A020-小説家

小さな生命の旅 (2)  【掌編・私小説】

 四万(しま)は静寂な山間のV字渓谷にある、細長い温泉地だった。旅館とホテルが混在し、裸樹ばかりの山の斜面にしがみついていた。妻と温泉街から外れて四万川沿いの道を登ってみた。奥まったところに国宝・日向見薬師堂があった。


 日本史が好きだから、神社仏閣を見るのは好きなほうだ。鎌倉、室町、戦国と、それらの時代へと思いをはせるのが好きだから。しかし、賽銭は入れない主義だった。
 
 妻は財布を取り出し、賽銭箱に投げ入れた。神妙な態度で両手を合わせた。そして、ふり向いた。
「拝まないの?」
「賽銭をもってない。財布を持ってきていないから。賽銭をくれよ」
 私はこいに右手を差し向けた。
「ひとから借りて、拝むものじゃないわ」
 おなじ女性と長年にわたって夫婦をやっていると、それでその話題が終わる、とわかっていた。

 私が神仏を拝まないのは宗教的なものでもない。神仏が嫌いという理由でもない。神仏の助けを借りると、自分自身に甘くなる、という信念からだ。それは山登りとは無関係ではなかった。

 私には、『神に祈り、神の力を期待すると、他力本願で、為すすべを放棄してしまう。最大限の努力の放棄に陥りやすい』という考えがあった。。神頼みは死に結びつく可能性が高いという意識があった。

 突如として、発生した滑落の危機。まず、なにを為すべきか。神に祈ることではない。ピッケルを打ち込み、制動へのからだの体勢を整えていく。ところが、意識が神への祈りに向かうと、その分はピッケルワークが1秒、2秒と後手にまわってしまう。
 加速度が増し、制動がまったく利かず、転落死への道に突っ走っていく。

 今回の八ヶ岳・硫黄岳のアクシデントでも、神頼みはなかった。山頂直下のアイスバーンで転倒した。が硬く、転がった姿勢があまりにも悪すぎた。ピッケルで雪面制動への体勢が作れないうちに、数メートル先で、噴火口側の切り立つ断崖に落ちたのだ。

 ザックを背負った身体が、激しく転がり落ちた。私の頭は『上半身の向きを直せ』と自分自身に指示していた。うつ伏せの姿勢取る。こんどは『両脇を引き締めて、ピッケルを打ち込め』と命令する自分がいた。かんたんに停止してくれない。
『もう一度、ピッケルを打ち直せ』と次々に自分に指示を出していた。ここには『神さま、助けて』と叫ぶ意識が入り込める場所などなかった。

 人間にはまちがいなく運、不運はあると思う。登山をすれば、ひゃっ、とすることは何度も経験する。「助かった。ついているな」という考えは持つ。だが、危機の最中に、神さまが助けてくれる、と思わないようにしている。

 日向見薬師堂の賽銭箱のまえで、私はもう一度『神頼みなどしない』という自分の信念、信条を確認していた。

「あなたって、出かけるのに財布を持たない、よく平気ね。なにかあったら、どうするの」
「何もないさ」
「あなたみたいに、賽銭をケチるひとは、神さまも助ける気にはならないわよ」
「多分、そうだろうな」
 私は薬師堂の茅葺屋根が気に入って、建物の四方を見てまわった。そして、『上州四万温泉郷の絵図』の一ヶ所を指し、妻を四万川ダムに誘った。
「よく歩く気になるわね」
 妻はあききれた口調だった。

 薬師堂を背にすると、小さな温泉街だった。そこを抜けると、ダムに向かう整備された道だった。左足はじん帯損傷から30度も膝が曲がらず、なにかの拍子に膝の痛みに襲われる。極力、顔に出さないように努めた。
「連翹(れんぎょう)とヤマブキの違いはわかる? 判らないんでしょ。花音痴だから」
 妻の目は農家の庭先の花や樹木にあった。花弁の輪郭から、これは連翹だという。野花をみつけると、妻が立ち止まる。それが小休止となった。
 妻の花講釈をほどほどに聞き流す。ふたたび片足を引きずり、根気よく歩きはじめる。

 小さな集落を抜けると、青空に屹立する四万川ダムがみえてきた。幅330メートル、堤高さ90メートルの重力式コンクリートダムは威厳に満ちていた。手前の広場は整備された公園で、桜の苗木が並んでいた。



「つぼみはまだ固いね。ここらは一ヶ月先みたいね」
 北風がダムを越えて吹き降ろす。思いのほか肌寒かった。
 ダム上部の放水口から、細い水が漣のように流れている。ダムの傾斜角度は75度のようだ。私は過去に起きた三つの滑落アクシデントの傾斜面と見比べていた。

 前穂高の滑落現場はピークに近い切り立つ雪渓だったことから、おおかた60度くらいだろう。八ヶ岳・硫黄岳は雪氷の急斜面で、前穂高と変わらない角度だった。奥日光の根名草山(2329メートル)の場合はやや緩斜面で、50度くらいの斜面だった。
「ダム湖を見に行かないか? 湖面はきれいだと思う」
 私の狙いは違っていた。四万川ダムの遊歩道の上から、真下を見れば、どのくらいの角度から滑落したのか、三つ山岳の滑落現場の角度の違いがよみがえるだろう。私はそれを確かめてみたくなったのだ。とくにダムの傾斜面は硬いコンクリートだから、身震いするような落差と高度感があるだろう。そうしたなかで、
「こんな急勾配の斜面から、よく生き帰ってきた」
 という生命の実感がつかみたかったのだ。そこには生きている歓びがあると思った。

「本気なの。そんな怪我した足で、あのダムを登るの?」
「垂直に登るわけじゃないし。この絵図に画いている通り、左手に巻き道がある」
「私はいかない」
「せっかくここまで来たんだ」
「私はさきに帰っているから」
 妻はダムに背中を向けて歩きはじめた。本気で、ダム湖に行かないつもりのようだ。
 こちらが反発しても、抵抗しても、こちらを無視した態度で、我を押し通す。さっさと行ってしまう態度は過去から得意だ。こちらがいずれ妥協すると知っているのだ。
 妻の姿が、苔むす石垣の向こうに消えた。

 私はなおも立ち止まってダムの堤を見あげた。あらためて奥日光連山の根名草山の滑落の距離と、ダムの堤の高度差をなおも見比べた。ダムよりも長く滑り落ちたと思う。

 樹林帯のなかで、滑落停止できた私は、血の着いた防寒着とか、下着とかを捲くってみた。わき腹から出血しているが、腸が飛び出しておらず、安堵した。即座に、ザックから救急袋を取りだし、刺し傷口には止血剤を振りかけた。他方で、大腿部の打撲から立ち上がるのがつらかった。

 私は転落場所まで登りつめた。転落したあと、姿が見えなくなったから、死んだと思ったと一歳年上の仲間がそれをくり返していた。登山歴が浅いだけに、独りで下山できるのか、とつよい不安をおぼえたに違いない。おおかた生と死の境目に立たされた心境だったのだろう。嫌な想いさせたと、私はわびた。

 6人ほどのパーティーが後ろからやってきた。山の挨拶で、「どちらに行かれるのですか」と訊く。私は黙っていた。
(6人パーティーは湯元から、根名草を越え、この大嵐山まで、他人のトレースを使っていながら、一言のお礼も言わない)
 そんな反発の目で、私はかれらを見ていた。山男のなかには寡黙で、無愛想な数多くいる。そんな人間の態度を取りつづけた。
「加仁湯か、八丁の湯の山小屋です」
仲間が代わりに応えた。
「歩けますか。服が破れて、血がついていますけど?」
 リーダーが気づかって訊いてきた。
「大丈夫です。今度はあなたたちが作るトレース(雪道)を使わせてもらいます」
 私のことばには皮肉が入っていた。からは皮肉には気づかず、そのまま先に行った。

 柔らかい新雪で、みずからルートを作る苦労に比べたら、6人パーティーの足跡を利用するほうがずっと楽だ。そう思うと、登りルートのトレース使用で礼を言わなかったパーティーへの腹立たしさがふたたび湧き上がった。

 夕日が林間に陽が沈むと、刻々とうす暗くなった。視界が狭まる。口にはしないが、腹部の疼痛と、太腿が腫れ上がり、歩行がつらかった。動きがだんだん鈍くなり、このさきどこまで歩けるか、不安だった。
 ふたりはヘッドランプをつけた。雪面は不思議なもので、光芒を向けると、白一色の雪の凹凸がわからず、フラットになるのだ。幅広い尾根の林のなかで、6人が作ったトレースを見失った。なんとかとレースを探しだす。

 10分ほどしても、またももやトレースが判らなくなった。探す時間ばかりが過ぎていく。月のない闇夜だったことから、主尾根と支尾根との区別がつかない。このまま下山を強行すれば、幅広い主尾根では方向を見失う。支尾根に迷い込むと、ワンデルンク(彷徨)して遭難してしまう。
「ビバークしよう」
「雪山のビバークって、怖いな」
 仲間は、そのことば自体に怖気けてしまった。山小屋に着くのは深夜の12時を越える。
「真夜中の行動になる」
「それでもいい」
「判った。六人パーティーのトレースは止めて、独自の下山ルートを作るから」
 私は地図と磁石を出した。尾根から渓谷にある山小屋に一直線で下ることに決めた。ライトに照らされた磁石の針は、地図の真北よりも5度くらい傾いている。磁北から判断して、谷底へ向かうルートは、北北東ルートだとシビアに見定めた。

 樹林帯は雪が深い。気温が下がった深夜にだけに、氷結した樹間が多く、深く沈まない。下山ルートだから、登りに比べたら、体力の消耗は数段に楽なはずだった。

 しかし、腹部の裂傷と、大腿部の打撲から、思うようには足が持ち上がらない。一歩一歩が苦しみの連続だった。それでも、つねに磁石で方位を確認することだけは怠らなかった。慎重にも、慎重だった。

 日付が変わる24時頃だった。山小屋まではまだ距離がある。右手の林間をみると、ライトの光がチカチカしていた。それは主尾根のルートだとわかった。
(こんな深夜に山登りする連中がいるんだ)
 夜は雪が氷結して固くて、アイゼンが利く。雪上の登りのルートは、ひたすらピークに向かえば事足りるし、迷いが少ない。夜は雪が締まって雪崩が少ない。それを利用する登山者だろう、という認識で眺めていた。

 夜明け前の3時頃、谷底の渓流沿いに降り立った。『可仁湯』と『八丁の湯』の中間で、山小屋の利用者たちが使うトレースがあった。安堵を覚えた。わずかの距離で、トタンを葺いた露天風呂がある『八丁の湯』の山小屋に着いた。そこで遭難騒ぎを知った。

 山小屋に宿泊する6人パーティーが、「根草山で怪我人が出ていた、夜になっても姿を見せない、遭難したんじゃないか」と山小屋の従業員に話したらしい。夜9時になっても、姿を現さないので、近在の小屋関係者が捜索隊を編成し、7、8人で山に入ったのだと教えられた。
(主尾根筋を登る、先刻のライトの点滅は捜索隊だったのか。深夜に、山小屋たちを山頂に向かわせた。迷惑をかけてしまった)
 私は複雑な気持ちになった。

 他方で、6人パーティーが山小屋のひとに余計なことを言ったものだと腹立たしかった。私たち2人は湯元から根名草まで、新雪ルートを作ってきた。雪山で、それなりの技量を持つと、力量が判らないのか。いざとなれば、テントでビバークできるのだ。
 6人パーティーが捜索隊に加わっているわけでもない。妙な怒りをおぼえた。他方で、血に染まった防寒服を見られているから仕方ないか、と自分を納得させた。

 5時半過ぎに、捜索隊が山小屋に入ってきた。「申し訳ありません」と素直にわびた。捜索隊はいちど根名草山の山頂にいった。そこから二人の足跡を見つけながら、辿って降りてきたのだと、捜索隊のリーダーが説明するのだ。
 長老が防寒具を脱ぎながら、薪ストーブの側に乾す。
「主尾根から山小屋への降り方、ルートの取り方は狂いがなかった。真夜中でも、こうも迷いもなく、的確に降りているから、雪山を熟知する登山者だ。遭難していない。ベテランだ。いまごろ山小屋に着いて寝ているぞ。皆でそういったものだ。途中からは足跡探しを止めた」
「遭難者じゃない登山者に、こう言っては悪いけど、苦労したし、酒の一本でも……」とリーダーが控えめな口調で言った。むろん、応じた。
 
 もしも主尾根でビバークしていたならば、捜索隊は有無もいわせず、遭難者発見だというだろう。救出劇の対象にさせられたはずだ。となると、前夜から日当がカウントされるし、7人の2日分を請求されてしまう。膨大な捜索費用との瀬戸際だった。


   第3回目につづく。予定としては、一週間後です

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