ジャーナリスト

オリンピック(IOC)評価委員会の記者会見記=東京の勝利は疑問?

 IOCは今年10月にコペンハーゲンで、2016年の五輪開催地を決める。現在は4つの都市に絞り込まれている。IOC評価委員会がシカゴに続いて、東京にやってきた。大会会場など技術的な面を調査するためだ。

 東京都招致委員会からは、PJニュースのメンバー4人(小田編集長、吉川編集長代理、安居院(あぐい)東京城西支局長、それに私)に取材許可がでた。4月17日は東京・六本木アカデミーヒルズ49階の記者会見に出むいた。

 小田編集長は通信社時代に、アトランタ・オリンピック大会で取材記事を書いていたという経歴を持つ。大会の舞台や流れなどにもくわしい。今回の記者会見の記事を書くにあたって、切り口のアドバイスがもらえた。

 石原慎太郎都知事が、『ゆりかもめ』の質問に対して、羽田とつながっているとか、頓珍漢な発言をおこなった。石原都知事は自分のお金でに乗ったことがあるのか、神奈川県の在住で東京の姿など熟知していないな、という思いを持った。他方で、ゆりかもめはオリンピック・スタジアム、選手村などを結ぶ大切な交通機関だ。IOC評価委員会に対しても重要な説明事項だ。ある種のなさけなさを感じた。

 プレスセンターで、その日のうちに、『石原都知事さま、珍答「ゆりかもめ」で五輪招致できるの?』という記事を書いた。プロカメラマンの吉川編集長代理には、石原都知事の写真を提供してもらった。

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桜の穴場は記事に間に合わず=桜取材の総括

「ことしは桜をよく追ったな」という実感がある。
桜は日本人のだれもが好む。桜情報は特別なネタではないが、春になれば、TV、新聞、雑誌、地域情報誌、あらゆるメディアが取り上げてくる。PJニュースも同様だ。

 4月半ばにはソメイヨシノがすべて散って葉桜だ。いまや山桜や八重桜が散見される程度。街なかや野山はサツキ、ツツジなど、多彩な春の花に移っている。いまさら桜記事でもないが、総括してみたい。

 3月半ばから、東京の桜花を追って記事にしてきた。
 東京マラソンが3月22日に実施された。フルマラソンに出場したNYっ娘であるStacyと、3日後に皇居(一周約5キロ)を3周した。
 彼女が来日する数ヶ月前、ともに皇居の「満開の桜トンネル」を走ろう、と約束ができていた。外国人がみた桜の感想も取材したかった。

 3月25日はまだ一分咲きで、観賞には値しなかった。Stacy の満開の桜にたいする期待は高く、ことのほか残念がっていた。気の毒だった。ランニングは楽しかった。「アメリカの全州で、フルマラソン大会があるのよ」と教えてくれた。30歳の彼女は生涯において、全州の完走を達成したい、と語っていた。

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遠方より友来る。葛飾・立石は安価で、人情味ある飲み屋がひしめく。

「東京下町の情緒100景」が完了したのは、昨年の桜が咲くころだった。葛飾・立石を中心とした。堀切菖蒲園とか、柴又とか、浅草とか、メジャーなところは外し、素朴な面ばかり。それでも、いまだに読者がついている。

 先般も葛飾区教育委員会で、『かつしか区民大学』の発足について話を聞く機会があった。主事が一通り読んでおり、「葛飾にも、いろいろな面があると再認識させられました」という。それには驚かされた。素朴な情景も100景となると、厚みがあるようだ。


 葛飾・立石には町工場、家内工業、商店が集中する。下町の中心地のひとつ。仕事が引けると、工員、店員たちは帰り路で飲み屋にちょっと立ち寄る。長居はしない。飲み屋の多くが一人1000円台で呑める。庶民の町の飲み屋街なのだ。

 最近は親しい方に、「葛飾・立石は下町情緒たっぷりで、昭和が残っている街ですよ」とアナウンスしている。その上で、1000円台で飲める店が豊富にある、とも語る。
 大学時代の学友は随分気に入り、年に数回は葛飾立石に集ってくる。かつてITコンサルタントの肥田野正輝さん、旧友の関根稔さん、古関雅仁さんもやってきた。

 1月27日は、二上薆さん(エッセイ教室・受講生)と、松本道湛’さん(いまや写真家)が来てくれた。2人はともに元日本鋼管の先輩・後輩だという。(写真左:松本道湛’さん、右:二上薆さん)

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犯罪的な取材行為は、「取材の自由」ではない=オピニオン

 奈良県田原本町で、06年6月20日に、16歳の少年が自宅に火を放ち、3人を焼死させた事件が発生した。
 奈良地方裁判所は少年の行動に疑問を持ち、精神鑑定を行った。担当したのが精神科医の崎濱盛三(もりみつ、53、写真)さんで、放火した少年は広汎性(こうはんせい)発達障害をもつと診断した。


 草薙(くさなぎ)厚子著『僕はパパを殺すことに決めた』(講談社)が世に出た。そこには警察や検察の供述調書が多数引用されていた。情報源として、崎濱さんがジャーナリスト、講談社に供述調書などを洩らしたとして逮捕された。そして、秘密漏洩罪に問われて起訴された。

 昨年6月13日、日本ペンクラブと(社)自由人権協会の共催で、大手町サンケイプラザで、『言論が危ない』のフォーラムが開催された。鑑定医の崎濱盛三さんが対談形式で、吉岡忍さんの質問に応えて真実の一端を明かした。

「少年は殺人者ではなかった。それを世に伝えてもらいたくて、ジャーナリストに警察や検察の供述調書などをみせました。このときの約束事は、『見せるだけです、コピーはダメです、供述調書の直接引用はしない』というものでした」と打ち明けた。

「私は外出するので、草薙厚子さん、講談社の記者、カメラマンなど関係者4人に住まいの鍵を預けました。その間に、調書や鑑定書をデジカメで撮影したものです」と明らかにした。さらには、「出版前には、崎濱さんへの原稿の最終チェックさせてもらう、という約束も反故にされました」と語っている。

 同フォーラムが終了後、居酒屋で十数人が飲んだ。崎濱さんは一つ席が離れた場所に座り、吉岡忍さんや江川紹子さんらと語り合っていた。「誠実な人柄だな」、という印象を強く持った。

 今年1月27日付の朝日新聞によれば、14日の奈良地裁で、検察官の質問で、草薙さんは被告席の鑑定医の崎浜さんに謝罪し、取材源だったことをはじめて認めた、という。

 閉廷後、崎濱さんは「いまさら謝罪されたって、どうってことない」と冷淡に草薙さんを突き放している。「なんで、今ごろ(情報源)言うのかな。草薙さんや講談社に(調書)を見せたことを強く後悔している」と語った。

 奈良地検の検事は「草薙氏が取材源を明らかにしたことで、鑑定医の供述と一致し、立証は前進した」と話している。つまり、崎濱さんはなおいっそう窮地に陥れられたのだ。

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新年早々

 元旦は快晴だった。羽田発の広島行2便の旅客機から、眼下に白雪の富士山を見た。山頂の噴火口も鮮明にのぞけた。機内から、こうも間近に富士山を見下ろしたのは初めてだった。
 スチュワーデスがコーヒーを差し向けながら、「とても素晴らしい富士ですね」と声をかけてきた。彼女の笑顔の一言も、心をうるおす。09年早々の素晴らしい光景だ。

 一昨年12月には富士吉田側の一合目から、富士山・山頂を目指した。アクセスが悪く、なおかつ積雪をなでる強風で、七合目半で引き返してきた。そんな登攀の思い出がよみがえった。

 正月に、広島に帰省するのは数十年ぶりだ。大学生のころか、少なくとも24歳で結婚した頃まで遡らないと、記憶にはない。子どもが生まれてからは、年末年始の帰省ラッシュに、郷里の島に帰ってことはない。難儀して交通機関の指定券を取る。そんな苦労はムダだと考えていたから。

 3日前の、12月29日の夕刻、瀬戸内の島で一人暮らしする老母が倒れた。島から救急車で竹原市の病院に搬送されていた。30日は島の親戚筋、31日は私の妻と息子。そして、元旦には私が現地に向かった。
「横浜にいればよかったものを」
 私はつぶやいていた。

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「ヨタロウ会」の忘年会は、出版記念会を兼ねる?=神田

 小中陽太郎さん(日本ペンクラブ・理事)の支援者たちの集まりが「ヨタロウ会」だ。その忘年会が12月27日(土)夕刻6時半から、千代田区内神田の居酒屋『樽平』でおこなわれた。幹事は瀧澤陽子さん。
当初の予定(25人)を越え、出版関係者、作家、ライター、日本ペンクラブの幹部など約35人が集まった。

 小中さんは東大卒で、NHK(ディレクター)を解雇されたあと、市民活動や文筆に身を投じてきた。現在は大学教授。気さくで、笑顔の素敵な人である。今年11月20日に講談社から『小田実と歩いた世界』を発行した。「市民たちの青春 ベトナム戦争を止めようとした男」というサブタイトルがついている。
 
 べ平連代表だった小田実さんが、07年7月に死去した。小中陽太郎さんが「小田実さんの素顔を書き残したい」とペンを取ったものだ。

 同書に登場する、べ平連の関係者は多岐に渡っている。本の発売と同時に、ブログなどを通じた反響は大きいようだ。人それぞれ見方が違う、考え方も違う。当時の市民運動の捉え方も違っていたと思う。「絶賛する人もいれば、些細な事実の違いを大げさにいう人もいる」、と小中さんが挨拶のなかで、語っていた。

 同書を読んで感銘した人が、忘年会に駆けつけていた。版元の講談社・出版部長・三ッ間詳二さんも参加する。まさに出版記念会の雰囲気だった。とくに同書に登場した人たちは、1分間スピーチという時間制約を超え、それぞれがべ平連の思い出やエピソードを披露していた。

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Xmasイブは、報道写真展とチャリティー・コンサートで

 12月24日のXmasイブは、楽しみながら、HPの取材と決め込んだ。朝日新聞のコラムで知った、日本橋・三越の本館7階で開催中の「2008年報道写真展」(無料)をのぞいてみた。大地震や集中豪雨などの痛々しい現場、華麗なスポーツの美、動物の世界など多彩な写真が数多く展示されていた。

 さすが選ばれた写真だ。迫力あるすさまじい写真が多く、幾つも感動させられた。他方で、ポートジャーナリストが事件・事故の現場をどのように捉えるか、どんのような切り口から伝えているか、その面からも参考にもなった。
 同展には、望遠カメラの実物が展示されていた。連写のシャッター感覚が楽しめた。

 夕刻6時には、六本木ヒルズ内、テレビ朝日「umu」に出むいた。Xmasイブの特別企画、動物愛護のクリスマス・チャリティー・イベント『Animal Protection Activity』が開催されていた。ライブ音楽は「沢村まみ・ボーカルグループ」のジャズ・ミュージックだ。出演者の沢村まみさんから、案内をいただいていた。

 同グループは、11月27日の仏教音楽祭で第1位を受賞した。その作品、『君はひとりじゃない』は聞くほどに、これはヒットするな、と予感がはたらく。会場では沢村まみさんと挨拶ができた。
 PJニュースの音楽祭の記事が気に入ってくれていた。パソコンを持たない人にプリントして渡しています。「先般、ラジオに出演したときに、記事を紹介させていただきました」と話す。書き手としても、冥利だった。

 ジャズは好きだし、クリスマスソングだけに知っている曲が多く、ドリンクを飲みながら、快い時間を過ごせた。ふだんの忙しい取材でなく、リラックスした、Xmasイブを楽しむことができた。

 六本木けやき坂のイルミネーションをも楽しむことができた。

推量小説作家・新津きよみ著『トライアングル』がフジTV・ドラマで放映

 11月26日は、「ペンの日」だ。東京會舘(千代田区)のローズ・ルームで、約300人ほどが参加した、親睦会がおこなわれた。日中文化交流の代表団も参加していた。

 広報委員会の仲間数人がいつも一つテーブルを囲んで快談している。同委員の新津きよみさんが、「私の推理小説「トライアングル」(角川書店刊)が原作で、フジTVの火曜日夜10時から放映されるの。スタートは1月6日からで、3月まで」と話す。


 彼女には「どんな内容なの」と訊いてみた。
「ことばで説明するのはむずかしいわ」といいながらも、国際刑事警察機構(ICPO)の捜査官が帰国し、警視庁に勤務。彼は医師のライセンスを持つ。さかのぼること25年前、彼が10歳のとき、同級生で初恋の女性が誘拐されて殺された。迷宮入りになり、時効が成立している。ここからドラマが始まる、と説明していた。

 関西テレビ50周年記念のドラマで、出演者は江口洋介、広末涼子、稲垣五郎、北大路欣也など。原作は20年前だけど、江口洋介の実年齢にあわせたらしく、25年前に替わっている、と教えてくれた。

 新津さんの実父は長野県の医者で、県警の監察医でもある。だから、ICPOの捜査官が医者というシチュエーションの作品も書けるのだろう。同書は9月からソフトカバーで販売されているが、来月からはドラマ化という帯を付けてくれると、話す。

 日本ペンクラブ・阿刀田高会長がやってきて「TVドラマは、原作はずいぶん変えられるんだよね」と話しに加わっていた。(右)

 写真左は、広報委員会・副委員長の鈴木康之さん(編集担当)。

伝統職人(47師)の宝庫に住みながらも

 葛飾区には『戦後』という街はもう見当たらない。戦後から一筋という伝統工芸の職人は多い。現在47人が活躍している。国宝級のひともいる。

 終戦直後からの華やかな、最も発達した町は立石だった。葛飾の中心で、葛飾区役所がある。メインの街なのに、いつのころからか京成立石駅には特急が止まらなくなった。
 渥美清さんの「寅さんシリーズ」の映画が上映されると、柴又人気が急上昇した。葛飾を代表する町に思われはじめた。

 私はそのころ全国に旅行する機会が多かった。問われて、東京・葛飾に住むといえば、きまって「柴又ですか」と聞かれた。面倒になって、そうですよ、と言いたいが、「いいえ、立石です」としっかり否定してきた。相手はとたんに興味がそがれた顔をするのが常だった。

 妻の母方の実家が葛飾・柴又だから、決して無縁ではない。だが、葛飾立石にこだわり続けた。いまや寅さんブームが去った。葛飾・立石は『昭和の残る町』として息吹を取り戻してきた。

 PJニュースを書きはじめてから500本を超えた。地域、分野を問わず、自分の知識や活動の領域を広げるつもりで、記事を書きつづけてきた。初対面の人から話を聞くのが好きだから、インタビュー記事も積極的に取り組んできた。他方で、葛飾の地元関連の記事が少なかった。

 地元から目を逸らしていたわけでない。写真エッセイ『東京下町の情緒100景』を執筆し、そちらを中心に回っていた。100景が達成した頃から、葛飾発の記事も積極的に書こう、と決めた。
 それが昨年末で、立石仲見世の凧の取材記事を書いた。これが縁で、仲見世の理事の方々に同事務所に集まってもらい、将来を語る座談会を開いてもらった。それを連載した。

 京成立石駅から2分のところに、葛飾区伝統産業職人会の会館がある。伝統工芸品を売っている。訪ねたことはなかった。身近でいつでも取材できるという立地のよさから遠い存在だった。

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『ルーズベルトの刺客』・マヌエラ追悼公演を観て

 今年2月ごろ新宿で、永島直樹さんから、「秋には西木正明さん(直木賞作家)原作の芝居をしますから、ぜひ観にきてくださいね」、といわれていた。それから月日が経ち、すっかり忘れていた。『良い芝居になりそうです、ぜひよろしく』という文面を添えた案内状がとどいた。

 題名は『ルーズベルトの刺客』で、原作・プロデュースは西木正明さん、演出・脚本は永島直樹さんだった。劇場は新宿御苑前のシアターサンモール。サブタイトルに、「マヌエラ追悼公演」とあった。どういう人物なのか、男女もわからず、さして気にもとめていなかった。

 舞台は第二次世界大戦前の上海租界の社交クラブだった。各国の思惑が入り乱れたスパイ活動、テロ活動が行われていた。「マヌエラ」は美貌とダンサーとしての輝きから、各国スパイの憧れの的だった。彼女は秘密のベールに包まれ、素性が知れなかった。劇が進行するうちに、初代・水の江滝子が上海で「マヌエラ」という名で活躍していたとわかる。

 当時の日本軍が上海在留のユダヤ人に軍事訓練を施し、アメリカに渡らせ、ルーズベルトを暗殺する。その企てが進行していた。3000年も国土を持たないユダヤ人は、見返りに建国の夢を満州国の一角に抱き、協力する。

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