンフィクション作家)は行動派で、積極的な取材をする。3.11の東日本大震災が発生した直後から、東北の各地を出むいている。きょう現在も続く。こうした取材を背景にした執筆とか、講演を行っている。
 私は何度か吉岡さんの講演を聞いたり、個人的に被災地を語り合ったりする機会があった。

昨年11月から毎月、私は陸前高田、気仙沼、気仙沼大島の3か所に絞り込んだ小説の取材活動を行っている。
 他の被災地となると、名取市の閖上に足を運んだだけである。石巻、女川、牡鹿半島も、一度は訪ねてみたい場所だった。ある大学の構内で、そんな考えを吉岡さんに話していた。
 今年3月、吉岡さんから、
「女川被災地にテレビ朝日の取材があるから、一緒にどう?」
 と誘いの声がかかった。良い機会だし、一言返事だった。

 5月6日(日)11時15分に仙台駅に、吉岡さん、テレビ朝日『スーパーjチャンネル』ディレクター、フリーランスのカメラマン、それに私の4人が集合した。
 TV取材のテーマは「銀ザケと女川の復興」である。最初は銀ザケの餌まきのだった。女川市の尾浦漁港に着いたときは雨だった。
 4人は雨合羽を着て、約7トンの漁船に乗り込んだ。私はつねにTV撮影に邪魔にならない場所に移る。一方で、私なりに漁師から取材した、

 2日目は深夜2時に宿を出た。TV取材は「銀ザケの水揚げ」で、同港の岸壁から、夜明け前の3時頃に出航し、沖合の銀ザケ養殖場に出むいた。当然ながら、海は真っ暗闇である。
 サーチライトが照しだす漁網のなかで、銀色の鮭が踊る。漁師たちがウインチを回し、大きな網で銀ザケを一度に数十匹を掬い上げると同時に、氷詰めされていく。実に爽快だった。

「今年は冷温で、鮭が餌をあまり食べず、育ちが悪かった。水揚げは例年よりも1か月半遅れたんだ」
 漁師たちは海水温に影響される、漁の実態を語っていた。

 太平洋の夜明けの情景は感動的だった。

 水揚げされた、銀ザケは女川魚市場にトラックで運ばれていく。TV取材班はそれを追う。
「女川港は地盤沈下で、岸壁が使えないので、陸上輸送しかない」
 関係者はいまだ復興に及ばず、陸送のコストアップを嘆く。

 銀ザケのセリ風景を見た。専門用語だから、どんな値がついたのか、私にはわからない。仲買人の一人に訊くと、今年はずいぶん安値だと嘆いていた。
「水産加工工場は津波で大打撃を受けており、ほとんど機能していない。だから、銀ザケを水揚げしても、買い手が少なく、供給過剰になっているんですよ。そのうえ、風評被害(フクシマ原発)があるし」
 と被災の傷あとが、漁師の収入にも大きく影響していると説明してくれた。

 同日の朝は㈱ヤマホンベイフーズの新工場稼働だった。女川の被災地では、最も早い水産加工工場の稼働だという。テレビ朝日のみならず、地元のメディアなども数多く詰めかけていた。

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手作りのギター演奏会は格別の魅力=東京

 喧騒とした都会生活から、ひと時、解放された。ギター歴2、3年の生徒が奏でる、静かなメロディーをじっと聞く。「禁じられた遊び」「グリーンスリーブ」「イエスタデイ」「ムーンリバー」などは、思わず口ずさみたくなる。心休まる時を過ごす。


2012年4月22日、自由が丘のチェスナットホールで、第9回「ギターサロンコンサート」が開催された。主催は川瀬のり子ギター教室。自由が丘教室と松原教室の2カ所の生徒たち21人が、クラシック、フォーク、ポピュラー、演歌など2時間余りにわたり、演奏した。他にもゲスト演奏者が2名参加していた。

 川瀬さんが司会進行役で、出演者が入れ替わる都度、ギター歴とか、仕事とか、趣味とか素顔の一面を紹介する。
 ギターの他にも大正琴、ゴルフ、バイク・ツーリングなどに取り組んでいる人が多い。生活のすぐそばにギター教室があり、習い事、学びごととして人生を豊かに過ごす人たちだ。 

 招待をしてくれたのが、関根稔さんだった。「プレリュード第1番」を演奏した。かれは暗譜で演奏していたので、曲に心する情が顔の表情に浮かんでいた。

 なぜ生演奏が魅力なのだろうか。会場にきた聴衆は、単に曲を聞くのでなく、演奏者がどのように曲に心を乗せているか、それを推し量ることができるからだ。だから、演奏者の顔をじっと見つめている。

 演奏者は、間違いたくないと、譜面ばかりに釘付けになっていると、聴衆側にとって、演奏者の心が読み取りにくい。365日練習しても、緊張すれば、弦が狂ってしまう。旋律の多少の間違いなどは、決して恥ずかしいことではない。人間として、当然なんだから。
 来年からはできるかぎり暗譜で臨んでもらいたいものだ。

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書評 週刊「日本の世界遺産03」(富士山が世界遺産になる日)

 赤富士が迫力ある表紙「日本の世界遺産」(朝日新聞出版、552円)が、友人の畠堀操八さんから送られてきた。出版社の封書だったので、かれが編集に携わったのかな、と思いながら、芸術的な富士山の写真を拾って見ていた。
 素晴らしい富士山の写真に感銘しながらも、「どうしたら、こんな見事な撮影ができるのか」と、撮影シチュエーションなど勉学の心でみていた。

『富士宮ルート』のコーナーでは、66歳から富士登山を始めた登山家・佐々木茂良さんが目に留まった。昨年末の日本山岳会の晩餐会で、富士登山1000回の方が表彰されていた。その方かな、と思ったが、違う。
 佐々木さんは秦野市から毎日、富士山に通う。それだけでも大変だし、敬服する。私などとは比べ物にならないが、同じ山を毎日アタックするなど、着想もないし、間違いなく根気も続かない。やり始めても、きっとすぐに他の山に目移りしてしまうだろう。

 ページを進めているうちに、『村山古道―忘れられた登山道』が目にとまった。筆者が畠堀さんだった。かれとも一緒に登ったルートだ。

 概略を説明すると、平安時代末期から拓かれた、修験道の富士登山道があった。それが最も古い富士山口の村山(静岡県・富士宮市)である。山頂は仏閣を構えた、大日寺だった。当然ながら、村山は表口登山道として栄えてきた。
 しかし、仏教徒は明治政府の廃仏毀釈から虐げられた。山頂のみならず、山中からも追い出されたうえ、浅間神社にすり替えられたのだ。他方で、五合目まで新たな登山道できたことから、村山古道は約100年前に廃れてしまった。

 最近、村山の人たちや畠堀さんの努力で、村山古道がよみがえった。古道から登れば、世界遺産として十二分に価値がある、自然林などが同氏の筆と写真で紹介されている。

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朝日カルチャー新宿で、穂高健一『フォト・エッセイ入門』開設=4月より

 朝日カルチャー・新宿で、穂高健一の「フォト・エッセイ入門」が4月から開設されます。

 デジカメ時代です。写真はどんどん撮るが、その先はさして使い勝手もない。何かしたいな、そういう思いの方々には最適な講座です。
 朝日カルチャーの協力のもとに、4月から開講します。


 「写真」および「エッセイ」興味と関心がある方は、新宿まで足を運んでください。
入門講座ですから、「デジカメを上手に撮りたい」「デジカメで撮ったものを作品として残したい」という方にはとてもお勧めです。


 撮る、書くことが好きになる、楽しい仲間づくりを目指しています


                               
【朝日カルチャーの講座内容から】

 ブログや広報誌、冊子などで、読者に共感を呼び起こすためには、文章や写真にひと工夫が必要です。書き方、撮り方だけでなく、伝えるとは何かを学びます。毎回丁寧に添削、講評します。

 第1回 写真の撮り方:人物をとりいれた撮影 「人間は人間に感動する」 
         作品提出についてのガイダンス
 第2回 エッセイの書き方:「短時間で、正確に、楽に書く」文章テクニックについて
        添削と講評 (作品を映像で見ながら、講評します)
 第3回 ブログ、冊子などで、「共感・感動させる」読み手を増やすテクニックについて 
      添削と講評 (作品を映像で見ながら、講評します)

●毎月1回、自由なテーマで作品を提出してください。第1回提出締め切りは4月27日(金)です。

●A4の用紙1枚に400字と写真2~3点をはりつけ。 合計3ページ(文章1200字、写真9点)
以内におさめてください。
 指定のメールアドレス(お申し込みの方は受講券をご参照ください)

【講座・開催日】
 4/14~6/9土曜 15:30-17:30  2012年 4/14, 5/12, 6/9

 申し込みは3か月ごとです。
 詳細は穂高健一『フォト・エッセイ入門』こちらをクリックしてください。

 

死刑囚の首は誰が絞めるの?

 私には、『獄の海』という文学賞の受賞作がある。当初は、死刑囚を書くつもりだったが、とても書けないと解ったから、少年受刑者を主人公にした作品である。選者の藤本儀一、田辺聖子、眉村卓、難波利三の4氏から、作者は刑務官だろう、と言われるほど、取材が利いた作品だった。

 さかのぼること、私は広島拘置所の元副所長(当時50歳前後)から、小説を書く上で、死刑囚について取材を申し込んだ。何度かの手紙のやり取りの末、彼=元副所長が取材に応じてくれた。3時間余りにわたって、赤裸々に語ってくれた。
 退職時には、同拘置所には3人の死刑囚が収監されていたと話す。毎日、死刑囚の観察記録をつぶさに書くという。
「なぜですか?」
「死刑囚が精神異常になれば、刑が執行されないからです。日誌で、正常か、異常の兆候がないか、報告するのです。罪の意識がなくなった精神異常者を殺せば、ただの人殺しですから」
 私にはすべてがはじめて聞く話ばかりだった。

「死刑に最も反対しているのは誰だと思いますか。刑務官ですよ」
 その言葉が強く印象に残っている。
「なぜですか」
「いいですか、刑務官の募集要項には罪を犯した人の更生を図る、大切なしごとです。そう書かれているんです。人間の首を絞めて殺すこともあります、と一行も書かれていません。死刑囚を殺すのは刑務官です」
 殺す。その表現にはどきっとさせられた。
 死刑執行は東京拘置所など、高等裁判所が所在する拘置所である。(高松は大阪に護送)。

「なぜ拘置所ですか」
「裁判で懲役刑が確定すると、刑を執行するために、刑務所に送られます。しかし、死刑囚の刑を執行すれば、それが死ですから、拘置所で終わりです」
「だから、拘置所なんですね」
「東拘(東京拘置所)などに勤務の辞令が出ると、ぞっとしますよ。人間を殺す、そんな任務が自分に回ってくる可能性があるんですから」
 刑務官は転勤で、鑑別所、拘置所、刑務所、少年院と動く。だから、刑務官になれば、だれでも死刑囚を殺す可能性がある、という。

 法務大臣が印鑑を押せば、死刑の執行命令が拘置所にとどく。所長など数人の幹部が、「どの刑務官に、どの任務をあてがうか」と思慮する。
 独房から連れだす人、首に縄をかける人、ぶら下がった遺体を降ろす人、そして安置所に運ぶ人、すべてが複数で行われる。(私の推測・仮に3人ずつにしても、十数人の刑務官で構成される)。

「当日、出勤してきた刑務官を呼び出し、指示・命令すると、殆どが青ざめます」
「なぜ、前日に教えないんですか」
「死刑執行日が、所内に漏れたら、全刑務官が休みますよ。法の執行とはいえ、人間が人間を殺すんですからね」
 ということばがいまだ耳に残る。

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東京ゲートブリッジ(恐竜橋)が開通。徒歩で東京湾を楽しむ

 2012年(平成24年)2月12日に、東京湾の中央防波堤と若洲地区とを結ぶ、通称・恐竜橋の「東京ゲートブリッジ」が開通した。橋の全長は2,993mで、海面からの高さは最大87.7mである。
 2頭の恐竜が対決する姿にもみえる。

 開通前の同月4日には、『約5000人のランナーが巨大な橋を渡り初め』とメディアでも大きく取り上げられたことから、開通後は人気スポットになった。

 開通の翌日、13日(月)に出かけてみた。怪獣は子供たちが好きだから、さぞかし子連れが多いかと思えば、TV情報に敏感な中高年層が多かった。土、日曜日になれば、様相は多少違うかもしれないけれど。

 新木場駅前から「若洲キャンプ場前」行の都バスが唯一の交通手段だ。

 若洲海浜公園は海釣り施設である。知名度も低く、夏場のキャンプやバーベキューを楽しむ人が利用するていどだった。
 マイカー以外は不便で、都バスは1時間に1本。日中は2時間に1本ていど。都内でも超過疎の路線の一つ。同橋が開通する前、同公園を訪ねたが、つねに乗客はゼロか、1~5人ていどだった。

橋の開通とともに、バス停は長い列である。
「なんで、増便しないのだ」と列の人は苦情を言う。
「都のお役人は、いずれ人気が一段落すれば、もとの閑散とした路線に戻る、と見越しているんですよ。役人って、そんなものですよ」という冷めた声もあった。

 バスの終点から同ブリッジに上る施設(昇降口)までは徒歩で、5、6分である。小さな標識がいくつかある。それを見落とさなければ、難なくたどり着ける。
 ここでも、長い列だ。バスできたひとたちが上るまで、少しタイミングをずらせば、待ち時間もなくなる。後につづく人が約1時間後だから。

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大東京の空を飛翔する、鷹の訓練士が語る=葛飾

 中川の護岸をジョギングちゅうに、手にとまらせた鷹に骨付きの餌を与えている男性がいた。
 大自然とはほど遠い葛飾である。自然界の猛禽類などが棲める環境ではないと思っていただけに、めずらしいなと横目で見、振り返りながら、10メートルほど行き過ぎた。そして、私は戻ってきた。

「鷹匠ですか」と問うと、「それを職業としていないので、鷹の訓練士です」と答えられた。

 東京・葛飾区にすむ中里貴久さん(45)である。大都会では、鷹を飼いならすのは大変そうだ。話を聞いて撮影もさせてもらった。

 いまは何の訓練をされているのですか。「この子(鷹)を連れまわし、人慣らしの訓練中です」。 鷹がこの大都会の空に慣れる、人間に慣れる、その訓練だとわかりやすく補足してくれた。

 私が話しかける。それだけでも、鷹は人間に慣れていく訓練になるという。

 ふだんの練習場所は平和橋の下流だが、きょうは中川の上流に来てみたという。左岸は犬がノーリール(紐を結ばない)が多くて、練習場所には不向きだと判断し、いましがた右岸にきたと話す。

 ジョギングの時にも思うが、紐をつけていない犬が多くて、実に迷惑だ。マナーがないというよりも、都条例違反だ。走っているとき、吠えられてとっさには止まれず、からだを傾けて横跳びしたこともある。危うく捻挫寸前の経験もある。

 そんな人は犬を飼ってもらいたくない、と思いながら話を聞いていた。

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