ジャーナリスト

のこぎりキング下田さんのコンサートが大盛況

 下田尚保さんは世界最大のノコギリをつかった演奏家だ。4月1日、東京・西新井文化ホールで、第5回目のチャリティー・コンサートをおこなった。観客は約600人。わが国では下田さんほど、大勢の観客を集められる、ノコギリ・アーチストは他にいない。

 ふだんの下田さんはパリ公演、豪華客船「にっぽん丸」のクルーズでの演奏、浅草東洋館バラエティーにも招かれる。活動範囲の広い下田さんをPJニュースで紹介する予定。いい機会だから、コンサート風景の撮影撮りに出向いた。


 

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平沢直樹さんが、佐倉マラソンで2連覇達成=悪条件のレースで圧勝

『第26回佐倉朝日健康マラソン大会』が、25日、千葉県佐倉市の佐倉市岩名運動公園陸上競技場で行われた。主催は佐倉市、朝日新聞社ほか。スタートのときは雨で、気温18度、南風。ランナーにとって、冷雨で震えた『東京マラソン2007』ほど、悪コンディションではなかったようだ。

 今回は他の事情で、佐倉マラソンの取材に出向けなかった。夕方、平沢直樹さん(埼玉県所沢市、32)から『2連覇しましたよ』と電話で一報が入ってきた。優勝タイムは2時間34分36秒。

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生きがいづくり=堀田力さん(アジア高齢社会国際会議の基調講演)

 47年生まれが、今年は60歳定年を迎える。高度成長期に一生懸命、夜遅くまで働いてきた世代だ。自宅には寝に帰るだけだった。当時は、『夫は働いて、妻は家庭を守る』という考えがあった。


 そういう時代にしろ、ホワイトカラーと呼ばれた勤め人は一週間も子どもの顔を見ない生活がつづいた。日曜日はただ寝ているか、会社の仲間とゴルフに出かけるだけだ。

 家庭内でのふれ合いがない生活、地域との関わりすらもなかった。そのうえ、趣味はない。
 そういう夫が定年を迎えたのだ。仕事がなくなると、何をしていいのかわからない。友だちもいない、という状態に陥るのだ。

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ホワイトカラー族よ、リタイア後は産業廃棄物になるな

 アジア高齢社会国際会議が、15日と16日にわたって国連大学ウタントホール(東京・青山)で開催された。退職後の人生をどう生きるべきか。リタイアメントが主要課題の一つ。
 

 本会議では、堀田力さんが基調講演を行った。テーマは『シニアの生きがいづくり』だった。
団塊の世代のホワイトカラーは高度成長期に、家庭をも振り返らず、深夜遅くまで働いてきた。日曜は寝ているか、ゴルフ。ほかには無趣味。リタイアしてみれば、妻にも嫌われ、家にも落ち着けず、街をさ迷い歩く産業廃棄物となった。
 こうしたシニアのいかに生きがいを見出すか。堀田さんは具体的な方策について述べた。

 会議の様子はPJニュースの記事として掲載した。高齢化問題に関する国際会議が開催=東京・青山

 堀田力さんの講演内容は、穂高健一ワールド『ジャーナリスト』で紹介。
 

横浜市人形の家で、男児、女児のふたりが活躍

 3月3日はモモの節句だ。
 
 昨年は㈱吉徳の資料室の小林すみ江室長、林直輝学芸員から多大な協力が得られた。「ひな祭り」は女性の大好きなイベント「節句(供)は奈良時代に、中国から道教の風習が伝来してきたものです。これに平安時代に始まる「ヒヒナ遊び」(お人形遊び)が加わり、ひな祭りの源流となりました」という説明など、人形の歴史的な推移を伝えることができた。

 
 ことしは横浜市人形の家(石坂浩二館長)で、取材協力が得られた。

 ひな人形の顔や姿には著作権がある。人形の写真を掲載する場合は、関係者の許可が必要だ。展示品は江戸、明治、大正、昭和の伝統ある人形ばかり。となると、その手続は煩雑なものだ。

「ひな人形展」の紹介記事となると、写真は不可欠だ。人形の単体でなく、人形展の見学者にウェイを当てた写真、単品では掲載しない約束で、同館の広報課の配慮と協力が得られた。


 最近の写真撮影は、肖像権、個人情報の問題と微妙に絡む。報道写真といえども、館内の見学者を好き勝手には撮影できない。協力が得られたのは武内志央凛(しおり)さん、(東京、2歳)と嶋貫遥杜(はると)くん(横浜、2歳)だった。


 ふたりは館内ではつらつと動き回る。人形にも強い興味を示す。シャッターチャンスはいくつもある。だが、記事と写真を一人でこなすために、カメラばかり向けていられない。館内の展示品、ひな人形の由来や特徴にもペンを走らせる。


 ひな人形関係の記事のイメージが出来上がり、それに見合った写真撮りと構えると、二人の子どもは好奇心が消え、すでに飽きがきていた。いいアングルでも、寝そべったり、母親に抱きついたり、逃げ出したり、思うようにならない。「悪いな」と思いつつも、おなじアングルでシャッターを押しつづけた。


 ※記事はライブドア・PJニュースに掲載:ひな人形と、青い目の人形との出会い=横浜

※ 『ライブドア・PJニュース』と『穂高健一ワールド』の写真を大きく見る方法。

写真の上にカーソルを置き、左クリックしますと、拡大されます

日大医学部爆破事件の容疑者・医大生のミス

 東京板橋区・日大医学部で、地下一階の学生ロッカーが手製爆発物で爆発された事件が2月14日に発生した。犯行後には同大学に脅迫状が届いていた。


 警視庁捜査一課と板橋警察署の捜査本部は21日、日大医学部5回生の学生(24)を逮捕したと発表した。捜査関係者によると、豊島区内のA店で、犯行に使われたタイマーと電気コンロを同時に買う者がいた。そこから容疑者にたどり着けたという。

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1960年代にタイムスリップした、下町の商店街

『ジャーナリスト』のコーナーでは、『東京下町の情緒100景』を紹介している。現在は40景まできた。
 浅草、柴又のような観光地は外している。葛飾区内を中心とした下町の情感ある、素朴で地味な姿を紹介してきた。商店はコマーシャルになりやすい、という先入観から、店舗に特徴があっても取り上げなかった。むしろ、排除してきた。


 昨年の初夏のことだった。学友たちと京成立石駅裏にある、安い酒場で呑むことに決めた。かれらは待ち合わせ時間よりも早くやってきて、町を散策していたのだ。
「東京にも、こういう町がまだ残っていたんだな」
 と異口同音に驚嘆していた。
 それからやみつきになって、学友は折々にやってくる。


 荒川の四つ木から、立石、青砥、高砂へと、斜めに北上する道路がある。両側には、古い商店が切れ間なくならぶ。延べ10キロはあるだろう。
 戦後のいち時期は、東京下町の商店街で随一といわれた。栄枯盛衰で、いまや時代の流れに遅れてきた。閉った店も多い。
 しかし、駅周辺ではことのほか繁盛する店が目立つ。住民たちは行列を作って、できたて、揚げたての食材を待つ。店構え、売り方も、商品のあつらえ方も、昭和40年代の面影を残す。


「ひとから言われて、自分のすむ町を見直す」
 カメラを持って2、3キロ四方を歩いてみた。被写体として商店をみると、別の面が浮かんできた。そこには下町の情緒、人情の原点があった。戦後史のにおいが残るような店もある。

 手作りの店がことのほか多いのにも気づいた。この界隈では、夫婦して町工場や商店街で働く人が多い。『出来合いのもの』を買う度合いが高くなる。それらが発達し、伝統の味として残っているようだ。


 バス通りから仲見世に入る、角の店が煎餅屋(37番目で紹介)だ。手焼き煎餅のいい匂いがいつも漂う。ここからはじまった。
「おばさん、写真を撮らせて」
「いいよ」
 職人はアップで撮りたいので、技能をもつ店ではすべて一言、承諾を得てから、シャッターを押した。
 買物客と職人と客との間で、親しみのある口調の下町の情感が漂う会話がある。それらをエッセイ風に書き込みながら、ビジュアルに紹介することに決めた。


 写真からの検索:穂高健一の世界へようこそ(編集:蒲池潤さん)

   ※こちらのコーナーでも、近日中に、上記の記事がアップされます。(編集中)

無恥と、無知と、無智と、

 私的な感情から物をいえば、物を買う立場だからと、偉そうにしている奴らは大嫌いだ。金を払う立場だから、自分の言い分は通ると思い込んでいる人間。威張っている、「俺は客だ」と口にする人間たちだ。

ある光景。「みかん箱を買って帰ったら、腐っている物が入っていた」と店員に激怒している。みかんは熟した、やや腐りかけ手前が最も美味しい。知識がないといってしまえば、それまでだが、怒り方が半端でない。
平謝りの店員。産地から来たものをそのまま箱売りだから、確認の手段がなかったのだから、仕方ない話しだ。自己主張とか、釈明とかもなく、ただ謝っている。

ある光景。レストランで、大声でしゃべり、スカートを捲し上げて胡坐を組む女。ストローで、水を掛け合う。スニーカーを椅子の上に乗せて、横向きにからだを投げ出している男。若さだから許される面もあろう。注意できない回りのお客の態度。当人たちに注意できず、店員に苦情を言う。金を払う相手だから、言い易いのか。

ある光景。

シニア演劇の『演多亭』で、カメラマン

 長い間、文筆活動をしてきたが、カメラマンの要請は初めてだった。15日、『演多亭』の演劇を一人ひとり撮影した。

 演多亭は中高年のアマチアと、プロ演芸人まで幅広い団体だ。落語、踊り、大道芸、万段、魔術、似顔絵、漫画とジャンルは広い。各自治体や企業などのイベントからお呼びがかかる。

 団塊の世代がいよいよ3月末から60歳代になる。リタイアしたあとに、演劇の道に入りたいと希望する人は多いだろう、と見越す。団塊の世代を受け入れる。その準備を推し進めるためにも、新たにパンフレットをリニュアルすることになったようだ。そのための写真撮りだった。

『団塊世代を受け入れ準備に忙しい、演芸団』。このようなタイトルで、その活動ぶりをPJニュースに書くつもりだ。

美人女優たちから、うれしい感想がとどく

 新年の記事として、『女劇TOKYO23KU』の女優たちを取り上げた。うれしい感想が聞けた。幾つか抜粋して紹介したい。同時に、更なる飛躍を期待したい。



 台東くん「女劇TOKYO23KUで2006年を終え、女劇TOKYO23KUで2007年を迎えてました。(記事にたいして)早く恩返しが出来るよう気持を締め直して参ります」


 品川くん「おめでとうございます。記事読ませていただきました。(記事による紹介で)確実に私達のことを理解して下さる方が増えていると確信しています。なので、記事に負けないくらい私も女劇で頑張ります」


 板橋くん「早速拝見させて頂きました。とても丁寧にどんな方々が読んでも分かりやすく、私達たちの今までのことやり、今回の舞台のことなども、加え伝えてくれている記事になっています」


 豊島くん「自分達のして来たことが、このように活字になって読者の方に伝わるのかと思うと、とても嬉しいです。今お正月で実家に帰省していますが、親にも記事を見せ、ちょっとは私のしている活動を分かってもらうことが出来ました。(もちろん前回の記事も見せています)年明け早々、本当にどうもありがとうごさいました」


「ご参考までにですが、本日、朝日新聞朝刊の東京版にも記事が掲載されました。本年もよろしくお願いします」。事務局、弓山さんからも。


 港くん「上、中、下の記事を両親と一緒に拝見させて頂きました。ありがとうございます。感動です。感激です。感謝です。美人女優…びっ美人!?という のは置いときまして。記事に恥じないよう精進いたします」


 足立くん「PJニュース見させて頂きました。三回にわたって私たちの事を、簡潔かつ的確な文章でお知らせして下さり、有難うございます!!!こうやって応援し、何らかの形にして下さって本当に嬉しいです。期待に応えられるよう、本年はさらにパワーアップします! また、お会い出来る日を楽しみにしております」


 太田くん「激励のおことばは、いつも私たちの心を勇気付けてくれます。今年も頑張ります。ロックギターも頑張ります」

 練馬くん「livedoorの記事(下)に掲載されていた私、練馬くんの台詞で『私は泊原発のすぐ近くの町に住んで、二十四時間被爆している。…』の場面では凄く苦戦しました。
 実際に、当時中学二年の女の子が泣きながら発した言葉です。伝える事は難しい。でも、私達にはまだ伝えていかなきゃいけない事がたくさんあります。これからも日々精進していきます」


 文京くん「自分達がやったことを、人からこのように書いていただけて、すごくうれしかったです!! まだまだ未熟ですが 表現したものをきちんと評価してもらえる!! これはすごいことだと思います(^^)
 活字では表現できませんが 心から感謝です(*^-^*)」