A010-ジャーナリスト

第一原発から7キロに入る、3・11被災日にタイムスリップ=冨岡駅周辺

 2013年4月16日、フクシマ第一原発の事故現場に近い、浜通りに入った。

 フクシマ第二原発がある楢葉町と冨岡町の一部は、昼間に限って入れる。事故を起こした第一原発がある、双葉町と大熊町はいまだ昼夜問わず立ち入り禁止である。

 案内してくれる歴史専門家と、楢葉町役場に立ち寄った。住民課の窓口に女性が2人がいた。他は無人。なぜ2人が交代で詰めているのか。放射能は気にならないのか。奇異な感じがした。

 町役場の機能は3・11の直後から、いわき市と会津美里町に移っている。ただ、同町には避難しなかった人が4人ほどいると聞く。その人たちのために、住民課を開けているのだろうか。


 JR富岡駅は、3・11の大津波の直撃を受けた。

 駅員も住民も、町民はみんな避難したまま、富岡町には帰ってこれなかった。

 津波で破壊された状況が、そのまま残されていた。


 大津波で、電車の架線を支えるコンクリート・ポールが折れていた。

 柱は円形だから、水の抵抗は少ないと思う。それでも高さ5mほどのところで折れている。

 大津波のすごさが如実に伝わる。



 線路のなかには乗用車が入り込んでいる。

 2年1か月間、放置されたままなのだ。

 放置というよりも、人間の手が入れられなかったのだ。

 富岡駅は「スーパーひたち」特急が停車する。こうした駅すらも無人だから、どこかローカル線の旅に来たのような錯覚に陥る。


 駅構内には乗用車が投げ出されている。

 乗っていた人は無事だったのか、あるいは津波で命を落としたのか。

 いまはそれを知る由もなかった。


 『冨岡町の見どころ紹介』が妙に痛々しい。観光案内所だったのか。

 この町に観光客が来る日があるのだろうか。



 中華料理屋の従業員は避難できているのだろうか。


 駅から見える、約200先の民家の屋根が崩れ落ちていた。壊れ方からすると、地震でなく、大津波で柱が折れたようだ。

 東電事故は3・11大地震で、原子炉がすでに被害を受けていた、という説をとる学者? 評論家?がいるようだ。


 宮城沖の震源地から見れば、この場所とフクシマ第一原発と、ほぼ同じ距離にある。

 この民家の破壊を見て類推するかぎり、原発事故は地震でなく、大津波の直撃だとみるべきだろう。



 現代は車社会だ。あちらこちらに破壊された車が放置されている。

 被災当時の状況のまま残っていた。放射能が拡散した状況下において、なす術がないのだろう。

 
 それだけに、タイムスリップした感がある。大津波遺跡のようにすら思えた。


 冨岡駅周辺を見るかぎり、車体は横転し、ボディの底を見せている。これが特徴的だ。

 車は大津波で一度は浮いて流され、勢いの強い引き波で転がるのだろう。

 これはどこまでも、私の推測にすぎない。


 2年経った資料によると、富岡町の死者は大震災で169人で、行方不明者が1人である。(2013年3月11日現在)。

 先刻、富岡町役場周辺を見てきた。町なかの建物はしっかりしていた。犠牲になった町民の多くは、いま私がたっている、海に近い、この周辺で亡くなったのだろう。

 

 小一時間ほどいたが、住民の姿はなかった。

 富岡町の避難先である郡山市に、来月には足を運ぶことに決めた。

 私はどこまでも、人間取材だから。
 


 ここ富岡駅前から、国道4号線を突き進んでみた。

 予想通り1キロぐらい先、第一原発から約6キロあたりで、物々しい警備で通行止めだった。

 

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