A020-小説家

ノンフィクション「古写真の青春」

 東京の街路樹にも、セミが鳴いていた。8月初旬、炎天下の陽炎がめらめら舗道から立ち上がる。誰もがハンカチで汗を拭う。
 焼けた都会の太陽がやや傾いてきた。学友たちがひさしぶりに、人形町に集ってきた。
  昨年末の有楽町ガード下の屋台から、半年が経つ。すぼらな幹事のヤマ屋が6ヵ月間も穴を開けたことから、更迭人事が行われた。

 
 新任の幹事は、張り切りボーイと言われた元布団屋だ。学友会は目的のひとつが「安くて、美味しくて、雰囲気の良い店を掘り当てる」というもの。それが幹事の腕の見せどころだ。

 元布団屋は当然ながら張り切り、人形町の居酒屋「手前みそ・人形町店」を探し当ててきた。4時45分。酒場には客人が一人もいない。一番客となると、店員が揃って親切な態度で挨拶。席に案内して、懇切丁寧にメニューの紹介がはじまった。価格帯を含めて、満足できる店だった。


 今回は元銀行屋が欠席だ。理由はしごとだ。それも、前夜のメールだった。
「奴のために、七月末を変更して、きょうを決めたのに……。それなのに欠席か」とヤマ屋が文句をいう。
 元銀行屋は定年後の再就職先で、いまはバイトの身分だ。「そこでも忠誠心をつくすなんて、信じがたい。高度成長期の悪しき習慣から抜け切れていない」と批判する。
あのころは、家庭よりも親戚づきあいよりも、仕事とゴルフが優先だった。上昇志向で、深夜まで働き、休日出勤も厭わない。そんな猛烈社員がひしめいていた。

「目くじらを立てて批判いることはない。また、会えるさ。なんでも、会社関係で不幸があったらしい」
 元焼き芋屋なだめる。大学時代の友はさして利害もない。それだけに、すぐさま一件落着だ。

 元布団屋が話題づくりとして、大学時代のゼミの写真を持ってきた。著名な中国古物収集家だった父親の子だ、物持ちが良い。自家の押入れの隅々から、ゼミ時代の論文集までも掘り当ててきた。それには、誰もが驚きの声をあげた。

 写真のなかの人物となると、特定できない者もいる。
「これは誰だ?」
 と首を傾げて指す。



 ゼミの仲間となると、はるか十数年むかし。当てずっぽうな名まえが出てくる。顔を憶えていても、とっさには名まえが口から出ない年齢だ。

 人物は特定できなくとも、古写真は記憶を刺激してくれる。見入るほどに、過去の出来事との距離感が縮まり、懐かしさが胸を突く。

 昭和40年初め大学生は、世間からまだチヤホヤされた世代だ。ある種のエリート風を吹かせていたと思う。高度成長期に入り、サラリーマン時代が突出して来た。その影響だろう、写真を凝視すれば、背広姿が多い。

 そこからは「大人の仲間入り」という焦りも読み取れる。卒業後は、嫌というほど着せられたものだ。なにも大学時代から背広とネクタイなど見につけることはなかった。
他方で、そこには社会に飛び出す前の初々しさが感じられる。

 ゼミは近代経済学だった。個々人の論文が掲載された、ゼミナール小冊子が、元布団屋の手で日の目を見た。どんな学生論文だったのか。一人ひとり読んでみたい気もある。酒の席だけに論文から話題が逸れていく。

 元教授が当時の話題を持ちだす。「ゼミの主催地が千葉県・江見、長野県・別所だった。ゼミ教授は人柄の良い戸田正雄さんだった。みんなで、世田谷の自宅に遊びに行ったな」と懐かしがり。

「ボクたちを指導してくれていたとき、先生は何歳だったのだろうか?」
学友たちの脳裏には、当時の戸田教授の年齢など刻まれていなかった。それぞれが当時の年齢を推量する。50代?、60代? 70歳前だろうな。(20代前半の若者から見れば、40後半から、みなお年寄りに見えてしまう)。
 古写真から判定すれば、いまの我々とさして変わらない年齢だったと思う。

 ゼミの話題が一巡すれば、元教授が海外の話題を披露する。訪問地は、当HP(ジャーナリスト)に提供されている。

 元焼き芋やが何かの拍子に、「おれは美声だ。筋金入りだ」とうぬぼれた。「ほら吹きは昔も今も変わらず、口だけで生きてきた男だ」とヤマ屋が揶揄する。
「事実か否か。実際に聞かせてやろうじゃないか」ということの成り行きで、人形町交差点に近い、カラオケ「ビックエコー・人形町店」に行った。

 アナログ世代で、デジタル音痴が揃っている。曲は流れても、画像が映らない。二度も、三度も店員を呼ぶ。やっと画面とバック・ミュージックが一体となった。

 元焼き芋屋が歌いはじめた。亡きフランク永井の音質がそっくり。体型が似ていると、声の質も似るものらしい。「有楽町で会いましょう」などは逸品だった。さすが40年間も、営業畑で、会社の金で、飲み食い、歌い続けてきた、その成果が出ていた。

 ここにも高度成長期の会社人間の面影をみた。
 異色なのはヤマ屋だ。妹が音楽家だ。兄は典型的な音痴で、音感がわからないという。一、二曲歌わせれば、雑音、騒音そのものだ。当人も理解しており、厚い曲目の本から、それぞれの選曲とデジタル操作を受け持つ。

 カラオケの後は、元教授と元布団屋のふたりが新たな居酒屋の開拓で人形町へと消えていった。

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