ジャーナリスト

1960年代にタイムスリップした、下町の商店街

『ジャーナリスト』のコーナーでは、『東京下町の情緒100景』を紹介している。現在は40景まできた。
 浅草、柴又のような観光地は外している。葛飾区内を中心とした下町の情感ある、素朴で地味な姿を紹介してきた。商店はコマーシャルになりやすい、という先入観から、店舗に特徴があっても取り上げなかった。むしろ、排除してきた。


 昨年の初夏のことだった。学友たちと京成立石駅裏にある、安い酒場で呑むことに決めた。かれらは待ち合わせ時間よりも早くやってきて、町を散策していたのだ。
「東京にも、こういう町がまだ残っていたんだな」
 と異口同音に驚嘆していた。
 それからやみつきになって、学友は折々にやってくる。


 荒川の四つ木から、立石、青砥、高砂へと、斜めに北上する道路がある。両側には、古い商店が切れ間なくならぶ。延べ10キロはあるだろう。
 戦後のいち時期は、東京下町の商店街で随一といわれた。栄枯盛衰で、いまや時代の流れに遅れてきた。閉った店も多い。
 しかし、駅周辺ではことのほか繁盛する店が目立つ。住民たちは行列を作って、できたて、揚げたての食材を待つ。店構え、売り方も、商品のあつらえ方も、昭和40年代の面影を残す。


「ひとから言われて、自分のすむ町を見直す」
 カメラを持って2、3キロ四方を歩いてみた。被写体として商店をみると、別の面が浮かんできた。そこには下町の情緒、人情の原点があった。戦後史のにおいが残るような店もある。

 手作りの店がことのほか多いのにも気づいた。この界隈では、夫婦して町工場や商店街で働く人が多い。『出来合いのもの』を買う度合いが高くなる。それらが発達し、伝統の味として残っているようだ。


 バス通りから仲見世に入る、角の店が煎餅屋(37番目で紹介)だ。手焼き煎餅のいい匂いがいつも漂う。ここからはじまった。
「おばさん、写真を撮らせて」
「いいよ」
 職人はアップで撮りたいので、技能をもつ店ではすべて一言、承諾を得てから、シャッターを押した。
 買物客と職人と客との間で、親しみのある口調の下町の情感が漂う会話がある。それらをエッセイ風に書き込みながら、ビジュアルに紹介することに決めた。


 写真からの検索:穂高健一の世界へようこそ(編集:蒲池潤さん)

   ※こちらのコーナーでも、近日中に、上記の記事がアップされます。(編集中)

無恥と、無知と、無智と、

 私的な感情から物をいえば、物を買う立場だからと、偉そうにしている奴らは大嫌いだ。金を払う立場だから、自分の言い分は通ると思い込んでいる人間。威張っている、「俺は客だ」と口にする人間たちだ。

ある光景。「みかん箱を買って帰ったら、腐っている物が入っていた」と店員に激怒している。みかんは熟した、やや腐りかけ手前が最も美味しい。知識がないといってしまえば、それまでだが、怒り方が半端でない。
平謝りの店員。産地から来たものをそのまま箱売りだから、確認の手段がなかったのだから、仕方ない話しだ。自己主張とか、釈明とかもなく、ただ謝っている。

ある光景。レストランで、大声でしゃべり、スカートを捲し上げて胡坐を組む女。ストローで、水を掛け合う。スニーカーを椅子の上に乗せて、横向きにからだを投げ出している男。若さだから許される面もあろう。注意できない回りのお客の態度。当人たちに注意できず、店員に苦情を言う。金を払う相手だから、言い易いのか。

ある光景。

シニア演劇の『演多亭』で、カメラマン

 長い間、文筆活動をしてきたが、カメラマンの要請は初めてだった。15日、『演多亭』の演劇を一人ひとり撮影した。

 演多亭は中高年のアマチアと、プロ演芸人まで幅広い団体だ。落語、踊り、大道芸、万段、魔術、似顔絵、漫画とジャンルは広い。各自治体や企業などのイベントからお呼びがかかる。

 団塊の世代がいよいよ3月末から60歳代になる。リタイアしたあとに、演劇の道に入りたいと希望する人は多いだろう、と見越す。団塊の世代を受け入れる。その準備を推し進めるためにも、新たにパンフレットをリニュアルすることになったようだ。そのための写真撮りだった。

『団塊世代を受け入れ準備に忙しい、演芸団』。このようなタイトルで、その活動ぶりをPJニュースに書くつもりだ。

美人女優たちから、うれしい感想がとどく

 新年の記事として、『女劇TOKYO23KU』の女優たちを取り上げた。うれしい感想が聞けた。幾つか抜粋して紹介したい。同時に、更なる飛躍を期待したい。



 台東くん「女劇TOKYO23KUで2006年を終え、女劇TOKYO23KUで2007年を迎えてました。(記事にたいして)早く恩返しが出来るよう気持を締め直して参ります」


 品川くん「おめでとうございます。記事読ませていただきました。(記事による紹介で)確実に私達のことを理解して下さる方が増えていると確信しています。なので、記事に負けないくらい私も女劇で頑張ります」


 板橋くん「早速拝見させて頂きました。とても丁寧にどんな方々が読んでも分かりやすく、私達たちの今までのことやり、今回の舞台のことなども、加え伝えてくれている記事になっています」


 豊島くん「自分達のして来たことが、このように活字になって読者の方に伝わるのかと思うと、とても嬉しいです。今お正月で実家に帰省していますが、親にも記事を見せ、ちょっとは私のしている活動を分かってもらうことが出来ました。(もちろん前回の記事も見せています)年明け早々、本当にどうもありがとうごさいました」


「ご参考までにですが、本日、朝日新聞朝刊の東京版にも記事が掲載されました。本年もよろしくお願いします」。事務局、弓山さんからも。


 港くん「上、中、下の記事を両親と一緒に拝見させて頂きました。ありがとうございます。感動です。感激です。感謝です。美人女優…びっ美人!?という のは置いときまして。記事に恥じないよう精進いたします」


 足立くん「PJニュース見させて頂きました。三回にわたって私たちの事を、簡潔かつ的確な文章でお知らせして下さり、有難うございます!!!こうやって応援し、何らかの形にして下さって本当に嬉しいです。期待に応えられるよう、本年はさらにパワーアップします! また、お会い出来る日を楽しみにしております」


 太田くん「激励のおことばは、いつも私たちの心を勇気付けてくれます。今年も頑張ります。ロックギターも頑張ります」

 練馬くん「livedoorの記事(下)に掲載されていた私、練馬くんの台詞で『私は泊原発のすぐ近くの町に住んで、二十四時間被爆している。…』の場面では凄く苦戦しました。
 実際に、当時中学二年の女の子が泣きながら発した言葉です。伝える事は難しい。でも、私達にはまだ伝えていかなきゃいけない事がたくさんあります。これからも日々精進していきます」


 文京くん「自分達がやったことを、人からこのように書いていただけて、すごくうれしかったです!! まだまだ未熟ですが 表現したものをきちんと評価してもらえる!! これはすごいことだと思います(^^)
 活字では表現できませんが 心から感謝です(*^-^*)」

『世田谷一家惨殺事件』の取材

 ある出版社から、4月に発刊する総合雑誌に載せるための記事を一本頼まれた。それは『世田谷一家絞殺事件』の犯人に迫ってほしいというものだ。

 警視庁・本庁(桜田門)の広報課に電話で、「成城警察署の特別捜査本部」の取材を申し込んだ。予想通り、断られた。

 同事件が起きたのは二十世紀の最後の日だった。00年12月31日、大晦日の朝に、世田谷区で一家4人が殺される悲惨な大事件が発覚したのだ。六年経つが未解決である。

 12月25日には、世田谷区上祖師谷の現場取材に出向いた。ある若者たちとの出会いから、一つの推論が生まれた。
 犯人像としては『16歳から18歳未満のフリーター』というものだった。そこには遺留品と合致するものが多かった。


          殺された宮沢みきおさんは、ふだんローラースケート、スノボー
          が、うるさいと悩まされていた。(住民の証言)。
          犯人はこちら側の、宮沢家の2階の裏手窓から侵入したと見なさ
          れている。

 
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  取材メモは、『穂高健一ワールド』の 『ジャーナリスト』に掲載

『世田谷一家惨殺事件』の顔のない犯人を追って

  世田谷区上祖師谷で、宮沢みきおさん(44)を含む一家4人が殺されたのは、00年12月30日未明だった。事件からすでに6年が経つ。12月25日、世田谷へと取材に出かけた。


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 殺害現場の近隣に住む、松延さんとは朝10時に会った。松延さんは、『野良猫の虐待は、惨殺な犯罪への道か』のPJニュース記事に協力してくれたひとだ。約2時間ばかり同事件について聞くことができた。

「最近になって、特別捜査本部の刑事が大幅に入れ替わり、新たな体制で捜査の出直しを図ったようです」。捜査人はあらためて周辺住民に、指紋とDNA鑑定に必要な唾液の提出の協力を求めていると教えてくれた。

 殺人犯が指紋提出に応じるとは思えない。住民にすれば、捜査に応じなければ、疑わしいと思われる。それが嫌で、多くが指紋採取に応じているようだ。捜査人は殺人犯が現場周辺に住むと信じ込んでいるから、そこに労力を費やしているのだろう。

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学友の集り、12月は『どぜう鍋』で忘年会

 今回は学友仲間が、新橋に移った。集合したのは烏森口改札口で、夕暮れ時だった。サラリーマン層を中心とした、大勢の人波だ。隠遁の身の元教授は「人間に酔ってしまう。それでも、年齢が高い新橋はがまんができるが、ギャルを中心した渋谷の街は耐え切れない」と語る。

    (撮影:元教授)


 いわれて回りをみると、人生の半分を過ごしてきた、中古ぎみの年齢層が目立つ。

 元焼いも屋が推奨する店は、西新橋にあった。「やや年配だけど、、美人女将が取りしきっている」という焼き鳥屋だった。異性への好みはそれぞれだから、こまかな論評はしないが、女将の顔立ちは悪くなかった。

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第34回ホノルルマラソン。日本人1位を狙う、平沢直樹さん

『元気100・エッセイ教室』が30日、新橋で実施された。(14作品提出・2人欠席)。教室が終了した後、幹事の取り計らいで、全員参加による忘年会がおこなわれた。酒宴の席は盛り上がっていた。
 19時ころ、一本の電話が入ってきた。半年ぶりに聞く声で、市民ランナーの平沢直樹さんだった。「ハワイ・ホノルルマラソンで、日本人1位を狙っています」という内容だった。

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東京下町の情緒100景は、25作品まで進む

 100景は4分の1の折り返し、25作品まで進んできた。蒲池潤さんが、写真付きでリライトして紹介してくれている。謝意を表したい。同時に、ここで紹介したい。

     25景を写真で観る東京下町の情緒100景
     写真をクリックすれば、リライト記事まで入れます。


 当初、【ジャーナリスト】ではどんなものを書くべきか、と思慮と迷いがあった。PJニュースとダブらないもの。これが最低の条件だった。考えた末に、メディアにも、PJニュースにも載らないような、小さなニュースを取り上げ、写真と記事で紹介してみようと決めた。
 
 タイトルとして、『下町の情緒』が浮かんだ。住まいは葛飾区で、『寅さん・映画』の舞台にもなった処だ。掘り下げていけば、それなりに材料はあるだろうと考えた。無名の、小さな素材を取り上げたうえで、一本ずつ味がある文章で仕上げていく。じっくり情緒を味わってもらう作品にする、と方向を決めた。

 

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フリーターたちよ、胸を張れ、大いに発言せよ

 会社の正社員でなく、臨時採用者の2、30代をフリーターと呼ぶ。定職を持たず、転職を重ね、プラプラしているイメージ、あるいは堕落的な概念で、メデアで取り上げられることが多い。

 江戸時代には藩主の下で、家臣として生涯忠義を尽くし、使える。こうした人物が最も尊ばれた。他方で、脱藩した素浪人はさげすまれた。現在に置き換えると、学校を卒業し、企業に正社員として就職し、終身雇用の下で、永年使える。これら正社員が社会の正統派だと思われている。
  諸般の事情から高校や大学を中退したり、あるいは勤めた企業を辞めて、一時的に職を得ているフリーターを『落ちこぼれ』という目で見る風潮がある。

 かれらフリーターの実態が正確に伝わっていない。他方で、かれらには社会に向かって発言する場が少ない。正面から真摯に取り上げるメディアもほとんどない。
 そこで豊島区在住のフリーター3人に、PJニュースで実名で、写真を載せる、という条件の下に集まってもらった。男性2名、女性1名。かれらの考え方、生き方、目標、さらには現代社会をどう見ているか、率直に語ってもらった。
 
 3人の話しを聞くかぎり、それぞれが夢や希望をいっぱい持ち、スパイラル・アップしていく意欲に満ちていた。まさに目標に邁進していく姿があった。

 ふと、こう思った。土佐藩を脱藩した坂本竜馬は浪人者だったが、封建体制の徳川幕府打倒の道を切り開いた。現代に置き換えると、既成概念のうえに胡坐をかく正社員は、まさしく幕藩体制の藩士だ。おおきな変化や変革を起こさず、望んでいない。すくなくとも革命的な行動力などもち得ないだろう。

 日本の政治、文化、音楽など、あらゆる分野で、このさき既成概念を打ち破り、まったく新たらしいものを創造する。それはフリーターではないか、と思った。あながち間違っていないだろう。