女子フラッグの新チーム『PINK DIAMONDS』は、豪華メンバーだ
雪の八ヶ岳・硫黄岳の登山。3部構成
八ヶ岳の硫黄岳で、滑落のアクシデントが起きてしまった。
① 登山の詳細はPJニュースで、しっかり書き込んだ。
② めずらしい写真撮りができたので、『登山家』のコーナーで、写真集として紹介した。
③ 今回のアクシデントを踏まえた、掌編・私小説『小さな生命の旅』を書き、『小説家』のコーナーで連載する。
のこぎりキング下田さんのコンサートが大盛況
平沢直樹さんが、佐倉マラソンで2連覇達成=悪条件のレースで圧勝
『第26回佐倉朝日健康マラソン大会』が、25日、千葉県佐倉市の佐倉市岩名運動公園陸上競技場で行われた。主催は佐倉市、朝日新聞社ほか。スタートのときは雨で、気温18度、南風。ランナーにとって、冷雨で震えた『東京マラソン2007』ほど、悪コンディションではなかったようだ。
今回は他の事情で、佐倉マラソンの取材に出向けなかった。夕方、平沢直樹さん(埼玉県所沢市、32)から『2連覇しましたよ』と電話で一報が入ってきた。優勝タイムは2時間34分36秒。
生きがいづくり=堀田力さん(アジア高齢社会国際会議の基調講演)
ホワイトカラー族よ、リタイア後は産業廃棄物になるな
アジア高齢社会国際会議が、15日と16日にわたって国連大学ウタントホール(東京・青山)で開催された。退職後の人生をどう生きるべきか。リタイアメントが主要課題の一つ。
本会議では、堀田力さんが基調講演を行った。テーマは『シニアの生きがいづくり』だった。
団塊の世代のホワイトカラーは高度成長期に、家庭をも振り返らず、深夜遅くまで働いてきた。日曜は寝ているか、ゴルフ。ほかには無趣味。リタイアしてみれば、妻にも嫌われ、家にも落ち着けず、街をさ迷い歩く産業廃棄物となった。
こうしたシニアのいかに生きがいを見出すか。堀田さんは具体的な方策について述べた。
会議の様子はPJニュースの記事として掲載した。高齢化問題に関する国際会議が開催=東京・青山
堀田力さんの講演内容は、穂高健一ワールド『ジャーナリスト』で紹介。
横浜市人形の家で、男児、女児のふたりが活躍
3月3日はモモの節句だ。
昨年は㈱吉徳の資料室の小林すみ江室長、林直輝学芸員から多大な協力が得られた。「ひな祭り」は女性の大好きなイベント「節句(供)は奈良時代に、中国から道教の風習が伝来してきたものです。これに平安時代に始まる「ヒヒナ遊び」(お人形遊び)が加わり、ひな祭りの源流となりました」という説明など、人形の歴史的な推移を伝えることができた。
ことしは横浜市人形の家(石坂浩二館長)で、取材協力が得られた。
ひな人形の顔や姿には著作権がある。人形の写真を掲載する場合は、関係者の許可が必要だ。展示品は江戸、明治、大正、昭和の伝統ある人形ばかり。となると、その手続は煩雑なものだ。
「ひな人形展」の紹介記事となると、写真は不可欠だ。人形の単体でなく、人形展の見学者にウェイを当てた写真、単品では掲載しない約束で、同館の広報課の配慮と協力が得られた。
最近の写真撮影は、肖像権、個人情報の問題と微妙に絡む。報道写真といえども、館内の見学者を好き勝手には撮影できない。協力が得られたのは武内志央凛(しおり)さん、(東京、2歳)と嶋貫遥杜(はると)くん(横浜、2歳)だった。
ふたりは館内ではつらつと動き回る。人形にも強い興味を示す。シャッターチャンスはいくつもある。だが、記事と写真を一人でこなすために、カメラばかり向けていられない。館内の展示品、ひな人形の由来や特徴にもペンを走らせる。
ひな人形関係の記事のイメージが出来上がり、それに見合った写真撮りと構えると、二人の子どもは好奇心が消え、すでに飽きがきていた。いいアングルでも、寝そべったり、母親に抱きついたり、逃げ出したり、思うようにならない。「悪いな」と思いつつも、おなじアングルでシャッターを押しつづけた。
※記事はライブドア・PJニュースに掲載:ひな人形と、青い目の人形との出会い=横浜
※ 『ライブドア・PJニュース』と『穂高健一ワールド』の写真を大きく見る方法。
写真の上にカーソルを置き、左クリックしますと、拡大されます
日大医学部爆破事件の容疑者・医大生のミス
東京板橋区・日大医学部で、地下一階の学生ロッカーが手製爆発物で爆発された事件が2月14日に発生した。犯行後には同大学に脅迫状が届いていた。
警視庁捜査一課と板橋警察署の捜査本部は21日、日大医学部5回生の学生(24)を逮捕したと発表した。捜査関係者によると、豊島区内のA店で、犯行に使われたタイマーと電気コンロを同時に買う者がいた。そこから容疑者にたどり着けたという。
1960年代にタイムスリップした、下町の商店街
『ジャーナリスト』のコーナーでは、『東京下町の情緒100景』を紹介している。現在は40景まできた。
浅草、柴又のような観光地は外している。葛飾区内を中心とした下町の情感ある、素朴で地味な姿を紹介してきた。商店はコマーシャルになりやすい、という先入観から、店舗に特徴があっても取り上げなかった。むしろ、排除してきた。
昨年の初夏のことだった。学友たちと京成立石駅裏にある、安い酒場で呑むことに決めた。かれらは待ち合わせ時間よりも早くやってきて、町を散策していたのだ。
「東京にも、こういう町がまだ残っていたんだな」
と異口同音に驚嘆していた。
それからやみつきになって、学友は折々にやってくる。
荒川の四つ木から、立石、青砥、高砂へと、斜めに北上する道路がある。両側には、古い商店が切れ間なくならぶ。延べ10キロはあるだろう。
戦後のいち時期は、東京下町の商店街で随一といわれた。栄枯盛衰で、いまや時代の流れに遅れてきた。閉った店も多い。
しかし、駅周辺ではことのほか繁盛する店が目立つ。住民たちは行列を作って、できたて、揚げたての食材を待つ。店構え、売り方も、商品のあつらえ方も、昭和40年代の面影を残す。
「ひとから言われて、自分のすむ町を見直す」
カメラを持って2、3キロ四方を歩いてみた。被写体として商店をみると、別の面が浮かんできた。そこには下町の情緒、人情の原点があった。戦後史のにおいが残るような店もある。
手作りの店がことのほか多いのにも気づいた。この界隈では、夫婦して町工場や商店街で働く人が多い。『出来合いのもの』を買う度合いが高くなる。それらが発達し、伝統の味として残っているようだ。
バス通りから仲見世に入る、角の店が煎餅屋(37番目で紹介)だ。手焼き煎餅のいい匂いがいつも漂う。ここからはじまった。
「おばさん、写真を撮らせて」
「いいよ」
職人はアップで撮りたいので、技能をもつ店ではすべて一言、承諾を得てから、シャッターを押した。
買物客と職人と客との間で、親しみのある口調の下町の情感が漂う会話がある。それらをエッセイ風に書き込みながら、ビジュアルに紹介することに決めた。
写真からの検索:穂高健一の世界へようこそ(編集:蒲池潤さん)
※こちらのコーナーでも、近日中に、上記の記事がアップされます。(編集中)