焼き鳥屋『光っちゃん』で、小中陽太郎さんと2人で語らい
日本ペンクラブのメルマガで、『ペンの顔』シリーズを書いている。会長の阿刀田高さんからスタートし、専務理事の浅田次郎さん、副会長の下重暁子さんなど、もう10人くらいに及んだだろう。
今回は小中陽太郎さんだ。梅原猛会長の下で、日本ペンクラブ専務理事として、その6年間は中核で運営に携わっていた。現在は同クラブの理事だ。
先月には「ペン理事会」の後、小中さんのインタビューをおこなっていた。理事会の後は例会で、出久根達郎さんのミニ講演が予定されていた。インタビューはわずか10分ていどだった。『ペンの顔』の記事とするには駆け足過ぎた。記事の内容にはもっと深みが欲しいし、部分的な確認もあり、小中さんには再度インタビューを申し込んだ。
10月18日の夕刻に目黒駅で、小中さんと落ち合った。駅前の喫茶店に入るなり、小中さんが平賀源内の話題から、オーダーしたばかりのコーヒーを棚上げにし、近くの東京都庭園美術館(旧迎賓館)に案内してくれた。道々、「目黒」の名の由来とか、白金台の江戸時代の史実とか、戦後のGHQによる占領の出来事とか、諸々の話が聞けた。
小中さんはかつて「鈴木知事に対抗して、東京都知事に立候補を」と押されたという。仲間の小田実さんが立つので、べ平連から2人出てもしかたない、と止めたと語っていた。
同美術館は5時閉館前だったで、場所の確認にとどまった。目黒の喫茶店にもどってから、小中さんのインタビューに入った。84年の国際ペン東京大会では、小中さんは国際委員長として、大江健三郎さんとともに活躍されている。私からの事前質問の一部に対して、小中さんは三好徹さんに電話で確認されていた。他方で、関連資料をも持参していた。そこには井上靖会長の自筆の書簡があった。