司馬遼太郎の幕末史観はどこまで正しいのか?(1)
幕末に活躍した坂本龍馬は、慶応3年に暗殺された。一度は歴史上から消えた人物である。明治半ば、皇太后の夢枕に立って、「日露戦争はわしが勝利させる」と龍馬が語ったという。それが新聞で報じられてから、第1回目の龍馬ブームが起きた。
2度目は、昭和40年代に、司馬遼太郎「竜馬がいく」が産経新聞に連載されてから、大きなブームがきた。
3度目は今年で、NHK大河ドラマ「龍馬伝」が大ヒットしている。
龍馬は、受取った手紙をその場で破棄していた。とくに薩長同盟のあと2年間は、討幕への地下活動が活発になり、資料が少ない。史料や資料がなければ、作家の憶測、推測が入ってくる。龍馬の人物像は、作者によってずいぶん違っている。
たとえば密議の場所として、龍馬は御手洗港(広島県・呉市)を利用している。(新谷道太郎・証言より)。どの手紙にも、一行も御手洗の明記がない。
幕府方に手紙が渡れば、重要な機密の場所が露呈してしまう。当然といえば当然である。
8月19日(木)夜6時から1時間半、横浜国立大学OBの「二木会」で、私は講演を行なった。タイトルは『ほんとうの竜馬像』である。
「いま龍馬ブームで、司馬遼太郎「竜馬が行く」の作品が多くの人に読まれています。歴史的な事実だ、と考え人があまりにも多い。同書はあくまで小説です。虚実が入れ混じっています。司馬氏はあえて『竜』としています。これは実際の龍馬と違う、フィクション小説だ、という逃げ道を作ったからです」
その辺りを取り上げて説明させてもらった。