ジャーナリスト

「穂高健一ワールド」に、新機能『サイト内検索』が登場しました

 2012年9月23日現在、「穂高健一ワールド」には1144のコンテンツ(記事)が掲載されています。このたび『サイト内検索』の機能を付加したことで、かんたんに過去の作品が探しだせます。


 このHPには「ジャーナリスト」「小説家」「カメラマン」「東京下町の情緒・100景」「3.11取材ノート」など大分類があり、そこから個々の作品を追って探しだすとなると、かなり時間を要してきました。

 HP運営方針は一つひとつのコンテンツに対して、「内容の充実を図る」「有益の情報がある」「役立つ・学べる」という信念があります。だから、手抜きはしない。
 プロ作家も、一般人も、並列で掲載させていただく。それを貫いてきています。それゆえに、どのコンテンツにも深みと幅がある、と自負しています。

 反面、バックナンバーを探すのはたいへんな時間を要します。数年前の作品ともなると、上手に探し出せず、ギブアップぎみ。それが「サイト内検索」を使うことで、かんたんに過去の作品や記事が引き出せます。

 「元気に100歳クラブ」のエッセイ教室は、6年間余り、62回続いています。これら「レジメ」を掲載しています。「こんな内容の濃い、文学テクニックが無料で読めるなんて」と多くの声を頂いています。項目別に学びたいとなると、これまでは引き出すのがたいへんでした。

 同クラブの二上受講生から、「『サイト内検索』の機能をつけてもらえば、大変ありがたいのだが」と提案がありました。そこで、「穂高健一ワールド」をサポートしてくださる、ITエリート集団のインフォ・ラウンジ LLC (肥田野正樹・代表)にお願しました。
 9/16-19の3日間、かれらと槍ヶ岳登山に行った折、担当の伊藤宗太さんに踏み込んだ話をしました。彼は下山後に、さっそく『サイト内検索』をつけてくださいました。こちらにも感謝しています。

「みんなの作品コーナー」では、区民大学、カルチャーセンター受講生の作品、日本PENクラブの仲間が寄稿してくださった作品を掲載しています。
 掲載者の名まえ、タイトルがうる覚えでも、キーワードを検索すると、一発で出てきます。とても便利な機能です。どうぞ、「穂高健一ワールド」を有益に利用してください。
 
【例】 ①小説、エッセイで『心理描写』をもっと集中的に学びたい。
       そこで、「心理描写」と検索する
    ②「みんなの作品」に寄稿・投稿した、私の作品を呼び出したい。
       「○○○子」と入れる。
    ③3.11大津波の被災地の「陸前高田」を絞り込んで読みたい

被災地の中学生が、カキ養殖体験=温湯駆除法(下)

 3.11大津波で、広田湾(陸前高田市ょの海底は掃除されたから、海流もよく、カキ、シュウリ貝、昆布も育ちが良い。だから、温湯駆除で、海中からロープを引き揚げるのが重いという。


「カキよりも、シュウリ貝を売った方がいいよ。そんな冷やかしもあるほど育っています。実際、スーパーに行けば、シュウリ貝は一つ20円で売っている。カキは経費をかけても殻付だと50円。シュウリ貝の粒数も多いし、ただ捨てるのはもったいない……」
 同市・米崎カキ養殖業者の大和田晴男さんは笑わす。そのうえで、
「シュウリ貝を取るために、カキを作っているんじゃないし」
 日本でも有数のカキを作る、そのプライドで生きている。

 カキはロープごと湯のなかに入れられる。
「12、3秒だよ。声を出して数を数えて。時間が来たら、ホイスト(簡易クレーン)のリモコンを押して、湯の中からロープをあげるんだよ」
 大和田晴男さんは生徒たちに細かく指導している。

 船上の釜からロープが引き上げられると、今度は海に戻す作業だ。マスト軸としたボンブ(アーム)が、船外へと向かられていく。
「下げて、下げて」
 カキロープが養殖イカダに引っかけられて海中に戻される。
  
 リモコン作業の生徒たちが順番で変わっていく。

 2011年の東日本大震災の大津波で、陸前高田市の養殖イカダがゼロとなる、大打撃を受けた。当然ながら、中学生たちのカキ養殖体験が行われなかった。
 同年秋から、漁師たちは杉を使ったイカダづくりを始めた。昨年は約100台作った。漁師の手だけでは間に合わず、ボランテァの協力も多大なものがあったという。それらを沖に係留してきた。
 12年は9月中旬までに、170台作る予定ですすんでいる。この過程の中で、中学生専用のイカダもできていた。
 
 米崎中学校の校長が報道記者から質問に応えながら、
「11年は大震災で稚貝・ロープを吊るす体験学習は出来ませんでした。なにしろ、イカダもカキも全滅でした。地元の漁師の方々が根気よく、海岸に打ち上げらていたカキを集めてきて、ネットに入れて海中に吊るしておいてくれたのです。杉イカダができると、ロープ一本ずつ、生徒の名まえのタグをつけて、イカダに吊るしてくれていたのです」
 と感謝の念を語っていた。

 2年生たちは初めての漁船体験だ。漁船からイカダに乗り移った男子生徒のひとりは、
「予想していたより、揺れなかった。だから、怖いと思わなかった」
 と語る。
「祖父さんがホタテの養殖だから、保育園の頃、3-4回乗った」
 そう語る生徒もいた。
 津波の恐怖が残る生徒は初めから乗船していないので、
「楽しがった」「ワクワクした」
 こんな感想が殆んどだった。

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被災地の中学生が、カキ養殖体験=温湯駆除法(中)

 陸前高田市の米崎中学校のカキ養殖体験は、約10年前から、大和田晴男さんと学校関係者の手作りではじめられた。当初は大和田夫妻のみであった。

3.11大津波で被災した後は、地元カキ業者10軒が協同組合方式で、復興支援を仰ぎ、再起を図っている。こうした背景などが、共同で中学生体験学習に手を貸している。
 毎年、1年生は陸上のカキ作業場で、種ガキ(原板・松島から仕入れる)を間引き作業をしてから、沖合のイカダに吊るす。

 2年生は8月に温湯駆除を行う。同月24日朝9時から、中学2年生の男女生徒たち約20人が、4トン前後の漁船に乗船し、広田湾の沖合い2キロのカキ養殖イカダにまで出向いた。
 漁船の設備のホイスト(簡易クレーン)を使い、カキのロープ(1本の長さ約4.5メートル)を引き揚げる。そして、70-72度の湯に、10秒間ていどつける作業を行った。

 カキの漁師にとっては、これは夏だけに大変な作業だという。真夏の太陽の下、湯を沸かすボイラー熱とで長時間すると、脱水症状に陥る。
 しかし、カキの棲みやすい環境を作るための大切な作業で、この駆除をやらなければ、水揚げが3分の1から、4分の1になるという。

 温湯駆除とはどんな作業なのか。、言葉からは想像が難しい。大和田さんが船上で生徒たちに説明する。1年半経ったカキの生育環境から説明する。

「イカダからロープで吊した、カキの回りには、数々の(寄生する)虫が付きます。シュウリ貝(ムール貝)や、昆布はカキと同じ植物性プランクトンを餌としています。カキにすれば、思うようにプランクトンを食べられません。栄養分が奪われてしまう、天敵なのです」

 牡蠣ロープを引き揚げ、シュウリ貝と海藻や虫を死滅、取りのぞくために、引き揚げたロープごと70度の湯につける。これが温湯駆除(おんとうくじょ)法である。

 カキは死なないのだろうか。

 カキは強靭な生命力を持っている。真夏の太陽が照りつける磯でも、カキは牡蠣殻に守られて数日間生きていられる。だから、70度くらいの湯にも十二分に耐えられるという。その特性を利用した駆除法である。

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被災地の中学生が、カキ養殖体験=温湯駆除法(上)

 大津波から1年半経った。私は被災地のカキ養殖業の再起への道を取材して、ほぼ毎月のように三陸地方へ足を運んでいる。

 とくに陸前高田市、気仙沼大島の漁師からは、貴重な取材協力を得ている。取材の折りには、カキ養殖の漁船にも何度か乗せてもらっている。中学生が夏休みに入る直前だった。
「8月24日に、米崎中学の2年生が温湯駆除法(おんとうくじょほう)」のカキ養殖体験を行います。如何ですか」
大和田晴男さんから連絡を頂いた。

 第4週は毎月、読売カルチャーとか、目黒学園カルチャーの「小説講座」、「フォトエッセイ」の講座がある。そのうえ、こんかいは「かつしか区民大学」の講師もあった。
 変更するとなると、教室の確保とか、受講生の打診とか、かなり手間がかかる。余ほどのことでないとこれまでは変更しなかった。

 温湯駆除法は現地では何度も聞いてきた。カキ養殖の品質を決める重要な技法である。これまではただ聞くだけで、小説の上でうまく表現できるのかな、と思ってきた。
 この機会を逃すと、来年の夏になってしまう。小説といえども、温湯駆除は想像で描きにくい。やはり、行くべきだととっさに判断した。

「良い機会です、小説を書くうえで、温湯駆除は理解不足でしたから、実際に自分の目で見てみたかったんです。当日はお伺いできるようにします」
 そう約束した。あとのスケジュール調整は大変だった。講座の主催者や講生に頭を下げ、翌週にするなど後ろ倒しにしてもらった。
 結果として、とても良い取材ができた。

 同月24日朝9時、陸前高田市・米崎海岸に出向いた。

 校長、教師の引率で男女生徒たち20人余りがやってきた。海岸に整列した生徒を前にし、大和田さんが温湯駆除の概略説明と、乗船の注意事項を述べる。
 岩手朝日テレビなど地元TV局や、新聞記者たちも大勢いるので、生徒たちは乗船前からすでにマイクを向けられて緊張顔だった。

 生徒たちは漁師の手を借りて、3隻のカキ漁船に乗り込んだ。約2キロ沖のイカダに向かう。

 大和田さんの話によると、大津波は陸前高田市の市街地を壊滅し、漁師からは漁具も、漁船も、イカダも全部奪った。全部がぜんぶ悪いことではない、と前置きしてから、
「防波堤が崩れたから、波打際が多くなった。波が押し寄せれば、海中に酸素が混ざります。海底のヘドロが陸に上がったから、深さも出てきた。海水(海流)がよく回るし、植物性プランクトンが多く、海の状態はカキにとってはむしろ良くなったんです」
 と出航したばかりの波止場とか、堤防の壊れた海岸とかをさす。

 大津波に襲われても、海洋に対して客観視できる。カキの立場で語れる。さすがに、海の男・漁師だな、と感心させられた。心にカキを愛しているのだ。

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【脱原発を考えるペンクラブの集い】part2=日本ペンクラブ 

 日本ペンクラブが主催する、【脱原発を考えるペンクラブの集い】part2が、8月30日に開催されます。会場は専修大学神田キャンパスです。
 今回のテーマは「福島・チェルノブイリ・そして未来は…」です。

 どなたでも参加でき、浅田次郎会長をはじめとする日本ペンクラブの作家による、 福島・チェルノブイリの現状報告です。
 今後、わたしたちに何ができるかを、集会参加者全員で考えていきたいと思います。


【詳細】

 開催日時;2012年8月30日 18時30分開演、 21時終演予定
 入場料:無料(事前申込みは必要ありません)

 主催;日本ペンクラブ・専修大学人文・ジャーナリズム学科 

会場;専修大学(1号館-303教室) 定員500名
  〒101-8425 東京都千代田区神田神保町3-8
    (地下鉄神保町駅A2出口より3分)

内容

3部構成で映像を交えての報告を展開。
総合司会;高橋千劔破 / 2部コーディネーター 山田健太

1部基調報告; 浅田次郎、吉岡忍、野上暁、中村敦夫、神保哲生

2部視察団コメント・参加者との対話; 大原雄、住友達也、宮崎信也、森絵都チェルノブイリ視察団メンバー

3部未来への提言; 広河隆一

 お問い合わせ先
  info@japanpen.or.jp

 社団法人 日本ペンクラブ事務局
 〒103-0026 東京都中央区日本橋兜町20-3
 電話 03-5614-5391

【主催者より】
「このイベントをたくさんの方々に知っていっただき、1人でも多くご参加いただきたい。つきましては、皆様の関連団体、サークル等にPRをお願い致します。「転載自由」です」。(同クラブ・広報委員長・相澤 与剛 )
 
写真提供:大原雄さん(ジャーナリスト、日本ペンクラブ理事・電子文藝館「委員会」委員長)で、『2部視察団コメント・参加者との対話』の視察団メンバー


関連情報

日本ペンクラブ声明「大飯原発再稼働決定に反対する」

<日本ペンクラブ福島視察団報告・一年後の「福島」を訪ねて> 地震・津波・原発事故から一年

日本ペンクラブ編『いまこそ私は原発に反対します。』(平凡社刊)好評発売中

日本ペンクラブの各種ちらしのpdfファイル(23種類)がダウンロードできます

「こまえ平和フェスタ―1012」穂高健一写真展

 第8回 「こまえ平和フェスタ―1012」(戦争を忘れないで語りつごう)が8月19日(日)に、狛江エコルマホール(狛江市)において開催された。こんかいのメインタイトルは「子どもたちの未来のために」である。主催者は同委員会、および狛江市

 大震災から二度目の夏であり、それら関連の催し物が主であった。

 福島県いわき出身の神田香織さんの『はだしのゲン』を語って26年、いまがフクシマが、というお話と講談、狛江高校演劇部の朗読劇、きんたの会の太鼓演奏、和泉児童館のダンス、こまえ工房の合唱、そして平和を願う展示である。


 穂高健一写真展『3.11を忘れない~大津波の傷あと~』が同フェスタ開場に展示された。約650人(会場700席)の人たちを前にし、写真展の趣旨について話す機会が与えられた。(手話通訳、要約筆記あり)

 3.11大津波の小説を書くために、私は昨年の秋から毎月、三陸に入っている。その経緯から説明させてもらった。

 私は広島県出身で、原爆投下から日が浅い、太田川沿いのバラック建てに大勢のケロイドの被爆者が生活していた、「気色が悪かった」それが原風景の一つになっている。それだけに、原爆は身近なものだった。
 3.11の後、私はフクシマ原発でなく、あえて三陸の大津波に絞って毎月、取材に出かけている。それはなぜか。

 災害と文学の面からみると、戦争文学は数多くの名作がある。ヘミングウェイの『誰がために鐘が鳴る』、レマルクの『西部戦線異状なし』。アンネの日記においては、ナチスドイツのユダヤ虐殺の恐怖が後世に伝えられている。

 井伏鱒二の『黒い雨』では残留放射能が取り上げられ、被爆した娘が嫁の貰い手がなくなる、という人間差別などが描かれている。それはフクシマ原発問題に通じる作品でもある。

 しかし、地震と文学に関しては、関東大震災、阪神淡路大震災など、これぞという小説の名作は生まれていない。三陸大津波は明治から何度も数万人の犠牲者を出しながら、純然たる小説は見受けられない。津波の被害の資料や写真は記録な要素が強く、数十年後に見ても、リアルな感じがしない。

 小説は人間を描くもの。3.11大津波で人間がどのように心を傷つけられたか、どのように生きていくのか。それらを克明に描けるのが唯一、小説である。そうすれば、数十年後に読んでも、読者には昨日、今日、いま起きている事実のような、疑似体験として大津波が伝わるはずだ。


 三陸リアス海岸の人々は、数十年ごとに大津波の危険がある、とわかっているのに、なぜ浜辺に住むのか。それを文学として描く、3.11の教訓を後世に活かしたい、と考えている。
 
 小説の取材をする一方で、数多くの人たちにカメラを向け、「写真の中から、被災者の声が聞き取れる」という気持ちで、シャッターを切りつづけてきた。

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シニア演芸団『演多亭』で、大いに笑い、観せる=東京・文京

 NPO法人シニア大樂(田中嘉文理事長)が創立10年目に入った。現在、講師登録が513人に及ぶ。その中から、演技、落語などエンターテイメントに長けた、プロ、セミプロたちがシニア演芸団を結成し、『演多亭』として毎年公演を行っている。

 2012年公演は7月17日(火)に、東京・文京シビックホール(小ホール)で、開催された。主催・同大樂、協賛・音体操すこや会、後援・文京区である。
 客席371席がほぼ満員になり、中高年層の観客を大いに楽しませた。
 

 公演のトップバッターは、「KAKO&KAZOO」(麻里村れい、澤本博幸、松田健、中嶋卓也)のフォークソングである。

(1) パフ(ピーター・ポール&マリー代表曲)

(2) 今日も夢見る(麻里村れいヒット曲

(3) 人生の扉

(4) パワー

(5) 風に吹かれて

 
 中高年層の観客にはなじみ深い曲から入った。それだけに観客の心を一気に舞台に引き付けていた。


 奥村アッシ―(篤史)のお得意芸「どじょうすくい」である。

 舞台に出てきただけで、笑いを誘う。立ち振る舞い、一挙手一投足には神経を張り巡らしているのだろうが、観る側はただ爆笑のみである。

 元大手企業の社員だった、と紹介があった。現役時代はきっと接待の余興も得意だったのだろう。

 川上千里の「バルーンアート」で、ハーモニカを吹きながら、両手でゴム風船の芸を披露する。ミッキーなど多種多様なものかぎできてくる。

 ちなみに、現役の薬剤師だという。

 舞台が本業か、調剤が本業か、観ている範囲内ではどちらにも軍配が上がる。

 完成したバルーンは芸術性が高い。その都度、観客にさしむけていた。

 吉川幹夫の「面踊り」も、これまたユーモラスである。

 かつて農繁期には、こんな農夫が朝から晩まで畑に出て、懸命に働いていたのだろう。それが伝統芸能となり、現在に伝わっているのだ。

 厳しい労働すらも、愉快な踊りにしてみせる。日本人の血はもともと明るいのかもしれない。

 

 奥村アッシ―(篤史)、川上千里、吉川幹夫の三人トリオによる、「南京玉すだれ」である。

 3人は別々の流派である。打ち合わせも、予行も、ほとんどなく、ぶっつけ本番だから、なんとも呼吸が合っていない。失敗続きだから、これまた観客が喜んでしまう。

 スダレが開かないとなると、「待っててやるから、取り換えな」と観客から声がかかる。
 「お言葉に甘えまして」と玉すだれを変える。

 東京スカイツリーはなぜか見事に決まっていた。2012年の開業したツリーだから、芸人たちはより真剣になったのだろう。

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東電の社長室に放射能(死の灰)汚染土を送ろう=小出裕章さん

 私の友人から7月7日(土)「商社9条の会」の講演に誘われた。場所は東京・一ツ橋の日本教育会館で、講師は小出裕章さん(京都大学・原子炉実験所助教)、タイトルは「隠された原発の真実」である。雨の日だったが、フクシマ原発の本当のことを知りたい、という参加者たちで、約700人の会場が満席だった。

「原子力には平和利用もない。すべてが軍事にからむ」
 そう主張する小出さんは大学を選ぶとき、原子力がきっと人類に役立つ、という気持ちで原子力工学科に進んだという。
「ですから、ある時期まで、私は加担者のひとりでした」
 小出さんは原子力の平和利用に懐疑的になった。いまでは国家にたてつく、数少ない原子力研究者である。

 100万キロの原子力発電所は一日ごとに、広島・長崎3-4発分に相当する、核分裂反応を行わせる機械である。
「あらゆる機械には絶対安全はない。東電はウソ、だまし、脅しで、国民を欺いてきた。これらはフクシマ原発事故で露呈した」
 1966年からわが国は原発を作り続けてきた。法律では、大都会に原発を作れない。(非居住区、低人口地帯)、過疎化の地方が、金と政治で原子力を掴まされてきた。この46年間で、わが国は広島原爆の120万発分の死の灰(200種類の放射能物質)を作ってきた。

 人間には放射能(死の灰)を無毒化する力はない。高レベル放射能を100万年にわたり隔離することができるのだろうか。高レベルの廃棄物は隔離処分しかない。あるときは南極の厚い氷下に沈める、深海に埋める、という案もあったけれど、国際条約で禁止された。いまは深い岩盤の下に埋める、という検討がなされている。

 日本は地震大国である。地震の震源地はさらなる数十キロ下であり、地震が発生すれば地層をバリバリ割ってしまう。100万年の間には、きっと地震で放射能が流れ出す。
「原発はトイレのないマンションと同じで、作ってはいけないものだった」
 国家は原発を推進し、マスコミはそれを宣伝する構造ができあがった。

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宮島・世界文化遺産を訪ねる=写真と文で旅情を楽しむ

 芸州藩の幕末史を調べる私は、宮島(広島県)に出かけた。宮島は松島・天橋立とならぶ日本三景の一つ。同島の厳島神社がユネスコの世界文化遺産(1996年)として、原爆ドームとともに登録されてから、すでに16年が経つ。
 外国人の観光客の多さには驚かされてしまう。

 原爆ドームとの相乗効果だろう、ハイスクールの生徒たちが集団(日本流にいえば、修学旅行?)で、あちらこちらに一杯だ。


 宮島口から対岸の宮島までは、連絡船やフェリーで約10分である。JRの連絡船と、広島電鉄との2つの会社がピストン輸送をおこなっている。

 2社の競争というよりも、出航のたびに、どちらの船舶のデッキも、乗船客が一杯だ。10分間の混み具合だから、席の奪い合いなどはない。

 厳島神社の世界文化遺産のモニュメントからのぞくと、海上に浮かぶ、高さ16メートルの大鳥居(重要文化財)が中心に座る。巧くこしらえたものだな、と感心させられた。


 島に来る人、帰っていく人、観光客が双方とも一杯だ。
 「安芸の宮島」と広島県民に親しまれていたころも賑わっていたが、それと比べても隔世の感がある。

  関東では源氏が好まれるが、西は壇ノ浦に没した平家びいきだ。平家と厳島神社の結びつきが強い土地柄でもある。

 平安衣装の観光嬢が宮島PR活動を行っていた。カメラを向けると、すぐさまカメラ目線でボードを取ってくる。そして、微笑む。自然体でいいのに、と思ってしまう。

 衣装は若々しいが、顔をのぞくと、思いのほか中年の「おばさん」が多かった。観光協会の職員かな? それを仕事としている人たちだろう。そのせいか、PR嬢と並んで撮っている人がほとんど見当たらなかった。
 

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かつしか80周年・菖蒲まつり=掘切菖蒲園


 2012年は葛飾区の区政80周年である。
 
 区の花は花菖蒲だけに、毎年「菖蒲まつり」が開催されている。

 期間は6月1日から6月20日(水)まで。

 場所は水元公園と掘切菖蒲園である。
 
 6月12日、掘切菖蒲園に出向いてみた。


 京成電車の掘切菖蒲園駅は、上野から各駅停車で約15分である。

 青砥駅からは2つ目の駅である。

 人出が多い土、日曜日でも、急行などは停車しない。

 最近にしては珍しい、昔ながらの赤い車両が走っていた。

 掘切菖蒲園駅の構内では、写真展が開催されている。

 写真の腕前に自信があれば、応募して入選すれば、来年は張り出されるだろう。


  水元公園の花菖蒲は、約100種で、1万4000株である。
  都内最高の広い敷地の都立公園だけに、のびのびした開放に満ちた観賞が楽しめる。

  堀切菖蒲園は、約200種で、約6000株である。
  狭い敷地でありながら、品種は多く、手入れがよいので、芸術的な美観が楽しめる。

 花菖蒲の魅力は、花魁(おいらん)の髪飾りに似た、花弁の美しさだろう。


 梅雨の季節には、華やかな花菖蒲が満開だ。
 一方で、地味な黒松が日本庭園の渋さを作り出している。

 いまはだれも黒松に興味の目を向けていない。

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