ジャーナリスト

年に1度、ギター演奏を聴く=名曲が心にしみる

 川瀬のり子と教室生徒による、第8回「ギターサロンコンサート」が4月24日、東京・自由が丘チエスナットホールで開催された。小、中学生(男女)から、リタイアして本格的にギターに取り組む60代まで、と幅が広い。


 演奏者たちはそれぞれ真剣な表情で、1小節ずつ楽譜に忠実に弾く。緊張から音が硬くなる。それでも、この日のために、練習に励んだ、という熱意と努力が伝わってくる。



 年に1度、ギター生演奏から、心を癒してもらっている。
 個人的な好みからいえば、より初級者の曲のほうが心地よい。

           

「禁じられた遊び」「グリーンスリーブ」「シェルブールの雨傘」「夜霧のしのび逢い」「枯葉」「鉄道員のテーマ」「ラ・クンパルシータ」など、聞きなれた名曲だけに、心にしみこんでくる。

 中級、上級者になると、ホ短調とか、変奏曲とか、アストゥリアスとか、むずかしくなる。なにも考えず、自然体で聴いている。

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春の郊外を歩く、大震災を考える=作家として、何をなすべきか

東日本大震災から、約1ヵ月たった。日本人が一つになって、復興・復旧へと向かいはじめた。とはいっても、いまなお暗い雰囲気が漂う。

 メディアは相変わらず、政府関係者や東電をバッシングし、妙に利巧ぶっている。為政者を攻撃しなければ、知的集団ではないと、ジャーナリストたちは勘違いしているのではないか。そんな想いが強くなるばかりだ。

 今回の大震災の発生後から、私はどこかジャーナリストでなく、小説家として自分を置きたいと考えている。そんな自分を意識している。


       
 東京・仙台までの新幹線が開通した。被災した現地に足を入れようかなと考えた。いま出向いて、暗い報道ばかりを伝えても、大手メディアの二番煎じになるだけだと思い直した。
 
 状況が落ち着いた頃、ジャーナリストでなく、小説家として被災地に出向きたい。被災地で、人々が経験した「人間とは何か」という根幹を求めて現地を回ってみたい。
 単に事実の伝承、報道の上滑りでなく、災害時の人間の本心、本音、思考をさぐり出したい、浮かび上がらせたいというものだ。
  

 4月末の晴れ間を狙って、東北には向かわず、初めて目にする千葉県・柏市の郊外を歩いてみた。近郊農家もある。あけぼの山農業公園もある。
 田畑や花や土地の匂いを感じながら、いま文学は何をするべきか、何を書き残すべきか、と考えてみたいと思った。

  

 2008年2月、日本ペンクラブ主催の世界フォーラムで、「災害と文化」が行われた。国内外の著名な作家たちの作品が紹介されたり、朗読されたりした。

 大自然はある日突然、巨大なエネルギーで人間に襲いかかる。人間は為すすべがない。脆弱な姿をさらしだすしかない。
 人間が自然災害と立ち向かったとき、いかに弱いものか。そのなかで、人間は何を考え、どんな行動をするか、それらが作品化されていた。

 人間は自然災害を制御、防御、コントロールできる。そう信じるのは人間の驕(おご)りだと、多くの文学者・作家たちは語っていた。
 予想も、予知もできない。人間の思慮を超えたりするものだ。
 

 災害を被った直後、人間は何を考え、どんな行動をとり、どんな希望へと結びつくのだろう。
 希望が得られない人は絶望になる。

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えっ、中国電力は原発事故と関係ないんじゃないの=広島・山口

 ミステリー小説「海は燃える」第8回目の入稿が終わった。4月第3週に、その写真撮りで、広島に出むいた。と同時に、幕末芸州藩の歴史研究をしている(近い将来・書籍にしたい)ので、幕長戦争との絡みで山口県にも足を伸ばした。
例年ならば、春とともに各地で、中高年層を中心とした旅行客を見かける。だが、どの連絡船も、列車もガラガラだった。広島市内でも、観光客は殆ど見かけなかった。宮島口で降りる乗客も皆無に近い。宿泊したホテルも閑散としていた。

 洞窟写真が欲しいので、新山口駅前から秋吉洞行のバスに乗った。外国人(男子大学生らしい)が1人だった。強い雨が降っているせいかな。その程度に受け止めていた。考えてみると、関西、関東、全国の遠隔地からの旅行者は、雨だからといって鍾乳洞見学をやめることもないだろう。まして、洞内に入れば濡れないのだから、と思い直した。

 
 
 鍾乳洞の巨大さを写真で表示するには、対比として人間の姿が欲しい。先刻の外国人はさっさと先を行ってしまったので、対象の人物がいない。

 それでも、マイカーでやって来たのか、約1000メートルの観光ルートで、数人は見かけた。撮影のタイミングと合ってくれなかった。
 黄金柱の鍾乳岩の観光写真屋は機材を置いたままで、カメラマンはいなかった。商売にはならないのだろう。

 洞窟の出口からバス停まで、軒を並べる土産物屋はどこも無人かと思うほど、店員の姿を見かけない。割りに大きな店の、うす暗い人気のない店内をのぞいていると、女将さんが奥から出てきた。
「お客さんも来ないし、節電しているんですよ」
 と天井を指す。
「えっ、山口県も原発事故と関係あるんですか。中国電力は大震災の影響などなかったのでしょう?」
「東北や関東の人たちがみんな節電しているのに、こっちの人間が煌々(こうこう)と電気は使えないでしょ」
「そういうものですかね」
「苦しみは分かち合わない、と。おなじ日本人ですからね。観光客が来ないのは痛手だけど、津波で家を流された人たちを思えば、家があるだけ贅沢よね」
 と真顔で話す。
  観光客がやってこない。当然のことのように受け止めていた。

 彼女は過去に2度、洞窟の地下水が豪雨で流れ出し、床下浸水を経験したという。それだけでも怖かった。映像でみた、大地震の津波は途轍もなく恐怖に思えたと語る。

 3月11日のあと、節電で、中国地方のJR列車すらも間引いていたような口ぶりだった。(確認はとっていない)。

「こっちにも電池がないし、タバコもないし、いろいろ影響はあるんですよ」
 と教えてくれた。
 ガス台などは「着火マン」でつけられるけれど、風呂釜用などは乾電池がないから、風呂が沸かせられない。数日間はもらい風呂していたという。

 日本人の殆どが地域を問わず、被災地の人たち痛みを分かち合う。と同時に、浮かれた気持になれないので、自然発生的に「自粛」という言葉が全国に広がった。それは従来とは違って、行政指導型ではない。

「自粛」は経済に悪い影響を与える。今年の流行語になるのではないか。そう思う一方で、日本人はやはり単一民族だな、としみじみ思わせられた。

 日本は戦後復興から高度成長期へと、つよい経済指向で突っ走ってきた。他方で、日本の文化を犠牲にし、伝統の良さを見失ってきた。すべてが経済優先だった。

 経済面で「自粛」が悪影響だと叫ぶだけでなく、ここは一度しっかり立ち止まってみる。日本人は復興・復旧の底力をもっている。あわてることもなかろう。
「日本人とは何か」
 日本人の精神文化をじっくり考える、半世紀に一度の機会ではないか、と旅先で思い直した。

写真で観る・聴く、「のこぎり音楽」=東京・西新井文化ホール

 第7回のこぎり音楽・チャリティーコンサートが、2011年4月9日に、東京・足立区のギャラクシティ西新井文化ホールで開催されました。
 演奏者は、世界最大・のこぎりで演奏する、のこぎりキング下田さんです。


スペッシャルゲストは「楠堂浩己とFinest Jazz Men」です。


会場の聴衆も、童謡などを歌っています。

アナウンサー・堀江慶子さんが、歌うお年寄りに、明るくインタビュー


チェンバーは重量感のある楽器です。舞台で振り回しながらの演奏は迫力満点です。

 
 

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逃亡しない日本人たち

 世界を見渡しても、自然災害に縁のない国が多い。それらの人々には、この大災害がどのように映っているのだろうか。東日本大震災のあと、私は「外電」の報道に興味を持っている。

 地震発生時の、激震でゆれる建物と逃げ惑う人たちがTVに映し出される。約30分後の津波が、船舶や家屋を次々に飲み込み、黒い舌のような大波で逃げ惑う人々に襲いかかる。さらには、福島の原子力発電所が水蒸気爆発を起こす。農産物や生乳から自然界にない放射線物質が検出されている。

 まさにトリプルの大被害である。これは有史以来の世界最大の自然災害だといえる。

 東北や関東の被災地の人たちは、「生きていただけでありがたい」といい、救助、救援の人たちに「ありがとう」「お手数をかけます」という言葉を向けている。ヒステリックに泣き喚く光景などない。
 外電はそれらを日本独特の秩序と精神だと伝えている。

 日本在住の外国人たちは、放射線の被曝を怖れ、国外へとぞくぞく退去している。各国のメディアは、それら引き揚げ状況を報道している。それが外電で、日本に伝わってくる。

 一昨日、上海出身の唐湘己さんから、母親からの伝言として、「東京は危ないから、上海に来なさいよ」と連絡があった。生命を案じてくれる厚意に対して、謝意を言いながらも、私は心の中で、「日本人は災害から逃げない」と一蹴していた。

「仮に大量に放射線を被爆しても、3年や5年くらいで、すぐ死ぬわけじゃないし」という気持もあった。

 私は広島出身で、原爆小説を書いたことがある。多少だけれども、核物質、核反応、放射線被爆の被害の知識がある。
 広島・長崎の被災者は、核爆発でどれだけの放射線を浴びたことか。残留濃度の高い放射線の街で、広島県民は死と隣りあわせで道路を整備し、近代的な街を作ってきた。
 原爆投下の8/6以降に広島に入り、復興に尽した。それらの人たちも白血病で死んでいった.その数はとてつもなく膨大である。

 それらの状況と今回と比較して考えている。

 福島原発では原子炉が自動停止しており、核分裂もゼロ。わずかな放射線被爆の可能性(マイクロ・シーベルト単位で)、国内外のメディアがあれこれ騒いでいる、それが滑稽に思えたりする。広島・長崎の高濃度の被ばく線量と比較して、論じれば、わかりやすいのに、と思ってしまう。

 日本人は逃げない、被災地の復興に挑む、その精神ルーツを考えてみた。

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海外報道は間違っている、日本人に礼節などない

 東日本大震災で、日本はあまりにも悲惨な状況下におかれている。海外の報道は被災地の日本人を絶賛している。「混乱や暴動や略奪はない」、「怒鳴り合いや喧嘩もない」、「日本の冷静さに世界が感心」、「日本人には秩序と礼節がある。それを見習おう」という趣旨が多い。

 世界は日本に対して同情一色である。貧しい国、たとえば内戦状態のアフガンからも、「日本から見れば、たいしたお金ではないだろうが」といって、この災害に対して義援金を送ってくれる。

 東北の被災した現地では、救助、救援、ボランティアの人たちが不眠不休で、被災者の救出や生命を守るために活躍している。福島の原発事故では、東電の作業員や支援部隊の人たちが、放射能による後遺症を覚悟で、「自分がやらなければ、日本人が大変になる」という武士道に似た精神で、生命をかけて原子炉に立ち向かっている。

 世界が認めるように、被災地の人たちは連帯感で助け合って頑張っている。それは日本人としても誇りに思うし、賞賛に値する。


 ところが多くの日本人はどうだろうか。首都圏の大手スーパーでは、開店前から消費者が行列を作り、開店と同時に、食品や生活用品を必要以上に買い込む。トイレットペーパーなどは大勢が群がり、わず1時間で売り切れてしまう。まさに、「自分の家庭さえよければ、被災者など関係ない」という身勝手な行動だ。

「なぜ、こんなことをするのか」
 オイルショック時から何度も見せられてきた光景だ。うんざりさせられる。2週間か、3週間ほど待てば、トイレットペーパーは市場に出回り、やがては過剰在庫から、商品はだぶつく。スーパーは値下げ競争になっていく。それがわかっているはずなのに。

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区民記者の時代へ、第1歩。『かつしかPPクラブ』が活動開始

 平成22年春から、「かつしか区民大学」がスタートした。講座の一つとして、市民記者養成「私が伝えるかつしか」が1年間(8回講座)にわたって行われた。受講生は20人(定員)。私は講師として、写真の取り方、文章の書き方、取材方法など、座学と課外活動など実践的な指導を行ってきた。

 毎回、受講生には作品提出を義務づけ、添削を行って力量を高めてきた。全員が葛飾区内を歩き、インタビュー記事を書ける技能を身につけた。

 卒業生のうち12人が同年12月に、「かつしかPPクラブ」(浦沢誠会長)を発足させた。最初のP=PHOTO(写真)、次のP=PEN(ペン)。
 活動方針は、区民の目線で葛飾を取材し、小冊子やネットなどで報道していくもの。他方で、「報道の質的向上を高める」、という信条のもとに、定期的な講座も開いていく。

  初代会長:浦沢誠さん(写真・右)



 第1回講座が2月18日、同区東立石で開催された。事前に、私の手許には「年末・年始」をテーマとした取材作品が届いていた。パワーポイント、およびビデオカメラなどを使い、それら作品の総評と、個別の講評を行った(器具協力:同区教育委員会・生涯学習課)。

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ムバラク大統領を倒した、「フェイスブック」って、なあに?(下)

 フェイスブックは日本にはまだ馴染みが薄い。庶民の媒体とまで成熟していない。一体どういうものか。それを体験しなければ、エジプト政権の崩壊まで、理解できない、と思った。
 そんな認識を持ったとき、ITコンサルタントの肥田野さんから、TWITTER(ツイッター)と「フェイスブック」を勧められた。この際とばかりに、二つを同時にチャレンジしてみた。
 手続きはいかなるものか。平たくいえば、クレジットカードの申請と同じで個人情報とメールアドレスを書き込めば、登録ができた。思いのほか簡単で、なおかつ即日に活用できた。

 TWITTER(ツイッター)と相互交流のために、登録後において、『友達』選びがある。手近なNSn「かちねっと」やPJメンバーなどをセレクトした。

 フェイスブックの友達選びは、卒業高校、大学の卒業年度から同級生などを検索できる。勤め人ならば企業名(大手)からも検索していける。さらには政治、文化、日常の関心事、興味ある事がらまで拡げれば、まさに「友達の友達」へと、その数は増えていく。
 登録は実名で顔写真入り。だから、発言には責任を負う度合いが高くなる。この信頼度が特徴である。

 日本に馴染みがないフェイスブックだけに、友だち検索で、経歴をみると、海外の大学院卒とか、それに準じる20代~30代の若者が多いようだ。

 エジプトの若者がフェイスブックで、デモを呼びかけた。その情報が連鎖で転送された。さらにはムバラク大統領打倒へと進化してきた。
 従来型のメディアならば、民衆が動くまで、数ヶ月、半年、1年という歳月が掛かっていた。途中で挫折したり、メディアに歪曲されたり、政府の弾圧で終わることも多かった。
 フェイスブックはストレートに、民衆から民衆に拡大していく。そのエネルギーがある。

 国際ペン・堀武昭事務総長と15日の談話のなかで、「フェイスブック」の話題がでた。
「フェイスブックは日本の年賀状と同じですよ。元旦に、数十枚、数百枚、一気に届くでしょ。フェイスブックは一瞬にして、年賀状のごとく一日にして、大勢の元に届けられる」
 遅れて1月3日、4日に着いた年賀状は色あせて見える。だから、誰もが元旦に届くように気を配る。フェイスブックはそれと同じ。情報が色あせずに、瞬時に大勢に届く、と掘りさんは例える。そのうえで、
「私(堀さん)がフェイスブックに一つ書き込めば、世界中から一日にして、どんーと書き込みがありますよ。だから、発信していません」とネットの威力を語っていた。

 フェイスブックの運用を知り、エジプトの政権転覆の経緯をみると、革命の構造が違ってくる、と思える。革命や変革には、勢いとエネルギーが重要だ。導火線は短くして、一瞬にして火薬が爆発すれば、その効果は高くなる。
 為政者が慌てて、ケータイとかネットを切断するなど手を打つが、すでに遅し。崖っぷちに立たされ、政権が転覆してしまう。

 今後は、民意は大手メディアでなく、ブログ、フェイスブックから生まれてくる。どの国家でも、日本でも、ネットで政権が転覆する構図が生まれる。
 わが国は極度の財政赤字だ。緊縮財政に転換し、失業問題や貧困に有効な手を打てず、無策でいると、ネットの民意が単に抗議行動にとどまらず、暴動、政治体制の崩壊へと進む可能性もあるだろう。
 これからの政治革命は流血でなく、そんな姿で展開するだろう。

ムバラク大統領を倒した、「フェイスブック」って、なあに?(上)

 世の中には、「食べず嫌い」「食わず嫌い」という言葉がある。取材先で、「私はインターネットが嫌いだ」という人に何度か出会ったことがある。
(ネットを使った結果、そう思うのかな?)
 そんな懐疑的な気持よりも、パソコン音痴だろう、と聞き流している。時折り、パソコンを買ったが使っていない、という人もいる。一度はパソコン教室に通っているが、習熟できず挫折しているようだ。
(講師の教え方に問題があるんだな)
 そのように理解している。

 現在では、小学校の授業で必須科目としてパソコンを教えている。それら世代が確実に育ち、もはや二十歳の成人にまで達してきた。他方で、高年齢層までの各世代層への拡大は目覚しい。
 ネットを使った交通機関のチケット手配、料理のレシピー、百科事典代わり、ニュースなど、膨大な情報のなかから必要なものが引き出し、利用している。ネットがなければ、生きていけないという意識だ。

 情報化時代とはなにか。個人が新聞・TV・雑誌の情報の受け手側から、逆に、発信側にまわった時代をいう。いまや日本国内だけでも、ブロガーは数百万にもなった。みずからのブログで積極的に身辺の情報を出す。ものの考え方を示す。しだいに政治・経済・文化を変えはじめた。

 かつて大手メディアが各種情報をコントロールし、為政者からのリークで、世論を操っていた面がある。ときには肝心なことは隠して報じない。そんなことから、メディア報道も、ときに嘘をつく、隠す、という疑いと認識が人々の間に潜在してきていた。

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瀬戸内海・『祝島』の原発反対運動=ドキュメント映画は何を語る? 

 日本ペンクラブ・環境委員会の2月研究会は、2月7日午後4時から、同大会議室で、原発建設反対のドキュメント映画『祝島』(ほうりのしま)の上映会を行った。参加者は同会員の約30人である。


 1時45分の上映後は、纐纈(はなぶさ)あや監督(36、東京都出身、写真・左)と、中村敦夫さん(俳優、作家・同クラブ環境委員長、写真・右)との対談が行われた。

 中国電力は山口県上関町の長島・田ノ浦に原発建設予定地を決めた。ドキュメンタリーの舞台となったのは、対岸4キロの祝島(いわいしま)で人口約500人の離島である。
 撮影は08年夏から09年末までの1年10ヶ月で、その準備段階として、彼女は1年間にわたり、一人で祝島に通い、の家々で取材している。

 原発建設の賛成派と反対派の激突があり、賛成派が多数で可決する。それは導入の一場面である。
 原発建設反対だけのドキュメントではない。カメラは離島の風景、海や自然を大切にしたい、という島民の生活とことばを丁寧に集めている。「海は金で売れない」という島民の姿勢が随所で展開される。


「大切な環境問題に取り組まれた、よいドキュメントです。退屈な時間を守る島民に対して、カメラをまわし続ける。度胸のいる撮影ですね」
映画俳優でもある、中村さんはそう評価する。

「漁師にとって、海は大切な生活資源です。原発を受け入れると、漁業補償金が出ますが、祝島の人たちはそれを拒絶しています。島の経済は海があるから、自然のなかで平等に回っているんです」と女性監督は話す。

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