ジャーナリスト

かつしか区民大学「私が伝えるかつしか」講座が8回終了

 かつしか区民大学が今年度から開講した。目標は区民の学びと交流による、「ひとづくり、まちづくり」で、主催は葛飾教育委員会。そのなかの一つ「私が伝えるかつしか」に、私は講師として迎えられた。受講者17人で、5月からスタートし、10月22日に8回シリーズを完了した。

 同講座は、市民の目で葛飾区内の情報を発信していく、ミニ記者の養成である。主として上手な写真の撮り方、上手な文章の書き方、取材の仕方が3本柱となった。


 6回は夜7時からの2時間の講義だった。他の2回は課外活動で、6月は花しょうぶが盛りの水元公園、9月は介護老人保健施設「青戸こはるびの里」、青砥神社の例大祭に出むいた。当日は朝10時に集合し、夕方5時まで、写真撮影の実習と取材の実践を行った。

「綺麗だから写真を撮る、といった撮影から卒業してほしい。伝えたいものがきれい、汚いは関係ない」
 主役と脇役を意識して撮影する。
「人間は人間に感動するものだから、写真には人間を取り込む」
 ポイント1ヶ所では7つの角度からシャッターを押す。そして一つを選びだす。こうした約束事を通して、技量を高めていった。

 受講者には毎回かならず宿題を与えてきた。各人はまずテーマを決める。そのうえで、区内を歩く。講座から学んだ写真撮影、取材の技法を駆使していく。そのうえで、記事にしたり、写真エッセイにしたりして、提出してもらった。提出率は驚くほどで、ほぼパーフェクトだった。
 それを細かく執拗に添削し、返却し、次の作品へと役立ててもらった。数回にして、撮影技術、トリミング技術が向上し、人物がど真ん中に座る、日の丸写真などは皆無になった。

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中国政府は、ノーベル賞の受賞者が大嫌いか?

 今秋は、中国人のノーベル賞に関心をむけていた。日本ペンクラブの広報委員活動の一環で、それを身近に感じる機会が連続していたからだ。

国際ペン東京大会の開会式が9月26日、東京・早稲田大学の大隈講堂で開催された。基調講演のひとりが中国人作家の高行健さんだった(写真・右)。高さんは天安門事件の後、中国にもどれずにフランスで作家活動をしている。2000年にはノーベル文学賞を受賞している。

「文学は政治・イデオロギーを越えたものである。作家には権力や特権はない。創作によってのみ、苦境の社会状況下を描き、(政治)圧力に抵抗することできる」
 高さんは冒頭から、中国には思想の自由がない、という痛烈な批判を感じさせる内容だった。

 同東京大会の最終日に、国際ペンのジョン・ラルストン・ソウル会長および日本側の阿刀田高会長ら代表が、外国人記者クラブと国内記者会見に臨んだ。
 世界中に、獄中につながれた作家・詩人は多い。国際ペンはそれら解放を要求し、家族の支援も行なっている。


         
   (ジョン・ラルストン・ソウル会長、9月30日、外国人記者クラブ)

 ソウル会長から、「一時間ほど前、日本にある中国大使館に、作家・詩人の劉暁波(リウ・シアオポー)氏の身柄拘束を解くように。同時に、中国の言論・表現の自由と民主主義の拡充を図るように、と声明文を渡してきました」と語った。
 劉さんは懲役11年の実刑で服役している。中国の言論・思想の自由と、基本的人権を求める、非暴力の闘いを行なっている、という説明がなされた。

 劉さんは2010年ノーベル平和賞のノミネートされていた。10日後にはその結果がわかる。中国政府の神経は逆立ち、同賞委員会に内政干渉だと批判を繰り返していた。
 ノールウェーでは、最終選考の段階だった。この時期に、国際ペンのソウル会長みずから中国への抗議を示し、世界中にそれが発信されたならば、ノーベル賞の選考にも影響するのではないかな、と記者会見の場で取材しながら、私なりに考えていた。


 10月8日、劉さんの平和賞が決定された。獄中の彼に、どのようにノーベル賞が伝えられるのか。いまの中国のノーベル賞批判を見るかぎり、釈放どころか、授賞式にも参列させないだろう。

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国際ペンの事務総長に、日本が立候補。歴史的な快挙になるか

 8月23日、日本記者クラブ主催で、国際ペン・東京大会の記者会見が開催された。日本ペンクラブからは阿刀田高会長、浅田次郎専務理事、吉岡忍、堀武昭、各常務理事が参加した。
 国際ペン(本部・ロンドン)代表者会議は、年一回、持ち回りで開催されている。ノーベル文学賞作家など著名な作家が数多く参加する。
 オリンピック、万博、国際ペンの3つを開催して、はじめて国際都市だといわれたりする。それだけに世界的に注目される国際会議である。


 同大会が日本で開催されるのは、1956年(川端康成会長)、1984年(井上靖会長)、そして今回で、各25年ぶり。現在までの参加予定は81ペンセンターで、さらに申し込みが増える見込みで、過去最大の大会になる。
 今回は常連の欧米をはじめとして、紛争国だったアフガン、イラン、イラク、カンボジアなど注目すべきペンセンターも参加する。

 代表者会議は国連総会のようなもので、会議そのものはメディアを含めて、一般はオフリミット。
 他方で、日本ペンが「環境と文学」フォーラを開催する。8月23日~26日、早稲田大学・大隈講堂。(無料・事前申し込み制)

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司馬遼太郎の幕末史観はどこまで正しいのか? (2)

 龍馬は長崎・亀山に社中(会社)を立ち上げた。ここは経済活動として、部下に長崎をほとんど任せていた。
 龍馬の政治活動の主体は長州だった。お龍との新婚生活も下関である。それには理由がある。

「当時の庶民は、第二次長州征伐で、長州一藩が巨大な徳川を倒したことから、圧倒的な長州人気となりました。他方で、庶民は物価高騰で、打ちこわしが広がり、徳川から心が離れていった。毛利対徳川。関が原の戦い、と同様の構図で、長州人気にいっそう拍車がかかってきました」

 毛利が徳川打倒の象徴になる。そう捉えると、龍馬の行動がわかりやすい。すべての同盟に長州を絡ませる。あるいはその努力をしている。
「龍馬の政治活動の主軸は長州です。薩摩ではないのです」

 当時の薩摩藩は嫌われものだった。
 徳川11代将軍、13代将軍の正室は島津家から嫁いでいる。薩摩の討幕といっても、徳川家対島津家であり、それは政治的な陰謀であり、権力の野望に過ぎない。
 庶民は薩摩の権力と強引さに嫌悪感を持っていた。だから、薩摩一藩ではまったく動きが取れなかった。

「政変や革命は、権力者だけで成すものではないのです。庶民に支持されないと成功しない。フランス革命、アメリカ独立、ロシア革命もしかり。幕末の倒幕も同じで、民衆の力を最大限に引き出すことです。龍馬は身をもって認識していました。いろは丸事件がそれです」

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司馬遼太郎の幕末史観はどこまで正しいのか?(1)

 幕末に活躍した坂本龍馬は、慶応3年に暗殺された。一度は歴史上から消えた人物である。明治半ば、皇太后の夢枕に立って、「日露戦争はわしが勝利させる」と龍馬が語ったという。それが新聞で報じられてから、第1回目の龍馬ブームが起きた。

 2度目は、昭和40年代に、司馬遼太郎「竜馬がいく」が産経新聞に連載されてから、大きなブームがきた。
 3度目は今年で、NHK大河ドラマ「龍馬伝」が大ヒットしている。

 龍馬は、受取った手紙をその場で破棄していた。とくに薩長同盟のあと2年間は、討幕への地下活動が活発になり、資料が少ない。史料や資料がなければ、作家の憶測、推測が入ってくる。龍馬の人物像は、作者によってずいぶん違っている。

 たとえば密議の場所として、龍馬は御手洗港(広島県・呉市)を利用している。(新谷道太郎・証言より)。どの手紙にも、一行も御手洗の明記がない。
幕府方に手紙が渡れば、重要な機密の場所が露呈してしまう。当然といえば当然である。

 8月19日(木)夜6時から1時間半、横浜国立大学OBの「二木会」で、私は講演を行なった。タイトルは『ほんとうの竜馬像』である。

「いま龍馬ブームで、司馬遼太郎「竜馬が行く」の作品が多くの人に読まれています。歴史的な事実だ、と考え人があまりにも多い。同書はあくまで小説です。虚実が入れ混じっています。司馬氏はあえて『竜』としています。これは実際の龍馬と違う、フィクション小説だ、という逃げ道を作ったからです」
 その辺りを取り上げて説明させてもらった。

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「薩長同盟」がまたしても、NHK「龍馬伝」と同タイム

 隔月誌「島へ。」で、私は「坂本龍馬と瀬戸内海」シリーズを書いている。8月1日発売の同55号では、龍馬の最大の功績「薩長同盟」をとりあげた。サブタイトルは、「幕府の心臓を突き破った 龍馬の知力と解決力」である。

 同1日(日)に、NHKの龍馬伝の放映を見た。龍馬が薩長同盟に動きはじめたところで、私の作品とドンぴたりだった。
 先の54号の同シリーズで「龍馬とお龍~命をかけた夫婦愛~」も、龍馬伝では京都の2人の出会い場面だった。まわりからは「グッドタイミングですね」といわれた。

 私は逐一、龍馬伝を見ているわけでもない。むしろ、影響されないように避けている。月に一度ていど、それも小時TVをのぞき、どの辺りかな? と確認するていどである。

 薩長同盟の取材で、下関市長府博物館、広島大学、京都などを訪ねたのが3月、4月だった。執筆に取りかかったのは5月からだった。
 その頃、TVはたしか勝海舟の神戸海軍操練所(こうべかいぐんそうれんじょ)あたりだった。その流れからすると、龍馬伝の薩長同盟は8月だろうな、とは読んでいた。

 今回のTVは、龍馬が長崎に亀山社中を作り、中岡慎太郎が手がける薩長同盟に乗りだしていた。私はもう薩長同盟を書き終わっているし、執筆に影響されないし、この日は最後まで観た。

 下関に出むいた龍馬が桂小五郎に、犬猿の仲である薩長の和解を勧める。他方で、中岡が薩摩から西郷隆盛を下関に連れてくる約束だった。
 西郷が瀬戸内海に入ると、ドタキャンして大坂に向った。薩摩への不信感の強い桂が、怒り狂う。そして、翌週へとつづく。

 私の読者から、「龍馬伝のTVの先取りですね」とすぐさま反応があった。

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反骨精神、臨書の展覧会=東京・銀座

 書宗院展が東京・中央区二丁目の「東京銀座画廊・美術館」で、7月20日から6日間にわたって開催された。古典を手本して書いた、「臨書」の作品を集めている。昭和32年から年1回実施され、今回で54回である。


 過去の開催は武道館、中野サンプラザ、銀座画廊などである。なぜ銀座なのか。

 芸術の森の上野では、書の大展覧会が開催されている。それらは創作もの重視である。臨書は物まねだ? として受け入れていないからだろうと、同展の作品解説者は説明する。

 書の古典は長い時間をかけて鑑賞に堪えてきた、芸術性の高いものだ。最古は3500年前の中国から伝わるものもある。

 芸術・文学はすべて古典から学習する。どの世界においても、先人に学び取る姿勢が大切だ。書の場合は、とくに初心者は古典を手本にして、筆の運び、筆の動きができるようにする。

「臨書は奥行きと幅が広い」と吉田翠洋さんは語る。
 一通りの筆遣いが出来たならば、手本から離れ、創作ものに移る必要があるのだろうか。どこまでも臨書の世界を追求する姿勢、古典に近づく、それを越えようと筆を執る。それはあるべき一つの書の道だろう。
 それはもはや真似事とはいえない。創作もの書道との差はない。

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小さな一歩が世界を変える=TBS・秋沢淳子さん

 TBSアナウンサー・秋沢淳子さんは報道、情報番組を中心に活躍している。他方で、個人的なボランティア活動を行なう、異色の人材である。
 彼女は埼玉県・飯能市の出身で、高校時代にはAFS交換留学生(すべてボランティアで成り立つ)として、ニュージーランに一年間留学し、そこでボランティア精神を磨いた。
 入局後において、「国際交流団体SPUTNIK JAPAV」を立ち上げ、主にスリランカとガーナに教育支援を推し進めている。

 7月12日、HRM協会「心の経営」実践フォーラムで、秋沢淳子さんは講演した。タイトルは「誰にでもできる~小さな一歩が世界をかえる」で、場所は東京・千代田区のアタックスグループ東京事務所5階セミナールーム。参加者は47人だった。

 なぜスリランカか。
 AFS留学の同期で、スリランカ出身のエシャンタさんが母国の大学を卒業後、日本の大学に留学していた。スリランカは内戦(昨年、やっと停戦)で、多くの子どもたちは教育の機会を奪われていた。現地の学校には図書館がない、本がない。

 日本のほうは少子化の影響で小学校が次々に廃校になっている。エシャンタさんはそれら学校から図書を集め、身銭を切って母国・スリランカに送っている。秋沢さんはそれに共鳴し、ボランティア活動に取り組んだという。

「日本のODA(国際協力 政府開発援助)は、気前よく1億円をぽんと出して学校を作ります。しかし、運営費は出ないのです。箱物(建物)だけを作って、教師や教材がなければ、意味を成しません。だから、日本の援助は感謝されないのです」と明かす。

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かつしか区民大学=花咲く水元公園で、課外講習

 6月下旬は、花しょうぶが咲いているだろうか。
 かつしか区民大学の(私が伝えるかつしか、歩く、撮る、書く)講座は第3回目として、午前、午後を通した課外講習が組み込まれていた。場所は都内随一の花しょうぶが咲く都立水元公園(葛飾区)である。花しょうぶが終わり、枯れた光景ではさえない。気をもんでいた。

 この講座は葛飾を伝えるミニ記者の養成である。課外活動としては、写真の撮り方、取材(インタビュー)の仕方が中心になる。枯れても記事になるが、華やかなほうが良いに決まっている。

 今年は寒い日が多く、開花が後ろ倒し、という花情報だった。期待したとおり、6月20日は華麗な花しょうぶ、豪華なアジサイ、清廉なハスの花が三つ巴で見ごろだった。

 同日の朝10時(日)、受講者17人は葛飾区東金町地区センターに集合した。スタートの30分間は、課外活動のポイント(指導説明)を行なった。

【写真の上手な撮り方】のポイントとして、スライドを使って、
  ①日の丸方式のとり方はやめましょう
  ②三分分割法(黄金分割法)の法則
  ③構図の中に、斜め、曲線、S字型の取り込み
  ④無駄なもの、目障りなもの、それらを取り込まない。
  ⑤被写体は近づいて撮影する
 これらを特に強調した。

 受講生とともに、水元公園に出向いた。花しょうぶ、はすの花が盛りで、被写体としては申し分がない、好条件だった。

午前中は写真指導を中心に行なった。

  ・大きな時計台を構図の中に取り込めば、時間がそれとなくわかる、
  ・釣り人が白さぎに魚を与える。岸辺のL字を取り込んで、遠近感を出す。
  ・尺八演奏グループでは、人物の取り込み方。(日の丸方式でなく)
  ・菖蒲の絵を画く人。キャンバスの裏側は余計だから入れない。

           

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東京スカイツリーの最高の景勝地は 下町の4つの河川のどこか?

「最高」とか、「絶対」とか、最上級のことばは作品のなかで、安易に使わないように。小説講座、エッセイ教室で、区民大学などで、受講生たちに指導している。「最高」といっても、多くの場合は書き手の思い込み、単なる強調用語で、根拠がない。そのうえ、すべてを吟味し、比較したうえでないから、最高がほんとうに真実なのか、となると疑わしい。あいまいなケースが多い。

 東京タワーは素敵な形状だ。愛宕山の周辺からみると、豪快に聳(そび)え立つ。それよりも、ちょっと距離を置いた、お台場からみた景観のほうが勝っている、と思う。とくに夜景の場合は、レインボーブリッジ、汐留のビル群の灯火の美観と重なり合い、とても美しい。


 東京スカイツリー(完成時・634メートル)は世界一のタワーだ。押上や業平橋からだと、三角関数ではないが、距離がないし、見上げても、視界が鋭角過ぎてしまう。首を折り曲げて見上げるよりも、隅田川、荒川、中川、江戸川など、川を含めた情感のほうが勝ると思う。ただ、江戸川は遠い。

 3つの川からのタワーを比較すれば、どこが一番か。

     

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