論語の『仁』の政治で、日中の友好を=孔健(こう・けん)さん
日本外国特派員協会のプレスクラブで、18日、『論語の精神・最新中国経済情勢秘話』の講演があった。主催は日本経営者クラブ(平野嘉重会長)で、講師は中国人の孔健さん。
日本に来てから23年経つ。現在は日本のTVなどにも出演し、日中問題のキーパーソン。孔子の75代の直系子孫だ、というから中国の歴史の大きさを知る。
110代まで、一人ひとり名前が決まっていると、孔健けんさんはその一部を披露した。孔子から約3500年間も名前が決まっている。日本では考えられないし、驚かされてしまう。
若い演劇人たち33人は、熱っぽく、人生を演じる
真摯なジャーナリストは無欲であるべきだ。老若男女を問わず、『市民の声を拾い、目立たない人を紹介してあげる。それは損得抜き』、という信念を持つ。少なくとも、自分は心のなかで、そう決めている。
めざす目標をしっかり持った若者たちが好きだ。無名、下積み、売出し中。どの段階であれ、情熱と熱気がある若者を世に紹介したいと、つね日頃から思っている。
ここ2カ月間は10代、20代の若手の演劇人たちの取材がつづいた。それも一つでつながる出会いの連鎖だった。
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日本ペンクラブの『広報委員会』の委員に推薦される
日本ペンクラブの総会が、5月30日に開催された。井上ひさし会長が退任し、新たに阿刀田高さんが会長に選出された。同日の理事会で、各委員会の再編成がおこなわれた。新たな委員長が決まった。
アメリカ大統領のスタッフが、新大統領の下で、入れ替わるのに似ている。
同クラブは約2000名の正会員が所属する。予算が少なく、会長以下の委員はすべてボランティアで活動している。
高橋千劔破さんは常務理事で、なおかつ『広報委員会』委員長に選出された。6月6日、高橋さんから自宅に電話が入った。「穂高さんを委員に推薦したい。国内外の広報活動に寄与して欲しい」という内容だった。
「高橋千劔破さんの下ならば、喜んで」と承諾した。広報委員会委員の任期は2年間である。
『古池や その後 かわず飛び込まず』=日本文藝家協会の総会・懇親会
千代田区・東京會舘で、17日、日本文藝家協会の総会が開かれた。17時からは同会館の12階で懇親会が開かれた。
司会者から「見ても、聞いても楽しい」と紹介された、嵐山孝三郎さんによる『古池や その後、かわず飛び込まず』の講演があった。
嵐山さんは下駄履きに麦藁帽子という愉快な姿。そのうえユーモラスな話で、20分間、会場を笑いで沸かせた。
小学六年のころ嵐山さんは、芭蕉の有名なこの俳句を教わった。「かわずは、何匹ですか?」と先生に聞いた。「観察しろ」といわれた。池をのぞいても、そこには金魚と亀しかいなかった。親に聞けば、父と母は一匹だという。親戚も一匹に決まっているという。その後、日本人のだれに聞いても、一匹だという。
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日露戦争・一兵士の戦地からの手紙が発見
学友が仏壇の引出しを整理していたとき、日露戦争で亡くなった兵士からきた手紙が出てきたという。明治37年8月の差出日だった。
差出人は溝口枩三郎(陸軍歩兵軍曹)である。奉天陥落が1905(明治38)年3月10日。その5日前に、溝口軍曹は歴史に残る激しい『奉天の戦い』で命を落としている。それは、当時の家人が封書に添え書きしていた。
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雪の八ヶ岳・硫黄岳の登山。3部構成
八ヶ岳の硫黄岳で、滑落のアクシデントが起きてしまった。
① 登山の詳細はPJニュースで、しっかり書き込んだ。
② めずらしい写真撮りができたので、『登山家』のコーナーで、写真集として紹介した。
③ 今回のアクシデントを踏まえた、掌編・私小説『小さな生命の旅』を書き、『小説家』のコーナーで連載する。