A020-小説家

小さな生命の旅 (3)  【掌編・私小説】

 ダムを見上げていた私は、先を行く妻との距離を意識した。同時に、頭のなかから27歳の出来事だった奥日光・根名草山の滑落と遭難騒ぎを打ち払った。
 ここは妻の気持を尊重し、四方ダムの堤に上がることを断念した。そして、渓流沿いの舗装道を引き返えしはじめた。
 数日前の八ケ岳・硫黄岳で傷めた右一歩を踏みだすごとに、膝関節のじん帯を引きつる鈍い痛みがあった。関節はほとんど折れ曲がらず、まるで丸木の義足を付けたような歩行だった。すくなくとも、先を行く妻を追う足取りではなかった。

 私は渓流から湧きあがる音を意識した。雪解け水のような、私の身体の血液までも、冷え冷えさせる響きだった。眼下を見た。渓流の小波が陽と木影をきらめかせる。流れる水は底まで透明に澄む。

 川魚が岩間の藻と戯れていた。あちらにピクッ、こちらにピクッと、水中で跳ねる。回ったり、止まったりして遊び回る。
 私はふと小さな川魚そのものの生命を意識した。

 川魚にすれば、外敵から身を守り、餌をあさり、短い生涯の一瞬、一瞬を懸命に生きているのだ。藻との戯れる小魚だ、と決め付けた自分が恥ずかしくなった。


 八ヶ岳の滑落で、私は生命の大切さが再認識させられたばかり。一人ひとりは小さな生命。その大切さは、人間のみならず、あらゆる動植物もおなじ。小さな魚の生命を侮った、自分をなおも恥じた。

 突如として、林の上空から飛来してきたツバメが降下して舗装道をすれすれに飛ぶ。
 私のまえにくると、ツバメがさっと斜め急旋回で上昇した。別のツバメが横からきて低空で、難なく渓流を飛び越えていく。東京ではほとんど見かけない光景だけに、私の目は執拗に数羽のツバメの旋回を追い続けていた。

 農家の前から、舗道が大きく迂回すると、ツバメの姿が消えた。渓谷の斜面は裸木ばかりで、山肌が素通しで見える。物寂しいだけに、気取った行灯祭りふうな街路灯が目立つ。その先の迂回路も、幹と枝ばかりの雑木林だった。リスが木から木へと飛び歩く。鶯の下手な鳴声が途切れとぎれに聞こえてきた。四万温泉の春はもう目のまえだ。

 この時期の北アルプスの山岳の積雪を意識した。

 高所の深雪は潅木を包み隠すほど残っているだろう。昨年は4月末に燕岳(つばくろだけ)に登った。ことしは残雪が豊富なうちに槍ヶ岳か、穂高連峰に登りたいと、胸のうちで秘かに計画を練っていた。おおまかな日取りも決めていたが、妻には教えていなかった。

(また登るの。立て続けじゃない)
 そんな不快な顔が目に見えているからだ。
(山なんかやめて、すこしは家の手伝いをしたら)
と嫌味をたっぷり聞かされるし、不愉快になるのが落ちだ。登山の日程はぎりぎり直前に伝える。それをつねに心がけていた。
 今年は硫黄岳の滑落から、北アルプスの残雪期の春山登山はダメになった。八ヶ岳の後、北アルプスに行く、と妻に言わなくてよかったと安堵した。もし話していたならば、なんど嫌味を聞くはめになったことか、と。

 小さな橋を渡りきった先で、右手の沢筋から滝の音が聞こえてきた。沢は狭いけれど、水量は豊富な滝だった。
 屋根つきの展望台では、妻が待ちくたびれた顔で、こちらの足取りを見ていた。距離が狭まると、展望台から道路に出てきた。
「遅かったわね」
 妻が坂道を歩きはじめた。
「すこし休ませろよ。着いたばかりだ」
「それで、よくダムに登ろうといったわね、満足に歩けないのに。顔は腫らしているし……」
 妻は尖った口調でいった。
「顔で歩くんじゃない」
「だったら、行こう。バス停には余裕を持って着けば、安心でしょ。あなたはいつもバタバタだから。そんな足で乗り遅れると大変。復路も東京行きは一日一本よ。それに一番前の座席に座りたいから」
 妻が車酔いをおそれる口調でいった。
「余裕がありすぎだ、昼食を食べてもお釣りがくる。ここで膝のじん帯を無理させたら、悪化する。休ませることも大切だ」
 私は展望台への三段ばかりの階段を上った。


『小泉の滝』という名がついていた。上流からの水が岩間から落ち、滝つぼを撃つ。その音が渓谷に木霊す。派手さはないが、スマートな形状のよい滝だった。
「もう山はやめるんでしょうね」
 妻が横に立っていた。
「勝手に決めるなよ」
「懲りない人ね」
 妻の視線が私の横顔に刺さった。
「どんなスポーツでも、ケガは付きものだ」
「私の亡父(ちち)に反対されても、山を止めなかった人だから。ぜったいやめないわよね」
 妻はことあるごとに、ある一つの情景を持ち出す。それは横浜で開かれた親族ボーリング大会で、義父(妻の父)から私が罵倒された光景だ。夫婦ともに27才だった。奥日光の根名草山で、滑落と遭難騒ぎを起こした、その出来事の翌日だった。

 山小屋から下山してきた私は、友人とふたりバスで日光に出た。病院には立ち寄らず、東武日光駅から電車に乗り、浅草駅に着いた。北風が吹く寒い下町の街路を、わが家に向かった。
 自家の室内に入ると、食卓には妻からの一枚のメモがあった。『あなたの帰りが何時になるかわからないから』と前置きしたうえで、妻は一歳半の娘を連れて、先に義父が主催する、横浜桜木町の親族ボーリング大会に出向くという内容だった。

 登山服を脱いだ私は、ピッケルで刺した腹部をあらためて確認した。腸が飛び出していないので、安堵した。消毒と塗り薬だけですませた。ふだん着に着替えようとすると、打撲の左太腿は腫れ上がり、ズボンに満足に通らない状態だった。サイズに余裕あるズボンを選びなおした。
 根名草山の滑落後は気力で帰宅してきた。だが、ひとたび緊張感から開放されると、歩行は困難だし、競技できる状態ではないし、横浜までいく気がなくなった。

 妻の実家は横浜だった。そちらに電話を入れてみたが、もはや出かけたのだろう、虚しい呼び出し音ばかり。ここは無断でボーリング大会をボイコットすれば、義父はまちがいなく憤る。
 義父は親戚や縁者の頂点に立つ人物で、威厳がある。私には娘婿という多少の控えめはあるが、切り込みには遠慮がない。怪我をした姿を見せたくなかった。横浜に行くべきか、否かと逡巡した。
 大会に顔を見せなければ、妻のほうが、(夫は冬山に登った、帰ってきていない? 雪山で遭難?)と騒ぎになるおそれがあった。妻は妙なところで神経が細く、気の弱さがある。泰然自若とはいわないが、ドンと構えていられない性格だ。
(夫が心配だから、自家に帰ってみる)
 と言い出すと、騒ぎを大きくするようなものだ。
 再度の遭難騒ぎはご免だ。私は横浜に向かった。桜木町駅からボーリング場は近かった。妻の従兄弟、親戚、遠縁までも含めた、大きな親族大会だった。各レーンではすでに2ゲーム目に入っていた。私は義父のレーンに歩み寄って、参加できないと断った。
「なぜだ? レーンは借り切っている。無駄にすることはない」
 嘘で取り繕うことも考えた。いずれわかることだ。
「山で怪我したので……」
 私は簡略に足の打撲を教えた。厳格な義父の前だから、ピッケルで腹部を突いたとまでいえなかった。
「これまで冬山は危険だと何度、注意した? 妻子がいることを認識しているのか」
 義父の目は怒りに満ちていた。

 私は無言だった。
「怪我ですんだから良いというものじゃない。冬山なんて、自殺行為だ。自分で生命を断つにいくようなものだ」
 という義父の前で、私は唇をかみ締めた。怪我をしている以上は面と向かって反論できない。心のなかでは義父に反発していた。……冬山登山は危険な面があるけど、自殺行為ではない。力量を無視して氷壁を登攀しているわけでもない。だいいち夏山でも、落雷や断崖からの転落で生命を落とすことがある。


 どんなスポーツでも、リスクは付きまとう。義父には登山経験などない。自殺行為だと勝手に決め付けるな、という態度をとった。それが私の顔に出たらしい。義父の怒りは頂点に達した。
「冬の山は、墓場に入るために登っているようなものだ。遭難死したら、娘と孫はどうなる? どうやって生活していく? そこまで考えて冬山に登っているのか」
 義父が声を荒げた。回りのレーンでは、ボールを抱えた親戚筋がそれとなく横目で、こちらの成り行きを見ていた。義父の怒りを鎮めたり、仲裁したりできるものはいない。
 私がとる無言の態度は続いていた。
「単なる無鉄砲で、命知らずだ。責任感に欠けているだ。所帯持ちになってまでも、冬山に登るなんて、おろかものの行為だ。身勝手で、わがままだ」 
 義父はどこまでも私の登山思考を叩きつぶさなければ、気がすまない態度だ。

(横浜まで、来なければよかった)
 私は憮然とした態度をとった。少なくとも、神妙な態度ではなかった。
「子どもが可愛くないのか」
「子が可愛くない親なんていませんよ」
「結果が物語っている。冬山に登って、大怪我だ。顔にも傷がある。子どもへの愛情があれば、登山は止める。それがふつうの考えだ。頭を打って植物人間になったり、半身不随になったりしたら、だれが世話する。それで、妻子が幸せになれるのか、妻子を泣かす。そこまで考えているのか」
 義父の攻撃はとどまるところを知らなかった。

 私にはこのさき登山事故が皆無とはいえない。それだけに、反論や弁明などができなかったのだ。レーンにボールが転がる音が、私の心のなかで虚しく響く。私の無言が、義父にさらなる力を与えた。
「そもそも結婚する資格などなかった男だ。将来、うちの娘を、子どもを抱えた悲しい未亡人にさせるくらいなら、早めに娘と孫を引き取る。娘はまだ27歳だ。出直せる」
 義父は激しい剣幕だ。資力があるだけに、義父の顔には出戻り娘の生活費と孫の養育などできる、という自負がみなぎっていた。
 妻と私の間を引き裂くつもりか。夫婦の離婚を決めるのは親ではない。私はそんな反論の目をむけた。
「怪我をした人間が、こんなところにいると、競技の目障りだ。帰れ」
 義父が私を追い払った。

 ボーリング場の出入り口に向かった。

 受付台の側で、私はふり返ってみた。妻がいつしか私の後についていた。妻の目が涙で濡れている。抱きあげられて嫌がる幼子の顔までも、落ちた妻の涙で濡れていた。妻は言葉もなくひたすら涙するだけだった。もしも、根名草山で死んでいたら、妻の涙はもっと深刻で、胸の奥が切り裂かれる痛みになっていただろう。
 
 親子三人は、1歳半の娘を歩かせながら、桜木町駅に向っていた。妻は実父よりも、私を選んだという実感があった。やがて、横浜駅で乗り換えた。
 私は婚前に、彼女にある約束をさせた。それが妻の負担になっているのだろうな、と思った。
(結婚しても生涯にわたって、登山を反対しない、それが結婚の唯一の条件だ。反対されるようだと、きみと結婚しない)
 それを承知して結婚したと、妻は実父に伝えていないようだ。それが夫と父親との間に溝を作り、軋轢を生じさせている。それとは別に、婚前の彼女は、子どもが生まれてまでも冬山に登るとは予想していなかったのかもしれない。

 義父が翌年急死した。義父が存命ならば、親子の断絶か、夫婦離婚の危機が深刻なものへと追い込まれていたかもしれない。ただ、義父の死を契機に、冬山登山は控えめにしようと思った。

「もう行く? バスに乗る前に、お昼を食べるんでしょ」
 妻の言葉で、『小泉の滝』を見る私は、横浜のボーリング大会の会場から、四万温泉にいる自分に連れ戻された。
「きのうと、おなじ蕎麦屋で、限定10食、という蕎麦を食べてみるかな。この時間なら、売り切れていないだろう」
「食べたあと、バス停のホテルで、おみやげを買う時間はあるかしら」
「大丈夫だろう。この足で駆け足しなくても、おみやげも買えるさ」
 滝の展望台から、ふたりは坂道を下りはじめた。陽光がいい感じで、林のなかを射していた。

 光の縞模様が幻想の世界をつくっていた。林間の一角には、古く懐かしいポストがあった。目立つ朱色だったが、歳月を経て、一つ情景のなかに上手に溶け込んでいた。
「観て、スミレが咲いているわ」

 花が大好きな妻がしゃがんで、可憐な花にそっと手を触れていた。野の花は摘まず、じっと見つめていた。スミレは木漏れ日を静かに受け止めていた。頭上では野鳥が思いついたように啼いている。

 硫黄岳の滑落で死んでいたら、あすが初七日だな、と私は心のなかで指を折っていた。最近の初七日は本葬と一緒にすませてしまう。となると、仏壇の前で、夫を失った悲しみに沈むよりも、未亡人として生きていく算段が優先するだろう。それでも弔問に来る人がいるだろう。
(好きな山で死んだのだから、本人は本望でしょう)
 妻は語るだろう。

 私にすれば、山の死は本望ではない。生命を粗末にしたわけではない。しかし、死んでしまっては反論などできない。だれもが妻の言葉を信じるだろう。
「この水仙もいいわね」
「花にばかり足を止めていると、昼食を逃すぞ」
「ね、観て。あの山吹がきれいね」
 傾斜が耕された畑になっていた。その一角で、鮮やかな黄色で咲く。
「連翹だろう」
「違うわよ」
「どっちでもいいから、いこう」
 渓谷の温泉街が遠方に見えてきた。坂道はなおも続く。またしても若葉の衣を付けない疎林となった。透かしてみえる渓流はしだいに川幅を広げてきた。
「ほら、タラの芽があるわ。残念ね。もう誰かが採ったみたい」
 妻が川土手に茂る潅木を指す。
「道路からこんなにも近いと、タラの芽は残っているわけがないよ」
 ふだんの夫婦の会話に戻っていた。

 静寂な山間から抜け出ると、落合橋だった。砂防の堰があった。渓流は白糸の滝のように流れ落ちる。橋の上で、ふたりして眺めた。
「もう登山はやめたら」
 妻がいった。

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