ミステリー小説「海は燃える」第8回目の入稿が終わった。4月第3週に、その写真撮りで、広島に出むいた。と同時に、幕末芸州藩の歴史研究をしている(近い将来・書籍にしたい)ので、幕長戦争との絡みで山口県にも足を伸ばした。
例年ならば、春とともに各地で、中高年層を中心とした旅行客を見かける。だが、どの連絡船も、列車もガラガラだった。広島市内でも、観光客は殆ど見かけなかった。宮島口で降りる乗客も皆無に近い。宿泊したホテルも閑散としていた。
洞窟写真が欲しいので、新山口駅前から秋吉洞行のバスに乗った。外国人(男子大学生らしい)が1人だった。強い雨が降っているせいかな。その程度に受け止めていた。考えてみると、関西、関東、全国の遠隔地からの旅行者は、雨だからといって鍾乳洞見学をやめることもないだろう。まして、洞内に入れば濡れないのだから、と思い直した。
鍾乳洞の巨大さを写真で表示するには、対比として人間の姿が欲しい。先刻の外国人はさっさと先を行ってしまったので、対象の人物がいない。
それでも、マイカーでやって来たのか、約1000メートルの観光ルートで、数人は見かけた。撮影のタイミングと合ってくれなかった。
黄金柱の鍾乳岩の観光写真屋は機材を置いたままで、カメラマンはいなかった。商売にはならないのだろう。
洞窟の出口からバス停まで、軒を並べる土産物屋はどこも無人かと思うほど、店員の姿を見かけない。割りに大きな店の、うす暗い人気のない店内をのぞいていると、女将さんが奥から出てきた。
「お客さんも来ないし、節電しているんですよ」
と天井を指す。
「えっ、山口県も原発事故と関係あるんですか。中国電力は大震災の影響などなかったのでしょう?」
「東北や関東の人たちがみんな節電しているのに、こっちの人間が煌々(こうこう)と電気は使えないでしょ」
「そういうものですかね」
「苦しみは分かち合わない、と。おなじ日本人ですからね。観光客が来ないのは痛手だけど、津波で家を流された人たちを思えば、家があるだけ贅沢よね」
と真顔で話す。
観光客がやってこない。当然のことのように受け止めていた。
彼女は過去に2度、洞窟の地下水が豪雨で流れ出し、床下浸水を経験したという。それだけでも怖かった。映像でみた、大地震の津波は途轍もなく恐怖に思えたと語る。
3月11日のあと、節電で、中国地方のJR列車すらも間引いていたような口ぶりだった。(確認はとっていない)。
「こっちにも電池がないし、タバコもないし、いろいろ影響はあるんですよ」
と教えてくれた。
ガス台などは「着火マン」でつけられるけれど、風呂釜用などは乾電池がないから、風呂が沸かせられない。数日間はもらい風呂していたという。
日本人の殆どが地域を問わず、被災地の人たち痛みを分かち合う。と同時に、浮かれた気持になれないので、自然発生的に「自粛」という言葉が全国に広がった。それは従来とは違って、行政指導型ではない。
「自粛」は経済に悪い影響を与える。今年の流行語になるのではないか。そう思う一方で、日本人はやはり単一民族だな、としみじみ思わせられた。
日本は戦後復興から高度成長期へと、つよい経済指向で突っ走ってきた。他方で、日本の文化を犠牲にし、伝統の良さを見失ってきた。すべてが経済優先だった。
経済面で「自粛」が悪影響だと叫ぶだけでなく、ここは一度しっかり立ち止まってみる。日本人は復興・復旧の底力をもっている。あわてることもなかろう。
「日本人とは何か」
日本人の精神文化をじっくり考える、半世紀に一度の機会ではないか、と旅先で思い直した。