日本ペンクラブ・メールマガジン「P.E.N.」で、広報委員として記事担当
日本ペンクラブ・メルマガは10月号から、大幅に刷新し、新連載をスタート。10月1日にはその記事がアップされました。
1)新企画「ペンの素顔」・阿刀田高 新会長に聞く
2)『世界P.E.N.フォーラム「災害と文化」』の全容ほぼ固まる
3)10月6日 シンポジウム「女流文学者会の記録」
4)「電子文藝館」9月の新掲載作品
5)ぺんぺん草
穂高健一は広報委員として、①と②の記事を担当しています。③は次号のメルマガに、取材記事として書く予定です。今後も、一連の記事を書いていきます。
阿刀田高会長(右)、インタビュアーは高橋千劔破常務理事(左)。筆者は奥の席。
(撮影:鈴木康之・編集担当)
『ペンの素顔』シリーズは、記事を書く側としても楽しみです。日本ペンクラブはノーベル賞作家、著名な作家、ジャーナリスト、詩人の宝庫です。次はだれにインタビューするのか。それは広報委員会で決まります。
聞けよ、「市民兵士の悲痛な叫びを!」。プロとアマが共演=横浜市
エッセイ教室の受講者である二上さんから、プロ劇団「U・フイールド」で活躍する俳優の武内紀子さんが紹介された。彼女と池袋で会って、劇団の概要やいま取組む演劇の話しを一通り聞くことができた。今回の演目は『孤独な老婦人に気をつけて』で、横浜市が公募した一般の人と、プロ劇団が共演するというものだった。
練習場は、本番会場である横浜市泉区民文化センター(通称・テアトルフォンテ)、もしくは東京・狛江市の写真スタジオだった。日程の関係で、狛江市のほうに取材に出向くことに決めた。
取材前に、武内さんから台本を借りて一通り読ませてもらった。原作はマテイ・ヴィスニュック。ルーマニアからフランスに政治亡命し、劇作家として活躍する。
今回の舞台劇となる『孤独な老婦人に気をつけて』は、15編の戯曲集から、8編を抜粋して構成されている。「U・フィールド」主宰で演出家である、井上弘久さんの脚本だ。
北斎や広重の目で、シャッターを=すみだの風景100選・写真募集情報
東京・墨田区の「すみだ郷土文化資料館」に出向いた。取材の狙いは『すみだ名所展』だった。
すみだタワー(仮称、610m)が2011年に完成すれば、町は急変する。これからの墨田区から目が離せない。建設が始まれば、刻々と変わるだろう、それらを記事で追うつもりだ。
今回は江戸時代の錦絵、明治時代の版画から、いにしえの隅田を紹介する、PJニュース記事を書くつもりだ。そのための取材である。
同資料館では学芸員から『あなたが選ぶ すみだの風景100選』の写真募集の紹介を受けた。 ユニークな写真募集だ。
すみだタワーが完成する年まで、毎年、同テーマの写真募集がある。
07年は6/1から11/30までの応募期間がある。注・年度によって応募期間が違う。
投稿作品は一定期間、同館などに展示してもらえる。これは魅力の一つだ。(館内風景・参照)
毎年、来館者に投票から、ノミネート作品が決まる。最終的には専門家によって、11(平成23)年に「すみだの風景100選」が決まる。
(同館3階、企画展:定点撮影写真展、トロリーバスより)
主催者は、墨田区内の自然、街並み、祭り、行事、イベントなどを求めている。 「すみだらしさ」が表現されている写真を選ぶもので、写真の技術力を競うものではありません、というコメントを出している。
問合せ先
すみだ郷土文化資料館:〒131-0033 墨田区向島2-3-5
03-5619-7034
詳細はこちらをクリックしてください。『あなたが選ぶ すみだの風景100選』
日本ペンクラブ・国際フォーラム委員会で、米国女子ランナーと知合う
日本ペンクラブで、来年2月に「世界P.E.N.フォーラム『災害と文化』」が開催される。9月12日、広報委員のひとりとして、東京・日本橋にある同クラブの会議室に取材に入った。
吉岡忍委員長のほかに、阿刀田高さん、浅田次郎さん、高橋千劔破さんなど十数人が円形テーブルで打ち合わせする。
この場には、NYっ子の女性・ステイシースミスさんがいた。彼女は日米の相互の翻訳が出来る逸材だ。来年のフォーラムで取上げられた文学を英文に翻訳する。そして、世界に配信される。
同委員会が終了した後、有志で「浜町亭」に呑み会に行った。彼女が隣り合った席だった。そして、名刺をかわすと、「穂高健一ワールド」を見ますから、という約束がなされた。翌日にはさっそく彼女からメールが届いた。ステイシースミスさんは素晴らしいマラソンランナーだった。
その日本語の堪能さぶりにも驚かされた。
『のり子大好き』が、フジTV「特ダネ!」のトップニュース
9月9日は日本山岳会・101会のメンバーと山梨県・乾徳山に登った。北海道マラソンの開催日であり、3月に6回連載した、平沢直樹選手の活躍がつねに気になっていた。
平沢選手はフルマラソンで19回の優勝者で、胸には「のり子大好き」のロゴマークをつけて走る。北海道マラソンでは、トップを走る女子の隣にいてTV生中継に(フジテレビがキー局)の画面に映る。それらが起因して、今年から日本陸連は団体名として不許可としたのだ。
その決定に不満を持つ平沢選手から直接取材し、こちらからも日本陸連にも質問状を送った。納得が行く回答が得られなかったので、日本陸連に対する批判記事を書いた。
タイトルは『テレビに映る「のり子大好き」はダメ? アマチュア排除の日本陸連』という6回シリーズだった。(穂高健一ワールド・PJアーカイブ・5月から入れます)
他方で、平沢選手は日本陸連に登録しない「未登録」の部門にエントリーしたのだ。つまり一般参加として出場したのだ。それは胸に『のり子大好き』をつけて走る唯一の手段だったから。
翌10日の朝8時のフジTV「特ダネ!」で、トップニュースでは北海道マラソンのキー局だから優勝者が取上げられた。
ニュースキャスターの小倉智昭さんが、『ディレクターには触れないでくれ、と言われていました』と前置きして、最近は「のり子大好き」がネット(ライブドア・PJニュースを指す)で、騒がれているようです、と語りはじめたのだ。同時に、女子優勝者の加納由理選手(28)と併走する、平沢選手の胸が大写しとなった。
大都会で見つけた、小さな秋祭り=東京・豊島区
台風が通り抜けた8日は、真夏に戻ったような陽射しだ。吹く風にはやや秋を感じる。池袋からの幹線道路・要町通りが北にむかう。地下鉄・有楽町線の千川駅の出入口の界隈では、『長崎神社』の幟がならんでいた。
笛、鉦、太鼓などの、お囃子が流れる。4斜線の道路の一つでは、はっぴ姿の子どもたちが大太鼓を曳き、お神輿を担ぐ。それぞれに大人の付き添いがつく。鉢巻をした子どもたちからは、小さな興奮が感じられた。x
西武線の椎名町駅近くに、「長崎神社」の本殿があるという。地元の長老に聞いてみたが、九州・長崎とは関係ないらしい。この神社を中核とした、南長崎、東長崎(駅名がある)、要町、高松町など一帯も含めた広域の祭りだという。
町内会のテントで、神社の氏子が子どもの神輿の世話をやいていた。隣のテントでは、寄付の受付、御札の配布などをおこなう。更なる隣では、男女の氏子が一息ついて長椅子に腰を下ろす。カメラを向けると、「綺麗どころを撮ってね」といい、集まってくれた。
総人口は何万人だろう。大半が昼間が勤め人だからか。この要町三丁目は、大人の神輿がきょうの夜に出るという。明9日は各町会で、神輿が出るらしい。
祭りは地域の貴重な伝統行事だ。少子化時代でも、大都会の一角に残された小さな祭りが、いつまでも存続して欲しいと願う。
子どもたちには成人になっても、祭りの思い出は心に残るものだから。
山手線がまた止まった=幼子ら、あちらこちら
徳川幕府はペリー来航の50年前からアメリカと貿易していた なぜ学校教育で教えない?
大学時代のゼミナールの学友が、月に一度集まる。時には都合があわなくて2ヶ月に一度になることもある。目的の一つにはめずらしい居酒屋探しだ。
他方で、愉快に酒を飲んで近況を語りあったり、思い出話につながる写真や資料を持ち寄って肴にしたり、先祖の遺業を掘り起こしたりする。すべて無礼講だし、学友だから好き勝手なことが言える。それらを『穂高健一ワールド・小説家』で、ノンフィクションとして掲載している。
今回は日本歴史の真相に迫る話題になった。吉田松陰の尊皇攘夷の思想に影響された、明治政府の要人が作り上げた日本史をいまなお累々と教えている。せめて日本人には、日本の幕末史の真実くらいは教えてもいいんじゃないか。
フランス革命の後、オランダはフランスとイギリスと戦争状態に陥った。その後もナポレオンの台頭がある。オランダはとても大西洋から日本まで航海できない。そこでアメリカに権利を譲渡した。アメリカ船舶がオランダの国旗を掲げて長崎出島にやってきた。
現在、アメリカの博物館には江戸時代の浮世絵などが多くある。それは江戸時代の日米貿易で、購入してきたものなのだ。
これらの話が学友会で盛り上がったので、『徳川幕府はペリー来航の50年前からアメリカと貿易していた なぜ学校教育で教えない?』というタイトルにした。
今回の学友会で、日露和親条約で、国後島、択捉島が日本領土となった経緯も話題となった。
19世紀のロシア帝国は巨大国家だった。択捉島・国後島はロシア系アイヌ人が支配する、ロシア領土だと強く主張していた。日本の主張を頑として受け入れなかった。それは現在とまったく同様だ。
しかし、日露和親条約の締結の土壇場で、ロシアは折れて日本領土とした。それには大きな理由があった。
日本人は、それも学校の歴史教育で教わらなかった。明治政府は、徳川幕府の外交成果を大きく見せたくなかったから、歴史教科書に載せていない。実に作為的なものだと思われる。
日露和親条約の交渉をテーマに『501人の遭難』という歴史小説で書いたことがある。400字詰め原稿用紙で100枚の作品。今回はこれも『小説家』のコーナーに掲載した。
拒食症・少女の万引きの実態
ある少女を取材で追っている。彼女は細身で拒食症である。いまは19歳。あと半年すれば、20才で刑法で罪を問われる年齢になる。
彼女は17歳で万引き癖がついた。大手スーパーに出向き、弁当、お菓子の類を買い物籠いっぱいにして、レジを通らず、後方で持参してきたビニール袋に詰めていた。大胆な手口で、一度に1万円以上も盗る。捕まるのは時間の問題だった。
初めて捕まったとき、彼女は名門の国立大付属高校の2年生だった。金額が大きく、警察に渡された。
拒食症は、口に入れたものをすぐに吐き出す。それを何度もくり返す。だから、一日に必要な食費は一万円以上かかってしまう。親は買い与えているのだが、それでも足りなかったから、万引きしたのだという。
2度目に捕まったときは18歳。すでに高校を中退し、専門学校に通っていた。拒食症は治癒されていなかったのだ。店内で捕まったことから、警察は未遂扱いで、説諭で終わった。
海外勤務だった父親は会社を辞めて、自営業になり、娘の世話を焼くことになった。彼女は美顔でスマートだから、バイトでモデルをしている。そのお金を殆どつぎ込み大量の食品を買っているようだ。
それでも3度目は電鉄系の大手スーパーで捕まった。これも盗んだ金額が大きくて、警察に出された。まだ19歳の窃盗罪だから、家庭裁判所に送られる。
ここ数日間、親子で話し合ったという。『このままでは将来が台無しになるぞ。二十歳過ぎて前科ものになれば、他のきょうだいにも迷惑が及ぶのだ」と懇々と諭した。彼女は苛立ち、酒を飲み、他のスーパーで万引きした。親は激怒した。
病的な万引きといえば、手癖の悪い人を意味する。実際にはこうして解決のつかない泥沼に落ち込むひともいる。当人の立場、親の立場、家族全員の立場、それぞれが意味合いの違う苦しみを背負う。つらい人生だと思う。
『罪を憎んで、人を憎まず』というが、彼女自身にも哀れみを覚えてしまう。